2011年7月7日木曜日

SAM前世療法の謎

SAM前世療法には、一般のワイス式前世療法と比較して、いくつかの解明できていない謎があります。
ワイス式前世療法でうまくいかなかったクライアントで、SAM前世療法で成功しなかった事例は今のところありません。両方の前世療法を経験したクライアントは20名を超えています。

この両方を経験したクライアントが報告される大きな共通項は2つあります。
①催眠中の意識状態が明らかに違う。SAMの場合、ワイス式と比べてうんと深い意識状態に入ったという自覚がある。

②ワイス式ではセラピストの質問に対して口頭で答えられるのに、SAMの場合には魂状態に至ると口頭で答えることができなくなる。

①について、ワイス式では、催眠学に則った心理学系催眠法の「催眠深度」を尺度によって確認することなく誘導が進められるので、どの程度の催眠深度に至ってセッションがおこなわれているかが不明です。

かつて、私がワイス式でおこなっていた前世療法では、「運動催眠」→「知覚催眠」→「記憶催眠」の順に、催眠深度を成瀬悟策の「標準催眠尺度」を用いて確認し、「記憶催眠」レベルの深度到達後、年齢退行によって子宮内まで退行し、その先の「子宮に宿る前の記憶(前世記憶)」に戻ります、という暗示をしていました。

しかし、私の知る限り、ワイス式体験者は、「記憶催眠」より浅い催眠体験である印象を受けます。

催眠学の明らかにしているところでは、「知覚催眠」レベルでは、五感が暗示通り知覚されます。

したがって、さまざまな幻覚を暗示によってつくり出すことが可能です。
また、創造活動が活性化され、自発的にイメージが次々に現れるようになります。それで、被験者は、そうした自発的に出てくるイメージに対して、自分が意図的にイメージをつくり出しているという意識をもつことはありません。つまり自発的イメージは架空のものとは感じられず、自分の中に潜んでいた真実の記憶がイメージ化して現れてきたという錯覚をもつ可能性があるということです。
こうした催眠中のイメージ体験の性格を根拠にして、大学のアカデミックな催眠研究者は、前世療法における前世の記憶はセラピストの暗示によって引き起こされた「フィクション」であると口をそろえて主張します。私の敬愛してやまない成瀬悟策先生もこうした立場をとっておられます。

SAM前世療法では、必ず「知覚催眠」レベルの深度に至っていることを標準催眠尺度を用いて確認します。知覚催眠レベルに至ることがない深度で、魂状態の自覚まで遡行できないことが明らかになっているからです。そして、知覚催眠に至れば、ほぼ誰でも記憶催眠に至ることも明らかです。

したがって、SAMでは記憶催眠レベルの確認はおこないません。記憶催眠を突き抜けて、さらに深度を深めていきます。標準催眠尺度では測れない「魂遡行催眠」と私が名付けているレベルにまで深めます。身体の自発的運動は停止し、筋肉・関節の完全な弛緩状態にもっていきます。
SAMではこうした意識状態にまで誘導するので、ワイス式より深い意識状態に至ったという報告が共通してされるのではないかと推測しています。

②については、その解明は容易ではありません。

 
SAMの魂遡行状態では、顕現化した前世人格が口頭で答えられる割合は5人に1人、約20%しか口頭で話せません。5人のうち4人までが、どうしても口頭で答えることができないと答えます。
ワイス式ではこうした音声化できないことは起こりません。
ワイス式体験者は、誰でも前世記憶のビジョンを口頭で報告することが可能です。
この口頭で話せないという現象は、SAMの催眠深度がワイス式よりも深く、筋肉の弛緩状態がきわめて深く、声帯も弛緩し切っているので発音できないのではないか、という推測は的外れのようです。

どうも、SAMの作業仮説に理由が求めることができるのではないかと考えています。
ワイス式では、「前世の記憶として現れるビジョンをクライアントが報告する」という前提になっています。あくまでクライアントが「前世記憶を想起し報告するのです。

SAMでは、「顕現化した前世人格が、クライアントの身体を借りて対話する」という作業仮説でおこないます。したがって、クライアントは、まず、前世人格の喜怒哀楽の感情を共体験します。ビジョンは、それにともなって体験することになります。感情のみの共体験で終わる場合もあります。療法としての治癒効果は、ビジョンより感情のほうが有益ですから、それでいいと思っています。

私の対話相手はクライアントではなく、意識体として当時のままの感情で生きている、身体をもたない、前世人格という死者なのです。

死者である前世人格は、身体を失ってすでに長い時間を経ている存在です。

そこで、何人かの前世人格に、なぜ話すことができないのかその理由を指で回答してもらうことを試みたところ、「声帯の使い方を忘れているからどうしても声に出すことができない」という回答でした。
指やうなづくという単純な動作なら、現世の身体を借りてその動作で回答することが可能であるということでした。
一理あるとは思いますが、さらに探究する必要があると思っています。
ここで注目すべきは、SAM前世療法においては、クライアントは前世人格の霊媒的な役割を担うということです。

私は、クライアントの意識の中に憑依的に顕現化した死者である前世人格と、声帯にしろ指にしろクライアントの身体を借用して自己表現をする前世人格と対話するという形をとっているのです。
つまり、クライアントは、自分の身体を自分の魂の表層に存在する前世人格に貸している霊媒的役割を担うことになっているということです。
前世人格は、現世の身体を媒介にして、現在進行形で私と対話をしている、これがSAM前世療法の構図になっているということです。
そしてまた、このような作業仮説に基づく前世療法は、SAM以外にありません。
そして、このような信じがたい構図は、「ラタラジューの事例」によって証明されたと思っています。

里沙さんの前世人格ラタラジューは、セッション中にネパール語話者カルパナさんと次のような現在進行形でのやりとりをしています。
里沙  Tapai Nepali huncha?

