2014年8月10日日曜日

SAM催眠学が明らかにしてきた「生まれ変わり」の仕組み

   SAM催眠学序説 その16


「永遠なる自由ー霊的哲学を求めて」というブログで、「生まれ変わり変わり」の仕組みについて、下記のようなモデル図で示した興味深い議論が掲載されています。
これを引用させてもらって、SAM催眠学が示す魂と生まれ変わりの仕組みについて、考察してみます。

ブ ログ管理者高森氏は、スピリチュアリズム霊学に基づいて5つの生まれ変わりの類型を提示しています。
SAM前世療法のセッションションであらわれる「意識現象の事実」から検証してきた、SAM催眠学の提唱す る「生まれ変わり」の概念は、高森氏の提示するⅤ型(多面体説)ということになるわけですが、以下にまずその高森氏の記事の問題となる部分(点線内)を示し、次いで記事の問題点を指摘したいと思います。

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Ⅴ.多面体説

これに対して、一応は「私という個性的存在」を認めつつ、魂なり霊なり宇宙精神なりを強調する考え方もあります。
これは、魂なり霊なり(X)は、Aという個人的存在を現世に生み出すが、Aは死後、魂や霊に付属して存在を続ける、そして魂や霊は、別のBという個人的存在を新たに世に生み出す、というものです。

次の図は、時間軸に沿った変化として見てください。なんか雪玉ゴロゴロみたいな変な形になりましたが(笑い)。

魂であるXは、A、B、Cという現世存在を次々に生み出していきます。
A、Bは死後も一応の個別性を持ちながら、魂Xとともにあります。
シルバー・バーチの「魂はダイヤモンドのような多面体であり、あなたはその一面なのだ」というような説や、稲垣勝巳さんの「人格は魂の表層のもの」という説は、おそらくこういうふうになるのではないかと思います。(ひょっとすると違うかもしれません。)
 
さて、この構図で問題になることは、まず、「個別の人格は生まれ変わりをしない」ということになるということです。
視点を個別人格に取ると、AはBに生ま れ変わっておらず、AとBはCに生まれ変わっていません。AとB、A・BとCの間に「カルマ」などの受け渡しがあったとしても、それはAやBが生まれ変 わったということにはなりません。
大円X(魂)の外周に、○A・○B(それぞれの前世人格)

むしろ、「魂=X」は、次々に現世人格を生み出す」という方が適当であり、これを表現するには、生まれ変わりという言葉ではない新たな概念が必要とされるのではないでしょうか。

 もうひとつ問題になるのは、死後の「人格」の状態です。
一番右の時点で、AとBは、どういう状態で何をしているのでしょう。
一般的に、死後存続説というも のは、単に「残る」ということではなく、「活動を続ける」ということを含意しています(古代ユダヤ教の「冥府での眠り」――復活を認めないサドカイ派の死後観――はですから死後存続説としては異常説です)。
AとBがそれなりの主体性をもって活動していれば通常の死後存続説に属しますが、単に眠っているように魂にくっついていたり、ただCを見守る(あるいはメッセージを送る)といったことしかしていないのなら、それは死後存続説としてはかなり異常です。

つまり、このような捉え方(あくまでこの図のような捉え方ということ)は、「生まれ変わりの否定」であり、場合によっては(死後人格の活動状態いかんによっては)、死後存続の否定にもなりかねないということになります。
(中略)
特にⅤ多面体説の場合は、AとBとCが同じXに属するものであるということを立証しなければならず、またABC間の関係も説明しなければならず、相当ハードルは高くなってしまうでしょう。
(中略)
死後存続研究者(たぶんデュカスだったと思います)が言った「死後存続については、どういう条件が満たされると証明されたことになるのか、まったく合意ができていない」という言葉と同様、「生まれ変わりについては、どういう条件が満たされると生まれ変わりが証明されたことになるのか、まったく合意ができていない」ということになっていると思われます。

霊魂仮説を受け入れた人たちの間でも、「何が生まれ変わるか」「生まれ変わりの定義とは何か」についてすら、合意ができていないようです。(引用終わり)

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 上記の高森氏の記事について、SAM催眠学の立場から4点のコメントをしてみます。

① さて、上の図で誤解されやすいのは、大円X(魂)の外周に、○A・○B(それぞれの前世人格)が位置づけられていますが、SAM催眠学の概念では、○A・○B(それ ぞれの前世人格)は、「魂の表層」を構成している前世のものたちであって、それらのものたちは、魂の構成要素であるので、大円X(魂)・○A・○B(それぞれの前世人格)全体を含めて「魂」と呼んでいます。

さらに言えば、○C(現世人格)も、魂の表層に存在しており、この現世人格と前世人格たちを 含めて、「魂の表層」なのだということです。
ちなみに、SAM催眠学でいう「魂」は、宗教的な意味は一切ありません。
「肉体に入っており、死後は肉体から離れて存続する意識体」というほどの意味です。
イアン・スティーヴンソンの提唱している「心搬体(生前の人格・個性・記憶等を保って死後存続する意識体)」と同様の概念です。

② 高森氏は、この多面体説では、「個別の人格は生まれ変わりをしない、ということになるということです。視点を個別人格に取ると、AはBに生まれ変わってお らず、AとBはCに生まれ変わっていません。AとB、A・BとCの間に『カルマ』などの受け渡しがあったとしても、それはAやBが生まれ変わったというこ とにはなりません。むしろ、『魂=Xは、次々に現世人格を生み出す』という方が適当であり、これを表現するには、生まれ変わりという言葉ではない新たな概 念が必要とされるのではないでしょうか」という主張をしています。

一方で氏は、「霊魂仮説を受け入れた人たちの間でも、『何が生まれ変わるか』、『生まれ変わりの定義とは何か』についてすら、合意ができていないようです」とも述べています。

生 まれ変わりの定義に合意がないのであるなら、この多面体説をもって「生まれ変わり」、つまり、表層の前世のものたちを含めた魂全体が、次の肉体に宿ること をもって、「個別の人格はそのまま生まれ変わりをしないが、それらを包含した魂全体が生まれ変わる」という概念であっても、なんら支障はないとSAM催眠学では考えます。

端的に言えば、SAM催眠学の生まれ変わりの概念は、「魂全体が次々に別の肉体に宿ることを繰り返すこと」を「生まれ変わり」だとしています。
そして、SAM前世療法のセッションで現れる「意識現象の事実」は、この概念を支持していますから、これまでのスピチュアル霊学一般の見解に反するでしょうが、現時点ではそうと認めるしかありません。

つまり、アンビリで登場した里沙さんの場合、図の○Aがタエ、○Bがラタラジュー、○Cが現世の里沙、ということであり、このことをもって「生まれ変わり」をしているということです。

多面体説が、「生まれ変わりの否定」になるという高森氏の主張は、氏の概念規定上の見解に過ぎないと思います。
氏が、生まれ変わりの概念に合意がないことを認めているにもかかわらず、生まれ変わりの否定になる、という主張は自己矛盾ではないでしょうか。

③ 高森氏の「AとBがそれなりの主体性をもって活動していれば通常の死後存続説に属しますが、単に眠っているように魂にくっついていたり、ただCを見守る (あるいはメッセージを送る)といったことしかしていないのなら、それは死後存続説としてはかなり異常です」という主張は、セッションで現れる「意識現象の事実」に対する認識不足です。

前世人格AとBは、友愛を結びながらそれぞれの人生の知恵を分かち合い、それぞれ死後も意識体として成長を続けている、というのがセッションで現れる意識現象の事実です。

けっ して、「単に眠っているように魂にくっついていたり、ただCを見守る(あるいはメッセージを送る)といったことしかしていない」わけではありません。
そも そも、「魂にくっついている」という認識が誤りです。
くっついているのではなく、魂の表層を構成しているもの、したがって、魂そのものの構成要素です。
だからこそ、セッションにおいて、魂状態の自覚に至れば、タエやラタラジューが顕現化するわけで、彼らが「単に眠っているように魂にくっついていたり」して いるわけではないことを、セッション証拠映像をご覧になれば誰もが納得されるでしょう。

前世人格は、「単に眠っているように魂にくっついていたり」しているわけではないので、顕現化した場合には、現世の肉体を用いて(自己内憑依して) 、指や口頭で自己表現するのです。
苦悶の表情や、落涙といった人間的感情を現世の肉体を借りて表現するのです。


④「特にⅤ多面体説の場合は、AとBとCが同じXに属するものであるということを立証しなければならず、またABC間の関係も説明しなければならず、相当ハードルは高くなってしまうでしょう」という高森氏の指摘については、今後の課題です。

氏の「立証」が、科学的立証を意味するなら、氏の提示した生まれ変わりの5つの類型すべては観念論であり、すべて立証不能です。

SAM催眠学は、「魂の多面体仮説」の立証を、催眠を道具に用いて、SAM前世療法のセッションで確認できた「意識現象の事実の累積から共通項を抽出する」、という方法論で、これまでもやってきましたし、これからもやっていこうとしています。
それ以外に「意識現象」の研究は、方法がないと思うからです。

