2013年12月25日水曜日

SAM前世療法の成立 その41

総括 その2 「タエの事例」と超ESP仮説
良好な催眠状態に導き、潜在意識をどんどん深め、年齢退行によって子宮にまで戻したその先に、現世に影響をもたらしている前世の記憶とおぼしきものが想起される。
そうした想起によって、現世の不都合な症状が解消されていくという事例が積み重なるにつれて、私には語られる前世の記憶とおぼしきものの真偽を突き止めたいという探求心が徐々に芽生えてきました。
そして、「前世療法」を謳うからには、「前世」存在の有無について自分なりの見解を持って療法に取り組むべきであろうと思うようになりました。
こうして、語られた前世の真偽の検証可能な事例との出会いを待つこと四年目にして、ついに「タエの事例」との出会いが起こりました。2005年6月のことです。
「タエの事例」とは、約230年前の天明3年(1783年)7月に起きた浅間山大噴火で、群馬県を流れる吾妻川が火砕流で堰き止められ、それが決壊して泥流の大洪水が起きた折り、村を守る人柱となった渋川村上郷(かみのごう)(現渋川市上郷(かみごう))の16歳の少女タエの前世人格が現れたというものです。
タエによって語られた、年号・月日・地名・浅間山大噴火の様子などは、いずれも史実との照合が可能な具体的内容であるという希有の事例でした。
私は、勇躍して、語り内容の検証のため渋川市教育委員会の協力を仰ぎ、渋川市の現地調査に出かけました。
その検証結果は8割以上の一致率を示し、残り2割も検証不能というだけで、はっきりと誤りだと認められるものはない、という結論をもたらしました。
ただし、タエ自身の実在を示す文書等の証拠は発見できませんでした。
しかし、この検証結果即、生まれ変わり(前世の存在)の証拠となるわけではありません。
この語り内容の正確な情報が通常の方法で入手されたものではないという証明のためには、いくつかの説明仮説を検討しなければなりません。このことは「ラタラジューの事例」にも関わってくることですので、ここで検討すべき仮説の概要を述べておきます。
説明仮説その1は、「意図的作話仮説」です。
これはクライアント里沙さん(仮名)が、事前にタエに関わる諸情報を入手し、これをもとにタエという前世の架空の作り話を意図的に語ったとする仮説です。
説明仮説その2は「潜在記憶仮説」です。
これは里沙さんの通常の意識にはのぼらないタエに関わる潜在的な諸記憶があり、それを組み合わせて架空のタエの作り話を無意識的に語ったとする仮説です。
説明仮説その3は「遺伝子記憶仮説」です。
これは遺伝子の中にタエの記憶が保存されており、それによって語られたのではないかと考える仮説です。
説明仮説その4は「超ESP仮説」です。
ESPとは透視・テレパシーなの超能力のことで、これに「超」が付くと、「万能の超能力」を意味します。
つまり、里沙さんが万能の超能力を用いて、タエに関わるあらゆる情報を入手し、その情報を組み合わせて架空のタエの物語を語ったのだ、とする仮説です。
説明仮説その5は「憑依仮説」です。
これはタエを名乗る憑依霊が里沙さんに憑依してタエの人生を語ったのだ、とする仮説です。
最後の説明仮説その6が「生まれ変わり仮説」です。
これは文字どおりタエという前世が実在し、その前世の記憶が現れて、その人生を語ったとする仮説です。
私は「生まれ変わり仮説」以外に考えられる五つの仮説を詳細に検討した結果、これら五つの仮説は棄却できると判断しました。
そして、「生まれ変わり仮説」こそ、「タエの事例」をもっとも妥当に説明できる、と結論しました。
こうして、「タエの事例」を、生まれ変わりを濃厚に示す事例として、2006年5月『前世療法の探究』の中に収載し、世問うことにしたのです。
これが2006年10月、フジTV番組「奇跡体験アンビバボー」が取り上げ、セッションの記録映像と合わせて25分余り放映がされて、大きな反響を呼ぶことになりました。
放映当初、「タエの事例」は前世の存在を示してしているはずだ、という大きな自信に満ちていましたが、やがてその自信はだんだんと揺らいでくるようになりました。
それは「超ESP仮説」を完全に打破することが不可能であったからです。
この「超ESP仮説」を完全に打破しない限り、超心理学上では前世の存在を証明したことにはなりません。
通常の状態で、里沙さんが超能力を発揮した事実がないからと言って、催眠中にも絶対発揮されなかったという証明にはならないからです。
事実、海外では、普段には現れない超能力が、催眠中に突如現れたという事例があるのです。
同様に里沙さんにも、そういうことが起きていた可能性を排除できません。
「超ESP仮説」を適用される限り、「タエの事例」は前世の存在と生まれ変わりの科学的証拠として不完全だという思いが膨らんでいったのです。
また、「前世の記憶」の所在を「脳内」であるとする前提は、解決できない大きな矛盾をはらんでいます。
死とともに脳は滅び、当然脳内の記憶も滅ぶはずです。
脳内の現世の記憶や個性や人格が、来世に引き継がれる(死後存続する)道理がありません。
したがって、想起された前世の記憶は、フィクション以外のなにものでもない、という論理的帰結を免れることができないことになります。
こうして、私の探究は、「超ESP仮説」を打破できる、より完全な事例発見へと向かうことになったのでした。
そうした事例こそ、「応答型真性異言」にほかなりません。
技能である会話ができるためには練習が必要です。
いかなる情報も入手可能な万能の超能力でも、練習が不可欠な技能までは獲得できないのです。
したがって、途方もない超能力者でも、超能力によって学んでいないはずの外国語で会話できることはあり得ません。
学んでいないはずの外国語で突然会話できたとしたら、それは、前世で学んでいたとしか説明ができないことです。
「超ESP仮説」の適用を排除できる「応答型真性異言」こそ前世の証明であり、これを何としても発見したい、これが、生まれ変わりの実証を探究する私の、追い求めるべき次のターゲットとして定められることになりました。
しかし、世界中を駆け回り、20年かけてやっと3例の応答型真性異言をイアン・スティーヴンソンは発見しています。
たやすく応答型真性異言に出会うことはできない相談でした。
「タエの事例」以後4年間で、伝説のムー大陸の異言らしきもの、古代アッシリア語らしき異言など、検証にかけられないものがわずかに現れただけでした。
そして、立ちはだかっているもう一つの大きな壁は、「前世の記憶」という考え方のはらむ矛盾を、いかにして解決するかという難題でした。
タエの語りは、被験者里沙さんの前世の記憶の語りであるのか、それともタエという前世の人格の顕現化であるのか。
もし、前世人格の顕現化であるとすれば、そのような前世人格の所在が脳内であるはずがない、いったいどこにタエという前世人格は所在しているのか。
(その42へつづく)

2013年12月22日日曜日

SAM前世療法の成立 その40

総括 その1 教育催眠研究から前世療法研究へ
私と催眠との出会いは、小学生期にまで遡ります。
祖父に催眠の心得があり、離れの和室に訪ねてくる人に施療していた姿をしばしば見て育ちました。
祖父は、名古屋市の裕福な和楽器問屋の長男として育ち、若いときから風流な趣味人として生きてきた人でした。
八卦、姓名判断、手相・人相、華道、茶道、催眠とそれぞれ免許を持ち、晴れの日は農作業、雨の日は注文を受けた鍬やツルハシの柄を樫材を削って作る毎日を送っていました。
夜は、お茶と生け花の師匠をし、依頼があれば催眠治療をするという生活でした。
今で言うボランティアで、依頼に応じては施療していたようです。
祖父の催眠技能がどれほどであったかは小学生の私が知る由もありませんが、車酔い・吃音・悪癖で悩む大人・子どもの訪問者が結構ありましたから、ある程度の腕前はあったのでしょう。
当時小学生だった妹が祖父に車酔いを治してもらったと自慢していたのを聞いて、催眠術なんてインチキくさいよ、とからかったことを覚えています。
やがて中学校教員になった私は、学級の子どもたちの車酔いや、学習指導に催眠を活用できないかと考えて,祖父に催眠の伝授を頼んでみました。
明治生まれの頑固な祖父は、「おんしは、人間がまだできておらんから断る」と素っ気ない返事でした。
それでも、85歳を過ぎて寝込むと、私を枕元に呼び、「あの本棚に催眠の秘伝書が二冊ある。おんしに譲る。催眠術は自得するものである。精進せよ」と遺言を残して逝きました。
私が29歳のときでした。
催眠の本格的研究に取り組んだのは、35歳のときに上越教育大学大学院修士課程へ現職教員の身分で研修派遣され、二年間学んだときのことでした。
A・Hマズローの自己実現論の研究に取り組み、その研究過程で、マズローがその人間観に反発・批判したフロイトに触れることになりました。
フロイトの精神分析理論の根幹である「無意識」の発見の端緒が、催眠にあったことを知り、ここから催眠理論と誘導実技の本格的研究に取り組むことになっていきました。
垣間見られる潜在意識(無意識)の謎の深淵は、催眠研究をライフワークとして取り組ませるだけの大きな魅力に満ちた世界でした。
その後、37歳で中学校の教育現場に戻った私は、岐阜県教育センター研修主事として催眠療法の研究歴を持つ大澤功校長(故人)に仕え、大澤校長のスーパーバイズとバックアップを受けて、当時岐阜県ではまったく先行研究のなかった、学校での教育相談の一環として教育催眠の研究に傾倒していくことになりました。
同時に、日本教育催眠学会へ入会し、学会発表を通しながら、自らの教育催眠の理論と実践の研鑽を積み重ねました。
この学会に所属した縁で、学会の生みの親であり、日本の催眠学の泰斗、九州大学名誉教授成瀬悟策医学博士のスーパーバイズを受けるという幸運に恵まれることになりました。
やがて、児童生徒への教育催眠の実績を聞いて、親や、知人からの催眠療法の依頼が舞い込むようになり、大人への催眠療法にも守備範囲を広げていくことになりました。 
大人への催眠療法も手がけていく中で、それまで学んだ催眠技法では歯の立たない19歳女性のリストカットの事例に出会いました。2002年のことでした。
この事例で、最後の手段として私がが初めて用いたのが、当時一世を風靡していたワイス式前世療法です。
それまで、科学としての催眠療法を標榜し、唯物論科学を信奉していた私にとって、いまだ立証されてもいない「前世」をかぶせた「前世療法」は、心理学として位置付いた催眠療法を、再び非科学的なニュアンスの濃厚な催眠療法へと逆行させる、目障りで怪しげな療法でした。
また、それまでの教育催眠にはまったく用いる必要のないものでした。
こうして初めておこなった前世療法は、予想に反して意外な著効をもたらしました。
クライアントの女性が、前世の影響からリストカットに陥っていた気づきを得たことで、それまで執拗に繰り返され、しかもその間の記憶がないというリストカットが改善に向かうという、まことに不思議な成果を挙げることができたのです。
この最初の前世療法の事例は、その3年後に出会うことになる「タエの事例」の前駆的事例となりました。
私の抱いていた前世療法への反発は影をひそめ、試す機会を得ては前世療法を用い、その改善効果を検証することへと研究を傾注することになっていったのです。
(その41に続く)

2013年12月13日金曜日

SAM前世療法の成立 その39

SAM前世療法の成立の作業仮説を得た過程と、その考え方ついて、延々と述べてきました。
今回からは、SAM前世療法についての総括です。
総括に入る前に、SAM前世療法によって「魂の自覚状態」に至ったクライアントの特異な事例について紹介したいと思います。
この65歳の男性クライアントは、ある宗教団体の指導的立場においでになる方でした。
人品骨柄卑しからず、という表現がぴったりの落ち着きのある穏やかな紳士でした。
以下は、クライアントが送付してくださった体験報告です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私は教団の中で、指導的な立場を与えていただいております。
教団には定年制はありませんが、今、私が教会長をつとめている教会の会長職を倅に譲ろうと準備を進めているところです。
これまで何十年と霊的真理については研究を重ねてきて、その過程で、どうしても実証的な体験をしなければ、人に確信をもって言うことができない、と思うようになりまして、今年に入った頃から、私に前世体験をさせてくれそうな人を探しておりました。
飯田先生のことは、「生きがいの創造」を出版なさる前からネットで知っており、先生にメールでお願いして、あの本のもとになった論文も頂きました。
そのご縁から、門真市の奥山先生も知りまして、色々下調べをしてみましたが、お二人とも施術者としては優秀ですが、死後の霊魂の存続については、個人的には信じておられるようですが、公式には態度保留というお立場にみえます。
前世があるかないか分からないが、一定の治療効果があるから、たとえ見えたものが無意識の作り出したビジョンでもいいではないか、という見解のようです。
私の求めているのは、治療ではなくて「霊的真理」のみですから、(と申しますのは、教団では、一定の信仰信念に達しますと、いわば「ヒーリング能力」を付与される制度があります。
私には、宗教的なヒーリング能力がすでにありますから、治療には興味も必要もないのです。
どこかにどなたかいらっしゃらないかなあ、とネットサーフィンしていて、偶然先生のことを知りました。
あらゆるサイトを探して、先生のことはあらかた分かりました。
教師をなさっておられた頃のことや、近年の「タエの事例」や「ラタラジューの事例」と、その後の経過も逐一調べました。
この先生に会いに行かなければならない!と心に決めて先生にセッションの事前予約を承諾して頂いた後、その旨を家族に相談しました。が、猛烈な反対にあいました。
家内は一定の理解を示してくれましたが、二人の息子が強硬に反対するのです。
長男は教会長後継者ですので、「今、おやじがオカルト的な行動をすると、教団に知れたらどんな処分を受けるかわからん。
どうしてもやるのなら、完全に退職してからやってくれ」というのが彼の意見です。
次男は学者ですが、「行くのはいいが、いきなりセッションを受けるのはやめて、まずはその方と会ってみてはどうか?世間には色々いかがわしい輩もいて前世体験などと言って金品を巻き上げる事例も多いから。おやじなら、一度会えばその人物が本物かどうか見分けがつくだろうから」という意見です。
私は悩みました。倅たちの意見は至極尤もです。
私が強行する理由はありません。
ところが、心はどうしてもすぐにでもセッションを受けたいとはやるのです。
色々考えた挙句、長男の意見に従うことにしました。
先生にも申し上げたように私はPCのエキスパートです。
ちょうどその頃に、長女が自宅のPCの無線LANを組んでほしいと言ってきまして、そのために普段私が使っているノートPCを持って行きました。
無線LANはすぐに構築できまして、時間がありましたから、そうだ、稲垣先生に延期をお願いしようと、上記の理由を詳細に書いて、来年の11月3日のあとにセッションを受けたい旨のメールを送信しました。
ところが、受信サーバは反応するのですが、送信サーバが反応しません。
何度やっても同じです。
他人からPCのメンテナンスを依頼された場合は、設定を色々いじってなんとか直します。
そのときも送信できるようにする自信はあったのですが、無理はやめようと思いました。
これは、何かのメッセージに違いない。
延期をお願いするメールが送信できないのは、早急に行けという意味ではなかろうか。
よし、直観に従おうと決めました。
但し、倅が心配するだろうから、家内には本当のことを打ち明けて、倅には内緒でいくことにしました。
もちろん、どんなことを経験しようが、来るべき時がくるまでは倅には内緒にしておくつもりでした。
セッション当日の朝、不思議と心は穏やかでした。生まれて初めての経験、それも唯物論ではありえないことに遭遇しつつあるのですから、極度の期待と緊張があるはずなのに、まるで日常のルーティン・ワークをこなしているような平静な自分に驚きました。
自分は行くべくして行っているなあ、となかば可笑しいように自分を観察していました。
駅を降りて、お会いする前に、ご自宅周辺を30分ほど散策しました。
デジャブは感じませんでしたが、とても懐かしい気がしました。
それから、呼び鈴を押しました。
お会いして、私より先生の方が少し緊張なさっている印象を受けました。
あとは先生御承知の通りです。(中略)
1・壁を通して聞こえてくる戸外の雑音(特にトラックの通過する爆音)が気になった。
2・左側頭部で圧迫痛がした(左耳朶が特に痛い)。セッションを終えて数分で痛みはなくなった。
3.浄霊後の催眠での、守護霊の応答について。
  (特に左手人差し指の動きについて。)
あの時、私の意思を離れて、勝手に指が動きましたが、あの時の指は単なる指ではなくて、指に宿った“無意識さん”の“顔ないしは頭部”になっていたのではないでしょうか?
指の動きは「上下」だけではなくて、「左右」にも動いていた記憶があります。
私は自分の指の動きを感知できました。
誘導の最初の頃は、指は単なる「イエス、ノー」の意味で「上下」運動をしていましたが、守護霊が現れてからは、指が霊体の頭となって「首から上」の動作をしていたように感じました。
守護霊は前世の誰かと交代することを「受諾した」のではなく、「ためらいがちに、首を左右に振った」という
感じを受けました。
指は質問に応じて色々な反応をしました。
単なる上下運動だけじゃなくて、一見あいまいな動きもしましたが、それは、指が「首から上」の動きを表していたからのように感じました。
守護霊の意思表示は「それはしてやりたいが、することを許されていないんだ」ということを指と言う「全身」で「いやいやと首を左右に振って」表現しているように感じました。
指が勝手に動くだけで、指の「意思」は私には伝わっておりません。
ただ、「神様の降臨」の時は、それ以外の時とは全く違いました。
降臨の直前に私の意識が一瞬消えて、気が付いたら指が化身となって「昂然と屹立している」と言う感じでした。
しかも指が立つ、というより、何かの力に引っ張られて指が上を指している、という感じでした。
指自体は完全に脱力していました。
帰宅してから、同じ動作を試みましたが、自力ではあんなに直立はできませんでした。
4、セッションの最後に呼び戻される過程で、魂状態では、下半身が霊体化しているのを感じました。
現実には椅子に深くかけて、腰も膝も曲がっているはずなのに、下半身をまっすぐ伸ばして頭と同じ高さで水平に宙に浮かんでいる感じがしました。
そして霊体の足は、現実の足よりはるかに力に満ちていました。
5、未浄化霊については心当たりがあります。
私と血縁はないのですが、家内の妹で32年前に20代で死亡したものがおります。
結婚後一年程で男児を出産しましたが、生後五日目に赤ん坊が死にました。
医師によれば、生まれつき複数の代謝異常があって生きられなかったそうです。
本人もその数カ月後に腎臓病で死亡しました。
その後、教団では、神道に倣って、死後に一年祭、五年祭、十年祭、二十年祭、十年ごとに慰霊の年祭をしますが、婚家がしましたので、たぶん形式的で、慰霊にはなっていなかったのでしょう。
夫はすぐに再婚しました。
浮かばれない気持ちは分かりますが、何故血族の家内に憑依せずに私に憑依したのかが分かりません。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「魂状態の自覚」に至ると、きわめてまれですが、「神を名乗る存在」が降臨することが起きます。
この男性クライアントの場合がそうでした。
この降臨した神を名乗る存在の真偽は、もちろん検証不可能です。
ただし、
「神様の降臨の時は、それ以外の時とは全く違いました。降臨の直前に私の意識が一瞬消えて、気が付いたら指が化身となって昂然と屹立していると言う感じでした。しかも指が立つ、というより、何かの力に引っ張られて指が上を指している、という感じでした。指自体は完全に脱力していました。帰宅してから、同じ動作を試みましたが、自力ではあんなに直立はできませんでした」
と報告されているような超常的な現象が起きたことは誇張ではなく事実です。
私の観察でも、「あなたは神という存在でいらっしゃいますか」という私の問いに、クライアントの左人差し指は、ほぼ90度の角度で屹立し、指関節の可動域では考えられないあまりの異常さに鳥肌が立ったことがはっきりと記憶に残っています。
こうした事実から、クライアントの願望が投影された、「神」の役割演技であると考えることには無理があるように思われます。
堅固な信仰と優れた霊的感性をもつクライアントの、「霊的真理を実証体験したい」という切実な願いに、「神」が感応されたのではないかと私には思われました。
未浄化霊が、血縁者でなくても親戚関係にある霊感のある者に憑依することは起こるようです。
このセッションでは、クライアントが、「もし縁者の中に未浄化霊として苦しんでいる霊がいれば、浄霊してやって功徳を積みたい」という要望でおこなった憑依実験です。
こうした霊的超常現象が起こるのは、クライアントにすぐれた霊媒体質があることが条件です。
(その40につづく)

