2014年9月20日土曜日

SAM催眠学序説 その19

「ラタラジューの事例」再考 その2

 

里沙さんがネパール語を学んでいないことのポリグラフ鑑定


里沙さんのネパール語を一切学んでいないという証言についての裏付け検証結果で、ラタラジューのネパール語が真性異言である可能性はきわめて高い、というのが私の判断でした。

そして、詰めの検証として、ポリラフ検査をおこなうことにしました。

ポリグラフ検査は、一般に「嘘発見機」と呼ばれているものです。
人は記憶にあることを聞かれたとき、無意識に身体が反応してしまう、その微妙な生理反応の変化を身体各部にセットした精密な測定機器によって記録し、その記録を分析・解読することによって嘘を見抜くという原理です。

具体的には、検査者の質問に回答するときの血圧・脈拍・発汗などの微妙な変化を精密計器で測定・記録します。

ポリグラフ検査による鑑定で、里沙さんが意図的にネパール語を学んでいた記憶はないという鑑定結果が出れば、鑑定結果が絶対的真実を示すものとは言えないまでも、科学機器を用いた検証結果として、客観的な証拠の1つとして有効性を持つだろうと考えたのです。 

この提案を里沙さんに伝えたのは私でしたが、彼女とご主人への説得には難航しました。
証言書まで書かせておきながら、その上に嘘発見機にまでかけるとは、いかにも疑り深過ぎ、やり過ぎだと受け取られるのは至極当然の心情です。

結局、生まれ変わりの科学的研究への貢献のために、という粘り強い説得によって了解を取り付けることができました。

ポリグラフ検査で決定的に重要なことは、測定記録データを精査・解析でき、信頼できる鑑定眼を持つ有能な検査技師に依頼することです。
そうした権威ある鑑定者が、事情をすべて知ったうえで快く引き受けていただけるかが気がかりでした。
この検査技師の人選と鑑定依頼は、研究チームの中部大学岡本聡准教授が当たりました。
その結果、日本法医学鑑定センター所長の荒砂正名氏に依頼することができました。

荒砂氏は、前大阪府警科学捜査研究所長で、36年間に8,000人を超える鑑定経験を持つ日本有数のポリグラフ検査の専門家です。
鑑定依頼の事情を知った上で快諾していただけました。 

そして、「ラタラジューの事例」のセッションから二か月後、2009年8月6日に里沙さんの自宅において、2時間40分に及ぶポリグラフ検査が実施されました。

①ポリグラフ検査の内容

ポリグラフ検査の対象は5件の鑑定事項でした。

そのうち2件は「タエの事例」についての情報入手経緯・時期の記憶に関すること、2件はネパール語の知識に関するもの、残り1件はネパールの通貨単位ルピーに関するものです。 

その検査内容の概要を手元にある鑑定書から拾い出して紹介します。 


鑑定事項1 「タエの事例」に関する事前の情報入手経緯は下のどれか?

ラジオ・テレビ等の番組を通じて。  インターネットなどで。  新聞記事・パンフレット類で。             本・雑誌類で。  人から聞いたり教わることで。


鑑定事項2  「タエの事例」に関する事前の情報入手時期は下のいずれか?

保育園・小学校の頃。中学生の頃。 高校生の頃。 女子大生のころ。 独身で働いていた頃。 結婚して以降。


鑑定事項3 「隣人」を意味するネパール語は下のいずれか?(該当はchimeki)

tetangga(テタンガ) chimeki(チメキ) vecino(ヴェシーノ) jirani(ジラニ)  najbaro(ナイバロ)


鑑定事項4  息子を意味するネパール語は下のいずれか?(該当はchora)

chora(チョラ)   filo(フィロー)    hijo(イーホ)   nmana(ムワナ)  anak lelaki(アナク レラキ)


鑑定事項5  ネパールの通貨単位は下のいずれか?(該当はルピー)

