2012年5月1日火曜日

前世人格の顕現化現象と「自己内憑依」仮説

前世人格の顕現化とは、「自己内憑依」だという考え方は、今年に入ってからのSAM前世療法における新たな作業仮説の展開です。
この信じ難い考え方に至った経緯を述べてみます。
SAM前世療法は、霊的存在の実在と、それら霊的存在の憑依現象を認める立場に立っています。
筆者が霊魂と霊的存在の実在を認める立場をとる理由は、それがクライアントが示す意識現象を観察した直感に著しく反していないからであり、それを認めることが不合理な結論に帰着しないからであり、その憑依的現象が唯物論的枠組みからは説明できないからです。
SAM前世療法の作業仮説は、筆者あて通信霊の告げた魂の構造を前提にして導き出したもので、良好な催眠状態に誘導し潜在意識を遡行していくと、意識現象の事実として、クライアントが「魂の自覚状態」に至ることが明らかになっています。この魂の自覚状態に至れば、呼び出しに該当する前世人格が魂の表層から顕現化し、対話ができることもクライアントの示す意識現象の事実として明らかになっています。
ラタラジューも、こうして呼び出した前世人格の一つであるわけで、その前世人格ラタラジューが真性異言で会話した事実を前にして、魂や生まれ変わりの実在を回避するために、深層心理学的概念を駆使してクライアントの霊的な意識現象に対して唯物論的解釈することは、現行科学の知の枠組みに固執した不自然な営みだ、と筆者には思われるのです。
魂の自覚状態、前世人格の顕現化という意識現象に対して、事実は事実としてありのままに認めるという現象学的態度をとってこそ、SAM前世療法を実りあるものにしていくと思っています。そして、クライアントの示す意識現象の諸事実は、現行科学の枠組みによる説明では、到底おさまり切るものではありません。
魂や生まれ変わりの実在を認めることを回避する立場で、あるいはすべて非科学的妄想だと切り捨てる立場で、どうやって顕現化した前世人格ラタラジューの応答型真性異言現象の納得できる説明ができるのでしょうか。
ちなみに、スティーヴンソンも、「グレートヒェンの事例」において、真性異言で会話したグレートヒェンを名乗るドイツ人少女を「ドイツ人とおぼしき人格をもう一度呼び出そうと試みた」(『前世の言葉を話す人々』11頁)と記述し、呼び出された前世人格を催眠トランス状態で現れた「トランス人格」(前掲書9頁)と呼んでいます。
つまり、催眠下で前世人格を呼び出し顕現化させる、というSAM前世療法における筆者と同様のとらえ方をしています。
おそらく、この被験者も里沙さんのような高い催眠感受性を持ち、タエやラタラジューの人格同様、催眠下で一気に魂状態になり、その表層に存在している前世人格グレートヒェンが顕現化したと推測してよいように思われます。 
 
