2012年6月8日金曜日

「ラタラジューの事例」における語りの謎の解明

「ラタラジューの事例」における語りの最大の謎は、「30歳」、「ラナ」、「戦いました」の関連です。
語りで示された3つの断片的な単語の関連の持つ意味について、拙著『生まれ変わりが科学的に証明された!』の中で次のように推測しておきました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
⑧Shah(シャハ王朝)とラナとの関係について

ネパール語で対話する前の筆者との日本語対話でラタラジューは、「・・・戦いました・・・ラナ・・シャハ・・・ラナ、戦いをした」とラタラジューは語っています(前掲書P49)。また、カルパナさんのネパール語対話でも、30歳と答えた直後に「ラナ」という単語を四度発語しています(同書PP61-62)。シャハ王朝とラナ、および戦いとの関係はいったいどのようなことが推測できるのでしょうか。
 シャハ王朝は、1768年に始まり最近廃絶した王朝です。そのシャハ王朝で、1846年以後1951年まで、ネパールを実質支配する独裁権力を振るった宰相家が「ラナ家」です。ラナ家が独裁権力を握るために、1846年に有力貴族を殺害するという流血の権力闘争がありました。また、1885年にはラナ家内部で流血クーデターが起きています。
 一方、タエが人柱になったのは1783年(天明3年)です。それ以後にラタラジューとして生まれ変わったとされているのですから、彼がシャハ王朝とラナ家を知っていることに矛盾はありません。したがって、ラタラジューが発語した「ラナ」とはネパール宰相家の「ラナ家」だと推測して間違いないと思われます。とすれば、彼が「戦いました」という語りは、ラナ家がシャハ王朝内の独裁権力を掌握するための1846年の権力闘争あるいは、ラナ家内部の1885年のクーデターに際して、ラタラジューが傭兵として闘争に参加していることを意味していると推測されます。
さらに穿(うが)った推測をすれば、カルパナさんとのネパール語対話の中で「30歳」という年齢を答えた直後に、それに触発された記憶であるかのように「ラナ、ラナ」と発語していますから、ラナ家に関わる闘争への参加はラタラジューが30歳の時だと特定できなくはありません。加えて、彼は若い頃カトマンズに住んで戦ったとも言っています。そのように仮定し、彼が78歳で死亡したとすると、彼の生年・没年は、1816年~1894年、または1855年~1933年となります。里沙さんは1958年生まれですから、いずれの生年・没年でもは矛盾しません。
 さらに言えば、30歳で戦いに参加したとすれば、里沙さんの守護霊とおぼしき存在の「ラタラジューは・・・若い頃人を殺しています」という語りにも符合することになります。
ソバナ博士の調査によれば、シャハ王朝が傭兵としてタマン族の青年たちを用いていたことは間違いない事実であるが、どのクーデターのときにどれくらいのタマン族傭兵が参加していたかという数字については定かではないという報告でした。こうして、ラタラジューがラナ家に関わる闘争に傭兵として参加していたのではないかという推測が成り立つための裏付けが検証できたということです。(同書PP.108-109)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
筆者が、2009年5月の実験セッションで顕現化したラタラジュー人格の語りのなかで、これまで2年あまりこだわり続けてきた上記ゴチック部分の推測が正しかったことが、4月8日のセッションにおいてラタラジュー自身の語りから証明できました。

顕現化したラタラジュー人格への質問によって、彼の口から明確になった事実は以下のことでした。

①30歳のときにカトマンズで生活しており、ラナ家が独裁権力を握るための闘争に傭兵として敵と戦った。

②その戦い参加は、2度のラナ家に関する戦いのうち、1回目の戦いである。

ラタラジューは西暦カレンダーを知りません。しかし、ラナ家の1回目の戦いは史実によって、1846年であることが分かっています。
その1846年に30歳だったと答えていますから、生年は1816年になります。また、78歳で死亡したと語っていますから、没年は1894年になります。
つまり、ラタラジューは、今から118年前に死亡しているということになります。
そして、里沙さんは1958年生まれですから、ラタラジューの没後64年(1958ー1894)経て、現世に生まれ変わったことになります。
ラタラジューの前の前世であるタエは、天明3年(1783年)に16歳で人柱になっていますから、タエの没後33年経てラタラジューに生まれ変わったということになります。
2回の生まれ変わりが、タエからラタラジューへ33年、ラタラジューから里沙さんへ64年、の間隔で起きているという特定ができたということです。
このような、一人の被験者において、検証によってその実在の濃厚な、二人の前世人格の生年・没年が特定できた事例は、筆者には初めてのことです。
世界中の研究で、同一被験者において、二人の前世人物の生年・没年が特定され、生まれ変わりの間隔が特定された事例を筆者は知りません。
自画自賛だと貶されようと、生まれ変わり研究史上の快挙だと誇りたいと思います。

そのほかに、100年ちょっと前のナル村村長であったラタラジューの記憶を持つ者と、ラタラジューの子孫の実在について、ネパール人文化人類学ソバナ博士による、2010年当時のナル村村民34名の古老への聴き取り調査で、誰一人記憶にとどめていないという不可解な謎の秘密をラタラジューは語ってくれました。
この秘密を明かすことは、現ナル村村民の先祖への誇りを汚すであろう支障が生じますので、詳細を公開することは控えたいと思います。
秘密の一部を明かすと、ラタラジューは、「村民に対して罪を犯した恨みを買って毒殺された」と訴えたということです。そして、その訴えの最中に、毒殺時の苦悶を示す、腹部の痙攣と猛烈な嘔吐症状の身体反応が里沙さんに起きるという超常現象が伴いました。
ここまでが、4月8日セッションで解明できたことでした。

今回、5月29日のセッションで、筆者の4つの

0 件のコメント: