2011年12月31日土曜日

SAM前世療法における治療構造仮説

SAM前世療法のセッションにおける三者的構図
それでは、筆者が現時点でSAM前世療法の治療構造をどうとらえているのか、実践者としての実感的考えを述べてみたいと思います。
ただし、治療構造の説明というものは、どんな心理療法であれ、絶対的な実証ができるわけではなく、仮説に過ぎません。
ですから、ここで述べることも、当然、暫定的な仮説でしかありません。
SAM前世療法では、魂の表層は前世のものたちによって構成されており、それらのものたちが意識・潜在意識を作り出しているという作業仮説にしたがって、潜在意識をひたすら深め、それを作り出している源である魂の自覚まで導きます。
魂状態の自覚に至ったことが確認できれば、魂の表層に存在し、主訴に関わっている前世のものを呼び出します。
あるいは、魂の自覚状態に至れば、訴えや癒しを求める前世人格が自ら顕現化して待っています。
こうして顕現化した前世の人格と対話し、その苦しみや悲しみを共感的に傾聴します。
こうして、前世の人格が苦悩を語ることによって癒しを得ると同時に、前世人格とつながっている現世のクライアントの主訴も連動して改善が起こるというのが、SAM前世療法による治療の基本原理だと考えています。
このことつまり、こうした治療原理そのものは、通常のカウンセリングと何ら変わりがないものです。
ただカウンセリングの対象が生身の人間ではなく、肉体を持たない前世人格(死者)であるという点に違いがあるだけです。
したがって、カウンセラーは、クライアントと面接しているのではなく、クライアントの前世の人格と面接しているのだ、という明確な自覚のもとでセッションを進めることになります。
非常に信じがたい奇異なカウンセリングに映るでしょうが、SAM前世療法の作業仮説からしてみれば、当然の論理的帰結であり、クライアントの意識現象として現れる確かな事実です。
カウンセラーは、数百年前に人生を終え、当時のままの苦しみや悲しみの感情に苦悩しながら、今も魂の表層に生き続けている前世の人格(死者)と、対面するというわけです。
ラタラジュー人格もこうして顕現化し、ネパール語で会話したのです。
ラタラジューが真性異言で会話した事実は、彼が、けっして里沙さんの作り出した架空の人格ではないことを証明しています。
架空の人格が真性異言を話せるはずがありません。
ラタラジューはネパール人として生きたことがあるからこそ、ネパール語で会話できたのだと考えざるをえません。こうしたことから、魂の表層には今も前世の人格が生きて存在している、という作業仮説は正しい可能性があると思われます。
その一つの証拠が、ラタラジュー(CL)と、カルパナ(KA)さんの次のようなネパール語会話です。
CL  Tapai Nepali huncha?
   (あなたはネパール人ですか?)
KA  ho, ma Nepali.
   (はい、私はネパール人です)
CL  O. ma Nepali.
   (ああ、私もネパール人です)
この会話のラタラジュー(CL)という顕現化した人格は、カルパナ(KA)さんに対して、明らかに、今、ここで、問いかけています。
前世人格ラタラジューは、今も生きており、顕現化して問いかけているとしか考えられません。
こうした事実からも、里沙さんが、ラタラジューという前世の記憶を想起して語っているという説明は成り立たないのです。
それでは、前世人格が顕現中のクライアント自身の意識状態は、どうなっているのでしょうか。
これは治療構造の根本に関わる重要なポイントだと思われます。
既に紹介してきた里沙さんや他の体験者の手記からも分かるように、セッションの進行をモニターしているクライアントの意識は明瞭にあります。
つまり、前世人格の意識と現世人格のモニター意識が、併存状態のままでセッションが進行・展開していくということです。
クライアントの意識は、セラピストと前世人格の間で交わされる対話を聞いている第三者的オブザーバーの立場で、セッションに参加・同席していると理解してよいと思われます。
こうして、SAM前世療法においては、カウンセラー対前世人格の間で交わされる対話、そこに同席しモニターしている現世人格の意識という三者的構図になっていると言えるでしょう。
カウンセラーの質問に対して発話するのは前世人格です。
前世人格は、クライアントの肉体つまり、発声器官を用いて発話することになりますから、モニター意識からすると、勝手に、あるいは自動的に発話がされているという自覚を持つことになります。
それは前世人格が、悲嘆の場面に直面化したときに涙を流すという場合についても同様です。
前世人格がクライアントの涙腺を用いて涙を流すことになりますから、モニター意識はそれを自分が流している涙であるという自覚を持てないことになるのです。
ただしここで重要なことは、モニター意識は、単なるオブザーバーではなく、前世人格の苦悩やそれが癒されていく感情を、まさに自分のことのようにまざまざと共感的に理解しているということです。
つまり、前世人格の意識とモニター意識は、完全な分離状態として併存しているわけではなく、分離していると同時に強い一体感も持っている、ということです。
魂の生まれ変わりという視点から見れば、現世のクライアントは前世の生まれ変わりの結果ですから、別人格とはいえ、両者の意識は切っても切れない絆で密接につながっているはずで、同一性の感覚があるのは当然でしょう。
こうして、クライアントのモニター意識が、前世人格の語る苦悩の感情と、語ることによってもたらされる癒しの感情を共体験し、その前世人格の苦悩が潜在意識として現世の自分の意識に流れ込んで精神的諸症状を引き起こしていたということ、それが癒されたことを洞察するに至ると、それらの症状が改善に向かう、というのが現時点で筆者の考えている暫定的な基本的治療構造です。
同時に、SAM前世療法を体験したクライアントの多くが、次のような気づきを報告しています。
①自分の人格形成には、前世の人格の体験が多かれ少なかれ影響を与えているという気づきと、自分という個性が死後も存続することへの実感。
②現世の人生は、前世・現世・来世へと連綿とつながっている鎖の一つであるという超越的世界観への目覚めと、そこから自己の人生を再解釈し相対化していく超越的視点の気づき。
③魂状態での守護的存在者との出会いと、その存在者からの啓示ないし、メッセージによる被護感と、生まれ変わって現世を生きる意味への気づき。
これらはある意味で宗教的認識に類するものですが、あくまでセッションの過程で自ら気づき獲得していったものであって、カウンセラーである筆者が外部から注入したり押しつけたものではないことを確認しておきたいと思います。
これらのことを、クライアントが、少なくとも「主観的真実」として自ら深く実感した結果、新たな自己・世界解釈がなされ、そのことが自らの人生に、新たな意味づけ、価値づけ、方向づけを促し、そうしたスピリチュアルな体験を現実と統合していくことによって、症状の改善のみならず人格的、霊的成長をも促される、と考えてよいのではないかと思っています。
とりわけ里沙さんについては、すでに紹介した感想が示しているように、こうした認識が獲得されていったことが明らかにうかがわれます。
基本的には、こうしたSAM前世療法による催眠下で起こる超常的体験によって、最終的に「超越的視点の獲得」を可能にしていくのがSAM前世療法であり、他の心理療法には求めることの出来ない、独自・固有の存在意義はそこに由来すると考えていいのではないでしょうか。

2011年12月29日木曜日

魂と類魂のフラクタル構造

魂と類魂の成長進化のためのフラクタルな構造  
フラクタルとは「自己相似性」のことです。
あるパターンの全体を巨視的に見ても、微視的に細かな部分構造を見てもそっくり同じ姿になっていることを指しています。
例えて言えば、大から小へ同じ形で作られている細工物がフラクタルな構造(自己相似構造)の典型です。
こういった細工物は「入れ子細工」と呼ばれています。
大きいものに同じ姿の小さいものが入っており、そこにさらに小さい同じ姿なものが入っているという箱細工などを典型とするような細工物です。
フラクタルな細工物は人間が作り出したものですが、このフラクタルな構造は、それこそ、超大は宇宙の構造から超微小な混沌とした素粒子の運動形態にまで見られる普遍的な構造らしいことが分かってきました。
宇宙の周回運動を例にとれば、「月は地球の周りをまわっており、地球は太陽の周りをまわっており、太陽は惑星を引き連れて銀河系中心の周りをまわっており、銀河系は隣のアンドロメダ銀河の周りをまわっており、アンドロメダ銀河は乙女座銀河集団の周りをまわっている・・・というふうにサイズが一五桁にわたって入れ子構造を成しており、回転という共通した運動をおこなっている。
宇宙は壮大な入れ子細工なのである」(池内了『物理学と神』集英社新書、148頁)ということです。
フラクタルな構造についての説明が少々長くなりましたが、「宇宙の壮大な入れ子細工」から、超微小な素粒子の運動形態にまで「自然界の普遍的入れ子細工」の細工を施したのは、筆者には「創造主」であろうと思われます。われわれの三次元世界のフラクタルな構造は「創造主の摂理」なのでしょう。
そして、そのフラクタルな構造は、霊界次元における「魂」と「類魂」の仕組みにも一貫して存在していると考えられるのです。 
 一つの魂の仕組みは、その表層が前世のものたちによって構成されています。
それぞれの前世のものたちは互いに自分の地上の体験から得た学びを与え合い学び合って、一つの魂の表層を構成しています。
こうした魂の表層構造があるため、魂は一つずつ地上体験をするごとに魂全体の成長・進化を遂げることができるわけです。
この魂表層の構造は、全体としてみれば「多にして一」ですが、個々の前世人格から見れば「一にして多」ということになります。
こうした構造を持つ個々の魂は、同じレベルの成長・進化段階にある霊魂どうしがお互いに学びを得あう関係である「類魂」を形成し、ここでも「多にして一」、しかも「一にして多」という類魂内の学びの構造関係の中で類魂全体の成長・進化が図られているというわけです。
さらに、類魂には全体を指導する霊がおり、さらにその霊は高次の類魂の成員となって、さらに高次の指導霊に導かれていると言います。
こうして類魂は最小単位の一個の霊からより大きな類魂へ、さらにまた大きな類魂へと次々に統合されていくという成長・進化の構造を持っており、類魂のレベルとしてもフラクタルな構造になっているということが言えると思います。
個々の魂レベルの構造から類魂レベルの構造まで、さらに大きな類魂レベル、そしてまたさらに大きな類魂レベル・・・というようにフラクタルな成長・進化の構造は、われわれの三次元世界から異次元の霊界まで一貫して貫いている創造主の摂理として仕組まれているものだと理解してよいのではないでしょうか。

2011年12月28日水曜日

生まれ変わりと類魂・分魂の相互関係

生まれ変わりと類魂・分魂との相互関係

さて、魂と霊、そして生まれ変わりを認める立場に立つとき、生まれ変わりの仕組みはどのようになっているのでしょうか。

スピリチュアリズムの定評ある高級霊からの霊信(マイヤーズ霊の通信『不滅への道』春秋社など)によれば、生まれ変わりは非常に深遠な仕組みによっているもので、われわれ地上の人間の理解を超えるものだと言われています。

そこでスピリチュアリズムで今のところ明らかにされていることは後に述べることにして、まずは里沙さんの守護霊との対話、および2007年にM子さんを受信者として届いた自動書記による霊信で述べられていることの関係を検討し、次いでマイヤーズ霊の通信で述べられていることとの比較・検討をして、私の現在の見解をまとめてみたいと思います。