そして、現時点で「意識現象の事実」として、SAM前世療法のセッションで確認できていることは、前世人格AとBとCが、魂の核Xの表層に属するものであるという事実です。

魂の多面体仮説(魂の二層構造仮説)に基づくSAM前世療法は、こうしたことを探究するきわめて有用な道具だろうと思っています。

そして、これまでの探究において、魂の多面体仮説(魂の二層構造仮説)を否定する「意識現象の事実」は、確認されていないということです。


(その17につづく)

35 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

 こんばんは、お久しぶりです。以前ポン太などの名前で投稿していた者ですが、グーグルアカウントがこの名前になっていますので、こちらで書かせていただきます。

 私は多面体説とか、あまりそういうのはわかりませんが、どうも我々にはまだ把握していない意識の未知の形態があるのではないかと思えてなりません。

 たとえば、NHKで放送されたマーティ・マーティンの一件にしても、またかつては第二次世界大戦でパイロットだったというジェームズ・レイニンガ-の件にしても、あれらを偽りの記憶や両親のウソ、個人の願望で片づけるのにはかなり無理があるのではないかと思うからです。実際、あの番組を見た後、結構多くの人が、「この件はまだ未知の領域とするべきだろう」と見解を改めていたようですし、仮にこれらの話が何らかの脳内現象で説明できるのだとしても、もう少しマシな説明になるんじゃないかと思います。この手の話だと、必ず本人の偽記憶や個人の潜在意識、願望、錯覚あるいは、無理をしてでもどこかから事前に情報を仕入れていたという見解が出てくるのですが、本来これらの転生の記憶が脳内現象で説明がつくならば、そういう偶然的な要素に頼らなくてももっと「科学的」な見解になると思うんですよ。でも、正直なところ、今は棚上げの状態でしょう。

 これは、サム・パ―ニア以外にも指摘している人がいるのですが、現在の脳科学では、脳と意識(体験)の対応関係(相関関係)までは確認できても、「脳そのものが意識を作り出している(あるいは中枢である)」という証明にはつながらないと、この現在の唯物論的見解は、あくまでも脳科学とか人工知能の分野でやっているから、最先端で正しそうに見えるが、ほかの分野でこのような論理の飛躍を犯していれば、典型的な似非科学扱いになると。ではなぜ立証されていないのに「脳が意識を生み出していることになっているのか」ですが、そういう前提にしておいた方が、人工知能や脳科学の研究がやりやすいためという、多分にして科学者側やその研究に出資する投資家側の都合による部分も大きいとのことらしいですね。科学もまた「資本主義」であり「経営活動」なんでしょう。

 結局のところ、脳をたとえばFMRIみたいな最新機器で観測して、脳とその意識活動(体験や感情)の反応を調べて、それのマッピング自体は可能でも、「それを生み出していること」にはならず(そのことを別に立証しなければならない)、「観測できる事実」は正しいとしても、その解釈というか、認識を明らかに間違えているというわけですね。

 なので、どれだけ観測機器が高性能になっていったとしても、アプローチの仕方が同じであれば、どこまで行ってもわかるのは対応関係でしかないと。「脳と意識の因果関係」にはなりえないというわけです。

 たとえば、「死後の世界がないことの証明」は、できません。これは「ないことの証明」であり、「悪魔の証明」になってしまうからです。ですが、「脳が意識を作り出している(あるいは中枢である)」という唯物論的結論が正しいのならば、これは「ないことの証明」ではないので、本来実証できるはずなんです。しかし、サム・パ―ニアが指摘している通り、それを実証した報告や研究者は存在しません。多分それを実証するための方法論すら、今のところ見つからないのではないか。いや、あと何百年たっても見つからないかもしれません。すなわち、サム・パ―ニアの理屈に従うならば、たとえ臨死体験でも、仮にまだ我々が計測しきれない脳内の未知の領域があったとして、それを将来計測できるようになったとしても、それすらも「実証するもの」ではなく、ただ「脳の奥深くに「反応している」箇所がありましたよ」という相関関係にとどまるというわけです。これでは、確かに臨死体験を死後の世界の証明に結びつけることが困難だとしても、だからといって脳内現象説であるともいえないということであり、結局はその「臨死体験を再現するか、あるいは作り出すか」しない限り、または実証しない限りは、どこまで行っても結論は出ない気がします。

稲垣 勝巳 さんのコメント...

 われわれには意識がある。これは自明のこととして万人が受け入れています。しかし、その自明である意識が、どこで生み出され、どこに存在しているかを実証した報告も研究者もいません。脳が意識を作り出している(あるいは中枢である)という唯物論的「心・脳の一元論」が正しいのならば、本来実証できるはずのことです。
 脳と意識の間に密接な対応関係があることは間違いのない事実でしょうが、脳が意識を生み出しており、意識は脳の付随現象である、という因果関係の事実を証明していることにならない、という見解にはまったく同感です。

ショウタ さんのコメント...

orphan elderさん、稲垣勝巳さんへ

反対派のブログの人にこの見解を見せたのですがこう反論されました。

引用

引用文を見ましたが脳の奥深くが反応してんなら 脳が生きてるって事ですわ

どう論じようが、それは脳が生きている状態で見ているに過ぎない現象であるって事です。脳が死んでから先を見た人間は誰も居ない。故に死後の世界の証拠にはならないと、私は言っているんですがねぇ。

脳が意識の中枢では無いとするなら中枢とされる何かを提示しなければなりません。これは「ある」事の証明なわけですが不思議なことに「ある」と言っている者ですらそれを熱心に研究する事はないならば、なぜ立証出来ていない何かをそこまで持ち上げるのか?

それは立証されない方が宗教をやる人間にとって都合が良い。神や来世を説明するのに都合が良い。要は宗教も商業主義である

信者獲得のための経営活動に十字軍のような神が実在すると言う証拠集めは聖遺物を科学的に検証されてしまう現代においては邪魔なわけです。

それからですね、脳が意識を作り出しているから脳に糖分やら酸素が滞ると意識が飛ぶんですよ。

それを論理の飛躍だの似非だと言う前にまず、御自身の生まれ変わりだとか、脳は受信機で意識は別の世界から発信されているだとかな途方もない飛躍を何とかするべきでしょうね。これが真っ当な科学の場で行われた発表なら間違いなくアナタは学会から追放されてますよ

↑どう思いますか?

ボク的には否定派が意識は脳が作りだしていると断言してるならそれ自体が肯定派の断言と同じだといます

一般的ではないから間違いなのか?

そもそも稲垣さんの言うように本当に心身問題は証明されていないのか疑問に感じています


脳科学の『進化しすぎた脳』という本でも「意識については脳が意識を作り出すという一元論と脳が意識を知覚しているという二元論がある。一元論が多いが証明はされていない」と書いてあり断言はしていませんでした

『まだ誰も解けていない科学の未解決問題』の本でも心身問題が取り上げられてやはり上記の本と同じ事書いてありどれも断言はしていませんでした

テレビに出る脳科学者は唯物論が常識化されているので難しいですね

稲垣 勝巳 さんのコメント...

本当に「心・脳一元論」は証明されていないと思います。
もし、それが証明されているとしたら、応答型真性異言という意識現象をどのように説明できるのか、きちんとした論理的説明をしてほしいものだと思います。
「心・脳一元論」の論法でいけば、ラタラジューという人格も、彼のネパール語の応答的会話も、脳が作り出した妄想・フィクションということになります。妄想・フィクションの架空人格が、なぜ真性のネパール語で会話できるのか、その説明が唯物論でできなくてはいけません。せいぜいヤラセであるとか、ネパール語を密かに学んでいたはずだ、というレベルの言いがかりが関の山でしょう。
応答型真性異言発話中の証拠映像はyou-tubeに公開してありますし、詳しい分析は本として出版しています。これらの公開情報を具体的に例示して、
反証をあげ反論する作業をしてきた研究者は現在まで現れていません。

ショウタ さんのコメント...

否定派からの回答

引用

で、その知り得ない情報ってのもテンカン治療でチョクチョク起きる。テンカン患者は死んでるんすか? 死んでませんわな

つまり、それは脳の反応であり脳によって自身と空間と時間を認識しているって証拠でもあります。

そもそも、ネパール語をどれだけ話せたってんでしょうね。私もハイルヒットラーぐらいならドイツ語を学んでなくとも知ってますよ?w

それだけ凄い成果なら学会で発表したらよろしい

発表しましたか?してませんよね?ならば言いがかりも付けれませんよ。公的に存在しない事象なんですから


上記の二点が気になります

1、人間の脳自体に時空や空間を知覚できる機能があるのでどんな現象でも霊魂を持ち出さなくても出来て脳の機能の発見である

2、何故これだけ凄いなら大きく認められないのか

↑ボク的な考えは上記は脳科学者ではないので何とも言えませんが人間の脳は時空や空間を知覚できるかは証明されてるのか?できていないなら霊魂説の押しつけと変わらないようん気がします。

2の方はやはり霊魂が何かがわからなく証明できていないのに発表いたら小保方さんみたくなってしまうからではないかなと感じました


この否定派ブログ主さんの家族は医学関係で71歳の高齢者らしいので説得力があるようにも感じられます

どう思いますか?

