2011年10月29日土曜日

「タエの事例」後の里沙さんの感想

「ラタラジューの事例」の検証に入るまえに、「タエの事例」後に被験者里沙さんが、このセッションにどのような感想を持ったのかを知っておくことは、大変有益だろうと思います。
それは、タエとして前世の語りをしているときの意識状態がよく言語化された貴重な体験記録だからです。
また、私が後に「SAM前世療法」を創始するための作業仮説の契機となる意識現象があらわれているからです。
以下の感想は、セッション後四か月経過した時点で書かれています。
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私のこれまでの人生後半は、痛みとの闘いでした。特に、子どもを生んでからは側湾症が悪化し、辛い日々を過ごしてきました。
痛みから、夜眠ることもままならない状態になり、次第に「死んで痛みから解放されたい、楽になりたい」と死を望むようになりました。
でも、こんなことではいけないと、以前、子どもの不登校を催眠面接で治していただいた稲垣先生に、前世療法をお願いすることになりました。
私の望みは、前世療法により、痛みに耐えて強く生きるきっかけを作り出すことにありました。
二回目のセッションを受けた後、3日間ぐらいは、セッション中の記憶が鮮明過ぎるほどにあり、そのせいか、こめかみあたりに鈍い頭痛が続きました。頭痛が消えると同時に、記憶も急速に薄れました。四か月あまり経って記憶が薄れていますので、一生懸命思い出しながら、書き綴ってみます。
一回目のセッションでは、稲垣先生の誘導により、暗闇のトンネルを進み、前世の世界の扉を開けることから始まりました。
次は、そのときの状態を、記憶に残っているままに書き留めたものです。
扉を開けると、眩い光の世界が見え、そこにもう一人の私がおりました。前世の私と思われるそれは、姿も形もなく、無論男か女かも分からない、音も声もない、小さな光の塊ではありましたが、まちがいなく私でした。
そして、一瞬にして、すべてのものが、私の中に流れ込んできました。
私は、自分が何者なのかを知り、状況も把握できました。
私の前世は、タエという名前の女性で、天明三年に起きた火山の噴火を鎮めるために人柱となって、16歳で溺死するというものでした。
目の前に迫る茶色い水の色や、「ドーン」という音もはっきり分かりました。
水を飲む感覚、息が詰まり呼吸できない苦しさ、そして死ぬことへの恐怖、それは言葉では言い表すことのできない凄まじいものでした。
私は、タエそのものとして死の恐怖を体験しました。
前世療法を受ける前までは、自分の前世がクレオパトラか楊貴妃だったらいいのにと勝手に空想したりして楽しみにしていましたが、まさかこのような前世が現れるとは夢にも思いませんでした。
自ら志願して人柱になる前世を持っていたとは、皮肉なことだと思わずにいられません。
ただ、死ぬというあまりの恐怖を体験したことによって、現世の私が「死にたい」と思わなくなったことが、私にとってよかったことだと思います。
とはいえ、しばらくの間は、溺れ死ぬ間際の、恐ろしい夢を見続けるというおまけ付きでしたが。
二回目のセッションでの私の望みは、できることなら痛みに耐えて、生きてゆく意味を、自分なりに見つけたいということでした。
このセッションは、70分という時間がかかったことを後で聞かされましたが、私には、せいぜい30分程度の感覚でした。
後でビデオを見せてもらいましたが、偉大な存在者の記憶は全くなく、そのあたりで時間のズレができたのではないかと思います。
ただし、タエと、ネパール人と、中間世の魂となっている部分の記憶は、催眠から覚醒しても、ハッキリ覚えていました。
次は、二回目のセッションの記憶を書き留めたものです。
前回と同じように、扉を開けると、あっと言う間に、私は13歳のタエで、桑畑で桑の実を摘んで食べていました。
私がそのタエを見ているのではなく、私自身の中にタエが入り込んでくるという感覚でした。
稲垣先生から、いろいろ質問がされましたが、現世を生きている私が知るはずもない遠い昔の出来事を、勝手に口が動いて、話が出てしまうという状態でした。
それは本当に不思議なことでした。
私は、今まで、群馬県に行ったこともありませんし、渋川村があったことも、吾妻川という川の名前も、それが利根川の支流にあたることも知りませんでした。浅間山が噴火することは知っていましたが、天明三年旧暦七月七日ということは知りませんでした。
また、浅間山が龍神信仰の山であることも、火山雷のことも知りませんでした。