とはいえ、この見解の実証は不可能であり、推測の域を出るものではありません。 
2005年、「タエの事例」のセッションの中で筆者は、里沙さんの守護的存在者との対話で次のような回答を得ています。

①愛された者が死後次の生まれ変わりを果たしていても、後で中間世に行った愛する者の霊と愛された者の霊は中間世で必ず出会える。

②死後中間世に行った霊は、自分(守護的存在者)の一部になる。

さらに2009年、「ラタラジューの事例」では、里沙さんの守護的存在者は次のように述べています。

③魂はすべて「霊界の意識」とつながりながら分かれたものである。

④魂のつながっている「霊界の意識」を「類魂」と呼び、その類魂から分かれて「魂」となって生まれ変わるという考え方は真実に近い考え方である。(ただし、類魂は私から尋ねた際に用いた言葉です)

⑤自分は類魂としての守護霊である。自分のことをハイヤーセルフと呼んでもよい。
また、2007年にM子さんの自動書記による霊信では次のように述べています。

⑥魂のはじまりは「ある意識」から生じる。その「ある意識」をあらわす言葉はあなた方の世界では存在しない。
「意識体」としか表現できないものである。
魂は転生するもの、旅人である。だが「意識体」は転生をしないものである。

⑦転生する魂と転生しない「意識体」はつながりを持ち、お互いが学びを得あう関係である。
転生しない「意識体」がガイドとなり、転生する魂は旅をおこなう。
両者に縦関係があるがゆえのそういった構成ではなく、ただ、そうあるべきものであるだけだ。

以上の二つの霊の述べた①~⑦の関係を考察してみると次のように解釈できると思われます。
③の「霊界の意識」と⑥の「意識体」とは同じものを表現していると考えて差し支えないでしょう。
つまり、④の「類魂」ということになります。

したがって、類魂から個々の魂は分かれ出て転生し、②のように死後中間世で類魂と再び合体するということになります。
そして、類魂とそれに属する地上の魂はつながりを持ち、互いに学びを得あう関係にある、さらに類魂がガイドとなって、地上の魂を導く関係にあるということです。
この「類魂」を「守護霊」ないし「ハイヤーセルフ」と呼んでもよいということになります。
そして①のことを考え合わせると、個々の魂は類魂の中に自分の分身を残して転生するので、後から中間世に来た魂と必ず出会うことができる、ということらしい。

ここまでが、私の関わった霊の告げた内容から分かってきた生まれ変わりの仕組みということができます。
こうした類魂と個々の霊の関係を、マイヤーズ霊の通信と照らし合わせて検討してみます。
その教えるところによれば、霊界のそれぞれの成長・進化の階層における霊は、すべてが個々ばらばらに存在しているわけではなく、同じレベルの成長・進化段階にある霊どうしの共同体である「類魂」として「一つ」の意識に融合しているが、個々の霊の個性がなくなるわけでもないと言います。

個々の霊が集合し類魂を形成し、「多にして一」、しかも「一にして多」という、個と共同体の相互浸透関係があるというわけです。
こうした類魂内では、個々の霊の体験は類魂全体の体験として共有されます。
個々の霊の地上での成長体験は、個々の成長体験であると同時に、類魂メンバーの共有する成長体験にもなるのです。

こうして類魂全体が成長・進化するために、類魂メンバーの一つの霊が代表として地上の成長体験をするために生まれ変わりをします。
この地上の体験は死後、類魂へと持ち帰られ類魂全体へ還元し共有されるということがおこなわれているのです。
したがって、地上へ生まれ変わる霊は個として生まれ変わるわけですが、類魂という大きな意識共同体の一部としての生まれ変わりでもあるということです。

一方で、個々の霊がその地上生活でやり残した課題を果たすための生まれ変わりでもあるので、この意味では個としての生まれ変わりということになります。
こうして、生まれ変わりは、類魂の一部分としての生まれ変わりと一個の霊の課題を果たすための個としての生まれ変わりといういう二つの異なる目的が同時におこなわれるということになります。

マイヤーズ霊は、さらに複雑な仕組みを語っています。
ある霊が知的にも道徳的にも成長・進化したレベルに達すると、複数の魂の地上生活で作り上げてきた魂の枠組みのうち未熟な部分を合成し、別の新しい魂に託すと言います。
したがって、この新しい魂の中にある前世記憶は、自分のものではなく類魂内の別の複数の魂のものということになります。

そして、自らの魂の枠組みを託す魂と、託された新しい魂とは類魂関係にあるのでその体験は類魂として共有されるということになります。
こうしたマイヤーズ霊の語る生まれ変わりの仕組みと、私の体験した霊との対話および霊信とを比較・検討してみると、少なくとも、

①生まれ変わりは確かにある、

②生まれ変わりをする魂は類魂という魂の共同体の一員としてのつながりを持って生まれ変わる、

③生まれ変わる魂と類魂とは互いに学びを得合う関係にある、

という三点は共通項として取り出せると思います。
三つの霊が共通して語る三点は、個々の霊の恣意的思いつきではない、と受け取ってよいのではないでしょうか。

わずか一例ですが、ある女性クラアントが魂の自覚状態で、「仲間のところへ戻りたい、でもやり残したままで、まだ戻ることはできない」と泣き出したことがあります。

「仲間とは、霊界で待っているあなたと同じような成長・進化のレベルにあるグループのことで『類魂』という言い方をしてもいいのですか?」と尋ねると「そうです」という返事でした。

こうしたセッションの事実からも、「類魂」の存在は認めることができるのではないでしょうか。

2011年12月24日土曜日

前世人格に関する考察その3

(その2からのつづき)
③ 人格形成に及ぼす前世人格の影響

SAM前世療法の明らかにしてきた現象として、不都合な精神的症状や性格特性は、前世人格の持つ体験が多かれ少なかれ影響をもたらしている、という多くのクライアントの示す事実を無視することはできません。
こうしたことから、人格の形成の要因には遺伝と環境に加えて、前世人格の体験という第三の要因を考えるべきではないかという提案は、あながち的外れの誤りではないと思われます。
各種恐怖症、強迫観念、特異な能力、変わった性癖などは、精神分析的な回りくどい解釈を持ち出さなくとも、前世人格のそうしたことに関わる具体的体験や状況を探り、それに照らして理解したほうがよほどすっきりと解釈できることは確かです。
実際に、主訴に関わる前世人格の心的外傷を癒すことによって、少なからぬクライアントの諸症状の改善が連動して起こる事実は否定できません。
生まれ変わりと前世人格の影響を認めることは、人間の性格特性や特異行動を説明するうえで、従来の心理学上の様々な考え方で解釈するよりも、より説得力があるように思われます。
私には、人格上の不可解な特性などの理由を説明することが行き詰まったときに用いられてきた「生まれつきだ」という説明にならない説明は、前世人格からの影響を受けていると考えられる、という説明に置き換えることが妥当のように思われます。
したがって、今後多くの諸事例をさらに累積し分析をしていけば、現行の人格形成の理論的枠組みに、前世人格からの影響という要因を加えるなどの検討を迫ることになるかもしれないと思われます。
生まれ変わりの研究者イアン・スティーヴンソンが、バージニア大学の自らの研究室を「人格研究室」と名付けていたのは、上記のような考え方にもとづくものだと聞いています。
(つづく)

2011年12月23日金曜日

前世人格に関する考察その2

(その1からのつづき)
② 魂の二層構造仮説と前世人格の座

イアン・スティーヴンソンによって海外で発見された応答型真性異言と考え合わせると、前世人格の存在する座を魂の表層である、とするSAM前世療法の仮説の検証は、ますます意味深い作業になると思っています。
なぜならば、スティーヴンソンは、呼び出された「トランス人格(前世人格)」が真性異言を話すことまでは言及しても、その「トランス人格(前世人格)」の存在する座はいったいどこにあるのかまではっきり言及しようとしていません。
ただし、彼は、「前世から来世へとある人格の心的要素を運搬する媒体を『心搬体(サイコフオア)』と呼ぶことにしたらどうか」(『前世を記憶する子どもたち』359頁)とまでは提唱しています。
それは実証を重んじる科学者としてのスティーヴンソンの慎重な自制からでしょうが、SAM前世療法は、それ以上言及されなかった前世人格の存在する座までも検証することになるからです。
ところでスティーヴンソンは、次のような謎とその謎解きを次のように述べています。

「私が特に解明したいと考えている謎に、イェンセンやグレートヒェンが母語(注 スウェーデン語とドイツ語)でおこなわれた質問と同じく、英語でおこなわれた質問に対しても、それぞれの母語で答えることができるほど英語をなぜ理解できたのかという問題がある。
イェンセンとグレートヒェンが、かつてこの世に生を享けていたとして、母語以外の言葉を知っていたと推定することはできない。
二人は、したがって、自分たちが存在の基盤としている中心人物(注 英語を母語とする被験者のこと)から英語の理解力を引き出したに違いないのである」 (『前世の言葉を話す人々』春秋社、235頁)。

このことは、「ラタラジューの事例」にも当てはまる謎です。
なぜ、ネパール人前世人格ラタラジューが、知っているはずのない日本語を理解し、筆者と日本語で対話できるのかという謎です。
これはラタラジューが顕現化した第一回セッションからこだわり続けていた謎でした。
だから、応答型真性異言実験セッションの始めに「ラタラジューはネパール人です。それなのに日本語が分かるということは、翻訳、仲立ちをしているのは魂の表層の『現世のもの』と考えてよろしいですか? 」という質問を里沙さんの守護霊にしたのです。
これに対して、里沙さんの守護霊とおぼしき存在も、そのとおりだと認めています。
またこの存在は、魂レベルでは言語の壁がなくなり自然に分かり合えるとも告げています。
つまり、「魂の表層仮説」のように、魂の実在を仮定すれば、スティーヴンソンの「特に解明したい謎」に解答が出せるかもしれないということです。
魂の表層に存在し、ラタラジューとつながっている「現世のもの(現世の人格)」が通訳をしているという説明ができることになるかもしれません。
(つづく)

