2011年10月31日月曜日

ラタラジューの語りの検証その2

(その1からのつづき)
対話相手
(ネパール人女性カルパナさん)の発語していないネパール語
ラタラジューの発話において重要なことは、ラタラジューがカルパナさんの発話の中で用いられていないネパール語を用いているかどうかの点です。
カルパナさんが質問で用いた単語をオウム返しで繰り返しているだけならば、質問内容が理解できていなくても対話が成立しているように錯誤されてしまうからです。
ラタラジューが本当にネパール人の前世人格なら、カルパナさんが用いていない単語で、ラタラジューが自ら発語しているものがなければ、彼がネパール語を運用した信憑性は低いものとなるでしょう。
正確な意味で、会話技能を用いている応答型異言とは言えないということになります。
そこで、名前を除き、ラタラジューが初めて発語している単語を全セッションから拾ってみると、次の29の単語があることが分かりました。
mero(わたしの)・ ke(何)・tis(30)・bujina(分かりません)・ ho(はい)・ma(私・Shiba(シバ神)・dhama(宗教)・Nepali(ネパール人)・Gorkha(グルカ兵)・pachis(25)・hoina(いいえ)・pet(お腹)・dukahuncha(痛い)・rog (病気)・guhar(助けて・ath(8)・satori(70)・Tamang(タマン族)・kana(食べ物)・dal(豆のスープ)・ bha(ご飯)・ kodo(キビ・アワなど雑穀)・sathi(友)・cha (ある、いる)・Nallu gaun(ナル村)・kancha(息子)・Shah(シャハ王朝)・ Himal(山、ヒマラヤ)
この事実は、ラタラジューが、ネパール語を知っており、その会話技能を身に付けていることの証拠であると思われます。
また、彼の父がタマン族らしいことを考えると、彼の母語はタマン語であって、ネパール語ではない可能性があり、そうしたことを重ねて考えますと、ネパール語の少なからぬ単語を用いて応答的に発話できた事実は、ますます大きな意味を持つものと思われます。
ちなみに、ラタラジューの発音は、明らかに日本語を母語とする里沙さんの舌の用い方ではないように聴き取れます。
会話分析に当たった中部大学客員研究員カナル・キソル・チャンドラ博士によれば、数字の発音などにタマン語の訛りが明瞭に混入しているネイティブなネパール語であるという意見でした。
また、ラタラジュー程度にネパール語会話ができるようになるためには、ネパールに三年から四年程度の滞在が必要であろうとの判断でした。
文字表現では不可能な、ラタラジューのネパール語の語調、発話中の表情・動作などが分かるアンビリバボーで放映の証拠映像をご覧になった読者であれば、ネパール人どうしの違和感のない会話がお分かりになるだろうと思います。
(つづく)

2011年10月30日日曜日

ラタラジューの語りの検証その1

ラタラジューの語りの検証の第一の眼目は、退行催眠中に現れた応答型真性異言としてイアン・スティーヴンソンが20数年かけて発見し、公表している世界でたった二例(「イェンセンの事例」、「グレートヒェンの事例」)に、「ラタラジューの事例」を加えることができるかどうか、ということに尽きます。
もし、「ラタラジューの事例」が応答型真性異言である証明に成功すれば、それは催眠中に起きた事例として世界で3番目の事例となり、21世紀最初の事例となります。
そして、その証拠ビデオ撮影に成功したのは世界初となります。
読者のみなさんの中には昨年2010年8月5日、アンビリバボーでそのセッションの一部をご覧になった方もおいでになるでしょう。
「タエの事例」はその検証結果からも納得していただけると思いますが、生まれ変わりの証拠として極めて濃厚な事例と思われました。
しかし、超心理学の生まれ変わり研究では、「超ESP仮説」によって「タエ」の語り内容は生きている人間の心の力、つまり、被験者里沙さんが催眠中に発揮した万能の超能力(透視、テレパシーなどESP)によって、タエに関する諸情報を入手してタエの物語を作話した、という仮説がまかり通るというわけです。
この超ESP仮説こそ、生まれ変わりの科学的研究100年余の歴史の最後にたちはだかっている厚い壁です。
超ESP仮説さえなければ、生まれ変わりの科学的証明は、とっくに出来ていると言って過言ではありません。
そして、超ESPによっても入手できないもの、それは「技能」です。
どんな超能力者でも、学んでいない技能を超能力で入手できないのです。技能は情報ではないからです。技能は練習抜きで獲得不可能だからです。技能は暗黙知、つまり言語化できないもので、情報として伝達できません。
その技能の一つの典型が、応答的会話能力です。単に学んだはずのない外国語の単語やセンテンスだけを発話するだけなら、超ESPで説明できますが、相手と応答的に対話する会話技能は超ESP仮説の適用ができません。
ここに着目したのが、生まれ変わり研究の先駆者イアン・スティーヴンソンでした。
私が、ラタラジューの語りの検証の第一の眼目は、ラタラジューのネパール語が応答型真性異言である証明だと最初に述べた理由はこうした事情にあるということです。
もちろん、それ以外に語り内容の事物の検証も大切ですが、いかにそれが事実と一致しても、結局は超ESP仮説によってなぎ倒され、生まれ変わりの決定的科学的証明とはなりえません。したがって、ラタラジューの語りの検証においては第二義的な意味合いになります。検証の第一義は、応答型真性異言の証明です。
それでは、これから一つずつ、ラタラジューのネパール語会話の検証と被験者里沙さんがネパール語を学んではいないことの検証について述べていきます。

ネパール語会話の成立度

 会話の成立度の分析に当たっては、同じ話題のひとまとまりの対話ごとに58の部分に分けてみました。そして、それぞれの対話部分について、ラタラジューの受け答えの整合性の有無を検討し、推測を交えて判断した結果は次のようなものになりました。
ア 応答に一応整合性があり会話が成立している・・・・26部分(45%)
イ 応答に全く整合性がなく会話が成立していない・・・・8部分(14%)
ウ 応答が短く曖昧で会話成立の判断が難しい・・・・・・24部分(41%)
「対話が成立していない部分」とは、家に妻がいますかと尋ねられ、分かりませんとか、何を食べていますか尋ねられ、シバ、宗教などと応答した場合です。明らかに質問の回答になっていない対話部分です。
「会話成立の判断が難しい部分」とは、「わかりません」「はい」など短い回答で、質問の意味が理解できているのかどうか判然としない対話部分です。 
以上のおおよその分析・検討から、ネパール語での応答的会話は、完全とは言えないものの、八割程度は成立していると判断できると思われます。
セッション逐語録を読んだ読者のみなさんは、応答的会話といっても、ラタラジューの応答は、「はい」とか「わかりませんなど短い単語の単純なものが多いではないか、という問題を指摘されるでしょう。
また、会話したと言っても、たどたどしいものでネパール語のきちんとした会話とは認められないではないか、という疑問も出ることでしょう。 
しかし、この点については、スティーヴンソンの発表している「グレートヒェンの事例」のドイツ語会話の記録と比較しても、けっして見劣りするものではありません。
前世人格グレートヒェンの応答も、「いいえ」「知りません」「町です」など短い単純な応答がほとんどです。
そもそも、催眠中のクライアントの発話は総じて緩慢であり、質問に対して即座に長い文脈で回答することはほとんどない、と言えます。また、自分から自発的に話すということも、まずありません。
スティーヴンソンも、「グレートヒェンは、自分から話すことは稀であり、通常は、質問を受けるまで黙っていた。質問があると、それについて手短かに答え、また口をつぐんでしまうのが通例だったのである」と述べています。
ラタラジューも質問の回答ではなく、自ら発話したことは、「あなたはネパール人ですか?」とカルパナさんに逆に質問したことと、腹痛を訴えたことの二度だけです。
なお、グレートヒェンのセッションは19回に及んだそうですが、録音記録を見ると後のセッションになっても、流暢さを欠いた短い応答しかしていないという傾向はほとん変わっていないようです。
このことについて、「グレートヒェンは、応答することができたが、たどたどしいものであったし、文法も語彙も不完全であった」、「後のセッションまでの間に、はっきりした向上も低下も見られなかった」とスティーヴンソンは述べています。
ラタラジューの会話もこれとほぼ同様であり、だからこそ、応答型真性異言としての信憑性は高いと判断できると思われます。
こうしたことを考えれば、ラタラジューが初めてのネパール語会話セッションでこれだけのネパール語会話を出来たことは、むしろ評価されるべきだと思います。
(つづく)

2011年10月29日土曜日

「タエの事例」後の里沙さんの感想

「ラタラジューの事例」の検証に入るまえに、「タエの事例」後に被験者里沙さんが、このセッションにどのような感想を持ったのかを知っておくことは、大変有益だろうと思います。
それは、タエとして前世の語りをしているときの意識状態がよく言語化された貴重な体験記録だからです。
また、私が後に「SAM前世療法」を創始するための作業仮説の契機となる意識現象があらわれているからです。
以下の感想は、セッション後四か月経過した時点で書かれています。
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私のこれまでの人生後半は、痛みとの闘いでした。特に、子どもを生んでからは側湾症が悪化し、辛い日々を過ごしてきました。
痛みから、夜眠ることもままならない状態になり、次第に「死んで痛みから解放されたい、楽になりたい」と死を望むようになりました。
でも、こんなことではいけないと、以前、子どもの不登校を催眠面接で治していただいた稲垣先生に、前世療法をお願いすることになりました。
私の望みは、前世療法により、痛みに耐えて強く生きるきっかけを作り出すことにありました。
二回目のセッションを受けた後、3日間ぐらいは、セッション中の記憶が鮮明過ぎるほどにあり、そのせいか、こめかみあたりに鈍い頭痛が続きました。頭痛が消えると同時に、記憶も急速に薄れました。四か月あまり経って記憶が薄れていますので、一生懸命思い出しながら、書き綴ってみます。
一回目のセッションでは、稲垣先生の誘導により、暗闇のトンネルを進み、前世の世界の扉を開けることから始まりました。
次は、そのときの状態を、記憶に残っているままに書き留めたものです。
扉を開けると、眩い光の世界が見え、そこにもう一人の私がおりました。前世の私と思われるそれは、姿も形もなく、無論男か女かも分からない、音も声もない、小さな光の塊ではありましたが、まちがいなく私でした。
そして、一瞬にして、すべてのものが、私の中に流れ込んできました。
私は、自分が何者なのかを知り、状況も把握できました。
私の前世は、タエという名前の女性で、天明三年に起きた火山の噴火を鎮めるために人柱となって、16歳で溺死するというものでした。
目の前に迫る茶色い水の色や、「ドーン」という音もはっきり分かりました。
水を飲む感覚、息が詰まり呼吸できない苦しさ、そして死ぬことへの恐怖、それは言葉では言い表すことのできない凄まじいものでした。
私は、タエそのものとして死の恐怖を体験しました。
前世療法を受ける前までは、自分の前世がクレオパトラか楊貴妃だったらいいのにと勝手に空想したりして楽しみにしていましたが、まさかこのような前世が現れるとは夢にも思いませんでした。
自ら志願して人柱になる前世を持っていたとは、皮肉なことだと思わずにいられません。
ただ、死ぬというあまりの恐怖を体験したことによって、現世の私が「死にたい」と思わなくなったことが、私にとってよかったことだと思います。
とはいえ、しばらくの間は、溺れ死ぬ間際の、恐ろしい夢を見続けるというおまけ付きでしたが。
二回目のセッションでの私の望みは、できることなら痛みに耐えて、生きてゆく意味を、自分なりに見つけたいということでした。
このセッションは、70分という時間がかかったことを後で聞かされましたが、私には、せいぜい30分程度の感覚でした。
後でビデオを見せてもらいましたが、偉大な存在者の記憶は全くなく、そのあたりで時間のズレができたのではないかと思います。
ただし、タエと、ネパール人と、中間世の魂となっている部分の記憶は、催眠から覚醒しても、ハッキリ覚えていました。
次は、二回目のセッションの記憶を書き留めたものです。
前回と同じように、扉を開けると、あっと言う間に、私は13歳のタエで、桑畑で桑の実を摘んで食べていました。
私がそのタエを見ているのではなく、私自身の中にタエが入り込んでくるという感覚でした。
稲垣先生から、いろいろ質問がされましたが、現世を生きている私が知るはずもない遠い昔の出来事を、勝手に口が動いて、話が出てしまうという状態でした。
それは本当に不思議なことでした。
私は、今まで、群馬県に行ったこともありませんし、渋川村があったことも、吾妻川という川の名前も、それが利根川の支流にあたることも知りませんでした。浅間山が噴火することは知っていましたが、天明三年旧暦七月七日ということは知りませんでした。
また、浅間山が龍神信仰の山であることも、火山雷のことも知りませんでした。
タエは名主クロダキチエモンと言っていますが、私はそのような人物を知りませんし、天明時代の名主の名前を調べたこともありませんでした。
さらに言えば、私は、今まで透視や憑依などの超常現象を経験したこともなく、その能力も全くありません。
インターネットを使うことができないので、タエの生きた時代や、ネパールについても、前もって調べることは不可能です。
また、本やテレビ、映画などでその時代の知識があったかというと、それもありえないのです。
なぜなら、私は天明時代やネパールについて全然興味がないからです。そ
れでは、なぜ答えることができたのかと言えば、やはり前世に出会ったとしか言い表せないのです。
やがてタエの息が絶え、私は、死後の世界を体験することになりました。
そこは明るい光の世界で、私の身体はなく、ただ意識だけの存在になりました。
そして、偉大な存在者の姿を見ることができました。
逆光の中に立つその方は、大きく、身体の周りが光で覆われ、色の黒い異国の人のようでした。
稲垣先生から、その偉大な方に質問し、やりとりしているときは、私は、まるで電話機の役割をしているようでした。双方の声が、私を通してやりとりしている、そんな感じでした。
だんだんに二人の声が聞こえなくなり、その後のやりとりは、セッションが終わった直後も、今も、全く記憶にありません。
その後、私の記憶は、ネパール人のラタ・ダジュールという、ナル村の村長をしているところから始まります。
先にも触れましたが、私はネパールについては何も知りません。
ネパールでは、西暦もカレンダーも、使われていないことを知りませんでした。
「グルカ」という言葉も、ナル村という村があることも、もちろん知りません。
そして、その後、私は、現世の私に生まれ変わったのです。
こうして、私の前世療法は終わりました。
しばらくの間は、しっかりと二つの前世の記憶が残っていました。
私の語ったことが、どの程度検証されるのかは分かりませんが私にとっては、検証するまでもない、真実の記憶としか思えません。
私自身は、この二つの前世を「実体験」したことにより、前世を信じざるをえないようになりました。
一回目のセッション後の私は、死を恐ろしいものと実感し、死にたいという気持ちから解放され、どんなに辛くても生きていたい、と思うようになりました。
その後、二回目のセッション後は、生まれ変わりを信ずるようになりましたので、死を恐れなくなってきました。もし、私が、死に直面しても、皆さんに「また来世で会いましょう」と言えるのではないかと思います。
現世限りで終わるのではなく、次の人生があると確信しているからです。
でも、だからと言って、死を望んでいるわけではないのです。そのときが来るまで、せいいっぱい生きて、現世に生まれ変わってきた使命を果たしたい、と思うようになりました。
私は、幸いなことに(今はそう思えるのです)、側湾症で身体の痛みの辛さが、身にしみて分かっています。
見た目にも、背骨の歪みが分かるまでに悪化しています。
同じような苦しみや、悩みを持つ人を、ある程度理解できます。
できることなら、もう一度勉強し、資格を取り、そうした人達とともに、生きる道をめざしたいと願っています
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被験者里沙さんの上記感想の中で、私がとりわけ注目したのは次のような意識現象の表現です。
私がそのタエを見ているのではなく、私自身の中にタエが入り込んでくるという感覚でした」  
一瞬にして、すべてのものが、私の中に流れ込んできました。私は、自分が何者なのかを知り、状況も把握できました」
つまり、里沙さんがタエという「前世の記憶を想起している」のではなく、里沙さんの意識の中に「タエという前世人格が顕現化している」ということではないだろうか、という直感が私の中に閃いたということです。
タエという人格の顕現化を、彼女は、「私自身の中にタエが入りこんでくる」、「私の中に流れ込んでくる」と表現していると思われたわけです。そして、一方で、そういうタエの顕現化をモニターしている意識がある、このようにとらえるべき意識現象ではないのか。
このときの彼女の意識は、そうした二重構造になっているのではないかと思われたのです。
やがて、この直感へのこだわりが、一年半後の私あて霊信によって触発され、SAM前世療法の作業仮説として結実していくことになりました。