 レク    ルピー     クワンザ     ダラシ      プント


上記のからの鑑定事項の質問に対して示された一つ一つについて、被鑑定者は記憶があっても、「いいえ」「分かりません」とすべてについてノーの回答をすることがルールです。

このルールに従って一つの回答につき十数秒間隔で質問し、このときの生理的諸反応を記録します。
一系列の質問が終わると2分休憩し、その間に内観報告(内省報告)をします。

同じ質問をランダムに3回程度繰り返します。

被鑑定者は肯定に該当する回答に対して毎回否定の回答しなければならず、つまり、毎回嘘をつくわけで、この嘘をついたときの微妙な生理的諸反応が計器に記録されるという仕組みになっています。 

ネパール語の鑑定事項3・4に関しては、次のような慎重な配慮のもとに単語が選ばれています。

本検査前に、セッション中に顕現化したラタラジューとして使用したネパール語12単語を抽出し、その記憶の有無を事前検査し、覚えていた単語は本検査の回答から外すという慎重な手続きをとってあります。

里沙さんが、セッション中のラタラジューとして使用したネパール単語で検査前にも記憶していた単語は、9つありました。
これらの単語を除き、セッション中に使用されたにもかかわらず、彼女が覚えていないと答えているネパール単語3語のうち2語、chimekiと choraが鑑定用単語に選ばれています。
なお、鑑定事項「ルピー」という単語は、セッション中には使われていない単語です。


②ポリグラフ検査の鑑定結果と考察

次は鑑定結果の原文です。

鑑定事項1について

 「タエの事例」に関する事前の情報入手経緯については「本・雑誌類で」で明確な特異反応(顕著な皮膚電気反応)を認めたが、内観には考慮すべき妥当性があり前世療法を受ける以前の認識(記憶)に基づくものか否かの判断はできない。

考慮すべき妥当性ある内観とは、「セッション後、稲垣からこんな本読んだことはないかと尋ねられる度に本屋に走り本を読んだりした。

また、稲垣の『前世療法の探究』を読んだ。こうした経緯があり、前世療法を受けて以後のことながら、1回目の質問の時から情報入手経緯の本・雑誌について、いいえ、と回答することには引っかかりを感じた」という内観報告である。

したがって、特異反応はこうした内観に矛盾しないものである。


鑑定事項2について

「タエの事例」に関する情報入手時期については何れにも特異反応を認めず特記すべき内観なし。
これらに対する認識(記憶)は全くないものと考えられる。


鑑定事項3について

「隣人」を意味するネパール語について、chimeki(チメキ)には特異反応を認めず。
特記すべき内観なし。
これが該当事実であるとの認識(記憶)は全くないものと考えられる。


鑑定事項4について

「息子」を意味するネパール語について、 chora(チョラ)には特異反応を認めず。特記すべき内観なし。これが該当事実であるとの認識(記憶)は全くないものと考えられる。



鑑定事項5について

「ルピー」には注目すべき特異反応を認めず。これが該当事実である認識(記憶)は全くないものと考えられる。


さて上右記の鑑定内容にさらに説明を加えると、次のようなことになります。

、「タエの事例」に関して事前の情報入手をしていたかどうかについては、その情報を入手した時期の認識(記憶)はない。
つまり、情報を事前に調べた認識(記憶)はない。
しかし、本・雑誌から事前入手した認識(記憶)はあるという一見矛盾した鑑定結果が出たということです。
ただし、本・雑誌を読んだのは、「タエの事例」セッション以後の認識(記憶)であることの妥当性を持つ根拠があるので、セッション以前に本・雑誌から情報を入手していたという判断はできないということです。

そして、セッション以後であっても、本・雑誌という情報入手経緯について、明確な特異反応(嘘をついている反応)が認められたことは、里沙さんの嘘を隠せない誠実な人柄の現れと見ることができ、鑑定結果全般の信頼度が保証されるという鑑定者の見解でした。

