2012年11月9日金曜日

タエの語りの謎に迫る

私の生まれ変わりの実証的探究の身上は、「執拗な食い下がり」にあると思っています。
その執拗さをかき立てる原動力は、祖父の死によって12歳の秋に刻印された「すべて無に帰する死への恐怖」であることは、過去のブログに書いたとおりです。
私は、12歳のときより、深い意識の根底で、絶えず死への恐怖に苛まれ続けてきました。すべてが無に帰する死に対してきわめて臆病なのです。
そして、そうではなく、「死後存続-生まれ変わりはある」と教えてくれたのが「タエの事例」でした。
しかし、「タエの事例」の前には、超ESP仮説が立ちはだかっており、里沙さんに超ESPという能力がないことを証明しない限り、「タエの事例」は生まれ変わりの証拠としては不完全なのです。
そして、原理的に、里沙さんには超ESPという能力がないことを証明するのは不可能です。
しかし、そもそも、超ESPを発揮した人間が発見されているわけではなく、ESPの限界が不明なので、万能のESP(透視・テレパシーなど超感覚的知覚)を持つ人間がいる可能性があることを排除できないというほどの仮説にすぎません。
里沙さんおよび、周囲の証言によれば、彼女がESPを発揮したことはない、と断言していますから、常識的には、「タエの事例」において、里沙さんが、突然、無意識的に超ESPを用いて、タエに関する諸情報を収集し、タエという架空の少女のふりをして虚構を語ったと推測することには相当に無理があると考えています。
ポリグラフ検査の鑑定においても、「タエに関する諸情報を収集した記憶は全くない」という鑑定書が出ています。したがって、私は、「タエの事例」は、とりあえず超ESP仮説を考慮しなくてもよいと考えています。
であるなら、「タエの事例」は生まれ変わりの証拠だと断言できるかというと、いくつかの謎がありました。
「タエの事例」は、ワイス式と私が呼んでいる一般の前世退行催眠法を用いていますが、ワイス式の前提である「里沙さんの脳内の前世記憶の想起」であるのか、「タエという前世人格の顕現化」であるのか、という謎です。
もし、タエが、里沙さんの脳内の記憶であるとしたら、原理的にタエが実在した証拠であるはずがなくなります。脳の消滅とともに脳内の記憶も消滅するからで、タエであったときの記憶が存続して現世の里沙さんの記憶としてよみがえるはずがないからです。死後も、どういうわけか記憶だけは存続する、という科学的証明は一切ありません。
私は、タエは、ワイス式であるにもかかわtらず、魂状態に遡行し、魂の表層から顕現化した前世人格であるに違いないと考えていました。記憶想起ではなく、人格そのものの顕現化とみなすことが、セッションの事実として自然の解釈だと思ったのです。
その一つの手がかりが、以下の、里沙さんの「タエの事例」セッション後の感想に求められると思います。
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次は、そのときの状態を、記憶に残っているままに書き留めたものです。
扉を開けると、まぶしい光の世界が見え、そこにもう一人の私がおりました。前世の私と思われるそれは、姿も形もなく、無論男か女かも分からない、音も声もない、小さな光の塊ではありましたが、まちがいなく私でした。そして、一瞬にして、すべてのものが、私の中に流れ込んできました。私は、自分が何者なのかを知り、状況も把握できました。
 私の前世は、タエという名前の女性で、天明三年に起きた火山の噴火を鎮めるために人柱となって、一六歳で溺死するというものでした。目の前に迫る茶色い水の色や、「ドーン」という音もはっきり分かりました。水を飲む感覚、息が詰まり呼吸できない苦しさ、そして死ぬことへの恐怖、それは言葉では言い表すことのできない凄まじいものでした。私は、タエそのものとして死の恐怖を体験しました。
『前世療法の探究』2006、P221
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「まぶしい光の中」に、「姿も形もなく」、「男か女かも分からない」ような「小さな光の塊」である「まちがいなく私」であるような存在とは、まさしく魂状態に遡行したことを示しているのではないでしょうか。
「一瞬にして、すべてのものが、私の中に流れ込んで」、「私は、自分が何者なのかを知り、状況も把握」できたと分析しています。
そして、「私は、タエそのものとして死の恐怖を体験」することになったと語っています。
さらに、この後に続く感想で、「勝手に口が動いて」タエが話しているという感覚を自覚していたとも述べています。
一瞬にして、すべてのもの(タエという人格のすべて)が私の中に流れ込んで、私が自分が何者なのか(タエであること)を知った、という述懐こそ、魂の表層から前世人格タエが顕現化したことを裏づけていると思われたのです。
それは、このセッションの2年後に創始することになるSAM前世療法のセッション構造にぴったり一致する現象でした。