迷子 さんのコメント...

皆さんこんにちわ、

ショウタさん、
超常現象関係の論争については、スティーブンソンの翻訳で有名な笠原敏雄氏のHP「心の研究」http://www.02.246.ne.jp/~kasahara/ その中の以下の論文は特に目を通しておくといいでしょう。
http://www.02.246.ne.jp/~kasahara/psycho/discussion_of_reviews2.html
http://www.02.246.ne.jp/~kasahara/parapsy/criticismofpsi.html
http://www.02.246.ne.jp/~kasahara/parapsy/response_by_publishers.html
http://www.02.246.ne.jp/~kasahara/parapsy/importance1.html
http://www.02.246.ne.jp/~kasahara/psycho/mpd.html

それや彼の著書「サイの戦場」と「超心理学読本」をお読みください。笠原氏は通常の反論ではなく論争そのものを分析するやり方です。

 臨死体験は死んでいるわけでは無いので死後生存の直接的証拠にはなりえませんが
「続あの世からの帰還」でパム・レイノルズの事例がありますので参照してください。

 これは体温16℃までさげ心臓を停止させて、脳の血液をすべて抜き取り、脳幹動きも完全に停止させて脳手術をしている間に起きた現象です。
 
特に笠原氏のあとがきの説明も重要です。



稲垣 勝巳 さんのコメント...


「そもそも、ネパール語をどれだけ話せたってんでしょうね。私もハイルヒットラーぐらいならドイツ語を学んでなくとも知ってますよ?w それだけ凄い成果なら学会で発表したらよろしい。発表しましたか?してませんよね?ならば言いがかりも付けれませんよ。公的に存在しない事象なんですから」という批判について。

真性異言「ラタラジューの事例」の学会発表は、これまでに3回しています。研究チームの大門正幸中部大教授によって、「生命情報科学会」で2回、私が「日本サイ科学会」講演で1回です。したがって、「ラタラジューの事例」は公的に存在しています。

シュヴァル さんのコメント...

読んでいて思ったのですが
世の中にはいろいろな人がいて全員を同じ考えにすることはできませんし、
先生が研究されているテーマは現時点では
一般的とは言いがたいわけでみんなが認知してるからという視点に意味があるように私は思わないです。

天動説なんかは最初は全く支持がなかったと
されていて、真実であることと現時点での一般の理解に意味があるようにおもわないのですが
ショウタさんは何故気にされているのでしょう?

私も、セッション受けるまで懐疑的でしたし
いまも、よくわからないことだらけですが
催眠状態では、自分とは違う感覚がでてきたことは確かです。しかし、それはいくら言葉で言っても一般的に理解されるとは個人的に思っていませんし、反対派という人たちを
説得できたら変わる事象ではないように思います。

結局は、自分が動思うかだと思うのですが

稲垣 勝巳 さんのコメント...

たぐい稀な被験者里沙さんにおいて、ネパール語を全く学んでいないことの証明は、彼女の生育歴の執拗な調査結果から100%成立している判断しています。
また、ポリグラフ検査によっても、そのことは裏づけられていると判断しています。

そして、生育歴調査、ポリグラフ検査の再検証は、真面目に反証しようとするどなたにも開かれています。

また、ネパール語会話の真偽については、全セッションの証拠映像を再検証のためにyou-tubuで公開していますので、これも反証可能性に開かれています。
現在、私のブログにおいても、全セッションの逐語録を公開しています。

生まれ変わり研究の先駆者イアン・スティーヴンソンが存命中なら、間違いなく再検証に来日しているというコメントを超心理学者笠原敏雄氏からいただいています。

こうして、私は、とりあえず、里沙さんにおいては、現時点で、「生まれ変わりは実証された」と宣言できると思います。

さらに、論理的帰結として、里沙さんにおいては「死後存続し転生する魂の実在も間接的に実証された」と宣言したいと思います。

生まれ変わりを認めるからには、消滅する脳とは別に、死後存続し、生前の個性や記憶を保持する意識体(魂)の実在を認めないことには説明が完結しないからです。

このことは、間接的に、次の生まれ変わりを待機している魂の所在する次元(霊界・中間世)の実在を間接証明することになると思います。

さらにそのことは、霊界・中間世のような次元(あるいはこの現界)には、次の生まれ変わりを待つ魂とともに守護霊と呼ばれるような高級霊も実在している可能性を、間接的に証明していることになると思います。

こうして、生まれ変わりの実証は、霊界・高級霊の実在を、連鎖的に、間接的に証明することにつながっている、というのが私の見解です。

こうした私の見解に反証するためには、「ラタラジューの事例」にはヤラセがないという前提に立てば(ヤラセの疑いをかけられる可能性を前提に医学博士1名、大学教授2名が同席しています)以下のような発見ないし、新仮説を立てるほかないでしょう。
ちなみにアンビリは、「ラタラジューの事例」のセッション撮影に一切関知していません。アンビリから放映のための証拠映像提供の依頼があったのは、セッション後1年経ってからのことです。

①応答型真性異言のような学んでいない「技能」であっても、超能力で獲得できる能力者を発見すること。100年余に渡る生まれ変わり研究において、そのような超能力者は発見されていないのです。

②応答型真性異言という超常現象を、生まれ変わり仮説以外で説明のできる新たな仮説とその検証がされること。現行唯物論科学において、こうした努力がされているとは思えません。

そして、現時点で①②のようなまともな反証はなされておりません。

こうして唯物論に真っ向から対立するので、その陣営は、応答型真性異言現象を目の仇にして非論理的で感情的な反発をするか、事実を無視するかのいずれかの態度をとるしかないのです。

反証可能性に開かれているというのに残念なことです。

稲垣 勝巳 さんのコメント...

上記の私の見解について、次のようなコメントをいただいています。

生まれ変わりについてのイアン・スティーウ゛ンソンの事例の収集・分析や稲垣先生の退行催眠によって呼び出された過去世人格による応答型真正異言などの研究は、いわゆる反証可能性を念頭においた、十分に「科学的手法」に則ったものと言えると思います。

しかし、いわゆる霊界通信やチャネリングなどでもたらされる情報や情報の発信者について、その詳細な身元を明らかにすることはかならずしも必要とは思いませんが、少なくとも、情報の真正さや情報源が真に高度に成長・発達を遂げた霊的存在なのかについての、厳密かつ、厳正な「科学的手法」による、分析・考察はほとんど行われていないのではないでしょうか?

スピリチュアリズムの歴史において、交差や飛び入りなどの例がわずかに記録されているのみであるとわたしは記憶します。


また、世界的なベストセラー作家のコリン・ウィルソンはチャネリング、いわゆる霊界通信を論じて、「まるで日曜礼拝で教会に集まった信者に聞かせるたわごと」のようなものであると、痛烈に批判しています。

ウィルソンがそのような主張をしたのは、おそらく、いわゆる霊界通信のほとんど大多数が、その真偽のほどを判別しようがない、実証性や反証性に開かれていないところからきたのだろうと思います。
おそらく、ウィルソンは霊界通信と称するものの大部分に高度な知性のみが発することのできる情報が含まれていないことを念頭に置いていたふしがあるとわたしは思います。

ウィルソンは、実証も反証もできない、だれのものとも知れぬご託宣を有り難がって金科玉条のごとく崇め奉る態度に知的怠慢さを看取したのではないでしょうか?

「ラタラジュー」や「タエ」の事例において著者は批判を念頭において、きわめて慎重で周到な実証作業をしておられます。

一方、いわゆる霊界通信について、そのような批判に堪えるうるような検討や調査が行わたことを、わずかにスピリチュアリズムの草創メンバーのひとりが死後、複数の霊媒に分割して霊界から通信してきたという事例を除けば、寡聞にしてわたしは知りません。
たとえば、稲垣先生がM子さんを通してもたらされた霊界通信とおぼしきものに加えられた、慎重な考察は別にしてですが。

かくして、だれそれがかくのたまわったからということを、それのみを根拠にあたかも実証された事実であるかのように自ら信じ、他に向かって公言する人たちが増殖しつつあるようです。

彼らが主張しているのは、彼らの単なる信仰の表明であり、それ以上のものではないとわたしは思います。

ま、人はだれでも信じたいことを信じたいように信じれば良いのであって、他人の信念や信条にケチをつける必要はまったくありません。たとえそれがどんなものであろうと。

ですが、スティーウ゛ンソンや稲垣先生がなさった実証的研究の価値は、そういった単なる信仰の表明とは次元を異にするものだと思います。

スピリチュアリズムやそれから派生した死後生存仮説の実証研究は着々と実績を上げて今日に至りました。そして、いまや新たな局面を迎えているのかも知れません。スピリチュアルな世界に存在する、霊的実在者との交信が少なくとも人類の知的レベルの欲求を満たす程度に、あるいは、人類のもっともやかましい批判に堪える程度に高度な内容を含むものに、進化・深化するのではないか?とわたしは期待と希望をもっているんですが、どんなもんですかねぇ……

Unknown さんのコメント...