もし、鑑定事項2の回答の中に「セッション以後」という回答が設定してあれば、おそらく里沙さんはこれに特異反応を示したはずで、そうなれば、セッション以前にタエに関する情報を入手した認識(記憶)はない、との鑑定結果が出たに違いないと思われます。


、3語のネパール語に関する認識(記憶)は全くないものと考えられる、という鑑定結果から、少なくとも里沙さんが、意図的にネパール語を学んでいた可能性はないと判断できます。

特に、ネパール語を学んでいて通貨単位のルピーを知らないはずはないでしょう。
したがって、意図的作話仮説が成り立つ余地はありません。

しかしながら、検査に使われた単語のchora(チョラ・息子)も chimeki(チメキ・隣人)も、セッション中に対話相手カルパナさんが用いた単語で、記憶していた9つの単語同様、里沙さんがこれら2語も記憶していてもいいはずの単語です。にもかかわらず、里沙さんは全く特異反応を示さなかった、つまり、知っているという反応が全く出なかったという結果は何を意味しているのでしょうか。 

考えられる可能性は3つあります。

1つ目は、chora もchimekも、顕在意識・潜在意識の両方ともに、初めから完全に記憶に留めていないと解釈することです。

2つ目は、催眠中の潜在意識の下で里沙さんが知った単語なので12のうち2つの単語は潜在記憶となって抑制されており、顕在意識としては知らないものとして処理され、そのため反応しなかった、と解することです。

3つ目の解釈は、ラタラジューは里沙さん自身ではない前世の人格であるので、対話相手のカルパナさんの用いた単語の記憶すべてがそのまま現世の里沙さんの記憶とはならず、そのため里沙さんは知っているという反応を示すことがなかった、と考えることです。 


いずれにせよ、以上のポリグラフ検査鑑定結果によって明らかになったことは、ポリグラフ検査で判断できるのは、あくまで顕在意識としての記憶の有無であり、潜在記憶の有無は判断できないという事実です。

このことは、意図的作話仮説の検証にポリグラフ検査の有効性を認めることはできても、潜在記憶仮説の検証には有効性がないだろうというこです。  

しかしながら、里沙さんがネパール語を現世の人生のどこかで無意識的に学んでいるにもかかわらず、その記憶を忘却しているだけだ、とする潜在記憶仮説で説明することにきわめて無理があることは、すでに述べてきた生育歴の調査結果から明白です。

したがって、潜在記憶仮説も棄却できると判断しました。

こうして、私は、「ラタラジューの事例」を「真性異言」として認めることができると判断するに至りました。

つまり、里沙さんは、現世でネパール語を学んでいないにもかかわらず、異言であるネパール語を知っていたということを意味します。


このことは、ラタラジューという里沙さんの前世のネパール人が実在していたことを認めることであり、つまり、生まれ変わりの科学的証明が、セッションの証拠映像と、ポリグラフ鑑定に基づいて、ついにおこなわれたと結論づけてよいのではないか、ということです。

里沙さんの生まれ変わりは、現時点で考えられるかぎりの方法による諸検証によれば、科学的事実だと認めるほかない、ということなのです。

私は、少なくとも里沙さんにおいては、現時点において、生まれ変わりが科学的事実であると証明された、と宣言したいと思います。


応答型真性異言である証明ができれば、そうした会話技能は「超ESP仮説」によっても獲得不可能とされており、現代唯物論によっても、超ESP仮説によっても覆ることがない、生まれ変わりの最も強固な科学的証明である、と私は考えています。

それはなぜか。

「透視・テレパシーなどの万能の超能力(超ESP)仮説」は、生まれ変わり(死後存続)を否定するために十分な裏付けのないまま強引に作り上げられた空論だ、と私自身は考えています。

たとえば、「タエの事例」において徹底的な裏付け調査によって、私の心証として里沙さんの証言には嘘はあり得ないという確信があり、タエの実在証明ができなかったにせよ、生まれ変わりの真実性に迫り得たという強い思いがあったからです。