①こうして一つ目に湧いた謎は、ワイス式の「前世記憶の想起」という前提でセッションをしたにもかかわらず、タエという前世は里沙さんの記憶ではなく、「前世の人格であるタエの顕現化」ではないか、という謎です。この「タエの事例」のセッションは2005年6月4日に実施したものであり、この証拠映像の一部が2006年10月のアンビリバボーで紹介されています。このセッション当初から、私には前述の謎が持ち上がっていました。もし、脳内にある前世の記憶であるとしたら、タエの語りはすべてフィクションとみなす外ないからです。死後、脳内のタエであった記憶が来世に引き継がれるわけがないからです。この謎解きの手段は、タエを再度呼び出して、タエ自身に尋ねることしかありません。
②二つ目の謎は、守護霊の語りです。村を洪水から守るために馬も雷神の供え物にした、その馬を鎮めるためにタエの左腕を切り落として、渋川村上之郷馬頭観音下の地中に埋納したと語っています。しかし、タエ自身はそれを語っていません。(『前世療法の探究』P172) 
このような左腕切断の重大事をなぜタエが語っていないのかが、大きな謎でした。また、馬がお供えとして橋に繋がれていたことも、語っていません。これも謎です。
③三つ目の謎は、タエと守護霊が、育ての親名主キチエモンの姓をそれぞれ、クロダ・クロカワだと言っていますが、史実によれば実在した天明3年当時の渋川村の名主は4名おり、キチエモン名は堀口吉右衛門(『前世療法の探究』P195)だけでした。なぜ、キチエモンの姓が実在のキチエモンと食い違っているのか、その訳が大きな謎でした。
以上3点の謎が解明されないことには、超ESP仮説を考慮の外としても、タエ実在の証拠は十分とは言えません。
これが2005年6月4日のセッション以来、私がこだわり続けてきた謎でした。
そして、この②③の謎は、史実を渉猟したところで解明は不可能でした。残っていないからです。
残る手段は、タエ自身に尋ねてみる以外にないと思われました。
説得しても、里沙さんは再セッションに応じることは拒否し続けていました。
タエの溺死を再体験する恐怖を二度と味わいたくないと言うのです。
しかし、今年2012年5月29日、再セッションの機会がおとずれました。
生まれ変わりの真実を広めるための自主制作映画のための映像として、再セッションを撮影することの許可が下りたのです。
再セッションの目的の一つは、SAM前世療法を用いて前世人格タエの顕現化を図ることです。
SAM前世療法が科学であるための条件の一つが「再現性」です。同じ手続き・方法をとることによって、誰にでも同じ現象(結果)が再現可能であるという証明ができなければなりません。
前世人格タエにしてもラタラジューにしても、その顕現化が1回のみの偶発現象では科学現象として認められないわけです。
本当の目的である謎解きは一切伏せて実施しました。
里沙さんに謎の回答を事前に検討・用意させないためです。
こうして、2005年6月以来こだわってきた謎解きが、7年後の今年2012年5月に実現したというわけです。
前述①②③の謎について、顕現化したタエの回答を述べてみます。
①2005年に語ったタエは、里沙さんの記憶中のタエではない。魂状態に遡行し、魂の表層から顕現化した前世人格である。また、里沙さんの肉体を借りて話したことは、現世の里沙さんに憑依したということである。
つまり、はじめから自己内憑依現象としてタエは顕現化した存在である、と語った。当然、今回も自己内憑依して顕現化している。
このことは、前世記憶の想起という前提でおこなうワイス式前世療法でも、前世記憶の想起ではなく前世人格の顕現化が起きている可能性があることを示していると思われる。
②タエには左腕を切り落とされた記憶はない。しかし、人柱としてお供えになる前に、花嫁衣装を着てご馳走を食べ、お酒を飲まされた。お酒はキチエモンが勧めた。そして、深い酩酊状態に陥った。
また、酩酊状態のときに「左腕が熱い」という感覚があったことは覚えている、と語った。
おそらく、酩酊し朦朧となった状態で、鋭利な刀で左腕の切断がされたと推測できる。そうした状態で、鋭利な刀で一刀のもとに腕を切断された場合、痛い、というより、熱い、という感覚が出ることはありうるとの外科医のコメントをもらった。ただし、動脈切断の止血がどのようにされたかは謎である。
タエが左腕切断の痛みに苦しむことがないように、また、人柱という死の恐怖を逸らすために、酒を飲ませて酩酊状態にさせたということは十分ありうると思われる。
ちなみに、タエはお供え馬も橋に繋がれていたと語った。
③キチエモンは、吾妻川上流の村々から野菜や生糸を仕入れ、舟で渋川村まで運んでいた。その船着場を持っており、その周辺の川中の石が黒かったので「クロカワのキチエモン」と呼ばれていた。
また、所有の田畑の土が黒かったので、「クロダのキチエモン」とも呼ばれていた。
つまり、クロカワの、クロダの、というのは姓ではなく、村人たちの俗称としての呼び名であった。
