2014年10月20日月曜日

SAM催眠学序説 その25

「ラタラジューの事例」再考 その8

「ラタラジューの事例」セッション逐語録 その3

ラタラジューとの日本語会話


ここまで、被験者里沙さんの守護霊との対話をした後、憑依を解いてもらい、魂表層の前世人格ラタラジューと交代してもらいました。
応答型真性異言実験に入る前に、ラタラジューとの日本語での対話をおこない、2005年6月4日に初めて顕現化した、「タエ」の次の生まれ変わりである「ラタラジュー」が語った内容が、4年後の今回セッションでも同様であるかを確認したかったからです。
その結果は、4年前と同じでした。
したがって、今回顕現化したラタラジュー人格と、4年前に初めて顕現化したラタラジュー人格は同一人格であると判断できます。
もし、今回のラタラジュー人格が、未浄化霊などの憑依現象だとすれば、里沙さんに4年間憑依し続けていたか、セッションの都度憑依したことになり、そのようなことは考えにくいと思われます。
また、セッションの手続きとして、魂状態に遡行し、魂表層に存在しているラタラジュー人格を呼び出していますから、ラタラジュー人格は、魂表層の前世人格だと判断することが妥当だと思われます。
こうした意識現象の事実は、SAM前世療法の「魂の二層構造仮説」に基づいて同じ手続きを踏めば再現性がある証拠であり、その意味でSAM前世療法は、科学としての資格の一端を有していると考えてよいのではないでしょうか。


TH あなたはラタラジューですね。はっきり答えてください。日本言語分かりますね。

CL ・・・はい。

TH あなたのお国はネパールでよろしいですね。

CL はい。

TH そして、あなたの住んだ村は何と言いました?

CL  ナル・ガウン(Nallu Gaun)。

注:ガウンの発音はネパール語で村(Gaun)のこと。私はこの時点でGaunの意味を知らないのでナルガウン村だと誤解していた

TH もう一度。

CL ナル・ガウン(Nallu Gaun)。

TH ナル村じゃないですね。もう一度、ナル・・・。

CL ナル・ガウン(Nallu Gaun)。
注:この時点でラタラジュー人格は、すでに村(Gaun)というネパール語単語を日本語に混在させている。興味深い現象である。

TH はあ、ナル・ガウン? もう一つ聞きます。あなたの村は高さで言うと高いところにあるのか、低いところにあるのか、中くらいのところにあるのか言えますか? 標高って分かりますか?  海からの高さです。どこですか、ナル・ガウンは。

CL ・・・カトマンズに近い。 
注:ナル村とカトマンズとの距離は直線距離で25kmである。しかし、いくつかの山の中腹を巻いて行く道なので、車でも2~3時間かかる。徒歩であれば1日仕事であろう。ラタラジューの感覚では、1日ほどかかる距離は「近い」ということか。


TH カトマンズに近い所ですか。それならね、あなたは、カトマンズに住んだことがありますか?

CL はい。

TH あなたの守護霊に禁じられていますが、そのカトマンズに住んでいた頃に、何か悪いことをしていましたか?  罪を犯していませんか?

CL ・・・戦いました。・・・ラナ・・・シャハ(Shah)・・・ラナ、戦いをした。
注:この意味は、シャハ王朝の実権を握った宰相家「ラナ家」が、実権を握るために他の有力貴族と権力闘争したことを指していると判断できる。それが1846年である。このラナ家の戦いにラタラジューは傭兵として参加した。守護霊の「ラタラジューは若い頃人を殺しています」という指摘はこの傭兵時代のことを指していると推測可能である。また、引き続いておこなったネパール語対話では、ラナという語と対になって30歳という語を2度に渡って言っている。このことから、ラタラジューは30歳のときカトマンズに住み、1846年のラナ家の戦いに傭兵として参加したと推測可能である。以上の推測から、1846年(ラナ家の権力闘争)で30歳であるなら、ラタラジューは1816年生まれということになる。その前の人生であるタエは1783年(天明3年)に人柱として溺死しているので、タエの死後33年を経てラタラジューに生まれ変わったことになる。


TH あなたはグルカ兵として戦ったのですか?  イギリス軍に雇われて・・・。

CL グルカ?

TH グルカではありませんでしたか?  戦った相手はどこでしたか?

CL ・・・父は グルカ。

TH お父様がグルカだったわけですか。あなたはグルカではなかった。

CL 父はタマン(Tamang)から来たグルカ。
注:ラタラジューの父親はタマン族でありグルカ兵であったらしい。

TH 分かりました。あなたは結婚して妻がいましたよね。妻の名前は何と言いましたか。

CL ラ・・・ラメリ。
注:妻の名ラメリは4年前のセッションの回答と同じ。

TH 子どもは何人いましたか?

CL 二人。

TH それぞれ男の子ですか?

