2015年3月22日日曜日

SAM催眠学序説 その42

歴史の闇に埋もれていた「天明泥流タエの人柱秘話」


「SAM催眠学序説その40」で展開してきたタエの人柱状況の膨大な諸議論によって、今ひとつ謎として未解明であった部分がほぼ明らかになり、生まれ変わりの証拠「タエの事例」の全体像が明確に見えてきました。

そこで、「天明泥流タエの人柱秘話」と題して、SAM前世療法で顕現化した前世人格タエの語りと、語りの内容で検証できた史実を忠実にたどり、それができない空白部分はありうるであろう想像によって補い、「天明3年7月浅間焼泥押」と呼ばれる大泥流で人柱として16歳で溺死したタエの一生を、復元してみました。

この「秘話」には、これまで公開しなかったタエの人柱の裏にある生々しい隠された事情をあえて公開しました。 それによって、タエが人柱になったもう一つの理由が、より鮮明にご理解いただけるだろうと判断したからです。


なお、文章中の「タエの語り」、「タエの守護霊の語り」、「検証されている史実」を明確に示し、想像である部分と事実である部分とを区別するために、下線の後ろに3種類の記号が付けてあります。記号の意味は次のとおりです。

記号S1:タエの語り 
記号S2:タエの守護霊の語り
記号K:検証済みの史実

また日付は旧暦で統一してあります。

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宝暦10年(1767年)生まれのタエ(S1・K)は、上州(上野国)渋川村上郷(群馬県渋川市上郷)(K)の名主キチエモン・ハツ夫婦に拾われ養育されました。(S1)
渋川村上郷の名主キチエモンは、捨て子を拾い上げ、養育するという篤志家S1であり豪農であったようです。

しかし、養育された子どもたちの実態は、年中馬小屋で藁にくるまって寝泊まりし、馬小屋でヒエの食事を与えられる(S1)という過酷な生活でした。
拾った子どもを農作業の労働力の無償の担い手として培うというねらいがあったと思われます。
すでに天明の飢饉の前兆が始まっていた(K)ことを考えると、拾ってもらい粗末な食事を与えられるだけでもありがたいと思わねばならなかったでしょう。

おそらく拾われた子どもたちは、絶えずひもじい思いをしていたに違いなく、安永9年(1780年)13歳S1・K)になったタエが一番楽しかったのは、桑の葉を摘み取る仕事の合間に、桑の実を気兼ねなく腹一杯食べることだ(S1)と語っています。

天明3年(1783年)16歳(S1・K)の娘に育ったタエは、人柱になる悲劇について、「村のために」、「うれしい」、「恩返し」など、けなげに語っています(S1)から、気立てのよい、素直な、おそらく美しい娘であったと想像できます。

おそらくキチエモンはそうした美しく成長したタエを可愛がっており、タエも育ての親のおとっつあんであるキチエモンを慕っていたと思われます。

キチエモンは、商才に恵まれ、吾妻川の水運を利用して上流の村々から生糸や野菜を仕入れ(S1)それを売りさばくという当時始まりかけていた商品経済の先駈けの仕事に手を染めるという商人感覚を備え持つ、聡明でエネルギッシュで有能な名主であったと想像できます。

キチエモンは上流の村々から生糸・野菜などを仕入れる商売のための船着き場を持っており、その付近の川石が黒かったため、「黒川のキチエモン」、そして所有する田畑の土が黒かったため「黒田のキチエモン」という俗称で呼ばれていました(S1)
ちなみに、天明3年当時渋川村の名主は4人で、その一人に「堀口吉右衛門」(K)がいたことが分かっていますが、タエはキチエモンの姓は分からない(S1)と語っています。

キチエモンは、美しく気立てのよい娘に成長した16歳のタエに情を移したと思われます。
キチエモンは、「白い米の飯を存分に食べさせてやるから言いなりにならないか」と密かに甘言をささやいた(S1)とタエは語っています。

白いご飯を遠慮気兼ねなく食べたいがばかりに、タエはキチエモンに身を任せました。やがてタエは、キチエモンの子を宿しました(S1)
キチエモンの妻ハツがこれに気づかないはずはなく、タエは、キチエモンの子を宿したことを知ったハツから激しい折檻を受けた(S1)と語っています。

仮にも義理の娘に手を出し、子を孕ませたことが表沙汰になれば、キチエモンの名声は地に墜ち、妻ハツも笑いものになります。なんとしても表沙汰になることを塞がねばなりません。生まれてくる子の扱いもキチエモン夫婦には頭の痛いことであったはずです。

