2014年7月23日水曜日

SAM催眠学序説 その15

SAM催眠学の「魂の内層(核)仮説」


SAM前世療法は、魂の実在とその二層構造を作業仮説にしています。

「魂の表層」は前世の諸人格たちで構成されていることは、これまでの実践から確かめられてきました。 

表層の前世の者たちは、互いの人生で獲得した知恵を分 かち合い、「魂の表層」全体の集合的意識が進化・成長へと向かうという仕組みになっていると、私あて霊信は告げています。

その「魂の表層」から呼び出した前世人格ラタラジューが、応答型真性異言を話したことで、「表層は前世諸人格から構成されている」という作業仮説は実証できたと思っています。

前世諸人格は、今も、「自分の生きた当時の感情を抱いて、意識体として今も生きている、そして、互いの人生の知恵を分かち合い、苦脳・苦痛を現世のものに訴えている」ということが、クライアントに顕現化する前世諸人格の語りから分かってきました。


問題は、「魂の内層(核)」とはいったいどんな構造になっているかです。
この数年間、顕現化した前世人格に、内層のことを尋ねる作業をおこなって探ってきましたが、前世人格は、内層のあることが分かる、とまでは回答しますが、それ以上のことは答えていません。

今のところ、「魂の内層」について考察することは、私あて霊信に頼るしかありません。

そもそも、SAM前世療法の骨格である諸作業仮説は、霊信にもとづいているからです。

私にとって、霊信の恩恵は計り知れません。

そして、何度も霊信を読み返すうちに、徐々に、やっと「魂の内層」の輪郭が浮かんできました。

私あて霊信は、次のように告げています。


①魂のはじまりは、ある「意識」から生じるものである。

②その「意識」をあらわす言葉は、「意識体」とあらわすことでしか表現できない。

③魂は転生するもの、「意識体」は転生をしないものである。

④転生する必要がある「意識体」と、しない必要がある「意識体」はつながりをもち、お互いが学びを得あう関係である。

⑤あなた方の魂の核となる「意識体」が・・・

⑥魂の表層部分により包まれるのは「意識体」である。

⑦内層にある「意識体」はあるがままに完全性を保つものである。

以上は第12・13・14霊信で使われている「意識体」の用語法です。
第12・13霊信は「稲垣の祖父の守護霊とつながりをもつ霊」、第14霊信は「ケイシー霊」を名乗っています。

さて、二つの霊の「意識体」の用語法にはズレがあります。

①②③④で言う「意識体」は、転生の旅をする魂とは別に、霊界に存在する「意識体」を指していると思われます。

⑤⑥⑦の「意識体」は、転生する魂の核・内層を指していると思われます。

守護霊団からの霊信が、でたらめを告げていないとすれば、前者の「意識体」と後者の「意識体」は、同じものを指しているということになります。

つまり、霊界に存在する転生をしない「意識体」と同じもの、あるいは相同のものが、ペアとして、あるいは分身として、転生する魂の内層にも存在するということです。

霊信受信者M子さんは、「類魂」という言葉を知りません。
したがって、通信霊は「類魂」という言葉をM子さんの語彙から用いることができず、「あ る意識」、「意識体」と表現するしかなかったと推測することは可能です。
大胆にそう解釈すると、「意識体」とは「類魂」のことである、ということです。

結論を言うと、魂の内層は、「類魂」ないし「類魂」と相同のものから構成されているということになります。
そして、霊界の類魂と、魂内層の類魂は、互いにつながりを持ち、学びを得あう関係にあるということになります。
そのように仮定すれば、ハイヤーセルフ(高次自我)とは、魂内層を構成している「類魂」を意味していると推測することができそうです。

類魂はそこに属する諸魂の地上での経験を学び合っている成長・進化のための一つの共同体(共同的集合意識)と考えられますから、叡智に富む集合意識体であることは容易に想像できます。

ハイヤーセルフとコンタクトするとは、自分の魂内層の類魂全体の意識(集合意識)とコンタクトすることかもしれません。それは、自分の魂の故郷であるところのもの(霊界の類魂)でもあります。

こうして、私は、当面のSAM前世療法の作業仮説として、「魂の内層は、類魂ないし類魂と相同のものから構成されている」と考えてきました。

このように探究を続けてきたわけは、霊信の常套句が、「これ以上のことを今明かすことは許されない。それはあなたの成長を妨げるからだ。地上のあなたが探 究するべきことだ」と教えてくれないからです。
つまり、重要なヒントは与えた、あとは自力で探究し理解せよ、というのが守護霊団の方針のようです。
した がって、自力で得たものを所有したうえで、その正否を尋ねるということでなければ、答えてもらえないということです。