2011年12月22日木曜日

前世人格に関する考察その1

① 魂の自覚状態と前世人格の顕現化
「タエの事例」以後四年間の経緯と「ラタラジューの事例」によって、筆者は、「魂」や「生まれ変わり」および、「守護霊」の実在を認める立場をとることにためらわないようになっていきました。
この立場をとることは、これまでこのブログで紹介してきた筆者あての霊信で告げられている予言が的中していることや、通信霊団の存在を知らないはずの催眠中のクライアントに、筆者の守護霊を名乗る霊、霊団の一員を名乗る霊、あるいはクライアントの守護霊を名乗る霊の憑依とおぼしき現象が生じ、メッセージを伝えるということが度々起きていることからも、受け入れざるをえません。
何よりも「ラタラジューの事例」との出会いによって、生まれ変わりの事実を認めざるを得なくなったからです。
魂と守護霊の実在を認める立場をとる理由は、それが直感に著しく反していないからであり、それを認めることが不合理な結論に帰着しないからであり、その霊的現象が唯物論的枠組みからは説明できないからです。
SAM前世療法の作業仮説は、霊信の告げた魂の構造を前提にして導き出したもので、良好な催眠状態に誘導し潜在意識を遡行していくと、意識現象の事実として、クライアントが「魂の自覚状態」に至ることが明らかになっています。
この魂の自覚状態に至れば、呼び出しに該当する前世人格が魂の表層から顕現化し、対話ができることもクライアントの意識現象の事実として明らかになっています。
ラタラジューも、こうして呼び出した前世人格の一つであるわけで、その前世人格ラタラジューが真性異言で会話した事実を前にして、魂や生まれ変わりの実在を回避するために、深層心理学的概念を駆使してクライアントの霊的な意識現象に対して唯物論的解釈することは、現行科学の知の枠組みに固執した不自然な営みだ、と筆者には思われるのです。
魂の自覚状態、前世人格の顕現化という意識現象に対して、とりあえず事実は事実としてありのままに認めるという現象学的態度をとってこそ、SAM前世療法を実りあるものにしていくと思っています。
そして、クライアントの示す意識現象の諸事実は、現行科学の枠組みによる説明では、到底おさまり切るものではありません。
魂や生まれ変わりの実在を認めることを回避する立場で、あるいはすべて非科学的妄想だと切り捨てて、どうやって顕現化した前世人格ラタラジューの応答型真性異言現象の納得できる説明ができるのでしょうか?
ちなみに、応答型真性異言研究の先駆者イアン・スティーヴンソンも、「グレートヒェンの事例」において、真性異言で会話したグレートヒェンを名乗るドイツ人少女を、「ドイツ人とおぼしき人格をもう一度呼び出そうと試みた」(『前世の言葉を話す人々』春秋社、P11)と記述し、呼び出された前世人格を「トランス人格」(前掲書P9)と呼んでいます。
つまり、スティーヴンソンも、催眠下で「前世人格を呼び出し顕現化させる」、というSAM前世療法における筆者と同様のとらえ方をしています。
応答型真性異言現象を、被験者の「前世記憶の想起」だとはとらえていないのです。
おそらく、スティーヴンソンの研究対象にしたこの被験者も里沙さんのような高い催眠感受性を持ち、タエやラタラジューの人格同様、催眠下で一気に魂状態になり、その表層に存在している前世人格グレートヒェンが顕現化したと推測してよいように思われます。
(つづく)

2011年12月21日水曜日

SAM前世療法中の意識状態その2

(その1からのつづき)
② 商社マンの体験記

最初に僕の緊張をほぐす意味もあったのでしょう。ご自身の催眠や前世に対する考え方、スタンスを丁寧に話をしていただきました。
少し、休憩をはさんで、さあ、いよいよ催眠初体験です。
施術前に、まず簡単な被暗示性テストを受けることになります。
これは、僕が催眠にかかりやすい方なのかどうか、を判断するために実施するものだそうで。
結果は「良好」。
かなり素直な性格の方だから、すっと催眠に入れると思う、とのコメントでした。そうです、まさに実際にその通りの結果となりました。
まず、呼吸と術者の言葉による暗示により体の力が抜けて行きます。
その後、知覚催眠という、体の感覚が離れていく状態(たとえば、手を抓(つね)られても痛みを感じない状態)へと徐々に導かれます。
そして、自分の潜在意識に表に出てきてもらうよう誘導されます。 実際には、本当に不思議なんですが、頭ははっきりしています。
顕在意識は健在なんですね。(寒いダジャレです。すみません。)
負けず嫌いの僕ですから、何とかして顕在意識は手足を動かしてやろう、と企んでいます。
でも、潜在意識が表に出ている催眠状態では、自分の手足が動かないんです。
ただ、まったく怖くはありません。
さて、潜在意識が表に出ている状態ですが、術者とのコンタクトは指の動きで行います。
術者の質問には、顕在意識とは全く無関係に、指が反応するんです。
ここまで来ると、戸惑っていた顕在意識の僕も、流れに身を任せてみる気になりました。
Th いま、あなたの潜在意識は現世のものですか?
指 無反応
Th では、前世のものですか?
指 ピクンと反応
Th あなたは、どちらに生きておられたのですか? アジア?アメリカ?ヨーロッパ?
指 ヨーロッパに反応
Th いまから、ヨーロッパの国名を私が言います。あなたの国のとき、指で教えてください。.
指 ギリシャで反応
という感じで、セッションが進められます。
術前のインタビューで、僕は、「今の自分に一番影響を与えている前世を知りたい」と希望を出していました。
たぶん、そのことがすでに暗示になっていて、すっと前世のものが出てきたんだろう、と思われます。
結果、僕の前世のものはエナンという名の、ギリシャ・アテネに住んでいた哲学者だそうです。
彼は、戦争に自分の意に反して参加させられ、人を殺してしまった、という心の傷を持っているらしく、それが癒されないため苦しみ、それが現世にまで影響を及ぼしているらしいのです。
主に指を介したやり取りですが、そばでみていた友人によればコミュニケーションが進むにつれて、指の動きが激しくなっていたそうです。
 「これから、心を介してあなたの傷を癒します」
術者のそんな声が聞こえたかと思うと、胸の前に何やら温かいものが・・・。
後で友人に聞いたのですが、その時、術者は、僕の体には一切触れておらず、ただ、両手を胸の前にかざしてくれていただけだそうです。
その温かさを感じながら、僕は泣いていました。
ポロポロ涙を流しながら。
しばらく経つと、あれだけ温かかったものが、すうっと消えていきました。
「癒しが終わりました。さあ、これから現世のものと交代してください」
相変わらず、頭ははっきりしていますが、いつ自分が前世のものから現世のものに変わったのかは知覚できません。
でも「いま現世のものですか?」と問われたら指が反応します。
そして、五つ数えたら催眠から覚めます、と言われその通りに。
体は思い通りに動きます。まず涙をぬぐう。
今回は催眠自体が初の体験でしたから、多少の緊張があり、自分の体の重さを感じなくなるところまで顕在意識と体の切り離しは進みませんでした。
でも、少なくとも手足を動かすハンドルを持つ顕在意識の「手」はやさしく外され、そのハンドルを慣れない「潜在意識」が持った、そんな感覚がありました。
僕の前世が哲学者だった。違和感はあまりありません。
今回は、何らかの問題を抱えて催眠療法を受けたわけではありません。
ですから、悪かった症状が良化した、なんていう、「目に見える変化」が起こるわけではないと思います。
でも、術中に感じたやさしい温かさと、流した涙の意味は、これから徐々に自分に良い影響を与えてくれるんじゃないかな。
そう思います。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
①②の二名の体験者が語っているように、SAM前世療法においては、魂状態の自覚に至ると、前世の人格が顕現化して口頭で語る、あるいは指で回答して語るということが、意識現象として確かに起こることがお分かりになったと思います。
霊信に基づいた作業仮説は、少なくとも意識現象の事実としては成り立つと判断していいと思われます。
こうして、筆者の探究は、呼び出した外国人前世人格によってその外国語で会話ができる、という応答型真性異言の発見へと向かっていくことになったのです。
もし、それが発見できたとしたら、間接的に、魂の存在とその表層には前世の人格が存在するという仮説が証明されることになり、ひいては、その魂の構造などを告げている霊信(霊との交信)と通信霊の存在が真実である証明につながると考えたからです。  
そして、SAM前世療法による探究を始めて三年後に、魂の表層から呼び出した前世人格であるラタラジューが、ついに、応答型真性異言を示した事実を確認できたのです。
「応答型真性異言は超ESP仮説を打破し、生まれ変わりの最有力の証拠と認められる」、このスティーヴンソンの主張した仮説へのきちんとした反証は、今もって提出されてはいません。
したがって、「ラタラジューの事例」によって、日本においても生まれ変わりの事実はついに証明されたと宣言できると思います。

2011年12月19日月曜日

SAM前世療法中の意識状態その1

SAM前世療法における、典型的な意識状態を知っていただくために、男女二名の体験記録を紹介することにします。
女性の方は30代半ばのワイス式前世療法士で、ワイス式前世療法の意識状態との比較に触れているものです。男性の方は40代の大手商社マンで催眠中の意識状態を詳しく自己分析しています。
① ワイス式前世療法士の体験記
今まで、ワイス式の前世療法を学んできた私としましては、催眠誘導のアプローチの違いに多少の戸惑いはありましたが、もともと被暗示性の高い私は、スムーズにSAM前世療法の誘導に導かれていくことができました。
先生に、魂の表層の過去世のものを呼び出され、「どこの国の人ですか?」と問われ、私の中に「イ」という国のイメージが浮かび、先生から「インド?・・イギリス?・・・・「インカ?」とさらに尋ねられ、まさに「インカ」といわれた瞬間に、私自身が、手で顔を覆い、泣き呻き始めたことに驚きました。
そして、左胸を掻き毟るような動作をして「苦しい・・・」と。
そう彼女は、インカの時代に心臓をえぐられて、生贄になって死んだイルという名の20歳の女性だったのです。10歳の頃に、太陽の力を受けてそれを人々に伝えるような能力を持ち、生贄になったことも「人々のために自分が死ななくてはならない」と受け止めていたイル。
でも、その死は、やはり辛く、悲しい出来事だったに違いありません。
そんなイルの気持ちが、私の中に次から次へと込み上げてきました。
この前世の女性を先生にヒーリングで癒していただき、気持ちが次第に落ち着いていくことも感じることができました。
なぜか、ワイス式の前世療法と異なり、視覚的なイメージが浮かばないのに、感覚ですべてが分かるのでした。
そして、イルの前世の後、先生に現世のものへ誘導されたにもかかわらず、また違う前世へといってしまいました。それが、イルとは違い笑えました。
まず、男のような声で唸る自分に驚き、続いて鼻を鳴らしたり、また唸ったり、発する声が完全に男になっていたことに本当に驚きました。
彼は、ドイツの木こりでした。
結局のところ、彼はどうしてこの場に出てきたのかわからず、「なんでかな~」と唸りながら、首を傾げていました。そして、先生から「また今度、ゆっくりあなたのお話を聞きましょう」と諭された後、私は現世のものに戻って来ました。
今回の先生とのセッションは、私にとってとても印象深く、ちょっとした衝撃でした。
今まで学んできたワイス式では、どちらかと言うと「自分で作ってしまっているのではないか」という感覚がありました。
しかし、SAMでは、誘導から一っ飛びに、その前世人物が現れたり、明らかにその人物の男の声、しゃべり方になっていることを実感できたからです。
(つづく)

2011年12月15日木曜日

SAM前世療法の確立その6

(その5からのつづき)