2013年12月2日月曜日

SAM前世療法の成立 その38

「魂遡行催眠」段階(魂の表層構造仮説に基づく解釈)
① 仮説としての体外離脱状態
知覚催眠段階をクリアできると、いよいよ魂の自覚状態にまで潜在意識に導かせることになります。
なぜなら、潜在意識は魂の表層(側面)のものたちが作り出してしているものであり、魂の状態とともにあると考えられるからです。
したがって、潜在意識を遡っていけば、魂状態に至るであろうということになります。
この魂状態の自覚へと遡行するために、潜在意識を肉体の任意の部分に宿らせ導かせる、という発想と技法は、ワイス式前世療法と一線を画すSAM独特のものであり、この技法は、霊体仮説に触発されて編み出した技法です。
「個人的意識(顕在意識・潜在意識)は霊体に存在している」という霊信が真実であるなら、潜在意識の座は脳ではなく全身を包む霊体がその座になります。
また、「霊体の色がオーラである」とも告げています。
オーラの見える人たちは、対象者の肉体の傷んでいる個所のオーラの色が黒ずんで見えると報告します。
実際に、肉体の不調個所を告知しないでオーラを見た場合、不調個所のオーラの黒ずみを指摘するという実験結果を得ています。
また、健康な肉体のオーラの色は澄んで輝いているとも報告します。
こうした実験結果から、オーラと肉体は相互反映関係にあると思われます。
つまり、オーラ(霊体)と肉体には共通する要素があるのではないかと推測できます。
私は、オーラ(霊体)は、肉体的(物質的)要素を包含していると考えています。
とすれば、霊体に宿っている潜在意識を、肉体のどの部分にでも移し替え、宿らせることが可能だということになります。
この発想から、肉体の任意の部分(たとえば指)に潜在意識を宿らせ、指の上下運動によって魂状態にまでの遡行を導かせるという技法を編み出したというわけです。
さて、私の用いていたワイス式前世療法では、知覚催眠段階の次には記憶催眠段階に深化させます。
つまり、現世の記憶を幼児期、さらには胎内まで遡り、さらにその先の前世の記憶へと遡行させるという技法を展開していきます。
かつて、ワイス式で前世療法をおこなっていたときには、記憶催眠段階をクリアできない場合は前世記憶への遡行ができないことがほぼ確定的でしたから、記憶催眠段階の確認が必要でした。
SAMでは、記憶催眠段階をクリアしたことを確認しません。
必要がないからです。
知覚催眠段階さえクリアできれば、魂の自覚状態へと遡行できることを臨床経験で検証できているからです。
さて、 魂の自覚状態とは、クライアントの報告の共通点を集約すると、およそ次の3点になるようです。
ただし、魂状態を体験をしたクライアントの中には、催眠性健忘による記憶の抑制が起こり、報告できない場合もあります。
しかし、報告できない場合でも、潜在意識を宿した指は、魂状態に至ったことを明確に回答しています。
ア 体重の感覚が消えている。あるいは、肉体が感じられない自覚になる。
イ 「わたし」と表現する以外にない、意識体そのものになった自覚がある。
ウ 「わたし」が、肉体からずれたり、空間に浮いている状態の感覚になる。
こうした魂状態の自覚について、私は一種の「体外離脱」状態が生じているのではないかという仮説を抱いています。
それは、近年数多くの「体外離脱体験」「臨死体験」として報告されている状態によく似ていると思われるからです。
体外離脱体験が脳内現象として起こる幻覚であるのか、意識体(魂)が肉体を離脱した体験であるのかは科学的決着がついているわけではありませんが、幻覚だと断定できない事例があることも事実のようです。
私の周辺にも睡眠中に体脱体験をしたと報告する人が複数います。
また、モンロー研究所の開発した人為的に体外離脱体験を起こさせる「ヘミシンク」の技術は、催眠誘導の技法にきわめて似ています。
左右の聴覚に周波数の異なる波の打ち寄せるような音を繰り返し聞かせ、「さあ、リラックスして心の扉を開きましょう」などのナレーションによって体脱状態に誘導するわけですが、これは催眠誘導の技法にきわめて類似していると言って過言ではないでしょう。
等作用被暗示性高進と呼ばれ、人は同じリズムの繰り返しによって催眠状態に入りやすいのです。
それに適切な言語暗示を加えればいっそう催眠状態が促進され深化されるのです。
私の技法では、呼吸法と体を揺らす運動を組み合わせて誘導しますが、それはこうした等作用被暗示性高進によって起こる生理的特性を意図的に用いたものです。
よく宗教などでは、太鼓・鉦などをリズミカルに打ち鳴らし、それに合わせて単純な経文を繰り返し唱えるなどの「お勤め」と呼ばれる儀式をおこないますが、その結果起きてくる「法悦」などの恍惚状態の境地(心理状態)も、まさしく同じリズムの繰り返しという等作用被暗示性高進による催眠状態の一つだと言って差し支えないと思います。
さて、ヘミシンクによって起こる体外離脱体験の真偽は明らかになっているわけではありませんが、ヘミシンクによって体外離脱状態の意識現象が起こるとすれば、類似の技法を用いる催眠法で体外離脱状態の意識現象が起きても不思議ではないというのが、私の催眠臨床的見解です。
② 魂の表層(側面)に生きて存続している前世のものたち
潜在意識が魂状態に到達したことが、潜在意識を担わせ、たたとえば指の上下運動の停止によって示されると、魂状態に到達していることを指による回答で確認します。
軽く潜在意識の宿っている指を撫でて、「潜在意識であるあなたは、今、魂状態に導き終えましたか? 魂状態に到達しているなら指を立てて答えなさい」と尋ねます。
指が立って「はい」の回答を確認できると、いよいよ魂の表層(側面)に息づいている前世のものたちの中から、主訴に応じて必要なものを呼び出す作業に入ります。
この作業は、「魂の二層構造仮説」に基づいて展開していきます。
つまり、魂の表層(側面)は、各前世のものたちが、互いに繋がりを持ち、友愛を築き、与え合う(リンクしている)関係で構成されている、と霊信は告げています。
これら魂の表層(側面)に存在する「前世のもの(前世人格)」を、必要に応じて呼び出そうというわけです。
まず最初の質問は、指を立てることで回答を求め、「あなたは魂の表層の前世のどなたかですか?」から始めます。
次いで「魂の表層にあるもののうち、現世のものに、最も大きな影響を与えている前世のものと交代してください」、あるいは「魂の表層にあるもののうち、深い傷を負ったまま、癒しを必要として苦しんでいるものと交代してください」など、必要に応じて前世のものを指名して呼び出し、そのものの人生の軌跡を聞き出すという作業を展開していきます。
その前世のものが口頭で答えられるときには口頭で、それができないときには指を立てることで回答するように質問を重ね、そのものの人生の傷を探り当てていくことをしていきます。
こうした作業の過程が、傷の癒しにつながることになります。
こうして、クライアントの傷ついた前世のものに交代すると同時に、そのものが悲痛な泣き声を上げて苦悩を訴えることが少なくありません。
あるいは、傷の部分に触れる質問をした途端に苦痛で身体を震わせたり、もがいたり、涙を流し始めるという現象が現れます。
さらには、未浄化霊を名乗る存在が救いを求めて憑依することや、高級霊を名乗る存在が降りてきて憑依し、私あてのメッセージを告げることも稀ではありません。
こうした前世人格が現れたときのクライアントの意識状態は次のように特徴的です。
ア 前世人格はそのものが人生を送ったときの人格と感情を当時のままに保って魂の表層に意識体として生きて存在しており、呼び出しに応じて現世の意識と併存して現れる。
イ 前世人格の感情が現れているとき、一方にはそれをモニターしている意識も併存しており、クライアントの意識内部で両者の分離状態が起きている。
ウ つまり、モニターしている意識の監視下で前世ものは自己の人生を語り始めるという現象が起き、モニターしている意識は自分とは別個の人格が勝手に話し始めるという自覚を持つ。そして前世のものの悲しみの感情などが勝手に噴き出し涙があふれるという自覚状態になる。
ちなみに、2010年8月フジTV「奇跡体験アンビリバボー」で紹介された応答型真性異言「ラタラジューの事例」は、この手続きによって現れた前世人格です。
 
③ セッション中における三者的構図
SAM前世療法では、セラピストはクライアントと対話しているという自覚を持ちません。
あくまで呼び出した前世人格と対話をしている、という自覚のもとにセッションを展開します。
クライアントのモニター意識は、セラピストと前世人格の対話にオブザーバーとして同席しセッションの行方を見守る、という関係になります。
つまり、セラピスト対前世人格、それをモニターしているクライアントの意識という三者的構図になっているというということができます。
ただし、モニターしている現世の意識は、生まれ変わりの関係によって前世人格と密接な繋がりを持っていますから、前世人格の感情をすべてストレートに共体験することになります。
したがって、前世人格の苦しむトラウマを共体験し、その癒しの感情も共体験することになり、その結果として、前世人格が及ぼしていた現世の不都合な精神的、肉体的諸症状が改善に向かうということが起こると考えられます。
あくまで暫定的仮説ですが、こうした三者的構図、およびそこで展開する対話のあり方が、他の前世療法とは異なるSAM前世療法における基本的治療構造だと言ってよいと思われます。
(その39に続く)

2013年11月25日月曜日

SAM前世療法の成立 その37

「知覚催眠」段階の解釈(心・脳分離仮説に基づく解釈)
SAMの仮説においては、運動催眠レベルがさらに深まった知覚催眠のレベルとは、潜在意識が言語暗示を受け取り、脳に暗示どおりの諸知覚を感受、あるいは消失するように働きかけ(発信し)、受信機である脳は、潜在意識の命じるように(発信するように)知覚を認識するようになる状態だと解釈します。
つまり、脳の管理下を離れた、心に管理されている潜在意識によって、脳の知覚レベルへの支配が可能になった状態であると解釈します。
このレベルの催眠深度に至ると、心の管理下にあって優勢化している潜在意識が、脳に対して様々な知覚を認識させる、あるいは消失させるように命じ、それを受信した脳はそのように知覚を認識することが可能になり、つまりは、潜在意識に働きかける言語暗示どおりの諸知覚が認識されるというわけです。
そのもっとも典型的な例は、言語暗示によって痛覚が麻痺する(失われる)という信じがたい現象です。
催眠による痛覚麻痺、つまり催眠による麻酔によって開腹手術や無痛分娩が可能になることは、古くから知られていました。
現在のような麻酔薬がなかった時代には、催眠麻酔が活用されていたという歴史的事実があります。
この催眠による無痛現象の説明は、単に痛覚が鈍くなるに過ぎないという説、脳幹にある網様体の神経経路が遮断されるという説、脳内麻薬が分泌されるという説など諸説がありますが、どれも科学的確証がなく、言わば現在も謎の催眠現象だと言って差し支えないでしょう。
この謎の催眠現象に対して、SAMの「心・脳二元論」仮説、「魂の二層構造」仮説を適用すると、痛覚が消失する現象は、潜在意識が言語暗示の示すとおり脳に命じ(発信し)、受信機である脳がそれに従うことによって起こるのだと解釈できるというわけです。
こうした、言語暗示によって知覚の歪曲される催眠現象を、催眠学では一般に、「言語暗示による変性意識状態」だと定義しています。
しかし、なぜそのような変性意識状態が起こるのか、そのメカニズムについては分かっていないのです。
SAM前世療法の誘導プロセスでは、必ず、「知覚催眠」レベルに至っていることの確認作業をします。
その理由は、知覚催眠の催眠深度を通過しない場合には、「魂状態の自覚」に至ることができないことが経験上明らかになっているからからです。
林茂男『催眠入門』誠信書房、1964,によれば、知覚催眠レベル(中程度の催眠深度)に至る者の比率は約36%(19世紀~20世紀の14研究のまとめ)とされています。
SAM前世療法では、知覚催眠の確認を、手のひらの体温の3つの知覚を作り出せるかどうかで確認します。
すなわち、①温感をつくりだせる、②冷感をつくりだせる、③手のひらの知覚を消失させる(無痛状態になる)の3つの知覚が暗示によってつくりだせることをもって、知覚催眠に至ったことを確認します。
「つくりだせる」と表現したのは、まさに、潜在意識が脳に命じて、そのような知覚をつくりだしたと解釈するからです。
つまり、心が脳の管理下を完全に離れ、心(潜在意識)が脳に自在に命じることが可能になった状態になっている、と考えられるのです。
これまでのクライアント直近100事例の知覚催眠到達度は、91%というところです。
催眠学上の研究では知覚催眠到達度は約36%であり、SAM前世療法における91%の到達度はその3倍弱の成功率になります。
こうしたSAMの成功率の高さは、被験者(クライアント)の催眠状態に入ることへの動機の高さと、催眠誘導技術の高さに高い相関関係があると考えています。
催眠状態とは、一口に言えば、潜在意識が顕在意識より優勢になり、脳が潜在識の命じることに従う状態だと考えることができますが、私の根本的な問いは、そもそも意識というものに、顕在意識と潜在意識の二つの意識がなぜ必要なのかという疑問です。
催眠学も医学も、この根本的問いに答えることはできないでいるのです。
SAM前世療法の立場から言えそうなことは、魂が肉体という器を持ったがために、肉体を維持・管理するために顕在意識が必要になったのでないかということです。
つまり、顕在意識は、肉体を維持・管理するために、主として、外界の諸刺激を正しく認識することによってつくりだされた意識であろうと思われます。
このことは、五感という外界からの脳への刺激を遮断したアイソリューションタンクという感覚遮断装置に入ってしばらくすると、肉体の感覚が消失し、潜在意識が優勢化し、体外離脱現象が起こるらしいという報告からも推測できるのではないかと考えています。
(その38につづく)

2013年11月15日金曜日

SAM前世療法の成立 その36

SAM前世療法の作業仮説による「植物状態人間」の解釈
現在の正統医学では、意識のないように見える植物状態の解釈を次のようにしています。
「脳が意識を作り出している。つまり、意識は脳の付随現象である。植物状態は、脳が損傷しているために、意識を作り出すことができない状態である。つまり、意識がないので、脳が肉体を管理できない状態である」
これに対して私の立場による解釈は次のようになります。
「脳は意識を作り出さない。つまり、意識と脳は別である。意識は脳以外の魂の表層、および霊体にある。健在である意識が発信しても、受信機である脳が損傷しているので受信不能となっており、肉体を管理できなくなっている状態である」
このように植物状態を例にとり、その解釈を比べてみると、両者の立場の相違が明確になります。
なお、脳が肉体を管理していると認める点では両者とも同じです。
こうして、私の立場に立つと、植物状態の人間にも意識は存在していることになります。
現に私は、植物状態の人に話しかけて、対話(テレパシーで返答をするらしい)ができたという霊的感受性の高い人を何人か知っています。
もちろん、このことを科学的な検証にかけることは不可能ですが、私の立場に立てば当然ありうることになります。
また、霊信の告げている「霊体に個人的意識が存在している」という前提に立てば、心臓移植した場合に、移植先の患者にドナーの意識が現れるという現象も説明可能かもしれません。
移植される心臓を取り巻く霊体にドナーの意識が存在し、ドナーの心臓とともにその霊体も移植され、その結果、ドナーの意識が移植先の患者の意識に現れるというわけです。
SAM前世療法における催眠状態の説明仮説
催眠状態は、一般的に運動・知覚・思考などの異常性が引き起こされる「変性意識状態」だとされています。
ただし、なぜそのような変性意識状態が引き起こされるかの説明には諸説があり、また催眠諸現象すべてを完全に説明できる包括的理論はありません。
私は、これまでの臨床経験と霊信の告げた内容から、各催眠深度の催眠状態の解釈に独自の作業仮説を立て、SAM前世療法に取り組んでいます。
次に述べていく「運動催眠」→「知覚催眠」→「魂遡行催眠」の各催眠レベルは、催眠深度の深まり順を意味しています。
なお、顕在意識と潜在意識の働き具合の関係は、次のようなシーソーの高さの位置関係を比喩として考えるとよいと思います。
ふだんの意識状態は、顕在意識が優勢ですからそのシーソーの位置は高くなっています。
その位置が、反対側の潜在意識が優勢になるにつれてどんどん低く下がりはじめ、逆に潜在意識の位置はどんどん上がりはじめ、ついに高さの位置関係がふだんとは逆転し、潜在意識の位置のほうが高くなったとき(優勢になったとき)を境に、催眠状態が始まると考えてよいでしょう。
「運動催眠」段階(潜在意識優勢仮説に基づく解釈)
催眠に入ったばかりの浅いレベルの催眠状態です。「運動催眠」というわけですから、運動レベルでの催眠諸現象が起こります。
たとえば、「両手のひらを合掌の形から離すことができない」という暗示に反応して、顕在意識が離そうと努力しても、ピッタリくっついたまま離せないという運動の禁止が起こります。
これは、顕在意識より優勢になっている潜在意識が暗示に反応して、くっつけた状態を離そうとしないように働いているのだ、と解釈します。
そこで、顕在意識(催眠状態をモニターしている意識)からすれば、なぜ離そうと努力しても離れないのだろう、と不思議がるということになります。
ただし、顕在意識がこうした事態を拒否し、敢えて離そうとすれば離すことができます。
潜在意識は、それほど強力なものではないのです。
潜在意識というくらいですから、顕在意識にはその存在が働いていることをどうしても認識できないのです。
したがって、催眠状態に入るということは、顕在意識よりも潜在意識のほうが優勢になっている状態に移行することだと言ってもよいと思います。
この状態は、ふだんは脳に管理されている心、その心に管理されている顕在意識・潜在意識が、脳の管理下を離れはじめた状態だと解釈することができます。
ふだんは脳の管理下にある心に管理され、優勢を保っている顕在意識が、心が脳の管理下を離れることによって、潜在意識のほうに優勢の座を明け渡すという逆転が起こると考えるわけです。
そして、顕在意識よりも優勢化した潜在意識による、脳の運動レベルへの支配が可能になった状態であると解釈します。
ふだん脳が肉体をきちんと維持・管理するためには、脳が感覚器官を通して受け取る外界の諸刺激を識別する心の働きに対して、識別された刺激をそのまま(正しく)受け取る顕在意識を、潜在意識より優勢にしておく必要があります。
そして、顕在意識・潜在意識を管理する心を、脳の管理下に置いておく必要があると考えられます。
もし、心が脳の管理下になく、心の管理する潜在意識が、脳が識別した外界からの諸情報に関わらず、勝手に振る舞うとしたら、脳の司る肉体の維持・管理機能に支障が生じるに違いないからです。
たとえば、外界が零下であるような場合に、心(潜在意識)が、脳に外界は暑いと指示し、脳がそのように認識して寒いにもかかわらず衣服を脱ぐとすれば凍死するかもしれません。
その逆も起こるわけですから、外界が暑いにもかかわらず、心が脳に寒いと指示すれば、衣服をさらに着込んで、熱中症になりかねません。
こうした事情から、ふだんは脳が心を管理し、心が脳に勝手に振る舞うことを禁じていると考えられます。
SAM前世療法では、霊信が、「脳が心を管理している」と告げていることをこのように解釈します。
(その37へ続く)

2013年11月11日月曜日

SAM前世療法の成立 その35

SAM前世療法の謎
SAM前世療法には、一般のワイス式前世療法と比較して、いくつかの解明できていない謎があります。
ワイス式前世療法でうまくいかなかったクライアントで、SAM前世療法でも成功しなかった事例は今のところありません。
両方の前世療法を経験したクライアントは30名を超えています。
この両方を経験したクライアントに報告される大きな共通項は2つあります。
①催眠中の意識状態が明らかに違う。SAMの場合、ワイス式と比べてうんと深い意識状態に入ったという自覚がある。
②ワイス式ではセラピストの質問に対して口頭で答えられるのに、SAMの場合には魂状態に至ると口頭で答えることができなくなる。
①について、ワイス式では、催眠学に則った心理学系催眠法の「催眠深度」を尺度によって確認することなく誘導が進められるので、どの程度の催眠深度に至ってセッションがおこなわれているかが不明です。
かつて、私がワイス式でおこなっていた前世療法では、「運動催眠」→「知覚催眠」→「記憶催眠」の順に、催眠深度を成瀬悟策の「標準催眠尺度」を用いて確認し、「記憶催眠」レベルの深度到達後、年齢退行によって子宮内まで退行し、その先の「子宮に宿る前の記憶(前世記憶)」に戻ります、という暗示をしていました。
しかし、私の知る限り、ワイス式体験者は、「記憶催眠」より浅い催眠深度である印象を受けます。
催眠学の明らかにしているところでは、「知覚催眠」レベルでは、五感が暗示通り知覚されます。
したがって、さまざまな幻覚を暗示によってつくり出すことが可能です。
また、創造活動が活性化され、自発的にイメージが次々に現れるようになります。
それで、被験者は、そうした自発的に出てくるイメージに対して、自分が意図的にイメージをつくり出しているという自覚をもつことはありません。
つまり自発的イメージが架空のものとは感じられず、自分の中に潜んでいた真実の前世記憶がイメージ化して現れてきたという錯覚をもつ可能性があるということです。
こうした催眠中のイメージ体験の性格を根拠にして、大学のアカデミックな催眠研究者は、前世療法における前世の記憶はセラピストの暗示によって引き起こされた「フィクション」であると口をそろえて主張します。私の敬愛してやまない成瀬悟策先生もこうした立場をとっておられます。
したがって、アカデミックな催眠研究者は、前世療法を正当な催眠療法として認めようとはしません。
こうした事情から、前世療法に関する学術論文は皆無といえる状況です。
管見するかぎり、論文は、相模女子大石川勇一氏の『「前世療法」の臨床心理学的検証』1本だけのようです。
SAM前世療法では、必ず「知覚催眠」レベルの深度に至っていることを標準催眠尺度を用いて確認します。知覚催眠レベルに至ることがない深度では、魂状態の自覚まで遡行できないことが明らかになっているからです。
そして、知覚催眠に至れば、ほぼ誰でも記憶催眠に至ることも明らかです。
  