このことは、「タエの事例」に関するポリグラフ鑑定によっても裏付けができたと思っています。

しかし、ここに「超ESP仮説」を登場させると、生まれ変わりの証明はきわめて困難になってきます。

人間の透視能力が、かなり離れた場所や時間の事実を、認知できるということは、テレビの「超能力捜査官」などをご覧になって、ご存じの方も多いと思います。

この透視能力(ESP)の限界が現在も明らかではないので、万能の透視能力を持つ人間が存在する可能性があるはずだ、と主張する仮説が超ESP仮説と呼ばれているものです。

これを里沙さんに適用すれば、彼女は、普段は透視能力がないのに、突然無意識に、「万能の透視能力」を発揮し、しかるべきところにあるタエに関する「記録」や、人々の心の中にある「記憶」をことごとく読み取って、それらの情報を瞬時に組み合わせて物語にまとめ上げ、タエの「前世記憶」として語ったのだ、という途方もない仮説が、少なくとも論理的には可能になるのです。

そうなれば、前世記憶とはそれを装ったフィクションに過ぎず、したがって、生まれ変わりなどを考えることは不要であり、生きている人間の超能力によってすべてが説明可能だというわけです。
ただし、超ESPという能力を発揮した能力者は、これまで発見されてはいません。

ところで、この超ESP仮説自体を反証することは、現在のところESPの限界が分かっていない以上不可能なことなのです。

しかし、この仮説を完全に反証しなければ、生まれ変わりの証明ができないとすれば、生まれ変わりは完全な反証もされない代わりに、永久に証明もできないという袋小路に追い詰められることになってしまいます。

一方、前述の「超能力捜査官」などの例でテレパシーや透視の存在は知られていますが、人間の死後存続の証拠は直接には知られていません。

したがって、生まれ変わり(死後存続)という考え方自体のほうが奇怪で空想的であるとして、これを認めるくらいなら他の仮説を認めるほうがまだましだ、とする立場を採る研究者たちによって超ESP仮説は支持されてきたという事情があるのです。

こうして、心霊研究と超心理学の百数十年に及ぶ「生まれ変わり(死後存続)」の証明努力の前に、最後に立ちはだかったのが、この超ESP仮説でした。

多くの心霊研究者や超心理学者は、超ESP仮説さえなければ、死後存続はとっくに証明されていたはずだと考えています。
それを何としても阻むがために、この「超ESP仮説」は、考え出され支持されてきた仮説だと言ってよいでしょう。

そして、超ESP仮説を持ち出せば、どのように裏付けが十分な前世記憶であろうと、すべて超能力で入手した情報によるフィクションだとしてなぎ倒すことが少なくとも論理的には成り立ち、生まれ変わり(死後存続)の完全な証明など永久にできるはずがないということになります。

それほどに、生まれ変わりの科学的事実を認めることが忌避される、ないし慎重さが求められるのは、それが認められることによって、唯物論者や一般的個人の世界観の変革はもちろんのこと、それは人間社会のあらゆる営みの変革に、広汎かつ深甚な影響を及ぼすことになるからでしょう。

この難題である超ESP仮説の打破に挑んだのが、ヴァージニア大学精神科教授で、現代における超心理学の泰斗、そして「生まれ変わり研究」の先駆者として知られる故イアン・スティーヴンソンです。
スティーヴンソンが着目したのは、もし、ESPによって取得不可能なものであれば、それは超ESPであろうとも取得が不可能である、という事実でした。
少し長くなりますが、彼の着目点を引用してみます。

 デュカス(注 カート・ジョン・デュカス、哲学者)は、本来、霊媒は他人の持つあらゆる認知的情報をESPを介して入手する力を持っているかもしれないことを原則として認めているが、その情報を本来の所有者と同じように使うことはできないと考える。

デュカスによれば、霊媒は、テレパシーを用いてラテン語学者からラテン語の知識をすべて引き出すこともあるかもしれないが、その知識をその学者の好みとか癖に合わせて使うことはできないのではないかという。

