2013年10月31日木曜日

SAM前世療法の成立 その33

SAM前世療法の治療構造仮説
私が現時点で、SAM前世療法の治療構造をどうとらえているのか、創始してからこれまで5年余の実践から実感的な考えを述べてみます。
ただし、治療構造の説明というものは、どんな心理療法であれ、絶対的な実証ができるわけではなく、仮説に過ぎません。
ですから、ここで述べることも、当然SAM前世療法のセッションの累積から導き出した暫定的な仮説でしかありません。
SAM前世療法の諸セッションによって明らかになってきたこと、
それは、誰でも魂の表層の前世人格のなかに傷をもつ者が存在するということです。
霊信では、
「どんな魂にも傷をもつ者が存在する。それは魂が成長進化するためにそうなっていると理解しなさい」
と告げています。
セッションで確認してきた意識現象の事実から、それら傷をもつ前世人格のうち深い傷をもつ者は、その傷の苦しみを「現世の者」に、多かれ少なかれ訴え続けているということが分かってきました。
そして「現世の者」は、その影響を受けて心理的症状や身体的症状を現象化します。
 
それらの諸症状は、魂表層に存在している前世人格の訴えによって生じているわけですから、現世の顕在意識には、魂表層のもとで起きている(潜在意識下で起きている)ことがどうしても理解できません。
つまり、「理由が分からない」、「なんとなく」という形でしか、顕在意識にのぼることができません。
たとえば、典型的な症状、心理状態を挙げてみると
理由の思い当たらない高所恐怖症、
理由の思い当たらない閉所恐怖症、
理由が思い当たらないなんとなく、あるいは突然襲ってくる不安感やうつ状態、
理由の思い当たらない特定の人や物への異常な恐怖感、
理由の思い当たらない特定の物への異常な愛着、
医学的所見のない特定の部位の原因不明の痛み、
デジャビュ
などです。前世人格はその人生で被った様々な傷を訴え、その影響を現世の者は受けているわけです。
療法としておこなうことは、こうした傷をもつ前世人格と対話し、その前世人格の苦しみを聞き、苦しみを解放することです。
彼が、苦しみを語ることによって解放され、現世の者に苦しみを訴えずに済むようになるまで対話をすることです。
これは通常のカウンセリング行為と全く同様です。
違うのは、対話相手の前世人格が、今は身体を持たない「死者」であるということです。
不気味と言えばこんな不気味なことはないのですが、私は恐怖を感じたことは一度もありません。
死者とはいえ、意識体として今も生きており、クライアントの肉体を借りて(自己内憑依して)、一個の人格として顕現化し、振る舞いますから、不気味さや恐怖を感じることは起こり得ないのです。
私の意識は、もはやクライアントを相手にしていることから完全に切り替わり、クライアントとは別人格の前世人格を相手にすることに没頭します。
私は、前世人格の生きた国や時代や立場を想像力を駆使して、彼の置かれた苦しみの状況を理解しようと必死で努めます。
このことは、今を生きている人間を相手にする通常のカウンセリングとは決定的に違います。
過去の時代を生きた人間の置かれた状況を理解するための、高卒程度の世界と日本の歴史的、地理的知識がどうしても必要です。
とりわけ、話すことができない前世人格には、指で回答を得るために私が適切な質問ができなくてはなりません。
前世人格の生きた時代背景の知識がないところでは、適切な質問ができない事態が起こります。
セッション後、クライアントから、私の質問が的を射ていないことが重なっていたので、前世人格が怒っていた、という指摘を受けたことがあります。
彼は肉体を失っていますから、苦しみや悲しみの自己表現を現世の肉体を借りておこなうしかありません。
そして、そのようにします。
つまり、現世の肉体に憑依(自己内憑依)するのです。
苦しみや怒りの会話、溢れる涙、苦痛の表情やうめき声などのクライアントの感情表現は、前世人格が、現世の身体を借りた代替表現です。
したがって、前世人格が顕現化中(自己内憑依中)のクライアントのモニター意識は、自分の意志からではなく、「勝手に声が出る(自動発話)」、「勝手に涙が出る」、「突然悲しみの感情が襲ってくる」というふうに意識します。
この意識現象は、SAM前世療法固有の意識状態と言えます。
つまり、前世人格顕現化中には、「前世人格の意識」とそれを「モニターしている現世のクライアントの意識」の二つが併存状態になっています。
私は、クライアントではなく、顕現化した前世人格を相手に対話をします。
私と前世人格の対話を、クライアントのモニター意識は、沈黙したまま傾聴しているというわけです。
モニター意識が、私とクライアントの対話に介入することは一切できないようです。
この私と前世人格との対話、それを傾聴しているクライアントのモニター意識という三者的構図の典型について、「ラタラジューの事例」を語った里沙さんの貴重な体験手記を紹介します。
【手記掲載はじめ】
(前略)
はじめに稲垣先生とラタラジューが日本語で会話しました。
なぜネパール人が日本語で話が出来たかというと、現世の私の意識が通訳の役をしていたからではないかと思います。
でも、全く私の意志や気持ちは出て来ず、現世の私は通訳の機器のような存在でした。
悲しいことに、ラタラジューの人殺しに対しても、反論することもできず、考え方の違和感と憤りを現世の私が(注:モニター意識)が抱えたまま、ラタダジューの言葉を伝えていました。
カルパナさんがネパール語で話していることは、現世の私(注:モニター意識)も理解していましたが、どんな内容の話か詳しくは分かりませんでした。
ただ、ラタラジューの心は伝わって来ました。
ネパール人と話ができてうれしいという感情や、おそらく質問内容の場面だと思える景色が浮かんできました。
現世の私の意識(注:モニター意識)は、ラタラジューに対して、私の体を使ってあなたの言いたいことを何でも伝えなさい、と呼びかけていました。
そして、ネパール語でラタラジューが答えている感覚はありましたが、何を答えていたかははっきり覚えていません。
ただこのときも、答えの場面、たとえば、ラタラジューの戦争で人を殺している感覚や痛みを感じていました。
セッション中、ラタラジューの五感を通して(注:モニター意識が)周りの景色を見、におい、痛さを感じました。
セッション中の前世の意識や経験が、あたかも現世の私(注:モニター意識)が実体験しているかのように思わせるということを理解しておりますので、ラタラジューの五感を通してというのは私の誤解であることも分かっていますが、それほどまでにラタラジューと一体化、同一性のある感じがありました。
ただし、過去世と現世の私は、ものの考え方、生き方が全く別の時代、人生を歩んでいますので、人格が違っていることも自覚していました。
ラタラジューが呼び出されたことにより、前世のラタラジューがネパール語を話し、その時代に生きたラタラジュー自身の体験を、体を貸している私が代理で伝えたというだけで、現世の私の感情は、はさむ余地もありませんでした。
こういう現世の私の意識(注:モニター意識)がはっきりあり、片方でラタラジューの意識もはっきり分かるという二重の意識感覚は、タエのときにはあまりはっきりとは感じなかったものでした。
(後略)
【手記掲載おわり】
この里沙さんのように、セラピストの「私」対「前世人格」との対話、それを傾聴している「現世のモニター意識」という、まことに奇妙な三者的構図でセッションが展開・進行します。
そして、モニター意識が、前世人格の苦しみを共感的に理解し、「ああそうか!それで私は前世人格の影響を受けて不都合が生じているのか」と、感情をともなって納得ができる(洞察)ができると、不都合な心理的症状や身体的症状が改善に向かう、これがSAM前世療法の目下の暫定的治療構造仮説です。
(その34へ続く)

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