2013年2月21日木曜日

タエとラタラジューは前世人格か憑依霊か?

これまでに、可児市・東京・多摩市等で『催眠・魂・生まれ変わりの真実』が上映され、数百人の視聴者がおいでになります。なお、今後各地の上映計画は、上記映画題名で検索していただければ分かります。横浜・名古屋・福岡・札幌で計画されているようです。

この映画を視聴され「タエの事例」、「ラタラジューの事例」のフルセッションをご覧になった人は、そのセッション映像が、あらかじめ計画されたヤラセであるとか、被験者里沙さんの演技であるとか、巧妙に捏造されたものだと疑う人はまずいないだろうと思われます。

両セッションには、医学博士号を持つ医師、大学教授など社会的地位のある複数の見学者が
同席していますし、里沙さんへのポリグラフ検査で、彼女が事前に意図的にタエとラタラジューの語りに関する情報を入手した記憶は全くない、という鑑定結果が出ています。
さらに、「ラタラジューの事例」は、日本生命情報科学会での発表、およびイアン・スティーヴンソンの後継者であるバージニア大学ジム・タッカー教授に報告がされています。捏造したセッションであるなら、このような公言はできません。かならず見破られるに決まっているからです。
したがって、私は、タエ→ラタラジュー→里沙という順に、「魂が次々に肉体を換えて宿り続けている」ことが、検証の結果推定できうると考えています。里沙さんにおいては、魂の生まれ変わりが立証できた、と思っています。
ただし、このことは、タエとラタラジューが、魂表層に存在する「前世人格」であるという前提に基づくものであって、タエとラタラジューが里沙さんの前世人格の顕現化ではなく、異物である霊の憑依現象だとすれば、事情はまったく異なった様相を帯びることになります。
そして、タエとラタラジューは、里沙さんにとって異物である霊の憑依現象を疑った人がいたとしても、あながち間違いだとは断定できません。なぜなら、外からの観察する限りにおいては、そのようにも受け取れるからです。

顕現化したのは「前世人格」であるのか「憑依霊」であるのか、この区別は先行研究がないだけに難問と言えます。タエとラタラジューは、里沙さんの「前世の記憶」である、というワイス式前世療法の前提であれば、このような難問が生じる余地はありません。
「前世人格の顕現化」というこれまでにない作業仮説に基づくSAM前世療法につきまとう独自、固有の難問と言えるでしょう。
しかし、タエとラタラジューの事例が憑依現象だということになれば、SAM前世療法が前世を知るための療法として成立することを否定されてしまいます。

それでは、タエとラタラジューが魂表層の前世人格の顕現化現象である正当な根拠はどこにあるのでしょうか。このことについて整理して述べてみたいと思います。

①セッションの手続きとして、里沙さんを「魂の自覚状態」まで深め、そこに至ったところで、魂表層の「現世のもの」が顕現化した。現世のものに、タエおよびラタラジュー人格との交替を指示しその指示どおりタエ・ラタラジューが顕現化している。つまり、タエもラタラジューも、里沙さんの魂表層に存在しているからこそ、交替して顕現化したと考えるのが自然である。
そのことを示す、里沙さんが残してくれた「タエの事例」セッション中の内観(内省)の記録は、次のようなものである。

 「扉を開けると、まぶしい光の世界が見え、そこにもう一人の私がおりました。前世の私と思われるそれは、姿も形もなく、無論男か女かも分からない、音も声もない、小さな光の塊ではありましたが、まちがいなく私でした。そして、一瞬にして、すべてのものが、私の中に流れ込んできました。私は、自分が何者なのかを知り、状況も把握できました。私の前世は、タエという名前の女性で、天明三年に起きた火山の噴火を鎮めるために人柱となって、一六歳で溺死するというものでした。目の前に迫る茶色い水の色や、「ドーン」という音もはっきり分かりました。水を飲む感覚、息が詰まり呼吸できない苦しさ、そして死ぬことへの恐怖、それは言葉では言い表すことのできない凄まじいものでした。私は、タエそのものとして死の恐怖を体験しました」

上記の記録で、里沙さんのモニターしている意識は、「前世の私と思われるそれは、姿も形もなく、無論男か女かも分からない、音も声もない、小さな光の塊ではありましたが、まちがいなく私でした。そして、一瞬にして、すべてのものが、私の中に流れ込んできました。私は、自分が何者なのかを知り、状況も把握できました」と語っている。
これは、「魂状態」に遡行し、タエが顕現化してくる過程を表現したものと解釈できる。そして、自分が何者なのかを知ったと述べている。さらに、「私は、タエそのものとして死の恐怖を体験した」と続けている。
もし、タエが異物としての憑依霊であるなら、このような自分とタエとの「同一性の感覚」が生じるとは考えにくい。

同様に、「ラタラジューの事例」セッション中の内観記録は次のように述べられている。

「ラタラジューが出現するときは、いきなり気がついたらラタラジューになっていた感じで、現世の私の体をラタラジューに貸している感覚でした。タエのときと同じように、瞬時にラタラジューの七八年間の生涯を現世の私が知り、ネパール人ラタラジューの言葉を理解しました。
(中略)
カルパナ(セッション協力者)さんがネパール語で話していることは、現世の私も理解していましたが、どんな内容の話か詳しくは分かりませんでした。ただ、ラタラジューの心は伝わって来ました。ネパール人と話ができてうれしいという感情や、おそらく質問内容の場面だと思える景色が浮かんできました。現世の私の意識は、ラタラジューに対して私の体を使ってあなたの言いたいことを何でも伝えなさいと呼びかけていました。 そして、ネパール語でラタラジューが答えている感覚はありましたが、何を答えていたかははっきり覚えていません。ただこのときも、答えの場面、たとえば、ラタラジューの戦争で人を殺している感覚や痛みを感じていました。セッション中、ラタラジューの五感を通して周りの景色を見、におい、痛さを感じました。セッション中の前世の意識や経験が、あたかも現世の私が実体験しているかのように思わせるということを理解しておりますので、ラタラジューの五感を通してというのは私の誤解であることも分かっていますが、それほどまでにラタラジューと一体化、同一性のある感じがありました」

里沙さんは、上記においても「それほどまでラタラジューと一体

36 件のコメント:

ソウルメイト さんのコメント...