CL カンチャ(kancha)・・・アディス・・クジャウス。男アディス、女クジャウス。
注:kanchaとはネパール語で息子の意。男の子アディス、女の子クジャウスの回答は4年前のセッションと同じである。ここでもカンチャ(kancha)というネパール語単語が混在している。

TH そうすると一家は四人だったのですね。あなたの村には、何か寺院のようなものはありますか? お寺。

CL ・・・ダルマ(Dharma)? 
注:ネパール語で宗教の意。私は達磨(だるま)のことかと誤解した。ただし、この後のネパール語対話セッションでは、ネパール語の発音で「ダゥーマ」と発音している。

TH ダルマって何ですか? 達磨(だるま)さんのこと? お寺のことですか?

CL 達磨さん? ダルマ(Dharma)。

TH  ダルマってあなたの信じていた宗教、神様ですか。・・・あなたは年号ってわかりますか? 西暦。

CL 西暦?
注:ネパールでは西暦を用いない。また、村長クラスでもネパールの暦(ヴィクラム暦)のカレンダーを使っている家はほとんどないという。ラタラジューはカレンダーを知らないし、当然西暦の概念もないと思われる。これは4年前のセッションでも同様であった。

TH 分かりませんか。じゃあね、カレンダーみたいなものはありませんか。

CL カーレンダ?

TH 分かりません? 暦。

CL 暦? 

TH でも、あなたは村長さんでしょう。今日が何月何日かわからないと困るでしょう。そういうことが分かるものが何かありませんか。思い出しますよ。毎日、毎日一枚ずつめくったものかも知れないし。分かりませんか?

CL ・・・。 

TH それではね、これからはもうネパール人として、ネパール語を話していらっしゃったときに戻ってください。今は、あなたにつながっている「現世の者」が、あなたに日本語を通訳しています。もう私は話をしません。それで、あなたは、ネパール語でお話してくださって構いませんよ。いいですか? ここにはネパール人の女性が来ていますから、ネパール語でちょっとお話してください。ゆっくりでいいですから必ずネパール語を思い出します。前回も少しですが、間違いなくネパール語を話していますから、今日はもっと思い出すことが多くなっているはずですからね。いいですか、ゆっくりとお話してくださいね。いいですか?
注:「前回」とは2005年のセッションを指している。

CL はい。


注:ここから後、私は女性ネパール人対話者カルパナさんと交代し、いよいよネパール語による応答型真性異言の実験セッションへと移ることになります。


(その26につづく)

25 件のコメント:

ショウタ さんのコメント...

真性異言みたいな記事です

やはり脳の機能や神秘で説明されてしまうのでしょうかね…

でも説明つかないと言っています

http://matome.naver.jp/odai/2141251488636334601

ショウタ さんのコメント...

この記事を読むとラタラジューの事例も脳で説明できるような気がします

昏睡状態で脳のスイッチが変に切り替わってしまい、無意識の記憶が表面化するそうです

記事の内容。非常に似てます
http://news.nicovideo.jp/watch/nw1243562?news_ref=top_topics_hard

稲垣勝巳 さんのコメント...

「真性異言」には「朗唱型」と「応答型」があります。
朗唱型は、学んだはずのないことが立証された外国語の一節を、対話ではなく、一方的に話す現象です。
この現象は超ESP仮説で説明可能とされ生まれ変わりの証拠としては不完全だとされます。
応答型は学んだはずのない外国語で、対話相手と意味の通じる応答的対話をする現象です。
対話は、練習を不可欠とする技能ですから、技能の獲得は超ESPではできません。
したがって、応答型真性異言こそが、現在、生まれ変わり仮説を支持する最有力の証拠だとされます。

ショウタさんの紹介くださった事例はどちらだと判断できるでしょうか。

稲垣勝巳 さんのコメント...

追伸

「ラタラジューの事例」の被験者里沙さんがネパール語を学んでいないことの立証ができています。
学んでいないネパール語が脳内の潜在記憶として保存されることはありえません。
したがって、応答型真性異言を脳内の潜在記憶の顕在化現象だという説明は破綻します。

ショウタ さんのコメント...

私が紹介した事例も喋ったという事がひっかかります

発音も会話みたいな技術なので脳の神秘説を支持してますので会話ももしかしたら脳の神秘で説明がつくのではと思いました

稲垣勝巳 さんのコメント...

単に異言を発音するだけであれば、それは技能ではなく「情報」です。
超心理学上、情報は、超ESPで入手可能とされています。
異言を用いた応答的会話は「技能」であり、技能は練習によらなければ身につくはずがないものであり、これは情報ではありません。技能は超ESPによっては獲得できるものではないとされています。
したがって、「発音も会話みたいな技術」というショウタさんのとらえ方は誤りです。発音できることと、応答的会話ができることを一緒くたに考えることは粗雑・杜撰に過ぎます。
そして、異言現象を「脳の神秘で説明がつく」と片付けることは、まったく科学的説明になってはいません。
このような論法は、どのような不可解な現象にも使えて便利ですが、脳の神秘の中身を分析し、検証し、論理的整合性のある説明によって神秘ではなくすることこそ、「説明」に値すると思いませんか。

orphan elder さんのコメント...