したがって、SAMでは記憶催眠レベルの確認はおこないません。
記憶催眠を突き抜けて、さらに深度を深めていきます。
標準催眠尺度では測れない「魂遡行催眠」と私が名付けているレベルにまで深めます。身体の自発的運動は停止し、筋肉・関節の完全な弛緩状態にもっていきます。
SAM前世療法では、こうした意識状態にまで誘導するので、ワイス式より深い意識状態に至ったという報告が共通してされるのではないかと推測しています。
②については、その解明は容易ではありません。
 
SAM前世療法における魂遡行状態では、顕現化した前世人格が口頭で答えられる割合は5人に1人、約20%しか口頭で話せません。
5人のうち4人までが、どうしても口頭で答えることができないと答えます。
ワイス式ではこうした音声化できないことは起こりません。
ワイス式体験者は、誰でも前世記憶のビジョンを口頭で報告することが可能です。
この口頭で話せないという現象は、SAMの催眠深度がワイス式よりも深く、筋肉の弛緩状態がきわめて深く、声帯も弛緩し切っているので発声できないのではないか、という推測は的外れのようです。
どうも、SAM前世療法の作業仮説に理由を求めることができるのではないかと考えています。
ワイス式では、「前世の記憶として現れるビジョンをクライアントが報告する」という前提になっています。
あくまでクライアント自身が「前世記憶を想起し報告するのです。
SAMでは、「顕現化した前世人格が、クライアントの身体を借りて(自己内憑依して)対話する」という作業仮説でおこないます。
前世人格は、当時のままの個性と感情を持ち続けて、意識体として魂の表層に生きている存在なのです。
こうして、クライアントは、まず顕現化した前世人格の喜怒哀楽の感情を共体験します。
感情のみの共体験で終わる場合もあります。
療法としての治癒効果は、ビジョンより感情のほうが有益ですから、それでいいと思っています。
私の対話相手はクライアントではなく、身体をもたない前世人格という死者なのです。
死者である前世人格は、身体を失ってすでに長い時間を経ている存在です。
そこで、何人かの前世人格に、なぜ話すことができないのかその理由を指で回答してもらうことを試みたところ、「発声器官の使い方を忘れているからどうしても声に出すことができない」という回答でした。
指やうなづくという単純な動作なら、現世の身体を借りてその動作で回答することが可能であるということでした。
一理あるとは思いますが、さらに探究する必要があると思っています。
ここで注目すべきは、SAM前世療法においては、クライアントは前世人格の霊媒的な役割を担うということです。
私は、クライアントの意識の中に憑依として顕現化した死者である前世人格と、声帯にしろ指にしろクライアントの身体を借用して自己表現をする前世人格と対話するという形をとっているのです。
つまり、クライアントは、自分の身体を自分の魂の表層に存在する前世人格に貸している霊媒的役割を担うことになっているということです。
前世人格は、自分の生まれ変わりである現世の身体を媒介にして、現在進行形で私と対話をしている、これがSAM前世療法のセッション構図になっているということです。
そして、このような信じがたい構図は、「ラタラジューの事例」によって証明されたと思っています。
そしてまた、霊信からの情報の恩恵による、SAMのような前世療法は、私以外に誰も発想できない療法でしょう。
正しくは、私独自の発想によるものではなく、霊信からの教示によるものです。
里沙さんの前世人格ラタラジューは、セッション中にネパール語対話者カルパナさん(朝日大学法学部博士課程ネパール人留学生)と次のような現在進行形でのやりとりをしています。
里沙  Tapai Nepali huncha?
   (あなたはネパール人ですか?)
カルパナ  ho, ma Nepali.
   (はい、私はネパール人です)
里沙  O. ma Nepali.
   (ああ、私もネパール人です)
つまり、前世人格ラタラジューは、今、ここにいる、ネパール人カルパナさんに対して、「あなたはネパール人ですか?」と、明らかに、今、ここで、問いかけ、その回答を確かめているわけで、「里沙さんが潜在意識に潜んでいる前世の記憶を想起している」という解釈が成り立たないことを示しています。
ラタラジュー は、現世の里沙さんの身体発声器官)を借りて、自己表現している存在です。
里沙さんは、カルパナさんとラタラジューのネパール語会話の媒介役として、つまり霊媒的役割としてラタラジューに身体を貸している、とそういうことにほかなりません。
前世人格は、クライアントの魂表層に生きているが肉体を失っている意識体です。
肉体のない霊的存在(死者)です。
私は、クライアントを霊媒として用い、死者との対話をしている、というSAM前世療法のセッション構図からすると、これは19世紀半ばから20世紀はじめにかけて欧米で大流行した「交霊会」と同様の構図とも言えるでしょう。
こうした観点から、SAM前世療法を貶すとすれば、「オカルト療法」だという非難の声が聞こえてきそうです。
しかし、SAM前世療法は、科学的検証に耐えた応答型真性異言「ラタラジューの事例」を持っています。
応答型真性異言はオカルトではありません。
これまで世界で5例しか発見されていませんが、科学的な事実です。
(その36に続く)

2013年11月5日火曜日

SAM前世療法の成立 その34

SAM前世療法の憑依仮説再論
過去の記事「その28」で、SAM前世療法の作業仮説の一つに「憑依仮説」を下記のように掲げておきました。

【その28再掲はじめ】
SAM前世療法の作業仮説 その4 憑依仮説
SAM前世療法では憑依現象を認めています。
そして、憑依は霊体に起こると考えています。
このことは、憑依したとおぼしき未浄化霊に尋ねると、霊体に憑依していると答えるのでそのように考えています。
SAM前世療法セッションでは、こうした憑依している未浄化霊の顕現化現象や守護霊などの高級霊の顕現化現象がそれほど稀ではなく起こります。
【再掲終わり】
上記の高級霊の憑依について、クライアントに憑依した私(稲垣)の守護霊から、きわめて具体的なメッセージが告げられるというきわめて特異な憑依現象がありました。
このクライアントは、私の主宰する催眠塾の今年度6月修了生である30代後半の女性で、SAM前世療法の試行を数事例実施したところで沸き上がってきた疑問を相談するため、そして、学んだSAM前世療法の復習のため、当研究室に来訪しました。
この女性クライアントを「魂状態」の自覚に導いたところ、私(稲垣)の守護霊が憑依しました。
魂状態とは肉体の感覚が喪失し、「私という意識」のみが自覚される状態です。
したがって、魂状態の自覚に至れば、肉体を持たない霊的存在と同次元に並んだことになります。
そうであるからこそ、霊的存在の憑依が起こりやすくなると考えられます。
ただし、魂状態に至ったときに憑依する霊的存在は、高級霊に限られます。まれに神を名乗る存在が降臨します。
未浄化霊がすでに憑依しているときには魂状態に至ることを妨げますから、それを確認し、浄霊作業をおこなって未浄化霊の憑依を解かないと、魂状態に至ることができないことが明らかになっています。
こうして、魂状態に至ったときには、未浄化霊の憑依が起こることはありません。
私の守護霊は、憑依と同時に、苦悶の呻き声を発しながら、次のように告げました。
「喫煙をやめなさい。それがつらいことは分かっている。しかし、守護霊である私と直接つながるためには、喫煙の習慣を改める必要がある」
この守護霊の告げたことは、2007・2・5着信の下記第21霊信に符合していることは明らかです。
【参考第21霊信抜粋】
そして、喫煙をやめるべきか伝えよう。
それは、あなたが向き合うべきものからいつまでも目を背ける思考を生み出す行為である。
タバコの成分だけではない。
あなたの心の渇望と強く結びつくため、それらは容易にやめることができないように思えるのだ。
なぜ、喫煙をやめるべきだと告げるのかを理解しなさい。
あなたが現段階で理解している以上のものは、その先でなければ理解することができないからだ。
私たち(注:守護霊団)は何度でも告げよう。
あなたが自らの成長、そして多くの者の救いや癒しを求めるための最善であり最短の道は、まず喫煙を理解し、その習慣を捨て去ることである。
その一歩は、あなたにとって大きな学び、気づきをもたらす。
まず、喫煙と向き合いなさい。
私たちは都合のいいものは与えない。
あなたにとって、成長・向上となるものを与える。
この霊信がその存在によるものか、そんなことを考えるのはやめなさい。
これは霊団すべてのものから送信されるものであると理解しなさい。
私たちが話を進めるのはそれからだ。
まず、あなた自身を変化させる必要がある。
あなたが手放すことを恐れる不要なもの、それを手放すための信仰を築きなさい。
【抜粋終わり】
2007・2・5に上記霊信を受け取って後、今日まで6年余の間、霊信によるSAM前世療法の開発という恩恵に報いるために、禁煙をしようと思いながらずるずると喫煙を続けてきたことに対して、ついに守護霊が口頭で禁煙を勧めにやってきたのでした。
私は、「禁煙は苦しくてどうしてもできずにきました。それは、飲酒も賭け事も一切しない私にとって、喫煙は人生の大きな楽しみであったからです。それでも喫煙をやめろとおっしゃるのですか」と反問しました。
守護霊は、「禁煙の苦しいことは分かっています。しかし、あなたの喫煙によって被っている肉体の傷みを、あなたに代わって守護霊である私が引き受けてあなたを守っているからこそ、あなたは健康を保って生きているのです」と言いながら、激しく咳込み、そして一筋の涙を流しています。
私はたまらず、「私の身代わりになったあなたを苦しめていたことに深く感謝とお詫びをいたします。今度こそ、禁煙できるように努力します」と答えていました。
さらに、「禁煙しないと、私は罰せられるのですか」と尋ねました。
守護霊は、「喫煙を続けても、あなたが罰せられることはありません。私も、あなたとともに禁煙の苦しみに付き合います。禁煙が成功したあとには喫煙の楽しみ以上の楽しいことが待っています。私はつねにあなたの中におります。それを忘れないでください。苦しいときには、いつでも私に呼びかけてください。私はあなたを守るために、いつでもあなたにつがります」と告げました。
こうした憑依現象による守護霊との対話の真偽は検証不可能です。
しかし、私には、憑依中にクライアントの流し続けた涙は、私の守護霊が私のために流した涙として素直に受け取ることができましたし、私を守り続けている高貴な存在を実感しました。
なぜなら、言葉では表現できないあたたかな被護感に包まれている感覚、守護霊の慈愛によって私が生かされているという確かな感覚を実感していたからです。
私は思わず涙ぐんでいました。
この確かな感覚は、「愛」と呼ぶべきでしょうし、そうした私の守護霊の愛を素直に信じるしかないと思っています。
ただし、このような高級霊の偶発的な憑依現象は、すぐれた霊媒体質のクライアントに限られるようです。
SAM前世療法では、こうした憑依現象を事実として受け入れています。
これが「憑依仮説」です。
そしてまた、このような高級霊の憑依現象によって、私の味わったような深い癒し体験が起こることが、SAM前世療法の醍醐味の一つだと思います。
(その35へ続く)

2013年10月31日木曜日

SAM前世療法の成立 その33

SAM前世療法の治療構造仮説
私が現時点で、SAM前世療法の治療構造をどうとらえているのか、創始してからこれまで5年余の実践から実感的な考えを述べてみます。
ただし、治療構造の説明というものは、どんな心理療法であれ、絶対的な実証ができるわけではなく、仮説に過ぎません。
ですから、ここで述べることも、当然SAM前世療法のセッションの累積から導き出した暫定的な仮説でしかありません。
SAM前世療法の諸セッションによって明らかになってきたこと、
それは、誰でも魂の表層の前世人格のなかに傷をもつ者が存在するということです。
霊信では、
「どんな魂にも傷をもつ者が存在する。それは魂が成長進化するためにそうなっていると理解しなさい」
と告げています。
セッションで確認してきた意識現象の事実から、それら傷をもつ前世人格のうち深い傷をもつ者は、その傷の苦しみを「現世の者」に、多かれ少なかれ訴え続けているということが分かってきました。
そして「現世の者」は、その影響を受けて心理的症状や身体的症状を現象化します。
 
それらの諸症状は、魂表層に存在している前世人格の訴えによって生じているわけですから、現世の顕在意識には、魂表層のもとで起きている(潜在意識下で起きている)ことがどうしても理解できません。
つまり、「理由が分からない」、「なんとなく」という形でしか、顕在意識にのぼることができません。
たとえば、典型的な症状、心理状態を挙げてみると
理由の思い当たらない高所恐怖症、
理由の思い当たらない閉所恐怖症、
理由が思い当たらないなんとなく、あるいは突然襲ってくる不安感やうつ状態、
理由の思い当たらない特定の人や物への異常な恐怖感、
理由の思い当たらない特定の物への異常な愛着、
医学的所見のない特定の部位の原因不明の痛み、
デジャビュ
などです。前世人格はその人生で被った様々な傷を訴え、その影響を現世の者は受けているわけです。
療法としておこなうことは、こうした傷をもつ前世人格と対話し、その前世人格の苦しみを聞き、苦しみを解放することです。
彼が、苦しみを語ることによって解放され、現世の者に苦しみを訴えずに済むようになるまで対話をすることです。
これは通常のカウンセリング行為と全く同様です。
違うのは、対話相手の前世人格が、今は身体を持たない「死者」であるということです。
不気味と言えばこんな不気味なことはないのですが、私は恐怖を感じたことは一度もありません。
死者とはいえ、意識体として今も生きており、クライアントの肉体を借りて(自己内憑依して)、一個の人格として顕現化し、振る舞いますから、不気味さや恐怖を感じることは起こり得ないのです。
私の意識は、もはやクライアントを相手にしていることから完全に切り替わり、クライアントとは別人格の前世人格を相手にすることに没頭します。
私は、前世人格の生きた国や時代や立場を想像力を駆使して、彼の置かれた苦しみの状況を理解しようと必死で努めます。
このことは、今を生きている人間を相手にする通常のカウンセリングとは決定的に違います。
過去の時代を生きた人間の置かれた状況を理解するための、高卒程度の世界と日本の歴史的、地理的知識がどうしても必要です。
とりわけ、話すことができない前世人格には、指で回答を得るために私が適切な質問ができなくてはなりません。
前世人格の生きた時代背景の知識がないところでは、適切な質問ができない事態が起こります。
セッション後、クライアントから、私の質問が的を射ていないことが重なっていたので、前世人格が怒っていた、という指摘を受けたことがあります。
彼は肉体を失っていますから、苦しみや悲しみの自己表現を現世の肉体を借りておこなうしかありません。
そして、そのようにします。
つまり、現世の肉体に憑依(自己内憑依)するのです。
苦しみや怒りの会話、溢れる涙、苦痛の表情やうめき声などのクライアントの感情表現は、前世人格が、現世の身体を借りた代替表現です。
したがって、前世人格が顕現化中(自己内憑依中)のクライアントのモニター意識は、自分の意志からではなく、「勝手に声が出る(自動発話)」、「勝手に涙が出る」、「突然悲しみの感情が襲ってくる」というふうに意識します。
この意識現象は、SAM前世療法固有の意識状態と言えます。
つまり、前世人格顕現化中には、「前世人格の意識」とそれを「モニターしている現世のクライアントの意識」の二つが併存状態になっています。
私は、クライアントではなく、顕現化した前世人格を相手に対話をします。
私と前世人格の対話を、クライアントのモニター意識は、沈黙したまま傾聴しているというわけです。
モニター意識が、私とクライアントの対話に介入することは一切できないようです。
この私と前世人格との対話、それを傾聴しているクライアントのモニター意識という三者的構図の典型について、「ラタラジューの事例」を語った里沙さんの貴重な体験手記を紹介します。
【手記掲載はじめ】
(前略)
はじめに稲垣先生とラタラジューが日本語で会話しました。
なぜネパール人が日本語で話が出来たかというと、現世の私の意識が通訳の役をしていたからではないかと思います。
でも、全く私の意志や気持ちは出て来ず、現世の私は通訳の機器のような存在でした。
悲しいことに、ラタラジューの人殺しに対しても、反論することもできず、考え方の違和感と憤りを現世の私が(注:モニター意識)が抱えたまま、ラタダジューの言葉を伝えていました。
カルパナさんがネパール語で話していることは、現世の私(注:モニター意識)も理解していましたが、どんな内容の話か詳しくは分かりませんでした。
ただ、ラタラジューの心は伝わって来ました。
ネパール人と話ができてうれしいという感情や、おそらく質問内容の場面だと思える景色が浮かんできました。
現世の私の意識(注:モニター意識)は、ラタラジューに対して、私の体を使ってあなたの言いたいことを何でも伝えなさい、と呼びかけていました。
そして、ネパール語でラタラジューが答えている感覚はありましたが、何を答えていたかははっきり覚えていません。
ただこのときも、答えの場面、たとえば、ラタラジューの戦争で人を殺している感覚や痛みを感じていました。
セッション中、ラタラジューの五感を通して(注:モニター意識が)周りの景色を見、におい、痛さを感じました。
セッション中の前世の意識や経験が、あたかも現世の私(注:モニター意識)が実体験しているかのように思わせるということを理解しておりますので、ラタラジューの五感を通してというのは私の誤解であることも分かっていますが、それほどまでにラタラジューと一体化、同一性のある感じがありました。
ただし、過去世と現世の私は、ものの考え方、生き方が全く別の時代、人生を歩んでいますので、人格が違っていることも自覚していました。
ラタラジューが呼び出されたことにより、前世のラタラジューがネパール語を話し、その時代に生きたラタラジュー自身の体験を、体を貸している私が代理で伝えたというだけで、現世の私の感情は、はさむ余地もありませんでした。
こういう現世の私の意識(注:モニター意識)がはっきりあり、片方でラタラジューの意識もはっきり分かるという二重の意識感覚は、タエのときにはあまりはっきりとは感じなかったものでした。
(後略)
【手記掲載おわり】
この里沙さんのように、セラピストの「私」対「前世人格」との対話、それを傾聴している「現世のモニター意識」という、まことに奇妙な三者的構図でセッションが展開・進行します。
そして、モニター意識が、前世人格の苦しみを共感的に理解し、「ああそうか!それで私は前世人格の影響を受けて不都合が生じているのか」と、感情をともなって納得ができる(洞察)ができると、不都合な心理的症状や身体的症状が改善に向かう、これがSAM前世療法の目下の暫定的治療構造仮説です。
(その34へ続く)

2013年10月27日日曜日

閑話休題 その18の霊信現象のその後

2013・8・6の「SAM前世療法の成立 その18」で紹介した不思議現象のその後です。
長い引用になりますが、その18で紹介した記事を再掲します
【再掲はじめ】
ことの起こりは2012年10月に始まりました。
ちょうどその頃、私の催眠塾で学んでいたAさんの、姉の娘である高校1年B子(Aさんにとって姪)さんが、突然授業中に奇妙な鉛筆画を描かずにいられなくなったという事態が起きました。
描いている本人にまったく意味の分からない絵を、無自覚のままどんどん描いていってしまうという自動書記に類似の心理状態が起きているとのことです。
もちろん、ふだんのB子さんに精神疾患を疑わせるような言動はなく、明るい元気な娘だということです。
ただ、幼少より霊的感性が豊かな子だったそうです。
その後、2013年2月27日、3月4日、3月18日、5月29日、7月2日に、たいていは夜中、どうしても描かずにいられない衝動に駆られてベッドから起き上がり、A4用紙に鉛筆による絵を5枚描いたということです。
この奇妙な鉛筆画を自分の意志からではなく、描かされているという感覚でなぜ描くことになったのか、その謎解きを、セラピストである叔母のAさんに依頼してきたというわけです。
Aさんもこの不思議な、ある意味不気味な絵の解釈に困惑し、私の見解を聞かせてほしいと依頼してきました。B子さんの妄想が描かせた絵なのか。それとも別の何らかの意味があるのか。
私は、催眠塾門下生のAさんのこの依頼を受けたとき、霊能者ではないので、絵を見てもおそらくなにも霊感らしきことは働かないから、謎解きのお役に立てないだろうと回答しました。
Aさんはことの外熱心に、姪の描いた絵を見てほしいと、とうとう私の研究室まで訪ねてきました。
姪のB子さんが、自分がおかしくなったのではないかという不安に怯えているし、叔母としてなんとかしてやりたいと思うので、とにかく絵を見ていただきたいとのことでした。
絵を見せられて、案の定、私には皆目見当のつかない絵ばかりで、6枚の絵を関連づけて含意を読み取ることはとてもできない相談でした。
ヒントは最初の絵にあるだろうと考え、検討していると、神社らしきものが図案化された建築物とその入り口に至る5段の階段の図柄から、出雲大社の本殿ではないかという直感が走りました。
そのように見てみると、出雲大社の本殿の前の空間に一対の勾玉が描かれています。その勾玉が漏斗のような物に吸い込まれそうになっており、吸い込まれる先には臼のような物があり、その臼が口を開けています。その横には目鼻のないのっぺりした首から上だけの顔が大口を開けており、その細い首が管のようにうねり、その管の先に封書が描かれています。
この最初の絵から読み取れる断片は、出雲大社、容れ物に吸い込まれる魂、封書に込められたメッセージとそれを話したがっているような顔、ということになるでしょうか。
2枚目の絵では十文字の帯を架けられ、ひび割れて所々欠けている地球らしき球体と、それに紐状のものでつながっている別の天体らしき球体が書かれています。この天体も、ひび割れを縫ってあるような糸目の傷跡があります。