以上のことからデュカスは次のように考える。
もし霊媒が、本来持っているとされる以外の変わった技能を示したとすれば、それは何者かが死後生存を続けている証拠になるであろう。
もしその技能が、ある特定の人物以外持つ者がない特殊なものであれば、その人物が死後も生存を続けている証拠となろう。

技能は訓練を通じて初めて身につくものである。
たとえばダンスの踊り方とか外国語の話し方とか自転車の乗り方とかについて教えられても、そういう技能を素早く身につける役には立つかもしれないが、技能を身につけるうえで不可欠な練習は、依然として必要不可欠である。

ポランニー(注 マイケル・ポランニー、科学哲学者)によれば、技能は本来、言葉によっては伝えられないものであり、そのため知ってはいるが言語化できない、言わば暗黙知の範疇(はんちゅう)に入るという。
もし技能が、普通には言葉で伝えられないものであるとすれば、なおさらと言えないまでも、すくなくとも同程度には、ESPによっても伝えられないことになる。

(スティーヴンソン「人間の死後生存の証拠に関する研究ー最近の研究を踏まえた歴史的展望」笠原敏雄編『死後生存の科学』PP41ー43)

ESPである透視・テレパシーなどによって、取得可能なのは、あくまで「情報」です。

そしていくら情報を集めても、実際にかなりの訓練をしない限り、「技能」の取得はできません。
自転車の乗り方を、いくら本や映像で知っても自転車に乗ることはできないように、たとえば言語も情報としての単語の取得ができても、それだけで応答的会話という「技能」の取得まではできないはずです。

つまり、「超ESP」によって、学んだはずのない外国語の個々の単語は獲得できても、外国語の応答的な会話「技能」までは獲得することができないわけです。


したがって、ある人物が、前世の記憶を、その前世での言語で応答的会話をおこない、かつ現世の当人がその言語を学んだことがないと証明された場合には、超ESP仮説は適用できず、生まれ変わりが最も有力な説明仮説となる、とスティーヴンソンは考えたのです。
こうして、彼は応答型真性異言の2つの事例を『前世の言葉を話す人々』 春秋社、1995、として出版しています。

そして、彼の超ESP仮説に対する見解に反論した研究者は、いまだいないのです。

ネパール人ラタラジューは、今も里沙さんの魂表層に死後存続しており、だからこそ、ラタラジュー人格が顕現化し、ネパール語で会話したのだ、というわけです。
しかも、現在も死後存続している証として、一部ですが、明らかに、現在進行形の会話を残しているのです。

こうして、ラタラジューは、里沙さんの魂表層を構成している前世の人格の1つとして、今も、肉体のない意識体として、死後存続して生きている、と考えるほかないだろうというわけです。

次は、ラタラジューのネパール語会話が「応答型」であることの分析について述べる予定です。


(その20につづく)

1 件のコメント:

迷子 さんのコメント...

皆さんこんにちは、

VITA ÆTERNAさん
やはりウキではなく、原点に当たった方がよいでしょう。

 「前世の言葉を話す人々」の198ページと、その周辺を調べたのですが、本来の人格であるウッタラが勉強していたのは、【ベンガル語】ではなく、【サンスクリット語】の様です。

 他にも言語学の面からのアプローチもあるのですよ。情報量がありすぎて、ここに乗せるのは無理ですので、是非原点を当たってください。
 
 笠原敏雄氏が指摘していますが、超常現象関連の記述は、異様なほど誤りが多い物があるので、気を付けたけた方がよいでしょう。

笠原敏雄氏のHP「心の研究室」にある『超常現象と出版社』も目通しておくと良いでしょう。

それと、前世が違う母国語だと言葉の覚えが悪い、とうような報告があった記憶があります。
 
 前世のからの技能継承については【前世を記憶する子どもたち】の2巻とあとがきを読んでみてください。