 上記のURLを見ましたが、こういうのを見ていて思い出すのは、天動説と地動説の話ですね。

 現在では地動説が当たり前となっておりますが、実は、惑星の運行に関して、天動説でも一応の計算はできるのです。ただし、天動説で説明するためには、周天円なるものを想定し、さらに地動説の何十倍もの計算を繰り返さなくてはなりません。そして途中間違いがあれば、当たり前ですが、正しい結果は出ません。ですので、細心の注意を払いながら計算し続けて結論にたどり着いたとしても、地動説ならそれよりもはるかに速く正確に結論を導き出せるので、現在では地動説が主流となっております。すなわち、天動説でも惑星の運行を説明できるが、地動説のほうが手間がかからず性格だという理由で、地動説が主となったわけです。

 地動説といえばガリレオですが、彼は、天動説で説明される惑星の運行モデルについて、あまりにもつじつま合わせや例外が多すぎることに疑問を持ち、

「宇宙を創造した紙がこんないい加減なモデルを構築するはずはない。もっと正確でシンプルに説明できるはずだ」

と主張して、地動説を唱えたわけですね。

 今回の異言の例も、確かにある段階までは随伴現象説(唯物論)で説明できるのだとしても、それよりももっと説明しやすいモデルが、たとえば二元論側で説明できるのであれば、随伴減少説は次第にすたれていく可能性はあります。

 要するに、

「どちらでも説明できるけど、随伴現象説よりも他の説のほうがよりシンプルで点がかからず合理的に解釈できるよ」

となった場合、生まれ変わりの研究も進展する可能性はあると思います。

 それこそ、以前の知恵袋のコメントにもありました通り、随伴現象説と二元論、どちらのほうが包括的に説明しやすいか、そういう議論もするべき時期が迫っているのかもしれませんね。

稲垣勝巳 さんのコメント...

私の真理観もガリレオに近いと思います。さらに言えば、プラグマティズムの真理観です。つまり、「説明の成功」をもって、とりあえずの真理とみなす立場です。
orphan elder さん流に言えば、応答型真性異言現象は「脳の随伴現象説仮説よりも、生まれ変わり仮説のほうが、よりシンプルで合理的に解釈できるよ」というわけです。
もちろん、「生まれ変わり仮説」よりさらにシンプルかつ合理的な説明が成り立つ仮説が発見されれば、そちらを「説明の成功」とみなすことになります。つまり、節減の原理にしたがうのが私の立場です。

VITA ÆTERNA さんのコメント...


こんにちは。いつもブログを興味深く拝見させていただいております。

この度、応答型の異言が発生した理由を脳の機能で説明できるのではないかという意見を拝見しましたが、やはり前世の人物が実際に存在した証拠が発見されない限り、このような疑問が生じてくるのは当然のことと思われます。
これらの疑問を払拭するには、やはり前世の人物が実在した証拠を発見しなければならないでしょう。そして、私個人の意見ではありますが、里沙さんに現れたラタラジューおよびタエの事例においては、それらの人物が実在した証拠を発見できる可能性がまだ少なからず残っていると考えております。

まず、ラタラジューは78歳で亡くなっているとのことですが、この死亡年齢ですと数人の孫が彼の生前に生まれている可能性があり、またラタラジュー自身もそのことを知っていた可能性が高いと考えられます。仮にラタラジューが1894年に亡くなっているとしても、孫のうちの何人かは、ネパールにおいて戸籍が整備された1950年代まで生き残っている可能性があると思われます。もし孫が生まれた年と名前、および姓が、里沙さんへの催眠により特定でき、また実際の戸籍において同じ年代に生まれた同一の氏名が発見できたとしたならば、それはラタラジューの存在の証拠として相当に有力なものとなるのではないでしょうか。

また、もう一つ前世の存在が確実になる証拠となるものは、やはりタエの片腕の発見であると思われます。以前タエの片腕が埋まっているとされている馬頭観音の地下は、土石流が発生したために発掘が不可能であるとお聞きしていましたが、私はこちらにおいても発掘できる可能性があるのではと考えております。
まず、以前の先生のブログで取り上げられていたタエの事例のセッション記録を読ませていただいたのですが、
http://samzense.blogspot.it/2012/12/blog-post_351.html
こちらの文脈のみから判断すると、守護霊とされる存在は、タエの片腕に言及することにより彼女の実在の証拠を提示し、その発掘を促しているように私には感じられました。私見では、もし発掘が初めから完全に無理であるということならば、守護霊とされる存在はこのような積極的な発言をすることはないと思われます。また、この存在は、発掘することに対して「土石流で埋まっているので・・・。」としか述べていないのに対し、誠に失礼ながら、むしろ稲垣先生の方から「ちょっと掘れない。」と、発掘に否定的な意見を述べられているように感じました。
しかしながら、現代の発掘技術をもってすれば、もちろんこの地に発生した土石流の規模にもよると思いますが、多少の困難が伴うにせよ、その調査は決して不可能なことではないように思われます。先ほどインターネットで検索をしてみましたが、実際に日本において土石流の下から発掘された遺構も数多くあるようです。
さらに守護霊とされる存在は、現在においても馬頭観音の下にタエの片腕があると述べておりましたので、それが土石流によって流された可能性は完全に否定でき、したがって発掘ポイントも比較的容易に絞れると思われます。
以上のことから私は、タエの片腕の発掘調査ができる可能性が未だに残されているのではないかと考えております。

稲垣勝巳 さんのコメント...