2011年10月28日金曜日

「守護霊」の語り内容の検証その4

(その3からのつづき)
⑤ 浅間山噴火等に関わる人柱伝承の有無について
渋川市には旧石器時代から人が住み着き、長い歴史と伝統がある。当然のことながら伝説・伝承も多く残されているようです。
これを研究した資料には、渋川地区教育振興会編『榛嶺(はるみね)から子麓へ』や『郷土渋川』全二○巻があります。
入内島一崇氏と渋川市図書館員大塚昌彦氏の二人に精査していただいたが、渋川周辺では、人柱にまつわる伝承は全く記載がなかったとの回答をいただきました。
偉大な存在者の言うとおり、タエの存在につながる人柱の伝説・伝承の記録は、全く残されていないことが確認できました。
⑥ 「馬の口取りのために」という古風な言い回しについて
「馬の口取りのために」という古風な言い回しが、具体的になにをどうすることかを理解できる人はほとんどいないと思われます。現在では競馬関係者くらいしか用いない言い回しでしょう。
したがって、里沙さんの語彙に「口取り」があるとは考えにくい。里沙さんに確認しましたが、ビールの口取りなら知っているが、馬の口取りという言い回しは知らないという回答でした。つまり、里沙さんの知らない言い回しを偉大な存在者は語ったことになります。
⑦ タエの生まれ変わり回数について
ここでの検証は、偉大な存在者の語った内容と、タエの魂の語った内容の整合性の検証です。
偉大な存在者は、生まれ変わりについて「天明、タエが初」と言っています。
一方タエの魂は、次の生まれ変わりをしたいと思わないくらい中間世の居心地がいいのか、という質問に対して「・・・分かりません。・・・生まれ変わる?」と戸惑いながら答えています。
再度同じ質問をしても「分かりません」と答えています。
筆者が二度も同じ確認をしたのは、他のクライエントの場合は、例外なく中間世に留まり続けたいと答えているので、「分かりません」というタエの回答に疑問を感じたからでした。
しかし、偉大な存在者の言うとおり、里沙さんの魂がタエに宿ったのが初であるなら、生まれ変わりをしたことがないために、「・・・分かりません。・・・生まれ変わる?」としか答えられないのは了解できるのです。
したがって、生まれ変わりに関する、偉大な存在者とタエの魂の双方の語りには、整合性があり矛盾がないといえそうです。
ここまでで、「タエの事例」におけるタエと守護霊の語りの19項目の検証は終わりです。
【検証結果のまとめ】
タエの語った12項目のうちキチエモンの姓が{堀口」であったことを除けばすべて史実や事実関係との矛盾はありません。
守護霊の語った7項目では、キチエモンの姓が「クロカワ」であると語っており、これもタエと同じく史実と食い違っています。馬頭観音堂の所在の特定と埋納されたタエの左腕については検証不能でした。
全体として見れば、19項目中16項目が史実・事実関係に矛盾がなかったということになります。
また、残り3項目についても、姓の違いと検証不能ということであって、完全な誤りは認められませんでした。
実に84%の一致率ということになります。
そして、里沙さんへの執拗な聞き取り調査によっても、検証した19項目についての情報を一切持っていないと証言しています。
さらに、ポリグラフ検査によっても、タエに関する情報を知っていたという認識(記憶)は全くない、という鑑定結果でした。
被験者里沙さんの知っているはずのない情報を、タエと守護霊が語っている、という事実をどのように考えたらいいのでしょうか。
この考察は、「ラタラジューの事例」の検証後にじっくり述べることにします。
さて、筆者には守護霊の語りで引っかかり続けた文言があります。
それは、タエの記録がどこかに残っていないかを尋ねたとき、「女は、道具です」と守護霊が吐き捨てるかのごとく冷たく言い放ったことでした。
一般論としては、男尊女卑の江戸時代、しかも孤児であったタエが、農作業の「道具」として使役され、人柱として(龍神へのお供えですからこれも道具として扱われて)16歳の命を落としたことを指している、と解釈できるでしょう。
人間扱いされなかった「道具」であるタエが記録に残ることはない、ということだろうと当初思っていました。
しかし、セッション後しばらくして、タエがフラッシュバックして語ったことによると、タエの人柱には秘密が隠されていたようです。
タエは、ある人物によって慰みものにされ、妊娠させられていたというのです。
その人物にとってタエの妊娠はきわめて不都合なことであり、タエを人柱に仕立て上げることによって妊娠の事実を闇に葬ることを企んだ、とタエは里沙さんに訴えたということでした。
この人物については、読者のみなさんのご想像にまかせます。
そして、このタエの訴えを里沙さんが私に話したことを境に、それまで渋川や吾妻川や浅間山と聞くだけで頭痛や吐き気を催した里沙さんのそうした不快な症状がピッタリ止まったそうです。
このタエの不思議なフラッシュバックを事実だと認めると、タエは自分の人柱になったことの隠された秘密を第三者に知ってほしかったのだろうと思われるのです。
それを果たしたのでタエは鎮魂され、結果として里沙さんの症状も改善されたと考えるのは穿ち過ぎでしょうか。
タエが、ある人物の慰みものとして扱われたことは、まさに性の「道具」であったわけです。
守護霊は、こうした意味も込めて「女は、道具です」と怒りを含みながら言い放ったと私には思われるのです。
それでは次回から「ラタラジューの事例」の検証を述べていきます。

2011年10月27日木曜日

「守護霊」の語り内容の検証その3

(その2からのつづき)
④ 名主クロカワキチエモンと妻ハツの実在検証について
この件については、渋川市教育委員会小林良光氏に、天明三年当時の渋川村および隣の川島村の名主の調査を依頼しました。
小林氏はこの件の調査を『渋川市史』の編集にあたられた渋川市文化財調査委員大島史郎氏に依頼し、該当資料の検索をしていただきました。
筆者のように、渋川市外の人間が『渋川市史』にも掲載されていない天明三年当時の渋川村名主の名前を検索するには、渋川市教育委員会経由で大島史郎氏に依頼するルート以外には考えにくいでしょう。
ちなみに、筆者の他に同様の検索依頼をした人間はいないということでした。
大島史郎氏の検索資料「渋川村川原町ほか在郷助郷断り付訴状」によれば、渋川村名主は一場安兵衛・堀口吉右衛門・後藤太兵衛・吉田喜兵衛の4名、川島村名主は飯塚清左衛門・萩原兵右衛門の4名でした。
クロカワキチエモンの名前はありませんでした。
ただし、キチエモンは「堀口吉右衛門(ほりぐちきちえもん)」が存在し、姓は異なるがキチエモンは存在しています。
なお、キチエモンの姓を、タエは「クロダ」、偉大な存在者は「クロカワ」と言っており、食い違いがあります。
この点については、郷土史家入内島一崇氏の調査により次のように回答がありました。
「上毛新聞社の昭和54年発行『上州の苗字と家紋』には、群馬県における旧家の出自と伝承を網羅してあり、名主クラス、小規模地主クラスの庶民階級に至るまで収録されている。この中にクロカワ姓はなく、クロダ姓は万場町に一軒ある。クロダ家と渋川市とは直線にして60キロ以上離れているため、クロダキチエモンと血脈が通じていたかは不明である。また、現在渋川市周辺にはクロダ、クロカワ姓を名乗る旧家は一軒も存在しない」。
以上の調査から、クロカワキチエモン、またはクロダキチエモンの存在は確認できませんでした。
もし、堀口吉右衛門の妻がハツであることが確認できれば、クロダキチエモンと堀口吉右衛門とが同一人物である可能性を考えることができます。
しかし、人別帳が存在しないため、堀口吉右衛門の妻の名は確認できないとの回答でした。
偉大な存在者の「(クロカワキチエモンとハツの記録は)残っています」という言葉を信じるとすれば、両者の検証資料が人別帳以外に、寺の過去帳などに残っているのかもしれません。
しかし、差別戒名という同和問題に抵触するため、寺の過去帳の閲覧が許されることはないということでした。
残る検証手段は、タエの生きた渋川市上郷に存在する良珊寺敷地内の山腹にある墓を一つずつ確認し、200年程度を経た堀口吉右衛門の石塔を見つけ出し、それまたはその周辺で「妻ハツ」の墓碑名を発見することでした。
筆者は2006年夏、この現地調査おこないましたが、3時間近く費やしところで夕暮れになったため調査を断念しました。古いものと識別できる墓は戒名・俗名の判読が困難で、なんともなりませんでした。
その後、2010年春、雑誌『ムウ』が「タエの事例」を特集で取り上げるに当たって、記者2名が渋川市の現地調査に出向くというので、同様の墓碑銘調査を依頼しました。
結果は、筆者と同じく発見はなりませんでした。古い墓碑銘は風化や苔むして判読不能であったという報告でした。
(つづく)

2011年10月26日水曜日

「守護霊」の語り内容の検証その2

(その1からのつづき)
③ 渋川村の吾妻川泥流被害について
 「村は洪水で壊滅状態になりました」と守護霊が語ったことについては、『渋川市史』巻五、資料編に、当時の被害報告書である「天明三年七月浅間焼泥押流失人馬家屋被害書上帳」が収録されています。
これによると、渋川村の被害は、「田畑少々流水入 人壱人(ひといちにん)流(ながる)」となっているだけです。
したがって、渋川村は「壊滅状態」ではなかったわけです。ただし、すぐ上流の隣村の川島村(現渋川市川島地区)では、「家百十三間(軒)人七十六人 馬三十六疋(ぴき)」の被害が記載されており、まさに壊滅状態でした。
そこで、この川島村が、過去に渋川村上郷と呼ばれたことはないかを、渋川市教育委員会小林良光氏に調査していただきましたが、そういう記録はないとの回答でした。
つまり、
「村は洪水で壊滅状態になりました」
と語った偉大な存在者の語りは、これを渋川村を指していると解釈すれば、史実とは食い違っていました。
ただし、渋川村とは特定せず、「村は」と言っているので、これを吾妻川と利根川流域の被害に遭った村々全体を指していると解釈すれば、五十五か村が大きな被害(流死1624人、流失家屋1511軒)を被っているので、あながち食い違っているとは言えないかもしれません。
もう一つ興味深いのは、渋川村では「人壱人流(ひといちにんながる)」の被害しか出なかったという記載です。
このたった一人の泥流に呑まれた犠牲者は、タエであるとしか考えられません。
タエや偉大な存在者の語りが真実なら、タエに違いないでしょう。
タエとともに雷神に供えた馬も流されているはずなのに、その記載がないという矛盾がありますが。
ただし、馬は流されることなく助かったのかもしれません。
あるいは、供え物としてはじめから犠牲にする予定の馬であったため、被害報告からはずされたのかもしれません。
(つづく)

2011年10月25日火曜日

「守護霊」の語り内容の検証その1

これまで紹介してきた「タエの事例」には、私独自の冒険的試みがされています。
それは、タエの死後、中間世あるいは、霊界と呼ばれる次元での「記憶」を探り、そこで顕現化した「守護霊とおぼしき存在者」との直接対話を試みたことです。
つまり、この「守護霊とおぼしき存在者」を確認し、里沙さんに「憑依」してもらい、私の疑問やタエの状況や前世記憶の真偽の証拠をめぐって、20分間というかなり長時間の直接のやりとりをおこないました。
管見するかぎり、前世療法セッションの中でこのような憑依実験をしたという報告は無いと思います。
そして、この憑依実験で、何よりも私が注目していることは、タエの(里沙さんの守護霊でもある)守護霊との対話は、けっして「前世の記憶」などではなく、今、ここで、現在進行形としておこなわれている対話であるということです。
守護霊は、里沙さんの肉体(発声器官)を借りて、私との対話に臨んでいるという解釈をするほかない現象であるということです。あるいは、里沙さんが守護霊のふりをして役割演技をしているか。
さらに言えば、タエとの対話にしても、「タエ」という前世の記憶を、里沙さんが想起してその前世記憶のイメージを語っている、という前世療法一般に流通している解釈ではなく、「タエという前世人格」が顕現化して自分の人生を語っている」と受け取ることがより自然な解釈ではないだろうかということです。
あるいは、里沙さんがタエという架空の少女の役割演技をしているか。
そして、いずれにせよ、セッション中の私の自覚は、もはや被験者里沙さんとの対話の意識はなく、顕現化した「タエ」そのものとの対話をおこなっているという意識にほかならなかったのです。
このことは、突き詰めれば、里沙さんの前世であったタエという少女、つまりタエという死者との対話である、ということになります。
タエという前世人格がどこかに存在しており、顕現化した彼女との対話をおこなう、これが私のおこなっている前世療法ではないだろうか。
やがて、こうした気づきが、その2年後に始まった私あて霊信によって啓発され結実し、「SAM前世療法」として定式化することになっていきました。そして、「タエの事例」から4年後、「ラタラジューの事例」との遭遇によって、「前世人格の顕現化現象こそ前世療法の核心である」という見解へと導かれることになったのです。
なぜなら、ラタラジューは里沙さんの学んだはずがないネパール語で会話し、会話中には現在進行形としか解釈できない一節が含まれていたからです。
もし、ラタラジューが架空の人格であり、それを里沙さんが役割演技をしたのだという唯物論的解釈では、学んだはずがない外国語で会話する、という「応答型真性異言」現象は説明不可能です。
いかにして、架空人格がネパール語で会話できるのでしょうか?
この「ラタラジューの事例」の検証は、後に詳細に述べることにします。
それでは以下、「守護霊とおぼしき存在者」が語った内容の検証を述べていきます。
① 浅間山の龍神信仰の有無について
偉大な存在者の言うように、浅間山には龍神信仰があったことが確認できました。なお、渋川市教育委員会小林良光氏によって次の情報が入手できました。
渋川市関下の吾妻川の川原には「剣磨石(けんずりいし)」という龍神信仰に関わる伝説がある。この剣磨石は直径約2メートルの丸い自然石で、真ん中に縦約 60センチ、横40センチ、深さ約90センチの穴があったという。昔、龍が雲を起こして昇天するとき、尾の先を入れてえぐったと伝えられている。ただし、剣磨石は今はなく、洪水で流されたか埋まったかは判っていない。
この渋川市関下という場所は、吾妻川と利根川の合流地点のすぐ下流に位置する。タエが人柱になったであろう場所に近いということは興味深く感じました。
② 渋川村上郷馬頭観音堂の有無について  
タエの左腕が埋まっているという「渋川村上郷の馬頭観音堂」について、渋川市教育委員会小林良光氏より次のような調査結果を入手しました。
渋川市内には馬頭観音が三百基以上ある。しかし、馬頭観音堂は存在しない。ただし、石馬に石堂をともなった馬頭観音が一基、上郷良珊寺に通じる参道からややはずれた場所に祀られている。銘文には享保十五年(1730
年)と刻んである。
タエの死亡した天明三年は、1783年ですから、この馬頭観音だとしても矛盾はありません。
また、「小さなお御堂です」と言っているので小さな石堂でも矛盾はありません。
さらに、お堂の床下を掘るのかと尋ねると、「土、下」と答えています。
石堂には床はないから直接土を掘ることになり、この答え方であっても矛盾はないことになります。
そして、観音堂は現存するとも言っています。
以上の考察から、タエの左腕が埋められたという上郷の馬頭観音堂は、良珊寺に通じる参道脇にある馬頭観音だと特定できなくはないでしょう。
ただし、良珊寺に通じる参道脇にある馬頭観音だと特定し切れないのは、その場所に土石流が起きて、タエの左腕骨はそれに埋まってしまったと言っているからです。
私は、この土石流を天明三年の吾妻川の洪水泥流のことだと思いましたが、であるなら良珊寺に通じる参道脇の馬頭観音は該当しないことになります。この地は山の手にあり、泥流(土石流)の被害を受けていないからです。もっとも、この地で山崩れなどによる小規模土石流があったと考えれば矛盾はないが、その調査までは行っていません。
また、、タエ自身が自分の左腕を切り落とされていることに何も触れていないことが、不思議と言えば不思議なことです。
すでに死を覚悟し、間もなく命そのものが龍神の供え物になるタエにとって、左腕が馬頭観音の供え物になったことは、彼女の意識にのぼることがなかったのかもしれません。
「馬が必死で暴れるので抑えるために、タエの腕を馬の口取りのために馬頭観音に捧げることになりました」という説明は、どういう状況なのかもうひとつ不明です。
(つづく)

2011年10月24日月曜日

「タエ」の語り内容の検証その4

(その3からのつづき)
⑨ 降灰による日光遮断の影響について
「昼間だけど真っ暗で。提灯が・・・」
について、『渋川市史』巻二、「天明の浅間山大焼」の項の記載によれば、8月4日・5日は武州口まで噴煙と降灰のため闇夜のような日が続いたとあります。
タエの泥流に流された時刻は、前記⑧で述べたように天明3年8月5日正午ころと推測されますから、真夏の真昼です。にもかかわらず、「昼間だけど真っ暗で。提灯が・・・」という状況はいかにも不自然で誇張が過ぎると思われたのですが、噴煙と降灰によって昼間でも実際に提灯を必要とするほどの暗闇の事態が生じていたのは、誇張ではなく事実だったのです。
⑩ タエの待遇について
名主キチエモンによって、拾われて養育されたタエたち子どもは、おそらく農作業の労働力とて使役されたと推測される。
したがって、タエたち孤児がキチエモンの娘・息子としてではなく、使用人としての扱いを受けていたことは当然ありえるし、そうであるなら、座敷ではなく馬小屋で寝泊まりし、ヒエの食事をし、ワラの寝床で寝るという生活もありえる待遇だと推測できます。
そしてこうした極貧の生活は、天明当時の小作農の境遇として当たり前のことを史実は教えています。
⑪ 馬頭観音を「ばと様」と呼ぶことについて
セッション見学者小野口裕子氏が現地に赴き、渋川市上郷良珊寺(りょうさんじ)僧侶より現渋川市でも馬頭観音を通称、「馬頭様」「ばと様」と呼んでいること、および良珊寺に通じる参道脇に馬頭観音石堂と石馬が現存していることを確認したという情報を入手しています。また、里沙さんに尋ねたところ「ばと様」という語は全く知らないという回答でした。
「ばと様」という語は、今日ほとんど死語といってよいと思われます。この語は私も知りませんでした。
⑫ 噴火という用語について
当時浅間山の大噴火を一般に「浅間山大焼」と呼んでいました。農民であるタエが「噴火」を聞かれて意味が分からなかったのは了解できます。
噴火という語は少なくとも当時の農民層の間では用いられていなかったことは確かです。
タエが「噴火」という語を知らないのは当然でしょう。
セッション中のタエの語り内容の検証については以上です。
ここまで12事項について検証してきましたが、史実・事実に反する誤りはありませんでした。
次回からは、「偉大な存在者(守護霊とよれる存在)」の語り内容の検証を述べていきます。

2011年10月23日日曜日

「タエ」の語り内容の検証その3

(その2からのつづき)
⑤ 「おカイコ様」という呼び方について
タエは蚕を「おカイコ様」という尊称で呼んでいます。
天明当時、養蚕の盛んであった上州の農民は、絹糸という財をもたらす蚕に対して「おカイコ様」と呼んでいたことを確認できました。
現代語としてはほぼ死語といってよいこの言葉を、里沙さんに尋ねたところ、「おカイコ」という呼び方は聞いたことがあるが、「おカイコ様」は聞いたことがないし、カイコに「様」までつける呼び方は知らないという回答でした。
つまり、里沙さんの語彙(ごい)のなかには、「おカイコ様」がないことが確認できました。
⑥ 渋川村の降灰量について
浅間山の大噴火による火山灰について、「白い灰が毎日積もります」「軒下(まで積もった)」と語ったことについて、渋川村の降灰量の記録は発見できなかったが、八月四日・五日両日の大噴火だけで軽井沢や碓氷峠で軽石が1・5メートル積もった記録が残っており、三か月におよぶ長期降灰があったこと、および渋川市と浅間山までの距離(約50m)と、偏西風に乗って降灰が広がる事実を重ねると、ありえる積もり具合だと推測できます。
天明3年7月の浅間山大噴火に関わって残っている諸資料を読むと、その噴火の規模はわれわれ現代人の経験している噴火をはるかに凌ぐ、想像を絶するものであることが分かります。
⑦ 火山雷について
噴火にともなう火山灰の摩擦によって雷が生じることは事実です。しかし、この事実を知る人は、相当噴火に詳しい知識を持っているか、実際に大規模噴火に立ち会っているかでしょう。
天明三年八月四日・五日の浅間山大噴火では、雷鳴・稲妻がすさまじかったとされており、
「村の人は、鉄砲撃ったり、鐘を叩いたり、太鼓を叩いたりするけど雷神様はおさまらない」
というリアルな語りは十分ありえる事実だと思われます。
綿密な時代考証を元に執筆されている飯嶋和一の『雷電本紀』P69には次のような浅間山大噴火の叙述があります。
家々は窓も戸も閉じ、昼に行灯をともし、時折襲ってくる地の底のうねりと、頭を割られるような爆発音の耳鳴りにおびえていた。浅間周辺の村々は鬼、魔物を射殺すべく、鉄砲や弓矢を浅間山頂をめがけて放ち、鉦や太鼓を打ち鳴らし、魔物を追い払おうとしていたが・・・・(中略)上州との動脈路、中山道碓氷峠はじめ、主要路はどこも4尺を越える灰に埋もり,7月に入ると人馬の通行は不能。軽井沢の宿は、石、砂、灰に塗り込められ、谷や川はすべて埋まった。
私はこの小説の上記一節を読んだとき、里沙さんもこの小説を読んでおり、その記憶をもとに
村の人は、鉄砲撃ったり、鉦を叩いたり、太鼓を叩いたりするけど雷神様はおさまらない」