3枚目では大木が枝派を広げ、こんもり広がった葉がそのまま女性の髪でもあり、その髪を持つ女性の横顔からは涙がこぼれて落ちています。
4枚目では1枚目の絵にあった、魂が吸い込まれた臼のような容れ物に鎖が三重に巻かれ、錠がかけられています。その容れ物の上部には、目から上が斜めに切り取られた顔が乗っており、大きな口を開けて、その先にレールのような物が延びて、球体の中にある封書を貫き、最後は大きな眼につながっています。
この大きな眼は長い密生したまつげを持ち、カッと見開いています。
5・6枚目は同じ図柄です。5月29日に描いた絵が中途であったため、7月2日にそれに描き足したということでした。
大きな足から幹につながる大木、その幹に鼻とと口がついており、大口を開けて叫んでいる。右斜め上に大きな口を開け血を滴らせている球体、その下には土星らしき球体、木の幹を挟んで十文字の帯を架けられた地球が描かれています。
さて、このように5枚の絵を検討していると、何らかの霊的存在がメッセージとして発信している絵ではないだろうかという直感が走りました。
そこで、Aさんを魂状態まで催眠誘導し、こうした絵をB子さんに描かせて、メッセージを伝えようとしている霊的存在がいるのなら憑依をしてもらい、メッセージを聞いてみるという提案をしました。
Aさんはこの提案を了承してくれたので、早速実行に移しました。
2時間にわたるこの憑依セッションで、明らかになってきたことを要約すると、次のようなことになります。
Aさんが魂状態の自覚に至ったところで、「B子に絵を描かせ、それによってメッセージを伝えようとしている霊的存在がいるのなら、この者(Aさん)に憑依をしてください」とお願いをしてみました。
なんと、憑依してきた霊は、11の霊から構成されている私の守護霊団の一員で、これまで霊信を伝えたことのない第8番目の霊でした。
この霊は、人として生まれ変わる道ではなく、霊界で独自の修行の道を選んで成長進化をした存在であると語りました。
以下、この第8霊との対話の要約です。
①稲垣への霊信を伝えるため、B子に霊信内容を象徴した絵を描かせた。それをB子が叔母のAに見せ、Aが稲垣のもとを訪ねるのは計画されたことである。自分は出雲の神とつながる者である。
②出雲は復活する。稲垣は急ぎ出雲大社へ行きなさい。そこで、黄泉の国の入り口の封印を解いて入り口を開けるように祈りを捧げなさい。それをしないと魂の覚醒ができない者たちを救えない。
③稲垣は、出雲大社のオオクニヌシノミコトとの深いつながりを持つ。よって、出雲へ出向きなさい。
④神は稲垣のすることを常に見ておいでになる。これから稲垣は一族の者たちと神につながりなさい。
⑤地球の意識は苦しんでいる。地球の子である月の意識は地球の意識の苦しみを識り、血を吐く思いで心配している。地球の危機は迫っている。地球の人々の魂を覚醒させることを急ぎなさい。
⑥地球には土星の月の者たちが生まれ変わっている。土星の月は、自分のもとから地球に送り出した者たちが、地球の危機に見舞われていることを心配している。
⑦地球の危機は、すでに日本から始まっている。よって、人々の魂を覚醒させることを急ぎなさい。出雲へ行きなさい。
ざっと、以上のようなメッセージを守護霊団第8番目の霊から受け取りました。
憑依中のAさんの目からは涙が流れ落ち、憑依霊の発話は、「あ、な、た、は、い、ず、も、へ・・・」のように一音ずつ細切れで発音するという奇妙な発音に終始しました。
また、覚醒後には、憑依中に霊の語ったことの記憶は断片的にしか憶えていないということでした。
さらに、覚醒直後、疲労による下半身の痙攣によって15分程度カウチから起き上がることができませんでした。
私の守護霊団の8番目の霊を名乗る存在の憑依らしいこの現象を、真性の憑依現象だと判断するかどうかは意見の分かれるところでしょう。
まず、霊信を象徴した絵をB子さんに描かせ、その霊信である絵を私の門下生であるAさんを介して私のもとに訪ねさせ、Aさんに憑依して口頭で絵の謎解きをしながら口頭でのメッセージを告げる、という回りくどい手段を取った理由が分かりません。
また、憑依霊が語った「出雲が復活する」、「出雲にある黄泉の国の入り口の封印を解け」など出雲に関わる魂の覚醒についての霊信が謎めいています。
霊信としての奇妙な絵の象徴している意味は、憑依霊の口頭でのメッセージで一応の理解はできそうです。
しかし、絵の意味するところをAさんは憑依セッション前にすでに自分なりに理解しており、無意識のうちに憑依霊の役割演技をして語ったという催眠学的解釈も可能です。
しかし、そのような役割演技だとすると、憑依中のAさんが泣いたり、覚醒直後起き上がれないなどの極度の疲労が生じたことの理解できなくなります。これは演技しているとは思われません。
この憑依か否かの判断の目途は、今後、B子さんの奇妙な絵を描く行為が止まるかどうかであろうと思います。
今回の憑依セッションで、憑依霊の告げたことが本当であれば、B子さんをして霊信としての絵を描かせることはすでに必要がなくなっていると思われるからです。
【再掲おわり】
上記の終末に、私は「この憑依か否かの判断の目途は、今後、B子さんの奇妙な絵を描く行為が止まるかどうかであろうと思います」と述べておきました。
さて、10月22日に、Aさんからメールがあり、上記8月6日の私の守護霊団第8霊の憑依セッション以後、Aさんの姪B子(高1)さんがそれまで頻繁に起こしていた金縛り現象が止まり、不可解な絵を強迫的に描くこともまったく止まっているという報告がありました。
3ヶ月以上、不可解な霊的現象が止まっているということです。
こうした事実の報告からすれば、私の守護霊団第8霊と名乗った憑依霊が実在している間接的証明になると考えていいような気がします。
そのような仮定に立つと、霊信を象徴した絵をB子さんに描かせ、その霊信である絵を私の門下生であるAさんを介して私のもとに訪ねさせ、Aさんに憑依して、口頭で絵の謎解きをしながら口頭でメッセージを告げることを成功させる、という回りくどい手段を取った理由がおのずと見えてきます。
私には霊能力がありませんから、第8霊が口頭で通信するためには、私が関与するすぐれた霊媒体質の者を介して通信するしかありません。
第8霊は、すぐれた霊媒能力をもつAさんを見込んで霊媒に用い、口頭で霊信を届けようとしたしたのでしょう。
そのためには、Aさんを私のもとに導く必要があります。
そのために、Aさんの姪であるB子さんにまず不可解な絵を描かせ、B子さんが叔母であるAさんに相談する、Aさんは相談に応じられず、師弟関係にある私に相談する、私も絵の謎解きができずその絵が霊信現象である可能性を考えて、通信霊の憑依実験をする、という企てを第8霊がしたのでしょう。
第8霊は、私のもとに絵の謎解き相談に訪れたAさんに首尾よくく憑依して、自分の霊信を思い通りに口頭で伝えたということになります。
そして、第8霊が、まずB子さんに不可解な絵を描かせるような回りくどい手段を用いたのは、すぐれた霊媒体質のAさんを霊媒に用いて、霊信を口頭で正確に伝えるためであり、同時に霊信を告げた後は、B子さんに不可解な絵を描かせることや金縛り現象をピタっと止めることによって、第8霊の実在を認めさせようとしたのではないかと思われます。
しかし、そのように思うのは穿ち過ぎで、すべて偶然で起きていることである。
稲垣には霊の実在を認めたい願望があるので、そうした願望を投影させた結果、偶然を必然へとねじ曲げ、そのような解釈へと至ったに過ぎない、という考え方もできないわけではありません。

2013年10月23日水曜日

SAM前世療法の成立 その32

「魂の二層構造仮説」再論
2007.1.11~2.14に届いた私あて霊信を詳細に読み込むと、SAM前世療法は、私の守護霊団と称する霊的存在からの信託によって、私が編み出すことになっていた、と現時点では明確な自覚を持つようになっています。
2007.1.23着信の第11霊信で通信霊は次のように告げています。
【第11霊信抜粋】
そして、前世療法についてだがあなたは自らの霊性により独自性を持つようになる。
あなたの療法は、あなたにしかできないものになる。

上記霊信が届いた時点で、SAM前世療法は開発されていません。
したがって、この霊信は、これ以後に開発されていくことになるSAM前世療法を予言していることになります。
そして、第11霊信に続いて第12・13霊信で、SAM前世療法の作業仮説の骨格となる①~⑮の魂・脳・心・意識(潜在意識)・霊体の相互関係について告げてきました。
こうした情報(①~⑮)を私に与えることによって、必然的に、私が私にしかできない前世療法を構築することを通信霊団は読んでいたと思われます。
さて、これまですでに述べてきたたように、魂は「中心となる意識体(本体)」と「本体を取り巻く表層(側面)のもの」とから成る二層構造を持っている、というのが「魂の二層構造仮説」です。
「中心となる意識体(本体)」が存在しているどうかの検証はできませんが、「本体を取り巻く表層(側面)のもの」が存在していることは、クライアントの語る意識現象の事実の累積からほぼ検証できたものと判断しています。
そもそもこの作業仮説を確立するに至った経緯には、私あての霊信(拙著読者M子さんが自動書記として受信した11の霊からなる霊団と称するものから送信されたもので、全部で22霊信が届く)が告げた内容を検証する過程で成立していったという特異な事情があります。
「 稲垣の祖父の守護霊と繋がりをもつもの」と名乗る霊は、第12・13霊信で次のように脳・心・意識・魂、魂の関係を説いています。
① 脳が心を生み出すのではない。
② 心と意識(顕在意識・潜在意識)は別のものである。
③ 心は、外的情報を識別するための魂の道具である。したがって、傷つくことはない。
④ 心は、これまでの生まれ変わりを決める前の段階のもの、そして生まれ変わりで生じ た集合意識により形成される。
⑤ 心は、意識を管理するものである。
⑥ 脳は、心と肉体を管理するものである。
⑦ 傷を持つのは魂の表層(側面)であり、魂自体が傷を持つのではない。魂の表層(側 面)部分が傷を持つのである。魂の本体はあるがままに完全性を持つものである。
⑧ 魂の表層(側面)部分は、これまで転生してきたものたちにより構成されている。
⑨ 魂の表層(側面)のものたちは繋がりを持ち、友愛を築き、与え合う関係にある。
⑩ 顕在意識・潜在意識は、脳が作り出しているものではない。すべては魂の表層(側面)
であるものたち(これまで転生してきたものたち)が作り出している。それらは情報で ある。
⑪ それら情報をまとめる役目を司るのは脳である。脳によりデータ管理はされている。⑫ 心と魂は、肉体すべてに宿り、すべてを包むものである。
⑬ 心の中心は、心臓を包むようにその位置を中心として存在している。
⑭ 霊体は、魂と肉体を取り囲み、それを保護する役割を担うものである。
⑮ 霊体に個人的意識(顕在意識・潜在意識)が存在している。
私はこれらの霊信内容を鵜呑みにしているわけではありません。
また、完全な理解に達しているわけでもありません。
しかし、上記⑦⑧⑨は検証可能だと思われ、現にクライアントの潜在意識を特殊な技法によって深めていく(魂遡行催眠)と、魂状態の自覚に例外なく至ること、そこでは魂の表層(側面)のものたち(前世のものたち)の一人一人を呼び出せること、その一つ一つの人生の記憶を語らせることができることを確認してきました。
前世の記憶として扱うワイス式の前世療法とは一線を画しているSAM前世療法の核心・特徴は、この「魂の二層構造」仮説に基づくと言えます。
また、SAMの誘導技法も、この仮説を検証する過程から編み出されたものです.
なお、魂の存在を前提とするとき、魂本体はそれ自体であるがままに完全性を備え、五感の知覚をはじめ記憶することができるという霊信⑦は見落としてはならない仮説です。
このことは体外離脱(幽体離脱)を事実だと認める立場を支持します。
体外離脱した魂は、見聞きし、記憶し、体内に戻った後、離脱中の体験を語るということになるからです。
つまり、魂はそれ自体で脳の機能を合わせ持っていることを意味しています。
そうした脳の機能を持つ魂を内臓している肉体にさらに脳があるのは、おそらく、肉体を器とする魂が、器である肉体を維持するための必要から備えられているのではないかと思われます。
ちなみに、「SAM(サム)」という語は、それまでの前世療法と一線を画すために、夜中に命名を考えているときに、天啓のごとく降ってひらめいた語です。
「SAM」が最初に降ってきた後、Sはsoul、Aはapproach、Mはmethodの単語が降ってきた、というわけです。
おそらく、直感を通しての守護霊団からの命名だろうと思っています。
このように、SAM前世療法は、私の守護霊団の恩恵なしには到底構築されえなかった前世療法です。
そして、SAM前世療法なしに、応答型真性異言「ラタラジューの事例」はありえなかった事例です。
そしてまた、守護霊団は、2008年以後、セッション中のクラアントに憑依しては、2~3ヶ月おきに「SAMの仮説は正しい。自信を持って進みなさい。生まれ変わりの事実を広く発信しなさい」という霊信を現在に至るまで発し続けています。
(その33へ続く)

2013年10月18日金曜日

SAM前世療法の成立 その31

SAM前世療法における催眠のとらえ方
催眠を受ける立場(被催眠者・クライアントの立場)に立ったときの催眠体験とは、催眠者(セラピスト)の非論理的、非現実的な性格を持つ暗示に対して、そうした非現実的な暗示を受け入れようと無意識的な努力をした結果、現実の不自由な束縛から解き放たれて、非現実的な催眠の世界に入る体験だと言うことができます。
 
催眠に入るという体験は、催眠者(セラピスト)に全面的な信頼を寄せ、自己を放棄した末に、非論理的、非現実的な暗示を素直に実現しようと無意識的な努力をすることです。
それは、それまでの日常の、論理的、現実的な努力の仕方を否応なく放棄しないことには成り立つことではないのです。
そうした努力の仕方は、それまでの日常の、論理や現実に束縛されていた生き方をとりあえず中断し、非論理的、非現実的な生き方に転換してこそ可能になると考えることができます。
つまり、催眠に入るという体験は、それまでの日常的な対処の仕方をいったん放棄し、催眠者(セラピスト)を信頼し、すべてを委ね、非現実的、非論理的な対処の仕方へと転換していくという体験をすることだ、と言うことができます。
体験者(クライアント)は、そうした非日常的、非論理的体験の過程で、現実の自分を拘束し、抑制していた縛りから解放され、自由になる仕方を学んでいくことになると思われます。
それは、現実的意識世界をいったん放棄し、離脱し、非現実的な意識世界を選択することであり、そこに立ち現れる豊かな未知の意識世界へと世界を広げていくことでもあります。
そうした意識世界でこそ可能になる、普段の自分を乗り越える体験が、普段の自分には隠されていた能力への気づきや目覚めを促し、そうした気づきと目覚めによって、自分への信頼感ないし自尊感情を獲得させていくと考えることができます。
このように催眠をとらえるなら、催眠状態とは一般に定義されている「意識の変性状態」ということではなく、「未知の意識へと意識領域が拡大した状態」だと理解するべきでしょう。
未知の意識へと意識状態が拡大した状態の深奥部に、「魂の自覚」が存在すると私は考えています。
そして、「魂の自覚」状態まで意識世界が拡大すると、そこでは、現世の自分につながっている前世のものたちが、次々に立ち現れることが可能になります。
それを体験し、知ることは、現世の自分は、幾多の前世のものたちと連綿とつながる鎖の輪の一つであるという、、魂の不滅と生まれ変わりの世界観の覚醒であり、いわゆる現世を超越したスピリチュアルな、広大無限な、世界観が広がることになっていくはずです。
そして、こうした催眠によって拡大した非日常的意識世界の体験と、日常的意識世界の体験とを統合することによって、人は人生をさら豊かに生きることができるようになっていくのではないでしょうか。
こうした催眠体験のあり方にこそ、催眠の持つ教育的意義を認めることができると思われます。
このように催眠をとらえるなら、催眠は、広く自己実現を援助する有効な教育手段という位置付けができるのではないかと思うように至りました。
また、SAM前世療法は、魂の生まれ変わりの覚醒をめざし、現世に生まれ変わった意味の探究をめざす催眠療法だと位置づけてよいのではないかと思います。
ここまでが、25年間の教育現場での教育催眠の実践から学び、その後のSAM前世療法の実践で得た知見による現在の到達点であると言うことがきます。
そして、この催眠、およびSAM前世療法への根本的考え方は、現在も変わることなく受け継がれています。
(その32へ続く)

2013年10月14日月曜日

SAM前世療法の成立 その30

SAM前世療法の概念と技法の独自性
1 SAMの意味
 
SAM前世療法は「サム前世療法」と読みます。
「SAM」のはソウル(soul)のS、はアプローチ(approach)のA、はメソッド(method)のMを、それぞれ意味しています。
つまり、「魂状態に接近していく技法による前世療法」という意味で用いています。
なお、「前世」と「過去世」は厳密には違う概念ですが、「前世療法」という語が一般化している事情からSAM前世療法では、過去世も前世もすべて「前世」に統一して用います。

2 他の技法との違い

① ワイス式前世療法の技法 
 
それでは他の前世療法の技法はどうなっているかと言えば、日本でおこなわれているほとんどの前世療法は、ワイス式(ブライアン・ワイスが用いる催眠法)ないし、その変形を用いた技法によって「前世記憶」への接近を図ろうとするものです。
具体的には、前世記憶にもとづく自分の前世のビジョンの想起を試みます。
つまり、現世の記憶を幼児期、胎内まで遡行し(退行催眠)、さらに生まれる前の前世の記憶を想起するために、「階段を降りて扉を開くと、そこは時間も空間も超越した次元に入ります」などの暗示をし、クライアントの前世の記憶の想起へと導き、見えてきたビジョンを報告していく技法です。
終始、セラピスト対クライアントの二者関係でセッションは展開します。
ワイス式においてはその前提となる仮説が不明で、したがって、現れた前世記憶の所在も不明です。
ワイス式セラピストのほとんどが前世の記憶の所在には関心を払わず、前世療法の方法論を支えるための仮説を持っているとは思われません。
したがって、想起された前世の記憶の真偽を検証することを回避し、フィクションであろうが何であろうが、「治ればOK」という態度だと言えます。
そうした理由からでしょうか、ワイス式前世療法であらわれた前世記憶の真偽を、科学的検証にかけたという報告を私は知りません。
もし、ワイス式が「前世記憶」の所在が脳内にあると仮定しているならば、脳の消滅とともに生前の記憶も消滅し無に帰するわけで、「前世記憶」が死後も存続し保持される道理がありません。
つまり、現世から来世へと持ち越される記憶はどこにもないということになるでしょう。
したがって、脳内に前世記憶が局在するという立場をとれば、あらわれた前世記憶は、フィクションによるイメージにほかなりません。
こうした論理的帰結から、日本のアカデミックな催眠関連学会では、あるはずのない前世の記憶を前提とする「前世療法」を正当な心理療法とは認めようとはしません。
したがって、相模女子大石川勇一氏の提案するように、ワイス式は「前世イメージ療法」と呼ぶべきでしょう。
② SAM前世療法の技法
 これに対してSAM前世療法では、明確な作業仮説に基づき、SAMの呼び名のとおり直接「魂状態の自覚」へと、潜在意識をひたすら深化・遡行させていく技法を用います。
魂状態の自覚に至ると、体重の感覚が消失し、「ワタシ」としか表現できない、肉体を持たない意識体のみの自覚状態になり、かなりの体験者が、意識体が肉体から離れて浮かんでいる、という感覚になったと報告します。
一種の体外離脱(幽体離脱)が起こっていると考えられる状態になります。
肉体を感じない意識体のみの感覚は、肉体を持たない霊的存在と同様の存在レベルだと思われます。
この「魂状態の自覚」に至ったクライアントに対して、「現世のあなたに大きな影響を与えている前世のものは出ておいでなさい」などの暗示をして、魂の表層を構成している「前世のもの(前世人格)」を呼び出し、彼の人生の記憶を彼から語らせるという対話を展開していくことになります。 
前世人格を呼び出した以後は、前世のものとセラピストの対話を、クライアントのモニター意識は、じっと傾聴するという三者関係が展開します。
クライアントの意識状態は、前世人格の意識と、それをモニターしている現世のクライアントの意識の二つの意識が併存状態になります。
③ 両技法の比較
ワイス式の技法では、前世記憶想起の最初の段階は、前世の記憶のイメージを明確化することから始まります。
つまり、「どんなところに立っていますか?」「どんな履き物を履いていますか?」などの質問を重ねていくことによって、前世のイメージを徐々に明らかにしていくことを試みます。
つまり、視覚的イメージを先行させることが一般的におこなわれるということです。
一方、SAMの技法では、最初の質問は「あなたは今、魂の状態に戻っていますか?」、次いで「あなたは魂の表層にあるもののうち現世のものですか? それとも前世のものですか?」と質問を重ねていきます。
そして、「現世のもの」が当事者である場合には、たとえば、「現世のあなたに大きな影響を与えている前世のものは出ておいでなさい」という指示を出して「前世の人格」を呼び出します。
この「前世人格」は、彼の人生の記憶とそれに伴う感情を持つ一個の人格そのものですから、現れた途端に苦悩の記憶を甦らせ泣き出すことも珍しくありません。
つまり、前世を明らかにするために視覚イメージを先行させる必要がなく、最初から前世の人格とその感情が先行してあらわれ出るということが起こります。
前世人格の感情の高まりに応じて、それに関わるビジョンが見えることがあります。
また、魂状態に遡行しているにもかかわらず、「前世のもの」が呼び出しても出てこない場合には、それが存在しない、つまり前世を持たない、現世が最初の人生である若い魂であろうと判断します。
そうしたクライアントがこれまで12名います。
ちなみに、「現世のもの」とは、魂の表層に存在し、クライアントが現世に生まれてから以後の意識・潜在意識を担っているもの、を指しています。
さらに、SAMの技法の際立つ特徴は、魂へと遡行できない原因の一つに「遡行を妨げる霊的存在(未浄化霊の憑依)」を想定し、それが遡行を妨げていると判断できた場合には「浄霊」作業をおこないます。
あくまでクライアントの意識現象ですが、浄霊と同時に「何かが抜けていった」「何かが抜けて肩が軽くなった」と報告を受けます。
また、浄霊作業が始まると、痙攣、咳込み、苦悶の表情などの身体反応が出ることが珍しくありません。
浄霊後、再度魂状態への遡行を試みると、遡行が成功することが確かめられています。
魂状態の遡行が成功したにもかかわらず、前世人格の呼び出しができない場合は、守護的存在からの許可がおりていないと判断し、セッションを断念することになります。
このことは、私あて霊信で告げられた内容、つまり前世を知ることができない場合の理由にぴったり符合しています。
この浄霊の作業を取り入れたことによって、魂状態への遡行率が高くなっています。
以上のように、ワイス式の前世療法との相違を明確にするために、「SAM前世療法」という呼び方をします。
(その31へつづく)