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里沙さんという女性を稲垣先生独自の催眠技法によって、「魂の自覚状態」に至らせて、前世の人格を顕現させた、そして、その前世人格が真に前世の人格でなければ知り得ない情報を語り、それが客観的かつ具体的な事実によって真実であることが立証された、となると、実証科学の立場からしても、やはり、前世人格が顕現していると考えざるを得ないのではないでしょうか?
タエやラタラジューが他霊による憑依現象であることを立証するのは、容易なことではないと思います。しかし、タエやラタラジューが他霊による憑依であるという可能性を否定することもまた、簡単なことではないでしょう。この問題を一意に確定させることがはたして可能なのかどうかは、わたしにはわかりませんが、里沙さんという女性において顕現したタエやラタラジューという人格が語る内容の真実さが確認された以上、そして、それを他霊による憑依現象と確定できない以上、タエやラタラジューは里沙さんという現世人格の前世人格と考えてなんら差し支えないとわたしは思います。科学的思考における「オッカムの剃刀」が適用されるべき事例と考えますが、いかがなものでしょうか?

稲垣勝巳 さんのコメント...

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私が前世人格と他霊の憑依の峻別にこだわるのは、「ラタラジューの事例」のTV放映を視聴したある霊能者を名乗る人物が、自分のブログに、ラタラジューは他霊の憑依現象であると主張しているからです。しかも、ラタラジューは腹痛を訴えて死んでいるので、その腹痛が里沙さんに転移して彼女も腹痛で苦しむことになる、など確かな根拠も挙げず言いたい放題のでたらめをネット上で述べているからです。
「ラタラジューの事例」が出たのは2009年5月ですが、その後、今日まで里沙さんにそのような腹痛が起きた事実は皆無です。
里沙さんの名誉を守るためにも、ラタラジューが他霊の憑依現象ではないことを立証する必要に迫れているという事情があります。
タエの再セッションの許可が下りたので昨年5月おこないました。その様子の映像証拠が今回の映画に挿入してしてあります。初回と同様の手続きによって魂表層から呼び出したタエに、
「あなたは魂表層から顕現化し、現世のこの者(里沙さん)に憑依しているのか?」と尋ねたところ、「そうです」という回答でした。
タエ自身がそのように答えているなら、タエは他霊の憑依現象ではないことは明らかでしょう。
同様にしてラタラジューも呼び出しに成功しています。SAM前世療法の一定の手続きを踏めば、タエもラタラジューも必ず顕現化します。つまり、再現性が明らかです。他霊であるタエもラタラジューも、最初に顕現化した2005年以後もずっと憑依が続いている、あるいは呼び出すときに限って憑依が起こる、と考えることは不自然でしょう。魂表層に常に存在しているからこそ、呼び出しに応じて顕現化すると考えたほうが自然であり、説得力があるのではないでしょうか。
思考上のオッカムの剃刀を適用すれば、タエ本院の回答以上に確かなことはないはずなので、
この回答どおりだと認定することが相当である、と判断することではないでしょうか。
確かな根拠もなしに、他霊の憑依現象を疑うことは、剃刀でそぎ落とすべき思考の無駄のように思われます。

ソウルメイト さんのコメント...

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>稲垣勝巳さん
わたしが稲垣先生の研究姿勢や考え方に共感するのは、先生が、あくまでも、実証科学者としての立場や見解を堅持されるところにあります。
そして、同時に、良質で真正でない、もろもろの自称霊能者の妄言の類いに反感を覚えるのは、彼らが確たる証拠を提示して、論証することを忌避したり、怠惰であったり、無能であったりするからであります。彼らには、知性のかけらも見受けられません。いわんや、真摯な実証研究を誹謗中傷するごときにいたっては、アラン・カルデックの言う「低級霊のしわざ」と言うしかないでしょう。
まあ、そういう連中には、しかるべき報いがあると思いますし、恐れとおののきを持ってその時を待てばいい、と思いますが、スピリチュアリズム一般にたいして、わたしが思うことは、昔、昔、誰かの交霊会で語られた言葉を金科玉条のごとくに崇め奉るのをやめ、再現性のある実証的研究に精を出すほうがよくはないか?ということです。故イアン・スティーヴンソンの真摯な研究態度に見習って。稲垣先生の果敢な実証精神を手本として。

稲垣勝巳 さんのコメント...

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私はシルバー・バーチ、スティトン・モーゼス、アラン・カルディックなどの霊信を、人間知性を越えた存在からのものだと認めています。ただし、その霊信内容すべてを鵜呑みにはできず、検証できることは努めて検証にかけ、何らかの実証の手応えのあることは認めようという立場です。それ以外は判断留保です。
イアン・スティーヴンソンは、スピリチュアリズムに批判的で、むしろ嫌悪感すら抱いていたようで、彼の研究にスピリチュアリズムの知見は一切見あたりません。それは厳密な科学として生まれ変わり研究を志し、貫いた、彼のすぐれた見識だと思います。
私は、心理臨床の道具として催眠を扱う過程で、現れた意識現象を検証した結果、生まれ変わりや霊的存在を認めざるをえなくなり、スピリチュアリズムの主張していることに違和感を感じなくなってきました。ただし、スピリチュアリズム全般の主張していることは、どこまでも意識現象の事実を検証する際の参考情報の一つとして扱います。
事実こそが第一義であってそれが、揺らぐことはあってはならないと思います。
観念より事実、理屈より実証の立場こそ、スピリチュアリストや霊能者と一線を画している私の存在意義だろうと思います

ソウルメイト さんのコメント...

