2014年6月29日日曜日

SAM催眠学序説 その11

SAM催眠学の治療構造仮説

SAM前世療法のセッションにおける「三者的構図

私が現時点でSAM前世療法の治療構造をどうとらえているのか、実践者としての実感的考えを述べてみたいと思います。

ただし、治療構造の説明というものは、どんな心理療法であれ、絶対的な実証ができるわけではなく、仮説に過ぎません。
ですから、ここで述べることも、当然、暫定的な仮説でしかありません。

SAM前世療法では、魂の表層は前世のものたちによって構成されており、それらのものたちが意識・潜在意識を作り出しているという作業仮説にしたがって、潜在意識をひたすら深め、それを作り出している源である魂の自覚まで導きます。

魂状態の自覚に至ったことが確認できれば、魂の表層に存在し、主訴に関わっている前世のものを呼び出します。
あるいは、魂の自覚状態に至れば、訴えや癒しを求める前世人格が自ら顕現化して待っています。

私は顕現化した前世の人格と対話し、その苦しみや悲しみを共感的に傾聴します。
こうして、前世の人格が苦悩を語ることによって癒しを得ると同時に、前世人格とつながっている現世のクライアントの主訴も連動して改善が起こるというのが、SAM前世療法による治療の基本原理だと考えています。

このことつまり、こうした治療原理そのものは、通常のカウンセリングと何ら変わりがないものです。
ただカウンセリングの対象が生身の人間ではなく、肉体を持たない前世人格(死者)であるという点に違いがあるだけです。
したがって、セラピストは、クライアントと面接しているのではなく、クライアントの前世の人格と面接しているのだ、という明確な自覚のもとでセッションを進めることになります。

非常に信じがたい奇異なカウンセリングに映るでしょうが、SAM前世療法の作業仮説からしてみれば、当然の論理的帰結であり、クライアントの意識現象として現れる確かな事実です。

セラピストは、数百年前に人生を終え、当時のままの苦しみや悲しみの感情に苦悩しながら、今も魂の表層に意識体として生き続けている前世の人格(死者)と、対面するというわけです。

ラタラジュー人格もこうして顕現化し、ネパール語で会話したのです。
ラタラジューが真性異言で会話した事実は、彼が、けっして里沙さんの作り出した架空の人格ではないことを証明しています。
架空の人格が真性異言を話せるはずがありません。
ラタラジューはネパール人として生きたことがあるからこそ、ネパール語で会話できたのだと考えざるをえません。
こうしたことから、魂の表層には今も前世の人格が生きて存在している、という作業仮説は正しい可能性があると思われます。

その一つの証拠が、ラタラジュー(CL)と、カルパナ(KA)さんの次のようなネパール語会話です。
この会話については
http://youtu.be/JBiM7rU6jmQ?t=28m20sに日本語版が
http://youtu.be/q5iVCfKuH0Q?t=30m6sに英語版が公開してあります。


CL  Tapai Nepali huncha?
   (あなたはネパール人ですか?)
KA  ho, ma Nepali.
   (はい、私はネパール人です)
CL  O. ma Nepali.
   (ああ、私もネパール人です)

この会話のラタラジュー(CL=被験者里沙さん)という顕現化した人格は、ネパール人カルパナ(KA)さんに対して、明らかに、今、ここで、問いかけています。

前世人格ラタラジューは、今、ここに生きており、顕現化して問いかけている、としか考えられません。
こうした事実からも、里沙さんが、ラタラジューという前世の記憶を想起して語っているという説明は成り立たないのです。
現在進行形の会話だからです。

それでは、前世人格が顕現化中のクライアント自身の意識状態は、どうなっているのでしょうか。
これは治療構造の根本に関わる重要なポイントだと思われます。

セッションの進行をモニターしているクライアントの意識(顕在意識)は明瞭にあります。
つまり、前世人格の意識と現世人格のモニター意識が、併存状態のままでセッションが進行・展開していくということです。

クライアントの意識は、セラピストと前世人格の間で交わされる対話を傾聴している第三者的オブザーバーの立場で、セッションに参加・同席していると理解してよいと思われます。

こうして、SAM前世療法においては、セラピスト対前世人格の間で交わされる対話、そこに同席しモニターしている現世人格の意識という「三者的構図」になっていると言えるでしょう。

カウンセラーの質問に対して発話するのは前世人格です。
前世人格は、クライアントの肉体つまり、発声器官を用いて発話することになりますから、モニター意識からすると、勝手に、あるいは自動的に発話がされているという自覚を持つことになります。

それは前世人格が、悲嘆の場面に直面化したときに涙を流すという場合についても同様です。
前世人格がクライアントの涙腺を用いて涙を流すことになりますから、モニター意識はそれを自分が流している涙であるという自覚を持てないことになるのです。

ただし、ここで重要なことは、モニター意識は、単なるオブザーバーではなく、前世人格の苦悩やそれが癒されていく感情を、まさに自分のことのようにまざまざと共感的に理解しているということです。
つまり、前世人格の意識とモニター意識は、完全な分離状態として併存しているわけではなく、分離していると同時に強い一体感も持っている、ということです。

魂の生まれ変わりという視点から見れば、現世のクライアントは前世の生まれ変わりの結果ですから、別人格とはいえ、両者の意識は切っても切れない絆で密接につながっているはずで、同一性の感覚があるのは当然でしょう。

こ うして、クライアントのモニター意識が、前世人格の語る苦悩の感情と、語ることによってもたらされる癒しの感情を共体験し、その前世人格の苦悩が潜在意識 として現世の自分の意識に流れ込んで精神的諸症状を引き起こしていたということ、それが癒されたことを洞察するに至ると、それらの症状が改善に向かう、と いうのが現時点で筆者の考えている暫定的な基本的治療構造です。
同時に、SAM前世療法を体験したクライアントの多くが、次のような気づきを報告しています。

①自分の人格形成には、前世の人格の体験が多かれ少なかれ影響を与えているという気づきと、自分という個性が死後も魂表層の一つとして存続することへの実感。

②現世の人生は、前世・現世・来世へと連綿とつながっている鎖の一つであるという超越的世界観への目覚めと、そこから自己の人生を再解釈し相対化していく超越的視点の気づき。

③魂状態での守護的存在者との出会いと、その存在者からの啓示ないし、メッセージによる被護感と、生まれ変わって現世を生きる意味への気づき。

これらはある意味で宗教的認識に類するものですが、あくまでセッションの過程で自ら気づき獲得していったものであって、セラピストである私が外部から注入したり押しつけたものではないことを確認しておきたいと思います。

これらのことを、クライアントが、少なくとも「主観的真実」として自ら深く実感した結果、新たな自己・世界解釈がなされ、そのことが自らの人生に、新たな意 味づけ、価値づけ、方向づけを促し、そうしたスピリチュアルな体験を現実と統合していくことによって、症状の改善のみならず人格的、霊的成長をも促され る、と考えてよいのではないかと思っています。
とりわけ里沙さんについては、こうした認識が獲得されていったことが明らかにうかがわれます。

基本的には、こうしたSAM前世療法による催眠下で起こる超常的体験によって、最終的に「超越的視点の獲得」を可能にしていくのがSAM前世療法であり、他の心理療法には求めることの出来

ない、独自・固有の存在意義はそこに由来すると考えていいのではないでしょうか。

(その12へつづく)

2014年6月20日金曜日

SAM催眠学序説 その10

臨死体験と魂(死後存続する意識)実在の問題

前世療法を用いて前世や魂の実証(死後存続の実証)を試みる方法論とは別に、「臨死体験」という視点から死後存続を探究する分野があります。
 臨死体験は、SAM催眠学の提唱する諸仮説に関わる重要な関連分野ですので、現時点の私の見解を述べてみたいと思います。