折も折、天明3年旧暦4月の初めに、渋川村50km西方の浅間山に最初の噴火が起こりました。
しばらく平穏だったのが5月末には噴火が再開し、遠くは佐渡など遠方諸国にも火山灰が降る事態が起きています。6月末になると断続的に噴火が起き、浅間山から200km離れた名古屋にも鳴動が届くほどになり 、7月に入るとさらに噴火は激しさを増してきます。(K)

この消息をタエは、「あ、あさまの山が、お山が、だいぶ前から熱くなって、火が出るようになって」、「白い灰が毎日積もります」、「軒下(の高さまで)」(S1・K)と語っています。
「む、村の人は、鉄砲撃ったり、鉦を叩いたり,太鼓を叩いても雷神様はおさまらない(S1・K))と、火山性地震と鳴動、大噴煙による雷神(火山雷)の怒りに怯えうろたえる村人の様子を語っています。当然のことながら、火山雷とともに火山灰のおびただしい降灰によって、凶作が起こり飢饉となる(K)ことに、村人たちは恐怖したに違いないと思われます。

こうした事態を憂慮し危機感を募らせたキチエモンは、噴火の激しさが増してきた6月末から7月初頭には主だった村人を集め、緊急の寄り合いを開き相談したと想像できます。

この寄り合いの場には、おそらく諸国行脚の途中、名主キチエモン屋敷に投宿していた「行者様(S)」も同席を頼まれ、村人たちは行者の経験豊かな知恵を借りようとしたかもしれません。
行者は、山鳴りが起きると岩屑なだれが起き、上流の谷を埋めて大洪水が起こるなど諸国行脚で知り得た各地の言い伝え(K)を披瀝したかもしれません。

それを未然に防ぐためには、神仏を頼んでただ祈るだけでは効験はなく、すさまじい噴火によって浅間山を追われ、大洪水とともに川下りするであろう龍神の怒りを鎮めるために、若い娘を龍神の花嫁としてお供えるする(S1)しかないだろう、大噴火を引き起こす雷神を鎮めるには馬をお供えする(S1)がよいだろう、などを進言したかもしれません。
また、地元上郷の良珊寺(K)僧侶であろう「導師様(S1)も同席し、行者とともに進言したかもしれません。
行者様、導師様はタエの人柱を立てた現場に付き添っていた(S1)からです。

こうして、衆議により、この先さらに危機的大噴火が起きた暁には直ちに人柱を立てること、雷神を鎮めるために馬も供えること、場所は三国街道筋の「杢ケ橋」(もくがばし)(K)にすること、事前に関所役人にはお咎めなしで黙認してもらう了解を取り付けておくこと、人柱の人選は村を守る立場上名主キチエモンに一任すること、などが取り決めたられたものと考えられます。

こうして人柱に立てる娘として、捨て子であり、しかもキチエモンの子を宿していたタエが、キチエモンの脳裏にのぼったことは自然の成り行きだったと思われます。

育ての親である名主キチエモンが、上の村々を救うという大義名分により、捨て子であったタエを人柱に立てることに異存を申し立てる者はいないであろうし、同時にタエの口封じにもなり、タエさえ説得できれば一挙両得だと考えた(S1)と思われます。
こうしてタエは、キチエモンから人柱になることを勧められた(S1)と語っています。

そして、キチエモン(妻ハツも加わったかもしれない)は、タエに人柱になることの大義名分やら功徳やらを並べて、繰り返し説得したに違いありません。
わずか16歳の、素直で気立てのよいタエが、しかも赤子で捨てられていたところを拾われ、養育されたことに大恩を感じていないはずがなく、キチエモンのたっての願いと勧めを受け入れる(S1)ことは、選択の余地のないことだったでしょう。

「雷神様は馬に乗ります。龍神様はわたしを乗せていきます」、「浅間のお山に住む龍神様です。熱くて住めないので川を下ります」、「天明3年7月七夕様の日、龍神様と雷神様があま、あま、あまつ、あがつまがわを下るので・・・水が止まって危ないので、上の村が水にやられるので・・・わたしがお供えにになります」、「村のために」、「恩返し・・・みんなのために。うれしい」、「ごちそう食べて、白い(絹の)着物の花嫁衣装着て」など、タエが自ら志願したかのようなけなげな語り(S1)は、キチエモンの必死の説得が功を奏した結果であることは明らかでしょう。