 では上記の反論に対して、「唯物論的な方」からのご意見を賜りましょうか(笑)

 このブログがかなり参考になるかと思います。

http://openblog.meblog.biz/article/1202921.html
http://www005.upp.so-net.ne.jp/greentree/koizumi/98u_news.htm#robot

 さらに参考になりそうな箇所も引用させていただきますね。

>第3に、はっきり言って、現代の脳科学の水準は、真理に到達していない。むしろ、真理の5%ぐらいしかとらえていない。全然、未熟な学問である。幼稚な人間には、自分の幼稚さがわからないだけだ。(私にははっきりとわかる。残りの95%がどのようなものかは、だいたい見当がつく。論文にするほどまとまってはいないが。)……現在の脳科学の水準は、比喩的に言えば、「元素の周期律表を知らない化学」の段階にすぎない。基礎原理がわかっていないから、全然、見当違いだ。
( ※ ちなみに、「最新の脳科学の成果」というのは、ほとんどが実験結果を勝手に誤解釈したものである。「A(という細胞 or 遺伝子)が欠けると、Bという行動が起こらない。ゆえに、Bという行動を起こすのは、Aである」という論理。気違いじみた論理だ。この論理で言えば、すべての行動を決めるのは、心臓だ、ということになる。……今の脳科学ってのは、このようなエセ科学の段階であるにすぎない。左脳がどうの右脳がどうの、という理屈も、これと同様だ。実験事実そのものは正しいが、実験事実の解釈を根本的に間違えている。)

 引用終わり。

 これで今現在の脳科学の水準がどの程度かわかるでしょう。実際に、このブログ投稿から10年は経過しているとはいえ、内情はサム・パ―ニアが指摘している通り、「脳と意識の因果関係」の立証には全然たどり着いていないわけですから、まず二元論を否定する前に、ご自分らの理論がいかに脆弱であるものか自覚されるべきではないでしょうか(笑)。

 脳が意識の受信装置であるというのは、おそらく「あの世が存在する7つの理由」の著者の意見だと思いますが、肯定派の科学者たちは、まずは現在の前提、すなわち「脳が意識を作り出している」とするものを、完全に否定するわけではないにしろ、別の可能性も探ってみたらどうかといっているのです。脳が受信装置かどうかは話の主流ではなく、まずは前提を疑えと言っているのでしょう。これがわからない頭の固い人たちが多いんですね(笑)。確か2013年に開催された国際臨死体験学会の報告でも、

「これらの現象(臨死体験)は、脳が確かに作り出している可能性もあるが、もっと幅広い可能性を視野に入れて追及するべきだ」

とあることもからも明らかです。なぜか、多分この学会に報告されている事例の多くが、その前提では当てはまらないか、極めて説明が困難になるという事例が多いからでしょう。

 論理学では、当たり前ですが、ある前提を設定して、そのもとに論理を構築していきます。たとえば悪名高いサブプライムを生み出した金融工学でも、「住宅市場は永遠に上昇し続ける」という、今からすれば非常に愚かな前提のもとに構築され、運営されました。ですが、この前提は明らかにおかしいので、つじつまが合わない部分が出てきた。その結果破綻を巻き起こしたのです。つまり、どれだけ論理構成が完璧であったとしても、その前提に問題があれば、必ずつじつまの合わない部分は出てきます。そうなると破綻するのは自明の理です。

 すなわち、我々はまだ脳や意識についてデータ収集の段階であり、肯定派は

>脳が意識の中枢では無いとするなら中枢とされる何かを提示しなければなりません。これは「ある」事の証明なわけですが不思議なことに「ある」と言っている者ですらそれを熱心に研究する事はないならば、なぜ立証出来ていないかをそこまで持ち上げるのか?

と批判しておりますが、それは逆に言えば否定派の方も決定的な因果関係を示せていないということであり、唯物論、二元論ともまだまだ議論の余地を残していて、お互い真理よりも程通り段階にあるというだけの話です。

 否定派が肯定派に対して、

「あるというならそれを示せ、それができないならインチキだ」

というならば、それはそっくりあなた方にも当てはまるというだけの話です。

 さらに上記の人は、「熱心に研究することはないならば」と(たぶん私が言うところの脳と意識の相関関係のことだと思いますが)書いておりますが、私自身は脳の意識のマッピングは大いに進めるべきだと思っております。ただ、それのアプローチの仕方が現在の延長であるというならば、それはどこまで行っても「相関関係にとどまり、因果関係にはなりませんよ」といっているだけです。なぜ「熱心に研究しない」という話が出てくるんでしょうか(笑)。

 さらに言えば、

>引用文を見ましたが脳の奥深くが反応してんなら 脳が生きてるって事ですわ

とありますが、それすらも「因果関係ではない」ということは、私が書いたとおりです。

 結局は、

「脳と意識の因果関係はわからんけど、脳が反応しているんだから、脳が意識を作ってるに違いないんだ!(飛躍してますね)」

というドグマにすぎません。というか、私が再三申し上げているのは、

「脳が生きているか否か」

ではなく、

「脳と意識の因果関係が重要であり、それを実証したものなど誰もいない」

ということなんですが……。

それは、私が紹介した上記2つのブログからすれば、極めて「幼稚な理屈」でしかないということです(笑)さらに言えば、このブログの人はガリガリの唯物論者さんなんですが、その彼から見てもこういう穴があるのでは、まだまだ脳科学も改良の余地はありそうですねえ(笑)。

Unknown さんのコメント...

 すいません、また連続投稿になりますが、一か所読み違えました。

>熱心に研究することはないならば

 これは、

>脳が意識の中枢では無いとするなら中枢とされる何かを提示しなければなりません。

 ここにかかる文章でした。申し訳ない。だが、私が言いたいのは、サム・パーニアの指摘通りならば、唯物論も二元論も、どちらも現段階では決定打に欠ける部分に関する言及や立証は避けているんだよということであり、それは「お互い様ですよ」ということなのです。

「なぜ熱心に研究しないか」という問いかけは、唯物論側にも当てはまることですので、どちらも決め手となる根拠を提示できるほどの段階にはないとしているわけです。

 なので、それを二元論側、あるいはスピリチュアル側にだけ求めるのはフェアではありません。先ほども書いたとおり、まだデータ収集の段階であり、とてもではないが、それの実証まで行くレベルではないということが言えるというだけの話です。

稲垣 勝巳 さんのコメント...

議論が観念的になってきましたので、私が出版している生まれ変わり仮説を実証した2冊の本についての感想を掲載します。
私は何度も述べているように「観念より事実、理屈より実証」に重きを置く催眠療法の実践者です。

(引用はじめ)
わたしは、稲垣先生がお書きになった「前世療法の探究」や「『生まれ変わり』が科学的に証明された!」を読んで、緻密で周到な検証や考証に疑いを差し挟むことができませんでした。同書を虚心に読む限り、真に超常的な現象が起きたのだと結論するしかないと思います。
もちろん、執筆者である稲垣先生が、「でっちあげた」可能性も考えられますが、そのためには、あらかじめ歴史・民俗資料を詳細に調べておいて、被験者である里沙さんと綿密に打ち合わせして、筋書通り演じてもらうしかないでしょう。
ラタラジューのケースでは、「でっちあげる」ためのハードルは飛躍的に増大します。稲垣先生は、ネパールの百年以上も前の、日本人にはその所在さえ知られていない辺境地帯の民族・民俗・歴史・地理・方言などについてあらかじめ詳細に調べておいて、それをもとに筋書を書き。里沙さんと打ち合わせしなければなりません。しかも里沙さんは、ネパールの古語と方言で会話しなくてはならないのです!
ここまで来ると、先生の二冊の著作を読めば、里沙さんを被験者とする応答型真正異言を「でっちあげる」ことなど不可能だと思いますし、書き手である稲垣先生を信じるかどうかが問われるのだろうと思いますが、古来、文は人なり、と言うように、わたしは、稲垣先生の文を読んで、稲垣先生が信じるに足る人物であると思いました。映像をご覧になった方々も、先生の著作を読んでご覧になったほうがよい、と思います。先生は、ご著作の中で条理を尽くして考証しておられ、展開される論理の堅牢さを知ることができるからです。
(引用おわり)

稲垣 勝巳 さんのコメント...