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>稲垣勝巳さん
ご教示ありがとうございます。
稲垣先生の研究事例が際立って信頼性と信憑性が高いのは、真に前世に生きた者にしか知り得ない情報が語られ、それが客観的事実によって検証できるところだと思います。
ひるがえって、シルバーバーチを始めとする霊信には、スピリチュアリズム信奉者が主張するような、「高度に進化した霊」のみが語りうるような情報が含まれているでしょうか?また、客観的事実によって検証できるような類いの意味のある情報が含まれているでしょうか?「高度に進化した霊」のみが知りうる情報が語られたことを客観的事実によって、検証したことがあるのでしょうか?
わたしがスピリチュアリズムに投げかける疑惑は、実にこの点にあります。是非、確かな答えをお持ちの方にご教示いただきたいものと、切に願うものであります。

稲垣勝巳 さんのコメント...

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>ソウルメイトさん
確信的スピリチュアリストは、スピリチュアリズムは信仰であるとともに科学でもあると主張します。
それは、信頼に足るとされる霊界諸通信の共通事項を検討し、抽出し、それを確かなものとして認めるというほどの科学性を帯びているという意味らしい。霊信をけっして鵜呑みにするわけではないということらしいのです。そして、それらの諸霊信の共通事項は、人間知性を越えた高度に進化した高級諸霊が人類にもたらした福音だとされているようです。この意味では信仰と呼べるでしょう。
スピリチュアリストによれば、結局のところ、人間界とは異次元であるところの諸情報(生まれ変わりや魂のしくみ等)を、人間界の方法論とことばで解き明かすことはないものねだりだ、ということで最後は締めくくられてしまいます。
そうであるだろうけれど、人間知性を駆使して、異次元のしくみの一端にでもいいから肉薄できないか、と私は悪あがきをしています。

ソウルメイト さんのコメント...

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>稲垣勝巳さん
重ね重ね、ご懇切なご教示に感謝申し上げます。
シルバーバーチの霊信によれば、シルバーバーチというネイティブ・インディアンの霊を霊界側の通信霊として、かつて人間としての生涯を送ったことがあり、いまでは、おおいに進歩を遂げたため、もはや、人間として再生することのなくなった「高級霊」が、人類に死後生存が事実であり、人は肉体としての死の後に霊界において進歩、発達するものであることを啓蒙するために英国人、モーリス・バーバネルを人間側の霊媒としてメッセージを届けてきた、のだそうです。
わたしの疑問の第一点は、シルバーバーチが霊信を発信し始めた頃、すでに人類は、「唯物論」という病に冒されつつありました。そして、唯物論のもっとも強力な武器のひとつは、チャールズ・ダーウィンが提唱した進化論でした。ダーウィニズムの基本的信条は、生物は、いかなる超越的な知性の介入なしに、ただ偶然に高度化するというものでした。
今日、厳密科学としての生化学や分子生物学の分野で観察された事実は、ダーウィニズムが成り立たないことをあきらかにしています。(字数の関係上、次に続きます)

ソウルメイト さんのコメント...

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>稲垣勝巳さん
詳細は、牧野尚彦著「ダーウィンよ、さようなら」やマイケル・J・ベーエ著「ダーウィンのブラック・ボックス」、マイケル・デントン著「反進化論」などをお読みくだされば、ご理解いただけると思いますが、「科学的事実」は生命が高度な知性の所産であることを明瞭に告げております。
人類に物質を超越した知的存在を知らしめると言っておきながら、シルバーバーチの霊信には「進化」という言葉がなんの留保もなしに、きわめて不用意に頻用されております。なぜ、シルバーバーチの霊信は、現代生物学の最先端の知識があきらかにした事実を先取りできなかったのでしょうか?そして、なぜ、唯物論に与するダーウィニズムにはっきりと異を唱えなかったのでしょうか?「高度に進化した霊」の知性を疑うに十分ではないかとわたしは考えますが、いかがなものでしょうか。
疑問の第二点は、死後生存の事実を知らしめる、というのがシルバーバーチのメッセージの目的であるのであれば、なぜ、スティーヴンソンや稲垣先生が、具体的かつ客観的な事実をもってしたように、明白な証拠となる事実を提示しなかったのでしょうか?シルバーバーチやその他のいわゆる「高級霊」が稲垣先生がなさったように、明白に死後生存を証明した事実を寡聞にしてわたしはしりませんが、それはなぜでしょうか?というものです。確たる理由を提示できるものでしょうか?

ソウルメイト さんのコメント...

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稲垣先生に霊信を発してしるのは、人間として生きていた時、エドガー・ケイシーとして知られていた魂だそうですが、エドガー・ケイシーは「20世紀最大の霊能者」と称されたほどの人物で、医者がさじを投げ出したような難治性の疾患をピタリと診断して、完治に導いた事例は数限りなくあるそうで、しかも、ケイシーのリーディングは、記録して保管されていて、検証することが可能なのだそうです。
しかし、ケイシーの圧巻は、なんといっても、「ライフリーディング」で、人生で生じるさまざまなトラブルや苦悩、不運や不幸にたいして、明確にその理由と目的を述べて、反省や矯正、成長や発達を促し、慰めや励ましを与えているところでしょう。ケイシーは、魂が本来的にバランスをとろうとするものであり、人生でする経験には、応報の法則や埋め合わせの法則、反動の法則などがあることをあきらかにしました。ケイシーの本を読んでみれば、そこから、さまざまな実践的で具体的に役立つ貴重な教訓を得ることができます。一度シルバーバーチの霊言と読み比べてみたらいい、とわたしは思います。ケイシーには、真に高い知性と叡智が感じられます。

ソウルメイト さんのコメント...