さて、2012年5月29日におこなった里沙さんへのセッションで、タエ・ラタラジューに続いて、彼女の守護霊の憑依をお願いし、対話のなかで尋ねたことは、次の3点でした。

①魂の内層には、類魂の分身が入っていると考えてよいか。

②魂の自覚状態になると、憑依現象が起こるのはなぜか。

③浄霊作業に般若心経が効力を持つのはなぜか。

そのそれぞれの回答は、私のこれまで探究で推測し得た結論と一致していました。
里沙さんの守護霊の回答の概要は次のようなものでした。


魂の内層は、類魂の分身から成っていると考えてよい。それをハイヤーセルフと呼ぼうと、守護霊と呼ぼうと、それぞれ間違いではない。それぞれ呼び名は自由。魂内層の類魂(分家)は、眠っている間に、その故郷である霊界の類魂(本家)と連絡を取り合い、互いに学び合う関係にある。

催眠深化であらわれる魂の自覚状態とは、霊の次元に並んだということであり、したがって未浄化霊、高級霊を問わず、それら霊的諸存在と接触できるし、憑依も起こるのである。

般若心経は、三次元世界に適用して理解できるものではない。色即是空、空即是色とは、霊界の最初の次元である「幻想界」の消息を説いていると理解しなさい。すなわち、想念がそのまま実体化するというのが幻想界であり、極楽とも呼べる次元である。

未浄化霊は、本来そうした幻想界に行くべきであり、そのことを説得するように般若心経を唱えてあげなさい。それによって浄化され、浄化された未浄化霊が幻想界へと上がれるのだ。
     

おおよそ、以上のような回答を得ることができました。
里沙さんの守護霊は、私に「霊界の消息を伝えることを使命にしている霊界では異例の存在だ」と告げています。
したがって、霊界の情報を必要とする私の求めに応じて、いつでも降りてきます、とも。
そこで、里沙さんに憑依するようにお願いしたということです。

当然ですが、魂の内層構造についての、私の守護霊団の情報、および里沙さん守護霊の情報については実証不能です。

信じるか否か、です。



(その16につづく)








12 件のコメント:

ショウタ さんのコメント...

カールベッカー博士の臨死体験見解

https://www.youtube.com/watch?v=tgguDhv_Arg

VITA ÆTERNA さんのコメント...

こんにちは。もしご存知でしたら、守護霊とされる存在とほぼ確実な形でコミュニケーションを取る方法をご教授いただきたいのですが、そのようなことは可能でしょうか。

稲垣勝巳 さんのコメント...

守護的存在とコンタクトを取る方法としては、スピリチュアリストは清明な部屋で瞑想する方法があると聞いていますが、確実な方法ではないようです。SAM前世療法では、魂状態の自覚に至ったクラアントに守護霊とのコンタクトの時間を5分間程度設けますが、7割くらいのクライアントが何らかの形でコンタクトに成功しています。ただし、ほぼ確実な方法とは言えません。

VITA ÆTERNA さんのコメント...

こんにちは。早々のご回答どうもありがとうございました。

再度の質問で申し訳ありません。守護的存在は守護している人間の運命に積極的に介入し、人生をよりよい方向に導いていくようなことはありますでしょうか。またそれとは反対に、より苦労の多い人生を歩ませるようなこともあるのでしょうか。

稲垣勝巳 さんのコメント...

次の言葉は里沙さんの守護霊と私の対話の、守護霊の語りの一節です。

魂の試練はほとんどが魂の力で乗り越えねばなりません。わたくしたちはただ見守るだけです。導くことはありません。わたくしたちは魂の望みを叶えるために、魂の成長を育てる者です。
霊能力がなくても、あなたに閃くインスピレーションが守護霊からのメッセージです。それがあなたが迷ったときの判断の元になります。

ということのようです。
守護霊に強制力はないようです。また、いったん現世に産まれると、どのように生きるかは魂の主体性にゆだねられると考えることが妥当のようです。成長を求めて真摯に生きることも、無目的に怠惰に生きることも、すべては魂の選択に任されているようです。だからこそ数百回もの生まれ変わりがあると思われます。おそらく、その半分以上の生まれ変わりは、魂の成長に資することのない生まれ変わりだと考えられます。

ショウタ さんのコメント...

否定派の生まれ変わりや臨死体験の言い分

脳はダメージにより記憶が飛んだり前後すると言います。それを医師や研究者は全く触れてないのも疑問です。それに脳も心臓も止まれば、どこで記憶するのかすら回答が無い。後から見た夢と考える方が自然なのではと思い質問しました。お付き合いして頂き感謝です。

VITA ÆTERNA さんのコメント...