タエは名主クロダキチエモンと言っていますが、私はそのような人物を知りませんし、天明時代の名主の名前を調べたこともありませんでした。
さらに言えば、私は、今まで透視や憑依などの超常現象を経験したこともなく、その能力も全くありません。
インターネットを使うことができないので、タエの生きた時代や、ネパールについても、前もって調べることは不可能です。
また、本やテレビ、映画などでその時代の知識があったかというと、それもありえないのです。
なぜなら、私は天明時代やネパールについて全然興味がないからです。そ
れでは、なぜ答えることができたのかと言えば、やはり前世に出会ったとしか言い表せないのです。
やがてタエの息が絶え、私は、死後の世界を体験することになりました。
そこは明るい光の世界で、私の身体はなく、ただ意識だけの存在になりました。
そして、偉大な存在者の姿を見ることができました。
逆光の中に立つその方は、大きく、身体の周りが光で覆われ、色の黒い異国の人のようでした。
稲垣先生から、その偉大な方に質問し、やりとりしているときは、私は、まるで電話機の役割をしているようでした。双方の声が、私を通してやりとりしている、そんな感じでした。
だんだんに二人の声が聞こえなくなり、その後のやりとりは、セッションが終わった直後も、今も、全く記憶にありません。
その後、私の記憶は、ネパール人のラタ・ダジュールという、ナル村の村長をしているところから始まります。
先にも触れましたが、私はネパールについては何も知りません。
ネパールでは、西暦もカレンダーも、使われていないことを知りませんでした。
「グルカ」という言葉も、ナル村という村があることも、もちろん知りません。
そして、その後、私は、現世の私に生まれ変わったのです。
こうして、私の前世療法は終わりました。
しばらくの間は、しっかりと二つの前世の記憶が残っていました。
私の語ったことが、どの程度検証されるのかは分かりませんが私にとっては、検証するまでもない、真実の記憶としか思えません。
私自身は、この二つの前世を「実体験」したことにより、前世を信じざるをえないようになりました。
一回目のセッション後の私は、死を恐ろしいものと実感し、死にたいという気持ちから解放され、どんなに辛くても生きていたい、と思うようになりました。
その後、二回目のセッション後は、生まれ変わりを信ずるようになりましたので、死を恐れなくなってきました。もし、私が、死に直面しても、皆さんに「また来世で会いましょう」と言えるのではないかと思います。
現世限りで終わるのではなく、次の人生があると確信しているからです。
でも、だからと言って、死を望んでいるわけではないのです。そのときが来るまで、せいいっぱい生きて、現世に生まれ変わってきた使命を果たしたい、と思うようになりました。
私は、幸いなことに(今はそう思えるのです)、側湾症で身体の痛みの辛さが、身にしみて分かっています。
見た目にも、背骨の歪みが分かるまでに悪化しています。
同じような苦しみや、悩みを持つ人を、ある程度理解できます。
できることなら、もう一度勉強し、資格を取り、そうした人達とともに、生きる道をめざしたいと願っています
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被験者里沙さんの上記感想の中で、私がとりわけ注目したのは次のような意識現象の表現です。
私がそのタエを見ているのではなく、私自身の中にタエが入り込んでくるという感覚でした」  
一瞬にして、すべてのものが、私の中に流れ込んできました。私は、自分が何者なのかを知り、状況も把握できました」
つまり、里沙さんがタエという「前世の記憶を想起している」のではなく、里沙さんの意識の中に「タエという前世人格が顕現化している」ということではないだろうか、という直感が私の中に閃いたということです。
タエという人格の顕現化を、彼女は、「私自身の中にタエが入りこんでくる」、「私の中に流れ込んでくる」と表現していると思われたわけです。そして、一方で、そういうタエの顕現化をモニターしている意識がある、このようにとらえるべき意識現象ではないのか。
このときの彼女の意識は、そうした二重構造になっているのではないかと思われたのです。
やがて、この直感へのこだわりが、一年半後の私あて霊信によって触発され、SAM前世療法の作業仮説として結実していくことになりました。

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