という語りを作話した可能性を疑いました。しかし、『雷電本紀』の出版は2005年7月1日であり、「タエの事例」セッション2005年6月4日の約1ヶ月後でした。里沙さんが、『雷電本紀』を事前に読んでセッションに臨んでいる可能性は否定できました。
⑧ 「急ぐ! 時間がない」の意味について 
唐突に、「急ぐ! 時間がない」と言ったタエの言葉の意味について、私には何を急がねばならないのか見当がつつきませんでした。
前出、『渋川市史』巻二、「天明の浅間山大焼」の項の記載によれば、「天明3年8月5日午前10時頃発生した鎌原火砕流は吾妻川上流部まで達し、一時的に川を堰き止めた。まもなく決壊し、鉄砲水の泥流となって下流の村々を襲った。武州中瀬村(現伊勢崎市)には午後3時頃に押し寄せた」といいます。
これを計算すると約200Kmを5時間で流れ下ったことになります。
したがって、渋川村には2時間余りで泥流が到達したものと推定できます。こうした史実に照らすと、川の流れが止まってしばらく時が経っているので、間もなく来る大泥流と自分の死を予測して、もう「時間がない」から私と話すことを「急ぐ!」と言っているものと思われます。なお、「時間」は明治以後にできた言葉なので、ここはタエ直接の発話ではなく、感情がクライエントの語彙によって翻訳されたものだと考えるべきでしょう。
この史実をたどって計算すると、タエの人柱としての溺死は天明3年8月5日正午前後であろうと推測できます。
(つづく)

2011年10月22日土曜日

「タエ」の語り内容の検証その2

(その1からのつづき)
その1④のつづき  浅間山大噴火にともなう洪水被害についてタエの語りの検証
里沙さんの語り内容における「その1①~④」の史実・事実との一致率は、まぐれ当たりだとはどう考えても断定できるものではありません。何らかの形で、浅間山の噴火とタエに関わる詳細な情報を知っていなければ、前世記憶として語れるはずのないものです。
 
とりわけ、注目すべきは、
「水が止まって危ないので、上(かみ)の村が水にやられるので・・・私がお供えになります」
というタエの語りでした。
語りどおりに解釈すれば、タエの人柱は、渋川村を守るためではなく、「上の村」を守るためであるということになります。
「上の村」とは常識的には、吾妻川沿いの渋川村に隣接する上流の村になるでしょう。
ちなみに、渋川村に隣接する上流の村が川島村であることが『渋川市史』巻五、資料編の記述と現地調査で確認できました。
ここには当時の被害報告書である
『「天明三年七月浅間焼泥押流失人馬家屋被害書上帳(あさまやけどろおしりゆうしつじんばかおくひがいかきあげちよう)』
が収録されています。
それによると、渋川村の被害は、
「田畑少々流水入(でんばたしょうしょうりゅうすいいる) 人壱人(ひといちにん)流(ながる)」
となっているだけです。
ただし、すぐ上流の隣村の川島村(現在は渋川市川島地区)では、
「家百十三間(軒)人七十六人 馬三十六疋(ぴき)」
の被害が記載されており、まさに壊滅状態でした。
タエの人柱は、渋川村ではなく「上(かみ)の村」川島村を救うためであったのです。そして、タエの住む渋川村上郷は高台にあり、川島村(現渋川市川島地区)は低地にあることが現地調査によって確認できました。
おそらく、渋川村と川島村とは隣どうしで、人的交流が深く、親戚筋も多かったため、渋川村の村民はなんとしても洪水にやられそうな川島村を守る必要があったであろうと推測できます。
ところで、『渋川市史』巻五、資料編の「天明三年七月浅間焼泥押流失人馬家屋被害書上帳」には、村ごとに流失した人馬・家屋の被害記録が記述してありますが、各村々の記述の並び順は、吾妻川沿いの上流からでも下流からでもなく、規則性がありません。
したがって、『渋川市史巻五・資料編』を読んでも渋川村の「上の村」が川島村であることは分かりません。
私は、渋川市教育委員会に現地調査に出向いて、天明3年当時の渋川村のすぐ上流の村が川島村(現渋川市川島地区)であったことを教えていただきました。 
こうした現地調査から、仮に里沙さんが『渋川市史』巻五、資料編を読んでいたとしても、渋川村の「上の村」が川島村であり、その被害が「家百十三間(軒)人七十六人 馬三十六疋(ぴき)」という全滅状態であったことを知り得る可能性はきわめてゼロに近いと思われます。
そして、渋川村の被害はたった一人が流されていました。
もちろん、セッションのおこなわれた2005年5月以前に、渋川村の洪水被害や渋川村に隣接する上流の村を教えてほしい、などの依頼が渋川市教委あてになかったことも担当者である小林良光氏に確認しました。
こうした史実・事実調査の結果、私は前世人格タエの実在と、その語り内容の信憑性を確信せざるをえなくなりました。
仮に、里沙さんが何らかの手段で、渋川市史や天明3年7月浅間山大噴火の史実を事前に調査・入手し作話したとしても、川島村の全滅被害と渋川村のたった一人の被害(タエしか考えられない)を探り出し、そこまで入念に調査した上で、
「上の村が水にやられるので・・・私がお供えになります」
という巧妙な作話を考え出すことは到底あり得ないと思われたからです。
また、彼女にはそこまで手間暇かけて作話する必然性も利得もありません。
さらに、ベテラン催眠研究者、臨床心理学大学教授、医師など5名の見学者の目を欺いて、催眠に入ったふりを演じ、作話を語っていることを見破られないでいることは不可能です。
このことは2006年10月にアンビリ放映されたセッションビデオをご覧になれば一目瞭然です。
もちろん、彼女は、セッション以前にこうした情報を入手していたことは絶対ない、と証言しています。
繰り返しになりますが、こうした情報入手を意図的におこなった認識(記憶)が全くないことが、ポリグラフ検査で鑑定されています。ちなみに検査者は、毒物入りカレー事件の容疑者をポリグラフ鑑定した前大阪府警科学捜査研究所長の荒砂正名氏です。
(つづく)

2011年10月21日金曜日

「タエ」の語り内容の検証その1

ここからは、タエの語った内容について、歴史資料および、群馬県渋川市での現地調査との照合をした結果を述べていきます。
被験者里沙さんへの繰り返しの聞き取り調査の結果、現時点で判明している以下のことを最初に前提として知っておいてください。

1 情報収集に、彼女はインターネットが使えません。このことは彼女の息子にも確認しました。息子はインターネットを使えます。

2 彼女は群馬県および、浅間山周辺の旅行経験が一切ない。このことは、少なくとも結婚後についてはご主人に確認しました。また、群馬県に親戚がないこと、知人・友人もないことも確認しています。

3 天明3年7月7日の浅間山大噴火とそれにともなう吾妻川の大洪水についての知識は全くありませんでした。

4 過去に火山噴火についての人柱伝説、悲話について小説を読んだり、映画、テレビで見たり聞いたりしたことは全くありませんでした。私の知る限り、天明3年浅間山大噴火を題材にした小説、あるいは部分的に描写のある小説は、立松和平『浅間』、飯嶋和一『雷電本紀』の2冊です。

5 以上1~4のことについて、2009年8月、日本法医学鑑定センター荒砂正名氏によるポリグラフ検査によって、里沙さんがセッション中に語ったタエに関わる情報を入手した記憶は全くない、という鑑定結果が出ています。
ただし、ポリグラフ検査では、潜在記憶の有無については検査不能です。
それでは、次にタエの語り内容の検証結果を順次述べていきます。

① 語られた地名の真偽について         
タエの語った地名「上州上野国渋川村上郷」は実在し、現在は群馬県渋川市上郷として存在していました。。
なお、「上郷(かみのごう)」の地名は、江戸期以前から存在し、天明年間にも確かに存在していたことを、渋川市教育委員会小林良光氏によって確認していただきました。ただし、現在は「かみごう」になっています。
里沙さんは渋川市そのものがあることを知らないと言っています。
ちなみに、インターネットで渋川市の地図を検索し地名を探すと、「上郷」の地名が確認できました。

② 吾妻川の有無と利根川の関係について
タエが人柱となって溺死したという「吾妻川」は利根川の支流にあたり、現渋川市北部で利根川と合流していることが確認できました。里沙さんによれば、セッション後、「吾妻川」をアガツマガワと読むこともできなかったと証言しています。
にもかかわらず、タエは「アガツマガワ」と明瞭に答えています。

③ 語られたタエの年齢と年号の関係について
タエが13歳のときが「安永9年」、16歳のときが「天明3年」であると語ったことについて、年齢計算と年号計算が一致し、間違いはありませんでした。
つまり、年号「安永10年」は天明元年と重なっていることが確認できました。ちなみに、安永年間には大きな歴史的事件がなく、高校までの社会科教科書に「安永」が出てくることはありません。
ちなみに、私の同僚の社会科教師6人は「安永」という年号を知りませんでした。
したがって、里沙さんが教科書から「安永」を知り、潜在記憶として保持していた可能性は棄却できそうです。

④ 天明3年浅間山大噴火の経緯について
『渋川市史』巻二、「天明の浅間山大焼(おおやけ)」の項の記載によれば、天明3年5月9日(新暦)より浅間山が噴火し始め、断続的に爆発したのち、7月下旬以降は連日爆発を繰り返し、8月4日(新暦)深夜、大噴火とともに吾妻火砕流が発生した、とあります。
8月5日には再び大噴火によって鎌原火砕流が発生し、吾妻川を一時的に堰(せ)き止め、それが決壊して鉄砲水の大泥流となって下流の村々に大きな被害を起こしています。
これを当時「浅間焼泥押(あさまやけどろおし)」と呼んでいました。

タエのいう「7月、七夕様の日」は旧暦で語ったと考えられるので、これを新暦に直すと、8月4日に当たります。
したがって、「天明3年七月、七夕様の日、龍神様と雷神様が吾妻川を下るので」という語りは、天明3年8月4日深夜の大噴火による吾妻火砕流のことを指していると考えて間違いありません。

翌8月4日午前10時頃には再度の大噴火によって、鎌原火砕流が発生し吾妻川まで達しました。
吾妻川は一時的に堰き止められ、それが間もなく決壊し、泥流による鉄砲水を起こしています。
そのことを「水が止まって危ないので、上の村が水にやられるので・・・わたしがお供えになります」と語っていると推測していいと思われます。
そして、吾妻川の流れが一時的に止まったことから、間もなく予想される鉄砲水の被害から村を守るための人柱がタエであったと考えられます。

以上の天明3年に起きた浅間山大噴火と吾妻川大洪水についての歴史的事実について、里沙さんは全く知らない知識だと証言しています。
被験者本人が知らないことにもかかわらず、前世人格のタエは生々しく語っているのです。
こうした超常現象をどう説明できるのか、検証結果を一通り終えたところで考えてみたいと思います。
(つづく)

2011年10月20日木曜日

タエ・ラタラジュー両事例の検証にあたって

さて、これまで「タエの事例」と「ラタラジューの事例」の両事例の全セッション逐語録を公開してきました。
ここからは、生まれ変わりが科学的事実であることが濃厚となった両事例のそれぞれの検証結果を公開していきます。
検証にあたっては、多くの方々の生まれ変わりの科学的研究に対するご理解と、惜しみないご協力をいただくことができました。
「タエの事例」については、とりわけ、渋川市教育委員会小林良光氏、可児市教育委員小野口裕子氏には貴重な検証諸資料の提供と現地調査情報について報告をいただきました。
「ラタラジューの事例」については、ネパール語の解析を中部大学客員研究員カナル・キソル・チャンドラ博士、朝日大学博士課程学生パウデル・カルパナ氏にお世話になりました。
ナル村の現地調査については、ソバナ・バジュラチャリヤ文化人類学博士、中部大学大門正幸教授から貴重な現地情報の報告をいただきました。
とりわけ、被験者里沙さんには、前世療法の実験セッションと生まれ変わりの科学的証明という大きな負担をともなう研究にご理解と惜しみない協力をいただくことができました。彼女の使命感と献身があってこそ、イアン・スティーヴンソンの生まれ変わり研究に匹敵する以上の研究成果がもたらされたと深謝しています。
私は、もともと生まれ変わりについてはきわめて懐疑的であり、前世療法についても、胡散臭さと宗教臭が鼻につく目障りな催眠療法であると思っていました。学校現場で、「教育催眠」の実践研究に取り組んできた立場にあって、前世療法は、科学としての催眠を再び非科学的な方向へと引き戻す怪しからぬ療法でした。
私は、小学校6年生のときに、火葬場の焼却炉の中で、母方の祖父が火炎に包まれて白骨へと燃えていく有様を
係員の離れた数分間のすきに、従兄弟と二人で炉の覗き穴から目撃した体験を持っています。
子ども心に強烈・鮮明に刻み込まれた実存的原風景ともいえる体験でした。人は必ず死を迎え、灰と骨を残して無に帰するしかない存在だ、という虚無感に苛まれ続け、思春期を過ごしました。燃えていく祖父の姿は、今もありありと記憶に再現できます。
幾多の哲学書をかじり、無に帰すると分かっている人生を生きる意味について模索してきました。
そして、たどりついた結論は、ありのままに見据えてみれば、人が生まれてくる意味などはない、生まれついでに生きているに過ぎない、ということでした。
結局、人は無意味に生まれ、生きる意味を生み出していく過程が人生である、という結論にようやくたどりついたのは40歳を越えた頃です。しかし、だからといって、死に対する恐怖がなくなったわけではありませんでした。
ところが、2005年に「タエの事例」との遭遇が起こり、生まれ変わりが事実としてあるのではないかと思われました。もしそうであれば、その真偽を徹底的に自分の手で納得のできるまで検証し、安んじて死に臨みたいと痛切に思いました。すでに、平均寿命の折り返し年齢を越え、人生の残り時間を否応無しに意識する年代に至っていました。
なぜ、私が執拗に生まれ変わりの検証にこだわるのか。
もし、生まれ変わりが無い、ということが明確に実証できれば、それはそれで潔く死に臨むことができます。すべては無に帰するのだと達観できれば、それは一つの目覚めとしてきわめて重要なことです。そして、生まれ変わりやカルマなどを説く新興宗教や霊能力者を名乗る人々の言説をすべて迷妄だとあっさり退けることができる。霊感商法とよばれるインチキな詐欺も、成り立つ余地がなくなりすっきりする。
そして、前世記憶と呼ばれる催眠中の語りは、潜在意識の紡ぎ出す壮大な前世物語(フィクション)として割り切ることができます。前世占いやチャネリングなどというものも、まったく根拠のない妄想として処理できます。
もし、生まれ変わりが事実として存在することが実証できれば、生前の記憶と人格を保持し、死後存続する意識体(魂)の存在を認めないことには、生まれ変わりの説明は完結できません。それは、少なくとも、意識や記憶を脳以外にも保存している意識体(魂)を想定せざるをえないことになります。消滅する脳の付随現象である意識や記憶であるなら、脳の消滅と同時に消滅するからです。
また、次の生まれ変わりが現世の死と同時に即起こるのでなければ、魂が次の生まれ変わりまで待機しているような次元(霊界)を想定しないわけにはいきません。さらにそうした次元には、高級霊と呼ばれる存在が実在する可能性が濃厚になってきます。
 
こうして、生まれ変わりを実証することは、死とともにすべては無に帰するという唯物論人生観、世界観にコペルニクス的転回を迫ることになり、このことはそれだけに留まらず、社会のあり方、政治のあり方、科学のあり方、宗教などきわめて広汎な分野に決定的な影響を及ぼすことになります。
そして、死後もなんらかの形で自分という存在が存続するという事実は、なにより私が救われることになります。
次回以後公開する両事例の検証には、私の生まれ変わりがあってほしいという願望によって、両事例の検証内容にバイアス(偏向)をかけているおそれがあるかもしれません。
読者諸賢は、そうしたバイアスに欺かれることなく、お読みくださるものと思っています。
それでは、次回以後、「タエの事例」から検証結果を一つずつ述べていくことにします。