タエは、「堀口」という姓については分からないと語った。
ちなみに、渋川村名主堀口吉右衛門は初代以後、代々の当主が堀口吉右衛門を名乗っており、それは江戸時代中継続していることが分かっている。こうした史実から、村人は先代キチエモンや先々代のキチエモンとの区別のために、普段は当代ホリグチキチエモンを俗称で呼んでいたことが、ありうると思われる。
また、タエの人柱は、タエの住む渋川村を救うためではなく、キチエモンの交易相手の上流の村々を救うためであったと推測できないわけではない。
タエは、「水が止まって危ないので・・・上の村が水にやられるので、わたしがお供えになります」と語っている。(『前世療法の探究』P159)
余談になるが、2006年アンビリバボー放映では、私に無断で「上の村が水にやられるので」の文言が消去処理されて、渋川村を救うための人柱という偽りの設定に変更してある。これは視聴者に、そうした設定にしたほうが分かりやすく、受ける、という判断をしたためだと思われる。放映前の視聴をさせてもらえなかったので、クレームをつけることができなかったのである。
以上が、2012年5月29日の再セッションにおけるタエの語りの概要です。
タエが実在し、そのタエの前世人格の顕現化が事実であるとみなせば、私の7年越しの謎は、私なりに氷解できたと思っています。
これも余談ですが、守護霊は、タエ実在の証拠として、タエの左腕が渋川村上郷馬頭観音堂の下に埋納されてるが、土石流の下に埋まってしまい掘り出すことは不可能だと語っています(『前世療法の探究』PP172-173)。
現地調査の結果、渋川市上郷の山手にある良珊寺に至る山道の脇にそれたところに、石灯籠状の馬頭観音堂が存在しました。渋川市教育委員会に確認したところ、上郷地内で馬頭観音が祀られているのはここだけであるということでした。
この確認時点で、この馬頭観音堂周辺で土石流被害の有無を確認しませんでした。現地の地形からは土石流の形跡をうかがうことができなかったので、守護霊はタエの左腕の発掘調査をはぐらかすために偽りを語ったのだろうと思っていました。
ところが、2012年になって、読者の方が、渋川市のハザードマップを検索し、この上郷馬頭観音付近が過去に土石流が起きている事実を突き止めてくださいました。
守護霊は、でたらめを語ったわけではなかったのです。
そして、天明三年当時の渋川村名主名は、渋川市史編纂委員の個人蔵書でしか確認できず、こうした依頼を渋川市教委を通じてお願いしたのは私以外になかったこと、『天明三年浅間焼泥押流失人馬家屋被害書上帳』は渋川市史第五巻の資料編に掲載されているマイナーな資料であることなどから、里沙さんが通常の方法で事前に調べることは、まずありえないと判断できます。
さらに、タエの語りの謎が、再セッションで、それなりに整合性のあるタエ自身の語りによって解明できたこと、とりわけクロダ・クロカワの姓の食い違いの理由が俗称であったことから、キチエモンが実在した堀口吉右衛門である可能性が濃厚であること、歴史資料『天明三年浅間焼泥押流失人馬家屋被害書上帳』によれば、渋川村の被害は、「人壱人流」と記載してあったことなど、状況証拠としてタエの実在はきわめて濃厚であると思われます。
とはいえ、捨て子タエの実在の直接的な証拠が出てくることは、将来もあるとは思われません。
やはり、タエの実在した証拠(生まれ変わりの決定的な証拠)は、画竜点睛を欠くと言わざるをえません。
タエの実在は、信じる人には十分な証拠、しかし、疑う人にはまだまだ疑う余地がある証拠であるようなレベルでしか開示されないような計らいがどこかでされているのかもしれません。

2 件のコメント:

2007年の夏 さんのコメント...

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まさに、ウィリアムジェームスの法則ですね。
信じる人には足り、そうでない者には足りない証拠。タエの事例、悔しい限りですね。
稲垣さんもまた、死がきっかけであったのだなと、さまざまな思いがよぎりました。
改めて研究の続きに期待しています。

稲垣勝巳 さんのコメント...

SECRET: 0
PASS:
ウィリアムジェームスの法則 は「挫折の法則」とも呼ばれています。
生まれ変わりの科学的証明を進めていくと、最後にかならず壁にぶつかり、挫折を味わうことになる、という法則です。
このことについて通信霊に尋ねたところ、「挫折の法則ではない。神の計画があなた方が進むための原動力を与えているのだと理解しなさい」と回答しています。
たしかに、2007年のセッションで語られた謎があったからこそ、2012年の再セッションで明らかになったという経緯は、謎が進むための原動力を与えてくれたと考えることができそうです。
超ESPによってタエの架空の物語を語ったのだという説明より、タエという前世人格が自身のことを語ったと解釈するほうが、はるかに合理的な説明だと私には思えます。