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魂が生まれ変わりを繰り返して成長するものであることを明確に主張したのは、フランスのアラン・カルデックであり、キリスト教プロテスタントの影響力の強かったイギリスのスピリチュアリズムには、当初受け入れられなかったそうです。カルデックの思想は、ヨーロッパではなく、遠く海を超えた南米ブラジルで大隆盛し、現在でもブラジルには、強力な霊能力者が存在するのだそうです。スピリチュアリズムは、その信奉者が主張するほど、意見の一致を見ているわけではなく、一枚岩でもないようです。
また、ヨーロッパスピリチュアリズムは、キリスト教の影響を強く受けているようで、東洋における神秘思想や哲学を不当に軽んじているように思われます。魂についての認識は、インドの哲学・思想のほうがはるかに秀でているとわたしは思います。
エドガー・ケイシーは、純朴なクリスチャンではありましたが、ひとたび瞑目して、高い意識状態から語り出す言葉には、インド哲学の専修者が括目するほどの高度な理解と認識が含まれているのだそうです。わたしも、人間の魂の成長と発達には、いかなる「高級霊」の霊信より、ケイシーのリーディングのほうがはるかに役立つと思います。

稲垣勝巳 さんのコメント...

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私はスピリチュアリズムの教説をそのまま受け入れているわけではありませんが、臨床の積み重ねから、霊の存在、生まれ変わりの存在を認めざるをえないという立場に立っています。また、SAM前世療法の作業仮説を告げてきたのは、私あての霊信であるという経緯から、霊からの交信の事実は認めざるをえません。

稲垣勝巳 さんのコメント...

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続き
したがって、私はスピリュアリズムに親近性を感じていますが、その根幹は、自身で体験し、検証した事実の累積によっているわけで、スピリチュアリズムを支えている諸文献からの影響ではないと自覚しています。自分の体験・実践から得た諸事実が、結果としてスピチュアリズムと呼ばれているものにきわめて相似しているということです。

ソウルメイト さんのコメント...

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>稲垣勝巳さん
自分の頭で考え、自分なりに検証するという在り方は、実にまっとうなものだと思います。どこそこのだれかが言ったことを自分で検証しようともせず、頭から鵜呑みにするのは、いかがなものかと思います。
そういう風潮は、アカデミズムの世界でも蔓延しているようで、本来、研究者や学者というものは、事実にたいしてのみ、謙虚であるべきであって、自分が知った情報が事実に照らして真実であるかどうかを知ろうとすることに貪欲であるべきだろうと思います。
学問や研究には、本来、タブーなどあってはならないはずで、どんなに、社会一般の常識や通念からはずれていようと、自分でたしかめてみる、検証してみるということは、大切なことだろうと思います。人類の知的営みの健全さを担保するのは、そういうことだろうと思います。
どんなに名声の高い学者であろうと、いわゆる「高級霊」であろうと、ご託宣をそのままに、無批判にうけたまわるような態度は、知的怠惰であり、理性の放棄だと思います。

ソウルメイト さんのコメント...

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稲垣先生はご自分の前世療法の事例の中で、いわゆる「中間世」について語ることが、かなり稀であるとお書きになっておられますが、イアン・スティーヴンソンの数千例を超える「生まれ変わり」事例の中でも、中間世の記憶を語る子供は非常に稀である、と著書に書いていて、稲垣先生の研究体験との符合を思わせます。
さて、幼児が胎内記憶を持つことは、ほぼ確実なことのようですが、幼児には、胎内記憶とともに、受胎前後の魂としての記憶を語ることがあるのだそうで、産婦人科医の池川明氏が一連の著作で書いておられます。池川氏の書いておられることと、マイケル・ニュートンの著作で書かれていることは、よく似ていると思いますが、残念なことに両者とも、語られたことを厳格かつ厳密に検証するということをしていません。そこが、スティーヴンソンや稲垣先生の実証研究と違うところで、ああいうことは書こうと思えばいくらでも書けるんでしょうが、では、実証できますか?と問われると、途端に沈黙してしまうんですね。
著作のほとんどにスピリチュアルな認識を織り交ぜているのに、そのベースとなる部分が、客観的事実によって検証されていないということは、非常に残念なことです。

ソウルメイト さんのコメント...

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スピリチュアリズムとは何かを簡単に言うとすれば、死者とのコミュニケーションの一語に尽きるのだろうと思います。西欧は、長い間、キリスト教に宗教的、文化的に支配されていました。そして、キリスト教は、死者とのコミュニケーションというものを、宗教的ドグマによって禁圧していて、死者とのコミュニケーションは、宗教的、社会的な弾圧の対象となっていました。近代になってようやく、キリスト教の支配が緩み始めた頃、しかも、プラグマティックな精神を重んじるアメリカで近代スピリチュアリズムを発祥される現象が起きたということは、この間のなにごとかを強く示唆しているように思います。西欧においては、死者とのコミュニケーションというのは、熱狂を覚えるほどの衝撃的体験だったのでしょう。
ひるがえって、東洋においては、死者とのコミュニケーションなとというものは、べつに珍しくもなんともない、ごく当たり前のことであり、そういう伝統と実践を長く保ってきました。(たとえば、日本のイタコやユタ、チベット密教など)。ですから、東洋の霊的知性からすれば、西欧のスピリチュアリズムなどというものは、「いまさら、何を言ってやがる。そんなことは、先刻ご承知だよ」というようなことだったんだろうと思います。

稲垣勝巳 さんのコメント...