2013年10月11日金曜日

SAM前世療法の成立 その29

SAM前世療法と私の立場
前ブログまでで、SAM前世療法の作業仮説について述べてきました。
前世療法は、前世といういまだ実証されていないものを前提としているように見えるため、アカデミズムからは異端視され、様々な批判や問題点が指摘されています。
私の催眠技法のベースは心理学系のアカデミックな技法ですが、それらの批判や問題点を踏まえたうえで、前世療法を探究してきました。
その探究の過程で、拙著『前世療法の探究』春秋社、2006を上梓しました。
その後の過程で、魂と生まれ変わりに関わって、霊的存在を名乗るものからのメッセージに遭遇し、それら通信してくる霊が告げた内容を検証する過程で、「SAM前世療法」と名付けた独自の作業仮説による前世療法が開発されることになっていきました。
私自身はこうした霊的存在からのメッセージを鵜呑みにすることはありませんが、すべてを非科学的妄想であると一蹴する態度もまた偏狭であると思っています。
メッセージの内容で検証可能なことは努めて検証にかけ、その結果明らかになった事実については、いかに非科学的と言われようとも尊重していく態度こそ公正であると考えます。
したがって、SAM前世療法は、科学的観点からすれば、いまだ実証されていない魂への遡行を試みるきわめて非科学的な霊的療法です。
しかも、魂と呼ばれる意識体は死後存続し、繰り返し生まれ変わるという前提に立っています。
さらに、魂と呼ばれる意識体は、ちょうどミラーボールのごとく、中心となる意識体とその表層を構成する前世のものたちの二層構造を持っているという仮説に基づいています。
ここでいう霊的(スピリチュアル)の意味は、次のようなWHOの概念に則っています。
WHOは、
霊的とは,人間として生きることに関連した経験的一側面であり,身体的な現象を超越して得た体験を表す言葉である。多くの人々にとって,『生きていること』が持つ霊的な側面には宗教的な因子が含まれているが,『霊的』は『宗教的』と同じ意味ではない。霊的な因子は,身体的,心理的,社会的因子を包含した人間の『生』の全体像を構成する一因として見ることができ,生きている意味や目的についての関心や懸念とかかわっていることが多い。特に人生の終末に近づいた人にとっては,自らを許すこと,他の人々との和解,価値の確認などと関連していることが多い。
と定義づけています。
つまり、霊からの通信という「身体的な現象を超越して得た体験」(霊的体験)に基づく作業仮説と実践が、SAM前世療法の本質だと言ってよいと思います。
ちなみに、フロイトの「無意識論」も、ユングの「元型論」も、SAM前世療法の作業仮説と同様、作業仮説です。
ただし、フロイトは主に神経症の治療から得た知見をもとに独自の「無意識論」を提唱し、ユングは主に精神分裂病(統合失調症)の治療から得た知見をもとに「元型論」を提唱していることに対して、SAM前世療法の作業仮説は、私の守護霊団を名乗る霊的存在から教えられた知見によって成り立っているという際立った違いがあります。
つまり、SAM前世療法の作業仮説は、霊的存在という人間知性を超えた存在の恩恵によって成り立っています。
こうして、SAM前世療法を、独自の作業仮説に基づいて一定数のセッションをおこなった結果、成果の検証が累積してきましたので、ここに中間地点のまとめを述べてみたいと思います。
SAMの実践に導いた霊的作業仮説は、唯物論科学からすれば妄想と見えるかもしれません。
しかし、私は、「説明の成功をもって真理とみなす」プラグマティズムの真理観に立っています。
そして、拙著『前世療法の探究』春秋社、2006、 『生まれ変わりが科学的に証明された!』ナチュラルスピリット、2010、の2冊の執筆をはじめとする生まれ変わりの科学的探究を試みた仕事は、魂と生まれ変わりの真偽に関与しようとしないアカデミズムの立場にも属さず、「前世の真偽は棚上げ、治ればOK」と割り切る精神世界系の民間前世療法士の立場にも立ちがたい私に課せられた使命かもしれないと思っています。
しかし、私は霊能者ではなく、霊を見たりその声を聞いたりする能力を持っているわけではありません。
またしかし、私が浄霊という作業ができること、スピリットヒーリング能力があることをもって、霊能者と呼ぶ人がいないわけではありません。
しかし、私は自分が霊能力者であると思ったことはまったくありません。
さらに、ある特定の宗教を信仰している立場でもありません。
神および霊的存在、そうした存在と地上の人間とが交信できること、そして生まれ変わりを事実として認めているという意味において、いわゆるスピリチュアリズムに親近感を抱いていることは確かです。
あえて言えば、霊的現象について、私は、科学の方法で検証された事実は尊重し、そうでないことは判断留保とする態度を堅持しますから、実証的スピリチュアリストの立場といえるかもしれません。 
このことは、すでに述べてきた「タエの事例」や「ラタラジューの事例」の検証のしかたをお読みになれば了解していただけるはずです。
観念よりは事実、理屈よりは実証を重んじるのが私の根本的心性です。
そして、生まれ変わりについての、実証のあいまいな万の言説より、たった一つの確かな実証を求めてこれまで探究を続けてきました。
その探究の成果こそ、生まれ変わりの科学的証拠、「タエの事例」と「ラタラジューの事例」です。
この二つの事例の証拠映像と検証結果は、世界の生まれ変わりの科学的研究史に残る業績だと自負しています。
現在、両事例の日本語版フルセッション映像と「ラタラジューの事例」の英訳字幕の映像をyu-tubeで公開すべく編集作業をおこなっています。
※注 「前世」「過去世」の二つの用語がありますが、SAM前世療法では、現世の直前の人生(前世)と、それ以前の諸人生(過去世)も含めて、現世以前のものすべてを「前世」の用語で統一して用います。
(その30へつづく)

2013年10月5日土曜日

SAM前世療法の成立 その28

SAM前世療法の作業仮説 その4 憑依仮説
SAM前世療法では憑依現象を認めています。
そして、憑依は霊体に起こると考えています。
このことは、憑依したとおぼしき未浄化霊に尋ねると、霊体に憑依していると答えるのでそのように考えています。
SAM前世療法セッションでは、こうした憑依している未浄化霊の顕現化現象や守護霊などの高級霊の顕現化現象がそれほど稀ではなく起こります。
本ブログ「SAM前世療法の成立その15」で紹介した憑依霊の顕現化現象を以下に再度紹介してみます。
【再掲】
魂遡行催眠に入ってしばらくすると、クライアントが、突然すすり泣きを始め、やがて身体をよじりながらの号泣に変わりました。
魂遡行に至る前に起こるこうした反応は、まず間違いなく憑依していた未浄化霊が顕現化していると判断できます。
号泣が治まると、「セノーテ、セノーテ」と苦しい声で訴えはじめました。

次は顕現化した未浄化霊との対話です。
私: セノーテってなんですか? 
霊: 泉、泉。
私: セノーテとはどこの言葉ですか。
霊: マヤ、マヤ。
私: あなたはマヤの時代の人なんですね。それで、あなたは迷っている霊ですね。
霊: うん。そう、そう。
私: マヤは日本から遠く離れています。あなたは、苦しくて、それを分かってほしいから、この者に憑依したのですか? そのために、マヤから日本までやってきたのですか?
霊: ちがう。この人が来た。
私: この者が、あなたのいたマヤのセノーテにやってきた。それであなたが憑依して、そのまま日本に来てしまった、そういうことですか。
霊: うん。そう、そう。
私: あなたは何歳で命を落としたの? 命を落とした場所がセノーテなの?
霊: 3歳の女の子。セノーテへお母さんが投げ込んだので死んでしまったの。
私: お母さんがあなたを殺したわけですね。なぜそんな惨いことをお母さんがしたの?
霊: 神様への生け贄だって。
ここでまたクライアントは激しくイヤイヤをしながら、激しく泣き出しました。それがすすり泣きに変わるまで待って、対話を続けました。 
私: そうやって生け贄にされて殺されたから迷っているのですね。でもね、この者にくっついてい ても、あなたはいくべき世界にいつまでたってもいけませんよ。あなたのいくべきところは光の世界です。そこへいけば、お母さんと会えますよ。あなたを守っておいでになる神様とも会えますよ。
霊: いやだ。光の世界はいやだ。お母さんは大嫌い、私をセノーテに投げ込んだ。会いたくなんかない。神様はもっと嫌い。私を生け贄にした。
私: お母さんがね、喜んであなたを生け贄にするはずがないでしょう。ほんとうは悲しくてたまらなかったのに、マヤの掟で泣く泣くあなたを生け贄にしたのですよ。そうして、幼子のあなたを生け贄に求めたというマヤの神様はまやかしです。そんなことを求める神様なんているはずがありません。悲しいことですが、マヤの時代の迷信です。
霊: でも、お母さんは、神様の求めで私をセノーテに投げこんだ。お母さんには絶対会いたくな い。いやだ、いやだ。お母さんのいるところへなんか行きたくない。この人のところがいい。
私: じゃあね。私の言っていることがほんとうかどうか、ためしてみませんか。きっと、あなたが来るのを待っているお母さんが心配をして、お迎えに来てくれるはずですよ。お母さんがやさしく迎えに来ないことが分かったら、光の世界に行かなくていいのです。ためしてみましょうか。いいです ね。浄霊っていう儀式をしましょう。きっとお母さんがお迎えにきてくれますよ。
霊: でも、いやだ。お母さんは嫌い。私を殺した。光の世界には行きたくない。
このような対話を繰り返し、マヤの女の子が、浄霊に応じることを納得してくれるまで待ちました。
30分近く説得し、浄霊してよいという了解を得たので、浄霊をはじめました。
浄霊の儀式が終わったところで、お母さんが迎えに来ていますか、と尋ねると、うん、とうれしそうに返事が返ってきました。こうして、浄霊は成功しました。

【再掲おわり】
以上のような憑依現象は以前から知られており、一般に言われる「憑依」という意味は、本人にとっては異物である外部の第三者である霊が憑依する、という意味で「憑依現象」がとらえられてきました。
こうした異物としての第三者の霊的存在の憑依を認めるのが「憑依仮説」です。
しかし、SAM前世療法の憑依仮説は、もう一つ、これまでにない「自己内憑依」という概念を提出しています。
「ラタラジューの事例」で言うと、前世人格ラタラジューは、自分の生まれ変わりである里沙さんの肉体を借りて自己表現した、つまり憑依を起こしている、と考えざるをえません。
前世人格ラタラジューは、里沙さんの魂表層を居場所とする意識体であり、死者であり、肉体を持たない存在ですから、その意味では、霊と呼ばれる存在です。
ただし、前世人格は、ふだんの覚醒状態では、魂表層に位置付いていますから、居場所のない、この世をさまよう未浄化霊ではありません。
あるいは霊界の住人である高級霊でも在りません。
強いて言えば、前世人格は、霊ではありませんが、魂表層を居場所とする霊的存在です。
しかし、前世人格が顕現化する現象は、未浄化霊が憑依を起こすように、自分の生まれ変わりである現世の里沙さんに憑依して自己表現していることになります。
SAM前世療法では、ラタラジューのように前世人格のあらわれる顕現化現象を「自己内憑依」だと定義します。
つまり、「自己内憑依」とは、自分の内部(魂表層)に存在する霊的存在である前世人格が、自分に憑依をする、という意味です。
このような、自己内憑依現象は、これまで発見されたことがないので、この用語は奇異な印象を与えますが、それ以外に適切な用語が見当たりません。
一般に言われる憑依は、自分以外の、外部の、異物としての霊が憑依することを意味してきました。
こうして、これまでのように異物としての霊が憑依することを、「自己内憑依」に対して、「自己外憑依」と呼ぶことになります。
さて、私が、魂と霊の実在を認める立場をとる理由は、それが直感に著しく反していないからであり、それを認めることが不合理な結論に帰着しないからであり、その霊的現象が唯物論的枠組みからは説明できないからです。
SAM前世療法の作業仮説は、霊の告げた魂の構造を前提にして導き出したもので、良好な催眠状態に誘導し潜在意識を遡行していくと、意識現象の事実として、クライアントが「魂の自覚状態」に至ることが明らかになっています。
この魂の自覚状態に至れば、呼び出しに該当する前世人格が魂の表層から顕現化し、対話ができることもクライアントの意識現象の事実として明らかになっています。
ラタラジューも、こうして呼び出した前世人格の一つであるわけです。
その前世人格ラタラジューが真性異言で会話した事実を前にして、魂や生まれ変わりの実在を回避するために、深層心理学的概念を駆使し、唯物論的解釈することは、現行科学の知の枠組みに固執した不自然な営みだ、と私には思われるのです。
魂の自覚状態、前世人格の顕現化という意識現象(自己内憑依現象)に対して、事実は事実としてありのままに認めるという現象学的態度をとってこそ、SAM前世療法を実りあるものにしていくと思っています。
こうして紹介してきたように、SAM前世療法を支える四つの作業仮説が出そろいました。
①心・脳二元論仮説
②魂の二層構造仮説
③霊体仮説
④憑依仮説
です。
SAM前世療法は、この四つの作業仮説を駆使して起こる霊的意識現象を事実として認める前世療法です。
にわかには信じ難い作業仮説ですし、説明されても理解しがたい内容でしょう。
SAM前世療法を体験して実感できる、というほかない作業仮説です。
そして、これら作業仮説の真実性は、応答型真性異言現象を示した「ラタラジューの事例」、「タエの事例」が起きていることで検証されていると考えています。
次からは、SAM前世療法の考える治療仮説や、起こる意識現象の分析について述べていきます。
(その29へつづく)

2013年10月4日金曜日

SAM前世療法の成立 その27

SAM前世療法の作業仮説 その3 魂の二層構造仮説
作業仮説その2「霊体仮説」で、「意識・潜在意識」は霊体に宿っていると述べました。
それでは、意識・潜在意識は、霊体がつくり出しているのでしょうか。
霊体ではありません。もちろん脳でもありません。
「心(魂)・脳二元論」は、脳が意識・潜在意識をつくり出す立場はとりません。
そこで、意識・潜在意識を作り出しているものを想定する作業仮説その3が必要になります。
「意識・潜在意識は、魂の表層を構成している前世の人格たちがつくり出している。前世の人格たちは、当時の感情そのままで今も生きている。彼らは互いに友愛を結び、それぞれの人生で得た知恵を分かち合っている。こうして魂の表層全体は、成長進化へ向かうようにできている。現世の『私』も魂の表層の一つである。こうして、魂の表層にある『私』は、他の前世の人格たちの影響を良かれ悪しかれ受けないわけにはいかない」
これが作業仮説その3、「魂の二層構造仮説」です。
この作業仮説その3で、霊信の告げたこと以外の私の推論は、「前世の人格たちは、当時の感情そのままで今も生きている」、「魂の表層にある『私』は、他の前世の人格たちの影響を良かれ悪しかれ受けないわけにはいかない」という部分だけです。
以上、SAM前世療法の三つの作業仮説の骨格として必要なことすべては、霊信が教えてくれたというわけです。
こうした魂と霊体等に関する情報を受け取った私は、あまりに奇怪で信じ難い内容に驚きと戸惑いを禁じ得ませんでした。
しかし、催眠研究を志し、潜在意識を扱うことができる私は、霊信からの情報の検証が可能な条件に恵まれています。
そこで、霊信に対して半信半疑ながら、霊信内容を作業仮説として設け、実験と検証に取り組むことにしたのです。
その結果、作業仮説が成り立つとしたら、それをもたらした霊信の恩恵は計り知れないものになります。
魂の表層を構成している前世人格たちが、意識・潜在意識をつくり出しているなら、潜在意識をどんどん遡行していけば、やがてその源である魂状態ないし、その表層に存在する前世人格たちのいずれかに行き着く可能性があると考えられます。
こうして、作業仮説2で説明したような、霊体に宿る潜在意識を指に移し替え、指によって魂状態まで遡行させるという技法が編み出され、実験と検証をしていくことになりました。
この技法にたどりつくまでに、ほぼ1年半かかっています。
具体的には、記憶催眠レベル以上のきわめて深い催眠状態まで誘導後、ひとさし指に潜在意識を宿らせ、「指が上下運動をするたびに魂の状態に遡っていく。
やがて魂状態に至ると指は止まる」と暗示します。
指が上下運動を停止したところ(指の遡行運動開始後約5分)で、「今、あなたは魂状態に戻りましたか?」と確認すると、「はい」という回答が戻ってきます。
催眠誘導開始後、魂状態までに至る時間は約30分です。
こうして魂状態に至れば、魂表層の前世人格たちの誰でも呼び出すことが可能です。
あるいは、魂状態に至った時点で、癒しを必要として苦しんでいる前世人格が自ら顕現化して待ち受けています。
この魂状態遡行の成功率が、現在約90%です。
医師4名、大学教授3名にも魂遡行実験して成功していますから、潜在意識の源には誰にでも「魂の自覚」が存在することは間違いないと思われます。
応答型真性異言で会話したネパール人の前世人格ラタラジューは、これまで述べてきた三つの作業仮説によって編み出されたSAM前世療法で魂表層から顕現化した人格です。
ラタラジューの応答型真性異言が生まれ変わりの証明であり、これが新たな事実によって覆らない限り、SAM前世療法の三つの作業仮説は正しいと判断して差し支えないと考えています。
したがって、
① 魂は存在する、
② 生まれ変わりはある、
③ 魂の表層は前世人格たちによって構成されている、
④ 彼らが意識・潜在意識をつくり出している、
⑤ つくり出された意識・潜在意識は霊体に宿っている、
と告げている霊信内容は信憑性が高いと判断でき、そのことは通信霊の存在、霊界という次元の存在を間接的に証明していると考えています。
そして、私からSAM前世療法を学んだ者たちによって追試がおこなわれ、魂遡行と前世人格の顕現化に成功した報告を受けています。
また、SAM前世療法を体験した多くのクライアントの報告(mixiコミュ「前世療法の探究」のトピ「体験報告」)を読んでいただければ、作業仮説どおりに魂表層に存在する前世人格の顕現化現象が起こることが了解していただけると思います。
私が創始したSAM前世療法には、当然のことながら先行研究がありません。
手探りで切り開いてきたわけですから、今後の探究の展開によって作業仮説が修正されていくことは十分ありえます。
そして、後継者による追試によって、作業仮説がさらに精緻なものに修正・変更・進化していくことを楽しみにしています。
そのことは、魂の仕組み、生まれ変わりの仕組みとその実在を、SAM前世療法という道具によって明らかにし、説得力ある科学的事実として証明していくことになるはずのものだからです。
ちなみに、「SAM前世療法」は、第44類の登録商標として認められています。
私のもとで「SAM前世療法」を学び、その名称を用いることを承認した者以外に、「SAM前世療法」の名称を用いることは商標権の侵害であり違法行為となります。
また、「SAM前世療法士」を名乗ることを承認した者であっても、SAM前世療法を他の者に伝授し、SAM前世療法士を養成することは許可していません。
(その28へつづく)