(6) 「魂遡行催眠」によって前世人格が顕現化する現象
魂遡行催眠においてもっとも特殊な、奇想天外な技法は、最終段階で、人差し指に潜在意識を宿らせ、その潜在意識を担わせた人差し指に、「魂状態の自覚」まで導かせるという技法でしょう。
この技法の着想は、前述作業仮説の⑤⑥から生み出されたものです。
つまり、潜在意識の座は脳ではなく、身体全体を包む霊体に存在するわけですから、身体のどの部分であっても霊体(潜在意識)によって包み込まれていることになります。
霊信によれば、霊体の色がオーラであると告げています。
そして、里沙さんをはじめとするオーラが感知できる人々は、身体の不調部分のオーラの色が黒ずんで見えると言います。
こうした事実を認めるとすれば、霊体と肉体は相互浸透関係にあり、霊体は半物質的性格を持つであろうと思われます。だからこそ、物質である肉体の不調が霊体に反映するということでしょう。
この着想に基づいて、十分に深い催眠状態にまで誘導後、具体的には次のような暗示をします。
「今、私の手の平が包みこんでいる、あなたの人差し指が、これから潜在意識を担います。指そのものが潜在意識として働きます。潜在意識は魂の表層のものたちが作り出していますから、潜在意識が魂状態を一番よく分かっています。そこで、この人差し指つまり、潜在意識に魂状態まで導いてもらおうというわけです。これから、人差し指がこのように上下運動を始めます。一往復するたびに魂状態に導きます。やがて、魂状態に至ると、指は上下運動を止めてそれを知らせてくれます。さあ、私が支えを取っても指は動いて導きます」
作業仮説からすれば、肉体のどの部分にも霊体の持つ潜在意識を宿らせることが可能なわけで、手首を立てたり伏せたりさせることも実験しましたが、魂状態に至るまでの時間が5分以上かかると、手首の疲労が大きいという被験者の報告が少なからずあったので、結局、上下運動の負担の小さい人差し指に落ち着いたということです。
こうした魂遡行催眠を100例以上試みる実験を繰り返しました。
果たして、良好な催眠状態に入りさえすれば、例外なく、魂遡行催眠を始めて約5分後には「魂状態の自覚」に至ることが明らかになりました。
催眠誘導を開始してからの時間では、25~30分かけて魂状態の自覚に至ることになります。
魂状態の自覚について被験者の多くは、体重の感覚がなくなり、「私という意識だけ」としかいいようのない状態になる、肉体から意識が離脱しているといった感覚になる、と報告しています。
そして、「魂状態の自覚」にさえ至れば、呼び出しに応じて魂の表層に存在している前世のもの(人格)が顕現化するという現象が確認できていったのです。
この前世の人格が現れて自分の人生を語るという意識現象の事実は、次のような「タエの事例」の印象を裏付けるものでした。 
それは、前世の記憶をイメージとして見ているのではなく、完全に前世の人格と一体化し、今、再体験しているのだという実感と臨場感があり、その迫力に驚愕し圧倒されました。
さらに言えば、前世の記憶を現世の里沙さんが想起して語っているというよりは、「前世の人格そのもの」が現れ、自分の人生での溺死の場面を再現しているという強烈な印象を与えるものでした。
つまり、里沙さんが、タエであった「前世記憶の想起」をしたのではなく、彼女の魂の表層に存在するタエという「前世の人格」が顕現化し、その人生の場面を語ったという解釈こそ、妥当なものではないだろうか、ということです。里沙さんのような特異な催眠感受性の持ち主は、「魂遡行催眠」を経ずして、一気に魂状態への遡行ができ、タエの人格が顕現化したのだと思われるのです。
また、イアン・スティーヴンソンも、『前世の言葉を話す人々』春秋社、の中で、催眠中に真性異言を話す当事者を「トランス人格」(同書九頁)と呼び、深い催眠状態において被験者とは別の前世人格が顕現化しているととらえているようです。
こうして、一連の霊的作業仮説に基づいて、魂の自覚状態に遡行させ、魂の表層に存在する前世の人格を呼び出す、という作業仮説による前世療法は成り立つ可能性があるはずだ、と試みることへの期待を深めました。
そして筆者は、この霊的作業仮説による前世療法を、ワイス式と区別するために、「SAM(サム)前世療法」と名付けることにしました。
SAMのSはソウル、Aはアプローチ、Mはメソッドの頭文字を意味します。つまり、「魂に接近する方法」という意味を指しています。したがって、「SAM前世療法」とは、「魂に接近する方法による前世療法」ということを意味しています。
応答型真性異言現象をあらわした前世人格ラタラジューは、SAM前世療法によって顕現化した前世人格です。
しかも彼は、ネパール語で対話中に、現在進行形の対話をしています。
つまり、対話相手のカルパナさんに「あなたはネパール人ですか?」と問いかけ、そうですよと回答されて、「おお、私もネパール人です」と喜びをあらわしています。
この事実は、被験者里沙さんの前世の記憶の想起だとは解釈できません。
前世人格ラタラジューが、いま、ここに、顕現化しており、現在進行形でカルパナさんと対話しているとしか言いようのない現象です。
(つづく)

2011年12月13日火曜日

SAM前世療法の確立その5

(その4からのつづき)
(5) 霊的作業仮説によるSAM前世療法

「あなたが長年探究してきたものは、これまでの視点からは成長は望めない。なぜなら、もうすでにその観点での最終地まで達しているものが存在するからである。あなたが探究するべきものは、これまでよりもさらに深奥にあるものである。魂の療法のみならず、あらゆる霊的存在に対する奉仕となるものである。そのために、あなたは自らの内にある疑問をまとめておく必要がある。・・・私達でなければ答えられないものについて、まとめなさい」
と筆者あて第一一霊信は告げています。
これは、筆者のこれまでの前世療法では新たな展開は望めないから、さらに深奥にある「魂の療法」へと探究を進めなさい、そのために、人知では及ばない魂の秘密を自分たち霊的存在が教える、と解釈できるのではないか。
そして、そのように秘密の一端が明かされたということではないのか。
そのことは、これら霊的情報に基づけば、新しい「魂の療法」へと進められるという示唆だと受け止めるべきではないだろうか。
そのように納得できた筆者は、「前世記憶の想起」ではなく、「前世人格を呼び出す」という全く新たな前世療法開発のために、「心・脳二元論」に立って、(ただし、霊が告げた「心」の概念は、一般的な「心」の概念とは異なっていますから、正しくは「意識・脳二元論」に立つということになります)次のような作業仮説を設けることにしました。
①魂は表層と核の二層構造を持つ。
②魂の表層は「前世のものたち」と「現世のもの」から構成されている。
③「前世のものたち」は、互いに友愛を結び、それぞれの前世で得た知恵を分かち合っている。こうして、魂の表層全体の成長・進化がを図られるような仕組みになっている。
④魂の表層を構成している「前世のものたち」と「現世のもの」が、意識(顕在意識・潜在意識)を作り出している。「現世のもの」、とは、現世に生まれてから以後の意識を作り出しているものである。
⑤前世のものたちと現世のものとが作り出している意識の座は、脳ではなく霊体にある。
⑥霊体は、肉体と魂を包み込むように身体全体に存在する。
作業仮説とは、十分に成り立つだけの理論的整合性は備えていないが、とりあえず研究や実験を進めるための手段として立てる仮説です。
たとえば、フロイトの「無意識」やユングの「元型論」は、明らかに作業仮説でしょう。
フロイトやユングには認められた作業仮説が、霊的だという理由で認められないはずがないだろうと開き直る気持ちでした。
さて、この「魂の二層構造仮説」に基づいて「魂」の三次元モデルを考えるなら、ちょうどミラーボールのようなものだと想像できます。
そして、ミラーボールの表面(表層)に張り付いている鏡の断片の一つひとつが、それぞれ前世のもの(人格)ということになります。
表面の鏡の断片が互いに接しているように、前世のものたちも互いに友愛を結び、それぞれの人生で得た知恵を与え合っている、つまり、リンクしているというわけです。
そして、これら前世のものたちが、意識(顕在意識・潜在意識)を作り出しているわけです。
だとすれば、潜在意識を、どんどん深め手繰っていけば、それを作り出している源である魂の表層の前世のもの、または現世のものに辿り着くはずではないだろうか。
魂状態を知悉(ちしつ)しているのは、そこから作り出されているはずの潜在意識だということになるのではないか。であるなら、潜在意識を扱う催眠状態を用いて、これら作業仮説の検証が可能ではないか。
こうして、①~⑥の作業仮説によって、退行催眠実験を繰り返し、その結果、「魂遡行催眠」と名付けた独自の催眠誘導技法を編み出すことになっていきました。
その結果、魂状態に遡行が成功すれば、魂表層に今も意識体として存在する前世人格を必要に応じて呼び出すことが可能であることが確認できるようになっていったのです。
こうして呼び出した前世人格ネパール人ラタラジューが、ついに応答型真性異言現象を示し、作業仮説の正しいことを実証することになりました。
(つづく)

2011年12月12日月曜日

SAM前世療法の確立その4

(その3からのつづき)
(4) 「心・脳二元論」と前世療法
これまで紹介した一連の霊信の符合を偶然と見なすか、何らかの意図を持つ霊的存在による働きかけと考えるかは判断が分かれるでしょう。
が、筆者は後者の判断をとってみようと思いました。
だからといって、「エドガー・ケイシー」を名乗る霊、その他の霊の存在や、その告げた内容ををそのまま鵜呑みにしたわけではありません。
存在の真偽の判断はとりあえず留保し、告げられた内容のうち検証可能なところから手をつけてその結果を待って態度を決めていこうと思いました。
そして、まずは脳・魂・潜在意識・霊体などの関係についての霊信内容の真偽を検証してみる価値はあると思いました。 
前世療法の前提として、霊信の告げた「心・脳二元論」の立場をとることについては大きな抵抗はありませんでした。
「タエの事例」の解釈として、「心・脳二元論」に立って、生まれ変わり仮説(死後存続仮説)をとることが妥当であろうと判断していたからです。
「心・脳一元論」では、生まれ変わりなどありえないからです。
そして、「心・脳二元論」は極めて少数ながら第一級の脳科学者も唱えているからです。
筆者の畏敬する九州大学名誉教授で世界的催眠学者の成瀬悟策医博は、2004年明治学院大学における第29回日本教育催眠学会の講演で次のような見解を述べておられます。
「脳は心の家来です。・・・脳の病変によって動かないとされている脳性麻痺の動作訓練を催眠暗示でやってみると、動かないとされていた腕が動くようになりました。
しかし、脳の病変はそのままです。こうしたことから身体を動かすのは脳ではなく「おれ」であることにやっと気づきました。
私のこの考え方を正統医学は賛成しないでしょうが、21世紀の終わりには、私の言っていることが明らかになるでしょう」
成瀬悟策氏の言う「脳は心の家来です」とは、自らの催眠実験研究の結論としての「心・脳二元論」の立場の表明だと思われ、ちょうどその時期に前世療法によって顕現化する魂や霊的存在の解釈に思いを巡らしていた筆者に大きな示唆を与えていただきました。
この成瀬講演以後、筆者は、生まれ変わり仮説(死後存続仮説)を認める立場で前世療法をおこなっていくことに躊躇がなくなっていきました。
また、海外でも脳の優れた研究者であるW・ペンフィールド、J・エックルズ、R・スペリーなどが、自らの実験研究に基づいて「心・脳二元論」に至っているのです。
そして、一般に信じられている「心・脳一元論」、つまり、心は脳の付随現象であり、脳の消滅とともに生前に経験されたものはすべて無に帰してしまうという言説は、唯物論科学の立場から、その立場上構成されている信念や主張をそのまま表現したものであって、この言説自体は、科学的に確定された手続きによって、検証・証明されたものでは決してないのです。
生まれ変わりなどありえない、とする唯物論的立場は、科学的根拠のない信念・主張の域を出るものとは思われません。
およそどのような種類の科学的データ・事実を提示したら、この信念・主張が論証されたことになるか、雲をつかむような話ではないでしょうか。
さて、日本で一般におこなわれている前世療法のほとんどは、15年ほど前にブライアン・ワイス著『前世療法』の出版によって広められた催眠技法です。筆者もそれ以外に技法を知らなかったので「タエの事例」まではワイス式を用いていました。
しかし、ワイス式には前提となる前世記憶の所在についての仮説が明示されていないのです。
仮説がないと言ってもよいでしょう。
前世記憶がどこに存在するかは不問のまま、催眠状態をどんどん深め、扉やトンネル等のイメージを描いてもらい、そこをくぐった先の時空を超越した次元に入ったという暗示をすると前世記憶の場面が想起される、といった経験的事実によっておこなわれていると言ってよいと思われます。
したがって、前世療法と銘打っていながら、想起された前世記憶の真偽を問うことは棚上げされたまま、療法として治ればOKで済まされてきているようです。
あげくには「前世イメージ療法」などの呼び方まで提唱されています。いったい、「前世イメージ」とは何なのでしょうか?
筆者は、思い切って、「心・脳二元論」など、霊信に基づいた霊的作業仮説を採用し、それに基づいた前世療法に取り組んで、前世記憶の「果てなき真贋論争」を半歩でも前進させる検証事実を提示したいという思いを強くしていったのです。
(つづく)