タエが「上の村が水にやられる」と語り、「渋川村が水にやられる」と言わないのは、おそらく渋川村村落は地形的に吾妻川の水面よりかなり高い位置にあったからだと思われます。実際の泥流被害報告でも、家屋の流失は一軒もないとされています。ただし、流死は一人あったとされています。
うがって考えれば、「上の村」はキチエモンの商売上の交易相手の村々であり、それらの「上の村」を水害から守るのはキチエモンの商売のためでもあったと言えそうです。 

なお、2006年TV放映の「奇跡体験アンビリバボー」では、「上の村が水にやられるので」という重要な語りが削除され、タエの人柱は「自分の住む渋川村を救うために」という理由になっていますが、これは私に無断で、フジTVが話を分かりやすくするため、セッション証拠映像の編集段階で意図的におこなっている歪曲です。


タエの説得に成功したキチエモンは、天明3年7月7日までには杢ケ橋の関所役人に人柱黙認の願い届けをしたと思われます。

三国街道の重要な杢ケ橋(K)を、流失から守るための人柱を志願している娘がいるので、なにとぞ黙認し、ついてはむごいことなので公にはしないように手配をしてほしい、などの願い届けを当時の渋川村4人の名主(堀口吉右衛門・後藤太兵衛・一場安兵衛・吉田喜兵衛(K)らが出頭し、連名で願い出たとしたら、この願いを聞き届けた可能性は十分あると想像できます。
関所は見て見ぬふりをする、公にすることもまかりなならん、という処置をしたことはまったくありえないことではないはずです。

このように想像しないと、タエの人柱伝説が周辺地域の史実に残っていない(K)、ということが検証の最初の時点から解釈できないと思っていました。

関所役人としては、本人志願の人柱の願いを却下した結果、大災害に見舞われ、関所運営のためことあるごとに協力を頼んでいる名主たちの反感を買うことは後々を考えれば得策ではないでしょうし、だからといって人柱を公に許可したという事実が残ることは、いかに志願したことであっても公になれば、後でどんな非難を受けるやもしれません。

また、予測違わず大災害が起こるとは限らず、それならそれで人柱のタエは死なずに済み、杢ケ橋も無事なわけですから、どちらに転んでも問題が生じることがないように抜け目ない配慮をしたと思われます。

タエと馬を運ぶについてはできるだけ目立たぬようにすることを命じ、関所は見て見ぬふりをして記録に残すことを一切禁じ、人柱は無かったことにする、などの自分たちが火の粉を被らない妥協案を考えつくことは、今も昔も変わらぬ保身のための役人根性ではないでしょうか。

当時の三国街道杢ケ橋の関所役人は、高崎藩から2ヶ月交代の目付1人、与力2人、地元から3人の定番が世襲として勤めていた(K)ので、地元出身の定番役人たちと名主たちは顔見知りであったはずで、日頃ことあるごとに役人たちが関所運営に助力を頼んでいる4人の名主(K)が連名で願いの筋を申し出れば、黙認することはありえると思われます。タエの口封じというのっぴきならぬ裏事情のあったキチエモンが、融通を図ってもらえるよう付け届けを差し出した可能性もあるのではないでしょうか。

奇しくも天明3年7月7日午後には、吾妻火砕流を生じた大噴火が起こります(K)

七夕伝説に因んで、いよいよ龍神、雷神がそろって吾妻川を下る(S1)その大異変の洪水を鎮めるために、タエを龍神の花嫁としてお供えに送り出す酒宴(S1)を今夜催すことにするぞ、と酒宴を始めた天明3年7月7日の夜から朝にかけて、大地を揺るがす未曾有の連続大噴火が起こりました。この大噴火の鳴動は、遙か遠く300km離れた京にまで届いたK)と言います。そうした未曾有の大噴火の最中に別れの酒宴はおこなわれたと思われます。

そして翌朝天明3年7月8日午前、タエを大八車に乗せ、馬を引き、杢ケ橋に急行する段取りにしてあったと想像できます。
ところが、翌朝7月8日10時ころに浅間山から吾妻川に流下する大規模岩屑なだれ(鎌原火砕流) を引き起こし京にまで届いたという大噴火鳴動(K)あるいは前夜からの連続大噴火の鳴動によって怯え、必死で暴れる馬の口取りができない事態が生じました(S2)
切羽詰まっている一行は、馬を鎮め守るために(S2)、上郷の馬頭観音(S2・K)へ、酒宴で酩酊しているタエの左腕を切り落として埋納する(S2)という狂気とも言える残酷な振る舞いにおよびました。村人に狂気を帯びさせるせるほどの未曾有の大噴火だったということでしょう。
タエの死を密かに望んでいたであろうキチエモンは、あえてこれを止めなかったのかもしれません。