里沙さんによれば、このセッション後ラタラジュー人格がフラシュバックしてナル村の風景を見せるという現象が何回も起きたということです。
その風景を思い起こしてスケッチしてもらい、アンビリのナル村検証の派遣スタッフに持たせ、実際の風景と照合してもらいました。
その結果、偶然の一致では説明できない実際の風景と一致したという事実が確認できました。
こうしたことから、フラッシュバックし、里沙さんに語るラタラジューの情報に一定の信頼がおけるものと判断しています。
そのラタラジューが、自分の死因は村人の恨みを買ったための毒殺であると訴えているとのことでした。
また、アディスとクジャウスの子どもたちも同様に毒殺されたと訴え、村人はラタラジュー一家の存在そのものを相談のうえ抹殺したのだそうです。
その理由は、ラタラジューはかなり残虐な村長として独裁権力をふるったためだとも語ったそうです。
このラタラジューのフラッシュバックの語りは、私がカトマンズ在住の文化人類学博士ソバナさんに依頼し、ナル村にラタラジューの子孫のいる可能性の確認と、村の古老でラタラジューの記憶を持つ人の可能性の確認を調査してもらうつもりだと里沙に伝えたところ、里沙さんが教えてくれたことから解ったことです。
この調査の話を私から聞いた里沙さんは即座に、ラタラジューの子孫はいないし、ラタラジューの存在したことを聞いている古老もいませんよ、と答えました。
その理由が、ラタラジュー一家が抹殺され、その一家の存在は、はじめからなかったことにするという村人の申し合わせがあったと、ラタラジューがフラッシュバックで語っているからだということでした。

また、タエの腕の骨の発掘については、アンビリスタッフからそれをする用意があるという申し出がありましたが、私は断りました。
それは堀口吉右衛門の子孫が現渋川市においでになるからで、骨の発掘に成功し、200年前の若い娘の骨であるという特定ができた場合、ご子孫の方は自分の先祖の吉右衛門がタエを人柱に仕立てるという残酷な仕打ちをしたことに対してけっして快くは思われないだろうと慮ったからです。
また、腕の骨が発掘できたからといって、DNA鑑定(不可能ですが)でもしないかぎり、それはタエ実在の状況証拠であって、疑う人はやはりタエとは別人の骨であることを疑うことは間違いないだろうと思われたからです。
というわけで、タエとラタラジューの実在の完全な証拠はありません。
しかし、いくつかの状況証拠はありますから、それらを認める人には十分に実在を信じるに足る証拠になると思います。

私は、これまでの生まれ変わりの科学的研究史に照らして、タエとラタラジューの事例以上に生まれ変わりの実在に肉薄した事例はないと自負しています。

稲垣勝巳 さんのコメント...

追伸
「この度、応答型の異言が発生した理由を脳の機能で説明できるのではないかという意見を拝見しましたが、やはり前世の人物が実際に存在した証拠が発見されない限り、このような疑問が生じてくるのは当然のことと思われます」
というご意見についての補足です。
「応答型真性異言」現象とは、被験者が①その異言を学んでいないこと、しかも、②その異言で意味の通じる応答的対話ができていること、の2点が検証された現象を指しています。
①については、その異言を学んでいなくても、単語の羅列や文型の一節を一方的にオウムのように話すだけであるなら、「情報」であり、情報は超能力(ESP)で獲得できる可能性、つまり生きている人間の脳の機能(心の力)によって説明できる余地があるとされ、これを朗唱型真性異言と呼びます。
②の意味の通じる応答的対話能力は、単に情報だけでは獲得不可能であり、対話ができるための練習によって身につけた「技能」が不可欠です。
単語だけをいくら知っていても、それだけでは相手がいる応答的対話という技能が発揮できない事実に照らせば当然の理屈です。
そして、練習が不可欠の技能は、超能力(ESP)によっても獲得できません。
したがって、応答型真性異言現象は、脳の機能説(ESPという心の力)では説明はできません。

現時点においては、応答型真性異言であることが立証できればそれだけで、仮にその現象を起こした当事者(前世の人格)の実在証明がなくとも、生まれ変わり仮説を支持する最有力の科学的証拠とされている所以です。

VITA ÆTERNA さんのコメント...


稲垣先生、ご返信どうもありがとうございました。この度は稲垣先生のお考えを十分に理解させていただいたうえで、あえて議論を続けさせていただきたく思います(笑)。

まず、タエの左腕の発掘に関してですが、もし馬頭観音の下から左腕が発見された場合、その情報を完全に知ることができないはずの里沙さんの証言と、その存在の事実との完全な一致が見られるので、その発見は里沙さんにタエとされる前世が実在したという大変有力な証拠になると考えます。しかしながら、キチエモンがタエを人柱に立てるという残酷な仕打ちをしたということに関しては、それを示す一次資料が全く存在していないので、我々はそれが事実であったかどうかを判断することができません。従いまして私は、左腕の発見が直ちにキチエモンの仕打ちの証拠になるようなことは決してないと思うのですが、いかがでしょう。