2011年10月19日水曜日

生まれ変わりの証拠「ラタラジューの事例」その10

(その9からのつづき)
KA  Tapailai kehi bannu man cha bhane bhannusna.
   (何か言いたいことはありますか?)
CL  Ho.
   (はい)
KA  Hajur?
   (はい?)
KA  Kehi cha bannu man lageko?
   (何か言いたいことはありますか?)
CL  Ho.
   (はい)
KA  Chaina? Bhayo?
   (何もありませんか。もう充分ですか?)
CL  Ho, ho, hoina.
   (はい、はい、いいえ)
KA  Hoina?
   (充分ではないのですか?)
KA  Kehi cha banna man lageko?
(何か言いたいのですか?)
KA  Kehi cha manma kura?
(何か言いたいことがあるのですか?)
CL  Bujina.
   (分かりません)
KA  Buji ... bujina?
   (分かりませんか?)
KA  Tapaiko gauma ko ko hunuhuncha sathi?
   (あなたの村では誰が友達ですか? 村です)
CL  Gaun ...
   (村)
KA  Hajur, gauma.
   (はい、村です)
CL  ha ... hajur ...
   (はい)
KA  Hajur, gauma ko ko hunuhuncha?
   (そうです。村には誰がいますか?)
KA  Tapai kati barsa hunubhore, pheri ek choti bhanidinusta?
   (あなたは何歳ですか、もう一度言ってもらえませんか?)
CL  Ha ...
(は)
KA  Kati barsa hunubho?
   (何歳ですか?)
CL  Ah ... Ana.
(あー)
KA  Tapaiko chora kati barsako bhayo? Chora ... chora ... chora kati barsako bhayo?
   (あなたの息子さんは何歳ですか? 息子さん、息子さん、息子さんは何歳です    か?)
KA  Kancha, kanchi?
   (息子さん? 娘さん?)
CL  Kancha.
   (息子)
KA  Kancha?
   (息子?)
CL  Ah, Adis.
   (あー、アディスです)
KA  Kancha, Adis.
   (息子さんはアディス?)
CL  Hum ...
(ふむ)
KA  Kati barsako bhayo Adis?
CL  Adis.
   (アディス)
KA  Adis kati barsako bhayo?
   (アディスは何歳ですか?)
CL  Moi(?) ho ... ho...
   (はい・・はい)
KA  Adis kati barsako bhayo?
   (アディスは何歳ですか?)
CL  Bujina.
   (分かりません)
KA  Bujnubhayena.
   (分かりませんか)
KA  Tapaiko gauma Magar kohi cha?
   (あなたの村にはマガール族の人はいますか?)
CL  Ah.
(あー)
KA  Magar.Tapai pani tamang ho? Tamang ho tapai?
   (マガール族です。あなたはタマン族でしたよね? タマン族でしたよね、あな    たは)
CL  Ha ...
 (は)
KA  Rataraju, Tamang ho tapai?
   (ラタラジューさん、あなたはタマン族でしたよね?)
CL  Hajur ah.
   (はい)
KA  Gauma Magar chainan?
   (村にはマガール族の人はいないのですか?)
CL  Hum.
(ふむ)
KA  Magar.
   (マガール族の人です)
CL  Ha ... bujina.
   (はー、分かりません)
KA  Rai kohi chan ki ta?
   (ライ族の人はいませんか?)
CL  Ah ...
(あー)
KA  Kun kun jatko manche chan gauma?
   (村の人はどのカーストに属するのですか?)
CL  Ah ... bujina.
   (分かりません)
KA  Bujnubhyena.
   (分かりませんか) 
(ラタラジューのネパール語会話実験セッション終了)

2011年10月17日月曜日

生まれ変わりの証拠「ラタラジューの事例」その9

(その8からのつづき)
KA  Tapailai kehi bhanna man la cha aru?
   (他に言いたいことはありますか?)
CL  Ah ...
(あー)
KA  Aru Gorkhako barema kehi bhannusna.
   (ゴルカ地方について何か言ってくれませんか?)
CL  Bujina.
   (分かりません)
KA  Gorkha?
   (ゴルカですよ)
CL  Gorkha?
   (ゴルカ?)
KA  Un.Gorkha. Gorkhako barama?
   (はい、ゴルカ地方、ゴルカ地方についてです)
CL  Bua.
   (お父さん)
KA  Bua?
   (お父さんですか?)
KA  Tapaile zutta lagaunuhuncha? Zutta?
   (あなたは靴を履いていますか?)
CL  Ke?
   (何?)
KA  Zutta.
   (靴です)
CL  Ke?
   (何?)
KA  Zutta.
   (靴です)
KA  Tapaile luga, ke luga lagaunuhuncha? Kasto luga lagaunuhuncha? Luga ...
   (どんな服を着ていますか? どんな服を着ていますか? 服を)
CL  Bujina.
   (分かりません)
KA  Luga. Tapaile jiuma kosto luga lagaunuhuncha?
   (服です。身体にはどんな服を着ていますか?)
CL  Ho.
   (はい)
KA  Tapailai git gauna aucha? Git. Git. Nepal ko git. Nepali git
   (あなたは歌を歌えますか? ネパールの歌です。ネパールの歌)
CL  Bujina.Oh, bujina.
   (分かりません。おー、分かりません)
KA  Tapailai baja bajauna aucha? Sarangi bajauna aucha? Ke bajauna aucha.
   (あなたは楽器を弾くことはできますか? サランギを弾けますか? どんな楽器を弾けますか?)※サランギは楽器
CL  Ah ...
(あー)
KA  Madal bajauna aucha?
   (マダル(楽器)を弾くことはできますか?)※マダルは楽器
CL  Bujina.
   (分かりません)
KA  Ke aba, ke garne ta, aru kehi sodou ki nasodou?
   (どうしましょうか? もっと聞いてもいいですか? やめた方がいいですか?)
CL  Ho.
   (はい)
KA  Sodon?
   (聞いてもいいですか?)
CL  Ho.
   (はい)
KA  Tapaiko gauma manche morda keri ke garni garekocha? Gauma?
   (あなたの村では人が死んだらどうしますか? 村では?)
CL  Ah,
(あー)
KA  Hai.
(ハイ)
CL  Himal.
   (山、ヒマラヤ)
KA  Himal?
   (山、ヒマラヤ)?
CL  Himala ... Himal.
   (山、ヒマラヤ)
KA  Himal?
   (山、ヒマラヤですか?)
CL  Ho.
   (はい)
KA  Manche morda keri Himal lera jani?
   (人が死んだ後、山、ヒマラヤに運ぶのですか?)
CL  Ho.
   (はい)
KA  Himalma?
   (山、ヒマラヤに?)
CL  Ho.
   (はい)
KA  Ke ho, jalauni ki gadni? Himalma lagera ke garni jalauni ki gadni?
   (山、ヒマラヤで燃やすのですか、埋めるのですか?)
CL  Ho.
   (はい)
KA  Jalauni?
   (燃やすのですか?)
CL  Ho.
   (はい)
KA  Gadni?
   (燃やすのですか?)
CL  Ho.
   (はい)
(つづく)

2011年10月16日日曜日

生まれ変わりの証拠「ラタラジューの事例」その8

(その7からのつづき)
KA  Tapaiko desko, Nepalko faja ko ahile?
   (あなたの国の、ネパールの王様は誰ですか?)
CL  Ah ... oh ...
(あー、おー)
KA  Nepalko raja?
   (ネパールの王様?)
CL  Shah ...
   (シャハ)※シャハ王朝のこと
KA  Shah?
CL (シャハですか?)
CL  Shah.
   (シャハ)
KA  Shah, namchahi ke hola?
   (シャハ、名前は何ですか?)
CL  Ah ...
( あー)
KA  Nam chahi ke hola?
   (名前は何ですか?)
CL  Ha, ho.
   (は、はい)
KA  Nam? Rajako nam?
   (名前、王様の名前は?)
CL  Ho, ha ... bujina ... ha.
   (はい、はっ、分かりません。はっ)
KA  Tapaile agi rana sanga ladhai garya bhannu hunthiyoni ke bhannu bho? Gorkha?
   (あなたは前に、ラナと闘ったといったようなことを言いましたよね。どういう意味ですか? ゴルカですか?)
CL  ha ...
(はー、はー)
KA  Tapaiko buwale ke garnu hunchare?
   (あなたのお父さんは何をしていますか?)
CL  a ... mero buwa ...
   (あ、私の父は・・・)
KA  Hajur.
   (はい)
CL  ah ...
(あー、あー)
KA  Ke garnuhuncha buwa?
   (お父さんは何をしていますか?)
CL  Mero buwa.
   (私の父)
KA  Hajur.
   (はい)
CL  ah ...
(あー、あー)
KA  Buwa?
   (お父さんは?)
CL  Gorkha.
   (ゴルカ)
KA  Gorkha?
   (ゴルカ?)
CL  Ah.
(あー)
KA  Gorkhama busnu huncha?
   (ゴルカ地方に住んでいるんですか?)
CL  Mero buwa Go ... Gorkha ...mero buwa Tamang hunnuhuncha.
   (私の父、ゴ、ゴルカ。私の父はタマン族です)
KA  Hajur.
   (そうですか)
KA  Tapaile Dahainma ke kani garnuhuncha? Dashainma?
   (ダシャインでは何を食べますか?)※ダシャインはネパール最大のお祭り。
CL  Ka ... kana.
   (食べ物)
KA  Hajur. Dashain ke.
   (はい。ダシャインでは何を?)
CL  Dal, dal, Kodo.
   (ダルとコドです)※ダルは豆のスープ。コドはキビなど雑穀。
KA  Kodo?
   (コドですか?)
CL  Kodo.
   (コドです)
KA  He.
   (?)
CL  Dal
   (ダルです)
KA  Dal.
   (ダルですか)
KA  Ani Dashain, chadbadma chahi ke kanu huncha ta?
   (ダシャインの祭りでは何を食べますか?)
CL  Ah ... oh ... a ... Ho ...
   (あー、あー、おー、はい)
KA  Chadbadma ke kanuhuncha?
   (祭りでは何を食べますか?)
CL  Kana.
   (食べ物)
KA  Dashaima? Dashain manaunuhuncha?
   (ダシャインは祝いますか?)
CL  Ah ... kodo ... bhat ... dal. ani.
   (コドとご飯とダル。食べる)
KA  Tapaiko gauma kati jana hunuhuncha?
   (あなたの村には何人の人がいますか?)
CL  Ah ...
(あー)
KA  Tapeiko gauma.
   (あなたの村には)
KA  Pachis.
   (25人です)
KA  Pachis jana?
   (25人ですか?)
KA  Hari lai chinuhuncha, Hari lai?
   (ハリを知っていますか?)※ハリはヒンズー教の神
CL  A, ah ... eh ...
(あ、あー、えー)
KA  Hari lai chinuhuncha? Hari.
   (ハリを知っていますか? ハリです)
CL  Murari.
   (ムラリ)
KA  Murari?
   (ムラリですか?)※サンスクリット語詩の詩人?
CL  Kwa ... eh ... Mero ...
   (私の・・・)
KA  Tapaiko chimekiko nam ke ho? chimeki ko?
   (隣人の名前は何ですか?)
CL  Oh ...
(おー、おー)
KA  Chimeki ma ko hunuhuncha?
   (近所には誰がいますか?)
CL  Oh ... ho ...
   (おー、おー、はい)
KA  Chimekima?
   (近所には)
CL  Ei ... La ... Laji ho ... Mero sathi.
   (私の友人)
KA  Sathi? Sathi?
   (お友達、お友達?)
CL  Ho ...
   (はい)
KA  Sathi ko nam ke ho ta?
   (では、お友達の名前は何ですか?)
CL  ho, ho ... Sathi cha. Oh ... ho ...
   (はい、はい、友達がいます。おー、はい)
KA  ... nam ke ho? Sathi ko nam ke ho ta?
   (名前は、お友達の名前は何ですか?)
CL  Bujina.
   (分かりません)
KA  Sathiko nam. Tapaiko sathiko nam?
   (お友達の名前、あなたのお友達の名前です)
CL  Bu ... bu ...
(ブ・・ブ・・)
KA  Bujnubhyena?
   (分かりませんか?)
KA  Tapai ke garnu hunccha re ahile? Khetbari cha?
   (あなたは何をして生活していますか? 畑を持っていますか?)
CL  A ... ke ?
   (あ・・・何?)
KA  Khetbari.
   (畑です)
CL  Ah ... Bujina.
   (あー、分かりません)
KA  Kethbari chaina?
   (畑はありませんか?)
KL  Ah ...
(あー)
KA  Ghar ke ko ghar ho?
   (家は何でできていますか?)
CL  Ah ...
(あー)
KA  Bujnubhyena.
   (分かりませんか)
CL  Un.
(はい)
(つづく)

生まれ変わりの証拠「ラタラジューの事例」その7

(その6からのつづき)
KA  Tapailai kehi bhanna man cha kita? Tapailai kehi bhanna man cha?
   (何か言いたいのですか? 何か言いたいのですか?)
CL  Ah ... ah ... mo ... ah ... mero ...
   (あー、あー、も、私の)
KA  Hadjur.
   (はい)
CL  Mero ... ha ... ha ... Mero pet
   (私のお腹)
KA Hajur.
(はい)
CL  Ah ... oh ... dukahuncha.
   (あー、おー、痛い)
KA  Tapaiko pet dukyo?
   (お腹が痛いのですか?)
CL  Ah!
(あー)
KA  Tapaiko mritu ke bhayera bhako?
   (あなたが死んだ原因は何ですか?)
CL  Oh ... oh ... Ma ... rog ...
   (おー、おー、私、病気)
KA  Tapaiko mritu ke bhayera bhako?
   (あなたが死んだ原因は何ですか?)
CL  Rog ... Rog.
   (病気、病気)
KA  Rog?
   (病気ですか?)
CL  Ah.
   (はい)
KA  Ke ko rog lagyo?
   (何の病気ですか?)
CL  Au ... ha .... pet.
   (あう、は、お腹か)
KA  Pet
   (お腹?)
CL  Pet dukahuncha.
   (お腹が痛い)
KA  Pet dukera?
   (お腹が痛いのですか?)
CL  Ah ... ho ... ah... guhar ... ha ...
   (あー、はい、あー、助けて。はー、はー)
KA  Pet dukera?
   (お腹が痛いのですか?)
CL  Ahu ... ho ... ah ... guhar ruha ... ha ...
   (あふー、はい、助けて。はー、はー)
KA  Ke bhayo dukhyo?
   ( 痛いのですか?)
CL  guhar ... guhar.
   (助けて、助けて)
KA  Kati barsama bitnu bhako?
   (死んだ時は何歳でしたか?)
CL  Ah ... ah ...
(あー、あー)
KA  Kati barsama ...
   (何歳でしたか?)
CL  Umer ... Mero ... umer ...
   (歳は、私の歳は)
KA  Hajur. Bite ko umer.
   (はい。死んだ歳は?)
CL  Ath satori ... ah ...
   (8と70、あー)
KA  Hajur?
   (はい?)
CL  Ath satori.
(8と70)
KA  Sattari?
   (70ですか?)
CL  Ath satori.
(8と70)
(つづく)

2011年10月15日土曜日

生まれ変わりの証拠「ラタラジューの事例」その6

(その5からのつづき)
KA  Adjur? Hajur, feri ek choti bhandinusha? Feri ek choti.

   (もう一度言ってもらえますか? もう一度)
CL  Ah ... Ki ... ah ... muh ...

(あー、き、あー、むー)
KA  Feri ek choti bandinuhuncha agiko?

   (もう一回言ってもらえますか)
CL  Ah ... e ... de ... Bujina.

   (あー、えー、で、分かりません)
KA  Bujnubhaena?

   (分かりませんか?)
CL  a ... a ...

(あ、あ)
KA  Tapai tis barsa ko hunu bho ahile?

   (あなたは今、三○歳なんですよね)
CL  Tis ...

   (三○歳)
KA  Tis? Kati barsa hunu bho?

   (三○歳? 何歳ですか?)
CL  Eh ... rana ... eh ...

   (えー、ラナ、えー)
KA  Rana? Ke Ranako gharma kam garnu hunthiyo?

   (ラナの家?で何の仕事をしているのですか?)
CL  um ... eh ... ho.

   (うむ、えー、はい)
KA  Rana?

   (ラナですか?)
CL  Rana. ... Rana

   (ラナ。ラナ)
KA  Rana, kunchahi rana?

   (どのラナですか?)
CL  Ho?

   (はい?)
KA  Rana pani ta dherai thiye ni ta.

   (たくさんのラナがあるんですが)
CL  Bujina.

   (分かりません)
KA  Bujinubhaena.

   (分かりませんか)
KA  Tapaile ke garnuhuncha sadai? Ke kam garnuhuncha?

   (あなたは毎日どんな仕事をしているんですか? どんな仕事をしているんですか?)
CL  Ah ...

(あー)
KA  Tapai ke kam garnuhuncha?

   (あなたはどんな仕事をしているのですか?)
CL  ah .. e ... ah ... ume ... eh ... umer pachis nargou?.

   (あー、あー、25歳)※後半意味不明
KA  Tapai kaha basnu hunchare ahile? Tapai kaha basnu huncha, tapaiko gaun ka ho?

   (今、あなたはどこに住んでいるのですか? あなたはどこに住んでいるのですか、あなたの村はどこですか?)
CL  Oh ... ho. oh ...

   (おー、はい。おー)
KA  nam ke ho gaunko?

   (どこですか、村の名前は何ですか?)
CL  Ah ... bujina.

   (あー、分かりません)
KA  Bujinubhaena.

   (分かりませんか)
KA  Lekna jannuhuncha tapaile?

   (字は書けますか?)
CL  Oh ... ho.

(おー、はい)
KA  Audaina? Lekna padna?

   (書けませんか? 読み書きは?)
CL  Ah ... hoina.

   (あー、できません)
KA  audaina?

   (できませんか?)
KA  Tapaiko gaunma mukhiya ko cha ta?

   (あなたの村の長はだれですか?)
CL  Kira.

   (キラ)
KA  Gaunma ma?

   (村では?)
CL  Kira. Ah ... kira.

   (キラ。あー、キラ)
KA  Kira?

   (キラ?)
CL  Kira. ... e ...

   (キラ)
KA  Ke bhayo? Garo bhayo? Ke bhayo?

   (何が起こりましたか? 大丈夫ですか? 何が起こりましたか?)
CL  Bujina. Bujina.