こうして、空を覆う噴煙によって昼間なのに夜のような4kmほどの道のりを(S1・K)、タエを大八車に乗せ、馬を引いた一行は、三国街道に架かる杢ケ橋に運んだと思われます。
おそらく天明3年7月8日午前10時半過ぎころには杢ケ橋に到着していたでしょう。

付き添った村人たちによって、タエは杢ケ橋の、橋の柱に縛られ馬も橋の柱に繋がれ、龍神・雷神へのお供え(S1)の準備が急ぎ整えられました。
天明3年7月8日午前11時過ぎころには準備が終わり、タエと馬を運んで来た一行は、川岸の土手に待機し、吾妻川の異変を見守るばかりになっていた(S1)はずです。
川岸には「行者様、導師様、みんないます」(S1)とタエは語っています。

キチエモンをはじめ3人の名主、大八車と馬の引き手、行者様・導師様を合わせて、川岸には十数人の者たちが大八車を置いて待機し、吾妻川の異変を警戒しながら息を呑んでタエと馬を見守っていた(S1)と思われます。
この時刻には、すでに上流の吾妻渓谷八ツ場で大規模な堰止めの大泥流被害が起こっていたはずで(K)、そうした泥流被害を被った上流の村々から異変を知らせる半鐘を打ち鳴らす音などが次々に下流の村へと受け継がれ、杢ケ橋の川岸で見守っているキチエモンたちにも、上流で不吉な異変が起きていることが伝わって来たのかもしれません。

果たして、天明3年7月8日正午過ぎころに、「浅間焼け泥押し」と呼ばれる未曾有の大熱泥流が、大地を揺るがして流れ下り(K)杢ケ橋・タエ・馬もろとも一気に呑み込み押し流したのです。
こうしてタエは泥流に呑まれて溺死しました(S1)

天明3年(1783年)7月8日正午過ぎ(K) 、タエはわずか16年の、あまりに短い薄幸の一生を終えたのでした。

こうしたタエの薄幸の一生すべてを承知している守護霊は一言、「女は道具です」(S2)と重く含みのある語りを残しています。


そして、人柱タエとともに流失した杢ケ橋は、二度と架け直しがされず、それ以後は「杢の渡し」として吾妻川を渡る手段は渡し船へと変わりました。(K)

現在は、街道も廃れ、渡し場跡だけが当時の名残をわずかにとどめている(K)ばかりです。 

災害を免れるために人柱となったタエの願いは叶うことなく、「天明3年7月浅間焼け泥押し」と呼ばれる大泥流は、吾妻川・利根川流域55ケ村の合計流死者1624人、流失家屋1511軒(K)の未曾有の大災害を残したのでした。

なお、渋川村の被害は、「くるま流れ、田畑少々流水入る、人一人流る(K)となっています。

渋川村では、家屋の流失はなく、「田畑に流水が少し」あり、「人一人」が流死、「くるまが流れた」のみと報告されています。(K)
雷神を乗せたはずの馬は、流された後、おそらく助かったのではないかと思われます。
あるいはお供えとして流死が予定されていた馬であるので報告から外されたかもしれません。
同じくお供えとして流死が予定されていたタエは、さすがに人であるので報告されたのでしょうか。

泥流で流された「くるま」は、タエを運んだ大八車であろうし、流死した「人一人」はタエであろう、と確かに推測できる痕跡が、当時の泥流被害報告書『天明三年七月浅間焼泥押流失人馬家屋被害書上帳』(K)に、下枠内写真のようにかろうじて今に残されているというわけです。



フジテレビジョン 『奇跡体験!アンビリバボー前世スペシャル』2006.10.12放映分より

こうして、タエの人柱「悲話」は、文字どおり人柱「秘話」となって、多くの流死した人々の中に紛れ、語り継がれることもなく、歴史の闇のはるか彼方に消え去っていったのです。


(終わり)



追伸

この秘話を、里沙さんの魂表層から顕現化し、生きた証を示し、生まれ変わりの事実を明かしてくれたタエの前世人格と、その次の次の生まれ変わりである里沙さんに、鎮魂の祈りを込めて捧げたいと思います。
 

