2013年11月15日金曜日

SAM前世療法の成立 その36

SAM前世療法の作業仮説による「植物状態人間」の解釈
現在の正統医学では、意識のないように見える植物状態の解釈を次のようにしています。
「脳が意識を作り出している。つまり、意識は脳の付随現象である。植物状態は、脳が損傷しているために、意識を作り出すことができない状態である。つまり、意識がないので、脳が肉体を管理できない状態である」
これに対して私の立場による解釈は次のようになります。
「脳は意識を作り出さない。つまり、意識と脳は別である。意識は脳以外の魂の表層、および霊体にある。健在である意識が発信しても、受信機である脳が損傷しているので受信不能となっており、肉体を管理できなくなっている状態である」
このように植物状態を例にとり、その解釈を比べてみると、両者の立場の相違が明確になります。
なお、脳が肉体を管理していると認める点では両者とも同じです。
こうして、私の立場に立つと、植物状態の人間にも意識は存在していることになります。
現に私は、植物状態の人に話しかけて、対話(テレパシーで返答をするらしい)ができたという霊的感受性の高い人を何人か知っています。
もちろん、このことを科学的な検証にかけることは不可能ですが、私の立場に立てば当然ありうることになります。
また、霊信の告げている「霊体に個人的意識が存在している」という前提に立てば、心臓移植した場合に、移植先の患者にドナーの意識が現れるという現象も説明可能かもしれません。
移植される心臓を取り巻く霊体にドナーの意識が存在し、ドナーの心臓とともにその霊体も移植され、その結果、ドナーの意識が移植先の患者の意識に現れるというわけです。
SAM前世療法における催眠状態の説明仮説
催眠状態は、一般的に運動・知覚・思考などの異常性が引き起こされる「変性意識状態」だとされています。
ただし、なぜそのような変性意識状態が引き起こされるかの説明には諸説があり、また催眠諸現象すべてを完全に説明できる包括的理論はありません。
私は、これまでの臨床経験と霊信の告げた内容から、各催眠深度の催眠状態の解釈に独自の作業仮説を立て、SAM前世療法に取り組んでいます。
次に述べていく「運動催眠」→「知覚催眠」→「魂遡行催眠」の各催眠レベルは、催眠深度の深まり順を意味しています。
なお、顕在意識と潜在意識の働き具合の関係は、次のようなシーソーの高さの位置関係を比喩として考えるとよいと思います。
ふだんの意識状態は、顕在意識が優勢ですからそのシーソーの位置は高くなっています。
その位置が、反対側の潜在意識が優勢になるにつれてどんどん低く下がりはじめ、逆に潜在意識の位置はどんどん上がりはじめ、ついに高さの位置関係がふだんとは逆転し、潜在意識の位置のほうが高くなったとき(優勢になったとき)を境に、催眠状態が始まると考えてよいでしょう。
「運動催眠」段階(潜在意識優勢仮説に基づく解釈)
催眠に入ったばかりの浅いレベルの催眠状態です。「運動催眠」というわけですから、運動レベルでの催眠諸現象が起こります。
たとえば、「両手のひらを合掌の形から離すことができない」という暗示に反応して、顕在意識が離そうと努力しても、ピッタリくっついたまま離せないという運動の禁止が起こります。
これは、顕在意識より優勢になっている潜在意識が暗示に反応して、くっつけた状態を離そうとしないように働いているのだ、と解釈します。
そこで、顕在意識(催眠状態をモニターしている意識)からすれば、なぜ離そうと努力しても離れないのだろう、と不思議がるということになります。
ただし、顕在意識がこうした事態を拒否し、敢えて離そうとすれば離すことができます。
潜在意識は、それほど強力なものではないのです。
潜在意識というくらいですから、顕在意識にはその存在が働いていることをどうしても認識できないのです。
したがって、催眠状態に入るということは、顕在意識よりも潜在意識のほうが優勢になっている状態に移行することだと言ってもよいと思います。
この状態は、ふだんは脳に管理されている心、その心に管理されている顕在意識・潜在意識が、脳の管理下を離れはじめた状態だと解釈することができます。
ふだんは脳の管理下にある心に管理され、優勢を保っている顕在意識が、心が脳の管理下を離れることによって、潜在意識のほうに優勢の座を明け渡すという逆転が起こると考えるわけです。
そして、顕在意識よりも優勢化した潜在意識による、脳の運動レベルへの支配が可能になった状態であると解釈します。
ふだん脳が肉体をきちんと維持・管理するためには、脳が感覚器官を通して受け取る外界の諸刺激を識別する心の働きに対して、識別された刺激をそのまま(正しく)受け取る顕在意識を、潜在意識より優勢にしておく必要があります。
そして、顕在意識・潜在意識を管理する心を、脳の管理下に置いておく必要があると考えられます。
もし、心が脳の管理下になく、心の管理する潜在意識が、脳が識別した外界からの諸情報に関わらず、勝手に振る舞うとしたら、脳の司る肉体の維持・管理機能に支障が生じるに違いないからです。
たとえば、外界が零下であるような場合に、心(潜在意識)が、脳に外界は暑いと指示し、脳がそのように認識して寒いにもかかわらず衣服を脱ぐとすれば凍死するかもしれません。
その逆も起こるわけですから、外界が暑いにもかかわらず、心が脳に寒いと指示すれば、衣服をさらに着込んで、熱中症になりかねません。
こうした事情から、ふだんは脳が心を管理し、心が脳に勝手に振る舞うことを禁じていると考えられます。
SAM前世療法では、霊信が、「脳が心を管理している」と告げていることをこのように解釈します。
(その37へ続く)

6 件のコメント:

ポン太 さんのコメント...

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 この記事を読む限り、私ですら意識は脳内現象ではないかと思ってしまいます。
http://itnews-will.com/c_sci/121/
 以前に稲垣先生がおっしゃられたとおり、臨死体験では死後の世界の証明には到底たどり着けそうにない……。
 やはり唯物論が正しいのでしょうか。そう思うとなんだか悲しくなりますね……。

稲垣勝巳 さんのコメント...

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私は唯物論を全否定するつもりは毛頭ありません。しかし、唯物論では説明不可能な現象が存在することも事実です。応答型真性異言という現象もその一つです。生まれ変わり仮説以外には説明できないと思っています。唯物論では説明できない別の説明体系を認めるしかないのでしょう。いわく、生まれ変わり、霊魂の実在・・・etc

('jjj') さんのコメント...

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稲垣さんの心と脳の理論はルネ・デカルトの実体二元論ですか?

稲垣勝巳 さんのコメント...

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私の心・脳二元論は、理論ではありません。私あて霊信の告げた内容であり、私をそれを作業仮説にして催眠を道具に検証を続けているということです。

迷子 さんのコメント...

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>ポンぽん太さん
こにちは、初めまして、臨死体験では、あくまで死んだように見えるだけで証拠にはなりえない。というのは以前から言われていました。
ご存知かもしれませんが、臨死体験を脳内現象だけで全て説明するのは、やや無理があるかな?という事例が『パム・レイノルズ』ですね体温を16℃までさげて心臓を停止して脳幹の働きも完全に停止させて耳にぴったりはまる形のイアホンを付けてクリック音を流して外部の音から情報をとれないようにして、手術中での事を完璧ではありませんが、かなり詳細に語っています
詳しくは。   続「あの世」からの帰還―新たなる真実・47名の臨死体験 マイケル・B・セイボムに詳しくあります。
それでは失礼します。

稲垣勝巳 さんのコメント...

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臨死体験の真偽については科学的決着はついていませんね。脳の完全な血流停止が数時間持続し、脳細胞の死が確認されたところでの臨死体験であれば、その体験は脳内現象ではないと断言できるでしょうが、そうなったときには生き返ること自体ができないわけで、こうした事例はないものねだりということになります。私の立場(魂の実在を認める)から言えば、臨死体験はありうると考えています。