さて、
http://sankei.jp.msn.com/wired/news/130502/wir13050213270001-n1.htmという記事を紹介してもらいました。

下記にこの記事の当事者であるパーニア氏と、そのインタビュー記事の抜粋を紹介します。

パーニア氏は、ニューヨーク州立大学ストーニーブルック校付属病院の医師で、同大学の蘇生法研究プログラムの主任。北米と欧州の25病院で臨死体験を記録する「Consciousness Project Human」のAWARE調査の責任者として、この現象を科学的に研究している人物です。

パーニア氏はこのほど、新しい著作『Erasing Death: The Science That Is Rewriting the Boundaries Between Life and Death(死を消去する:生と死の境界を書き換える科学)』を刊行しました。

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パーニア氏:人が死ぬと、血液の脳への流入がなくなります。
血液の流入が一定のレベルを下回ると、電気活動は生じ得ません。
脳に何らかの隠された領域があり、ほかのすべてが機能しなくなってもそれが活動していると考えるには、大変な想像力が必要です。
このような観察から、脳と心の相互作用に関する現在の概念に疑問が生じます。
従来の考え方は、脳内の電気化学的なプロセスが意識につながっているというものです。
死後に電気化学プロセスが起きないことは証明ができるので、この考え方はもう正確ではないのかもしれません。
脳の中には、われわれが発見していない、意識を説明する何かがあるのかもしれません。あるいは、意識は脳とは別個の存在なのかもしれません

WIRED:それは、意識の超自然的な説明に近いように聞こえますが。

パーニア氏:最 高に頭が柔軟で客観的な科学者は、われわれに限界があることを知っています。現在の科学では説明ができないという理由で、迷信だとか、間違っているだとか いうことにはなりません。
かつて電磁気など、当時は見ることも測定することもできなかったさまざまな力が発見されたとき、多くの科学者がこれを馬鹿にしま した。
科学者は自我が脳のプロセスであると考えるようになっていますが、脳内の細胞がどのようにして人間の思考になりうるのかを証明した実験は、まだ存在していません
人間の精神と意識は、電磁気学で扱われるような、脳と相互作用する非常に微小なタイプの力ではあるが、必ずしも脳によって生み出されるわけではない、ということなのかもしれません。
これらのことはまだまったくわかっていないのです。

WIRED:ただ、最近はfMRIによる脳画像と、感情や思考などの意識状態の関連性が研究されたりしていますよね。
脳を見ることで、その人が何を見ているかや、何を夢見ているかがわかるという研究もあります。

パーニア氏:細胞の活動が心を生み出すのか、それとも、心が細胞の活動を生み出すのか。
これは卵が先かニワトリが先かというような問題です。
(fMRIと意識状態の関連 性などの観察から)細胞が思考を生み出すことを示唆していると結論する試みがあります。
これが憂鬱の状態で、これが幸せの状態というわけです。
しか し、それは関連性に過ぎず、因果関係ではありません
その理論に従えば、脳内の活動が停止したあとに、周囲の物事を見たとか聞いたとかいう報告はないはずなのです。
脳内の活動が停止したあとも意識を持ち得るのだとすれば、おそらくは、わたしたちの理論はまだ完成していないということが示されているのです。
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さて、「生まれ変わりの実証的探究」の私の立場からすれば、上記パーニア氏の太字部分の医学的見解は、脳以外に意識の存在を示唆しているように思われます。
彼は、「現在はっきりとしているのは、(脳死後も)人間の意識が消滅するわけではないということだ」とまで述べているようです。

この見解は、「心・脳二元論」という立場です。

過去にも、W・ペンフィールド、J・エックルズ、R・スペリーなどノーベル賞級の大脳科学者が自らの実験研究の結果、晩年になって「心・脳二元論」を表明しています。
催眠研究者成瀬悟策九大名誉教授・医博も、晩年になって、「脳は心の家来です」と述べています。

SAM前世療法の大前提は、「心・脳二元論」仮説ですから、臨床医学者パーニア氏の最新の上記見解は、我が意を得たりと言いたいところです。
しかし、厳密に検討すると、手放しで喜べるほど、ことは単純ではないようです。

脳死臨床の場で、脳が本当に死んだかどうかを、直接的に観察できる方法は現在ありません。
したがって、「脳が生きて活動しているならこういう現象が観察されるはずだ」ということをいろいろ見ていって、そういった現象がすべて観察されないからこの脳は死んでいるだろう」と推論するわけです。
これが脳死判定の方法論的論理構造です。
しかし、「脳が生きている」けれども、「脳の機能発現が観察されない」こともあるのです。

脳 が活発に活動しているときには、脳内でものすごい数のパルスが飛び交っており、その影響で頭皮の上に微弱な電流が生じます。
これを測定したものが脳波です。

つまり、脳波は、脳の電気的活動の有無を直接測定するものではないのです。
したがって、脳細胞レベルでは微弱な電気活動がまだ残っている段階でも、フ ラットな脳波が現れるといわけです。
脳波がフラットの状態であるから脳死である、つまり、脳の機能は停止してる、にもかかわらず意識現象が生じた、だから、意識は死後も消滅しない、という論理は単純に成り立たないのです。

脳波がフラットであっても、脳は生きており、意識がある可能性を排除できないのです。
脳死をほぼ確実に判定できるのは、一定時間の脳血流停止を確認することとされています。
その確認方法として脳の酸素消費を測定する脳代謝検査があります。
細胞は生きている限り、酸素を消費し、ブドウ糖を消費します。
細胞が死ねばどちらも消費しません。
こうして、理論的には、脳代謝測定が脳死判定の最終的手段とされています。

はたして、パーニア氏は、脳代謝検査などで、一定時間の脳血流停止確認後、つまりその患者の脳血流の完全な停止中にも意識があったことを確認して、「脳死後も意識は消滅するわけではない」と述べているのでしょうか。
しかし、それはまずあり得ないでしょう。
脳細胞の血流が一定時間完全停止すれば脳細胞が死滅し、脳の復活は絶対あり得ないので、そもそも完全な脳死中の意識内容を話すことができるはずがないからです。

このように、臨死体験によって、脳とは別に、消滅しない意識(魂)の存在を証明することにも、どうやら「挫折の法則」がはたらいているような気がします。

臨死体験研究者の多くは、医師や心理学者であり、それまでサイキカル・リサーチやスピリチュアリズムが蓄積してきた知見を、知らないかあるいは無視しています。
臨死体験研究の本をいくつも翻訳している超心理学者の笠原敏雄氏は、研究者たちのそうした態度を、先行業績を参照するという科学的手続きを無視したものだ、と指摘してます。

このように、これまでの多くの臨死体験研究では、実証性ということが十分に考慮・検証されているとは思われません。
サ イキカル・リサーチ(超心理学)を踏まえたオシスらの研究ですら、超ESP仮説への取り組みが不十分で、理論上の中心主題は残されたままだとしています。
 臨死体験と死後存続仮説との関係という中心的問題を明らかにすることに対しては、決定的な貢献はしていないと私には思えます。

そもそも、臨死体験とは、その体験者が生き返っているわけですから、「間違いなく死後の体験」だということには論理的矛盾があります。

呼吸停止・心停止であっても、脳は生きていただろうから、それは脳内現象であり、せいぜい体外離脱(幽体離脱)体験と同様の体験に過ぎない、という説明が成り立ちます。
そしてまた、体外離脱(幽体離脱) が、真に魂と呼ぶような意識体が肉体を離脱した体験なのか、超ESP(透視やテレパシー)による脳内現象によるものであるのか、の決着はついているわけではありません。