2011年12月11日日曜日

SAM前世療法の確立その3

(その2からの続き)
(3) 憑依霊が告げた浄霊方法

ところが、前世療法の成否の理由を告げた第一二霊信の五日後、2007年1月28日のセッション中の女性クライアントに彼女の守護霊とおぼしきものが憑依し、前世療法を「妨げるもの」つまり、未浄化霊(この世をさまよっている霊)と呼ばれる霊的存在を、浄化によって排除する方法を教えてくれるという不思議な符合的出来事が起こりました。
まさに、第一二霊信の告げた「周りの協力」らしきことが起きたと思わざるをえませんでした。
クライアントは、筆者の知人の女性の姪に当たる40代の女性でした。
統合失調症の診断が下りているこのクライアントの主訴は、不幸続きの人生の原因を前世を知ることによって気づきを得、これからの人生の指針を考えたいというものでした。
統合失調症のクライアントを、深い催眠状態に入れることはタブーとされています。
そうした催眠に伴う危険性を説明した上で、敢えて前世療法おこなう事情により、知人の女性には証人としてセッションに同席してもらいました。
深い催眠状態にまで誘導したことを確認したところで、クライアントは、突然次のように語り出しました。
「今日は、前世療法の新しい展開を教えるために、神様のお使いで参りました。
これから、あなたに浄霊の仕方を教えます」
と。
どうやら、彼女の守護的存在が憑依したらしいと察した筆者は、動揺を隠して、その浄霊の方法を聞いてみることにしました。
それは第一二霊信の「周りの協力によって妨げるものの判断が下せるようになる」という文言と、前日のM子さんにおこなったセッションで、「これより先へと進むたび行うであろう霊信の口頭による伝達がある」とケイシーを名乗る霊の告げた文言とが頭をよぎったからでした。
その霊的存在が教えたことは、要するに、前世に戻れない場合は、その者に未浄化霊が憑依している可能性があるから、浄霊して霊界へと送り出してやりなさい、ということでした。その道具として、不動明王の真言と般若心経を用いなさいということでした。
同年3月21日、この女性クライアントの第二回セッションをおこないました。
このときも、初回セッションと同様「今日は、神様のお使いであなたに魂のヒーリングの仕方を教えに参りました」と言い出したのです。
その要点は、傷ついている魂の表層の前世のものたちは、心によって管理されている。
心は心臓を中心として広がっているから、心臓の前あたりで両手で心を包むように構えて、つまり心を通して前世のものたちをヒーリングするように、ということでした。
筆者は霊信との符合の不思議さに駆られて、憑依霊に「あなたは、私に霊信を送ってきた霊団との繋がりがあるのか」と尋ねてみました。
回答は、
「神様と霊団の指示によって、あなたのもとに参りました。霊団は時期を見て霊信を再開します」
というものでした。
M子さんを経由する霊信は、同年2月14日を最後に途絶えていました。
もちろんこのクライアントが、筆者に霊信が届いていることや、それが途絶えていることを知る由もありません。
こうして、「神様の使い」を名乗る霊から、浄霊の仕方と魂へのヒーリングの仕方を伝授されるという摩訶不思議な現象が起こったのです。
(つづく)

2011年12月10日土曜日

SAM前世療法の確立その2

(その1からのつづき)
(2) 霊信が告げた前世療法成否の理由


通信霊に対するもう一つの大きな質問が、「なぜ前世療法において前世の記憶を想起できる人とできない人とがいるのか、その理由が何かあるのか」ということでした。
これについて通信霊は次のように回答をしてきました。
「前世退行は必要に応じて行われるものであると判断しなさい。
そして、戻れない者、要するに、深い変性意識へと誘導されない者、視覚イメージを受け取れない者に対しての要因は二種あるのだと理解しなさい。
それらに共通するのは「霊的存在により起こる」ということである。
それらは、守護的存在とそれを妨げるものとに分けられる。
それらは、守護的存在が下す判断、そしてその対象者の傷を癒す流れを留めるものによる意図が要因である。
確かに催眠技量は必要である。
だが、あなたの催眠技量は必要基準を満たしている。
あなたが前世療法をおこなえない者は、必然であるのだと理解しなさい。
今後、あなたはそれについて探究していくだろう。
よって、守護的存在からの意図である場合も、妨げるものによる意図も、あなたの周りの協力により判断を下せるようになる」
筆者の問いの意図は、前世に戻れない理由を知り、それによって前世療法の成功の確率をさらに高めたいということでした。
しかし、成否の鍵を握っているのは催眠法の技量の問題ではなく、「霊的存在」の意図によるものであり、不成功は「必然である」ということになれば、霊能者ではない筆者には、もはやお手上げだと諦める外ないと思いました。
(つづく)

2011年12月9日金曜日

SAM前世療法の確立その1

このタイトルからは、SAM前世療法という世界に例をみない特殊な前世療法が確立するに至った経緯を述べていきます。
SAMとは、oul pproach ethod の略です。「魂状態に接近する方法」を意味しています。
つまり、魂状態の自覚にまで催眠を深め、魂の表層に今も生きて存在している前世人格を呼び出し対話する、という信じ難い技法を用います。
一般の前世療法のように「前世の記憶を想起させる」という前提に立ちません。
「直接前世人格と対話する」という奇怪とも言える考え方に立っています。
つまり、クライアントの魂に潜んでいる「前世の者=死者」との対話をするわけです。
他から、奇怪、不気味、馬鹿げているなどの批判・非難を受けようとも、クライアントの意識現象の事実としてあらわれる現象であることは否定できません。
このSAM前世療法で、生まれ変わりの証拠応答型真性異言「ラタラジューの事例」があらわれたことによって、上記のことが証明できたと思っています。
(1) 霊信が告げた魂のしくみ
筆者あて第一二霊信で筆者の16項目の質問に対しての霊からの回答が返信されてきたことを公開しました。「SAM前世療法」は、この通信霊からの回答に基づいて作業仮説が設けられ、その検証の過程で定式化されていったという特異な前世療法です。
さて、筆者は、送信霊に対して最初の質問として次のように尋ねてみました。
「脳・心・潜在意識・魂の関係はどうなっているか、心は脳の生み出す付随現象なのか、それとも心は脳と別個の存在であるのかを教えてほしい」
この質問をM子さんに送信すると、その回答が第一三霊信として返ってきました。
その上で、さらに不明な点の質問を彼女に送信すると、第一四霊信として返信がありました。
大変入り組んだ説明をしていますが、その要点をまとめてみると次のようになります
①脳と心は別のものである。

②心は魂に属するもので、外部の情報を識別するための道具である。
③心は意識を管理するもので、心と意識(顕在意識・潜在意識)は別のものである。心の中心は、心臓を包むように、その位置を中心として存在している。
④意識(顕在意識・潜在意識)は、脳ではなく魂の表層(側面)のものたちが作り出している。
魂の表層のものたちとは、これまで転生してきたものたちと現世のものである。魂の傷とは、表層の前世のものたちの傷である。前世のものたちと現世のものは、互いに友愛を結び、それぞれの人生で得た知恵を与え合っている。
⑤意識(顕在意識・潜在意識)の座は霊体にある。霊体が個人的意識を持つ。
⑥死後、霊体は魂から離れる。霊体の持つ個人的意識は魂の表層の現世のものに取り込まれる。そして前世のものの一つとして表層に位置付く。

⑦魂は肉体すべてに宿り、霊体は魂を取り囲み、肉体を保護する役割を担う。霊体の色がオーラである。
⑧深い催眠中の魂状態としてあるときは、守護的存在や未浄化霊など霊的存在が降霊しやすい状況にある。守護霊との対話は、守護的存在と魂の求めが成立して行われる。
霊信は以上のような、魂の仕組みと、脳・心・意識の関係を告げてきたのでした。
霊の告げた脳と心の二元論は、前世の存在を前提としておこなう前世療法にとっては違和感はなく当然だとしても、それ以外のことについては、筆者には初耳であり、にわかにはとても信じがたい内容であり、理解に苦しむことばかりでした。
(つづく)