   (分かりません。分かりません)
(つづく)

生まれ変わりの証拠「ラタラジューの事例」その5

(その4からのつづき)
KA  Tapai kaha basnuhunchare ahile?
   (今、どこに住んでいますか?)
CL  A .... ke?
   (あ、何?)
KA  Kaha basnuhuncha? Tapaiko ghar kaha ho?
   (どこに住んでいますか? あなたの家はどこですか?)
CL  Tapai Nepali huncha?
   (あなたはネパール人ですか?)
KA  ho, ma Nepali.
   (はい、私はネパール人です)
CL  O. ma Nepali.
   (ああ、私もネパール人です)
KA  Tapai kaha basnuhuncha? Tapai kaha basnuhuncha? Tapai ghar kaha ho?
   (あなたはどこに住んでいますか? あなたはどこに住んでいますか? 家はどこにありますか?)
CL  Ah. Bujina.
   (あー、分かりません)
KA  Bujnubhayena?
   (分かりませんか?)
KA  Tapai Gorkhama basnu huncha ki, tapai Kathmanduma basnu huncha ki, kaha basnuhuncha?
   (あなたはゴルカ地方に住んでいますか、それともカトマンズに住んでいますか、どこに住んでいますか?)
CL  Ah ... ah.. ah... bujina.
   (あー、あー、あー、分かりません)
KA  Bujnubhayena?
   (分かりませんか?)
KA  Aru kehi cha tapailai bhannu parne kura?
   (何か他に言いたいことはありますか?)
CL  Kodo ... ah ... dado ... ah ... ah..
   (コド、あー、ダド、あー、あー、)
KA  Tapai, bihana beluka ke khanu huncha tapaile gharma?
   (家では何を食べていますか?)
CL  Ah .. ah... Shiba ... e ... e ... dharma.
   (シバ神、宗教)
KA  Dharma?
   (宗教?)
KA  Tapai mandir janu huncha?
   (寺院には行きますか?)
CL  Ho.
   (はい)
KA  Mandir janu huncha?
   (寺院に行きますか?)
CL  Ho.
   (はい)
KA  Kun mandir janu hunccha ta?
   (どの寺院に行きますか?)
CL  H...... ho.
   (はい)
KA  Ho? Tapai mandir janu huncha ki hundaina?
   (寺院に行くのですか、行かないのですか?)
CL  Aaaa. Bujina.
   (ああ、分かりません)
KA  Bujnubhayena.
   (分かりませんか)
KA  Tapaiko buwa ko nam ke re? Ba ko nam. Ba ko nam.
(あなたのお父さんの名前は何というのですか)
CL  Ah ... ah ... Tama ... Tamali ... ah...
   (あー、あー、タマ、タマリ)
KA  Tamari? Tamari?
(タマリ? タマリ?)
CL  Ah ....
(あー)
KA  Ama ko nam thaha cha? Ama?
   (お母さんの名前は分かりますか?)
CL  Ama?
   (お母さん?)
KA  Ama.
   (お母さん)
CL  Ah ... Bhayena. Ma nallu gaun ek.
   (分かりません。私、ナル村のもの)
(つづく)

2011年10月14日金曜日

生まれ変わりの証拠「ラタラジューの事例」その4

(その3つづき)
ラタラジューのネパール語会話

 
 ここからは、ネパール人女性カルパナさんのネパール語の質問に対して、ラタラジュー人格がネパール語で応答するということになります。ネパール語会話時間は24分間でした。
 なお、次に紹介するセッション逐語録の「KA」はカルパナさん、「CL」は里沙さんの意味です。また、会話はローマ表記とし、左( )内はその和訳です。
 この会話部分の聴き取りとローマ字表記については、真性異研究チームの中部大学大門正幸教授、話者カルパナさんと、同じくネパール語を母語とする中部大学客員研究員カナル・キソル・チャンドラ博士の全面的お力添えをいただきまた。
KA Tapaiko nam ke ho?  Nam ke ho tapaiko.

   (あなたのお名前は何ですか? お名前は何ですか、あなたの)
CL  Mero nam. Rataraju.

   (私の名前はラタラジュー)
KA  Kati barsa hunu bho?  Kati barsa hunu bho?

   (お年はいくつですか? お年はいくつですか?)
CL  Ke.

   (何?)
KA  Umeru.

   (お年)
CL  Umeru. Ah, umeru. Rana ... ah ... u ... a ... tis ... mero umeru ... umeru tis .

   (年、私の年は、ラナ、あー、三○)※ラナとはネパール宰相家のこと
KA  Umer kati bhayo tapaiko? Tis barsa hunubho?

   (あなたのお年はいくつですか、あなたは三○ですか?)
CL  ah ...

   (あー)
KA  Tapaiko pariwarma ko ko hunuhuncha? Tapaiko pariwarma? Jahan cha ki chaina garma?

(あなたの家族には誰がいますか? あなたの家族には。家に奥さんはいますか、いませんか?)
CL  Ah. Ke

   (あー、何?)
KA  Gharma shrimati hunuhuncha ki hunuhunna.

   (家に奥さんはいますか、いませんか?)
CL  ha ... ha ... Ma ... Bujina .

   (は、は、私、分かりません)
KA  Bujnubhaena?

   (分かりませんか?)
CK  Ah.

(あー)
KA  Tapaiko chorako name ke re?

   (あなたの息子の名前は何ですか?)
CL  Adiu idya ... ah.

(アディユ、イディア・・・あー)※意味不明
KA  Chorako nam.

   (息子の名前)
CL  Ah...ah...ke .

   (あーあー、何?)
KA  Chorako nam. Chora Chori Kati jana?

   (何人の息子と娘がいますか?)
CL  Ah .. ah.. Bujhina.

   (あー、あー、分かりません)
KA  Bujhinubhayena. Chora chori dui jana hoina?

(分かりませんか。息子と娘二人ですか?)
CL  Ho ... he ... ke ...abou ... oh ...

   (はい。へ、何、アボウ、おー)※意味不明
KA  Tapaiko srimatiko nam ke re?

   (奥さんの名前は何ですか?)
CL  Oh jira li

(おー、ジラリ)※意味不明
KA  Srimati, swasniko nam?

   (奥さん、奥さんの名前?)
CL  Ah ... ah ... mero swasni Ramel...Rameli.

   (あー、あー、私の妻、名前、ラメリ、ラメリ)
KA  Choako nam chahi?

   (あなたの息子の名前は何ですか?)
CL  Ah ... ei ... el ... el ... nam ... el ... ei ... kujaus.

   (あー、え、名前、クジャウス)
KA  Kujaus? Chora? Chori?

   (クジャウス? 息子ですか、娘ですか?)
CL  Tiru.

(チル)※Choraの異形か?
KA  Chora?

   (息子ですか?)
CL  Tiru.

   (チル)
KA  Chori chaki chaina?

   (娘はいますか、いませんか?)
CL  Adis.

   (アディス)
(つづく)

2011年10月13日木曜日

生まれ変わりの証拠「ラタラジューの事例」その3

(その2からのつづき)
ラタラジューの日本語会話
 守護霊からの実験セッションの許可が下り、しかもそれは霊界側の計画のうちに入っているという回答を聞いて、筆者の期待は高まりました。イアン・スティーヴンソンが、世界中を二〇年間探し回ってわずか三例、しかも退行催眠中の事例としては二例しか発見されていない応答型真性異言現象が、たやすく起こるとは思っていなかったからです。ちなみに、応答型真性異言の発見は、一九八四年に発表されて以後途絶えています。
 
 そこで、まずラタラジューの呼び出しに成功したところで、四年前の初回セッションでラタラジューが述べたことと食い違いがないかを検証するため、日本語でいくつかの質問をしてみることにしました。
 
 現れたラタラジュー人格の声は、普段の里沙さんの声とは明らかに違う、やや低めの男性的なものに変わりました。また、後で判明したことですか、この日本語会話のときから「ナル・ガウン(ナル村)」「ダルマ(宗教)」「カンチャ(息子)」などネパール語が、すでに混入していました。
 
TH あなたはラタラジューですね。はっきり答えてください。日本言語分かりますね。
CL ・・・はい。
TH あなたのお国はネパールでよろしいですね。
CL はい。
TH そして、あなたの住んだ村は何と言いました?
CL ナル・ガウン(Nallu Gaun)。※ガウンの発音はネパール語で村(Gaun)のこと。後で筆    者は知った。
TH もう一度。
CL ナル・ガウン(Nallu Gaun)。
TH ナル村じゃないですね。もう一度、ナル・・・。
CL ナル・ガウン(Nallu Gaun)。
TH はあ、ナル・ガウン? もう一つ聞きます。あなたの村は高さで言うと高いところにあるのか、低いところにあるのか、中くらいのところにあるのか言えますか? 標高って分かりますか? 海からの高さです。どこですか、ナル・ガウンは。
CL ・・・カトマンズに近い。 
TH カトマンズに近い所ですか。それならね、あなたは、カトマンズに住んだことがありますか?
CL はい。
TH あなたの守護霊に禁じられていますが、そのカトマンズに住んでいた頃に、何か悪いことをしていましたか? 罪を犯していませんか?
CL ・・・戦いました。・・・ラナ・・・シャハ(Shah)・・・ラナ、戦いをした。
TH あなたはグルカ兵として戦ったのですか? イギリス軍に雇われて・・・。
CL グルカ?
TH グルカではありませんでしたか? 戦った相手はどこでしたか?
CL ・・・父は グルカ。
TH お父様がグルカだったわけですか。あなたはグルカではなかった。
CL 父はタマン(Tamang)から来たグルカ。
TH 分かりました。あなたは結婚して妻がいましたよね。妻の名前は何と言いましたか。
CL ラ・・・ラメリ。
TH 子どもは何人いましたか?
CL 二人。
TH それぞれ男の子ですか?
CL カンチャ(kancha)・・・アディス・・クジャウス。男アディス、女クジャウス。
TH そうすると一家は四人だったのですね。あなたの村には、何か寺院のようなものはありますか? お寺。
 
CL ・・・ダルマ(Dharma)? ※宗教のこと。後で筆者は知った。
TH ダルマって何ですか? 達磨(だるま)さんのこと? お寺のことですか?
CL 達磨さん? ダルマ(Dharma)。
TH ダルマってあなたの信じていた宗教、神様ですか。・・・あなたは年号ってわかりますか? 西暦。
CL 西暦?
TH 分かりませんか。じゃあね、カレンダーみたいなものはありませんか。
CL カーレンダ?
TH 分かりません? 暦。
CL 暦? 
TH でも、あなたは村長さんでしょう。今日が何月何日かわからないと困るでしょう。そういうことが分かるものが何かありませんか。思い出しますよ。毎日、毎日一枚ずつめくったものかも知れないし。分かりませんか?
CL ・・・。 
TH それではね、これからはもうネパール人として、ネパール語を話していらっしゃったときに戻ってください。今はあなたにつながっている「現世のもの」があなたに日本語を通訳しています。もう私は話をしません。それで、あなたはネパール語でお話してくださって構いませんよ。いいですか? ここにはネパール人の女性が来ていますから、ネパール語でちょっとお話してください。ゆっくりでいいですから、必ずネパール語を思い出します。前回も少しですが、間違いなくネパール語を話していますから、今日はもっと思い出すことが多くなっているはずですからね。いいですか、ゆっくりとお話してくださいね。いいですか?
CL はい。
(つづく)
この後、ネパールから朝日大学法学部博士課程に留学中のパウデル・カルパナさんとのネパール語での対話セッションが24分間つづきます。

2011年10月12日水曜日

生まれ変わりの証拠「ラタラジューの事例」その2

これから紹介するラタラジューの真性異言会話実験セッションは、2009年5月9日におこなったものです。
里沙さんの守護霊との対話 
筆者は過去に二度、里沙さんの守護霊とおぼしき霊的存在に憑依してもらい対話実験をおこなっています。セッションに入った最初の段階で同様の対話実験を試みました。それまでの前世療法をおこなってきた過程で生まれた、いくつかの疑問を尋ねてみたいと思ったからです。
 そして、その一番の目的は、こうした生まれ変わりを実証するための実験セッションが、われわれ人間に許されるかどうかを尋ねてみることでした。守護的存在からの許可が下りなければ、その警告を尊重し、それに従うのが、霊的存在を認めるようになっていた実験者としての敬虔・誠実な態度であると思っていたからです。
次は里沙さんが、魂状態の自覚に入った直後からのやりとりです。なお、守護霊が憑依しているとおぼしき間の声はかすれた囁(ささや)き声になり、一呼吸おいては一語一語を探して話すような、きわめて緩慢な口調に変わりました。
TH あなたは魂の表層にいるものの中で現世の方ですか? 口頭で答えてくれますか?
CL はい。
TH あなたは現世の方ですね。
CL はい。
TH あなたは、私が知る限りでは、三回目の生まれ変わりの方ですね。一人はタエで、もう一人はネパール人村長さんのラタラジューです。これから、その方と交替してもらおうと思っていますが、その前にあなたの守護霊とお話したいことがあるので、これから五つ数える間、祈ってください。守護霊にどうぞ降りて来てください、どうぞ憑依してくださいと祈ってください。そうすると、守護霊が降りて来てあなたに憑依してくださるはずです。そして、私とお話してくださるはずです。では数えますよ。一・二・三・四・五。・・・あなたは里沙さんの守護霊でいらっしゃいますか?
CL ・・・はい。
TH お久しぶりですね。この前あなたは、自分は霊界では異例の存在で、それは私に霊界の情報を伝えるのが守護霊としての使命だからそうですが、そして、私の求めに応じて、いつでも降りてきてくださるということでした。そこで、お聞きします。今日は、里沙さんのすぐ前の人生のラタラジューを呼び出すセッションを始めようとしています。それについて守護霊であるあなたの許可は出ますか?
CL ・・・はい。
TH もう一つお聞きします。「タエの事例」は、あなたよりもっと上におられる方の計画によって 、私に贈られたとあなたは前回答えています。それが本になることも、新聞に載ることも、テレビに出ることもすべては計画に入っていたということでした。では、今日ラタラジューを呼び出すセッションをやることも、ひょっとして、計画のうちに入っていますか?
CL ・・・はい。
TH 私はこれから真性異言という里沙さんが学んだはずがないネパール語で話せるかどうかを実験的にやろうとしています。そういう実験的なセッションを許してもらえますか?
CL ・・・はい。
CO あなたの方から私に何か注意することがあったら、おっしゃってください。
CL ・・・一つあります。・・・ラタラジューは・・・若い頃人を殺しています・・・   深くは・・・。
TH それを暴くな、ということですか? 深くは追及してはいけませんか?
CL はい。
TH 分かりました。ラタラジューの犯した罪については深く追及しないことをお約束します。他にはありますか?
CL 魂の・・・ 構造は、・・・複雑です。・・・魂を包む・・・意識は、・・・過去に・・・生まれ変わった・・・ものだけではありません。多いものは、二千、三千・・それらは・・・みな魂の・・・要因・・・。
TH 生まれ変わっているのは、すべて人間として生まれ変わっているのですか?
CL ・・・人・・・以外のものも。・・・宇宙・・・。
TH 宇宙人ですか? 地球外の星の生物として生まれ変わっていることもあるということですか?
CL そうです。・・・魂は・・・すべて・・・霊界の意識と・・・繋がりながら・・・   分かれた・・・。
TH その魂の集団として一つであるようなものを、あなたに分かるかな、類魂と呼んでいいのかな? その類魂から分かれて生まれ変わると聞いたことがあります。そのように解釈していいですか?
CL ・・・近い。
TH 実はタエのセッションのときに、あなたはこんなことを言いました。タエの魂は、どんどん生まれ変わっていって、最後は私の一部になりますとおっしゃっていた。あなたを守護霊だと私は思っていますが、類魂としての守護霊なんですか?
CL そうです。
TH もう一つ、聞きたいことがあります。あなたのような存在をハイヤーセルフと呼んでよろしいですか? 地上の人間たちにはそう呼ぶ人たちがいます。非常に叡智に満ちた存在で、自分の中ではないはずで、霊界にいるあなたのような存在を指してハイヤーセルフと呼んでいると考えていいのですか?
CL それぞれ、・・・呼び名は・・・自由。
TH それでは、あなたを里沙さんにとってハイヤーセルフと呼んでもいいですか? 間違いではありませんか?
CL いいです。
TH もう一回いいですか? これから私のやろうとしていることは、生まれ変わりの現在もっとも有力な証拠とされている真性異言という現象を、ラタラジューが話すかというセッションをやろうとしています。地上の人間である私が、生まれ変わりの証拠を科学的につかもうということは間違ったことではありませんか? 許されますか? 科学的に証明しようとしています。
CL ・・・許されます。
TH そうですか。それを聞いて安心しました。もう一つ。ラタラジューはネパール人です。それなのに日本語が分かるということは、翻訳、仲立ちをしているのは魂の表層の「現世のもの」と考えてよろしいですか? 「現世のもの」は、魂の表層のものたちとお互いに友愛を結んで、知恵を与え合っていると聞いています。そうであるなら、魂の表層にいる「現世のもの」が、日本人である私とネパール人であるラタラジューの間を取り持ってくれて、翻訳のようなことをしてくれていると考えていいですか? 違いますか、これは。
CL ・・・あなたの言ったことはそのとおりです。・・・私たち魂は・・・自然に理解できます。
TH それでは、これから三つ数えますから、あなたは憑依を解いてください。代わりに魂の表層にいるラタラ
ジューと交替をしてください。そうしたら初めに私が日本語で話しますから、ラタラジューにも日本語で答えてもらいます。その後、ネパール人の女性がここにいますから、ネパール語でやりとりできるかというセッションをしていきます。では、三つ数えますよ。ラタラジューと交替してください。一・二・三。
(つづく)

生まれ変わりの証拠「ラタラジューの事例」その1

さて、これまで紹介してきた「タエの事例」の語り内容の検証は、今回から紹介する「ラタラジューの事例」の紹介後にしたいと思います。
先に結論から言えば、タエの語りの検証可能な事実のうち、検証によって歴史的事実との一致率は85%であり、残りは検証不能というだけであり、明確に歴史的事実に反する語り内容はなかったという検証結果でした。詳細にご興味のある方は拙著『前世療法の探究』春秋社、2006をお読みください。

また、2009年8月に実施したポリグラフ検査(嘘発見機)によっても、被験者里沙さんが事前にタエの語りに関する諸情報を入手していた記憶の事実は全くない、という鑑定結果でした。
つまり、里沙さんは、自分のあずかり知らぬ前世のタエの人生を正確に語ったということです。

こうした事実から、タエの前世は真実であって、生まれ変わりは証明されたのだ、と思われるのですが、ことは簡単にそうとは言えないのです。
被験者里沙さんが、催眠中に透視やテレパシーなどの万能の超能力を発揮して、タエの語り内容に関わる諸情報を入手し、それら情報を組み合わせ編集し、タエという架空の少女の人柱物語を作話したのだ、という途方もない仮説=「超ESP仮説」があるのです。
これは、生まれ変わりのような奇怪な仮説を認めるくらいなら、生きている人間の心の力で説明できる「超ESP仮説」を支持するほうが、まだ科学的・論理的だとする超心理学者によって提示されているものです。
生まれ変わりの100年余の科学的研究の前に最後に立ちはだかっているのが、この超ESP仮説です。超ESP仮説さえなければ、生まれ変わりの科学的証明に足る証拠は十分に蓄積されていると生まれ変わりの研究者は考えています。

それでは、生まれ変わりの科学的証明などはないものねだりなのでしょうか? 生まれ変わりなどというものは宗教的信仰にとどめておくべきで、科学的証明とは相容れぬものなのでしょうか。
 