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わずか1例ですが、30代女性クライアントが、胎児に宿ることを躊躇していた魂の記憶を語り、検証できた事例があります。
クライアントの魂は、母親が流産のおそれありとして入院中の病室の天井から、母親となる女性を眺めていたというのです。母親のいるベッドは廊下側に面し、ドアを開けたすぐ右手にあり、赤っぽい上着を着て座っていると語りました。部屋にはベッドが4床あり、田の字形に配置されている、とベッドの配置の様子を語りました。
このセッションには、たまたま母親が同席していましたから、この魂の記憶の真偽をその場で検証できたのです。
母親は、驚愕の表情で、娘の語った病室のベッドの位置、着ていた赤っぽい衣服は間違いないと断言しています。娘には、妊娠4ヶ月ころに流産しかけて入院したことは話したことがあるが、病室の様子や着ていた衣服について一切話したことはないということです。また、この産婦人科病棟はその後、すぐに小児科病棟に変更され、娘が生後、母親入院当時の病室の様子を知ることは不可能であるとも。
このことから、どうやら流産するおそれのある胎児には魂は宿らないと推測できます。同様に、妊娠当初から堕胎予定の胎児にも魂は宿らないではなかろうかと思います。考えて見れば当然のことで、せっかく宿っても流されては、地上の人生を送ることができないわけで、宿ることが無駄になるからでしょう。さらに推測すれば、胎児が胎内で安定期に入るまでは、魂は宿らないのではないかと思われます。
こうしたことから、出産する予定でありながら不慮の事故などでやむなく流産する場合を除いて、私は、「水子の霊」などという考え方に疑義をもたざるをえません。
ただし、わずか1例の検証による推測ですから、極端な一般化だという誹りを免れません。

ソウルメイト さんのコメント...

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>稲垣勝巳さん
池川氏の聞き取り事例やマイケル・ニュートンの退行催眠セッションで語られた事例の中には、真正なものもありうるのかも知れませんね。稲垣先生のように検証していないのでほんとうのところはわかりませんが。
せっかく、重大な意味を持つ現象に遭遇しても、その重大性をきちんと認識し、その意味を理解して、客観的事実に照らし合わして検証するということは、誰にでもできることではないんでしょうね。
でも、人間の思考と信念を強力に支配する唯物論を覆す力のある実証的な研究や事例というものもまた、確かに存在するということなんですね。

稲垣勝巳 さんのコメント...

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先に報告した胎児に宿ることを躊躇していた魂の記憶を語った女性クライアントの語りにも、超ESP仮説が介入する余地があります。
このクライアントが、催眠中に突如としてESPを発揮し、同席していた母親の脳内の入院中の記憶を読み取って、あたかも魂の記憶として語ったのだ、という仮説が適用可能です。
かように、超ESP仮説は、通常では入手できない諸情報すべてを、生きている人間の心の力で説明可能にしてしまうやっかいきわまる万能仮説であり、この仮説こそ、魂や生まれ変わりの科学的証明の前に最後に立ちはだかって譲らない鉄壁だと思います。しかし、催眠中のクライアントが超ESPを発揮していない証明が不可能であるかぎり、可能性としてこの超ESP仮説を棄却できません。
生まれ変わりや魂の実在を科学的事実として提示することは、唯物論の土台を突き崩すとほうもない重大事であり、その影響は人間のあらゆる営みに波及しないではおかないでしょう。
軽々にこうした提示ができないように、超ESP仮説は人間知性に科せられた神の深慮かもしれません。
超ESP仮説の前では、もっともらしい霊能者のご託宣も、宗教家のありがたい教説も、その信憑性はことごとくなぎ倒され、この仮説適用を許さない事実のみが真理として浮上するというわけです。

ソウルメイト さんのコメント...

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>稲垣勝巳さん
仮に「ESP」や「超ESP」が存在するとして、そもそも、「ESP」や「超ESP」の存在は、唯物論の枠組みにおさまるものでしょうか?唯物論の論理的帰結は、人間の意識を脳という器官・組織に局在すると考えざるをえないのだろうと思いますが、脳局在論で「ESP」や「超ESP」を説明しえないことはあきらかで、だからこそ、唯物論者は、「ESP」や「超ESP」の存在を頑なに否定するのではないでしょうか?「ESP」や「超ESP」の存在それ自体が唯物論を粉砕してしまうからではないでしょうか?
それと、厳正かつ厳格に客観性と事実性が担保された超心理学の積み重ねられた実験において、「ESP」の存在は確証されていますが、「超ESP」はその存在が一度たりとも確認されておりません。一度も存在を確認されたことのない架空の観念をもって現実に生起する現象を説明しようとするのは、もはや「科学」ではないと思います。また、科学的思考において「超ESP仮説」のような「万能仮説」は唯物論的科学論の枠内においてさえ、妥当性と論理的正当性を主張しえないのではないでしょうか?
わたしは、「超ESP仮説」は、まず、その存在を確証するほうが先だろうと考えます。

ソウルメイト さんのコメント...

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いかなる科学理論も仮説であるにとどまらざるを得ず、反証をもって覆えされることに開かれていなければならない、と科学評論家の竹内薫氏は「99.9%仮説」という本で書いておられますが、わたしもそれに無条件で同意するものであります。
ある現象の生起をどのように説明をするか、つまり、仮説を立てることは自由に、好きなようにできますが、仮説の事実上の正当性は客観的な事実によって確証されなければならず、また、いったん、正当性が確証されたかに思える科学理論といえども、それに反する事実をもって、いつなんどき覆されるかわらないという宿命を負うものであります。それが、科学という人間の知的営みの健全性を担保するのだろうと思います。
「万能仮説」は、そもそも、その存在を事実によって証明することができず、その適用範囲が確定していないため、反証可能性にも開かれていません。「万能仮説」は科学的仮説というよりは、宗教のような形而上学的思惟であると思います。進化生物学・ダーウィニズムにおいて「進化」という観念が「万能仮説」化しておりますが、それは、論証ではなく、トートロジーというべきもので、唯物論者はさまざまな場面で同じようなことをするものだと感心せざるをえません。

稲垣勝巳 さんのコメント...