2015年3月6日金曜日

SAM催眠学序説 その41

SAM催眠学が帰無仮説を認めない理由


前回まで、「ラタラジューの事例」、「タエの事例」の全セッション逐語記録と、拙著二冊の出版以後新たに解明できたことを逐語録にコメントして紹介してきました。
2005年の「タエの事例」から9年、2009年「ラタラジューの事例」から5年を経て、セッション当初は謎であったことを少しずつ解いてきました。

私は、この両事例の徹底的検証の結果をもって、少なくとも被験者里沙さんには生まれ変わりが実在している、と宣言してよいと思っています。
生まれ変わりは、「信仰」などではなく「事実」なのです。
そして、一人に起きている生まれ変わりが、他の人たちにも起きている蓋然性は高いと判断しています。

なぜなら、他の人たちのSAM前世療法セッションにおいて、ラタラジューを呼び出したと同様の手続きによって、ラタラジューと同様の前世人格が顕現化するからです。
つまり、魂状態の自覚に至れば、魂の表層に存在する前世人格の顕現化が間違いなく起こるからからです。
これまで、10名を越える医師・大学教員など知的レベルが高く、容易にSAM前世療法の作業仮説を認めることはなさそうなクライアントであっても、作業仮説どおりの意識現象の事実、つまり「魂状態の自覚」と「前世人格の顕現化」、および「守護的存在との出会い」などが起こっています。

しかしながら、検証可能な具体的内容を語る前世人格は、きわめて稀であることも事実です。
とりわけ、催眠中に起きた応答型真性異言は、イアン・スティーヴンソンの公表している二事例を加えても、世界で三事例しか在りません。
しかし、検証できないからといって、顕現化した前世人格がフィクションであるという断定は、「ラタラジューの事例」を前にしては、できるとは思われません。

こうして、幾多のセッションに現れた意識現象の累積から、私が、魂と生まれ変わりの実在を認める立場をとる理由は、

それが直感に著しく反していないからであり、

それを認めることが不合理な結論に帰着しないからであり、

その霊的現象が唯物論的枠組みからは説明できないからです。

SAM前世療法の作業仮説は、霊の告げた魂の構造を前提にして導き出したもので、良好な催眠状態に誘導し潜在意識を遡行していくと、意識現象の事実として、クライアントが「魂の自覚状態」に至ることが明らかになっています。
この魂の自覚状態に至れば、呼び出しに該当する前世人格が魂の表層から顕現化し、対話ができることもクライアントの意識現象の事実として明らかになっています。

ラ タラジューも、こうして呼び出した前世人格の一つであるわけで、その前世人格ラタラジューが真性異言で会話した事実を前にして、魂や生まれ変わりの実在を 回避するために、深層心理学的概念を駆使してクライアントの霊的な意識現象に対して唯物論的解釈することは、現行科学の知の枠組みに固執した不自然な営み だ、と私には思われるのです。

魂の自覚状態、前世人格の顕現化という意識現象に対して、事実は事実としてありのままに認めるという現象学的態度をとってこそ、SAM前世療法を実りあるものにしていくと思っています。
そして、クライアントの示す意識現象の諸事実は、現行科学の枠組みによる説明では、到底おさまり切るものではありません。
魂や生まれ変わりの実在を認めることを回避する立場で、あるいはすべて非科学的妄想だと切り捨てて、どうやって顕現化した前世人格ラタラジューの応答型真性異言現象の納得できる説明ができるのでしょうか。

ち なみに、生まれ変わりの科学的研究者イアン・スティーヴンソンも、「グレートヒェンの事例」において、真性異言で会話したグレートヒェンを名乗るドイツ人少女を「ドイツ人とおぼしき人格をも う一度呼び出そうと試みた」(『前世の言葉を話す人々』P11)と記述し、呼び出された前世人格を「トランス人格」(前掲書P9)と呼んでいます。
つまり、催眠下で前世人格を呼び出し顕現化させる、というSAM前世療法における私と同様のとらえ方をしています。

おそらく、この被験者も里沙さんのような高い催眠感受性を持ち、タエやラタラジューの人格同様、催眠下で一気に魂状態になり、その表層に存在している前世人格グレートヒェンが顕現化したと推測してよいように思われます。

「タ エの事例」と「ラタラジューの事例」は、私にとって、まさに掌中の珠であり、私の人生で遭遇した僥倖でした。
イアン・スティーヴンソンが世界中を二十数年かけて探し求め、わずか3事例しか発見できなかった応答型真性異言を、私自身のセッションで直接自分の手で確認できるなどということは想像すらできなかっ たことでした。
しかも、「ラタラジューの事例」は、応答型真性異言発話中の世界初の映像証拠を残しています。
ただし、タエにしてもラタラジューにしても、その実在が文書等の記録では確認できまませんでした。