ショウタさん
あなたの今回の投稿は下記※の投稿ガイドラインに抵触していますので削除しました。

※ 本ブログにおける各記事ごとのコメント欄は、各記事ごとに取り上げた話題の探究に資するための議論・意見・感想の場です。
したがって、各記事のテーマから逸脱しているコメント、根拠が提示されない観念的議論などのコメントは、話題の焦点が拡散し、散漫になることを避けるため、投稿されても掲載されないことがありますのでご海容ください。

※ 感情的な誹謗など良識に反すると判断されるコメントは、削除することがあります。

※ コメントの記述の仕方に表記上の不備や論理展開上の不備があり、読み手が理解不能に陥ったり、理解に混乱が生じると判断されるようなコメントは掲載されないことがあります。

ご自分の意見ではなく他人の意見をコピペして投稿し、無益な議論を煽るようなことは今後おやめください。 

Unknown さんのコメント...

 申し訳ありません、稲垣先生。私もいささかやりすぎました。本来は、この記事である「多面体説」に対して意見するべきだったかと反省しております。

 ですが、私の書いている内容自体は、決して本ブログの内容に著しく反しているものではないと思っておりますので、そこのところはご了承願いますか。

 結局、「現在の脳科学は因果関係については語っていない」あとは、ラタラジューの件も含めてですが、現在の脳科学の前提では、「つじつまが合わない」ということを言いたかったのですが、まさかこういう反論が来るとは思ってもいませんでしたので、つい熱くなりすぎました。

 ただ、ショウタさん、なるべくではありますが、あまりあからさまな否定論者の方に私の文章のコピペはしないでほしいですね。私だって専門家ではないんだし、どちらかというとサム・パ―ニアの意見に偏って判断しているところもあるのですから。

 まあ、論理構成は間違ってないとは思うけど。

稲垣 勝巳 さんのコメント...

私が本ブログ管理人として,ショウタさんの記事にクレームをつけたのは、
特に

※ 感情的な誹謗など良識に反すると判断されるコメントは、削除することがあります。

※ コメントの記述の仕方に表記上の不備や論理展開上の不備があり、読み手が理解不能に陥ったり、理解に混乱が生じると判断されるようなコメントは掲載されないことがあります。

の2点において、私の設定している投稿ガイドラインに抵触すると判断したからです。
本ブログの読者コメントを否定論者にコピペして送り、その感情的反応をコピペして本ブログに投稿しておもしろがっていると思われました。
たとえば、否定論者の「そもそも、ネパール語をどれだけ話せたってんでしょうね。私もハイルヒットラーぐらいならドイツ語を学んでなくとも知ってますよ?w」という否定論者のふざけた文言をコピペして投稿してくる行為です。
こうしたショウタさんの行為は、真面目な議論から学ぼうというよりは、2チャンネル的発想にもとづく、当事者性の希薄な、不真面目な、安直な、アジ行為だと判断しました。

私は本ブログ管理人として、こうした行為を笑ってすませるほど寛容ではありません。

ショウタ さんのコメント...

すみませんでした。暴走しすぎていました

去年、今年と祖父母が亡くなり二度と会えないと言う虚しさが続いており肯定派の裏付けに期待しています

そんな中否定派の断定的な発言や肯定派を馬鹿にする発言はとても残念です。しかし理性の気持ちがあり否定派を無視できません

肯定派に否定派の資料を見せる理由は否定派を超える見解を聞きたく、否定派に肯定派を見せる理由は肯定派に移らなくても少しは変わって欲しく

しかし否定派に何言ってもダメでした。向こうが「肯定派は何言っても盲信している」と言うように否定派も何言っても唯物論信仰なんだと思いました

しかし今日科学者の今でしょ番組を見て人工知能問題は肯定派にとって「手ごわいと思います

稲垣 勝巳 さんのコメント...

唯物論的「帰無仮説」か「霊魂仮説」か、つまり、死後は一切ないのか、死後も存続する何か(霊魂)があるのか、の100年余にわたる論争に簡単に決着がつくはずはありません。
私の試みは、催眠下で顕現化する前世人格の語りの徹底的検証を根拠に、唯物論的帰無仮説には穴が開いていますよ、というささやかにして重大な主張です。
その穴を開けたのが「タエの事例」と「ラタラジューの事例」です。
いずれ近いうちにこの生まれ変わりを濃厚に示唆する二つの証拠事例をyou-tubeにアップする予定です。
私の主張する生まれ変わりの証拠を、公正に否定するには、その証拠を示して反論する立証責任が伴います。
そうした公正な態度のとれない感情的否定論者は、「縁無き衆生」というべきで、相手にしようとは思いません。

Unknown さんのコメント...

 まあ心配しなくても、少なくとも我々が生きているうちには人工知能はそこまではいかんので、そのうち「人工知能は完成する」と騒いでいる科学者たちも、そのうち7オオカミ少年扱いされるようになることでしょう。

 人間と同程度というならば、たとえば何らかの物語を書いたりとか感性に訴えるような芸術を生むとか、そういう話になりますが、そこまでは到底いけないでしょうね。少なくとも、私が引用したブログを見る限りにおいては、近未来(それも数百年単位の話)においてその可能性はほとんどないといってもいい。さらに言えば、今の人工知能というのは、昆虫レベルの人工知能を飛び越えて人間並みのものを作り出そうとしているわけですから、踏むべきステップが明らかにおかしいし、土台無理がある話です。

 仮にそのレベルのものを作り出せるのだとしても、おそらく幾多ものブレイクスルーの後になるから、少なくとも数百年単位でどうこうなる代物でもないし、できたとしてもやはりどこか払しょくできない違和感は残るはずです。また、人間側の尊厳というものにもかかわってくる。

 もし人工知能が百歩譲って完成して、それが人間を凌駕するとなった場合、確かに最初のうちは多くの人々が人間理性の勝利をたたえることでしょうが、そのうちそんな存在が多くの人々にとっては疎ましく思えてくるようになる。考えてみれば、自分たちが作り上げたものが、自分たちを超えるというのは、プライドの問題にもかかわってくる話ですから、必ずそういう人工知能を目の敵にする人も大勢出てくるはずです。そして機械に心など認めないと主張する人も大勢出てくるでしょう。まるで鉄腕アトムの中に出てくる話を彷彿とさせる光景ですが(この光景を予見?した手塚治虫は本当に偉大な漫画家だったと言えますが)。

 人工知能の完成が唯物論の勝利のように思う人も多いですが、それもまた違うのですね。なぜなら、それはあくまでも「機械で似たような現象を再現した」というだけの話であり、「だから脳が意識を作り出している」という結論にはならないわけです。やはり、唯物論側が完全な勝利を得るには、「脳が意識を生み出している」ということを実証しなければならないのです。

 考えてみればおかしな話で、結局のところ、

「脳が意識を作っているという前提で、人工知能研究したら「似たようなもの」ができたんだから、だから脳が意識を作っているんだ」

という、実に馬鹿馬鹿しい論理を展開しているにすぎません。本当に「脳が意識を作り出している」というならば、わざわざ人工知能なんて手間のかかるものを作らんでも、素直にそれを実証すればいいわけです。それができないものだから、こういう手間のかかることをやって、それで脳と意識の説明の代わりとしようとしているのでしょう。これは「機能主義」と呼ばれるものです(もちろんそういうロボット導入による経済効果目当てや労働の代替案としての人工知能というのが一番大きな理由でしょうが)。

 ただ、現在では稲垣先生の応答型真性異言の例にしかり、またイアン・スティーブンソンの研究を引き継いだジム・タッカー研究室にしかり、また国際臨死体験学会にしかり、今の前提ではどうやっても説明が困難な事例は、ネットの発達もあってだいぶ集まっては来ています。それが無視できないほどの情報量であれば、科学者たちも見方を変えるかもしれない。まだ今は情報収集の段階であり、それがある一定量までに達した時、それらが「本当に未知の事例なのか」を検証する段階に入るはずです。確かにインチキや勘違い、思い込みの類も多いのがこの分野ですが、それが本当に「未知の現象」で、しかも無視できないものが増えてくれば、やはりそれを補完する形での前提や論理構成をしなければならなくなります。もしかしたら、意外とスピリチュアルな分野から、人工知能に生かせるものもあるかもしれない。そうすれば、人々のスピリチュアルなものに対する見方もかなり変わってくるでしょう。

 応答型真性異言ですが、実際には催眠の導入の仕方やそれを話し出す条件など、我々がまだ把握していないところが多いというだけで、より確実にそういったものを引き出せる方法論が将来見出せれば、「前世の言葉を語る被験者」の数も圧倒的に増えてくるかもしれません。そのとっかかりが稲垣先生の研究にあるのではと期待はしているのですが……(まあ、これは私ある程度本気に望んでいることですが)。

 その方法論がわかり、なおかつ「前世の言葉をより明瞭に語る人」の存在が増え、さらにそれが史実と照らし合わせてさほど矛盾がないという事例が増えてくれば、だんだん輪廻に対する見方も変わってくるのではないかと、ひそかに期待してたりしてます(笑)。

シュヴァル さんのコメント...