また、仮に里沙さんが語った渋川市上郷の馬頭観音の下という特定の場所から、タエと同年代とみられる女性の左腕の骨が見つかり、その埋葬年代も合致したとすれば、もし生まれ変わり説に否定的な人物がそれを偶然だと主張したとしても、その一致状況から考えるとその主張は整合性を大いに欠いたものとなると思われますが、いかがでしょう。もちろん、もし若い女性の左腕を切り落とし、それを馬頭観音の下に埋めるという風習がタエの時代に全国的に存在していたとすればまた状況は変わってくるかと思いますが、私はそのような事実はなかったと拝察しております。

最後に、大変申し訳ないのですが、この度の稲垣先生のご意見を伺いましても、私は依然として、タエの片腕の発掘は生まれ変わり仮説を進展させるうえで重要な要素になるのではないかという意見を変えることができないでいます。もしタエの片腕の埋葬時、そこに「奉納」の概念が存在していたとすれば、それを直接土の中に埋めるとは考えづらく、棺や甕などに納めて埋葬した可能性が高いと考えられますが、この場合は奉納文などが添付されている可能性もあり、その解読に成功すれば埋葬時の状況を知ることも可能になるのではないでしょうか。また、もし発掘が空振りに終わったとしても、その結果は決して無意味なものとはならないと考えます。私の意見では、やはりこれほどの可能性があるにもかかわらず、発掘に至ることができないということは非常に惜しく感じられます。里沙さんの守護霊とされる存在は、以前に読ませていただいたセッション記録の文脈のみから判断すると、発掘に否定的ではないように感じられましたが、実際のところはどうなのでしょうか。ぜひ守護霊とされる存在のご意見を伺ってみたいところです。

稲垣勝巳 さんのコメント...

現時点で私はタエの腕の骨の発掘をする気はありません。
あなたのご議論は、いささか当事者性を欠いているように思われます。

①発掘のためには地権者の許可を取る必要があります。

②発掘許可が下りて発掘するとしても手作業ではできませんから重機の投入を必要とします。土石流がどの程度の厚さで起きているかも不明ですし、骨が土石流に巻き込まれて、どの程度埋納位置からずれているかも不明です。
したがって、相当広範囲の面積と数メートルの深さにわたる大量の土砂を掘り起こすことになるかもしれません。

③掘り起こした土砂を慎重にほぐして骨を見つける作業にも数人の人手が必要です。重機使用料金、骨を見つけ出す人手の手間賃などで数十万単位の費用が必要です。

④仮にそれらしき骨が発見できても、疑う人は、その骨がタエのものであるという完全な特定は絶対不可能ですから、相変わらず、他人の骨が偶然出てきたことを疑うに違いありません。

以上の発掘にともなう実務レベルの手間と時間、および投入費用効果を考えれば、とても私個人で発掘投資をすることは出来ません。
発掘の当事者は、このような実務にともなう派生問題とそのための費用を具体的に検討しないわけにはいきません。
もちろん、志のある方がご自分で発掘されることには反対はしませんが。
「ラタラジューの事例」の検証作業においても、何もかも含めると100万近い資金の投入をしています。
生まれ変わりの証拠を検証する作業にも先立つものは不可欠なのです。
そして、発掘などをしなくとも、これまでに検証してきたいくつかの状況証拠を検討すれば、超ESP仮説を持ち出さない限り、タエの実在は認めることができるレベルの証拠であると判断されるものと思います。
とりわけ、全セッションの証拠映像をご覧になった方で、タエの実在に決定的な矛盾や疑問を抱かれた人はおいでになりません。
私は、スティーヴンソンにならって、生まれ変わりの問題はきわめて重要であるので、細部が不正確・不明であるという欠点よりは、重要なことについて確実なことを示す事実にこそ意味があると考えています。
また、里沙さんを催眠に導き、守護霊に憑依して尋ねてみる、というセッション実施も大変困難な状況です。脊柱側湾症の悪化で痛みが強く、鎮痛の最終手段であるモルヒネの投与にまで至っており、長時間の催眠状態に耐えられない状態であるからです。
私見を言えば、守護霊を呼び出しても、タエ実在と守護霊実在の十分な状況証拠をすでに与えたのであるから、疑うことはもうおやめなさい、というお叱りを彼女の守護霊から受けるのではないでしょうか。

VITA ÆTERNA さんのコメント...


こんにちは。今回はまず、以前に稲垣先生から頂きました追伸に関しての私見を述べさせていただきたく思います。

まず私が考える脳の機能説ですが、そのダメージや深い催眠状態により、脳の深淵部に眠っていた情報を容易に引き出すことが可能となる現象であると捉えております。また私は基本的に、脳はその生成以後の情報のみしか蓄積されることはないという立場を取っておりますので、超能力を使って自分の脳の外にある情報を集積することができるという説に対しては否定的に捉えております。

また私は、応答型異言を発話したとされる人物がそれまでにその言語を学んだことが全くないことを立証することは非常に難しいと考えます。もちろんその調査をすること自体は、当該の人物がその言語を学習した可能性をできる限り排除するために研究上必要不可欠な作業になるとは思いますが、たとえいかなる綿密な調査をもってしても、その人物がそれまでの生涯において、異言とされる言語にわずかにでも触れた可能性を完全にゼロにするまでには至れないと考えております。さらに、現在までに発表された応答型異言における語彙数が非常に限られているという事実を鑑みると、その発生のメカニズムが、上記のような脳の機能説で説明ができるのではという疑問が生じてくることも納得できる気がいたしました。

しかしながら、もちろんラタラジューの事例におきましては、その語彙数に不足する部分が見られるものの、引き出された情報があまりにも高度であるために、上記のような脳の機能説では説明することが不十分であると拝察しております。

VITA ÆTERNA さんのコメント...