脳活動(脳幹活動まで含む)が完全に停止した状態で体験された「パム・レイノルズのケース」(セイボム『続「あの世」からの帰還』)でも、厳密に理論的に検証すると、完璧であるわけではありません。
かように、脳内現象を完全に否定できるような、脳細胞が死滅したことが確認された後の臨死体験はあり得ません。
脳細胞の死滅は、脳の復活が不可能な、不可逆な、完全な脳死であるからです。
こうした状態で、つまり完全な脳死者が臨死体験が報告できるはずがないからです。

このように数多くの臨死体験報告の実証的側面は、かなり脆弱なのです。
実証性を別にして考えても、死後存続の証拠としての臨死体験には限界があります。

仮に、臨死体験者が、死後の世界の入り口まで覗いたとしても、それはあくまで「かいま見た」程度の ものでしかありません。
前世療法の本をホイットンとともにまとめたライターは、臨死体験を、「国境に足止めされた海外特派員がそこからその国の事情を報告 する」ようなものだと表現しています。

こうして、臨死体験を死後存続の証拠とするには、完全な脳死者の体験ではないという前提と、完全な脳死者には生き返ってのち死後の報告ができないという限界がある、と言わないわけにはいきません。

ただし、こうした前提と限界があるにしても、科学者による無視できない数の臨死体験報告が挙がっているという事実は、死後存続の可能性を示す意識現象として認めないわけにはいかないと思われます。
脳とは別に、意識の座が存在する推測可能性を示す現象だということです。

ちなみに、臨死体験関連の映像として、

http://saigaijyouhou.com/blog-entry-2829.html
を参考として紹介しておきます。

(その11へつづく)

2014年6月15日日曜日

SAM催眠学序説 その9

SAM催眠学の提示する「魂表層に存在する前世人格の顕現化」


2005年の「タエの事例」以後四年間の経緯と2009年の「ラタラジューの事例」によって、私は、「魂」や「生まれ変わり」および、「守護霊」など霊的存在を認める立場をとることにためらわないようになっていきました。

この立場をとることは、これまでこのブログで紹介してきた私あての霊信で告げられている予言が的中していることや、通信霊団の存在を知らないはずの催眠中のクライアントに、私の守護霊を名乗る霊、霊団の一員を名乗る霊、あるいはクライアントの守護霊を名乗る霊の憑依とおぼしき現象が生じ、メッセージを伝えるということが度々起きていることからも、受け入れざるをえません。

何よりも「ラタラジューの事例」との出会いによって、生まれ変わりの事実を認めざるを得なくなったからです。

私は、「ラタラジューの事例」以上に前世の存在を示す応答型真性異言事例は、現在のところ、世界に例がないと自負していますし、この事例をもってしても生まれ変わりの証拠にならないと言うのであれば、それではあなたはどのような事例であれば、生まれ変わりの証拠として認めるのですか、とお尋ねしたいと思います。

魂と守護霊の実在を認める立場をとる理由は、それが直感に著しく反していないからであり、それを認めることが不合理な結論に帰着しないからであり、その霊的現象が唯物論的枠組みからは説明できないからです。

SAM前世療法の作業仮説は、霊信の告げた魂の構造を前提にして導き出したもので、良好な催眠状態に誘導し潜在意識を遡行していくと、意識現象の事実として、クライアントが「魂の自覚状態」に至ることが明らかになっています。

この魂の自覚状態に至れば、呼び出しに該当する前世人格が魂の表層から顕現化し、対話ができることもクライアントの意識現象の事実として明らかになっています。

ラタラジューも、こうして呼び出した前世人格の一つであるわけで、その前世人格ラタラジューが真性異言で会話した事実を前にして、魂や生まれ変わりの実在を 回避するために、深層心理学的概念を駆使し、クライアントの霊的な意識現象に対して唯物論的解釈することは、現行科学の知の枠組みに固執した不自然な営み だ、と私には思われるのです。


あるいは、生まれ変わりや霊というだけでオカルトだと切って捨てる独断、ないし非科学的だと腰を引いてしまう偏見だと思われます。


魂の自覚状態における前世人格の顕現化という意識現象に対して、とりあえず事実は事実としてありのままに認めるという現象学的態度をとってこそ、この領域(霊的現象)の研究を実りあるものにしていくと思っています。

そして、クライアントの示す意識現象の諸事実は、現行科学の枠組みによる説明では、到底おさまり切るものではありません。
魂や生まれ変わりの実在を認めることを回避する立場で、あるいはすべて非科学的妄想だと切り捨てて、どうやって顕現化した前世人格ラタラジューの応答型真性異言現象の納得できる説明ができるのでしょうか。

応答型真性異言研究の先駆者イアン・スティーヴンソンも、「グレートヒェンの事例」において、真性異言で会話したグレートヒェンを名乗るドイツ人少女を、「ドイツ人とおぼしき人格をもう一度呼び出そうと試みた」(『前世の言葉を話す人々』春秋社、1995、P11)と記述し、呼び出された前世人格を「トランス人格」(前掲書P9)と呼んでいます。

つまり、スティーヴンソンも、催眠下で「前世人格を呼び出し顕現化させる」、というSAM前世療法における私と同様のとらえ方をしています。

応答型真性異言現象を、被験者の「前世記憶の想起」だとはとらえていないのです。

こうしてスティーヴンソンは、「前世から来世へとある人格の心的要素を運搬する媒体を心搬体と呼ぶことにしたらどうか」(『前世を記憶する子どもたち』日本教文社、1989、P369)と提案し、「心搬体」、つまり魂と呼んでいるような死後存続する媒体を想定せざるを得ないとことを指摘しています。

おそらく、スティーヴンソンの研究対象になったこの被験者も、里沙さんのような高い催眠感受性を持ち、タエやラタラジューの人格同様、催眠下で一気に魂状態になり、その表層に存在している前世人格グレートヒェンが顕現化したと推測してよいように思われます。
ただし、スティーヴンソンは、トランス人格の顕現化現象は認めていますが、それが「心搬体」に存在している、ということについては何ら言及していません。
こうしたことから、SAM催眠学が提示する、魂表層に存在する前世人格の顕現化という仮説は、スティーヴンソンの考え方を一歩前進させたと自負しています。


ちなみに、2005年の「タエの事例」は、里沙さんの前世の記憶として扱ったワイス式前世療法でしたが、その後2012年のSAM前世療法による再セッションで、顕現化したタエの人格自身に、2005年のセッションのときも、魂表層に存在する前世人格として顕現化していたことを確認できました。


こうした検証から、私は、ブライアン・ワイスの「キャサリンの事例」(『前世療法』PHP、1996) も、前世の記憶の語りではなく、前世人格の語りだと解釈することが妥当ではないかという見解を持っています。



(その10へつづく)

2014年6月9日月曜日

SAM催眠学序説 その8

SAM催眠学の発見した「魂状態」という意識現象


SAM催眠学序説その3「魂の二層構造仮説」で、次のように私は述べました。

「良好な催眠状態を、30分程度かけて、ぎりぎりまで深化させていくと、12歳~82歳の老若男女を問わず、誰でも「魂状態の自覚」に至り、その意識に至れ ば誰でも「魂表層の前世の人格」を呼び出すことが可能になり、前世人格との対話ができるという『意識現象の事実』が証明しています」