私も先生の意見と同じです。
上のコピペは全く科学的根拠ありませんし
それを持って否定派がかわらないといわれても意味があるように思えません

生まれ変わりについて肯定的な実証がほしいのであれば、私は先生のセッションを受けることをお勧めします。感情的な否定派を
転向させたところで実証にはならないと思いますよ。

稲垣 勝巳 さんのコメント...

生まれ変わりなど絶対に認めたくない人は、生まれ変わりを否定する証拠をもって反論する以外に方法はありません。
生まれ変わりを裏付ける証拠のように重大な問題の場合、完璧なもの以外は証拠として受け入れられないと言われるのであれば、先駆者 スティーヴンソンに倣って、この問題が重要であるからこそ、不完全なものであろうが可能性を示す証拠については科学として検討をするべきだ、と答えたいと思います。
細部が不正確・不明であるという欠点よりは、重要なことについて確実なことを示す事実にこそ意味があると考えているからです。そして、こうした探究が決して無駄であるとは思われません。
私の現在の見解は、その証拠を根拠に生まれ変わりを認めることが自然ではないかと考えられるだけの証拠が、これまでの海外の諸研究によって蓄積されていると思っています。
しかしながら、これらの証拠は現段階ではまだ完璧なものではないので、誰もが完全に納得出来るだけの説得力に欠けることも、認めざるをえません。
「タエの事例」のタエ、「ラタラジューの事例」のラタラジューは、検証によって、その実在がきわめて濃厚な状況証拠が固まっていると判断していますが、当人実在の文字記録が発見できませんでした。イアン・スティーブンソンの発表している3つの事例でも同様です。
生まれ変わりを信じる者には十分な証拠、しかし懐疑的な者にはあいまいさが残っているような証拠で終わってしまう。こうした100%の証拠を求めて苦闘しても最後のところで挫折してしまう事態に陥ることをW・ジェームズは「挫折の法則」が働くのだと看破しています。
この点について質問したところ、私あて霊信の回答は、以下のように答えています。
【霊信回答】 
挫折の法則ではない。あなた方の核となる意識体、そして神の計画があなた方が進むための原動力を与えているのだと理解しなさい。あなた方は、自らの持つ信仰を育てるのだ。

ショウタ さんのコメント...

ボクはラタラジューの事例に懐疑的に考えようと思います

明日NHKの「あさイチ」で超常現象について取り上げ、虫の知らせについてもやるみたいですがあらすじを見ると菊池聡さんも出るみたいです

菊池聡さんについて調べたら虫の知らせも現在では科学で説明つくみたいです

結局は人間の脳には未知の力があり無意識に未知の力が発揮することがあり生まれ変わりなど幽霊など言うのではないでしょうか?

ラタラジューの事例を作り話やでっち上げとは言いませんが無意識に発揮された脳の領域なのではないかと思いますがどう思いますか?


稲垣さんの研究は期待していますが肯定的に研究ではなく唯物論の合理的に解明される目的の方がいいのではないかと思います

内心は生まれ変わりや霊魂説を応援したいですが主流派のメディアを見たらスピリチュアルは思考停止に思えてしまいす

稲垣 勝巳 さんのコメント...

ラタラジューの事例」の生まれ変わりの研究史に占める重要性は、応答型真性異言という超常現象であるからです。
それは、現在分かっている限りの「心の力(脳の力)」では説明不可能な現象です。
あなたはスティーヴンソンの「前世の言葉を話す人々」春秋社、をきちんと読んでいますか?
ラタラジューのネパール語会話が、人間の脳のどのような未知の力によってどのように説明できますか? 脳の未知の能力によって、学んでいない言語の会話能力が獲得できるという実証ができたとしたら、私は潔く生まれ変わりなどないのだ、と認めるでありましょう。
同様にティーヴンソンの上記著作で公表している2つの応答型真性異言も「脳の未知の力」で説明できることになり、生まれ変わり仮説は否定されることになるでしょう。

あなたは少なくとも笠原敏雄『超心理学入門』講談社学術文庫、を読んででおいでになるとは思えません。読んでおいでになれば、軽々に「脳の未知の力」などを持ち出して、応答型真性異言が説明可能だなどと考えることはないはずだと思われます。

ショウタ さんのコメント...

確かに全てが説明つかないのもあるのも事実だとわかっているなら何故これらの事例が主流にならず前世の記憶も主流では過去の記憶や無意識の情報の虚偽記憶と言われているのでしょうか?

今日のNHK『あさイチ』でも人は無意識に耳から情報を手に入れて自分でも耳にしたこと知らなかったり何か変わったことあったり同じタイミングで不幸があると二つの出来事を同時に結び付ける傾向があると言っていました

それを聞いたら臨死体験の知りえない情報や前世の記憶も無意識に情報を得たや後からの結び説に説明がつきそうな気がします

学んだことないとは自分は思っていても街や電車の中の人々の会話を無意識に耳にしてしまったり史実もそれにそっくりの出来事を結び付けてしまったという考えはどう思いますか?

ショウタ さんのコメント...

あっそれでも「会話ができる」の謎が説明できませんね

自ら学んでも会話は慣れないと自然な会話ができないのに無意識はそれまでもないですね                                   

迷子 さんのコメント...

 稲垣先生こんにちは、

 少し気になったので笠原氏のHPで確認したのですが、笠原敏雄氏が出版している本は講談社学術文庫ではなく講談社+α文庫からで、題名は『超心理学入門』ではなく『超心理学読本』ではないでしょうか?

http://www.02.246.ne.jp/~kasahara/publications.html


 ショウタさん、前から気になっていたのですが、笠原氏のHPにあるスティーヴンソンの研究への批判についてhttp://www.02.246.ne.jp/~kasahara/psycho/discussion_of_reviews2.html

において、質問者の方は、貴方ですか?行動パターンがなんとなく似ている気がしてならないんですよ。

とりあえず以前にもあげていますが笠原敏雄氏のHP『心の研究室』http://www.02.246.ne.jp/~kasahara/を稲垣先生が紹介された本共々熟読してください。お願いします。
それと「生まれ変わりの刻印」も目を通して
おくと好いでしょう技能の他にも身体的な特徴・欠損等お引き継がれるようです。

Unknown さんのコメント...

 そもそもESPですら、まだあるかないか決着がついていないのに、自分が会得したことのない言語で会話する能力となると、かなり無理があるでしょうね。それこそ超ESPみたいな説が出てきますが、それも生まれ変わりの記憶を説明するのには不十分であるということは、その手の識者が何度も指摘していることです。超ESPについては以前の記事で稲垣先生がその問題点を指摘されていたことでもありますよ。

 仮に、おっしゃる通り脳にまだ知られていない領域があり、その部分によって自分が知りもしない言語を何ら学習せずに話せるというなら、それだけでも現在の脳科学をかなりゆるがせる事態になると思いますよ。

 当たり前ですが、コンピュータに例えるなら、本来インプットされていない情報を、まったく現在の理論上にない方法で取得して、しかも会話したことになるわけですから、少なくとも現在のプログラミングを超えた概念になってしまいます。仮に唯物論で説明できるとしても、これ一つだけでもかなり今の科学の根底が覆されることでしょう。

 さらに言えば、再三私が指摘していることですが、仮に脳にそのような機能を持った未知の領域があるとしても、現在の脳科学のアプローチの仕方が一緒ならば、それはどこまで行っても「対応関係」にとどまるだけであり、稲垣先生がおっしゃるような「実証」や私がいう「因果関係」まではまず行くことはできないでしょう。

「前世の言葉を語っている被験者の脳をCTスキャンしました。そうしたら脳のこの部分が反応してました。だから前世の記憶はこの部分が作り出しているんです」

という従来通りの説明にしかなりませんので、到底「因果関係」には行けません。多分、脳をスキャンしたり、FMRIで観測したりするなら、臨死体験よりもやりやすいかと思います。催眠中の被験者を機械で直接観測すれば済む話ですし。外側からではどういう意識状態かもわからない臨死体験時よりははるかに観測しやすいんじゃないでしょうかね。

 第一、そういった「脳がその部分の現象を司っている(あるいは生み出している)」ことを実証したいのあれば、何も「応答型真性異言」などという極めて特殊で超常現象まがいな部分でやらんでも、普通に我々がいつも行っている行動部分から実証していけばいいのです。そのほうが簡単でしょう。しかし、現状ではそれすらもできていないでしょう。

