2013年10月11日金曜日

SAM前世療法の成立 その29

SAM前世療法と私の立場
前ブログまでで、SAM前世療法の作業仮説について述べてきました。
前世療法は、前世といういまだ実証されていないものを前提としているように見えるため、アカデミズムからは異端視され、様々な批判や問題点が指摘されています。
私の催眠技法のベースは心理学系のアカデミックな技法ですが、それらの批判や問題点を踏まえたうえで、前世療法を探究してきました。
その探究の過程で、拙著『前世療法の探究』春秋社、2006を上梓しました。
その後の過程で、魂と生まれ変わりに関わって、霊的存在を名乗るものからのメッセージに遭遇し、それら通信してくる霊が告げた内容を検証する過程で、「SAM前世療法」と名付けた独自の作業仮説による前世療法が開発されることになっていきました。
私自身はこうした霊的存在からのメッセージを鵜呑みにすることはありませんが、すべてを非科学的妄想であると一蹴する態度もまた偏狭であると思っています。
メッセージの内容で検証可能なことは努めて検証にかけ、その結果明らかになった事実については、いかに非科学的と言われようとも尊重していく態度こそ公正であると考えます。
したがって、SAM前世療法は、科学的観点からすれば、いまだ実証されていない魂への遡行を試みるきわめて非科学的な霊的療法です。
しかも、魂と呼ばれる意識体は死後存続し、繰り返し生まれ変わるという前提に立っています。
さらに、魂と呼ばれる意識体は、ちょうどミラーボールのごとく、中心となる意識体とその表層を構成する前世のものたちの二層構造を持っているという仮説に基づいています。
ここでいう霊的(スピリチュアル)の意味は、次のようなWHOの概念に則っています。
WHOは、
霊的とは,人間として生きることに関連した経験的一側面であり,身体的な現象を超越して得た体験を表す言葉である。多くの人々にとって,『生きていること』が持つ霊的な側面には宗教的な因子が含まれているが,『霊的』は『宗教的』と同じ意味ではない。霊的な因子は,身体的,心理的,社会的因子を包含した人間の『生』の全体像を構成する一因として見ることができ,生きている意味や目的についての関心や懸念とかかわっていることが多い。特に人生の終末に近づいた人にとっては,自らを許すこと,他の人々との和解,価値の確認などと関連していることが多い。
と定義づけています。
つまり、霊からの通信という「身体的な現象を超越して得た体験」(霊的体験)に基づく作業仮説と実践が、SAM前世療法の本質だと言ってよいと思います。
ちなみに、フロイトの「無意識論」も、ユングの「元型論」も、SAM前世療法の作業仮説と同様、作業仮説です。
ただし、フロイトは主に神経症の治療から得た知見をもとに独自の「無意識論」を提唱し、ユングは主に精神分裂病(統合失調症)の治療から得た知見をもとに「元型論」を提唱していることに対して、SAM前世療法の作業仮説は、私の守護霊団を名乗る霊的存在から教えられた知見によって成り立っているという際立った違いがあります。
つまり、SAM前世療法の作業仮説は、霊的存在という人間知性を超えた存在の恩恵によって成り立っています。
こうして、SAM前世療法を、独自の作業仮説に基づいて一定数のセッションをおこなった結果、成果の検証が累積してきましたので、ここに中間地点のまとめを述べてみたいと思います。
SAMの実践に導いた霊的作業仮説は、唯物論科学からすれば妄想と見えるかもしれません。
しかし、私は、「説明の成功をもって真理とみなす」プラグマティズムの真理観に立っています。
そして、拙著『前世療法の探究』春秋社、2006、 『生まれ変わりが科学的に証明された!』ナチュラルスピリット、2010、の2冊の執筆をはじめとする生まれ変わりの科学的探究を試みた仕事は、魂と生まれ変わりの真偽に関与しようとしないアカデミズムの立場にも属さず、「前世の真偽は棚上げ、治ればOK」と割り切る精神世界系の民間前世療法士の立場にも立ちがたい私に課せられた使命かもしれないと思っています。
しかし、私は霊能者ではなく、霊を見たりその声を聞いたりする能力を持っているわけではありません。
またしかし、私が浄霊という作業ができること、スピリットヒーリング能力があることをもって、霊能者と呼ぶ人がいないわけではありません。
しかし、私は自分が霊能力者であると思ったことはまったくありません。
さらに、ある特定の宗教を信仰している立場でもありません。
神および霊的存在、そうした存在と地上の人間とが交信できること、そして生まれ変わりを事実として認めているという意味において、いわゆるスピリチュアリズムに親近感を抱いていることは確かです。
あえて言えば、霊的現象について、私は、科学の方法で検証された事実は尊重し、そうでないことは判断留保とする態度を堅持しますから、実証的スピリチュアリストの立場といえるかもしれません。 
このことは、すでに述べてきた「タエの事例」や「ラタラジューの事例」の検証のしかたをお読みになれば了解していただけるはずです。
観念よりは事実、理屈よりは実証を重んじるのが私の根本的心性です。
そして、生まれ変わりについての、実証のあいまいな万の言説より、たった一つの確かな実証を求めてこれまで探究を続けてきました。
その探究の成果こそ、生まれ変わりの科学的証拠、「タエの事例」と「ラタラジューの事例」です。
この二つの事例の証拠映像と検証結果は、世界の生まれ変わりの科学的研究史に残る業績だと自負しています。
現在、両事例の日本語版フルセッション映像と「ラタラジューの事例」の英訳字幕の映像をyu-tubeで公開すべく編集作業をおこなっています。
※注 「前世」「過去世」の二つの用語がありますが、SAM前世療法では、現世の直前の人生(前世)と、それ以前の諸人生(過去世)も含めて、現世以前のものすべてを「前世」の用語で統一して用います。
(その30へつづく)

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