さて、潜在意識をどんどん遡行していくと、やがて誰もが「魂状態の自覚」に至る、という意識現象の事実は、これまでの催眠学でも、ワイス式前世療法でも、述べられたことはありません。

したがって、潜在意識をどんどん遡行していくと、やがて誰もが「魂状態の自覚」に至る、という意識現象の事実は、「魂の二層構造」、「自己内憑依」とともに、SAM催眠学の発見した催眠現象上の新しい発見だと言いうる成果だと考えています。

「魂の自覚状態」に至ると、それをモニターしている顕在意識は、体重(肉体)の感覚がなくなる、残っている「私という意識」が肉体とズレている、ときには肉体の外に遊離している、という報告をします。

こうした、感覚は魂状態に至ったすべてのクライアントのモニター意識(顕在意識)が報告するわけではありませんが、少なくとも、直近100事例において、93%のクライアントの潜在意識が、明確に「魂状態」に至ったことを報告しています。
これまでにこうした魂状態の自覚に至ったすべてのクライアントのうち、最年少は12歳少年、最年長は82歳女性であり、医師5名、大学教授3名、その他著作を持つ知識人数名を含みます。
したがって、「魂状態の自覚」を持つことは、普遍的現象であろうと考えられます。
興味深いのは、魂の表層に前世人格がまったく存在しない、つまり生まれ変わりの体験のない魂である、と答えた事例が14例あることです。
魂の最初の状態は、無知・無垢である、と告げている高級霊(アラン・カルディック『霊の書』)に照らしてみると、この14事例の当事者の性格特性には、好奇心が非常に強い、親切で人が良いという共通項がうかがえるようです。

魂状態の自覚に至ると、肉体の感覚が消失する、という報告から推測して、どうやら「魂そのものの状態」とは、肉体を持たない霊的存在と同様の次元に至ったと理解してよさそうです。

したがって、守護霊と呼ばれる高級霊との対話(魂状態の70%程度)、あるいはその他の高級霊の憑依現象、ときに私の守護霊団の一員を名乗る高級霊の憑依現象が起きています。
諸高級霊の憑依は、例外なく何らかのメッセージを携え、それを伝えるための必要から憑依現象を起こします。


また、霊媒体質のクライアントにおいては、未浄化霊の意図的憑依を起こさせることが可能です。


そして、里沙さんの守護霊に、魂状態においてこうした霊との接触がなぜ可能になるのかを尋ねたところ、「魂そのものの状態とは、肉体を持たない霊的存在と同様の次元に並んだと理解しなさい」という回答を得ています。

催眠下の「魂状態」のクライアントの脳波を測定しても、瞑想状態、まどろみ状態と同様の脳波しか出ないことは催眠学が明らかにしていますから、魂状態についての研究は、クライアントに生じる現象の観察と、クライアントの覚醒後の報告に頼るしか現在のところ研究方法はありません。

興味深いことは、魂状態を体験後のクライアントの一部に、守護霊との対話がふだんでも出来るようになった (指による回答を含む)事例や、ヒーリング能力が覚醒した事例が生じていることです。
魂状態の体験は、霊的資質を持っているクライアントに、その覚醒を促すようです。
タエの事例、ラタラジューの事例を語った里沙さんがその一人です。
彼女の場合は、守護霊の意図的憑依、ヒーリング能力、オーラを見ることなどの諸能力が覚醒したと思われます。
ただし、これは科学的な検証の俎上には乗せられないことではあります。


脳波だけの観点に限って言えば、きわめて深い瞑想状態においては、瞑想している当事者が「魂状態」に至っている可能性が十分あり得ると思われます。

明確に断言できることは、SAM前世療法における「魂遡行催眠」という特殊な技法によって、90%以上のクライアントを、「魂状態の自覚」に導くことが可能だということです。

下記に、そうした魂状態の体験事例を二つ紹介しておきます。
【事例その1】 は、モニター意識の詳細な記憶を再現している貴重な報告です。
【事例その2】 は、ワイス式前世療法のセラピストの報告で、ワイス式とSAMとの比較がされている興味深い報告です。
報告者は2名ともに30代後半の女性です。
【事例その1】

SAM前世療法を受けたきっかけは、昨年秋に事件に巻き込まれ、その後遺症にずっと苦しんでいたからでした。

私は催眠にかかりにくいのではないかと不安もあったのですが、先生から催眠感受性は高いとおっしゃっていただき、少しホットしました。
ただし憑依があると浄霊が必要であるとの説明を受け、イヤな予感がしました。

セッションが始まりましたが、なかなか過去世の人格が出てきません。
意識は普段と変わりなく鮮明なため、焦ってきました。

未浄化霊か?との先生の質問に、指が反応したときには・・・もう恐怖でパニックになりました。
ビビリなんです。

先生が、戻るべき場所へ安心して行くよう未浄化霊に諭している間、「そうそう、行ってちょうだい!!」と、私は心の中で懇願していました。

しかし、思ったほど怖くないかも・・と冷静になってきました。
浄霊が終わったと同時にスーッと肩の力が気持ちよく抜けました。
すると一筋の涙が頬を伝いました。
私が悲しいわけでは全くありません。

実体はよく分かりませんでしたが、魂の存在という意味では私達生きている者と同じであり、同じ悲しみ、孤独を抱えていた魂なのかな・・。
この機会に戻るべき場所に戻れてよかったな・・と思いました。

いよいよ過去世の登場です。

指で反応するか話すか先生に質問されました。
当然指で答えるのだろうと思っていましたが、言葉で話すと首がこっくり頷きました。
「うそ大丈夫!?」心の中でツッコミました。

先生がヨーロッパ、アジア・・・と質問しますが反応しません。一巡してヨーロッパのところで頷きました。
次に先生は国名を挙げていきます。
その 時から、唇がもぞもぞ勝手に動き出しました。
親不知を抜いたときに麻酔で唇が思うように動かない状態と少し似ています。
自分の意志ではなく、小さく唇が歪 んだり開いたり準備運動のようなことをし始めました。

すると「グィー・・」と言い始め、都市名のところで「アティッ・・」と言いました。
先生に「ギリシャのアテネ?」と聞かれ、「その発音じゃないん だけどなあ・・」と私は何となく感じ、過去世の者も何度も正しい発音にこだわるように声を発しました。
そして先生から質問を受けると・・・・意味不明な言語を勢いよく話し出してしまいました。

「うわっ!なんじゃこりゃっ!」
自分でも予想外でした。私は都市名の発音も瞬時に忘れてしまっている状態で、「今後も質問に答えられるのだろうか?」と心配になりました。
しか し、先生に再び質問されると「アティッ・・」と自然に口をついて出てきました。
「もう流れに身を任せるしかないなあ・・」と思いました。

以後は先生の質問に、異国?の言語で答えるというやりとりだけが続きました。
よくしゃべるのですが、話の詳細は私には分からないのです。
国名や都市もギリシャのアテネとは断定できない感じでした。

前世の人格は女性で子どもがおり黒髪、夫は支配者階級であること、霊能力のため幽閉され殺されたらしいことは何とか分かりました。

先生の質問は理解できるようですが、ただ日本語で答えられないので過去世の人格ももどかしそうでした。

死亡した年齢を聞かれて、私も非常に興味があったのですが、「○※・・」と答えるだけです。
「で・・一体あんたは何歳で死んだの~!?」と、私は 心の中でツッコむだけでした。
過去世の「だって・・・○※なんだもん・・」と困惑した気持ちだけが伝わってきました。
悲しみや怒りの感情は、泣いたり顔を しかめたり、早口になったりするので分かりました。