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超ESP仮説は、おっしゃるとおり、ESPの存在はおろか、超心理学などエセ科学だと決めつける唯物論者は、この仮説は笑止千万の戯言だと言いつのるでしょうね。
超ESP仮説を唱えたのはホーネル・ハートだとされています。彼の主張は、サイの限界が分かっていない現段階では霊との交信とされるような現象も、原則として生者のESPによって起こりうると考えるべきではないか、そうすれば霊魂仮説は不用であり、節減の原理に反する、というものでした。
超心理学における定義は、「これまで決定的なものとして提出されてきた死後生存のあらゆる証拠は、生者によるサイ能力で完全に説明できると考える理論」だとされます。この仮説を完全に反証しなければ死後生存の証明ができないのなら、論理的に、死後生存は反証もされない代わり、永久に証明もできないという袋小路にはまることになります。
超ESP仮説は、おっしゃるとおり、この万能能力者が実証されていない、まったく裏付けを欠いた机上の空論であり、超ESP仮説自体の証明も、ESPの限界が分かっていない以上、原理的に不可能ということになります。
問題は、生まれ変わりや魂の実在を証明するという重大事においては、生まれ変わり仮説以外に、他の仮説によってもわずかにでも説明可能性がある場合には、それを考慮に入れないわけにはいかないということです。そのような仮説を棄却しないことには、「完全な」「厳密な」生まれ変わり仮説の実証だと言えないことにあると思います。

稲垣勝巳 さんのコメント...

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したがって、「タエの事例」は、その語りの諸情報が歴史的事実と完全に一致し、しかも通常の方法ではそれら諸情報が入手できない証明がされても(事実その証明はできていると確信していますが)、情報であるかぎり、被験者里沙さんが超ESPを駆使して入手したという可能性を完全に棄却できないと思います。
しかし、その4年後に、同じ里沙さんに、超ESP仮説を棄却できる応答型真性異言事例「ラタラジューの事例」が出現したということは、ひるがえって考えると、「タエの事例」においても超ESPを用いていない傍証になると考えてもよいのではないかと思っています。
そうした意味において、里沙さんという被験者はたぐい稀な資質の持ち主であると驚嘆しないではいられません。

ソウルメイト さんのコメント...

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>稲垣勝巳さん
「超ESP仮説」が持ち出されてきた背景には、ESPの存在までは認めてもいいけれど、「死後生存」までは認めたくないというような、なんらかの心理的抵抗のようなものの痕跡の臭いがしないでもありませんね。その死後生存に対する心理抵抗が何に由来するのかについては、別途、興味をひく問題ではありますが。
「応答性真正異言」の実例をもっていったんは、「超ESP仮説」を棄却したとしても、「超ESP仮説」を無根拠に拡大して、スキル・技能の伝達も含まれる、とか言い出しかねませんし、だったら、その証拠を提出せよ、というような応酬になるんではないのかな、と想像します。
それと、「死後生存」や「生まれ変わり」を厳密に確定する唯一の根拠が「応答性真正異言」の存否にかかわるとしたら、圧倒的大多数の前世記憶のみならず、スピリチュアリズムにおける霊信の数々も、ESPもしくは「超ESP」の発動の結果と解せざるをえなくなるのではないかと思量しますが、いかがなものでしょうか?

ソウルメイト さんのコメント...

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>稲垣勝巳さん
わたしは稲垣先生が発表された「タエ」や「ラタラジュー」の事例に見られるような、事実によってその発現内容が圧倒的確かさで確認された、超心理学における研究というものを知らないのですが、そういうものは、存在するのでしょうか?
超心理学研究に造詣の深い笠原敏雄氏の「サイの戦場」や「超常現象のとらえにくさ」を始めとするいずれの著作にも、稲垣先生の研究成果に匹敵するような超心理学上の実例は存在しないのではないかと思います。
ESPは厳格かつ厳密な手続きに従ってなされた実験では、それほど強力なものではありません。いくらひいき目に見ても「タエ」や「ラタラジュー」の事例とは比較するのが愚かに思えるほどあやふやで微かなものでしかありません。このことは、事実上、生者のESP能力の限界を示している、とわたしは思います。
「タエ」や「ラタラジュー」の事例を死後生存の事例と認めないというのであれば、生者のESPで同等のことができるかどうかを実証してみせるほうが先ではないでしょうか?

ソウルメイト さんのコメント...

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予言や予知、透視やテレパシーといったいわゆる超感覚的知覚=ESPのような現象を前にして、大別して二つの考え方があるように思います。
一つは、ESPのような現象は現行の唯物論のパラダイムにおさまらないので、物質を超越した次元の存在を認めようとする立場で、もう一つは、そのような超越的次元の存在を拒んであくまで、現行の唯物論を拡張補充することでなんとか説明しようとする立場だろうと思います。
極微の物質、たとえば原子核の軌道上にある電子はエネルギーを失うと一瞬にしてその軌道から消滅して、別の軌道に出現します。これは、ある二点間を特定の速度で移動したのではなく、一瞬にして位置を変えた、いわゆる量子飛躍=クオンタム・リープといい、あたかも、テレポーテーションを思わせる現象です。また、ある時に対となって生成した素粒子はどんなに遠くへだったとしても、対をなす一方の素粒子に与えた影響が一瞬にして、距離を無視してもう一方の素粒子に波及することが知られています。現在の物理学ではなぜそうなるのかは解明されておりません。
極微の物質の領域では、あたかも超常現象を思わせるような不思議なことがいろいろ起きるわけですが、素粒子のサイズから比べれば、はるかにマクロな人間の感覚的領域で起きるESPのような不思議な現象もミクロの素粒子や、あるいは、もっと微細で基底的な物理法則で説明できるはずだと考える超心理学者は少なくないと思います。

ソウルメイト さんのコメント...