2013年10月2日水曜日

SAM前世療法の成立 その26

SAM前世療法の作業仮説 その2 霊体仮説
作業仮説その1「心・脳二元論」は、これまでにも少数ながら優れた科学者が提出しているものでした。
しかし、作業仮説その2は、おそらく私の提示以外だれも唱えた人はいないでしょう。
「意識・潜在意識は『霊体』に宿っている。霊体は、身体と魂をくまなく覆う透明の防護服のような働きをしている。
霊体の色が、オーラである。霊体は半物質的な要素を持ち、身体と密接につながっている。
したがって、霊体に宿っている潜在意識を、身体のどこにでも宿らせることが可能である」
以上が、作業仮説2です。「霊体仮説」と呼んでいます。
そして、意識・潜在意識は霊体に宿っている。
霊体は、身体と魂をくまなく覆う透明の防護服のような働きをしている。
霊体の色が、オーラである」という仮説の前半は、M子さん経由の霊信が告げたことです。
仮説後半の、「霊体は半物質的な性質を持ち、身体と密接につながっている。したがって、霊体に宿っている潜在意識を、身体のどこにでも宿らせることが可能である」という部分については、私の推論から導き出したものです。
ふつうの人には霊体の色であるオーラを見ることはできません。
しかし、里沙さんには見えると言います。
しかも、身体の病める部分のオーラが黒ずんで見えるそうです。
そこで、里沙さんには情報を一切与えず、腰痛持ちの知人S氏のオーラを見てもらったところ、腰部分のオーラが黒ずんでいることを指摘し、腰部分が病んでいることを言い当てるという検証結果を得ています。また、オーラの澄み具合、濁り具合で、体調の善し悪しが判断できるとも言います。
こうしたことはオーラの見える能力者は共通して述べています。
こうした事実から、エクトプラズムがそう言われているように、霊体は、身体と密接なつながりを持つ物質的傾向を帯びているのではないかと推測されます。
身体と霊体とが相互影響関係にあるとすれば、霊体に物質(身体)的要素があるからこそ、物質である身体の状態が、霊体に反映されると考えられるからです。
当然、その逆も起こります。
霊体の状況が身体に反映されるということです。
このように、霊体が物質的要素を持っているからこそ、霊体と身体とが相互に影響を及ぼし合うことが起こると考えられるというわけです。
そして、霊体と身体の結節点がチャクラと呼ばれているものではなかろうかと考えられます。
したがって、チャクラからヒーリングエネルギーを入れることによって、霊体全体を癒し、それを身体全体の癒しに繋げることができると推測し検証中です。
霊信によれば、スピリットヒーリングには霊体を癒す力があると告げているからです。
これまでの検証では、推測を裏付ける結果を得ています。
こうしたことから、霊体に宿っている潜在意識を、霊体とつながりのある身体のどこにでも移し替えることが可能ではないかという着想が生まれました。
米国の催眠療法家L・M・ルクロンは、催眠下の潜在意識に対して質問し、情報を引き出す「観念運動応答法」を提唱しています。
ルクロンのことばで観念運動を説明すれば、下意識(潜在意識)に支配された動作のこと、ということになります。
ただし、ルクロンは、潜在意識は脳がつくり出していると考えているようです。
その具体的技法は、潜在意識に指の運動を支配させ、質問に対して、イエスなら親指を立てる、ノーなら小指を立てる、分からないなら中指を立てる、という動作のルールを潜在意識と約束し、質問に対して指の動作で回答をさせます。
にわかに信じ難い技法ですが、かなりの数の実験をしてその無意識的に起こる動作による回答が検証できています。
そして、被験者は、指の動作を意識的にしている自覚は全くないことを確認しています。
指は、無意識的に勝手に動作を起こす(自動動作)と報告しています。
こうしたことから、霊体に宿っている潜在意識を、指そのものに移し替え、指を潜在意識そのものが宿ったものとし、その指の動作によって、たとえば魂状態へと導かせることができるのではないか、という着想を得ることができました。
この、潜在意識の宿る指の動作によって、魂状態まで導かせるという技法こそ、作業仮説2によって編み出されたSAM前世療法独自の奇想天外な技法です。
なぜ、指に宿らせた潜在意識によって、魂状態へと導かせるようなことができるのか、その理由は、次回に述べる作業仮説その3にあります。
(その27へつづく)

2013年9月30日月曜日

SAM前世療法の成立 その25

SAM前世療法の作業仮説について
これまでSAM前世療法によって現象する様々な不思議現象(唯物論では説明不可能な現象)について紹介してきました。
応答型真性異言(ゼノグロッシー)や未浄化霊の憑依現象などです。
ここからは、そうした不思議現象を起こすに至るSAM前世療法の現時点で確立している作業仮説についてまとめていくことにします。
SAM前世療法の試行を始めたのは2008年初頭ですから、2013年の現時点まで5年余の歳月によって固まってきた作業仮説です。
SAM前世療法の作業仮説 その1 「心・脳の二元論」仮説
作業仮説とは、「その仮説が検証事実によって否定されないかぎり、ひとまず真理であるとみなしておく仮説」だと定義しておきます。
なぜ、作業仮説が必要か。
それは、ある事象・現象のメカニズムの探究を進めるための有用な道具として設定しなければ、探究にとりかかれず、探究を進めることができないからです。
この定義にしたがうと、地球科学では、ウェゲナーの「大陸移動説」などは壮大な作業仮説です。
心理療法では、精神分析学を創始したフロイトの「無意識」の概念と「汎性欲論」や、ユングの「元型論」も作業仮説です。そして、SAM前世療法の「心・脳二元論」も作業仮説です。
私の思いとしては、フロイトやユングの提示した「汎性欲論」や、「元型論」が作業仮説として認められるのであれば、それが霊信の告げたことに基づいているからといって、「心・脳二元論」が認められないという理由にはならないと考えています。
生まれ変わりを認める立場では、一般的に流布されている「心・脳一元論」仮説を、論理的帰結として 認めることはできません。
微弱な電気信号と化学変化のシステムの総体である脳というタンパク質の固まりが、心(意識・潜在意識)をつくり出しているという「心・脳一元論」に立てば、脳の消滅とともに心は作り出されなくなり、心(記憶)のすべては無に帰することになります。
したがって、前世の記憶などは、あるはずがない妄想だということになります。
しかし、私は「ラタラジューの事例」によって、応答型真性異言を証明し、この現象が生まれ変わり以外に説明のしようがないと確信を持つに至っています。
とすれば、脳以外に、生前の記憶なり人格を保持している何らかの意識体を想定しないかぎり、ラタラ
ジューという前世人格が顕現化する超常現象が説明できません。
死後存続するこの意識体を、とりあえず「魂」と呼んでおきます。
魂という用語は宗教色を色濃く反映していますが、SAM前世療法で用いる「魂」とは、「生前の人格や記憶を保持し、死後も存続する意識体」というほどの概念であり、宗教とはまったくかかわりのない概念です。
これを、生まれ変わり研究の第一人者イアン・スティーヴンソンは、宗教色を排除するために「心搬体(サイコフォー)」と呼んだらどうかと提案しています。
したがって、「心・脳二元論」を、SAM作業仮説では「魂・脳二元論」と言い換えることができます。
人間は、「脳」とは別個の「魂」と呼ぶ意識体を蔵しており、「魂」は「脳」の消滅後も存続する、これが生まれ変わりを認めるSAM前世療法の第1の作業仮説です。
そして、現代科学(唯物論)の知の体系に真っ向から対立する作業仮説です。
しかしながら、「心(魂)・脳二元論」は、W.ペンフィールド、J・エックルズ、R・スペリーなどノーベル賞を受賞した少数の優れた脳科学研究者が、自らの実験結果の末表明しており、けっして真新しい仮説ではありません。
臨床動作法(催眠を母体にして生まれた心理療法)を創始した世界的催眠学者、成瀬悟策医学博士も、講演のなかで「脳は心の家来です」という表現で、自らの催眠実験研究の末、「心・脳二元論」に至り、それを表明していると思われます。
唯物論科学の知の体系に染まりきっている現代人は、「霊魂」と聞くだけで非科学的だと腰が引け、そうしたことばを回避して唯物論枠内の説明原理を無理矢理ひねり出したり、それができないとなると、無視することが常態になっていると思われます。
こうした常態が生じているのは、「非科学的」ということばに対して、「唯物論の知の体系」と「科学の方法論」の混同があるからだと思われます。
この混同が「唯物論の知の体系」から外れた現象・事実、あるいはそれへの研究をすべて「非科学的」だと決めつけてしまう偏向を生み出していると思います。
「非科学的(態度)」とは、論理的思考、合理的検証、先行研究との照合など「科学の方法論による検討を経ないで、その現象・事実を真理だと鵜呑みにする短絡的態度のことを指して言うことばです。
少なくとも、SAM前世療法の「心・脳の二元論」仮説によって、引き起こされる催眠現象は、この仮説を否定するようなことは生じていないのです。
またこの「心・脳の二元論」仮説にしたがっておこなうSAM前世療法は、「再現性」が確認されています。
つまり、誰がおこなってもSAM前世療法の手続きを踏めば、ラタラジューであれタエであれ再顕現化が保証されているのです。
(その26へつづく)

2013年9月11日水曜日

SAM前世療法の成立 その24

前世人格顕現化中の三者的構図(セラピスト対前世人格の対話、それを傾聴するモニター意識)
論より証拠といいます。
SAM前世療法によって起こる意識現象の三者的構図の詳細な報告をしてくださったクライアントがおいでになります。
その報告を紹介します。
報告者は30代後半の女性クライアント、福祉関係の職に就いておいでになる方で、顕現化した前世人格の5人に1人程度しか口頭で話せない、その口頭で話すことができた事例です。
そうした前世人格発話中にも、モニター意識(現世の意識)の働きがあることがよく分かる貴重な報告です。
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2009530日、稲垣先生のSAM前世療法を受けました。前世療法自体が初めてでしたが、予想以上の展開でした。この貴重な体験を、先生との面接から催眠の導入、終了に至るまでの私の意識の経過としてまとめてみたいと思います。

初回面接(前世療法の説明、私の現在の健康状態について等)

 先生が左手の平を私の右手にかざしたところ(13~4センチほどの距離)ホカホカする温かさと徐々に圧力が強くなっていくのを感じました。
 私の手のひら表面にほのかに風が通り過ぎる感覚もありました。 
催眠のかかりやすさのテストでは良好であったため、ホットしました。
漠然と、かかりにくいのではないかと感じていたからです。
憑依があると催眠にかかりにくいとの説明を受けたとき、正直ぎょっとしました。
その時何となく憑依しているような気がしたので「そうではありませんように。
何体もいたらどうしよう。怖い・・」。と思いました。

催眠の導入段階

左ひと差し指でリズムをとるよう先生より促され、トントンと動かしていましたが「まずい・・・全く指が止まる気配がない・・」と思いました。
やや焦ってきた頃に、ふと指が止まったのですが「本当に催眠状態に入ったのだろうか」と少し疑わしく思っていました。
先生より、催眠状態に入ったのか右手人差し指で返事をするよう促されたとき、指が動かないため「あ・・やっぱり・・憑依かあるんだ~!」とぞっとしました。
すぐに先生は浄霊を始めましたが、内心パニックになり、冷や汗をかいていました。
しかし、次第に怖がることではないと感じ始め、ふっと体の緊張が解けた時、先生から浄霊は終わったと言われ、一体だけでよかったとホットしました。

前世の人格の登場①

 先生から、現在の私の状況に影響がある過去世の人格を呼び出されたのか、すでに過去世の人格が呼び出す前からスタンバイ状態だったかどうかははっきり覚えていません。

 なぜなら私自身の意識が全く衰えず、普段のままの思考状態で目を閉じただけの平常心だったからです。そのため、先生から「指で返答しますか?言葉で話しますか?」と質問され、指が勝手に反応する体験はしていたので、指で反応することはできるだろうと思いました。
 当然そうするのだろうと思っていたのですが、先生の「言葉で話しますか?」との問いにこっくり頷いた時には驚きました。
こんなに意識がさえているのに、自分の意志ではなく首が勝手に頷き、言葉で話すと返答するからです。
何も過去の記憶が想起されない状況で言葉が出るとは思えませんでした。
 「口頭で話すなんて大丈夫なの・・?」と思いました。
 まだ、別の人格の存在をはっきり認識はしていませんでしたが、どうやら意識というか、自分の意志とは別に体が反応することを理解しました。
 とりあえず状況に身を任せようと思いました。そして当然日本語で質問に答えていくのだろうと思っていました。


前世の人格の登場②

 先生からアジア、ヨーロッパ、アメリカ、アフリカ・・?と聞かれたとき、即座に反応はありませんでした。
 再度質問されヨーロッパに反応しました(首を縦に振る)。国名を聞かれ、唇がモゾモゾと動き始めました。
 発声はまだありませんでしたが、唇が小さく変わった形に動くため、「日本語の発音とは違う感じなのかな・・」と思いました。
 先生が、ギリシャ?と言ったとき、声を出そうとし始めました。
 ギとグの間の発音で「グイー」と言うような音だったと思います。
「わあ、本当に言い出した!」というのが私の感想です。
 先生が「ギリシャですか?」と問いかけたとき、頷きつつも「グイー」と発音しようと頑張っていた覚えがあります。
 先生が「ギリシャですか?」と再度確認したとき「その発音じゃないんだけどなあ・・」と私は感じました。前世の人格は何度も国の名前を発音しました。
 こうやって私の意志とは別に、勝手に話すことができるということを私は理解しました。
 次に都市の名前を先生が尋ねました。
 「ア・・ア・・」と発語するため先生が「アテネ?」と確認しました。        またしても「その発音じゃないんだけどなあ・・」と私は感じました。        日本語の発音が実際のものとはかけはなれているという実感だけはあるのですが、私自身が正しい発音を知っているわけではありません。 
 過去世の人格は「アティ・・」と何度も答えました。 
 この時「過去世の人格は、正しい発音にこだわってるな・・」と感じました。 
 名前を聞かれ「ティルソバイ」と聞き慣れない言葉を発しました。
 以後、先生の質問に異国の言語で返答し始めたため「えっ、日本語で話すんじゃないの?」と私自身、驚きました。せいぜい国名や名前の発音にこだわる程度だと思っていたからです。
 思いの外長い文章を話すため、あ然としました。
 先生もそれに気づき、録音装置をとりに行くため少々待ってもらえるか過去世の人格、ティルソバイに了承を求めました。
 ティルソバイはうんうんと頷きます。
 私も「待ちますよ」と思っていました。
 先生が急いで2階に駆け上がり録音装置を取りに行っている音を聞いて「これは、面接で先生が説明してくれた真性異言ってやつだろうか?」と思いました。
 この間、私の意識だけがあり、ティルソバイの意識や感情はなにも感じませんでした。 名前や都市の発音を思い出せないので「せっかく録音装置を持ってきてもらったのに話せなかったらどうしよう」と私は思いました。


ティルソバイの過去世

 ティルソバイの過去世の経過については先生の録音にあるとおりです。
以下は、ティルソバイが語っているときの私の意識を中心に述べていきます。
先生から結婚歴の有無を聞かれ、私も非常に興味があったのですが、すぐに返答せず反応が遅いため「既婚でも未婚でもないってなんだろう?」と私の方が不安になりました。何度か聞かれ、頷いていました(既婚でこども有り)。
以後、YESNOの質問には言葉による返事ではなく、頷いたり首を横に振るといった反応をしていました。
何歳で死亡したかの問いにも私は「なになに?」と興味をもって注目しましたが、ティルソバイは「○※・・」と外国語で答えるため「えっ?で、何歳で死んだの?」と私は心の中で突っ込んでいました。
先生も再度質問しましたがティルソバイは「○※・・」と答えるだけです。
この時「だって・・○※なんだもん・・」。というティルソバイの気持ちを感じました。
どうやら日本語は全く話せないので、こうとしか言いようがない・・といった感じでティルソバイも困っているようでした。
ティルソバイが外国語で話す内容は私には全く分かりません。
怒りや悲しみ、困った感情などは分かるのですが、発言の詳細は分からないのです。
そのため、先生に日本語の文章を古代ギリシャ語で話すよう言われると、勝手にティルソバイは話すのですが、それが合っているのか、あるいは見当違いなことを言っているのかも私は分かりません。
私もただ聞いているだけです。ただ、印象的だったのは、先生から好きな食べ物や父母兄弟の呼び方など単語を質問されると、国名を尋ねられた時のように、求められなくても2回以上繰り返し発音するようティルソバイは努めていました。
私が発音するわけではないのですが「正しく丁寧に発音を伝えなければいけない・・」と私自身も思いました。
そんな様子に「親切な人だなあ・・この人(ティルソバイ)も私も・・」と、感心もしました。
私とティルソバイは似た性質を持っていると感じました。

感情の共感、共有について

 過去世で襲われた件を聞かれると、眉間と目元をくしゅっとさせ始め、泣き出しました。
 泣き出すので「ああ、悔しかったのね・・」と私は理解します。
 ティルソバイの感情表出と、私がそれを共感するまでの間には若干の時間差がありました。
 ティルソバイのあふれ出る感情を同時に感じるというよりは、泣くので「ああ、悲しいんだ・・」。言葉が早口になり怒った口調になると「ああ、怒ってるんだ・・」。と、途中から勘づくといった感じです。
 しかし、私自身が全くの傍観者ではなく、気持ちを察知した後は、私も悲しい感情などは共感できるのです。
 ただし、強烈なものではありません。その感情が後を引くものでもありませんでした。襲われるといった経験をリアルタイムに再体験することはなく、ティルソバイのその事件についての集約した思いが共感できるといった感じです。
 そのため、リアルすぎて怖いといったこともありませんでした。

長文復唱について

先生が「いながき」という名前を入れて日本語の文章を古代ギリシャ語で話すよう促すと、ティルソバイは長文を話すのですが、なかなか「いながき」という単語が出てこないので、心配になりました。文章の終盤で「いながき」と言ったため「そこで入るんだ・・」と、文法の不思議さを感じました。
かなりの長文を話すのですが、私は「ちょっと中国語か韓国語みたいな発音だな。でたらめじゃないの?」と疑う時もありました。
ただ、私の意志ではないため、勝手にしゃべらせているといった感じでした。
先生がギリシャ語で復唱するよう話すとき、私が「最後までよく聞くんだよ。
途中から話さないようにね」と思うと、ティルソバイはそれに素直に従うのです。
途中から話し出すことはありません。
先生が長文を復唱するよう言うとき「そんな長いのは無理じゃないかな・・。大丈夫かな?」と私はよくティルソバイの心配をしました。
しかし、ティルソバイは頑張っていました。先生が「他にいっておきたいことは?」と聞いたとき、私は「何かいっておきたいことないの?言っておけば?」と思うと、それじゃあ・・といった感じでティルソバイは話し始めました。
内容はさっぱり分からないのですが。自分の役割というか使命を分かっているような印象を受けました。


翻訳について

先生を「ティルロ(?)」と呼んだ件に関しては、セッションがもうじき終了となりそうで、まだ話したりないといった感じが伝わってきて思わず出た感じでした。
先生が日本語でどういう意味か尋ねました。
私はとっさに「有り難うといっているのかな?」と思うと、かたことの日本語で「アリガト」と言いました。
しかし、先生が「僕の名前?」と聞くと、反応しました。
この時、私が当たりをつけて日本語でこういうことかな?と考えると、ティルソバイはそのまま発してしまうような印象を持ちました。
都市名「アティ・・」の時もそうですが、私が「アティア?」と思うと、それに似た発音をするのです。
先生の発音には「ちょっと違う・・」。という感覚を持つようですが、私が考えると、それに合わせようとする傾向があるのかもしれません。
そして、先生の質問を私が理解すると、おもむろにティルソバイは語りだします。
私が意味を理解したと同時に自動的に翻訳も完了しているといった感じです。
ただ、謎があります。
私は歴史が苦手で古代ギリシャの知識は呆れるくらいありません。
冒頭で先生が「どのポリス?」と尋ねたとき、正直私は「ポリス」の意味が分かりませんでした。
しかしティルソバイは何やら答えていました。
歴史的事実の知識については私に依存せず答えられ、質問者の意図をおおまかに理解する(日本語の理解)といったことについては私に依存するといったように、ティルソバイはちゃんと区別しているのかもしれません。
なお、先生が神殿に行ったことがあるかと聞いたとき、ないと首を横に振りましたがこの時「自分のような小さい存在はそんな所にはいけないの」と思っているようだと感じました。
このように、ティルソバイが感じることを、私はおおまかに理解できましたが、わかりやすい感情を伴わないような長文の発言に関しては、私はさっぱりお手上げでした。
ただしティルソバイは、古代ギリシャ語?一本で話通す!という姿勢だけは崩しませんでした。
私としては、話の内容が理解できないので日本語で話してくれればいいのにと思いましたが。
他にも思い出せばありそうですが、ざっとこんな感じでした。