こうした海外で発見された催眠下の応答型真性異言事例と考え合わせると、「前世人格の存在する座は魂の表層である」、とするSAM前世療法の作業仮説の検証は、ますます意味深い作業になると思っています。
なぜならば、スティーヴンソンは、呼び出された「トランス人格(前世人格)」が真性異言を話すことまでは言及しても、その「トランス人格(前世人格)」の存在する座はいったいどこにあるのかまではっきり言及しようとしていません。
ただし、彼は、「前世から来世へとある人格の心的要素を運搬する媒体を『心搬体(サイコフオア)』と呼ぶことにしたらどうか(『前世を記憶する子どもたち』359頁)」とまでは提唱しています。
筆者が「魂」と呼ぶものを「心搬体」と呼ぶのは、宗教色を排除しようとした科学者としてのスティーヴンソンの慎重な自制からでしょうが、SAM前世療法は、それ以上言及されなかった前世人格の存在する座までも検証することになるからです。
ちなみに筆者が、「霊魂」と生まれ変わりを認めるからと言って、特定の宗教に帰依する人間ではありません。
どこまでも、SAM前世療法に現れる意識現象の事実を認める立場から必然的に至った見解です。
さて、「前世人格の顕現化とは、『自己内憑依』だ」という考え方は、4月8日におこなったラタラジュー顕現化の再セッションにおいて、里沙さん守護霊の告げたことに触発された見解です。
「ラタラジューの現れる現象を憑依だととらえなさい。応答型真性異言のような現象は優れた霊媒体質を持つ者だけに現れる特異な現象です」と彼女の守護霊は告げたのです。
彼女の守護霊は、私に霊界や霊現象の消息を伝えることを使命としている、と以前から告げていますから、その言を真摯に受け入れることが筆者の立場です。
「憑依」とは、「霊などがのりうつること(『大辞林』)」とされています。
筆者が、「前世人格の顕現化」と呼んでいる意識現象は、その観察事実から、まさしく憑依現象そのものだと言ってよいものです。
前世人格が、現世の肉体に「のりうつり」、現世の肉体(発声器官・指など)を借りて自己表現をしていると観察できる現象です。
その消息は、次のようなクライアントのセッション後の感想からも、うかがい知ることができます。
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まず、男のような声で唸る自分に驚き、続いて鼻を鳴らしたり、また唸ったり、発する声が完全に男になっていたことに本当に驚きました。彼は、ドイツの木こりでした。結局のところ彼はどうしてこの場に出てきたのかわからず、「なんでかな~」と唸りながら、首を傾げていました。そして、先生から「また今後ゆっくりお話を聞きましょう」といわれその後、私は現世に戻って来ました。
 今回の先生とのセッションは、私にとってとても印象深く、ちょっとした衝撃でした。今までワイス式では、どちらかと言うと「自分で作ってしまっているのではないか」という観がありました。しかし、SAMでは、誘導から一っ飛びに、その人物になってしまったり、明らかに男の声、しゃべり方になっていることを実感できたからです。
 となると、魂の側面のものたちが存在すると私は確信せざるをえません。
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このクライアントが報告しているような、「男のような声で唸る」、「鼻を鳴らしたり、また唸ったり、発する声が完全に男になっていた」、「その人物になってしまったり、明らかに男の声、しゃべり方になっている」 などの現象は、SAM前世療法では一般的に現れ、観察されます(mixi「前世療法の探究」トピック「セッション体験報告」参照)。
つまり、前世人格が、現世の肉体に「のりうつり」、現世の肉体(発声器官・指など)を借りて自己表現をしていると観察できる現象です。まさに、前世人格の現世の肉体への憑依現象と呼んで差し支えない現象です。
筆者は、したがって、「前世人格の顕現化現象」を、「自己内憑依」と呼ぶことにしました。
魂の表層に存在している前世人格が、現世の肉体(自己)に憑依する、という新しい概念です。
一般に憑依とは、自己にとっての異物である霊的存在が、自己にのりうつる現象を意味していますから、これを「自己内憑依=前世人格の顕現化」に対して、「自己外憑依」とでも呼ぶことにします。
前世人格とは、自己の魂の表層に存在しているのですが、いわゆる死者であり霊的存在でもあるわけですから、「憑依」の概念が適用されても誤りではないと思います。
ただ、これまで魂表層に存在する前世人格という、いわば自己の身内が、自己に憑依するという現象が発見されなかったので、「自己内憑依」が突飛で奇妙な言い方であるように印象されるだけです。SAM前世療法の発見したところの、いわば創造的定義が「自己内憑依」です。
そして、「自己内憑依」と「自己外憑依」の見分けの指標は、とりあえず次のように言えると思います。
自己内憑依の場合は、モニター意識が明瞭に働いて、「憑依人格=前世人格」との同一性の感覚が働きます。「憑依人格=前世人格」が「憑依中=顕現化中」の記憶が明瞭に残ります。
これに対して、「自己外憑依」の場合は、モニター意識が「憑依霊」に対して、同一性の感覚が持てないか、憑依されている自覚が持てないか、あるいは憑依中の記憶が残りません。
以上のような、「自己内」、「自己外」の「憑依現象」に対する疑問や批判的見解として、精神医学からは「憑依妄想」が疑われるでしょう。
催眠学の立場からは、「憑依人格になったつもりの役割演技」だとみなされるでしょう。
唯物論科学の立場からのこうした疑問・批判を完全に排除できませんが、しかし、応答型真性異言「ラタラジューの事例」が、「自己内憑依」仮説を強力に支持しています。
この事例の検証によって、「自己内憑依」したラタラジュー人格が、被験者里沙さんの「憑依妄想」や「役割演技」といった唯物論的説明では到底成り立たないことを明白に証明しているからです。
妄想や役割演技によって現れた架空人格のラタラジューが、応答的にネパール語で会話できるはずが絶対ないからです。
こうして、SAM前世療法とは、魂状態に遡行できれば、「自己内憑依」、「自己外憑依」の両憑依現象が喚起でき、霊的存在との対話を可能にする前世療法だということです。
そして、SAM前世療法において、クライアントは霊的存在を宿らせる「霊媒」の役割を果たし、セラピストは、霊的存在の憑依を、霊媒であるクライアントに喚起させる触媒的役割を担う、という関係になるでしょう。
さらに言えば、自己内憑依した前世人格と、その苦しみや悲しみを共感的に理解しながら対話するセラピスト、その対話を傍聴しているクライアントのモニター意識という三者的構図こそ、SAM前世療法の際立つセッション構造(治療構造)だと考えることができます。

1 件のコメント:

HB さんのコメント...

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「自己内憑依」と「自己外憑依」の区別は、とても面白い新たな定義づけですね。
「憑依」というと、一般的には他者の霊が憑依することを連想すると思いますが、SAMにおいては自分の前世の人格が現世の人格に憑依するという、画期的なアプローチで大変興味深いです。