2011年12月8日木曜日

筆者に起きた超常現象その4の6

(その4の4からのつづき)
(6) パソコンによる自動書記の信憑性
M子さんによれば、霊信が来る前兆として後頭部に鈍痛の感覚が出ると言います。
その前兆を感知してパソコンの前に座ると、やや朦朧とした意識(トランス状態)の中で指が自動的にキイを打つという現象が始まるということでした。
キイを打っている最中は、どんな内容を打っているのか分からず、打ち終わって読んで初めて内容を知ることができると報告しています。
誤字・脱字などがあれば、送信霊の「違う、違う」と言う声がし、指が勝手に動いて打ち直しをさせられるとも言いました。
こうして打ち終わった内容は校正をしないでそのまま即、筆者に転送しているとのことでした。 
2007年1月27日、筆者はM子さんに前世療法をおこない、自動書記現象の実験を試みる機会に恵まれました。深い催眠状態の中で、筆者の守護霊を名乗る存在とM子さんの守護霊を名乗る存在が、筆者の求めとは関係なしに入れ替わり憑依し、語り始めるという現象が起こったのです。
そこで、このセッションの終末で筆者は、憑依している筆者の守護霊を名乗る存在に、次のように自動書記の実験を頼んでみました。そのやりとりを紹介します。
筆者 : ただし、霊信については、これからパソコンで自動書記がおこなわれることを確認したいと思います。それは許されるでしょうか? 控えたほうがよろしいか?
憑依霊 : それはあなたが望む方に進めばよい。
筆者 : 分かりました。それでは私の中に、少し疑念として残っている自動書記を見たいと思います。今の意識のままで受信できますか? 霊団のどなたが送信してくださいますか?
憑依霊 : できる。送信はエドガー・ケイシーが適任である。
筆者 : それでは、今日のセッションの意味と、これからの我々の心得るべきことについて、なにとぞケイシー霊に送信していただけるようにお願いいたします。
こうしてM子さんは、トランス状態の虚ろな目をしたまま、用意したノートパソコンで9分間の自動書記を始めました。その全文を紹介します。
「これよりあなた方に伝えるべきことは今回のセッションについてでなく、あなた方がこれより先に進むたびに行うであろう霊信の口頭による伝達に対してのものである。
今回M子の意識が深層へと進む妨げととなる原因となっていたものは、環境による影響である。
それらは、M子の集中力ではなく、感受性への影響を大きくもつものである。
なぜなら、M子の体感覚は振動による影響を大きく受けやすい。
彼女は聴覚としての感覚を鋭く持つが、体感覚としての感覚も鋭く持つ。
それは彼女の霊性にも深き繋がりを持つものである。
彼女が霊性を発揮するための必要環境条件として、音による影響を考慮する必要がある。
感受性の幅を広げるための環境を十分整える必要がある。
彼女は習慣として音楽を材料として用いる。
そのことを考慮に入れながら環境を考案しなさい。
あなたは今日十分な材料を得られないまま終了したと感じている。
だが、あなたの変化は生じている。
表面上に現れてこそいないものだが、あなたの感覚は今後大きく変化を生じさせるだろう。
あなたは今日セッションで交わした会話を文章に起こし見直す必要がある。
その発言が誰によるものなのかあなたには分からない点があるだろう。だが、それを突き詰めるのではなく、その内容をあなたが理解に達するように読み直し浸透させる必要があるのだ。
あなたは完全な理解にまで及ぶことはない、だがそれらはあなたがこれから先に進むための材料となるものである。
そして、あなたは今回のセッションをある人物には語ることを許される。
その人物とは、あなたが以前霊信を送った者である。
その者に、あなたの思う手段で今回のセッションについて語りなさい。
音声としての記録を聞かせることも、その者に対しては許されるものである。
あなたは、今後夢見をおこなう前に祈りを捧げる必要があると先ほど述べた。
それを習慣的な行動とするのではなく「儀式」として受け取りなさい。
あなたはこれまであなた自身の魂に対して祈りを捧げることは、あまりなかった。
それこそが、あなたの魂が先へと導くきっかけを作るものである。あなた自身の内側へと目を向け始めなさい。
M子には、しばらくの間癒しのために何かをおこなう必要はない。
それは、衝撃となりかねないものである。
よって、しばらくの間はあなたのヒーリング能力に対しての探究、そして今回の検証をおこないなさい。
私たちは必要に応じてあなた方に語りかけるであろう。そして、あなたが求める時も必要に応じて与えるであろう」
この自動書記実験で、筆者は、少なくともこの霊信については、間違いなく自動書記現象が起きたことを目の前で確認することができました。
また、「私たちは必要に応じてあなた方に語りかけるであろう。そして、あなたが求める時も必要に応じて与えるであろう」という予言は、2007・2・14にM子さんを経由する霊信の途絶えた後、2011年12月の今日に至るまで4年間、およそ2~3ヶ月おきに、セッション中のクライアントに憑依してメッセージを告げるという現象が続き、予言は実行されています。
(つづく)

2011年12月7日水曜日

筆者に起きた超常現象その4の5

(その4の4からのつづき)
(5)  第一一・一二霊信の予言の信憑性
第一一霊信で通信霊は、「私はエドガー・ケイシーではなく、彼やあなたを守護するものではない。私は特定のものを守護するものではない。だが、霊団に属するものである」と素性を語り、次のような予言をしています。2007年1月23日0時6分の転送になっています。
 
「あなたは、探究心を重要とする。あなたがまだ理解していないものについて、誰も理解を完全にしていないものについて強く引き寄せられる。
そして、前世療法についてだが、あなたは自らの霊性により独自性を持つようになる。
あなたの前世療法は、あなたにしか出来ないものになる」 
4年半前のこの予言も、2011年現在、的中していることになります。
2007年7月に、正式に「SAM(サム) 前世療法」と命名した筆者独自の創始による特殊な前世療法は、現在筆者にしかおこなえない前世療法となっています。
ちなみに「SAM前世療法」はその独自性が認められ、第四四類の登録商標になっています。
なお、SAM前世療法の詳細については後に述べますが、その開発契機となったものが、第一一霊信の次の文言でした。
「あなたが長年探究してきたものは、これまでの視点からは成長は望めない。
なぜなら、もうすでにその観点での最終地まで達しているものが存在するからである。
あなたが探究するべきものは、これまでよりもさらに深奥にあるものである。
魂の療法のみならず、あらゆる霊的存在に対する奉仕となるものである。
それは、命あるものすべてに繋がり、私達へも強い繋がりを持つ。
そのために、あなたは自らの内にある疑問をまとめておく必要がある。
あなたがこれまで探究してきた道の中であなたが処理できないもの、そして人の理解を超えるものについて、私達でなければ答えられないものについて、まとめなさい。
M子を通し、あなたは私達にそれを尋ねなさい」
 
筆者は、この霊信に従って、2007年1月23日21時半頃に、16項目の霊への質問をM子さんに送信しました。彼女には回答できないであろう前世療法についての専門的内容がいくつも含まれていました。
彼女は筆者の送付したファイルを貼り付け、霊信を待ったそうです。
その質問に対する霊からの返信の転送が、同日22時58分に届くということが起こりました。
この第一二霊信の、筆者の16項目の質問に対する通信霊の回答は、A4用紙9枚分に及んでいます。
驚くべきことに、90分足らずの時間で回答が届き、しかもその内容がA4用紙9枚に及んだということです。
おまけに、霊信の末尾で通信霊は、
「彼女という人間が答えられる問題はここでは存在しない。
これは私からの霊信であり、M子の言葉ではない。
M子の妄想ではない。
妄想では答えられないものである」
と霊信がM子さんの創作ではないことを念押ししています。
そして、
「私はあなたの祖父の守護霊とつながりを持つものであり、あなた方の世界で表現すると、遠い昔転生を終えたものである」
と素性を明かしています。
それまで、M子さんの創作の可能性を疑っていた筆者も、彼女が創作している可能性より、霊信現象が事実である可能性が高いと判断していいのではないかと思うようになりました。
M子さんが創作するには、内容の質・分量を考えると、とても90分の時間では創作不可能な回答だと判断できたからです。
この回答内容の検証の過程で、SAM前世療法の作業仮説が構築されることになっていったのです。
なお、この第一二霊信で通信霊は、
「我が霊団は11の霊的存在から成り立つ。だが神はその上におられる。
神の計画が、あなた方が進むための原動力を与えていると理解しなさい。
ただ、信じることが前進するものだと理解しなさい。」
と守護霊団の存在を告げています。
そして、この第一二霊信の回答の真偽を検証する過程で、前述の「SAM前世療法」が生まれ、やがてSAM前世療法を用いた応答型真性異言の実験セッションによって、前世人格ラタラジューの呼び出しへとつながっていくことになりました。
(つづく)

2011年12月6日火曜日

筆者に起きた超常現象その4の4

(その4の3からのつづき)
(4) 第一四霊信の予言の信憑性について
 
第一四霊信の送信霊は、自分の素性を告げてはいません。2007年1月25日のこの霊信では、次のような予言を告げています。
「ここからは、神による霊信であると理解しなさい。
あなたは今世で出会うべき女性がいる。
その女性とは、あなたが過去世において死別した愛する者である。
その者は、まだしばらくはあなたと再会することはない。
あなたは、その者にある約束をした。
それは、その者の死後、あなたが彼女へと誓ったものである。
そして、その者は死後、あなたからの約束を聞いていた。
何故出会う前に、あなたにこの話を語るのか。
それは、あなたがそのことに興味を抱くということが重要だからである。
あなたはその者が誰なのか、いつ出会うか、どのような死別を経験したのか、それらに興味を抱くだけでよいのだ。そこから、あなたは引き寄せられていく。
あなたの魂の傷を持つものは求め始める。
それでよい。あなたは、それを許すだけでよいのだ。
あなたは、あなたの魂の傷を持つものが求めるものと再会するだろう」
この謎めいた予言の一ヶ月後、2007年2月24日に予言された女性と思われる人物と、筆者は出会うことになりました。
その詳しい経緯は省いて要点のみ紹介します。
この女性クライアントは、筆者の知人の紹介で、その知人に伴われて前世療法を受けにやってきた30代半ばの女性でした。
彼女が深い催眠状態に入って前世人格が最初に発した言葉が、「先生、お懐かしゅうございます。会いとうございました」というものでした。
前世人格が語った前世の場面は、中世フランスの教会付属の学校でした。
彼女は、その学校の12歳の女生徒でした。
このときの筆者の前世は、36歳の聖職者で、政争に敗れた失意の政治的指導者でもあって、医学の心得も持つその学校の指導者であったということでした。
12歳の少女は、筆者を慕い、憧れのまなざしを注いでいたと語りました。
やがて年を経て、筆者は聖職者としての位階が上がり、成長した少女は望んで筆者の身の周りを世話する仕事にに就いたそうです。
筆者も彼女を愛したそうです。
しかし、彼女は、何かわけがあって20代前半で早世したと語りました。
第一四霊信の予言が脳裏をよぎった筆者は、彼女の霊界での記憶を尋ねてみました。
筆者があなたの魂に向かって何か誓ったことはあるか、それはどんなことか、という問いです。
彼女は、筆者が誓っていることを知っているが、その内容を話すことは禁じられているから話すことは出来ないと回答しました。
催眠覚醒後、このクライアントは、催眠中に語った記憶をほとんど思い出すことがきませんでした。
この前世療法のセッション概要は、以上のようなものです。
そして、これ以後三年近く経った今日まで、このクライアント以外に筆者とのこうした愛情関係のある前世を語る人物との出会いはありません。したがって、この神からと称する第一四霊信の予言も現実のものとなったと思われます。
(つづく)