 要するに、ショウタさんの意見ははっきり言えば「なんとでもいえる」ものなのです。要は、肝心な部分は今は確かに実証できないんだけども、いずれは未知の部分が明らかになって解明されるはずなんだと、こんな言い分は、はっきり言えば科学者でなくても、だれでも言おうとすればいえる程度の話なんですよ。根拠も特になくね。だから、はっきり言えば科学者や唯物論者たちのある意味信念というか、信仰に過ぎないですね。なんなら、私でも言おうとすれば言えますよ。

「応答型真性異言は、今はまだ脳の機能が明らかになっていない部分が多いだけで、いずれはこの現象を司っている個所やメカニズムが解明されるはずなんだ」

とね。

 ついでに参考になりそうなブログでも載せておきましょうか。

http://hado-life.cocolog-nifty.com/lovethanks/2009/01/post-dac3.html

 さらに引用しましょうか。

>意識のハードプロブレムについて簡単に説明しておきます。例えば、「特定の思考や感覚を持った時に、脳などの器官でどのように電気信号や化学反応などが起きるかが判るようになってきた。」これは事実ですが、ここからいきなり結論を飛躍させ「よって意識の仕組みは全て判ったのだ」という主張をする人が居ます。

 今、科学で判っていることは「ある特定の認識の時に、それらはどのような化学的反応が起きるか、どのような電流パターンが起きているか」という「単純な状態の観察」にしか過ぎないものであり、特に特定の刺激が見られないのに、特定の思考や感情が浮き上がってきたりするという理由については全く解明されていないのです。

 また、目で見た赤い色をなぜ赤と認識するのか(クオリア)の問題など、なぜ主観的な意識体験が生まれるのかなど、脳や意識の働きの複雑なものに関しては全くと言っていいほど解明されていないというばかりでなく、どうやって科学で扱うべきなのかという土台すらまだ出来上がっていない状態だと言われています。これらを総称して、意識のハード(難しい)プロブレム(問題)とされています。

 ですから、意識や思考は脳内で完結している等という証拠など何もありません。

 引用終わり。

 まあ、この人風に言えば、仮に応答型真性異言に関わっている未知の領域が存在して、その場所が明らかとなったにせよ、

>「ある特定の認識の時に、それらはどのような化学的反応が起きるか、どのような電流パターンが起きているか」という「単純な状態の観察」にしか過ぎないもの

でしかないということです。

稲垣 勝巳 さんのコメント...

迷子さんの「笠原敏雄氏が出版している本は講談社学術文庫ではなく講談社+α文庫からで、題名は『超心理学入門』ではなく『超心理学読本』ではないでしょうか?」というご指摘はそのとおりです。私の勘違いでした。ご指摘に感謝いたします。

ショウタさん
「学んだことないとは自分は思っていても街や電車の中の人々の会話を無意識に耳にしてしまったり史実もそれにそっくりの出来事を結び付けてしまったという考えはどう思いますか?」という質問については、前世の記憶とされるものが「潜在記憶」で説明可能だという主張のことでしょう。
はっきり申し上げますと、あなたは拙著『前世療法の探究』を読んでいないからこのような初歩的な質問をされていると判断しました。
およそ、きちんと先行研究を学んでいれば、「潜在記憶仮説」を検討しないで拙著を書いたりしません。私は「タエの事例」でタエの語りの内容は潜在記憶では到底説明できないという実証を事細かに述べています。
そして、このコメント欄で目下話題にしているのは前世の記憶ではなく、応答型真性異言が唯物論で、たとえば潜在記憶仮説で説明可能であるかどうかです。それがまず不可能であることを拙著『生まれ変わりが科学的に証明された』ナチュラルスピリット社、で詳細に述べてあります。
2冊の拙著を読んでなお、潜在記憶仮説で説明できると反論されるのなら、その根拠を具体的に示して立証されるべきではありませんか。
「脳の未知の力」など持ち出すのは科学的思考を放棄した知的怠慢というほかないと私は思います。超ESP仮説よりたちの悪い妄言でしょう。

Unknown さんのコメント...

 迷子さんへ

 もしイアン・スティーブンソン批判への質問者が、ショウタさんならば、多分ショウタさんの行動は、この考え方によるものではないかと。

>肯定派に否定派の資料を見せる理由は否定派を超える見解を聞きたく、否定派に肯定派を見せる理由は肯定派に移らなくても少しは変わって欲しく

 まあショウタさんが否定派ならば、単に否定派に我々の意見を見せることで、否定派の意見を引き出してこちら側がいかに根拠薄弱かを世間に知らしめようとしているとも見えるが、もし上記のコピー部分が彼の真意だとするならば、我々がより否定派を超えるような根拠や論理展開を示してほしいという期待の表れとも取れますが(もし本当にそうならね)。

 ただ、今無意識と虫の知らせについての見解も見ましたが、それはあくまでも「唯物論側から解釈すればそのようになる」というだけの話であって、それすら「証明」にはならないということなんです。解釈は、唯物論側だけでなく、二元論側からも可能です。ただ、今のところは、唯物論側が推測を交えつつも見解を出しているというだけの話であって、ある結論に対して、2つの立場があれば、当然2通りの解釈ができるし、もちろん立場がほかにもあれば、ほかの解釈も可能というだけです。そして今のところ、「唯物論的解釈」が「一応合理的である」とされているだけで、そこには何ら証明は伴っておりません。社会情勢や、今後の科学の在り方次第では、たとえば数十年後、唯物論よりも二元論のほうが無理なく解釈できるとされる可能性もあるわけです。

 ある超常現象(超能力でもいい)があって、それがインチキかどうかを確認するために、たとえば奇術師などの力を借りて、その状況を再現する。要するに奇術で「似たような(人工知能のときにも書きましたが)状況」を再現したから、これは超常現象ではない(インチキだ)」という説明が、否定派のやり方なんですが、これでは単に「似たような現象を別な手段で再現しましたよ(人工知能も同じで、「脳が意識を作っている」という前提で開発を進めていったら、なんか似たような意識みたいなのを持ったロボットができたから、意識は脳の産物だ」みたいな論理とほぼ同じなんですね。こういう不毛な争いがいまだに続いているのですが……。

 いずれにしろショウタさんの真意が今ひっとつつかめませんが、単に否定派に有利にしたいのなら、これから先は、あまり建設的な議論にはなりそうにないので、私はコメントを控えるし、逆に否定派を打ち負かしたいからこちら側からより合理的な見解を無理にでも引き出したいというのであれば、それは「現状では科学が未熟である以上無理である」というしかありませんね。何度も言いますが、今はまだ情報収集の段階であり、とてもではないが、唯物論、二元論ともに真理には到底及ばない段階です。いや、この2つの理論以外にも、まだまだ結論にたどり着ける可能性があるものなど存在しない。したがってないものねだりです。
 
 というか、あなたの意見はいつも他人の意見ばかりですねえ、ショウタさん。ご自分の意見というのが、あまり見られないんですよ。なんか他人の意見ばかり気にしているというか。いや、私も他人の意見ばかりといわれればそうなんですが、そんなに他人が気になりますか?自分と同じ考えを他人もしてくれないと気が済みませんか?なんか、あなたの書き込みの仕方や書いている文章のくせを見ていると、そういった部分が見え隠れして、こちらもいい加減辟易しているんですが……。

 まあ私も偉そうなことを言える立場ではないですけどね。ここの管理者である稲垣先生が判断されることではありますが。

 誹謗中傷するつもりはないが、もう少し落ち着いて書かれた方がいいのではないでしょうか?

シュヴァル さんのコメント...

どうも読んでいておもうのですが
ショウタさんはネットしか見ておられないんじゃないでしょうか?

さかのぼっても否定派のコピペも特に研究者の意見ではなかったようでしたし。

私は先生のところに行くまでに少なくとも先生の著書、二冊は読ませていただきました。

私は、先生はむやみに肯定されず、棄却されるであろう仮説はかなりの部分検証されています。議論をお望みであれば、少なくとも最低限相手の主張を理解してから行うのが礼儀かと思いますよ。どうも2ch的なものを議論と思っているように感じてしまいます。

稲垣 勝巳 さんのコメント...

ショウタさん
あなたの8月17日のコメントの
「(ラタラジューの事例が)何故これだけ凄いなら大きく認められないのか」という質問について、私の見解を述べていませんので、ここで補足しておきます。
この事例は、2010年8月にテレビ番組「奇跡体験アンビリバボー」によって60分にわたって放映されています。視聴率は13%だったと番組ディレクターから報告を受けています。
また、真性異言研究チームの一員である末武信宏医学博士のもとに、番組を視聴した彼の関係する大学の医学部教授から「生まれ変わりの科学的研究史上のすばらしい成果である」という賞賛の感想が届いています。
すくなくともアンビリというメディアは大きく取り上げています。
でなければ、一つの事例にゴールデンタイムの60分を割いて放映するなどは、ありえないそうです。
私は数回にわたって制作ディレクターやスタッフと打ち合わせしていますが、彼らは応答型真性異言の貴重性、重大性を的確に理解し、きわめて衝撃の大きい生まれ変わりの科学的証拠として認めていました。
こうした事実があっても「(ラタラジューの事例が)大きく認められない」と判断されているのでしょうか。
また、「タエの事例」を検証した拙著『前世療法の探究』は、2006年7月に共同通信社が本社で取材してくれ、全国の地方新聞の7月24日の「人物点描」というコラムに私の写真入りで配信しています。さらに10月には「タエの事例」をアンビリが25分間放映しています。
私の本にしている生まれ変わりの事例を、虚心坦懐に検討してくださる方は正当に評価しておいでになるのです。
その数は、まだまだ多いとは言いませんが。

ショウタ さんのコメント...