先生から好きな食べ物や父母兄弟などの呼び方を質問されると答えるのですが、それが見当はずれなのかどうかさえ私には分かりません。
ただ、外国語講座のように、必ず二回以上ゆっくり発音するなど正確な発音へのこだわりを見せ、「親切で根気のいい人だなあ・・・」と感心しました。
ついでに自分とそういうところが似ている・・短気なところも・・なんて思いました。

そして、過去世の人生の核心に迫りました。

昨年の事件の加害者から、この時代でも同じ被害を受け、今世はそのリベンジだということでした。先生の質問に強く頷き、感情をあらわにするので、このあたりは分かりました。
時代は紀元前のようで、「2000年以上の時を越え、魂の成長をかけて戦うのか・・・あわわ・・・」と少し気後れしましたが、妙に納得もしました。
霊能力の封印も解かれたようでした。

ヒーリング後、守護霊とのコンタクトでは、いくつか心の中で問いかけると首が頷くという形で反応がありました。
あんまり頷いてばかり(yes) のため、「いい加減だな・・自分で適当に頷いちゃってるんじゃないの?」と思いましたが、そのうちの一つは反応の通り先月実現したので、その他の質問につ いても経過を見守っているところです。

そしてSAM前世療法の神髄は、セッション後に日毎に現れてきました。

まず、現在置かれている状況が激変し始めました。
日替わりメニューのように次々と難問に直面もするのですが、思ってもみない人の優しさや協力も得 られるようになりました。
その度ごとに動揺もするし、「今回ばかりはそれ、ナシじゃないのか?」と弱気にもなるのですが、2000年持ち越した課題だと思 うと・・・半ば開き直りで受けてたつ決心が固まるようになりました。

不思議と後遺症の症状は徐々に減少してきたのですが、やはり自分の心身のコンディションによって大きくうずくときがあります。
「辛いな・・」と思った際に、何気に守護霊とのコンタクトを思い出し、問いかけてみました。すると、

「手を胸に当て癒しなさい。自分を信じ切れないから胸が痛むのです。もう大丈夫です・・・」とメッセージのようなものがありました。
実際その通り にしてみると、自然と落ち着くようになりました。
しかし、それで症状が完全に消失したわけではありません。
魂の傷は、癒す過程にこそ成長があると先生の霊 信であったように思いますが、確かにそうだと思えます。

守護霊との対話は、想念を感受したと同時に自分が言葉に置き換えているような感じに近いです。
こちらが求めなければメッセージはありません。
自分自身に問いかけ自分で答えを出しているようにも思えるため、「本当に守護霊なの?」と疑いました。

異国の言語にしても、「エクソシストみたいになったらどうしよう・・。
録音を逆送りにしたら実は悪魔語だったりして・・・。
そのうち首がグルグル回りだして緑の液体吐き出すのかな・・。」とビビリまくりです。

セッション後の自分の内なる変化についていけず、猜疑心丸出しの日々が数日ありました。
しかし、辛いときに問いかけると常に優しく返答がありました。

「心の言葉が私であってもあなたであってもどちらでもよいではないですか。あなたの内なる声だと思っても良いでしょう。
異国の言語かどうかも気に することではありません。
あなたにそれが起こったことで、人生が急展開している。
その現実の方に目を向けなさい。
今、課題にむかって生きていけること、そ のために支えてくれる人がいること、孤独ではないこと(目には見えない存在の守護があると感じられること)を実感できる幸せが、今一番大切ではないです か。
後はina先生の専門分野です。心配いりません。」

このメッセージは、得にはなっても害はないので、素直に受け入れることにしました。

問いかければいつでも答えは自分の中にある・・・そして守護霊は24時間営業・・・。その状態は贅沢のようにも感じます。
しかし、すべての人に守護する魂があるはずだと思うと、特別なことではないと思えます。 

SAM前世療法は、魂の自己治癒力を開花させるような無限の可能性を感じます。
そしてその結果、それぞれの魂の持つ独自のパワーを、他者にも還元できるように感じています。


【事例その2】

今まで、ワイス式の前世療法を学んできた私としましては、催眠誘導のアプローチの違いに多少の戸惑いはありましたが、もともと被暗示性の高い私はスムーズにSAM前世療法の誘導に導かれていくことができました。 

先生に、魂の側面である過去世のものを呼び出され、どこの国の人ですか?」と問われ、私の中に「イ」という国のイメージが浮かび、先生から「イ ンド?・・イギリス?・・・・「インカ?」とさらに尋ねられ、まさに「インカ」といわれた瞬間に、私自身が、手で顔を覆い、泣き呻き始めたことに驚きまし た。

そして、左胸を掻き毟るような動作をして「苦しい・・・」と。
そう彼女は、インカの時代に心臓をえぐられて、生贄になって死んだイルという名の20歳の女性だったのです。

10歳の頃に、太陽の力を受けてそ れを人々に伝えるような能力を持ち、生贄になったことも「人々のために自分が死ななくてはならない」と受け止めていたイル。
でも、その死は、やはり辛く、 悲しい出来事だったに違いありません。
そんなイルの気持ちが、私の中に次から次へと込み上げてきました。
先生に癒していただき、気持ちが次第に落ち着いていくことも感じることができました。なぜか、ワイス式の前世療法と異なり、視覚的なイメージが浮かばないのに、感覚で全てがわかるのでした。

そして、イルの過去世の後、先生に現世へ誘導されたにもかかわらず、また違う過去世へといってしまいました。
それが、イルとは違い笑えました。
まず、男のような声で唸る自分に驚き、続いて鼻を鳴らしたり、また唸ったり、発する声が完全に男になっていたことに本当に驚きました。
彼は、ド イツの木こりでした。結局のところ彼はどうしてこの場に出てきたのかわからず、「なんでかな~」と唸りながら、首を傾げていました。
そして、先生から「ま た今後ゆっくりお話を聞きましょう」といわれその後、私は現世に戻って来ました。 
今回の先生とのセッションは、私にとってとても印象深く、ちょっとした衝撃でした。

今までワイス式では、どちらかと言うと「自分で作ってしまっ ているのではないか」という観がありました。
しかし、SAMでは、誘導から一っ飛びに、その人物になってしまったり、明らかに男の声、しゃべり方になって いることを実感できたからです。

となると、魂の側面のものたちが存在すると私は確信せざるをえません。
また、セッションの機会がありましたら、是非ほかの側面のものたちとの出会いもしてみたいと思いました。

メールで先生が尋ねられておりました「前世想起中の意識状態」ですが、過去世にありながら、過去世を語っている自分をしっかりモニターしている現世の自分がありました。そして、周りの物音や、話声もはっきり聞こえました。
それにもかかわらず、過去世のその人物はその人物自身を語っていました。

前のメールで、私は、ワイス式では、視覚での映像を見ることができ、SAMでは全く視覚的なイメージがないのに感覚でわかったといっておりましたが、ワイス式でも、視覚的なイメージではなく感覚的なイメージが出るタイプの方もおりました。

私たちが習ったところの先生によりますと、10人の被験者がいて、まず3人が視覚的な人で催眠に一番入りやすい、続いての3人が感覚的な人で次に催眠に入りやすい、そして次の3人が聴覚的な人で催眠に入り、最後の一人は、全く入れないということでした。
私は、今回の経験から、ワイス式のように物語風に催眠へ誘導していく上では、視覚や感覚的なイメージの出方が問題になるかもしれないと思いますが、SAMのように、「ふっ!」と過去世へ入ってしまうと即、その人物になりきっている。