この難題に立ち向かったのが、バージニア大学人格研究室教授イアン・スティーヴンソンです。
スティーヴンソンは、超ESPによっても入手できないことが明らかになっている技能が、その技能を学んでいないことが証明されたにもかかわらず発揮される現象こそ生まれ変わり以外に説明できないであろうと考えたのです。
なぜなら、技能は情報ではないからです。
どんなに優れた超能力者がバイオリンについての詳細な情報を超能力で入手したからといって、練習が必要なバイオリンの曲を弾くという技能までを入手することは不可能です。技能は超能力で入手できません。
学んだはずがない技能を発揮する生まれ変わりを証拠立てる一つの典型が、学んだはずのない外国語で会話するという超常現象です。これを応答型真性異言と言います。

スティーヴンソンは、世界中を飛び回って、3例の応答型真性異言現象を発見し発表しています。日本では、『前世の言葉を話す人々』春秋社として出版されています。
管見によれば、応答型真性異言の公式発表は1980年代を最後に今世紀では発表がありません。
そして、これから紹介する「ラタラジューの事例」は、今世紀初の応答型真性異言の発見ですし、その証拠映像が撮られたということでは世界初のことです。

この証拠映像があり、被験者里沙さんも生存しており、必要なら誰にでも反証可能性に開かれていますから、これが応答型真性異言ではないと映像証拠を検証したり、里沙さんの生活歴を洗ってネパール語を学んでいる証拠を示すことが可能です。もちろん、ポリグラフ検査によって、里沙さんがネパール語を学んだ記憶は全くないという鑑定結果を得ています。
ちなみに、「ラタラジューの事例」は2010年8月5日にアンビリバボーで1時間にわたって放映されています。
それでは、応答型真性異言「ラタラジューの事例」の逐語録を紹介していきます。

2011年10月10日月曜日

生まれ変わりの証拠「タエの事例」その7

(その6のつづき)
TH じゃあ、里沙さんの魂に戻ってください。あなたは、おタエさんが最初の人生でし た。その後にも生まれ変わりを繰り返したといいます。里沙さんに生まれ変わる直前の人生に戻ってください。その人生の一番楽しかった場面に戻りますよ。じゃ、 三つ数えるとその場面をはっきり思い出すことができます。一・二・三。はっきり思い出しましたか?
CL ・・・・・・ラタラジュー。・・・ラタラジュー。
TH あなたは日本人ではないですか?
CL ネパール。
TH ネパール人?
CL ゴルク。
TH ゴルカ?
CL ラー。ラタラジュー。
TH それは何語か分かりますか? 私の言ってること分かりますか? 今、お話ししたのは日本語ではないですね。何語でしょう?
CL ネパール。
TH ネパール語? で、なんてお話ししてくださったんですか? 翻訳してください。
CL ・・・わたしは、ネパール、ナル村に住むラタラジューという村長です。
TH 男性ですか。
CL そうです。
TH あなたの奥さんの名前は?
CL ・・・ラメリ。
TH 子どももいますね。上の子の名前は?
CL ・・・アディス、クジャウス。
TH そのネパール語で、あなたの一番楽しかった場面をゆっくりお話ししてください。CL ・・・。
TH お話しできませんか? その場面を是非ともお話ししてください。はっきり分かりますよ。それがあなたの前世を証明する証拠の一つになるかもしれません。ゆっくりと発音してくれませんか。
CL ・・・。
TH じゃ、「わたしは、ネパールのナル村の村長です」ってネパール語で言ってくれませんか。
CL アディドウーダ、イリ、ナル、アディス。
TH 「わたしには子どもが何人いて、長男の名前はだれだれです」と言ってもらえませんか。
CL ・・・。
TH はっきり思い出すことができますよ。あなたが生きた人生ですからね。ネパール人 として、村長として。「わたしには何人の子どもがいて、上の子の名前はこれこれです、下の子はこれこれです、妻はこれこれです」と言ってください。
CL ・・・んん。
TH 出てきませんか? それじゃ、これからゆっくり五つ数えるとはっきりと頭の中に すーっと浮かんできますよ。一・二。だんだん鮮明になってきました。三、ずーっ とはっきりしてきた。四、もう当時の言葉がすらすら話せる状態ですよ。五。もう 話せますよ。さあ、お話ししてください。
CL ・・・んん。
TH じゃ、簡単にしましょう。「わたしの妻の名前はこれこれです」でいいですよ。それなら言えるでしょ?
CL アードウー、カドウール、ナトリ、メモリス。               
TH じゃ、少し頭を冷やしましょう。これからちょっとの間休みましょう。また声をかけるまでゆっくり頭を冷やしてください。(五分ほど休憩)では続けましょう。あなたが村長さんとして生きているネパールの国王の名前は分かりますか?        
CL グルカ。グルカコスターレス。
TH あなたが村長さんでいらっしゃる生きているのは何年ですか? 西暦で答えられますか? 西暦分かりませんか?
CL 西暦?
TH 西暦が分かりませんか。何年のお話でしょう。
CL 59歳。
TH あなたの年齢ですね、それは。
TH 何年のことか分かりませんか? 私が何を聞いてるか理解できませんか?
CL 分からない。
TH そうですか。それじゃだめですね。国王の名前は分かるのですね。
CL グルカ。
TH そのときにカレンダーはないんでしょうか? あなたの生きている五十九歳のときの。
CL カレンダー?
TH ネパールにはカレンダーがない?(CL頷く)今、あなたはどこにいるのですか?
CL 畑。
TH 周りを見てください。何が見えますか?
CL 沼地。・・・虫、虫!
TH 虫がいますか。刺しますか?
CL (頷く)・・・ヒル。
TH でも、楽しいことがきっとある人生でしたよ。そこへ行きましょう。もう少し進めましょう。どんな楽しいことがありましたか?
CL ・・・。
TH じゃ、指定しますよ。あなたは村長さんでしたからきっと楽しい食事ができたはずですよ。家族と一緒の夕食の場面へ行きましょう。三つで行きますよ。一・ 二・三。食卓を囲んでますか? ごちそうですか? 何を食べるんですか?
CL トウモロコシ。
TH そのまま食べるのですか?  
CL 粉。蒸す。
TH パンみたいにして食べるのですか。ほかには何か食べるものありますか?
CL イモ。
TH ジャカイモ? サツマイモ? どんな芋でしょう。
CL ・・・イモ。
TH 何か牛乳みたいなものありますか? バターとか。
CL ない。
TH それでは、あなたの人生を終える場面へ行ってみましょうね。その場面で、あなたがその人生で何を学んだのか一番よく分かりますよ。じゃあ、死の間際へ行きましょう。死はね、蝉が殻を脱いで飛び立つように、次の新しい人生へ飛び立つ入り口ですから、何も恐いことはありません。それでは三つ数えるとあなたの死の間際まで行きます。一・二・三。・・・今どこにいますか。
CL 家。寝てる。
TH 今、あなたはどうしてますか? 病気ですか、老衰ですか?
CL 老衰。
TH 年は何歳ですか。
CL 78。
TH 周りに誰かいてくれますか? 妻はいますか? 子どもは?
CL 妻はいる。子どもはそばにいない。
TH その家族の誰かと、現世の里沙さんと深いつながりのある人はいませんか?
CL いない。
TH 老衰で亡くなりますよ・・・。今、あなたは肉体を離れました・・・。あなたは、そのネパール人の人生で何を学びましたか? どんなことを学びましたか。
CL 生きて、人と、平和な、村を守る、喜びを、感じました。願わくは、字が読めるようになりたかった・・・。
TH ああ、あなたは、字が読めなかったのですか。
CL はい。勉強をしたかった・・・。
TH あなたは今魂なんですが、次は里沙さんに生まれ変わるわけですか?
CL はい。
TH これまで、二つの人生を見てきました。これから、あなたは、現世の里沙さんの身体の中に戻りますよ。そのときには、この二つの人生で見た学びをしっかり生かして、これからの里沙さんの人生を、より充実して生きる力がきっと生まれていますよ。いいですか。きっと素敵な人生を送れます。難病に耐えて、あなたは自分の使命を果たす勇気と力を取り戻して、たくましく生きることがきっとできますよ。では、ゆっくり五つ数えます。目が覚めたときには、すっきりしてとても気持ちよく目が覚めます。そして、今の催眠中に起きたことは、すべてはっきり思い出すことができます。
(2005年6月4日「タエの事例」セッション終結)
この前世人格ラタラジューとの会話セッション時間は12分間でした。「タエの事例」と合わせて70分におよぶ一連のセッションはここで終結しました。同じ姿勢を長時間とり続けたことによる彼女の脊柱側湾症の痛みと、声の様子から疲労の色が濃くなっていることを考えれば、これ以上の続行は、精神的にも肉体的にも無理だと判断したからです。

生まれ変わりの証拠「タエの事例」その6

(その5のつづき)
CL はい。
TH あなたならすべてお見通しなので聞きますが、里沙さんの魂は、今までどれくらい生まれ変わりを繰り返したのでしょうか? 回数、分かりますか?
CL 長く繰り返している。
TH 一番古くはどんな時代でしょう?
CL 天明、タエが初。
TH もう一つ聞きます。その魂はいったいどこから生じるのでしょう?
CL 中間の世界。
TH そうすると、あらゆる魂はもともと一つのところから生まれてくるのですか?
CL 中間の粒子が魂に生まれ変わります。
TH 中間の世界で粒子が魂になる。
CL そうです。
TH 魂は永久に生まれ変わりを続けるわけでしょうか?
CL 粒子の色が消えると、生まれ変わりはなくなります。
TH その魂は、中間の世界に留まることができるのですか?
CL わたしの一部になります。
TH 分かりました。ありがとうございました。わざわざお呼び立てして、申し訳ありませんでした。でも、随分いろんな勉強になりました。
この後、タエの次の生まれ変わりを尋ねることになります。そこで現れたのは、ネパール人ナル村の村長ラタラジューを名乗る人物でした。
ラタラジューに、ネパール語を話せるかどうか求めたところ、2文ほどのネパール語とおぼしき言葉を発話しました。しかし、この現象は真性異言(学んだことのない外国語、この場合、里沙さんが学んではいないネパール語でその一節を発話すること)のうちでも、朗唱型真性異言と呼ばれる超常現象です。これは、応答的なネパール語どうしの会話ではありませんから生まれ変わりの科学的証拠とされる応答型真性異言ではありません。ある外国語の一節を発話するのみであれば、それは情報であるわけで、超ESP(万能の超能力)で獲得可能であり、生まれ変わりを持ち出すことなく、生きている人間(この場合里沙さん)の心の力(超能力)であると説明可能になります。つまり、単なる情報は、超能力で獲得可能です。
しかし、このセッションの4年後、応答型真性異言の実験再セッションで、ラタラジューはついに、生まれ変わりの科学最有力の証拠である応答型真性異言現象を示したのです。この再セッションのネパール語会話のビデオ映像が、2009年8月5日のアンビリバボーで1時間に渡って放映されました。
次回は、今回に引き続いておこなったラタラジューとの会話を紹介します。
(つづく)

2011年10月9日日曜日

生まれ変わりの証拠「タエの事例」その5

その4からのつづき
タエに憑依した守護霊とおぼしき存在
筆者は、前世療法の核心に迫るために、中間世(霊界)の守護霊とおぼしき存在と直接対話することができないものか、その存在に対して、前世記憶の真偽を解き明かす質問ができないものか、という願いをかねてから抱いていました。そこで、タエの守護霊とおぼしき存者の憑依が催眠中に意図的に起こせるかどうか、起こせるとしたら、その存在が語る内容が、事実であるかどうかを検討可能であるような形に残す試みを、この絶好の機会を逃さないで実験してみようと決断しました。
里沙さんの表情と声の調子は、この守護霊とおぼしき存在者の憑依の後、また別人格のように一変します。身体の動きがまったく止まり、表情は、ある威厳を感じさせるような、しかし能面のような顔に変化しました。声も、落ち着いてはいるが抑揚のほとんない、厳(おごそ)かで、くぐもった調子に変化しました。
TH じゃ、一つ聞きますよ。そのあなたのいる魂の世界に、たとえば、私の愛する人が待っていて、生まれ変わりがまだなら、私もそこへ行けば会えますか?
 
CL はい。会えます。
TH もう、生まれ変わりをしていたらどうなりますか?
CL 必ず出会います。
TH 生まれ変わりをしていても出会えますか、魂どうしは?
CL はい。
TH もう一つ聞きますよ。今、あなたは偉大な存在者そのものになっていますね。じゃあその方は、時間も空間も超越していますから、今、私が、こうやって前世療法のセッションをしていることも、きっとお見通しのはずですね?
CL はい。
TH じゃ、聞きます。多くの人が、前世のことは現世に生まれ変わると、忘れて出てきません。でも今、里沙さんは深い催眠状態で前世のことを語ってくれましたが、もともと人間は、前世のことを忘れて生きるようにできていますか?
CL はい。
TH それを、無理矢理こうやって、催眠によってほじくり出すことは罪なことでしょう   か? どうでしょう。
CL そうではありません。人を救う手段であります。人を救う手段であれば、罪なことではありません。あなたは、それができる人なので、たくさんの人を苦しみから救うことが使命であると。
TH 私の使命ですか。
CL そうです。
TH であれば、私がこうやって前世療法をやった後は、二人の人からとっても憔悴(しょうすい)しているように見えるそうです。命を縮めているんじゃないかって言われています。そういうことになっていますか? どうでしょう。命を縮めることですか。
CL 違います。できる限りたくさんの人を救います。
TH 分かりました。じゃあ私は、それを自信を持ってやっていいのですか?
CL はい。
TH 他に、私に伝えておかなければならないことがあれば、どうぞおっしゃってくださ   い。
CL 世界にたくさんの悩める人がいます。必ず出会います。力を尽くすよう。力を尽くしてお救いください。
TH はい。私はそういう道を進むのが使命ですか?
CL そうです。
TH もう一つ聞きます。大きな謎ですよ。おタエさんは、人柱となって一六歳で短い一生を終えました。そのおタエさんの魂が、今、平成の現世では里沙さんとして生まれ変わっています。その里沙さんは、側湾症という治る見込みのない苦しい病に罹(かか)っています。なぜ、苦しみを二度も味わわねばならんのですか? いかにも不公平 な人生ではありませんか。そのわけは何でしょう?
CL 魂を高め、人を救う道に位置付きし人です。
TH 里沙さんがそういう人ですか。
CL そうです。
TH じゃあ、側湾症になるということも、里沙さん自身が、あなたのいらっしゃる中間世で決められたことなんですか?
CL そうです。
TH それは、里沙さん自身が魂として選んだ道なんですか?
CL 「わたし」が選びました。
TH 「わたし」とは、魂の「わたし」なのか、それとも偉大な存在である「わたし」のことですか? どちらですか?
CL 魂の「わたし」が選びました。
TH もし、そのことを現世の里沙さんがはっきり自覚できたら、彼女は救われるでしょうか?
CL 救われます。
TH その苦しみを乗り越えるだけの力を得ることができますか?
CL できます。
TH また、聞きますよ。お答え願えますか? 浅間山の噴火のときに雷が起きましたか?
CL はい。
TH そのことを、雷神様と人々は言うのでしょうか? 雷のことを。
CL そうです。まだ、噴火、自然現象は分からない人たちですから、魔物のせいだと思ったのです。
TH 龍神様はなんのことでしょう?
CL 浅間山は信仰の山です。龍神が祀られています。
TH その龍神が、お山が火を噴いたために住めなくなって、川を下るというように人々は思ったわけですね。
CL そうです。
TH それから、そのときの噴火によって空が真っ暗になって、日が射さなくなって、火山灰が降り注いで、農作物は不作になりますよね。その結果、下界ではどんなことが起きたのでしょう? あなたはご存じのはずですが、教えてもらえますか?
CL 噴火による土石流で川が堰(せ)き止められ、そのため洪水が起き、たくさんの人が亡くなりました。
TH その川の名前が吾妻川でしょうか?
CL そうです。利根川の上流になります。
TH さっき、あなたのおっしゃったことに勇気を得て、もう一つ聞きます。今、あなたが語ったことが、その時代に生きたおタエさんしか知り得ないことだという証拠を、私はつかみたいと思っています。その結果、前世というものが間接的にでも証明できたら、多くの人の人生観が変わって、特に死を間近にした人たちに勇気を与えることができると思っています。このセッションの場には、その研究をしていらっしゃる小野口さんという先生も来ています。そういう人のためにも、おタエさんしか   知り得ないことで、でも、われわれが後で調べたら何とか分かるような、そういう証拠の話か物がないでしょうか? そんなことを聞くのは傲慢(ごうまん)でしょうか?
もし、お許しがあれば、それを教えていただけないでしょうか。
CL 傲慢ではありません。タエは・・・左腕をなくしています。渋川村上郷、馬頭観音下に左腕が埋まっています。
TH それはおタエさんの左腕ですか?
CL そうです。
TH であれば、今は随分時代が下がってますから、骨になっていますね。
CL そうです。
TH その骨が、渋川村、上郷、馬頭観音の下ですか?
CL そうです。
TH 下ということは、馬頭観音様は外に立っていらっしゃいますか? お堂の中ではない?
CL お堂です。お堂の下を掘るとタエの左腕が出てきます。
TH それが、タエが実際に存在した証拠になりますか?
CL そうです。
TH 馬頭観音様が祀られているのはお寺でしょうか?
CL 馬頭観音は寺ではありません。小さなお御堂(みどう)です。
TH それは現在でもありますか?
CL あります。
TH おタエさんの左腕を探すためにはその床下を掘れということですか?
CL 土、下。
TH どのくらい掘ったらいいのでしょうね?
CL 土石流で埋まっているので・・・。
TH ちょっと掘れない。でも、埋まっているのは間違いない?
CL はい。
TH 分かりました。それ以外に、もっと何とかなる方法で、おタエさんの存在を証明する何かがありませんか? たとえば、おタエさんを、村の人たちが供養のために何かしていませんでしょうか?
CL 何も残してはおりません。村は洪水で壊滅状態になりました。
TH おタエさんのことは、郷土史か何かの記録には残っていませんか? 語り継ぐ人はいませんでしたか?
CL たくさんの人が浅間山の噴火を記録しました。
TH それは分かっています。でも、おタエさんを記録した人はいませんでしょうか?
CL 女は、道具です。
TH 道具でしたか。それでは、おタエさんを育ててくれた名主の・・・?
CL クロカワキチエモン。
TH そのクロカワキチエモンと連れ合いのハツは名主でしたから、その記録は残っているでしょうか?
CL 残っています。
TH どこへ行けばわかりますか? 図書館へ行けば分かりますか? それとも?
CL ・・・資料はあります。
TH そこにハツの記録も残っているでしょうか? 多くのみなし子を育てたことぐらいは残ってるでしょうか?
CL たくさんの文書は洪水で流され、田畑(でんばた)の帳簿、村の様子など書き記(しる)したものは、ほとんどありません。
TH 分かりました。そうすると、おタエさんの存在そのものの裏付けを取ることは、現在のわれわれには無理ですね。
CL はい。
TH ただ、馬頭観音のお堂の下に、おタエさんの左腕が、土石流の下に埋まっているのは違いないですね。
CL はい。
TH なぜ、片腕が馬頭観音様の下に埋められることになったのですか?
CL 雷神様を乗せる馬を守るために、タエの左腕が供えられたのです。
TH それは切り落とされたわけですか? 刀によって?
CL そうです。
TH それにタエさんは耐えたわけですか。
CL そうです。
TH それはタエさんが望んで腕を差し出したわけですか?
CL 違います。馬が必死で暴れるので抑えるために、タエの腕を馬の口取りのために馬頭観音に捧げることになりました。
TH 分かりました。もう一つ、あなたは偉大な存在者なので、私の探究が許されるなら、魂がおタエさんの後、里沙さんに生まれ変わるまでの間に、もし、生まれ変わりがあるとしたら、そこへ里沙さんをもう一度行かせることはいいでしょうか?
CL はい。
TH ありますか、やっぱり。
CL はい。
(つづく)

2011年10月8日土曜日

生まれ変わりの証拠「タエの事例」その4

その3からのつづき
タエの中間世での記憶
タエの魂が中間世へと肉体から離脱すると、里沙さんの表情も声の調子も一変しました。無表情となり、声の調子も一六歳の少女風の声から抑揚のない調子に変化しました。また、脊側湾症からくる痛みから、しきりに動かしていた上半身の動きがまったく止まりました。
TH 身体から抜けましたか? 抜けましたか? あなたはどこにいますか?
CL ・・・暗い。
TH じゃあ、その先へ行きましょう。・・・穏やかな気持ちで、今いますか?
CL はい。
TH もう暗くはありませんか?
CL はい。
TH どんなふうですか? 言葉にしにくいかもしれませんが、できるだけたとえてみたら、どんなふうですか?
 