引き続き投稿を続けさせていただきます。私も研究の世界に身を置く人間ですので、その進展には大変な手間と労力、そして莫大な資金が必要なことは存じ上げております。それにもかかわらず、今回の議論でここまで発掘にこだわらせていただいたのは、上記のような困難を熟慮した上でも、そのことが先生のご研究の進展に大きく貢献することができるのではと拝察したからになります。しかしながら、先生の著作や論考に一通り目を通させていただいたつもりではおりますが、その中の重要な論点を私が読み落としている可能性が高く、私のこの判断に対する当事者性を欠いているのではないかとのご指摘は甘んじて受け入れねばならないでしょう。何卒ご海容いただければと存じます。

最後に、里沙様、もしこちらのコメントをお読みでしたら、どうぞお体をくれぐれもお大事になさってくださいませ。

VITA ÆTERNA さんのコメント...



こんにちは。たびたび申し訳ございません。私が今回の議論を思いつくに至った経緯をもう一言だけ追加させていただきます。私は以前、稲垣先生がタエの事例におけるご自身の検証結果に対し、次のような評価をされていたのを拝見しました。

http://samzense.blogspot.it/2012/11/blog-post_9861.html
・・・状況証拠としてタエの実在はきわめて濃厚であると思われます。
とはいえ、捨て子タエの実在の直接的な証拠が出てくることは、将来もあるとは思われません。
やはり、タエの実在した証拠(生まれ変わりの決定的な証拠)は、画竜点睛を欠くと言わざるをえません。
タエの実在は、信じる人には十分な証拠、しかし、疑う人にはまだまだ疑う余地がある証拠であるようなレベルでしか開示されないような計らいがどこかでされているのかもしれません

私もこちらの先生のご意見に全く同意をしまして、やはり生まれ変わりを完全な形で証明するには、状況証拠を積み重ねていくことも勿論大切ですが、竜の絵に最終的に瞳を描き入れることのできるような、直接的な証拠の発見が最も重要となるとの意見を持ちました。そしてこの度、タエの左腕の発見がこの直接的な証拠となり得るのではないかと拝察するに至った次第です。

それでは、タエやラタラジューの事例のような、幾多の科学的検証に耐えうるほどの有力な事例が今後も新たに誕生し、先生のご研究にさらなるご発展があることを強く祈念しております。この度はお忙しい中、私との議論にお付き合いいただきまして、誠にありがとうございました。

稲垣勝巳 さんのコメント...

脳細胞は物質です。現世の記憶や個性などを保存している脳細胞(海馬と呼ばれる場所らしい)があるでしょう。
そして、脳細胞は死とともに消滅します。
当然、脳細胞に保存されている現世の記憶は雲散霧消して無になります。
死後も脳に保存されていた記憶が残るという科学的実証はありません。
したがって、いったん消滅した生前の記憶が現世の脳に保存されることは一切ないということになります。
となると、死後も消滅することなく存続する物質ではない何か(意識体でしょう)に生前の記憶や個性や人格が保存されていると考えるほかないではないでしょうか。
それを、スティーヴンソンは「心搬体」と呼ぶことを提案しています。いわゆる、「魂」と同義の意識体です。
生まれ変わりを認める私もこのような立場をとらざるをえないと考えています。
したがって、脳に前世の記憶らしきものがあるとすれば、魂に保存されているそれが、脳にもコピイのような形で保存されているのだろうと考えています。

里沙さんの生育歴の中でネパール語、およびネパール人と接触していた痕跡は一切ないことも付言しておきます。
これは、里沙さんの名誉にかけて断言しておきます。
それでも、私の調査に落ち度がある可能性があり、どこかでネパール語を学んでいるはずだと疑うのであれば、私の検証した彼女の生育歴調査を再検証していただければよいことです。
あるいは、ポリグラフの再検査をすればよいことです。
里沙さんの生育歴は、小さな町に生まれ、そこの居住地から小・中・高・大へ通学していますし、大卒後2年間の就職先は山間僻地の中学校でした。その後、生まれた居住地から移動した別の居住地(婚家)までの距離は20km足らずで、居住地の移動は結婚にともなう1回だけです。
生育歴の中でネパール語、ネパール人との接触の有無を徹底的に調査するに困難はさほどありません。
生育歴調査の徹底に自信があり、ネパール語を学んだ痕跡は完全にゼロだという確信がなければ、「ラタラジューの事例を公刊することも、アンビリで放映することもできるはずがありません。

VITA ÆTERNA さんのコメント...