2011年12月5日月曜日

筆者に起きた超常現象その4の3

(その4の2からのつづき)
(3) 第八霊信の予言の信憑性について

 第八霊信に至って、送信霊は、
「私はエドガー・ケイシーではない。彼を守護するものであり、あなたに繋がるものである」
と筆者の守護霊であることをはっきり認めています。そして、この筆者の守護霊と名乗る霊は次のような予言をしています。
「 あなたはいずれ前回とは異なる内容の本を出版することとなる。全貌が異なるのではなく、方向性が異なるのだ。それは、多くの人を引き付けるものとなる」
 これは、2007年1月20日の霊信であり、2011年12月現在から4年半以上前の予言です。
そして、2010年10月に、筆者は予言されたとおり『生まれ変わりが科学的に証明された!』を出版しています。
ただし、この本が多くの人を引き付けるかどうかは分かりません。
この本に収載した「ラタラジューの事例」が、アンビリで60分放映され、視聴率は13%近くあったそうですから、その意味では「多くの人を引き付ける」ことになったと言えるでしょう。
さらに、この本の内容が、
「全貌が異なるのではなく、方向性が異なるのだ」
と言う予言は完全に的中しています。
前著の『前世療法の探究』は、生まれ変わりや霊的存在について判断留保の立場を努めて保った方向でしたが、2冊目の本は、そうした立場から方向転換し、生まれ変わりや霊的存在を認める方向を明確にしているからです。
しかし、そもそも、この予言当時、筆者には次の本を書く材料も意欲も、全くなかったのです。
ところが、予言後2年以上経過し、2009年5月に「ラタラジューの事例」があらわれました。
この応答型真性異言事例が、2冊目の『生まれ変わりが科学的に証明された!』として出版できたのです。
第八霊信で筆者の守護霊を名乗る存在からの2冊目出版についての予言は、三年半を経て、まさしく的中したことになります。
(つづく)

2011年12月4日日曜日

筆者に起きた超常現象その4の2

(その4の1からのつづき)
(2) 第二・三霊信の内容についての信憑性
第二霊信で通信霊は次のように告げてきました。
「稲垣を守護する霊的存在は、生前の私を守護していた存在であり、それよりも以前に多くの偉大なる者たちを守護していたものである。
だが、稲垣にはまだ打ち明けるべきではない。
それは、彼を疑いの思考へ誘う種となるであろう。
だが、ここで私があなたと稲垣に伝えるべきことは、私があなた方を繋ぐ理由である。
私は生前あなたとしての素質を持ち、稲垣の進むものと類似する方向性を持つ者であった。
そのため、私はあなた方を繋ぐものとして接触しているのだ」
第一霊信で、送信霊は「私はあなた方を繋げるものである」と告げてきました。
さらに、第二霊信でも「私があなた方を繋ぐ理由である」と告げていることから、この二つの霊信の送信霊は同一の霊であると思われます。
そして、この送信霊は、生前「M子さんの素質」つまり、霊媒としての素質と、「筆者の進むもの」と類似性を持つ者つまり、催眠に関わる者であったと告げています。
死者の中で、そのような霊媒の素質と催眠両方に関わって有名な人物は、エドガー・ケイシーしか筆者に思い浮かぶ名前はありませんでした。
もし、エドガー・ケイシーであるとすれば、ケイシーの守護霊は、ケイシーの死後、筆者を守護しているということになります。
このことを確かめるために、筆者はエドガー・ケイシーの没年を調べてみました。
果たしてケイシーは、筆者の生まれる三年前に死亡していることが分かりました。
したがって、この第二霊信の送信霊が、生前のエドガー・ケイシーであったとしても矛盾しないことになります。
そして、次の第三霊信で、次のような驚くべきことを告げてきたのです。
「あなたは、今語りかけている私が、エドガー・ケイシーを守護していたものと考えている。
その真偽を自分の中で晴らすため情報を集めた。
だが、そんなことをして何になる?だが、私があなたに「そうではない」と言えば、それは事実とは異なるものとなってしまう」
の送信霊は、言い回しから考えて、生前のケイシーを守護し、現在は筆者の守護をしていることを認めています。
つまり、この第三霊信の送信霊は、筆者の守護霊ということになります。
また、この結果、第一・二霊信の送信霊は、ケイシー霊ということになります。
ところで、問題は次の事実です。第二霊信は、2007年1月14日5時23分転送されています。
筆者がこれを読み、ケイシーについて情報を集めたのは同日の夜2「時頃でした。
そして、第三霊信は同日22時48分に転送されています。
つまり、この送信霊は、筆者の一時間ほど前の行動を指摘してきたことになるわけです。
もちろん、筆者がケイシーについて調べたことを霊信受信者M子さんは知りません。
また、彼女は、自分には透視能力がないと証言しています。
これらの事実を考え合わせると、第三霊信がM子さんの創作であるとすれば、彼女には透視能力があって、筆者の行動を透視した上で何故かそれを隠し、霊信の体裁をとって転送してきたことになります。
または、当てずっぽうの霊信を創作したのが、まぐれ当たりしたかです。
そうでないとすれば、そしてM子さんの証言を信じるとすれば、筆者の守護霊が、どこからか筆者の行動を見ており、このように告げてきたと考える外ありません。
結局、第七霊信に至って、送信霊は、やっと「私はエドガー・ケイシーである」と名乗りました。
さらに、
「何故今回の霊信で私が役割を担ったのか説明しよう。私はより新しい意識である。それにより、あなた方に近づきやすい状況を作り出すことができる。そして、より明確に情報を伝えることができる」
と送信してきた理由を告げています。
 
(つづく)

2011年12月3日土曜日

筆者に起きた超常現象その4の1

これまで筆者に起きた超常現象を三つ紹介してきました。
時系列で整理すると
①2005年6月半ばに里沙さんにヒーリング能力があらわれる、②2006年8月末に筆者にヒーリング能力があらわれる、③2006年12月末に里沙さん守護霊の憑依実験
という順序になります。
つまり、2005年6月4日の「タエの事例」セッション以後、立て続けに超常現象が起こるようになったのです。
そして四つ目の超常現象が2007年1月11日~2007年2月14日まで毎夜送られてきた筆者あて霊信でした。