   (あなたはネパール人ですか?)
カルパナ  ho, ma Nepali.

   (はい、私はネパール人です)
里沙  O. ma Nepali.

   (ああ、私もネパール人です)
 つまり、前世人格ラタラジューは、今、ここにいる、ネパール人カルパナさんに対して、「あなたはネパール人ですか?」と、明らかに、今、ここで、問いかけ、その回答を確かめているわけで、「里沙さんが潜在意識に潜んでいる前世の記憶を想起している」という解釈が成り立たないことを示しています。

ラタラジュー は、現世の里沙さんの身体(声帯)を借りて、自己表現している存在です。
里沙さんは、カルパナさんとラタラジューのネパール語会話の媒介役として、つまり霊媒的役割としてラタラジューに身体を貸している、とそういうことにほかなりません。それは、このラタラジューのセッション後に記録されている以下の体験談からも垣間見ることができるでしょう。
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セッション中とその後の私の心情を述べたいと思います。こうした事例は誰にでも出現することではなく、非常に珍しいことだということでしたので、実体験した私が、現世と前世の意識の複雑な情報交換の様子を細かく書き残すのが、被験者としての義務だと考えるからです。

 思い出すのも辛い前世のラタラジューの行為などがあり、そのフラッシュバックにも悩まされましたが、こうしたことが生まれ変わりを実証でき、少しでも人のお役に立てるなら、すべて隠すことなく、書くべきだとも考えています。
 ラタラジューの前に、守護霊と稲垣先生との会話があったようですが、そのことは記憶にありません。ラタラジューが出現するときは、いきなり気がついたらラタラジューになっていた感じで、現世の私の体をラタラジューに貸している感覚でした。タエのときと同じように、瞬時にラタラジューの七八年間の生涯を現世の私が知り、ネパール人ラタラジューの言葉を理解しました。
 はじめに稲垣先生とラタラジューが日本語で会話しました。なぜネパール人が日本語で話が出来たかというと、現世の私の意識が通訳の役をしていたからではないかと思います。でも、全く私の意志や気持ちは出て来ず、現世の私は通訳の機器のような存在でした。悲しいことに、ラタラジューの人殺しに対しても、反論することもできず、考え方の違和感と憤りを現世の私が抱えたまま、ラタダジューの言葉を伝えていました。
 カルパナさんがネパール語で話していることは、現世の私も理解していましたが、どんな内容の話か詳しくは分かりませんでした。ただ、ラタラジューの心は伝わって来ました。ネパール人と話ができてうれしいという感情や、おそらく質問内容の場面だと思える景色が浮かんできました。現世の私の意識は、ラタラジューに対して私の体を使ってあなたの言いたいことを何でも伝えなさいと呼びかけていました。
そして、ネパール語でラタラジューが答えている感覚はありましたが、何を答えていたかははっきり覚えていません。ただこのときも、答えの場面、たとえば、ラタラジューの戦争で人を殺している感覚や痛みを感じていました。
 セッション中、ラタラジューの五感を通して周りの景色を見、におい、痛さを感じました。セッション中の前世の意識や経験が、あたかも現世の私が実体験しているかのように思わせるということを理解しておりますので、ラタラジューの五感を通してというのは私の誤解であることも分かっていますが、それほどまでにラタラジューと一体化、同一性のある感じがありました。ただし、過去世と現世の私は、ものの考え方、生き方が全く別の時代、人生を歩んでいますので、人格が違っていることも自覚していました。 ラタラジューが呼び出されたことにより、前世のラタラジューがネパール語を話し、その時代に生きたラタラジュー自身の体験を、体を貸している私が代理で伝えたというだけで、現世の私の感情は、はさむ余地もありませんでした。こういう現世の私の意識がはっきりあり、片方でラタラジューの意識もはっきり分かるという二重の意識感覚は、タエのときにはあまりはっきりとは感じなかったものでした。

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「ラタラジューが呼び出されたことにより、前世のラタラジューがネパール語を話し、その時代に生きたラタラジュー自身の体験を、体を貸している私が代理で伝えたというだけで、現世の私の感情は、はさむ余地もありませんでした」

という里沙さんの述懐は、彼女がラタラジューに「体を貸している」霊媒的役割を果たしたことを如実に語っていると思います。
イアン・スティーブンソンは、退行催眠中に現れた信頼できる応答型真性異言を2例あげています。

「ラタラジューの事例」を含めると、世界でこれまでたった3例の応答型真性異言しか発見されていません。ともにアメリカ人の女性2名に現れた「イェンセンの事例(スウェーデン語)」と「グレートヒェンの事例(ドイツ語)」です。
ちなみに、スティーヴンソンも、私と同様、顕現化した前世人格を「トランス人格」と呼んで、真性異言の話者を、クライアントとは別の人格が現れていると考えています。つまり、クライアントが前世の記憶として真性異言を語ったとは考えていません。
生まれ変わりが普遍的事実であるならば、なぜもっと多くのクライアントが応答型真性異言を話せないのか、これは、ほんとうに大きな前世療法の謎です。

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