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「超ESP仮説」というのは、あくまで唯物論を擁護したいという欲求を持つ超心理学の研究者が持ち出してきたのではないかとわたしは強く疑います。
ESPのような超常現象を未知の物理法則に還元して説明しようという試みは、べつに非難されるべきものではないと思いますが、同時にESPのような超常現象を物理法則を超越した現象である可能性もあるとなぜ考えられないのか、了見の狭さを残念に思います。すくなくとも、「死後生存仮説」や「生まれ変わり仮説」を頭から否定しないだけの柔軟さは、真実の追求者であるアカデミストに求められて然るべきではないでしょうか?
超心理学の研究者だからといって唯物論者でないとはかぎらないわけで、中には、もっとも頑なな唯物論者が同時に超心理学の研究者でもありうることを銘記しておく必要があるのではないかと思います。

稲垣勝巳 さんのコメント...

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膨大なコメントをいただいて深謝しています。
こうした議論は、関連領域に関わる豊富な知識の累積に支えられた正当な論理的、批判的思考の所有者でなければできないからです。得難いコメンテーターを得てうれしく思います。
とりあえず、超ESP仮説を無根拠に拡大して、スキル・技能の伝達も含まれる、とか言い出しかねません、という点についてだけの私の見解です。
超ESPという強力な能力の所有者がいまだ発見されておらず、しかも、ESPによって技能を獲得したという事例がまったくない、という事実を前にして、つまり、無根拠であるのに、技能を超ESPで獲得できると主張する研究者が、今後現れるとは思いません。
もし、過去に1例でもESPによって技能を獲得した超能力者の事例があれば、スティーヴンソンほどの厳密な研究者が、応答型真性異言をもって、生まれ変わりの最有力な証拠だと主張するとは思われません。そして、この主張に対する反論・反証はいまだ提起されていません。このことは、ESPによっても技能は獲得できないことが認められていると理解しています。
超ESP仮説の不当性はご指摘のとおりだと思います。生まれ変わり仮説を認めたくない研究者が、支持している否定のための否定だと思いたくなる仮説こそ、超ESP仮説でしょうね。
ただ、この仮説は、ESPの実在が不十分といえども実証されており、したがって、まったく無根拠な仮説だとは棄却できず、しかもESPの限界が明らかではない現状では、理論的には成り立つ仮説ではあります。

迷子 さんのコメント...

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こんにちは、はじめまして、
イアン・スティーブンソン教授の研究については20年近く前から存じ上げております。
ここのコメントを読でいて少し気になったので。
 >超ESP仮説を無根拠に拡大して、スキル・技能の伝達も含まれる、とか言い出しかねません、という点についてだけの私の見解です。
既に真性異言について超ESPで説明できるのではないかと主張する超心理学者はいます。
 
 おそらく日本で唯一の公式の超心理学の講座をもつ、明治大学情報コミュニケーション学部の石川幹人教授の
メタ超心理学研究室のポルターガイストのところにその事がかかれています。
ttp://www.kisc.meiji.ac.jp/~metapsi/psi/7-4.htm があり、
さらに詳しくは石川幹人著『超心理学 封印された超常現象の科学を御覧』紀伊国屋書店を御覧ください。
失礼します。

ソウルメイト さんのコメント...

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>迷子さん
ご教示ありがとうございます。「応答型真正異言」が超ESPの発動ではありえないことを、イアン・スティーヴンソンは・技能・スキルをESPで再現した例はないと指摘していて、それゆえ、技能・スキルである異言語による会話能力は、死後生存の証佐であるとしているわけですが、技能・スキルが ESPで再現しうるかが否かが鍵となるわけで、石川さんは、顕著で高度なゼノグロッシーは、きわめて稀である、と書いておられますね。実際、そのような実例があるのでしょうか、という疑問に答えてもらう必要があるのではないでしょうか?
わたしは、稲垣先生が報告された事例に匹敵する実例を知らないのでお教えくださればうれしく思います。
石川さんは、稲垣先生の研究をご存じなのかな?と疑問に思うのですが…

迷子 さんのコメント...

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こんにちは、稲垣先生のことをご存知かどうかはわかりません。石川先生に直接問い合わせるしかありません。
 詳しいことは解りかねますが「超心理学 封印された超常現象の科学」では巻末にある推薦図書やその他注釈含めて日本語のほぼ全てのスティーブンソン教授の著書に眼を通していらしゃるようですし、
 デューク大学のライン研究室ではジム・タッカーさんと直接お会いしているようです。
 なによりスティーブンソン先生の事実状の弟子とも言うべき、あの笠原敏雄先生のHPから、直接リンクしている唯一の個人HPであり、なおかつ笠原先生の保有している超心理学の膨大な本を研究室に寄付を受けている方です。
 
巻末に「前世の言葉を話す人々」が紹介されております。スティーブンソンはESPで説明するのは無理があるとしているがどうとらえるべきだろう。と問題提起していらっしゃいます。
私としては目標志向性つまりメカニズムは解らないが結果はでる超常現象の特徴を拡大解釈しすぎていると思います。それは超能力の枠内に収め技能とは分けて考えるべきだと思いますし。
石川先生の本についてはアマゾンで私は、迷子の名前でコメントしています。

稲垣勝巳 さんのコメント...