すみません、一つ訂正のお願いです。私は2014年11月2日 8:43のコメントで、「また私は、応答型異言を発話したとされる人物がそれまでにその言語を学んだことが全くないことを立証することは非常に難しいと考えます」と述べましたが、ここに「無意識に」という言葉が欠落しておりましたので、私の発言の真意が伝わらかった部分がありました。つまりこの部分は、「私は、応答型異言を発話したとされる人物が、それまでの人生において、その言語を無意識に学習したことがある可能性が全くないことを立証することは非常に難しいと考えます」とのようになります。お詫びして訂正いたします。

稲垣勝巳 さんのコメント...

おっしゃるとおり、異言を無意識的に学んでいることの立証は不可能でしょう。
当の本人も、無意識的な学びは自覚できませんから学んだことはないと申告するはずです。
ポリグラフ検査でも無意識の嘘は嘘として検出できません。
しかし、「ラタラジューの事例」ではネパール語を理解するだけでなく、会話をしています。
仮に無意識的に耳で聞いているうちにネパール語が理解できるような学習ができたとしても、練習の不可欠な応答的会話技能までは学習できるはずがありません。
したがって、応答型真性異言においては、無意識的な学習で応答的会話技能が身につくことはありえません。
応答的会話技能の学習を無意識のうちにおこなうことは不可能です。
また、そのような会話技能を意図的に学んでいるとすれば、ポリグラフ検査でひっかかるはずです。
そして、里沙さんの生育歴の環境には無意識的にネパール語理解を耳で学ぼうにも、ネパール語を話す人間が身近に一切いなかったことは小・中・高・大、3年間の学校栄養士時代、結婚後の生活、への綿密な調査から明白になっています。

ショウタ さんのコメント...

また否定派の意見の動揺ですが生まれ変わりや死後の世界の言い伝えは人間の作り話なのでしょうか?それとも何ならかの体験談からできたものなのでしょうか?

引用

なぜ、墓地にこだわるかというと、さっさと買って「墓」を建ててしまわないと、死んだときのどさくさに紛れて、「寺」に埋葬されてしまう恐れがあるからです。近頃終活ビジネスとまで名を変えて大流行している葬式ビジネスの厳しさは、葬式を出したものでないと判りません。親族がぼーっとしている間にどんどんペースを握られて、葬式ビジネスの食い物にされしまいます。ワタシは、周囲から見ると本当に勝手な生き方をしてきましたので、最後まで勝手流で死にたいのです。ワタシらしい、“ふざけた墓”が理想です。墓を買ったら次は“理解のある石屋さん”探しをします。アサヒビールの本社ビルのオブジェみたいなのがいいなあ。

「勝手流な死に方」とは、ワタシが教員生活28年間で知り得た、重要な「知見・発見」です。教員生活28年間で教えた科目は、「現代社会」「日本史」「政治経済」が主です。ある意味、この3科目は、制覇してしまいました。もちろん、その道の研究者には絶対勝てませんが「教える」ことは簡単にできます。ところが今現在、「倫理」という壁が立ちはだかりワタシの「お気楽教員生活」の道を阻んでおります。ここ数年は、「哲学」「道徳」「宗教」などが勉強の中心となっています。そこで、ハッキリと気づいたのが、「宗教」という名の支配です。

ギリシア時代、神様は好き勝手で気ままな、まるで人間のような人々でした。セイラームーンはギリシア神話から名前をパクっていますが、ある意味自然です。その時の哲学者達は、まるで死を恐れていません。有名なのがエピクロスです。「生きている限り、死は存在していない。死が訪れると、生命はもうない。したがって、死は無関係、気にしなくてイイ」とまでいっていました。ところが、その後、誕生したキリスト教もイスラム教も本来人間とは無関係なはずの、“死後の世界”をどんどん勝手に作り上げてきました。仏教もそうです。本来誰も経験しないはずの、「あの世」とかを浄土とかいって勝手につくりだして、今生きている人間に「死の恐怖」を煽り続けたのです。

イエスも仏陀も、本来は「死後の世界」のことなど一言も口にしていません。2人とも「右のほほを打たれたら、左のほほをさしだす」ような、「支配下の民が苦しむ様子を見て、悲しくなって王家を捨ててしまう」ような、イイ人だったのです。その生き方が素晴らしかった人です。ところがところが、イエスの後継者達、仏陀の後継者達は、自分達の存在を権威づけたいがために、イエスや仏陀を地上から切り離し、ずーーと見えない「天」において、民衆と「天」の間を、「死後の恐怖」を植え付けて支配してきたのが、「教会」であり「寺院」であったのです。それが、彼らの仕事(喰っていく道)だったのですよね。

このことは、すでに、ニーチェが「神は死んだ」とか、「キリスト教はルサンチマン(怨念)によよってつくられた奴隷道徳だ」とかいって、ものの見事に看破しています。
しかし、現代社会で、「死が訪れると生命はもうない」とか「神は死んだ」といくら叫んでも、2000年間に染みついてきた、「葬式宗教」によって踏みつぶされてしまいます。

日本は日本で、徹底した先祖崇拝による宗教観の国ですから、先祖の霊が存在すると信じ込んでいます。「霊」などあるはずがありません。死んだら何もなくなるんです。ところが、これも「お寺」支配によって、1周忌とか3周忌とかいって強制的に供養させられます。