私は髪をアップにしていたので首が疲れて少々疲労していましたが、ティルソバイは疲労した様子はありませんでした。
最後に先生に何やら声をかけていましたが、日本語で何て言うの?と聞かれたとき「バイバイ~」と言っていました。私は「それは英語だよ・・」。と心の中で突っ込んでいましたが。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
このセッションで顕現化した前世人格ティルソバイの発話した古代ギリシア語らしき異言が、真性異言(実在している外国語)であるかどうかの鑑定を、中部大学大門教授(英語学・言語学)に依頼しましたが、諸外国語に共通している文法上の規則的変化が見られないため、真性異言の真偽は鑑定不能という結果でした。
しかし、古代ギリシア語の真偽を詳細に分析・鑑定できる研究者は、日本にはいないのではないかと思われます。
また、催眠学上の見解では、催眠中には創造的活動がきわめて活性化する結果、架空の外国語らしき言語を創造的に考え出してそれらしく語る、という現象があることも分かっています。
公正な判断をすれば、ティルソバイのきわめて流暢な発話の異言が、真性異言であるのか架空の言語であるかの判断は留保という立場をとらざるをえませんでした。
ちなみに、この報告にある「怒りや悲しみ、困った感情などは分かるのですが、発言の詳細は分からないのです」という意識状態は、ラタラジューのネパール語発話中の被験者里沙さんの体験した意識状態と全く同様です。
それにしても、ラタラジューのネパール語による応答型真性異言が、いかに稀な事例であったかが、あらためて思い起こされます。
(その25へつづく)

2013年9月4日水曜日

SAM前世療法の成立 その23

前世のものが守護的存在(ガイド)であったクライアントの事例
このところ、SAM前世療法の最近のセッションで起こっている不思議現象についての報告が続いています。
今回も、テーマにあるように、そうした不思議現象のダメ押しです。
さて、そもそも守護霊であったような霊的存在が、人間として地上へ生まれ変わってくるような可能性はあるのでしょうか。
守護霊は、少なくとも、地上の人間より霊的成長・進化を遂げている存在のはずですから、生まれ変わりの繰り返しを卒業し、霊界の住人となっているはずのものです。
つまり、守護霊が人間に生まれ変わることはない、そのように私は理解していましたが、どうやらそれは正しい認識ではなかったようです。
この疑問の回答は、私あて第9霊信に次のような文言として告げられています。
【第9霊信の抜粋】
今日は、私たちのように守護する霊的存在について語ろう。
これは、あなたが学んだものとは異なるものである。
それは、感じることでしか理解することは困難である。
守護するものの中には大きく分けると、「生まれ変わりをしたことがある、かつては人として存在した者」と、「生まれ変わりをしたことがない者」がある。
これをM子
(霊信受信者)は、より分けるために、「守護霊」と「ガイド」として区別をつけていた。
彼女の中では「守護霊」とは生まれ変わりを経験したものであり、今後生まれ変わるものや生まれ変わりを必要としないものである。
我が霊団は、「守護霊」と「ガイド」で形成されるものである。
霊学としての基盤は、時として学びに対する壁となる。
そういった意味で、あなたはこれまで得たもので、捨てるべき知識を判断しなければならない。
エドガー・ケイシーは「守護霊」である。だが、彼
(生前のエドガー・ケイシー)やあなた(稲垣)を守護するものは「ガイド」である。
今ここで語る私は、M子のガイドであり、人として生まれ変わることを選択していない。
守護霊もガイドも霊的存在であることに変わりはない。
本質的には同じものである。

上記霊信によれば、私の学んできたこれまでの霊学の知識を放棄して、彼ら霊団の告げるところを採用しなさい、ということになります。
つまり、守護的存在には、今後生まれ変わるものや生まれ変わりを必要としないものが含まれるということらしいのです。
したがって、守護霊であった前世をもつ人がいても当然だと認めていい、というわけです。
また、生まれ変わりを経験しているものを「守護霊」、生まれ変わりを選択していないものを「ガイド」というように、守護的存在へと成長・進化していく道は二通りあるということらしいのです。
一方は、人として生まれ変わりを繰り返しながら成長進化し、「守護霊」へと至る道、もう一方は、霊界において霊的存在のまま成長進化する道を選択し、「ガイド」へと至る道、ということでしょうか。
さて、今回報告する事例は、なんと、直前の前世が「ガイド」であったという不思議な事例です。
クライアントは40代前半男性です。
私のセッションを受けた知人の紹介でおいでになりました。
霊的関心はなく、アンビリバボーを見ることはあるが、「タエの事例」も「ラタラジューの事例」も知らないし、拙著も読んでいないという、非スピリチュアル系の人だと思われます。  
中卒で職人の道に進み、30代半ばで独立し、小さいながら会社経営に携わっておいでになるという経歴の持ち主でした。
ところが、右腕ともいえる部下の二人の職人が、突然別の同業者のもとへ転職し、仕事が危機的状況に落ち込んでいる、その原因がどう考えても経営者の自分には思い当たるふしがない、なにか前世のものからの影響があるのではないかを探りたい、ということでした。
体格雄偉、陽に焼けた筋肉質の肉体で、いかにも屋外労働でたたき上げてきた職人を彷彿とさせる印象でした。
見方によれば、筋者と見間違えられそうですし、ご本人もそう見られることがあるということでしたが、目元が涼やかであることが人品卑しからず、表の世界を真っ当に生きておいでになったことを示していると思われました。
以下は、魂状態確認後のセッションの逐語録です。
このクライアントは、口頭では答えることができないタイプでした。回答は指を立てることによるものでした。
ちなみに、彼は催眠初体験です。
私 : あなたは魂表層の前世の方ですね。
CL : はい。
(はい、の場合は指を立てるという約束)
私 : 私が呼び出していないのにあなたが出ておいでになったということは、なにか癒しを求めておいでですか。
CL : 指反応なし。
私 : それでは、あなたという存在が魂表層においでになることを、あなたの生まれ変わりであるこの者に知らしめるために、こうして出ておいでになったといことですか。
CL : はい。
私 : それではあなたの身元を教えてください。まずあなたの性別を教えてください。男性ですか?
CL : 指反応なし。
私 : 女性ですか?
CL : 指反応なし。
私 : 性別がないのですか?
CL : はい。
私 : ということは、性行為を不要として性別が退化している宇宙人であるか、霊的存在であるかのどちらかですね。あなたは、霊的存在、つまり守護的な存在として霊界の住人であった方でしょうか?
CL : はい。
私 : 守護的な存在であった方なら、霊的成長を遂げておいでのはずで、人に生まれ変わる必要はないはずですが、あなたは自ら人間に生まれ変わることを選択されたのですか?
CL : 指反応なし。
私 : それでは、あなたより上位の霊的存在からの指示で人に生まれ変わったのですか?
CL : 指反応なし。
私 : それでは神の指示でしょうか?
CL : はい。
私 : そうなのですか。生まれ変わりの使命は、神からの指示は、地上に霊的真理を広めよということでしょうか? 人間の本質は霊的存在であるとか、魂は実在し生まれ変わるとか、あなたのように霊的存在が実在しているとか、ひいては神が実在するとか。
CL : はい。
私 : それは、現在の人類が危機的状況にあるので、そうした霊的覚醒を促せということでしょうか?あなた以外にも数人が同様に、守護的存在から使命を帯びて人に生まれ変わったという」事例があるのです。
CL : はい。
私 : ところであなたは生まれ変わりを経験しておいでですか?
CL : 指反応なし。
私 : それでは、生まれ変わりを経験することを選ばないで、霊界で独自の進化成長の道を選ばれたのですか。
CL : はい。
私 : あなたはこの者の魂表層においでになるわけですが、かつて守護的存在であったあなた自身が、現世のこの者の守護的存在を務めておいでになるということでしょうか。 
CL : はい。
私 : それではあなたとは別に、この者を守護する存在はいないのですか?あなたはこの者の守護霊でもあるということですか。
CL : はい。
私 : 魂表層には、あなた以外に前世の者がいますか?
CL :: 指反応なし。
私 : いないのですか?
CL : はい。
私 : 守護的存在であったあなたの次の生まれ変わりが現世の者であって、それ以外に生まれ変わりを経験していない魂ということですか?
CL : はい。

私 : あなたという存在が魂表層にあって守護しておいでになるということであれば、今、現世の者が陥っている仕事上の困難はきっと克服できると思ってよろしいでしょうか。
CL : はい。
私 : 今回の現世の者が陥っている困難は、魂の成長進化のために与えられた負荷ととらえてよろしいですか。
CL : はい。

というような展開でセッションが進みました。
覚醒後、このクライアントの第一声は、「いやあ、信じ難いです」でした。
私と、前世の者である守護霊との対話を、モニター意識(現世の意識)が傾聴しているので、潜在意識を宿らせている指(この場合、前世の守護霊の意識)が、勝手に動かされて(自動動作を起こして)答えていたことを自覚しているからです。
覚醒後の聞き取りによれば、彼はこれまでに当然死んで当たり前の交通事故を2度体験しているが、軽傷で済んでいるということでした。
また、2度にわたって会社倒産の危機があったが、必死の努力によって思いがけない道が開いて、乗り切ることができたということです。
「いやあ、守護霊が守ってくれているから、ここまでやってこられたということでしょうかねえ。今回も乗り切る自信が湧いてきました。学歴もなく、自分を頼って働きにくる連中のためにも、中卒でもこうやって社長にまでなれるんだという夢を与えたいと踏ん張ります。そうやって夢を与えることが使命なんでしょうかねえ」
という気づきを得て、このクライアントはお帰りになりました。
ちなみに、彼の魂は、ガイドであったこと以外に、人間の生まれ変わりを経験しないということになります。
アラン・カルディックの霊信記録『霊の書』によれば、魂の誕生したての状態は「無知、無垢です」とだけ通信霊は教えています。
彼の人柄もそのようで、いつも好奇心旺盛でじっとしておれず、親切で悪気がないという周囲の評価であるようです。
突然辞めて去った二人の部下への恨みごとは一切なく、どういう事情なのか不可解だと言うだけでした。
むしろ、社長である自分に責めがあるのだろうと思い、その責めに思い当たることがなく、セッションを希望されたということです。
今どき珍しく、実に後味爽快な、素敵な男らしい人物に出会い、今夜はよく眠れそうです。
(その24へつづく)

2013年8月29日木曜日

SAM前世療法の成立 その22

SAM前世療法のプログラムにおける守護的存在とのコンタクト
またまた、SAM前世療法にあらわれる科学的検証の不可能な意識現象の事実の報告です。
SAM前世療法の最終プログラムは、前世人格との対話が終結したあとで、守護的存在とのコンタクトを試みます。
魂状態のなかで、自分の守護霊に向かって、
「どうぞ降りてきて対話してください」
とクライアントに祈ってもらいます。
そうすると、魂状態の自覚に至ったクライアントの約80%に、守護的存在とのコンタクト現象があったという報告を受けています。
①様々な色の光として守護的存在を感知する場合。
②白い衣服をまとった人間的姿で感知する場合。
③姿は感知しないが、気配として感知する場合。
およそ上記の3通りの感知が報告されています。
そうした感知された対象に向けてテレパシーで問いかけるとテレパシーで返答が返ってくるといいます。
ただし、その返答は具体性を欠き、抽象的な、誰でも言いそうな内容がほとんどであるようです。
曰く、
「あなたの望む方向に進むとよろしい」
「自分の胸に手をあてて考えればおのずとこれからの道がみえてきます」
というようなメッセージがほとんどです。
コンタクト現象の共通項は、感知できた対象が、高貴な印象を帯びており、あたたかな被護感に包まれることです。
また、コンタクトは起きたけれども、メッセージは何もこなかったということもあります。
しかし、稀ですが次のような、メッセージにおける守護的存在の予言が的中したという報告もあります。
ただし、偶然の一致かもしれません。

先生、セッションをありがとうございました。
ちょっとしたご報告なのですが、
あのセッションの翌日、
結婚が決まりまして、
仕事も辞めて欲しいとのことで、
今は、専業主婦ぁw)€ナす。
仕事一筋、キャリアウーマン道まっしぐらでこれまできました。
仕事を辞めるなどと、考えた事がなく
自分でも信じられないような事なのですが、
守護霊様に言われた通りになりました。
翌日にガラッと変わり、驚きました。
また、守護霊様に対面していなければ、
今の状況を受け入れられる心ではなかったと思います。
先生にお会いしたのは、
必然だったようです。
彼は、海外で金融関係の会社を経営しており、
経済的にはなにも心配しなくて良い。と
の事で
今まで私の歩んできた人生とは真逆の
状況に今はおります。
守護霊様が伝えて下さったテレパシーによるメッセージが
私には、はっきりわかりましたので
(言葉には訳せませんが)
このような状況も
受け入れる事ができました。
ありがとうございました。
 
私は、クライアントと守護霊の対話の試みが始まると、5分ほどセッションルームを退出します。
私の座っている椅子に、守護的存在が降りてきたという報告を数多く受けているからです。
そこで、クライアントと守護的存在との神聖な対話を乱したくないと思うようになったからです。
ましてや、クライアントと守護霊との対話に口を挟むことは、セラピストとして僭越な行為だと思っています。
したがって、神聖な対話時間を保証するために、対話中は席を外します。
そして、私の退出中にセッションルーム内でラップ音が聞こえたという報告は稀ではありません。
私も確かに、壁の中だと思われる個所、私の座っていた椅子のあたりから、ノック音やスプリングのたわむ音らしきものを聞いています。
ちなみに、クライアントの横たわるカウチ(安楽椅子)の位置は、道路を挟んで正面になる冨士浅間神社の拝殿に祀られているご神体(銅鏡)から南真正面の位置になっています。
そのように意図してカウチを設置したわけではありません。
霊感の強い複数のクライアントから、足の方向(北)から清浄な気が流れてきます、という指摘を受け、気づいたということです。
これも偶然の一致かもしれません。
前記事で真っ白なツバメを目撃したという報告をしました。
しかし、その後、姿を目撃できませんでした。
ひょっとして幻覚かもしらん、あるいはセキレイを見間違えたかもと自信がゆらいでいましたが、本日15分間飛翔する姿を再確認できました。
長径100m、短径50mほどの楕円軌道上を何回も飛翔していました。
もしも、白ツバメを自分の目で見たいという殊勝な方が見学においでになっているとしたら、申し訳なく思っていました。
8月28日、11:40~11:55、 岐阜県美濃加茂市文化会館前の木曽川右岸堤防道路が目撃地点です。

(その23につづく)

2013年8月20日火曜日

SAM前世療法の成立 その21

生まれ変わりを示す不思議な符合現象
このところの記事は、科学的検証の俎上にのぼらない浄霊作業やら、魂へのヒーリング作業やら、未浄化霊の憑依現象やらの連続で、本ブログの掲げる「実証的探究」が、看板だおれの様相を帯びてきています。
「科学的実証」に期待してアクセスしてくださっている読者のみなさんのお叱りを甘んじて受けますので、どうぞご海容ください。
そして、今回記事もとてもとても科学的検証の不可能な事例で、しかし、興味深い不思議な符合現象ですので紹介したいと思います。
読者の皆さんのなかに、真っ白なツバメを目撃した人はおいでになるでしょうか。
私は、昨年と、今年のつい先日、たった1羽だけですが、真っ白なツバメの飛翔している姿を確認しました。
昨年の8月ころに見たときは、背中部分にだけ薄い黄土色が混じっていましたが、今年はそれが消えて全身真っ白になっていました。
目撃できる場所は、岐阜県美濃加茂市木曽川右岸堤防道路の美濃加茂市文化会館前付近です。
毎日午前中に、この付近を採餌行動のため数十羽のツバメが飛び交います。
そのなかの1羽に真っ白なツバメが確認できるというわけです。
昨年目撃したときは、白いツバメは外敵からは狙われやすいし、仲間からも孤立しやすいだろうし、突然変異のアルビノは個体として他より弱体だろうし、ずいぶん生きにくいだろうなと妙に同情したことを憶えています。
私が、教員時代も現在も、マイノリティであり続けているので、同様にマイノリティである白ツバメと自分とを重ね合わせ、感情移入しているのだろうと思います。
来年も、生き延びてやってくることは無理ではなかろうかと心配をしながら、昨年9月の終わりに、白ツバメとの別れをしました。
私は、家を空けているとき、本降りの雨のとき以外は、毎日午前中に、木曽川右岸堤防道路を往復14Km自転車を漕ぐことが、教員退職以後5年間の習慣になっています。
今年もあの白ツバメはやってくるのだろうか、と毎日観察をしながら過ごしていました。
そしてつい最近、真っ白に変化した白ツバメをついに目撃しました。
吉兆か。
その目撃した日の午後のSAM前世療法セッションで、不思議な符合現象が現れたというわけです。
クライアントは、40代後半の男性でした。B氏としておきます。
このB氏の主訴は、現在の自分の生き方にもっとも影響を与えている前世人格の存在を知り、そこから、これからの生き方の気づきを得ること、でした。
例によって魂状態の自覚まで催眠遡行し、そこで現世にもっとも影響を及ぼしている存在として魂表層から顕現化したものは、なんと守護霊としての前世のものでした。
しかも、B氏の前世のものである守護霊は、現世の知人40代女性Aさんの前世のものである守護霊と、霊界において知り合いであったというのです。
そして、両守護霊は、現世で、Aさん、B氏として生まれ変わり、再会し、互いにスピチュアルな話題や困りごとの信頼できる相談相手になっているということでした。
これだけの話ならば、B氏の前世のものである守護霊なんぞ、B氏のそうあってほしいという願望が投影された架空の存在だろうと一蹴されてしまいそうですが、事情は複雑なのです。
実は、B氏のセッションの1週間前に、AさんもSAM前世療法のセッションを受けているのです。
そして、Aさんも、B氏とともにした前世として守護霊時代があり、B氏の前世である守護霊とは霊界で、旧知の間柄であると語っていたのです。
このAさんの主訴の一つが、非常に信頼でき尊敬できる相談相手のB氏とともにした前世があるのなら、それを知りたいということでした。
そうして、この主訴に応じて魂表層から顕現化したものが、Aさんの前世である守護霊であり、B氏の前世にも同じく守護霊時代があり、ともに守護霊どうしであった前世時代に互いに知り合いであったというのです。
これを語ったAさんが非常に驚いたことは言うまでもありません。もともとスピリチュアルな事柄に強い興味があり、人のお役に立ちたいという願望から公務員を選んだという自分が、まさか信頼するB氏とともに守護霊時代をともにし、現世で再会しているということは、あまりにも信じ難い内容であったからです。
Aさんは、こうした自分のセッション内容を一切伏せて、B氏に私のSAM前世療法のことを話したところ、これまたスピリチュアルなことに関心と造詣の深いB氏が、Aさんのセッションの1週間後に私のセッションを受けにおいでになったというわけです。
Aさん、B氏のそれぞれのセッションで語られた、それぞれの前世である守護霊時代から旧知の間柄であったという語りは完全に符合しています。
しかも、Aさんの報告を信用すれば、B氏はAさんのセッション内容を全く知らないにもかかわらず、Aさんのセッションで語られた内容と、完全に一致する内容を語ったことに間違いはありません。
ブライアン・ワイスの著作にも、全くの赤の他人どうしが、全く同様の前世記憶を語り、それをもって生まれ変わりの証拠だとしている記述があります。
ただし、この場合の二人の前世は人間としての前世でした。
このAさん、B氏の場合には、すでに知り合いどうしであって、全く赤の他人という間柄ではありません。
したがって、Aさんが自分のセッション情報を事前にB氏に漏らし、それの情報に合わせてB氏が作話しているという疑いが排除できません。
しかしながら、Aさん、B氏に確認したところでは、両人とも情報漏れについて、きっぱり否定しています。
とすれば、この事例も生まれ変わりの証拠として採用したいところですが、両人の前世が守護霊であったということが、ムムッと考えてしまうのです。
いったい、生まれ変わりを卒業しているはずの守護霊が、ふたたび人間に生まれ変わるようなことがあるのでしょうか。
私あて第9霊信に次のような内容があります。
守護霊とは、生まれ変わりを経験したものであり、今後生まれ変わるものや生まれ変わりを必要としないものである。
この文言を信頼し、文字通り受け取れば、守護霊の中には、その後にも生まれ変わるものが存在することになります。
つまり、現世の前に守護霊であったという前世が存在しても、矛盾しないということでしょう。
実際、これまで、前世としての守護霊が顕現化した事例が、4事例あります。
とすれば、Aさん、B氏が、ともに守護霊であった前世がありうるし、守護霊として霊界で旧知であったということもありうる話です。
いずれにしても、両人が守護霊時代をともにしたことの検証は到底不可能ですから、両人が同様に守護霊時代の前世があるのかどうかは闇の中です。
Aさんが、B氏に、自分のセッション情報を漏らしていないという証言を採用し、B氏に超ESPの能力がないという前提に立てば、やはり生まれ変わり仮説でなければ、この両者の語りが完全に一致した事実の説明はできないように思われます。
それにしても、不思議な白ツバメの出現した同じ日のセッションで、現世の両者が守護霊であった前世時代をともに過ごし、しかも、ともに人間に生まれ変わって、現世で再会しているという、これまた不思議な符合が示されたのではないかと思ってしまいます。
こうした不思議なできごとがあるからこそ、人生はおもしろい。
(その22につづく)