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迷子さんのご指摘にあった石川教授の問題指摘個所は以下の記述ですね。
「生まれ変わり,そして精神霊媒やシャーマンが見せる憑依様状態は,一見,人格が身体の死後も存続する(サバイバル)かのようである。しかし,それらが超常的現象であったとしても,サバイバルを持ち出す必要はない。生者のPSIが時空を越えて働くとすれば,あくまでPSIとして説明可能である(スーパーPSI)。このサバイバルかスーパーPSIかという点について,超心理学者の間では議論がある。憑依された霊媒や生まれ変わりの子供が,死者が生前振舞った,まさにそのままに行動するとしたならば,スーパーPSIは分が悪くなる。それらを逐一PSIで説明するには極めて複雑なメカニズムを想定せねばならない。死者が生前使用していた異国の言葉を話したり書いたりなどすれば(ゼノグロッシー),なおさらである。サバイバルの方が簡単な仮説であり,節約原理に適うという主張である。けれども,現象はそこまで顕著ではない。高度なゼノグロッシーが報告されることも,極めて稀である」
石川氏の言う「ゼノグロッシー(真性異言)」には
朗唱型と応答型があることは、この超常現象に関心のある方には周知のことでしょうが、スティーブンソンが、サバイバル(生まれ変わり)の最有力の証拠だとしたのは、「応答型真性異言」であって、異言で書いたり、「朗唱型真性異言」のほうではありません。単に、異言で書くことや朗唱型異言を唱えることは、「情報」であり、「技能」を必要としませんから、「サバイバル」を持ち出さなくても、超ESPで説明可能です。
石川氏の「死者が生前使用していた異国の言葉を話したり書いたりなど」という表現の意味が、朗唱型真性異言や異言で書くだけのことを指しているのなら、たしかに「サバイバルは持ち出す必要はない」と言えます。肝心なことは、超ESPによって、「応答型真性異言」という現象を起こしたという実証事例の有無です。私は、そうした実証報告を知りません。そして、石川氏の記述でも、そのようなことはどうも不明確で曖昧のようです。
超ESPによって、学んでいない「技能」を発揮した実例がほんとうにあるのか、あるならある、とその明確な説明がほしいところです。私は少なくとも、スティーヴンソン存命中(今世紀初頭までには)には実例はなかった、と承知しています。

ソウルメイト さんのコメント...

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>迷子さん
「死後生存」や「生まれ変わり」とはべつに、「サイの目標指向性」というのは、重大な意味を持つようにわたしは思います。普通、わたしたちは、物事の生起を因果関係、つまり、原因と結果が厳密に対応していると考えますし、科学は当然、そのような思考をするわけですが、サイについては、特定の結果を生じさせるためのメカニズムや過程、プロセスというものを、すっ飛ばして、いわば無視して、結果が現れるように観察されるということですよね。これって、なにげにものすごいことですよね?わたしたちの外部世界はもとより、自分自身についても、どでかい不思議を提示しているように思えるんですが。常識だとか固定観念をねこそぎぶちこわしてしまうほどの破壊力を秘めているようにわたしには感じられます。いまいちどよ~く、考えてみたいと思います。また、「サイの目標指向性」について、ご教示くださる方があれば、深謝いたします。

ソウルメイト さんのコメント...

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>稲垣勝巳さん
物理学の先端である量子力学は、素粒子は物質であると同時に波動でもあり、観測の仕方いかんでどちらであるかが決まるという認識や、素粒子の存在は観測するまでは確定されず、存在する傾向として確率波としてしか記述できず、観測して始めて存在が確定するという結論は、ニュートンによって完成された古典力学の自然観や宇宙観に大きな衝撃と動揺与えました。アインシュタインは終生、量子力学の確率論的自然観を受け入れることを拒否したそうですが、繰り返された実験は量子力学の主張の正しさを裏付けているのだそうです。
「サイの目的指向性」という問題は、量子力学が古典力学に与えた以上の衝撃と動揺をわたしたちのものごとを認識する仕方に与えるように思います。なにしろ、わたしたちが当然として受け入れている因果の法則が薄紙のように破られてしまうからです。わたしは、「死後生存」や「生まれ変わり」という問題に劣らないほど重大な問題を提起しているように思います。
「死後生存」や「生まれ変わり」のテーマからそれてまことに申し訳ないのですが、この問題についての稲垣先生のご見解をお教えいただければうれしく思います。

稲垣勝巳 さんのコメント...

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私は、SAM前世療法の実践者であることを第一義としています。
あなたほどの他領域にわたる読書量はありませんし、したがって、情報量も貧弱なものだと認識しています。
そうした自己認識から、超心理学の生まれ変わり分野の研究に限定した情報収集と思考をするのが分相応だと思っています。
したがって、量子力学の不確定性理論については、ほとんど無知です。観察者によって、光が波動にも粒子にも観察されると言う程度の知識しか持ち合わせていません。
このことについては、高森氏の最近のブログをご覧になると、物理学者であり、スピリチュアリストである研究者の興味深い見解が出ていますから、そちらをご覧になることをお勧めします。
私が見解を述べられることは、生まれ変わりにおける意識現象の事実にもとづく実証的なことに限るという前提と、その他の学問領域については深く立ち入らないという限界においてのことです。
そして、目下の関心事は、迷子さんの情報における、超ESP仮説によって技能まで取得できるのか、という議論です。超ESPによって応答型真性異言現象が可能であるとしたら、スティーヴンソンの3つの事例も、「ラタラジューの事例」も、生まれ変わりの証拠として採用することが根底から崩れてしまうからです。技能までESPで取得した実証があれば、それを知らなかった私は自分の浅学非才と軽率さを恥じなければなりません。

ソウルメイト さんのコメント...

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>稲垣勝巳さん
ひたむきに一筋の道をに追求される方に対して、余計なことでした。申し訳ありません。にもかかわらず、懇切なるご教示に感謝申し上げます。

ソウルメイト さんのコメント...

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>ソウルメイトさん
現在、ご指摘くださった笠原敏雄氏の「唯物論という幻想 隠された心の力」を再度、読み返しております。が、笠原氏は、どうも「サイの目標指向性」の意味するところの重大性については、あまり、深くお考えになっておられないのでは?という印象を持ちました。迷子さんは、どんなふうにお考えになりますか?
わたしは、「サイの目標指向性」という問題についてわたしなりに仮説を立て、一応の納得を得ることができました。