↑また引用に頼ってしまいましたがここから結局私は何を言いたいかというとラタラジューやタエの事例が生まれ変わりかどうかは事例研究以外にも生まれ変わりや死後の世界の概念はどうやって言い伝えられたのかを追求することが必要だと思います

別の事に例えると空想動物の河童や人魚なども人間が考え出した動物の筈だがなぜか目撃談が居て信じている人もいる。空想なのだから居るはずがない(私は信じていません)

では死後の世界や生まれ変わりはどうでしょうか?もしかしたら科学が発達していない時代に他人のが死んで動かなくなったのを見て動揺して「意識が消えたのではない。目に見えない何かが旅立ったのだ」と想像して動揺を癒して言い伝えられたのではないか。そもそも死んで戻ってきた人はいないのに何故死後のことが言えるのか?

もし生まれ変わりや死後の世界の概念がが上記がのような言い伝えなら臨死体験や前世の記憶は脳の現象説の方が有力だと思います。

何故なら死後の世界や生まれ変わりや空想しなければ概念すら存在しえないからだ

今回は哲学方面でアプローチしてみました

否定派の中では臨死体験や前世の記憶事例を議論する前に生まれ変わりや死後の世界そのものを人間が考え出した空想と考えており議論するだけ無駄と言う人もいます

稲垣勝巳 さんのコメント...

私の生まれ変わり研究の立場は、再三述べているように、「観念より事実、理屈より実証」を重んじることです。
このブログに「生まれ変わりの実証的探究」というテーマを掲げているのは、そうした私の立場の表明です。
宗教者や霊能者の説く千万の生まれ変わりの言説より、生まれ変わりを実証する1つの事実こそが、私の求めるものです。
実証のない観念論や理屈は、私の立場と相容れません。

稲垣勝巳 さんのコメント...

「ラタラジューやタエの事例が生まれ変わりかどうかは事例研究以外にも生まれ変わりや死後の世界の概念はどうやって言い伝えられたのかを追求することが必要だと思います
もし生まれ変わりや死後の世界の概念がが上記がのような言い伝えなら臨死体験や前世の記憶は脳の現象説の方が有力だと思います」
というショウタさんの議論はまったく不毛です。
「ラタラジューの事例」も「タエの事例」も、生まれ変わりの言い伝えでもなく空疎な死後の観念でもありません。
証拠映像のある厳然たる「事実」です。その「事実」としての証拠を正しく伝えるためにこうしてブログを書いているわけです。
あなたは、私の厳密な検証によって提示している生まれ変わりの「事実」をなにを根拠に脳内現象説が有力だと思うのか、私にはまったく理解できません。「脳内現象説」が有力である根拠を両事例で示している事実をもとに反証してこそ、稔りある議論になるのです。
事実から目を逸らして観念的議論に話題をすりかえてはいけません。

ショウタ さんのコメント...

私が言いたいのはもし昔から現在まで死後の世界や生まれ変わりという概念や宗教、伝説すら無い世の中でラタラジューの事例を研究したとしても同じように生まれ変わりや死後の存続の仮説を立てていましたか?

それとも昔から今まで宗教概念があるからやそうあって欲しい願望もあるので脳の神秘より死後の存続を期待しているのでしょうか

前者ならラタラジューの仮説は凄いと思います。後者ならUFOや河童や竜のような昔の人が空想して作り出された伝説や願望という説の可能性がありもしそうならラタラジューやタエの事例が生まれ変わりか死後の存続の実在を追求するより生まれ変わりや死後の世界の概念はどうやって言い伝えられたのかを追求することが必要だと思います

稲垣勝巳 さんのコメント...

ショウタさん
私の「ブログ投稿の留意点」が次のように掲げてあります。

したがって、各記事のテーマから飛躍・逸脱しているコメント、根拠が提示されない観念的議論や根拠不明な無責任なコメントは、話題の焦点が拡散し、散漫になることを避けるため、投稿されても掲載されないことがありますのでご海容ください。

ショウタさんのコメントは上記のコメントのガイドラインに抵触します。

私があなたに問いかけているのは、

「死後の世界の概念が上記がのような言い伝えなら臨死体験や前世の記憶は脳の現象説の方が有力だと思います」

という主張の根拠です。「タエの事例」「ラタラジューの事例」がなぜ「脳内現象説」で説明できるのか、の一点です。
あなたは、この問いには一切答えていません。
私が提示している両事例は、宗教的概念や言い伝えや私の願望とは全く関係のない、証拠に基づく「事実」です。
この「事実」を「生まれ変わり」以外の仮説で説明できるのですか?
「脳の神秘」などは、仮説ではありません。わけのわからないことを誤魔化す屁理屈にすぎません。

稲垣勝巳 さんのコメント...

「タエの事例」「ラタラジューの事例」が、ショウタさんの言う「脳の神秘」という説明になっていない説明が有力でああるという主張は、結局、「脳の未解明領域」だの「潜在意識」だのを持ち出せば、なんでも都合よく説明できるという点においては、インチキ商材販売業者や疑似科学者と、何ら変わらないものです。
今後、論点ずらしのコメントは採用しませんのでご海容ください。