CL ・・・うーん、明るい・・・光の、世界。
TH あなたには肉体はあるのですか?
CL ありません。
TH 意識だけがあるのですか? 意識って分かりますか? 心。
CL 「わたし」です。
TH 「わたし」がいるだけ? 身体はないのですか? じゃ、あなたが男か女か分かりますか?
 
CL 分かりません
 
TH ほかにも、あなたのように「わたし」だけという存在を感じますか?
CL はい。
TH その世界で何をしているのですか?
CL ・・・浮かんでいます。
TH ずーっと永遠に浮かんでいるのですか?
CL 上へ上へと、行く。どんどん、光の中を。
TH で、「わたし」という存在のことを、魂と呼んでいいのですか?
CL はい。
TH 魂のあなたは、そこにずーっと居続けるわけですか?
CL ・・・入れ替わります。
TH 「わたし」が入れ替わるとは、また誰かに生まれ変わるということですか?
CL はい。
TH それまでその世界にいるわけですか。で、その世界の居心地はどうですか?
CL 気持ちいいー。
TH また生まれ変わりたいと思わないくらい気持ちがいいのですか?
CL ・・・分かりません。・・・生まれ変わる?
TH 次に生まれ変わるのが、もう嫌というぐらい居心地がいいのですか?
CL ・・・分かりません。
TH 実は、その時間も空間も超越した世界のことを中間世って呼びます。そこには、あなたの次の人生を、どう生きたらいいのかを導いてくれる、偉大な存在者がいると言われています。でも、その存在者がどんなふうかは私には分かりません。あなたには分かるはずです。その存在者とコンタクトはできますか?
CL はい。
TH その姿が見えますか?見えたらどんなふうか、お話してください。
CL 大きい人。髪と髭(ひげ)が白くて巻き毛で長い。眉も長い。鼻は大きい。目も大きい。唇は厚い。
TH 異国の人ですか? そうではない?
CL そうです。
TH 肌の色は?
CL 赤黒い。
TH どんな衣装を着けてみえますか?
CL 白い・・・マント? ・・・。
TH ローブみたいなものですか?
CL (頷く)
TH その方はあなたのそばにみえますか? じゃ、コンタクトはとれますか?
CL はい。
TH じゃあ、私がいくつか尋ねるので、あなたからその方に尋ねて、答えをもらってください。そこでは言葉がいりますか?
CL いりません。
TH 心で思ったことが、ストレートに相手に伝わるわけですか。(CL頷く)じゃ、尋ねます。あなたがわずか16歳で、みなし子として貧しい生活の中で生きてきて、そして、みんなのための犠牲になって死ぬわけだけど、その短い人生で、あなたが   学ばなければならなかったことは何でしょう? 私から見ると、ただ悲しいだけの人生に思えるんだけど。その方に聞いてみてください。なぜ、あなたはそんな人生を歩まなければならないのでしょう? 答えが返ってきたら教えてください。
CL ・・・みなのために、村を救う、みなを、幸せにするために、生きる人生だった。
TH あなたは、今、満足していますか? 自分のタエという人生を振り返って。
CL はい。
TH もう一つ聞いてもいいですか。今度は、できればあなたの口を借りて、その偉大な存在者と、お話することはできないでしょうか? 要するに、あなたに乗り移るということですよ。直接にその方の言葉で、伝えてもらえないでしょうか? できなければ無理は言いません。できたら、それをやってみたい。できますか?
CL ・・・はい。
 この後、タエの守護霊とおぼしき存在の憑霊実験をすることになります。
次回に憑霊した偉大な存在者と私の直接対話が始まります。この対話は、ここまでのセッションの流れから考えて、被験者里沙さんの「前世の記憶」ではないでしょう。憑霊は、「過去の記憶」ではなく「今、ここで」憑霊した霊的存在と現在進行形で対話するわけですから。
 そして、深い催眠状態においては憑霊を意図的に起こすことが可能になる、という発見は私にとってきわめて驚愕の体験でした。
 前世療法中に、憑霊実験をおこない、霊的存在とおぼしき者との直接対話するという試みはおそらく前代未聞のことではないかと思います。
(つづく)

2011年10月7日金曜日

生まれ変わりの証拠「タエの事例」その3

ここからは、生まれ変わりの濃厚な証拠、「タエの事例」のセッション逐語記録です。THはセラピスト(稲垣)、CLはクライアント(里沙さん)です。
この前世療法実験セッションは、2005年6月4日におこなわれ、証拠映像が残っています。この証拠映像の一部は、2006年10月のアンビリで放映されています。
さらに詳細をお知りになりたい方は、拙著『前世療法の探究』春秋社、2006をお読みください。
TH さあ、これであなたは、時間も空間も関係のない次元に入りました。もし、あなたに、今の人生の外にも人生があったら、そこに自由にどこへでも行くことができます。でも、最初にこの前行った江戸時代へ行ってみましょう。何も心配したり怯(おび)え ることはありません。私が付き添ってガイドしますからね。それでは、これから三つ数えます。そうしたら天明の時代に生きたあなたの楽しい場面にまず行ってみましょうか。いいですか、天明に生きたおタエさんの一番楽しい場面に戻りますよ。一・二 ・三。さあ、あなたはどこで何をしていますか?
CL ・・・桑畑で桑の葉を摘んでいます。
TH あなたのお名前は?
CL タエ。
TH それで、桑畑には他にもあなたの知ってる人がいますね。誰がいますか?
CL ・・・働いてる。
TH 働いてる? あなたの親とか兄弟はいませんか? あなたは一人ですか?
CL はい。
TH あなたはみなし子ですか?
CL はい。
TH 今あなたは何歳ですか?
CL 13。
TH 13歳ですか。あなたがみなし子だった事情を誰かから聞いていませんか?
CL 捨てられてた。
TH 気がついたときには、赤ちゃんで捨てられていたのですか?
CL そう。
TH それで、あなたを育ててくださった人がいますね。どんな人ですか?
CL 安永九年(1780年)、渋川村、上郷(かみのごう)、名主クロダキチエモン。
TH クロダキチエモンがあなたの義理のお父さん。キチエモンさんの連れ合いであなたの義理のお母さんは?
CL ハツ。
TH クロダキチエモンさんとハツさんご夫婦に、あなたは育てられたわけですね。あなたが捨てられていたことは、そのお父さん、お母さんが話してくれたわけですね?
CL (頷く)・・・たくさん。
TH たくさん拾われた子どもがいるんですね。キチエモンさんは、そういう篤志家ですか。渋川村の名主さんですね。渋川村というのはどの辺りですか?
 
CL 上州、上野(こうずけ)の国。
TH あなたは今13歳で、年号は何年ですか?
CL 安永九年。(1780年)
TH はあ、安永九年で13歳。で、今、桑畑にいる。それがなぜ一番楽しいのでしょ う?
 
CL 桑の実を摘んで食べる。
 
TH 桑の実を食べるんですか。口の周りどんなふうになってるか分かりますか?
 
CL 真っ赤。(微笑む)おカイコ様が食べる桑の木に実がなる。
TH それならどれだけ食べても叱られることないんですか。ふだんはやっぱり遠慮がちなんですか? (CL頷く)拾われてるから。あなたと同じように拾われた兄弟も一緒に葉を摘んでますか?(CL頷(うなず)く)楽しそうに。(CL頷く)じゃ、ちょっと夕飯の場面に行ってみましょうか。三つで夕飯の場面に行きますよ。一・二・三。今、夕飯の場面ですよ。どこで食べてますか?
CL 馬小屋。みんなも。
TH 下は?
CL 藁(わら)
TH どんな物を食べてますか?
CL ヒエ。
TH ヒエだけですか。おかずは?
CL ない。
TH ヒエだけ食べてるの。白いお米は食べないんですか?(CL頷く)だからあまり夕飯は楽しくない。で、みんなとどこで寝るのですか?
CL 馬小屋。
TH 馬小屋で寝るの。お布団は?
CL ない。
TH 寒いときは何にくるまるのですか?
CL 藁。
TH 藁にくるまって寝るの。あなたの着てる物を見てごらんなさい。どんな物を着  てますか?
CL 着物。
TH 着物の生地は何でできていますか?
CL 分っからない。
TH 粗末なものですか。(CL頷く)手を見てごらんなさい。どんな手になってますか。
CL きれいな手じゃない。
TH じゃ、もう少し先へ行ってみましょう。三年先へ行ってみましょう。悲しいことがきっとあると思いますが、その事情を苦しいかもしれませんが見てください。どうですか? で、三年経つと何年になりますか?
CL 天明三年。(1783年)
TH 天明三年にどんなことがありましたか? 何か大きな事件がありましたか?
CL あ、浅間の山が、お山が、だいぶ前から熱くなって、火が出るようになって・・・。
TH 火が渋川村から見えますか?
CL うん。
TH 噴火の火がみえますか?
CL フンカ?
TH 噴火って分かりませんか? (CL頷く)分からない。火が山から出てるんですか?
CL 熱い!
TH 煙も見えますか?
CL は、はい。
TH じゃ、灰みたいな物は降ってますか? そのせいで農作物に何か影響が出てます   か?
CL 白い灰が毎日積もります。
TH どのくらい積もるんでしょう?
CL 軒下。
TH 軒下までというと相当な高さですね。単位でいうとどのくらの高さですか? 村の人はなんて言ってますか?
CL 分からない。
TH 軒下まで積もると農作物は全滅じゃないですか。
CL む、村の人は、鉄砲撃ったり、鐘を叩いたり、太鼓を叩いても、雷神様はおさまらない。
TH その結果何が起きてますか?
CL 龍神様は川を下ります。
TH その結果どうなりました?
CL 天明三年七月、七夕様の日、龍神様と雷神様が、あま、あま、あまつ、吾妻(あがつま)川を下るので ・・・水が止まって危ないので、上(かみ)の村が水にやられるので・・・わたしがお供えになります。
 
TH 自分から志願したの?
CL ・・・そうです。きれいな着物を着て、(微笑む)おいしいごちそう食べて・・・。
TH それをしたかったのですか? でも、命を失いますよ。それでもいい?
CL 村のために・・・。
TH 誰か勧めた人がいますか?
CL おとっつあん。
TH キチエモンさんが、そう言ってあなたに勧めた。
CL 恩返し。・・・みんなのために(微笑む)・・・うれしい。
TH もう一度確認しますよ。あなたのいる村は?
CL 渋川村、上郷。
TH 川の名前が吾妻川?
CL 吾妻川。
TH あなたが人のために犠牲になることをなんて言うんですか?
CL お供えに。・・・馬も。馬。ばと様。ばと様。・・・馬頭観音様。
TH 馬頭観音様と一緒に? ふーん。
CL 雷神様は馬に乗ります。龍神様はわたしを乗せて行きます。
TH 龍神様というのは吾妻川のことですか?
CL 浅間のお山に住む龍神様です。熱くて、住めないので、川を下ります。
TH お山が熱くて住めないので、浅間山から川を下る龍神様に、あなたが乗るということですか。じゃ、今あなたはどこにいるのですか? 川の中ですか?
CL はい。
TH 川の中でどんなふうにされているんですか?
CL 白い着物を着て、橋の柱に縛られています。
TH それは自分から縛ってもらったのですか?
CL はい。
TH じゃ、川岸では誰かあなたを見守ってるでしょ?
CL 行者様。導師様。みんないます。
TH あなたの村では他にも犠牲になった人はいますか? 人々のために。
CL いません。
TH 他の村でも、そういう話を聞きましたか? 人柱って言うんですよ。
CL 知らない・・・。・急ぐの・・・急ぐ。
TH 急ぐ?
CL 急ぐ! 時間がない。
TH それで、そうやって人のために犠牲になると、みんなが供養してくれませんか?
  お地蔵さんかなにかに祀(まつ)られませんか?
CL 分からない。
TH あなたは自ら望んで、みんなのために、人柱になったのですね。
CL (頷く)・・・うれしい。(微笑む)ごちそう食べて、白い着物着て。
TH その着物って絹ですか?
CL 花嫁衣装。
TH 花嫁衣装で。あなたは、今、何歳?
CL 16。
TH 16歳ですか。川岸にキチエモンさんの姿見えますか? それで川の水は増えてい   るんですか?
CL 昼間だけど真っ暗で提灯が・・・ 分からない。
TH なぜ昼間なのに暗いんでしょう? 分かりますか、そのわけが。
CL お山が火を噴いてるから。
TH 煙で暗いわけですか。太陽が遮(さえぎ)られて。(CL頷く)そういうことですか。それで昼間に提灯がいるくらい暗い。あなたのいる川の水は今どんどん増えていますか?
CL は、は、はい。増えてます。ウウーククー。苦しいー。ハア、ハア。ググッウーウ ウー・・・ハア、ハア・・・。                      
TH どんどん増えてますか? 大丈夫ですよ。苦しいですか?
タエはここで溺死して息が絶えました。この後、魂として死後の世界へ旅立つことになります。筆者がセッションの最初に「タエの一番楽しい場面へ戻ります」と暗示したのは、初回溺死場面に戻ることを回避させるためでした。この苦悶の場面に戻ることを最初に暗示た場合には、おそらく潜在意識が拒否し、タエの記憶想起そのものができないと思ったらです。
(次回へつづく)

2011年10月6日木曜日

生まれ変わりの証拠「タエの事例」その2

初回セッションから二か月を経た2005年6月4日、再セッションをおこなうことにしました。初回の不完全燃焼である終わり方への後悔と、想起した溺死場面がトラウマになるかもしれないことへの申しわけない気持ちとが交錯していたからです。
 
そして、研究者数名の同席と、研究のためにビデオ撮影を許可してくれるようにお願いしました。複数の研究者から、機会があれば、前世療法を是非見学したいという依頼を受けていた私は、里沙さんが第二回セッションでも、おそらく何らかの前世記憶を想起するだろうと見込めたからです。
 彼女は、前世療法の科学的解明に貢献できるのならということで、再セッションを実施することと、研究者五名の同席とビデオ撮影を許可してくれました。こうして、ついに検証可能な、具体的な、前世記憶が語られた「タエの事例」との出会いが起きたのです。この記録ビデオの一部がテレビ番組「奇跡体験アンビリバボー」で公開されたものです。
 
ちなみに、里沙さんには、精神的疾患は一切なく、薬物は脊柱側湾症の鎮痛薬を処方されているだけでした。また、透視や憑依などの超常現象を体験したこともなく、それらへの関心もまったくないことを確認しています。
 
タエの前世に戻り、タエの人生を想起しているときの里沙さんの表情は、喜びや苦しみの感情が生き生きと現れ、まさに、今、ここでタエを生きて語っている、という表現がぴったりします。
またそれは、里沙さんが前世記憶の想起して語っていると言うよりは、タエという前世人格が、今、ここに現れて、自身の人生を語っているのだ、と理解することのほうが観察事実により近いのではないかと思われました。
そのタエの語りは驚くべき内容でした。
上野国渋川村に捨て子として育ったタエは、天明3年7月7日(旧暦)の浅間山大噴火の火砕流でせき止められた吾妻川の洪水から村を救うために人柱となり、洪水に呑み込まれて命を落としたという出来事の詳細を語ったのです。
その逐語録を次回から紹介していきす。
(つづく)