見えようが、見えまいが、その人自身であることに、イメージの描きようがない感じを受けました。そのあたりが、大きな違いのように思えます。


注1: SAM催眠学では、魂状態において、話そうという自覚がないのに話し出す現象を「自動発話」、動かそうという自覚がないのに指や首が動く、涙が流れるなどの現象を「自動動作」と名付けています。

注2: 魂状態で起こった意識現象の体験報告は、下記を検索すると100事例ほど読むことができます。

http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2399316&id=24937201


(その9へつづく)

2014年6月1日日曜日

SAM催眠学序説 その7

SAM催眠学が「憑依仮説」を認める理由


「憑依」という用語には、不気味さ、胡散くささなど非科学的なマイナスイメージが濃厚につきまとっているようです。
SAM催眠学では、憑依という用語にまつわるそうしたマイナスイメージ を承知のうえで「憑依仮説」をとらざるを得ないと考えています。

それはなぜか。その理由を述べてみます。

2006年12月22日夜、里沙さんにお願いして彼女の守護霊との直接対話実験をさせてもらいました。

きわめて深い催眠中(魂の自覚状態)に中間世へと導き、そこで偉大な 存在者を呼び出して憑依してもらい、私が直接対話するという実験は、拙著『前世療法の探究』の「タエの事例」PP167-176 で紹介してあるとおりです。
それを再度試みようと いうわけです。

その理由は次のような四つの質問の回答を得るためであり、憑依の真偽の検証を試みるためでもありました。

1 タエの事例は、偶然語られたものか、何かわけがあって語られたものか?

2 私に突如あらわれたヒーリングのエネルギーは、どこから送られてくるものか? その治療エネルギーが私にあらわれた理由が何かあるのか?

3 スピリットヒーリング能力のある者は、たいていは霊視などの霊能力を持っているが、私のエネルギーがそうであるなら、なぜ私に霊能力がないのか?

4 私の守護霊の素性が分かるならその名を教えてもらえないか?


実験前に彼女に伝えておいた質問内容は、上記2(私のヒーリングエネルギーの 出所)のみでした。
1・3・4の質問について彼女には知らせることを意図的に伏せて実施しています。
伏せた意図は、彼女に前もって回答を準備できる時間を 与えないためです。

里沙さんに憑依したと思われる、彼女の守護霊を主語とする存在者との40分にわたる対話の録音を起こし、できるだけ生のままの語りの言葉を用いて、上記 四つの質問に対する回答を要約してみると以下のようになります。
ただし、質問はこれ以外にもいくつかしていますから、それらの回答を含めて下記5項に整理 し要約してあります。

①タエの事例は偶然ではありません。計画されあなたに贈られたものです。計画を立てた方はわたくしではありません。計画を立てた方はわたくしよりさらに上におられる神です。
 タエの事例が出版されることも、新聞に掲載されることも、テレビに取り上げられることもはじめから計画に入っていました。
 あなたは人を救うという計画のために神に選ばれた人です。

②あなたのヒーリングエネルギーは、霊界におられる治療霊から送られてくるものです。治療霊は一人ではありません。治療霊はたくさんおられます。その治療霊が、自分の分野の治療をするために、あなたを通して地上の人に治療エネルギーを送ってくるのです。

③あなたの今までの時間は、あなたの魂と神とが、あなたが生まれてくる前に交わした約束を果たすときのためにありました。今、あなたの魂は大きく成長し、神との約束を果たす時期が来ました。神との約束とは、人を救う道を進むという約束です。
 その時期が来たので、ヒーリング能力も前世療法も、あなたが約束を果たすための手段として神が与えた力です。しかし、このヒーリングの力は万能ではありません。善人にのみ効果があらわれます。悪とはあなたの進む道を邪魔する者です。
 今あなたを助ける人がそろいました。どうぞたくさんの人をお救いください。

④神はあなたには霊能力を与えませんでした。あなたには必要がないからです。霊能力を与えなかった神に感謝をすることです。

⑤守護霊に名前はありません。わたくしにも名はありません。あなたの守護霊はわたくしよりさらに霊格が高く、わたくしより上におられます。そういう高い霊 格の方に守られている分、あなたには、成長のためにそれなりの試練と困難が与えられています。これまでの、あなたに生じた困難な出来事のすべてがはじめか らの計画ではありませんが、あなたの魂の成長のためのその時々の試練として与えられたものです。
 魂の試練はほとんどが魂の力で乗り越えねばなりません。わたくしたちはただ見守るだけです。導くことはありません。わたくしたちは魂の望みを叶えるために、魂の成長を育てる者です。
 霊能力がなくても、あなたに閃くインスピレーションが守護霊からのメッセージです。それがあなたが迷ったときの判断の元になります。あなたに神の力が注がれています。与えられた力を人を救う手段に使って人を救う道に進み、どうぞ神との約束を果たしてください。


里沙さんに憑依したと思われる、彼女の守護霊を主語として語る存在者は、以上のようなメッセージを回答として伝えてきました。

そのときの語りの様子は、 タエの事例で憑依実験したときと同じく、彼女の表情は能面様の全くの無表情に変化し、声は低音で、囁くような、抑揚のない、ゆったりと厳かな調子の、別人 同様の声音に変化していました。
観察される限りでは、ふだんの里沙さんとは別人格の第三者が語ったように思われます。
憑依を解き、催眠から覚醒直後の里沙さんは、数分間話そうにも声が出ない状態になり、膝から下が冷え切って麻痺し、立ち上がれないという疲労の極みに 陥っていました。
立てるようになるまで20分ほど休んでから帰宅しましたが、翌日になっても疲労は回復せず動けない状態が続き、3日目にやっと回復したと いう報告を受けています。


では、この守護霊を主語とする存在者の語りの真偽はど う考えたらよいでしょうか。
語られた内容について、できるだけ公正な立場に立って検討・考察をしてみたいと思います。

ただし、この検討・考察は、自分にはスピリチュア リズムに関する知識・情報がない、という里沙さんの証言を前提としていることをお断りしておきます。

また、超ESP仮説(里沙さんが私の心も含め、地上の どのような情報にも自由にアクセスできる法外なESP能力を持っているとする仮説)も、ここでは考慮外としています。


これから検討してみることは、「守護霊」の語りの内容が、里沙さんの既有の知識を元に彼女自身が語ったのだ、と解釈できるかどうかということです。

そうであるならば、守 護霊を主語とする存在者は、里沙さんの無意識的な役割演技で説明されうることになり、語りの事実が超常現象である可能性は排除されるからです。

以下にまず 全体の考察を、次いで①~⑤の語りの内容について、それぞれに検討と考察を加えてみます。

まず、全体としての考察をしてみますと

(1)「守護霊」は、里沙さんとは異なる位相の視点・情報から発話している。

(2)催眠を解く前に「催眠中に語ったことはすべてはっきり思い出せる」という暗示を強調したにもかかわらず、「守護霊」が憑依したとおぼしき間の里沙さんの記憶は完全に欠落している。

(3)録音された自分の語りを試聴した里沙さんの実感として、声からも語りの内容からも、自分と「守護霊」とは全く同一性の感じられない他者であると認識されている。

(4)憑依を体験し、催眠から覚醒後の里沙さんの疲労状態は、通常の催眠後とは明らかに異質な極度の疲労状態に陥っている。

以上の4点は、「守護霊」の憑依を支持できる状況証拠だと考えることが可能でしょう。
ただし、(1)については本人に内在している「心の力」つまり、 「高位自我=ハイヤーセルフ」説で説明可能かも知れません。
深い催眠中には、通常の里沙さんの持つ能力をはるかに超えた超常的叡智が現れるというわけで す。