生 まれ変わりを裏づけるような証拠のように重大な問題においては、完璧なもの以外は証拠として受け入れられないと批判されるのであれば、この問題が重要であ るからこそ、不完全なものであろうが可能性を示す証拠については、科学として検討するべきだと考えます。
細部が不明、不完全であるという欠陥があろうと、 重要なことについて確実なことを示す事実にこそ意味があると考えます。
そして、不完全であっても、重要なことについて確実なことを示す生まれ変わりの証拠は、これまでの海外の事例の諸研究によって、その証拠を根拠に生まれ変わりを認めることが自然ではないかと考えられるだけのものが蓄積されています。

さて、「タエの事例」、「ラタラジューの事例」は、それぞれ2006年、2010年にアンビリバボーに
取り上げられ証拠映像が部分的に放映されています。
セッションの全容でなく部分的放映であったがゆえに誤解が生じ、様々なご意見をいただきました。
そこで、昨年11月末、両事例の全セッション映像を、ほぼ1年かけてyou-tube公開用に制作してきた仕事が完成しました。
 
私は、自分では、けっして「生まれ変わり研究」オタクではないと自認しています。
私をとりまく政治・経済の問題、原発問題、国家の安全保障問題等の諸問題について人並み以上の関心を寄せています。
そして、現状の日本と世界の先行きに不安と危機感を抱いています。

生まれ変わりが事実であること、霊的存在が実在することを証明し、発信することは、こうした現実の諸問題と無縁な、一見浮き世離れした暇人の仕事に思われるでしょ うが、生まれ変わりを事実だと認めるならば、人間に対する見方、考え方は言うに及ばず、自然界のあらゆるものに対する見方、考え方も根本的な変更を迫られ るはずだと思っています。
生まれ変わりを事実だと認める人々が、必ずや当事者性をもって、自分が生まれ変わるはずの地球、世界、日本の未来を真剣に考え、「生まれ変わる自分のために」、必要な政治的諸行動や経済的諸活動、諸学問研究活動をおこなうだろうと期待をしています。

そして、何よりも、死後は無に帰するわけではなく、魂と呼ぶ意識体は死後も存続し、時を経て新しい肉体を得て再び生まれ変わることを、科学的事実として認めることは、私自身の救いです。
私は小学校6年の冬に、可愛がってくれた祖父の遺体が焼かれていく有様を見てしまって以後、「タエの事例」、「ラタラジューの事例」に出会うまで、死ぬことに対して極端な恐怖を抱いて生きてきた情けないほどの臆病者でした。
私は、「死ぬことなんか怖くない」と公言出来る人をどうしても信じられない臆病な人間です。
「帰無仮説」によっては、人間は、少なくとも私は、けっして救われることはないと思い続けていました。
死があるからこそ生を充実する、などの言辞は、現実の死を目前に突きつけられたことのない、死を観念的にしかとらえていない人間の戯言に思えたのです。

死んだら最後、愛する者たちと永遠に別離しなければならないと考えることは、まさに寂寥と悲痛の極みであり、ニヒリズムに落ち込むこと、鬱状態に落ち込むことを繰り返してきました。
その悲痛を忘れるために、大型バイクをすっ飛ばしたり、疲労の極まで泳いだり、足腰が立たないほど山に登ったりしたのだろうと思います。薬物が手軽に手に入れば、やっただろうと思います。

だからと言って、私は宗教に救いを求めるという心性を持てない人間です。
「生まれ変わり仮説」の科学的・実証的探究を続けているのは、自分の手で確認し、何よりも私自身が納得でき、悲しみから救われたいからです。
だからこそ、生まれ変わりという重要な問題を科学の方法を用いて執拗に真剣に探究することが続けられるのだと思っています。


生まれ変わりなど絶対に認めたくない人は、生まれ変わりを否定する証拠をもって反論する以外に方法はありません。
「タエの事例」、「ラタラジューの事例」を、生まれ変わりの証拠として絶対に認めたくない人のために、反証可能性に開かれているという意味を含めて、セッション全容の証拠映像の公開が必要であると思ってきたところです。その思いがやっと叶いました。

生まれ変わりについて真面目に考えている、できるだけ多くの人に見ていただきたいと思っています。

公開動画は http://samzense.blogspot.jp/p/blog-page_21.html です。