2013年8月15日木曜日

SAM前世療法の成立 その20

SAM前世療法における「魂」と「霊」の概念、および憑依仮説
SAM前世療法においては、「魂」と「霊」の概念を明確化して、用語の混乱をさけるようにしています。
「霊」は、肉体を持たない存在を指します。
高級霊、低級霊と呼ばれる存在は、霊格の違いこそあれ、ともに肉体を持たない点では同様です。
肉体を持たない「霊」が、肉体という器を持ち、その中に位置付いたときには「魂」と呼び換えます。
したがって、人は、生きている状態であれば、通常誰もが肉体に「魂」を蔵していることなります。
そうして人が死に、「魂」が肉体という器を失ったときには、ふたたび「霊」に戻ることになります。
こうした概念からすれば、「魂」も、「霊」も、肉体を持つかどうかの区別であり、本質的な違いはありません。
人の本質は霊的存在である、という意味も、こうした概念に立てば、十分了解できると思います。
ところで、SAM前世療法において、魂状態の自覚に至る経験の報告として、そうした自覚状態では、体重の感覚が失われ、「わたし」という意識のみがあり、しかもその「わたし」が、肉体からずれたり、肉体を離脱しているという感覚になると言います。
こうした意識状態が「魂」の自覚であるとすれば、これは肉体を失った「霊」と同様の次元に並んだと考えてもよいように思われます。
そうであるからこそ、「魂の自覚状態」に至ったクライアントに、霊的存在が憑依したり、霊的存在とコンタクトがとれたりする意識現象が起こることが了解できることになります。
いわゆる霊能のない私が、こうした霊的問題の回答を得るために用いる手段は、信頼のおける守護霊とよばれる高級霊に尋ねることです。
そして、私にとって信頼のおける守護霊は、里沙さんの守護霊です。
彼女の守護霊の憑依実験において、彼女の守護霊は、「自分は霊界においては異例の存在である」と告げています。
「霊界において異例の存在である」理由は、「稲垣に霊界の諸情報を伝えることを使命としているからだ」と告げています。
この里沙さんの守護霊との対話については、http://www.k5.dion.ne.jp/~spiritlb/3-12.html をお読みになるとその消息がお分かりになると思います。
また、彼女の守護霊が信頼に価する理由の一つに、応答型真性異言ラタラジューの対話実験に入る直前に、この実験は「霊界側の計画に入っている」と告げ、前世人格ラタラジューがネパール語対話をすることを予言したことにあります。
そこで、里沙さんの守護霊に、2013年8月に、「魂の自覚状態では、肉体を失った霊と同様の次元に並んだと考えてよいのか、だから霊的存在の憑依や接触が起こると考えてよいのか」と尋ねてみました。
その回答は、「そのとおりです」ということでした。
SAM前世療法における作業仮説の一つである「憑依仮説」は、こうして固まりました。
つまり、「魂状態の自覚に至ると霊的存在の憑依現象や霊的存在との接触現象が起こる。その理由は、魂の自覚という意識状態が肉体のない霊的存在と同様の次元に並ぶからである」という仮説です。
ちなみに、「その18」で述べた、私の守護霊団に属する8番目の霊と名乗る存在が憑依した現象も、被験者Aさんが魂状態の自覚に至ったので起きたと了解できるのです。
またその5日後に、ある青年を被験者にした催眠塾での実験セッションでは、魂状態に戻る直前に、それを妨げている3体の憑依していた未浄化霊が顕現化し、しかも口頭で霊界に行けず迷ってしまった事情を話すという現象が起きています。
①30代前半女性の憑依霊。妊娠中に結婚を約束した男に邪魔者扱いされ、腹部を刃物で刺され胎児もろとも殺された、と被験者は腹部を激しく痙攣させ、それを両手でさすりながら泣く。
②40代男性の憑依霊。事業が軌道に乗りそうなところで一緒に起業した仲間に裏切られ破産。妻子と離婚。失意のうちに自殺したと泣く。この憑依霊は、この被験者に憑いていることが心地よいので10年以上前から憑依し続けていると話す。また、①の女性憑依霊とは通じ合っているので寂しくなかったとも話す。
③10代後半の男性憑依霊。スピード狂で、高速道路下り坂道カーブでガードレールを突き破ったことまでは憶えているが、自分が交通事故死していることを自覚していないと話す。まだ、自分は死んではいない、生きていると主張する。
興味深いのは、①の女性憑依霊を浄霊作業したところで、もう未浄化霊の憑依はないと判断し、魂状態に至らせて前世人格を呼び出そうとしたところ、被験者の守護霊が憑依し、「まだ頑固な憑依霊がいるので、それを浄霊してやってほしい」と私に依頼したことでした。
そこで、別の未浄化霊が憑依しているのなら、出ておいでなさい、と呼びかけたところ、顕現化したのが②の未浄化霊でした。
この②の未浄化霊の浄霊作業を終えて、再度魂状態へもっていこうとしたところ、「ちょっと、ちょっと、待って」と軽い調子の早口で言いながら、自ら顕現化したのが③の憑依霊でした。
さらに興味深いのは、3体の浄霊作業を終えたところで、被験者の守護霊が再度顕現化し、「この者(被験者)は誠実で優しいいい男なので未浄化霊が憑きやすいのだよ。私の力ではそれを防ぐことができないのでこれからも、あなた(稲垣)が力になってやってほしい。お願いします」と依頼してきたことでした。
被験者の守護霊が顕現化し、未浄化霊の存在を指摘してその浄霊を依頼してきたことは初めての体験でした。
被験者の力になってほしいと、顕現化した(憑依した)被験者の守護霊から依頼を受けたのは2例目になります。
この青年被験者の3体の未浄化霊と彼の守護霊の語りは、きわめて稀な現象で作り話としても面白いのですが、実験セッションということで、ICレコーダーによる録音という証拠と、3名の塾生見学という証人がいますので、本当に起こった意識現象の事実です。
事実は小説より奇なり、という諺そのままの、SAM前世療法で起こった、憑依仮説どおりの意識現象と言えるでしょう。
ただし、こうした憑依現象の解釈にあたっては、被験者の無意識的な役割演技のなせる業だという催眠学的な解釈が排除できません。
あるいは、催眠状態が引き起こした被験者の妄想だ、という精神医学的解釈もできるかもしれません。
私の立場は、SAM前世療法の作業仮説である「憑依仮説」を支持する意識現象として受け入れています。
①の妊娠中の腹部を刺されて殺されたと訴える女性未浄化霊が、顕現化したときに起きた被験者腹部の痙攣状態は、役割演技や妄想によって起こったとするのでは到底おさまり切らない異常な身体反応でした。
現象学的立場に立って、起こったこと、語られたことの霊現象をありのままに受け入れないで、たとえば、腹部の痙攣は、想像妊娠という身体現象と同様の現象だとする唯物論的解釈に拘泥することには無理があり、不自然な営みだと私には思われるのです。
そうして、SAM前世療法で出会うこうした霊的意識現象の累積から、人の本質は霊的存在であり、魂は肉体が滅んだのちは霊に戻って死後存続し、やがて生まれ変わること、霊的存在が実在すること、など霊的真理を、理屈として知るのではなく体得することが、「魂の覚醒」につながるのではないか、と思うようになっています。
(その21につづく)

2013年8月10日土曜日

SAM前世療法の成立 その19

必要に応じておこなう魂へのヒーリング作業
SAM前世療法の成立には、これまで述べてきたように、私あて霊信が告げた「心・脳二元論」、「魂の二層構造仮説」、「霊体仮説」、「憑依仮説」など諸作業仮説によって支えられています。
そして、SAM前世療法を成功へと導くために必要に応じておこなう浄霊作業は、他の前世療法にはない際立つ特徴と言えると思います。
ここで、さらに成功へと導く「魂へのヒーリング作業」を加えなければなりません。
魂へのヒーリングというきわめて霊的な作業がどのようにして成り立ってきたのかその経緯を述べてみます。
【私あて第13霊信】
心と魂は、肉体すべてに宿り、すべてを包むものである。
だが、肉体と心を管理する役目を持つのは脳である。
心の中心は心臓を包むように、その位置を中心として存在しているのだと考えなさい。
それはなぜか、それは人の本能に関連するものである。
心臓という臓器があるため、その位置にあるのだと考えなさい。
あなたがヒーリングをおこなう時は、癒す対象をもとに応じていくべきものなのだと理解しなさい。
肉体を癒そうとする時はその患部、そして魂を対象とする時は、相手の意識全体、魂、心、肉体、そのすべてを包み込むイメージを持つのだ。
心は魂に従うものである。
魂に目を向けなければ、心の活動は穏やかにものとはならない。
よって、あなたは心ではなく相手の魂に目を向けるべきである。
【私あて第17霊信】
スピリットヒーリングの定義づけは、そのものにより異なるものである。
肉体に対する癒し、霊体に対する癒し、魂の側面に対する癒し、それらすべてがスピリットヒーリングである。
魂は癒しを必要としない。
意識体は、あるがままに完全性を持つものである。
癒しを求めるものは、魂の側面であり、肉体である。
心自体は癒しを求めない。
心とつながりを持つものが、癒しを求めるために心を通し呼びかける。
心は道具なのだ。
それは属するものである。
上記二つの霊信は、私の手から発せられるエネルギーがスピリットヒーリングであると告げ、その用い方を教えています。
問題は、魂へのヒーリングという文言でした。
霊信によれば、魂を癒すとは、魂の側面のものを癒すことを意味しています。
魂の側面のもの、とは「魂表層の前世のもの」を指しています。
霊信では、「魂の側面」と「魂の表層」と二つの言い方をしており、「側面」は「表層」と同義です。
したがって、「魂を癒す」とは「魂表層の前世のものを癒す」ことです。
なぜなら、「魂は癒しを必要としない」、「意識体はあるがままに完全性を持つ」と告げているからです。
この場合の「意識体」とは、それまでの霊信の文脈からして魂表層に包まれた「魂の核」を意味しています。
さて、実際のセッションでは、魂表層から顕現化した苦悩を持っている前世人格と対話をします。
前世人格が苦悩を十分語り、セラピストがそれに共感的理解を示すことによって、彼は癒され、それまで魂表層にあって訴え続けていた苦悩から解放される、その結果、現世の人格の諸症状が改善される、というのが、SAM前世療法における治療仮説です。
しかし、SAM前世療法の開発過程で、顕現化した前世人格が、対話のあとでも癒しが不十分である、まだ癒されないというケースが出ていました。
こういうケースで、どうすれば、前世人格を十分な癒しへと至らせることができるのか、これが大きな課題となっていました。
前世人格が十分癒されないままでは、十分な症状の改善が起こるとは考えられないからです。
霊信からすれば、魂表層の前世のものへスピリットヒーリングをおこなうことが可能だと告げています。
ただ、どのようにすれば前世のものへ、スピリットヒーリングのエネルギーを繋ぐことができるのか、これは途方もない謎でした。
スピリットヒーリングの相手は、魂表層に存在している肉体を持たない前世人格です。
第13霊信では、「魂を対象とする時は、相手の意識全体、魂、心、肉体、そのすべてを包み込むイメージを持つのだ」と告げてはいますが、具体的にどうするのか、皆目見当がつきません。
ところが、2ヶ月ほど前に、「神様のお使いで浄霊の仕方を教えにきました」と憑依現象を起こした統合失調症の女性クラアントが、2度目のセッションで、なんと同じく、「今日は、神様のお使いで魂の癒し方を教えにきました」と高級霊らしき存在の憑依を起こしたのです。
その憑依霊が告げるには、
①魂表層の傷ついている前世のものの作り出している意識・潜在意識は、霊体に宿っている。
②そうした意識・潜在意識は、心が管理している。
③したがって、管理している心を経由して、傷ついている前世のものの意識・潜在意識に繋がれる。
④よって、心に向かってスピリットヒーリングエネルギーを注ぎなさい。
⑤心は心臓を中心に広がっているから、胸の前で、両手で心臓を包み込むつもりでヒーリングをしなさい。
心臓に手を当てる必要はない。
⑥このようにすれば、心を経由して魂表層の前世のものにヒーリングエネルギーが繋がり、癒しを求める前世のものを癒すことができる。
ということでした。
憑依霊の告げたこの内容を、第13・17霊信と照らし合わせて考えてみると、それなりに符合する内容であり、試してみる価値はあるように思われました。
このヒーリング方法によって、癒しを求める前世のものが癒されるとすれば、SAM前世療法の成功に大きく寄与することになります。
次は、実際に、前世人格へのヒーリングをおこなったクライアントの体験記です。
この40代男性クライアントは、大手商社マンであり、常識を備え知的な人柄の持ち主だと周囲から評価されている人です。
顕現化した前世人格の8割が口頭で対話できないSAM前世療法の、指で対話する典型例ですので、少し長い体験記ですが全文を紹介します。
最初に僕の緊張をほぐす意味もあったのでしょう。ご自身の催眠や前世に対する考え方、スタンスを丁寧に話をしていただきました。
少し、休憩をはさんで、さあ、いよいよ催眠初体験です。
施術前に、まず簡単な被暗示性テストを受けることになります。
これは、僕が催眠にかかりやすい方なのかどうか、を判断するために実施するものだそうで。
結果は「良好」。
かなり素直な性格の方だから、すっと催眠に入れると思う、とのコメントでした。
そうです、まさに実際にその通りの結果となりました。
まず、呼吸と術者の言葉による暗示により体の力が抜けて行きます。
その後、知覚催眠という、体の感覚が離れていく状態(たとえば、手を抓(つね)られても痛みを感じない状態)へと徐々に導かれます。
そして、自分の潜在意識に表に出てきてもらうよう誘導されます。
実際には、本当に不思議なんですが、頭ははっきりしています。
顕在意識は健在なんですね。(寒いダジャレです。すみません。)
負けず嫌いの僕ですから、何とかして顕在意識は手足を動かしてやろう、と企んでいます。
でも、潜在意識が表に出ている催眠状態では、自分の手足が動かないんです。
ただ、まったく怖くはありません。
さて、潜在意識が表に出ている状態ですが、術者とのコンタクトは指の動きで行います。
術者の質問には、顕在意識とは全く無関係に、指が反応するんです。
ここまで来ると、戸惑っていた顕在意識の僕も、流れに身を任せてみる気になりました。
稲垣: いま、あなたの潜在意識は現世のものですか?
指: 無反応
稲垣: では、前世のものですか?
指: ピクンと反応
指: ヨーロッパに反応
稲垣: いまから、ヨーロッパの国名を私が言います。あなたの国のとき、指で教えてください 。
指: ギリシャで反応
という感じで、セッションが進められます。
術前のインタビューで、僕は、「今の自分に一番影響を与えている前世を知りたい」と希望を出していました。
たぶん、そのことがすでに暗示になっていて、すっと前世のものが出てきたんだろう、と思われます。
結果、僕の前世のものはエナンという名の、ギリシャ・アテネに住んでいた哲学者だそうです。
彼は、戦争に自分の意に反して参加させられ、人を殺してしまった、という心の傷を持っているらしく、それが癒されないため苦しみ、それが現世にまで影響を及ぼしているらしいのです。
主に指を介したやり取りですが、そばでみていた友人によればコミュニケーションが進むにつれて、指の動きが激しくなっていたそうです。
「これから、心を介してあなたの傷を癒します」
術者のそんな声が聞こえたかと思うと、胸の前に何やら温かいものが・・・。
後で友人に聞いたのですが、その時、術者は、僕の体には一切触れておらず、ただ、両手を胸の前にかざしてくれていただけだそうです。
その温かさを感じながら、僕は泣いていました。
ポロポロ涙を流しながら。
しばらく経つと、あれだけ温かかったものが、すうっと消えていきました。
「癒しが終わりました。さあ、これから現世のものと交代してください」
相変わらず、頭ははっきりしていますが、いつ自分が前世のものから現世のものに変わったのかは知覚できません。
でも「いま現世のものですか?」と問われたら指が反応します。
そして、五つ数えたら催眠から覚めます、と言われその通りに。
体は思い通りに動きます。まず涙をぬぐう。
今回は催眠自体が初の体験でしたから、多少の緊張があり、自分の体の重さを感じなくなるところまで顕在意識と体の切り離しは進みませんでした。
でも、少なくとも手足を動かすハンドルを持つ顕在意識の「手」はやさしく外され、そのハンドルを慣れない「潜在意識」が持った、そんな感覚がありました。
僕の前世が哲学者だった。
違和感はあまりありません。
今回は、何らかの問題を抱えて催眠療法を受けたわけではありません。
ですから、悪かった症状が良化した、なんていう、「目に見える変化」が起こるわけではないと思います。 
でも、術中に感じたやさしい温かさと、流した涙の意味は、これから徐々に自分に良い影響を与えてくれるんじゃないかな。
そう思います。

上記体験記の
「「これから、心を介してあなたの傷を癒します」
術者のそんな声が聞こえたかと思うと、胸の前に何やら温かいものが・・・。
後で友人に聞いたのですが、その時、術者は、僕の体には一切触れておらず、ただ、両手を胸の前にかざしてくれていただけだそうです。
その温かさを感じながら、僕は泣いていました。 ポロポロ涙を流しながら。
しばらく経つと、あれだけ温かかったものが、すうっと消えていきました。
「癒しが終わりました。さあ、これから現世のものと交代してください」
までが、魂表層の前世もの(このクライアントでは前世の哲学者エナン)へのヒーリングです。
ちなみに、「僕は泣いていました。 ポロポロ涙を流しながら」の「僕」はクライアント自身ではなく、前世人格エナンが、自分の生まれ変わりである現世の者の肉体を借りて泣いている、と理解するのがSAM前世療法の「自己内憑依」仮説による解釈になります。
クライアントの「僕」の目から涙はあふれていることを現世のモニター意識は知るのですが、なぜ涙があふれるかの自覚が持てないのです。現世のモニター意識とは別に、前世のエナンの意識が泣かせているからです。
涙を流している主体は、現世の「僕」ではなく、前世人格エナンです。
これは、前世人格が口頭で話す場合も、指で回答する場合も、同様の意識状態になります。現世のモニター意識は、口が勝手に開いて話している、指が勝手に回答するという自覚でしかありません。
前世人格の意識が、現世の者の発声器官を借りて話し、指を操作しているからです。
こうした意識状態を、SAM前世療法では「自動発話」、「自動動作」と呼んでいます。
ラタラジューがネパール語会話をしている最中の、里沙さんの意識状態も「自動発話」状態でした。
そして、クライアントは閉眼していますから、私がどのようにヒーリングをしているかは分かりません。
しかし、他の事例でも例外なく、クライアントのモニター意識は胸のあたりにモワーと温かな感覚が広がることを感知し、顕現化している前世人格に尋ねると癒されていくことが分かると報告します。
そして、私の手のひらは、ヒーリングエネルギーの放射感覚をたしかに感知します。
こうして、癒しを求める前世のものへのヒーリングという技法が完成し、SAM前世療法の成立を支える諸作業仮説と諸技法がすべてが出そろったことになります。
そして、「その1」から延々と述べてきたことをお読みになれば、SAM前世療法は霊的存在の恩恵なしに創始できなかった特殊・霊的な前世療法であることがご理解いただけたと思います。
特殊・霊的ではあるが、SAM前世療法による前世人格の顕現化は、誰でも同じ手続きを踏めば前世人格の顕現化が可能です。
また、一度顕現化した同じ前世人格を何度でも顕現化させることができます。
魂表層を居場所にしている前世人格ですから、当然のことと言えば当然のことです。
たとえば、魂表層に存在している前世人格タエにしろラタラジューにしろ、その顕現化の再現性が検証されています。
SAM前世療法の手続きを踏めば誰でも同じ結果を得ることができる、という再現性の点において、SAM前世療法は科学性を有していると思っています。
SAM前世療法は、したがって、伝達可能な催眠技法です。
すでに、私の催眠塾で学んだ門下生が、SAM前世療法を実践し、成功をおさめています。
そして、ラタラジューは応答型真性異言を話し、検証の結果、被験者里沙さんの作り出した架空の人格や妄想の人格ではない、確かな前世人格であることの科学的証拠が示されています。
SAM前世療法は、これまでの科学としての催眠が踏み込まなかった、霊的領域を切り拓く道具でもあると考えることができるのではないでしょうか。
(その20へつづく)