2011年11月10日木曜日

被験者里沙さん証言の検証その2

(その1からのつづき)
②結婚後の生活歴調査
婚家は、A市中心の商店街にある非常に多忙な食品小売り業であり、その切り盛りをしながら、早朝から夜遅くまで家業と家事と二人の息子を育てるという、個人的自由時間のほとんどない生活をしたということです。
息子が成人した頃には姑が体調不良なり、その介抱と、自身の脊柱側湾症の悪化による痛みとその治療に苦しむ生活で、やはり時間的ゆとりはほとんど持てない生活が続きました。
2時間以上の外出は姑の手前遠慮し、それ以下の時間で友人との語らいや買い物でも、必ず行き先を告げるのが結婚以来の決まりだったそうです。
やがて、家業を続けることが困難になり、2000年、42歳のときに店を閉めた後、2年間は県民共済組合のチラシ配りのパートタイマー、2002年からはNPO法人の紹介で食事介護のパートタイマーとして働き、現在に至っているとのことでした。
この結婚後の生活歴の中で、一日約3時間のパートの仕事中、あるいは家庭内生活中でネパール人、ネパール語との接触の可能性を確認するため、地方公務員であるご主人に問い合わせましたが、テレビ・本などによるネパール語会話の練習やネパール人の友人・知人等との交際は、結婚以来一切なかったとの回答でした。
里沙さんの夫が外国嫌いという事情もあり、夫婦ともに海外渡航歴は、新婚旅行でフランス・スイスに行った以外に一切ありませんでした。
また、里沙さんの住む商店街近辺にはアパートはなく、それ以外にも近所に在住するネパール人がいないことを確認しました。
ちなみに、里沙さんの住むA市は、人口42万人の地方都市です。
市役所に出向き、初回セッションの2005年から第二回セッションの2009年までの5年間の年毎のネパール人の在住人数を調査しました。その結果、最多の年で33名、最少の年は25名であり、総人口に占める平均割合は0、007%でした。
この期間中に里沙さんが、A市内でたまたまネパール人と知り合い、家族にも知られず密かにネパール語を学んだ可能性は、彼女の日常生活の実態から考えて、まずあり得ないと判断してよいと思われます。
(つづく)

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