しかし、(2)・(3)については「高位自我」説では説明がおさまり切れません。
もともと里沙さんの心に内在している「高位自我」の語りであれば、解催 眠前に強調した記憶再生暗示で、催眠後にその語りの内容が記憶として出てくるはずだと考えられるからです。
また、彼女に解離性同一性障害(多重人格)など の精神障害がないことは明白ですから、「守護霊」の語りに対して全く同一性を感じられないということも説明が困難です。
単に催眠性健忘として片付けられる 問題ではないと考えられます。

(4)の極度の疲労感について確かなことは言えませんが、憑依した「守護霊」が里沙さんに長時間(約40分間)の対話をさせるために、彼女の脳髄が酷使された結果ではないかという解釈ができるかも知れません。

次に①~⑤の「守護霊」の語りについて一つずつ検討してみましょう。

まず①の語りの内容について検討してみます。

里沙さんのスピリチュアリズムについての知識は、治療霊が存在すること以外にはありません。
したがって、スピリチュアリズムでいう「神の計画」つまり、地上の人間に霊的真理(霊界の存在、霊の存在、霊との交信可能など)を啓発し、霊的覚醒を促す計画 があることは知識として持っているはずのないものです。
彼女の無意識の役割演技などでは淀みなく発話される内容ではないと思われます。
この計画についての 語りは、スピリチュアリズムの高級霊からの霊信内容に一致していると考えることができるでしょう。

②の治療霊の存在については、里沙さんの知識としてある程度あるはずです。

彼女の脊柱側湾症による痛み改善と、湾曲した背骨の矯正のためにヒー リングをした機会に、ヒーリングエネルギーと治療霊について私が話題にしているからです。
また、彼女は霊感によって、私の背後に憑いている複数の治療霊ら しき霊の存在を感知できると語っているからです。
しかも、私のヒーリング能力についての質問をすることについては、催眠に入る前に彼女に知らせてありまし た。
したがって、治療霊とその治療エネルギーについての回答は、彼女の既有の知識を語った可能性を排除できません。

③の、私が生を受ける前の「魂」と「神との約束」についての語りは、里沙さんの想像力が駆使され、私への願望が投影された彼女の役割演技だと解 釈できるかもしれません。
しかし、私にヒーリング能力があらわれた理由がそれなりに矛盾なく説明され、瞬時に淀みなく語られた事実を考えると、「守護霊」 の憑依可能性を否定できるものではないと思われます。
ちなみに、「私の魂が大きく成長した」という語りは、タエの事例に遭遇以来、私の世界観・価値観が霊 界の存在を視野に入れたものへと転換し、現世的欲望へのとらわれから自由度を増した精神状態を指している気がしないわけでもありません。

ただし、「善人にのみ効果が現れます」という語りは誤解されやすいかもしれません。
しかし、「悪とはあなたの進む道を邪魔する者です」という語りと照ら し合わせると、その病が当人の霊的成長に必要な場合には、ヒーリングが効かないという意味に解するべきであろうと思われます。
なぜなら、治療によって霊的 覚醒が阻害されることになり、私の人を救う道に反することになるでしょうから。
したがって、この語り部分も高級霊からの霊信と矛盾するものではないと考え てよいと思われます。

④の語りについては、理解に苦しむところです。
ところで、前世療法のセッション中に中間世へクライアントを導く過程で、未浄化霊が寄ってきて憑依 しようとしていると訴えるクライアントがこれまでに2例ありました。
私に霊視などの霊能力がなく、そうした霊が見えないために、こうした事態に遭遇しても 惑わされることなく冷静に対処できたことを考えると、前世療法セラピストとしては、霊能力は持たないほうがよいという含意の語りのようにも思われます。
あ るいは、私に霊能力がなくそれらに懐疑的な普通の人間の側にいるからこそ、懐疑的な普通の人間への霊的真理の啓発には却って説得力を持ち得るので、神の道具としての啓発者には適っている、という意味かも知れません。

こう考えてみると「霊能力を与えなかった神に感謝をすることです」という意味深い語りは、里沙さん自身の通常の意識からは到底出てくるはずのないもののように思われます。
まして、その場の咄嗟の思いつきで回答できる類の語りだとは考えられないと思われます。

⑤の語りは、まさにスピリチュアリズムの霊信そのものだと言っていいでしょう。
そして、「守護霊に名前はありません」「魂の試練はほとんどが魂 の力で乗り越えねばなりません。わたくしたちはただ見守るだけです。導くことはありません」「あなたに閃くインスピレーションが守護霊からのメッセージです」などの具体的な語りは、スピリチュアリズムの高級霊たちの霊信と一致し、正当な守護霊の語りとしてその信憑性が保障されているように思われます。

ここで浮上してくるのが、里沙さんはシルバーバーチなどスピリチュアリズムに関する書籍を読んでおり、それを元に語ったのではないかという疑いです。
しかし、これについて彼女はきっぱり否定しています。
また、それを信ずるに足る録音試聴後の感想があります。
彼女は感想として次のように語っています。

 「私の守護霊は阿弥陀如来だ、と高名な信頼できる霊能者から霊視しても らって、そう信じていました。だから、私自身が守護霊の役割演技をして語るとしたら、守護霊に名前はありませんとは絶対言わないと思います。阿弥陀如来で す、と言ったはずです。私の守護霊に名前がないと言われてちょっとショックです。阿弥陀如来以上の守護霊はいないと思っていたから、稲垣先生の守護霊より 霊格が上だと思って、密かに優越感があったのに、稲垣先生の守護霊のほうが霊格が高いと言われたのもショックです。」

つまり、彼女にスピリチュアリズムの知識があったとすれば、自分の守護霊を阿弥陀如来だなどと信じることはまず考えられません。
高級霊は原則素性を明か さない、というのがスピリチュアリズムの常識ですから、彼女の守護霊についての知識は、仏教の説く「守護仏」と混同している程度の知識でしかなかったと判 断できるわけです。
このように検討してみると、⑤の語りの主体は、里沙さん以外の憑依した「守護霊」である可能性が高いと判断できるように思われます。

こうして検討を重ねてきますと、憑依した守護霊の回答は、里沙さんの意識が投影された役割演技だと解釈するよりも、彼女が霊媒の役割を果たし守護霊からの霊信を伝えたものと素直に受け取るほうが妥当性が高いのではないかと思われます。 

ただし、そのように受け取るにしても、ここで述べられている内容が、絶対的に真実であると主張しているわけではありません。
治療を始めとする私自身の活 動を、こうした言葉によって権威づけようとする意図も全くありません。
あくまで何らかの存在者の一意見として、どこまでも冷静に受け止めるべきだと考えて います。
こうした言葉で自己を権威づけたり絶対化することはあってはならないことで、徹底して厳しく自戒すべきだと思っています。

特に「神の計画」「神との約束」「善と悪」といった事柄を、軽々に云々することは、極めて大きな問題を孕むものです。
こうした表現の取り扱いについては、十分過ぎるほど慎重であるべきだと考えています。