こんにちは。この度もご回答どうもありがとうございました。

守護的存在は守護する人間を導くことはなく見守るのみであるということでしたが、私が前世療法を行った際は、守護霊とみられる存在から「今後の人生で金銭的に困るようなことはない」というものや、「自動車に気をつけるように」というものなど、かなり詳細なアドバイスを頂いております。ある意味導きとも取れるような内容だと思うのですが、このような事例はあまり例のないものなのでしょうか。
実際に私は療法を受けたしばらく後、横断歩道を通行中に右折してきた自動車に巻き込まれそうになった経験があるのですが、助言を頭の隅に入れておいたおかげか、その時は事故を間一髪で避けることができました。しかしながら事故に遭いそうになったことは偶然で、守護的存在は自分の願望が反映された架空のものである可能性があるとも考えております。

また、かなり大きな論題になるとは思うのですが、私たちが魂の成長をしていくためには人生において具体的にどのようなことをなしていくべきでしょうか。もし霊信などで啓示がありましたらご教授をいただければ幸いです。

稲垣勝巳 さんのコメント...

「私の創始したSAM前世療法によって明らかにしてきた生まれ変わりと霊的現象について、努めて実証に基づいた見解を公開していきます」ということが、このブログの基本的立場です。守護霊の存在や、それからのメッセージは「意識現象の事実」としては認めざるをえませんが、その意識現象の真偽は実証できません。したがって、私は真偽の実証できないことについては判断留保です。「魂の成長をしていくためには人生において具体的にどのようなことをなしていくべきか」などは宗教家の仕事でしょう。私の守備範囲を超えることについての見解を述べることは自制ないし禁欲しています。

シュヴァル さんのコメント...

導くについてですが、http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/212275/m0u/
では

1 道案内をする。案内して目的の所に連れていく。「車を迂回路に―・く」「客を席に―・く」

2 正しい方向に手引きをする。指導する。「生徒を―・く」「神に―・かれる」

3 物事がそうなるように働きかける。事柄をある方向へ動かす。「状況を有利に―・く」
とあります

VITA ÆTERNAさんのお話は読んだ感じで導くといよりも予想や忠告に感じます。
導くであれば、もっと具体的に○○しなさいとなると思いますね。


VITA ÆTERNA さんのコメント...

Chevalさん、こんにちは。この度はコメントを頂きどうもありがとうございました。最近は稲垣先生との一対一の対話のみになってしまっていましたので、かなり寂しい思いをしていたところです(笑)

さて、先回の私のコメントにおきましては、舌足らずであったために私が経験した内容をうまく伝えることができず、大変失礼をいたしました。

私の実体験におきましては、守護霊と思われる存在から同時に今後の進路に関するアドバイスもかなり多く頂いております。その時の守護霊の言葉(とはいっても私自信が語った言葉でもあるのですが)からは、私をただ見守るだけではなく、守りながらよりよい方向に導いていくという、より積極的な意図を感じました。今回Chevalさんが引用された辞書によりますと、2の「正しい方向に手引きをする。指導する。「生徒を―・く」「神に―・かれる」」がより近いのではないかと考えます。

私が体験した守護霊と思われる存在は、里沙さんの守護霊が稲垣先生の対話の中で語った、守護霊は見守るだけで導くことはないというものと少し異なるように感じましたので、先回におきまして稲垣先生に質問させていただいた次第です。もちろん私が体験した守護霊は、私の願望が作り上げた仮想の人物である可能性も排除できないと考えております。

シュヴァル さんのコメント...

VITA ÆTERNAさんの話はわかりました。

そうなってくると、証明は難しくかみ合わない形になりそうですね。

稲垣先生のお話も、直接セッション受けて
お話した限りでは、宗教的?霊的?なお話よりも、実証的な起こったことから理論構築を
試みられているお話なので、なかなか難しい話に感じます

VITA ÆTERNA さんのコメント...

私は自らの体験から、催眠中に守護霊や前世と思われる存在に出会うことは認めていますが、その存在が実在するかに関しては未だ懐疑的に見ております。私の疑り深い性格のせいでしょうか、催眠中は大変にリアルな感覚を伴う幻覚を見ることがあるのではないかとついつい疑ってしまいます。また、私が出会った守護霊と思われる存在は、里沙さんが伝えた守護霊の性格とかなり異なっていると感じますので、大変残念ですが、現在のところはやはり自らの願望が作り上げた仮想の存在とするほうがより妥当なのではないかと考えております。