ラタラジューの事例のアンビリバボーをリアルタイムで見たことあります。それでラタラジューの事例を知りました

質問の「(ラタラジューの事例が)何故これだけ凄いなら大きく認められないのか」については本当に凄いなら何故『アンビリバボー』みたいなバラエティー、ワイドショー系番組で取り上げられて真面目な一昨日のNHKの『あさイチ』みたいな番組、それ以外のNHK経由の超常現象を科学で検証する番組やその他『スッキリ』『めざましテレビ』などの朝の情報番組のニュースにはならいなのか?という事です

脳神経外科のエベン・アレグザンダー医師の臨死体験の事例もそうですけど日本のメディアだって『世界まるまるみえ』『アンビリバボー』『世界仰天ニュース』系のバラエティー、ワイドショー系番組では臨死体験や生まれ変わりそれ以外の心霊現象を肯定的に取り上げられるがそれ以外の真面目なニュースや話では取り上げられない点がまだメディアからもオカルトの類で扱われてるのかなと思います

ボクも稲垣さんのブログや矢作医師やエベン医師の著書を読んで思いますが真面目な臨死体験、生まれ変わり研究とそこらのオカルトと一緒にしないで欲しいと思いました。

NHKは茂木健一郎や菊池聡みたいな懐疑派ばかり出てきて心霊現象を唯物論的に解釈するのが主流になっています

迷子 さんのコメント...

皆さんこんにちは、お役に立ててうれしいです。

 ショウタさん、メディアの超常現象の取り扱いについての分析は、

『超心理学 封印された超常現象の科学』 石川幹人著 紀伊國屋書店 が良いでしょう。

Amazonnレヴューでも私は迷子の名前で書いてます。

 イアン・スティーブンソンの現地調査に同行したジャーナリストのトム・シュローダー著『前世を覚えている子どもたち』を目を通しておくとよいでしょう。

Unknown さんのコメント...

 ショウタさんへ

 別に今のところバラエティーなどで取り上げられるくらいでもいいんじゃないですか。まだまだこの分野の研究は始まったばかりで、とてもではないが、主流派にとってかわれるほどのレベルには達していないんだし、逆に未熟な段階で大々的に取り上げられたとしても、結局はまずい結果に終わりそうです。
 
 なぜ主流派のメディアや番組に取り上げられないのかは、「まだそこまでの段階には達していないからだ」くらいに思っていればいんじゃないでしょうか。

 私も今の唯物論的(刹那的)死生観には疑問を抱いている人間ですが、かといってこだわりすぎるのもどうかと思いますよ。

稲垣 勝巳 さんのコメント...

拙著『前世療法の探究』の編集者のT氏は、次のように私の進むべき方向を教示してくださっています。


前世療法が含意している「前世」、つまり「死後存続仮説」は、今の科学(医学や臨床心理学や人文科学を含む)が標榜している「唯物論」とは鋭く対立します。これに対して、前世療法(ないし死後存続仮説)を擁護する側としては、どのように対応すべきなのでしょうか。
いくつかの戦略をあげてみます。

①実証事例をなんとかして集め、それを積み上げる。
これまで120年に及ぶサイキカル・リサーチ(心霊研究)及び超心理学はこの闘争でしたが、これは実に困難な闘いでした。唯物論側は様々な誹謗や奇説(超ESP仮説)を繰り出して、それらの信憑性を否定してきました。また反唯物論的現象の希少性や「とらえにくさ問題」もあって、戦果ははかばかしくありません。
こうした歴史については、笠原敏雄編著『サイの戦場』や同氏のホームページ「心の研究室」、明治大学教授石川幹人氏のサイト「メタ超心理学研究室」http://www.kisc.meiji.ac.jp/~metapsi/などをぜひ参照してください。
この道で最もめざましい成果を上げたのは、イアン・スティーヴンソンの研究でしょう。彼は厖大な時間と手間をかけて、2000に及ぶ信憑性の高い再生事例を収集したのみならず、否定論者の最後の砦、「超ESP仮説」を棄却しうる「真性異言」や「前世記憶と一致する先天性刻印birthmarks)」の事例をもつきとめ、死後存続説の擁護に大きく貢献しました。(このことの簡単な説明は、東京スピリチュアリズム・ラボラトリーのホームページ、http://www.k5.dion.ne.jp/~spiritlb/3-3.htmlを参照してください。)
ところが、こうした実証に対して、唯物論体制は、「無視」という態度で応戦しています。スティーヴンソンは、4巻にわたる精緻な研究書『再生と生物学』が、広く注目を集めなかったことに失望していたと言います。死後存続否定論者が、彼の研究をきちんと読んだ後に批判をしているという例は、皆無だと思います。
なお、この立場で戦う研究者は、だいたい死後存続仮説を「受け入れている」とは表明しません。そう表明するだけで、信憑性が疑われると思われてしまうのです(実はこれは奇妙な話で、例えば宇宙の暗黒物質に関する研究では、当人がそれを信じているかどうかは問題にされません。反唯物論現象のみこうした要求があるのです)。

②唯物論や実証主義の論拠自体が絶対ではないことを論証する
実は、唯物論や科学や実証主義自体、絶対完璧の基盤を持っているわけではありません。唯物論自体は憶説に過ぎませんし、実証主義、数理論理主義、基礎物理学なども、つきつめていくと、様々な論証不能性の壁にぶち当たります。また、科学や医学などを作り上げている知識のある部分は、「欺瞞」や「思い込み」や「政治性」などに汚染されています。一般の人はもちろん、正当科学に従事する人の多くも、こうした議論を知りませんが、現代哲学や物理学の先端では、「実証」という概念も成立しなくなってきているのです。
こういった議論は、しばしば難解ですが、案外楽しいものです。『七つの科学事件ファイル』『背信の科学者たち』といった暴露書、渡辺幹雄『リチャード・ローティ』などの現代哲学ものなど、エキサイティングな本もたくさんあります。

③権威からの白眼視などどこ吹く風で、やることをやる
へたをすると、狂信家、頭の不自由な?オカルティストと変わらなくなってしまう危険性があります。当人の知性、人格、(論争史など)学史的知識などが、きびしく問われることになるでしょう。

④大衆の支持に訴える
アカデミズムの権威などに関係なく、唯物論信仰に深く汚染されていない、多くの“一般大衆”(こういう表現は反発を買うでしょうが、あえてこう表現しておきます)は、反唯物論的現象への拒否反応も少ないようです。むしろ、「ニューエイジ」の流行や、「何たらの泉」現象に見られるように、唯物論の支配を脱しようとする動きは、ますます大きくなっているようにも思われます(疑わしい部分もありますが)。アカデミズムの威光の衰退も、かなり顕著になってきているような気配もあります。ひょっとしたら、ニューエイジャーの言うように、人類は意識革命をしつつあるのかもしれません。ともあれ、そうした動きと連動する道を探るという戦略です。
ただし、③と同じく、へたをすると「怪しいオカルティスト」と変わらなくなるでしょう。

前世療法を擁護したい人、特に実践者は、①の立場をある程度は保持してもらいたいと願う次第です(現実にはめったに実証性のあるデータは出てこないかもしれませんが)。しかし、③や④の戦略もまた「あり」かなとも思います。
特に言いたいことは、③の道において、稲垣さんのように「死後存続仮説を受け入れる」という表明は、サイキカル・リサーチや超心理学、特にスティーヴンソンの研究が蓄積されている現在、まったく「理性を疑われる」ようなものではなくなっているのではないかということです。つまり、ちゃんと勉強すれば、論拠は十分にあるよ、と言えるようになるはずだと思います。逆に、態度を留保しているような表現を重ねている(あるいは人生論ないし思想という安全枠に逃げている)一部の「前世物書き」(しかも実証の努力もしていない人々)は、不徹底なのではないかと思います(まあ、職を失うのは誰でもこわいものでしょうが)。

また、④の道を探れば、「何でもあり」でやってみる、前世想起体験をしてみたい人にどんどんやってあげて、納得する人が少しでも増えれば0K(こういう表現は少し不埒ですね)というのもありかな、などと思う次第です。

長くなってすみません。ご意見・ご批判をお待ちしております。
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このブログも上記4つの戦略に基づいて書いています。