2011年10月5日水曜日

生まれ変わりの証拠「タエの事例」その1

私は、生まれ変わりの科学的証明をライフワークにしています。その契機となった前世療法のセッションが、これからしばらく連続して紹介していく「タエの事例」です。
私が前世療法に取り組み始めたのは、2002年ですがその4年後に「タエの事例」と遭遇しました。この事例は実験セッションとしておこなったもので、ビデオとして音声・映像の証拠が残っています。
生まれ変わりの証拠として濃厚なこの「タエの事例」は、2006年5月に春秋社から『前世療法の探究』として出版し、これがフジTV「奇跡体験アンビリバボー」の目にとまり、2006年10月に25分間放映されています。
「タエの事例」との遭遇前後から、私と私の周囲に超常現象が頻発するようになっていきます。私自身と被験者里沙さんにヒーリング能力が覚醒したり、先に紹介した私あての霊信がきたのもその一つです。あるいは、セッション中のクライアントに守護的存在の憑霊らしき現象が起こりメッセージを告げるという霊的現象です。
さて、被験者里沙さんの初回セッションは、2005年3月30日におこなったものです。彼女の催眠感受性(被暗示性)はきわめて高く、短時間のうちに深い催眠性トランス状態まで誘導することが可能でした。
子宮内までの退行催眠後、階段を降りて時空を越えた次元の世界へ続く扉を開けるという暗示をしました。そして、筆者が「もし、あなたの前世があるとすれば、あなたは自由にそこへ戻ることができます。そのエピソードの場面に行ってみましょう」と誘導すると突然、悲痛な叫び声が発せられました。
 「苦しい、助けて」
里沙さんは前世の死の場面にいきなり戻ってしまったのです。押し寄せてくる川の泥水に呑み込まれ、溺死するという情況のようでした。筆者の腕にしがみつき必死でもがく苦悶の表情を見て、「大丈夫です。あなたは、自分の姿を映画をみるように、離れて見ることができますよ」という暗示を繰り返しましたが、その人物が死を迎えてぐったりするまで彼女の苦悶は一分近く続きました。
 
それは、前世の記憶を想起して見ているのではなく、前世の人格と一体化し、今、再現しているのだという実感と臨場感があり、その迫力に驚愕し圧倒されました。
 
さらに言えば、前世の記憶を現世の里沙さんが想起して語っているというよりは、「前世の人格そのもの」が現れ、自分の人生での溺死の場面を再現しているという強烈な印象を与えるものでした。この印象こそ、その後の私あて霊信の告げたことを作業仮説に用いた新しい前世法開発の契機となっていったものです。「ラタラジューの事例」は、この新しい技法(SAM前世療法)でおこなっています。
 
溺死後、肉体を離れて魂状態となり、どうやら中間世(霊界)に行ったことを確かめて、いつ何が起きたのかのおおよそを尋ねてみました。
ようやく平静に戻った里沙さんは、淡々とした声で、江戸時代中期の天明三年(1783年)に、お山が火を噴いたこと、それを鎮めるためと思われる人柱となって、川中の柱に白い着物を着せられて裸足で縛り付けられたのだと語りました。しかし、お山の名前もその人物が住んでいた場所も、思い出すことはできませんでした。ただ、名前はタエであること、死んだのは一六歳の時だったということが明らかになりました。
 筆者は、それ以上セッションを続けることができず、早々に里沙さんを覚醒させました。彼女の生々しい前世の死に際を目の当たりにして、戦慄を覚え、彼女の生きる指針をつかませるところまで持っていくだけの余裕が持てなかったのです。
 結局、不完全燃焼のまま、早々にセッションを切り上げてしまいました。
 果たして彼女は、このセッションの夜から三日間ほど、タエが苦悶しながら溺死する恐怖の夢を見たということです。
(つづく)

2011年10月4日火曜日

数百回もの生まれ変わりがなぜあるのか

紹介してきたSAM前世療法の作業仮説その1・その2・その3に基づいてセッションをしてきた結果、分かってきた魂の成長・進化と生まれ変わり回数に関することです
生まれ変わりの回数については、科学的検証はできません。
ちなみに、私の生まれ変わり回数は、現世が369回目であると私あて霊信は告げています。
また、今かかわっている男性クライアントの守護霊は、彼の生まれ変わり回数を459回目だと告げています。
「ラタラジューの事例」を語った里沙さんの守護霊は、彼女は3回目の生まれ変わりであると告げています。
ここでは、信頼性の高い里沙さん守護霊の語りに焦点を当てて、また多くのクライアントの語りを参考にして、生まれ変わりの回数が数百回も必要である理由について考察してみたいと思います。
里沙さん守護霊やセッションで語られるところによれば
①生まれ変わりの決定は、霊界次元で魂と守護霊、あるいは神との間の契約による。
②契約とは、魂の成長進化のために乗り越えるべき人生の課題を決めることである。しかし、魂が現世の肉体に宿ったときを境にして契約内容は忘却される。
③急速な成長進化を望む魂の願いは、苦難の人生を自ら選ぶことによって叶えられる。里沙さんの魂はそれを選んでいる。初回は16歳のタエとして人柱になって落命した。2回目はラタラジューとして貧困のナル村村長の苦労を重ねた。現世では脊柱側湾症の痛みに耐える人生を送っている。つまり、人生上の負荷が大きいほど成長進化は促進される。
④だから、生まれ変わりをするからといって、成長進化が保障されたわけではない。成長進化の機会が与えられたということである。選び取った人生で、成長進化するための課題に立ち向かう生き方をするかどうかは、それぞれの魂の主体性に任されているらしい。
⑤したがって、生まれ変わりの回数分に比例して、急角度の右肩上がりに直線的成長進化がおこなわれることは稀だと考えられる。停滞やわずかな成長進化を繰り返すことがほとんである。
⑥多くは、生まれ変わりによる成長進化の機会を生かせずに、前世と同様の過ちを繰り返し、成長進化に資することのない足踏み状態(停滞)の人生を繰り返す。あるいは、わずかな成長進化しかできない人生を繰り返す。右肩上がりではなく水平線状、ないし極めてなだらかな右肩上がりの成長進化でしかない。
⑦このことは、ソウルメイトと呼ぶ魂どうしとして、夫婦・親子・兄弟・ライバル等の関係で生まれ変わりながら、敵対関係や憎み合う関係を繰り返す事例が稀ではないことからも推測できる。
⑧里沙さん守護霊の語り、セッションでのクライアントの語りから判明してきたこうした事実を重ね合わせてみると、生まれ変わりを卒業するためには、数百回の人生を繰り返すことはむしろ当然である。魂の成長進化は容易ではないと言えそうである。
⑨こうしたことは、魂の表層には、不本意な人生によって生じた傷に苦しむ前世のものたちが、今もその苦悩を訴え続けて顕現化する、というセッションにおける意識現象の数多くの事実からも裏づけられる。
現段階で言えそうな、数百回もの生まれ変わりの理由は以上のようなことです。

2011年10月3日月曜日

SAM前世療法の作業仮説その3

作業仮説その2「霊体仮説」で、「意識・潜在意識」は霊体に宿っていると述べました。
それでは、意識・潜在意識は、霊体がつくり出しているのでしょうか。
霊体ではありません。もちろん脳でもありません。
「心(魂)・脳二元論」は、脳が意識・潜在意識をつくり出す立場はとりません。
そこで、意識・潜在意識を作り出しているものを想定する作業仮説その3が必要になります。

「意識・潜在意識は、魂の表層を構成している前世の人格たちがつくり出している。前世の人格たちは、当時の感情そのままで今も生きている。彼らは互いに友愛を結び、それぞれの人生で得た知恵を分かち合っている。こうして魂の表層全体は、成長進化へ向かうようにできている。現世の『私』も魂の表層の一つである。こうして、魂の表層にある『私』は、他の前世の人格たちの影響を良かれ悪しかれ受けないわけにはいかない」

これが作業仮説その3、「魂の表層仮説(二層構造仮説)」です。

この作業仮説その3で、霊信の告げたこと以外の私の推論は、「前世の人格たちは、当時の感情そのままで今も生きている」、「魂の表層にある『私』は、他の前世の人格たちの影響を良かれ悪しかれ受けないわけにはいかない」という部分だけです。

以上、SAM前世療法の3つの作業仮説の骨格として必要なことすべては、霊信が教えてくれたというわけです。こうした魂と霊体等に関する情報を受け取った私は、あまりに奇怪で信じ難い内容に驚きと戸惑いを禁じ得ませんでした。しかし、催眠研究を志し、潜在意識を扱うことができる私は、霊信からの情報の検証が可能な条件に恵まれています。そこで、霊信に対して半信半疑ながら、霊信内容を作業仮説として設け、実験と検証に取り組むことにしたのです。その結果、作業仮説が成り立つとしたら、それをもたらした霊信の恩恵は計り知れないものになります。

魂の表層を構成している前世人格たちが、意識・潜在意識をつくり出しているなら、潜在意識をどんどん遡行していけば、やがてその源である魂状態ないし、その表層に存在する前世人格たちのどれかに行き着く可能性があると考えられます。

こうして、作業仮説2で説明したような、霊体に宿る潜在意識を指に移し替え、指によって魂状態まで遡行させるという技法が編み出され、実験と検証をしていくことになりました。

具体的には、記憶催眠レベル以上のきわめて深い催眠状態まで誘導後、ひとさし指に潜在意識を宿らせ、「指が上下運動をするたびに魂の状態に遡っていく。やがて魂状態に至ると指は止まる」と暗示します。

指が上下運動を停止したところ(指の遡行運動開始後約5分)で、「今、あなたは魂状態に戻りましたか?」と確認すると、「はい」という回答が戻ってきます。
催眠誘導開始後、魂状態までに至る時間は約30分です。
こうして魂状態に至れば、魂表層の前世人格たちの誰でも呼び出すことが可能です。あるいは、魂状態に至った時点で、癒しを必要とし、苦しんでいる前世人格が自ら顕現化して待ち受けています。

この魂状態遡行の成功率は、現在90%です。医師4名、大学教授3名にも実験して成功していますから、潜在意識の深奥には誰にでも「魂の自覚」が存在することは間違いないと思われます。

応答型真性異言で会話したネパール人の前世人格ラタラジューは、これまで述べてきた3つの作業仮説によって編み出されたSAM前世療法で魂表層から顕現化した人格です。

ラタラジューの応答型真性異言が生まれ変わりの証明であり、これが新たな事実によって覆らない限り、SAM前世療法の3つの作業仮説は正しいと判断して差し支えないと考えています。
したがって、

魂は存在する、

生まれ変わりはある、
魂の表層は前世人格たちによって構成されている、
彼らが意識・潜在意識をつくり出している、
つくり出された意識・潜在意識は霊体に宿っている、
と告げている私あて霊信内容は信憑性が高いと判断でき、そのことは通信霊の存在、霊界という次元の存在を間接的に証明していると考えています。

そして、私からSAM前世療法を学んだ人によって追試がおこなわれ、魂遡行と前世人格の顕現化に成功した報告を受けています。

また、SAM前世療法を体験した多くのクライアントの報告(mixiコミュ「前世療法の探究」のトピ「体験報告」)を読んでいただければ、作業仮説どおりに魂表層に存在する前世人格の顕現化現象が起こることが了解していただけると思います。

私が創始したSAM前世療法には、当然のことながら先行研究がありません。手探りで切り開いてきたわけですから、今後の探究の展開によって作業仮説が修正されていくことは十分あり得ます。

そして、後継者による追試によって、作業仮説がさらに精緻なものに修正・変更・進化していくことを楽しみにしています。
そのことは、魂の仕組み、生まれ変わりの仕組みとその実在を、SAM前世療法という道具によって明らかにし、説得力ある科学的事実として証明していくことになるはずのものだからです。

2011年10月2日日曜日

SAM前世療法の作業仮説その2

作業仮説その1は、少数ながら優れた科学者が提出している「心(魂)・脳二元論」でした。
しかし、作業仮説その2は、おそらく私の提示以外だれも唱えた人はいないでしょう。
「意識・潜在意識は『霊体』に宿っている。霊体は、身体と魂をくまなく覆う透明の防護服のような働きをしている。霊体の色が、オーラである。霊体は半物質的な要素を持ち、身体と密接につながっている。したがって、霊体に宿っている潜在意識を、身体のどこにでも宿らせることが可能である」
 
以上が、作業仮説2です。「霊体仮説」と呼んでいます。
そして、「意識・潜在意識は霊体に宿っている。霊体は、身体とその中に存在する魂をくまなく覆う透明の防護服のような働きをしている。霊体の色が、オーラである」という仮説の前半は、M子さん経由の霊信が告げたことです。
仮説後半の、「霊体は半物質的な性質を持ち、身体と密接につながっている。したがって、霊体に宿っている潜在意識を、身体のどこにでも宿らせることが可能である」という部分については、私の推論から導き出したものです。
ふつうの人には霊体の色であるオーラを見ることはできません。しかし、里沙さんには見えると言います。しかも、身体の病める部分のオーラが黒ずんで見えるそうです。
そこで、里沙さんには情報を一切与えず、腰痛持ちの知人S氏のオーラを見てもらったところ、腰部分のオーラが黒ずんでいることを指摘し、腰部分が病んでいることを言い当てるという検証結果を得ています。また、オーラの澄み具合、濁り具合で、体調の善し悪しが判断できるとも言います。
こうした事実から、霊体は、身体と密接なつながりを持つ半物質的なものではないかと推測されます。身体と霊体とが相互影響関係にあるとすれば、霊体に物質(身体)的要素があるからこそ、物質である身体の状態が、霊体に反映されると考えられるからです。当然、その逆も起こります。霊体の状況が身体に反映されるということです。
このように、霊体が物質的要素を持っているからこそ、霊体と身体とが相互に影響を及ぼし合うことが起こると考えられるというわけです。
そして、霊体と身体の結節点がチャクラと呼ばれているものではなかろうかと考えられます。
したがって、チャクラからヒーリングエネルギーを入れることによって、霊体全体を癒し、それを身体全体の癒しに繋げることができると推測し検証中です。霊信によれば、スピリットヒーリングには霊体を癒す力があると告げているからです。これまでの検証では、推測を裏付ける結果を得ています。
こうしたことから、霊体に宿っている潜在意識を、霊体とつながりのある身体のどこにでも移し替えることが可能ではないかという着想が生まれました。
米国の催眠療法家L・M・ルクロンは、催眠下の潜在意識に対して質問し、情報を引き出す「観念運動応答法」を提唱しています。ルクロンのことばで観念運動を説明すれば、「下意識(潜在意識)に支配された動作のこと」ということになります。ただし、ルクロンは、潜在意識は脳がつくり出していると考えているようです。
具体的技法は、潜在意識に指の運動を支配させ、質問に対して、イエスなら親指を立てる、ノーなら小指を立てる、分からないなら中指を立てる、という動作のルールを潜在意識と約束し、質問に対して指の動作で回答をさせます。にわかに信じ難い技法ですが、かなりの数の実験をしてその無意識的に起こる動作による回答が検証できています。
そして、被験者は、指の動作を意識的にしている自覚は全くないことを確認しています。
指は、無意識的に勝手に動作を起こすと報告しています。
こうしたことから、霊体に宿っている潜在意識を、指そのものに移し替え、指を潜在意識そのものが宿ったものとし、その指の動作によって、たとえば魂状態へと導かせることができるのではないか、という着想を得ることができました。
この、潜在意識の宿る指の動作によって、魂状態まで導かせるという技法こそ、作業仮説2によって編み出されたSAM前世療法独自の奇想天外な技法です。
なぜ、指に宿らせた潜在意識によって、魂状態へと導かせるようなことができるのか、その理由は、次回に述べる作業仮説その3にあります。

2011年10月1日土曜日

SAM前世療法の作業仮説その1

SAM前世療法の作業仮説は、私あて霊信のうち、第12霊信の通信霊からの回答(公開済み)が基盤となっています。脳・心・魂・意識・潜在意識の相互関係についての通信霊からの回答内容です。
作業仮説とは、「その仮説が事実によって否定されないかぎり、ひとまず真理であるとみなしておく仮説」だと定義しておきます。なぜ、作業仮説が必要か。
それは、ある事象・現象のメカニズムの探究を進めるための有用な道具として設定しなければ、探究にとりかかれないからです。
この定義にしたがうと、地球科学では、ウェゲナーの「大陸移動説」などは壮大な作業仮説です。
心理療法では、精神分析学を創始したフロイトの「汎性欲論」や、ユングの「元型論」も作業仮説です。
そして、SAM前世療法の「心・脳二元論」も作業仮説です。
私の思いとしては、フロイトやユングの提示した「汎性欲論」や、「元型論」が作業仮説として認められるのであれば、それが霊信の告げたことに基づいているからといって、「心・脳二元論」が認められないという理由にはならないと考えています。
生まれ変わりを認める立場では、一般的に流布されている「心・脳一元論」仮説を、論理的帰結として 認めることはできません。
電気信号と化学変化のシステムの固まりである脳という物質が、心(意識・潜在意識)をつくり出しているという一元論に立てば、脳の消滅とともに心は作り出されなくなり、心(記憶)のすべては無に帰することになります。前世の記憶などがあるはずがない妄想だということになります。
しかし、私は「ラタラジューの事例」によって、応答型真性異言を証明し、この現象が生まれ変わり以外に説明のしようがないと確信を持つに至っています。
とすれば、脳以外に、生前の記憶を保持している何らかの意識体を想定しないかぎり、ラタラジューという前世人格が顕現化する超常現象が説明できません。死後存続するこの意識体を、とりあえず「魂」と呼んでおきます。これを、生まれ変わり研究の第一人者イアン・スティーヴンソンは、「心搬体(サイコフォー)」と呼んだらどうかと提案しています。
したがって、「心・脳二元論」を、SAM作業仮説では「魂・脳二元論」と言い換えることができます。
人間は、「脳」とは別個の「魂」と呼ぶ意識体を蔵しており、「魂」は「脳」の消滅後も存続する、
これが生まれ変わりを認めるSAM前世療法の第1の作業仮説です。
そして、現代科学(唯物論)の知の体系に真っ向から対立する作業仮説です。
しかしながら、「心(魂)・脳二元論」は、W.ペンフィールド、J・エックルズ、R・スペリーなど少数の優れた脳科学研究者が、自らの実験結果の末表明しており、けっして真新しい仮説ではありません。
臨床動作法(催眠を母体にして生まれた心理療法)を創始した世界的催眠学者、成瀬悟策医学博士も、講演のなかで「脳は心の家来です」という表現で、自らの催眠実験研究の末、「心・脳二元論」に至り、それを表明していると思われます。
唯物論科学の知の体系に染まりきっている現代人は、「霊魂」と聞くだけで非科学的だと腰が引け、そうしたことばを回避して唯物論枠内の説明原理を無理矢理ひねり出したり、それができないとなると、無視することが常態になっていると思われます。
こうした常態が生じているのは、「非科学的」ということばに対して、「唯物論の知の体系」と「科学の方法論」の混同があるからだと思われます。この混同が「知の体系」から外れた現象・事実、あるいはそれへの研究をすべて「非科学的」だと決めつけてしまう偏向を生み出していると思います。
「非科学的(態度)」とは、論理的思考、合理的検証、先行研究との照合など「科学の方法論による検討を経ないで、その現象・事実を真理だと鵜呑みにする短絡的態度のことを指して言うことばです。