2011年10月24日月曜日

「タエ」の語り内容の検証その4

(その3からのつづき)
⑨ 降灰による日光遮断の影響について
「昼間だけど真っ暗で。提灯が・・・」
について、『渋川市史』巻二、「天明の浅間山大焼」の項の記載によれば、8月4日・5日は武州口まで噴煙と降灰のため闇夜のような日が続いたとあります。
タエの泥流に流された時刻は、前記⑧で述べたように天明3年8月5日正午ころと推測されますから、真夏の真昼です。にもかかわらず、「昼間だけど真っ暗で。提灯が・・・」という状況はいかにも不自然で誇張が過ぎると思われたのですが、噴煙と降灰によって昼間でも実際に提灯を必要とするほどの暗闇の事態が生じていたのは、誇張ではなく事実だったのです。
⑩ タエの待遇について
名主キチエモンによって、拾われて養育されたタエたち子どもは、おそらく農作業の労働力とて使役されたと推測される。
したがって、タエたち孤児がキチエモンの娘・息子としてではなく、使用人としての扱いを受けていたことは当然ありえるし、そうであるなら、座敷ではなく馬小屋で寝泊まりし、ヒエの食事をし、ワラの寝床で寝るという生活もありえる待遇だと推測できます。
そしてこうした極貧の生活は、天明当時の小作農の境遇として当たり前のことを史実は教えています。
⑪ 馬頭観音を「ばと様」と呼ぶことについて
セッション見学者小野口裕子氏が現地に赴き、渋川市上郷良珊寺(りょうさんじ)僧侶より現渋川市でも馬頭観音を通称、「馬頭様」「ばと様」と呼んでいること、および良珊寺に通じる参道脇に馬頭観音石堂と石馬が現存していることを確認したという情報を入手しています。また、里沙さんに尋ねたところ「ばと様」という語は全く知らないという回答でした。
「ばと様」という語は、今日ほとんど死語といってよいと思われます。この語は私も知りませんでした。
⑫ 噴火という用語について
当時浅間山の大噴火を一般に「浅間山大焼」と呼んでいました。農民であるタエが「噴火」を聞かれて意味が分からなかったのは了解できます。
噴火という語は少なくとも当時の農民層の間では用いられていなかったことは確かです。
タエが「噴火」という語を知らないのは当然でしょう。
セッション中のタエの語り内容の検証については以上です。
ここまで12事項について検証してきましたが、史実・事実に反する誤りはありませんでした。
次回からは、「偉大な存在者(守護霊とよれる存在)」の語り内容の検証を述べていきます。

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