さて、ここで、私の脳裏に思い起こされるのはモーゼスの『霊訓』にある次の一節です。

 霊界より指導に当たる大軍の中にはありとあらゆる必要性に応じた霊が用意されている。(中略)
 筋の通れる論証の過程を経なければ得心のできぬ者には、霊媒を通じて働きかける声の主の客観的実在を立証し、秩序と連続性の要素をもつ証明を提供し、動 かぬ証拠の上に不動の確信を徐々に確立していく。さらに、そうした霊的真理の初歩段階を卒業し、物的感覚を超越せる、より深き神秘への突入を欲する者に は、神の深き真理に通暁せる高級霊を派遣し、神性の秘奥と人間の宿命について啓示を垂れさせる。かくのごとく人間にはその程度に応じた霊と相応しき情報と が提供される。これまでも神はその目的に応じて手段を用意されてきたのである。
 今一度繰り返しておく。スピリチュアリズムは曾ての福音の如き見せかけのみの啓示とは異なる。地上人類へ向けての高級界からの本格的な働きかけであり、啓示であると同時に宗教でもあり、救済でもある。それを総合するものがスピリチュアリズムにほかならぬ。(中略)
 常に分別を働かせねばならぬ。その渦中に置かれた者にとっては冷静なる分別を働かせることは容易ではあるまい。が、その後において、今汝を取り囲む厳しき事情を振り返った時には容易に得心がいくことであろう。
                  (近藤千雄訳『霊訓』「世界心霊宝典」第1巻、国書刊行会)

インペレーターと名乗る高級霊からの上記霊信に、里沙さんの守護霊の憑依現象という超常現象を引き当てて考えてみますと、この引用部分は私に向かって発信された啓示であるかのような錯覚すら覚えます。

インペレーターが説いているように、SAM前世療法にとりかかる前の私は、「筋の通れる論証の過程を経なければ得心のできぬ者」のレベルにありました。
だか ら、「秩序と連続性の要素を持つ証明を提供し、動かぬ証拠の上に不動の確信を徐々に確立していく」ために、「動かぬ証拠」として、1ヶ月に渡る毎夜の「私あて霊信」、「タエの事例」、「ラタラジューの事例」をはじめとし て、ヒーリング能力の出現などの超常現象が、霊的存在から私に次々に提供されているような気がしています。

そうした直感の真偽を確かめるために、里沙さんの守護霊に尋ねてみるという憑霊実験を試みたわけです。
その結果と検討・考察は、述べてきたとおりです。
この検討・考察は「常に分別を働かせねばならぬ」と言うインペレーターの忠告に従っていることにもなるのでしょう。
そして、分別を働かせた結 果の帰着点は、守護霊という霊的存在を排除しては説明できないのではないかということでした。

 ちなみに、この2006年12月22日の守護霊との対話実験から3年後の2009年5月9日に、再度次のような対話実験をしています。(拙著『生まれ変わりが科学的に証明された』PP42-43)


注: 逐語録のTHは私、CLは里沙さんの略号。セッション映像はhttp://youtu.be/JBiM7rU6jmQ(日本語版) http://youtu.be/q5iVCfKuH0Q(英語版)。

TH:  あなたは、私が知る限りでは、三回目の生まれ変わりの方ですね。一人はタエで、もう一人はネパール人村長さんのラタラジューです。これから、その方と交替してもらおうと思っていますが、その前にあなたの守護霊とお話したいことがあるので、これから五つ数える間、祈ってください。守護霊にどうぞ降りて来てください、どうぞ憑依してくださいと祈ってください。そうすると、守護霊が降りて来てあなたに憑依してくださるはずです。そして、私とお話してくださるはずです。では数えますよ。一・二・三・四・五。・・・あなたは里沙さんの守護霊でいらっしゃいますか?

CL:  ・・・はい。

TH:  お久しぶりですね。この前あなたは、自分は霊界では異例の存在で、それは私に霊界の情報を伝えるのが守護霊としての使命だからそうですが、そして、私の求めに応じて、いつでも降りてきてくださるということでした。そこで、お聞きします。今日は、里沙さんのすぐ前の人生のラタラジューを呼び出すセッションを始めようとしています。それについて守護霊であるあなたの許可は出ますか?

CL:  ・・・はい。

TH: もう一つお聞きします。「タエの事例」は、あなたよりもっと上におられる方の計画によって 、私に贈られたとあなたは前回答えています。それが本になることも、新聞に載ることも、テレビに出ることもすべては計画に入っていたということでした。では、今日ラタラジューを呼び出すセッションをやることも、ひょっとして、計画のうちに入っていますか?

CL: ・・・はい。

TH: 私はこれから真性異言という里沙さんが学んだはずがないネパール語で話せるかどうかを実験的にやろうとしています。そういう実験的なセッションを許してもらえますか?

 CL: ・・・はい。


このセッションの、里沙さんの守護霊との対話実験の意図は、彼女の守護霊に予言能力があるのかを知るためでした。
つまり、応答型真性異言が果たしてあらわれるかどうかを、その直前に守護霊から回答を得ようというわけです。
それまで、催眠中にあらわれた応答型真性異言は、世界で2例しかありません。
したがって、これからしようとする応答型真性異言の実験セッションの成功の可能性は、きわめて低いと予想されますから、その成否を、事前に守護霊に予言してもらおうとしたのです。
そして、その結果は、守護霊の予言どおり、この直後にネパール語による応答型真性異言があらわれました。
さらに、「ラタラジューの事例」は、翌年、出版され、フジTV番組「奇跡体験アンビリバボー 」で60分間放映されることになりました。
「ラタラジューの応答型真性異言は偶発現象ではなく、霊界側の計画である」という守護霊の予言どおりの展開が、このあと起こったことになります。

かつての私であれば、例えばヒーラーと称する輩のヒーリング効果の解釈として、プラシーボ効果であるとか、暗示効果であるとか、信念の心身相関による効 果であるとかの知的・科学的説明に躍起となって、それを公正な態度だと信じて疑わなかったと思います。
今、自分自身に突如ヒーリング能力があらわれ、その説明は守護霊や霊界の存在抜きには(霊的真理抜きには)考えられない事態に追い込まれたようです。

そして、「動かぬ証拠」を次々に提供され、ようやく「霊的真理の 初歩段階を卒業」しかけている自分を感じています。
やはり人間は、最後は自分自身の直接体験にこそ、現行科学が何を言おうが、それに真っ向から対立しようが、動かない真実性を認める外ない、と言わざるをえません。


こうして、「憑依仮説」を認める立場をとる理由は、
それが直感に著しく反していないからであり、
それを認めることが不合理な結論に帰着しないからであり、
その霊的現象が唯物論的枠組みからは説明できないからです。

SAM前世療法の作業仮説は、霊の告げた魂の構造を前提にして導き出したもので、良好な催眠状態に誘導し潜在意識を遡行していくと、意識現象の事実として、クライアントが「魂の自覚状態」に至ることが明らかになっています。

この魂の自覚状態に至れば、呼び出しに該当する前世人格が魂の表層から顕現化し対話ができることも、守護霊と呼ばれる霊的存在との対話ができることなども、意識現象の事実として明らかになっています。

ラタラジューも、こうして呼び出した前世人格の一つであるわけで、その前世人格ラタラジューが真性異言で会話した事実を前にして、魂や生まれ変わりの実在を回避するために、深層心理学的概念を駆使してクライアントの霊的な意識現象に対して唯物論的解釈することは、現行科学の知の枠組みに固執した不自然な営みだ、と私には思われるのです。

魂の自覚状態、前世人格の顕現化、霊的存在の憑依、などの意識現象に対して、事実は事実としてありのままに認めるという現象学的態度をとってこそ、SAM前世療法を実りあるものにしていくと思っています。

そして、クライアントの示す霊的存在の憑依など意識現象の諸事実は、現行科学の枠組みによる説明では、到底おさまり切るものではありません。

魂や生まれ変わりの実在を認めることを回避する立場で、あるいはすべて非科学的妄想だと切り捨てて、どうやって顕現化した前世人格ラタラジューの応答型真性異言現象の納得できる説明ができるのでしょうか。



(その8につづく)