(1) 霊信とおぼしきもの
筆者に起きた四つ目の超常現象は、筆者あてに守護霊団を名乗る霊からの通信が一か月にわたって届くという信じがたいことが起きたことでした。
里沙さんの憑依実験をおこなった直後の2006年の年末に、筆者の2006年5月出版『前世療法の探究』の読者から読後の感想メールが届きました。
東京在住で26歳の派遣社員をしているM子さん(仮名)からでした。
二通目のメールでは、彼女は、幼少の頃から霊的存在とコンタクトが取れる霊媒体質の持ち主であること、友だちに依頼されては霊と交信(チャネリング)し、依頼内容の回答をもらっているということが、控え目な文体で書かれていました。
筆者がそうした霊的な現象には抑制的な態度をとっていることに遠慮して一通目には書けなかったということでした。
里沙さんの憑依実験直後のことでもあり、筆者は好奇心に駆られて、「できたら、私についてチャネリングしてもらえませんか」という返信メールを年明けの2007年1月11日の夜に送りました。
これがきっかけで、M子さんの言葉を信じるとすれば、霊からの通信だとされるものが送られて来るという超常現象が始まったのです。
チャネリングを依頼したその1時間後に、霊からパソコンによる自動書記の通信があったということで、 その自動書記とされる文章が転送されてきました。転送日時は、2007年1月11日22時44分となっています。
この第一霊信とされる全文を次に紹介します。
なお、筆者あて全霊信はこのブログに紹介済みです。
通信文の中で「あなた方」とは筆者とM子さんおよび人間全体、「あなた」は筆者を指しています。「私」とは送信者らしき霊自身のことを指しています。
また、これ以後、霊からの通信だとされるものを「霊信」、「霊とおぼしき存在」を「霊」と表記していきます。
「 ここであなた方が出逢うことには意味がある。
あなた方は、その真の意味をまだ手にすることはできない。悟りという実はまだ熟していないのだ。
その悟りは、言葉で理解するものではない。あなた方は体感し、そして、魂で感じてゆく。
そして、その悟りがすべてが始まるときからあなた方に「在る」ものなのだと思い出す。
あなたはより多くのものを求めようとしている。だが、あなたが「今という瞬間」に得るものは一つなのだ。
すべてははじめから用意されている。
その一つ一つが何なのか、それを踏まえながらあなたは進みなさい。
あなたの真の目的は、誰もあなたに告げることは許されない。
なぜなら、あなたの魂がそれを決めたからだ。
あなた自身が、その目的を思い出すのだ。現段階であなたに告げられている使命という目的は、「人を癒すこと」である。
それをあなた方の世界でわかりやすく説明するならば、「外的目的」と表現すれば理解を得やすいだろう。
「外的目的」は、あなた以外の他者のためにあなたが決めた目的だ。何を方法にして人に奉仕していくか、そしてすべてとの繋がりを持つか。
その手段をあなたは選んだ。
あなたの場合、それは医学的知識を応用させながら自らの判断をより明確なものとし、ヒーリング能力も一手段としてより多くの人に「癒し」という愛を与えるというものだ。
だが、内的目的は他者のためのものではない。
それは、あなたの魂へのものだ。
あなたは、これまで数多くの過去世を通して学んできた。
どのように優れた能力を持つ者も、魂に癒すべき傷を持つ。
あなた方はこの世界に存在する限り、自分の魂の傷を癒さなければならない。
それは強制ではなく、義務でもない。言葉の表現では明確にその意味合いを伝えることが出来ない。
ニュアンスで理解するものである、と表現すれば分かりやすいだろうか。
何故あなた方が自分の魂の傷を癒さなければならないのか、そして何故魂に傷を負うのか。その仕組みはあなた方には理解できないものである。
魂の傷、そしてその癒しは、すべてその魂によって引き起こされる。
あなた方は理解できないだろう。
どのように悲惨で、辛い死も自らが選択したものであると受け入れられないであろう。
あなた方はこの世界に存在する限り、どんなに求めたとしても理解を手にすることはできないのだ。
真理は、「生」の状態にいる限りは得ることができない。
だが、人は真理を求める。それは死を迎えると同時にどのような人間にも与えられるものなのだ。
人は誰もが真理を得るということを忘れている。
そして、真理はすべてであり、それを一つにまとめるにはあまりにも言葉は無力である。言葉は道しるべでしかない。
あなたは、自分が真理を求めることが目的なのだと間違えないようにしなさい。
それは、誰もが与えられるものであり、生きている間は得られないものである。
あなたが決めた「内的目的」は、あなた自身がまだ距離感さえもつかめていないものである。
今のあなたには、それが何なのか憶測もできない。
今のあなたに必要なのは、あなたの魂にとっての「目的」があるのだと理解することである。
その目的を通し、あなたは魂の傷を癒すのだと理解しなさい。
今、あなたに語りかけている私が誰なのか、あなたには分からない。
そして、M子も私が接触しながらも誰なのかが分からないでいる。
私は、あなた方を繋げるものである。
これまで私があなた方両者に接触を持ったことはない。
私は神ではない。
あなたは、自分のヒーリング能力に対して、より多くの理解を持たなければならない。
なぜなら、それはあなたにとっても他者にとっても、時と場合によっては「癒し」とは相反するものを与えるものになりかねないからである。
あなたが癒す対象者の疾患等を「負」のエネルギーとする。それをあなたが癒すとしたら、そのエネルギーはどこに向かうものなのだろうか。
あなたが、癒しを起こすとき、多くの高級霊が治療霊としてあなたのもとに集まる。
だが、それは能力を最大限に引き出しても、あなたの体の疲労を消し去ることはできない。
あなたの身体的なエネルギーをコントロールするのは、あなた自身である。
それはヒーリングとは別のやり方で解消するべきものである。
あなたはイメージし、そのエネルギーを消すことができる。
あなたはある人数の治療をこなす。あなた自身はどの程度で「負担となる疲労」が生じるのかが判断できないであろう。何故判断できないのか、それは癒しを起こす上で、体内のエネルギーの流れが、通常の意識で起こるものとは異なるものであるからだ。
どのように変化するのかは、あなたが実際自己観察した方が理解しやすいものである。
「負担となる疲労」とは 、あなたの体内にもともとあるべきではない「あなたの体内に入り込んだもの」を浮上させる。
例えるならば、血液中や内臓、それらに溜まった体内には不要なものの流れや動きも、通常の状態とは変化させるものである。
これらの詳細の説明をあなたがもし求めるならば、M子が現段階より深い意識で私に接触する環境でなければならない。
今の彼女の意識では、適切な言葉を集めることは困難である。
あなたがそれらの「負のエネルギーの要素」を消すために、ヒーリングをおこなった日は必ず自分の体を浄化しなければならない。
瞑想しながら、へそに両手を当て 「へそを中心として光が体中に広がる」というイメージをしなさい。
体を持つ限りはあらゆる制約が生じる。
食物、空気、衣服、あらゆるものを通し、「負の要素」となるものは体内に取り入れられる。
そのわずかなものさえも、原因になりかねないものなのだ。
あなたは、ヒーリングをおこなう際に自己管理を徹底しなければならない。
そして、あなたの探究心の方向性について語ろう。
今後あなたは自分の思うままに前進するべきであり、そのためのこれまでの道のりであった。
あなたは、自分の直感を通し、「知るべき知識」を模索していく。
あなたが求めるものは国内に留まらず、その範囲は他国へと広がる。
そのための手段を徹底するために、英語力を向上させなさい。
今、あなたに私が伝えるべきあなたへのアドバイスは以上である。
これより先は、私ではなく別の者が続きを語る。
私は、M子を守護するものの一つであり、これまで彼女の「心」を管理していたものです。
人は、私のような存在をいまだ表現したことがありません。
彼女が無知なためではなく、言葉が存在しないために私という存在を明確に表現することができません。
今日、彼女に伝えたことをあなたにもお伝えします。
彼女の魂を形成するにあたり、神はある計画をされました。
彼女の魂は人としての要素、そして自然としての要素、精霊としての要素、そして高級霊としての要素、あらゆるものの霊性を含んでいます。
そのために、彼女の霊性としてのアンテナは多様性を持つのです。
神は、彼女にある計画を与えました。
それを彼女も知りたいと望みました。
その計画が成されるかどうか、そして成されたかどうかを知る者は幸いです。
それは神のご意志であり、これから始まる大きな計画の始まりでもあります。
あなた方は死後、それを見つめるものとなるでしょう。
あなたは、今世で魂の癒しという旅を終えます。
あなたにとって、これが最後の生まれ変わりとなります。
それはもう、すでに決められたものであり、あなた方と神との計画でもあります。
彼女は、すべてを繋ぐ一点の光なのです。
その一点がなければすべては繋ぐことはできません。
そして、その光を灯すのはあなたの役割です。
M子はまだ、完全には覚醒していません。
彼女の魂の真の霊性を発揮させるための光を、あなたが灯すのです。
その方法は、あなた自身が直感で理解しているものです。
それをM子に提案しなさい。
それに対し恐れを感じるのは、M子の魂のある部分です。
その魂は、これまで誰の言葉にも耳を貸そうとしませんでした。
あなたを通じ、M子は傷に接触することが可能となります。
そして、あなた自身にもその傷は関係しています。
あなた自身が、そのことを思い出すのはM子が覚醒した後となるでしょう。
彼女は生き急いでいます。それは、彼女がこの先に起こるあらゆるものを直感として感じ取り起こす感覚でもあります。
ですが、彼女自身が憶測するよりも時間は猶予があります。
彼女はそれまでに覚醒しなければなりません。
あなたは、彼女の通った道を眺める立場となるでしょう。
彼女が進むべき道は、まだ明かすことはできません。あなた方が憶測するものは適切ではありません。
ですが、それは進むにつれ明らかなものとなるでしょう。
一つ、あなたの過去世について語りましょう。
これは、直接私が伝えているものではなく、あなたを守護するものの一人が私を通し語るものです。
あなたはその過去世で医師でした。
だが、あなたは多くの患者を死なせてしまったと自責しました。
だが、救いたいという望みも同時に残りました。
後悔とともに望みは残ります。
どちらか一つでは存在することはできません。
あなたが今、このような方法で人を救う道をたどるのは、直接的に医師として癒すのではなく、間接的な立場から癒すという方法を始まりとして選んだからです。
そして、あなたのヒーリング能力の覚醒は、あなたが直接的関わることを魂が受け入れたために起こったものです。
あなたが何故ヒーリング能力を持つのか、それはあなたが理解しているよりも深い意味があります。それを少しずつ理解していくのです。
あなたを守護するものが直接あなたへと語りかけるには、まだ時間があります。ある流れに沿って、一つ一つ用意されたものをあなた方は受け取ります。あなたが必要なとき、彼はあなたに言葉を贈るでしょう」
M子さんの言葉を信じるならば、この第一霊信を皮切りとして、2007年2月14日までの約一か月の間に、立て続けに22回、A四用紙にして83枚分のパソコン自動書記による霊信が、ほぼ毎夜または、夜明けに送信されてくることになったということです。
一回の霊信平均枚数は5枚弱ということになります。彼女は受信が終わると即、筆者へ転送しているということでした。
さて、里沙さんの守護霊との対話実験で、筆者のヒーリングエネルギーが治療霊から送られてくると告げられた直後に、同様に通信霊らしき存在から「あなたが癒しを起こすとき、多くの高級霊が治療霊としてあなたのもとに集まる」と告げられるという符合は、単なる偶然にしては話が出来すぎていると思われました。
しかも、ヒーリングについての注意事項を細々と告げています。
もちろん、M子さんには、霊との対話実験についての話は一切していませんから、彼女は何も知らないわけです。
「タエの事例」との遭遇、その後の「霊との対話実験」以前の筆者であれば、こうした霊からの筆者宛通信とされるものなど一笑に付して真面目に受け取ることはなかったでしょう。
しかし、海外のいくつかの霊信を読み、そうした霊的存在らしき何かを認めざるをえない直接体験をしたことで、検証抜きに否定もしないが鵜呑みにもしない、という判断留保の態度こそ柔軟かつ、公正であろうと思うようになっていました。
この筆者宛の霊信とされるものの真偽について考えうる可能性は、M子さんの創作、通信霊の実在、の大きく二つだろうと思いました。
そこで、霊信内容で真偽の検証可能なことは努めて検証にかけ、その真偽を確かめてみることにしました。
次回から、その検証結果を述べてみたいと思います。
(つづく)

2011年12月2日金曜日

筆者に起きた超常現象その3の5

(その3の4)のつづき
(5)スピリチュアリストへの道
前ブログで、筆者は霊現象についてはまったく無関心で生きてきたと述べました。 
しかし2006年8月末、自分自身に突如ヒーリング能力があらわれ、その説明は霊界と治療霊の存在抜きには(霊的真理抜きには)考えられない事態になってきたように思われました。
そして、ヒーリングの諸改善効果という「動かぬ証拠」の報告を受け、ようやく「霊的真理の初歩段階」を卒業しかけているいるのではないかと感じています。
やはり人間は、最後は自分自身の直接体験に、科学的説明が不可能であろうとそれを越えて確信させる、自明の真実性を認識すると言わざるをえません。
交霊能力のあったスピリットヒーラーであるハリー・エドワーズは、高級霊界が霊的治療によって地上の人々を霊的覚醒に導く計画であることを知っていたと言います。
(ハリー・エドワーズ著、梅原隆雅訳『霊的治療の解明』国書刊行会)
里沙さんの守護霊が伝えてくれた、「人を救うという計画」という語りがそれを指しているとすれば、「人を救う道に進むという神との約束を果たす時期が来た」筆者は、前世療法とヒーリングを道具に、人のお役に立つ道に進むような流れに沿って動いているのかも知れないし、その流れに任せてみようと思い始めたのです。
そして、これからの自分が、前世療法とヒーリングを与えられた道具として役立たせる道を実践していくことができれば、ヒーリングの謎も守護霊の語りの真実性も、おのずと開示されていくのではないかと思いました。
また、そうした開示がされないにしても、生まれ変わりの科学的探究の道を愚直に進む過程で、懐疑的な態度を転換し、霊的現象をありのままに認めていくようになっていくのではないかと思われました。
2009年5月9日におこなった「ラタラジューの事例」の逐語録をこのブログで公開しています。
そのセッションの冒頭で、里沙さんの守護霊に憑依していただき、これからおこなおうとしている応答型真性異言の実験セッションが、霊界の霊的真理啓発の計画のうちに組み込まれていることを確認しました。
つまり、退行催眠中に起きた応答型真性異言は世界でわずか2例であるにもかかわらず、これから呼び出すラタラジュー人格が、ネパール語で応答的に会話することを、里沙さんの守護霊は直前に予言したということです。
果たして、予言どおり前世人格ラタラジューは、ネパール人女性対話者カルパナさんと、24分間にわたるネパール語による会話をおこないました。
この会話分析結果と、話者里沙さんがネパール語を学んだ形跡が皆無である検証結果もブログに公開してあります。
筆者は自信をもって、「ラタラジューの事例」は、世界3例目の催眠中に起きた応答型真性異言事例であると断言できます。そして、生まれ変わりは科学的事実である、と宣言します。
こうして、筆者は、「ラタラジューの事例」との出会いにより、守護霊の実在と生まれ変わりの事実をはっきり認めざるをえなくなったということです。
このことは、霊との交信の実在、霊の実在、生まれ変わりの事実など霊的真理を認めるスピリチュアリストへの道を歩き始めたという明確な自覚を持ったということです。

2011年12月1日木曜日

筆者に起きた超常現象その3の4

(その3の3からのつづき)

(4)モーゼスの霊訓との照合

こうした催眠による里沙さんへの憑依実験の前後から、筆者の関心は、宗教思想であり霊の科学でもあるスピリチュアリズムへと必然的に向かわざるをえないようになっていきました。
「タエの事例」に出会う前の筆者は、「霊信」という用語さえ知らない霊的現象に対して全く無関心な人間であり、死後存続や霊の実在については、一切関わりを持たないで人生を過ごしてきました。
当然のことながら、霊現象との接触体験や、霊を感知したりする能力などは一切ありません。
こうして、筆者の脳裏に思い起こされたのは、霊信現象についての情報収集として読み始めたスピリチュアリズムの聖典『モーゼスの霊訓』にある次の一節でした。
「霊界より指導に当たる大軍の中にはありとあらゆる必要性に応じた霊が用意されている。(中略)
筋の通れる論証の過程を経なければ得心のできぬ者には、霊媒を通じて働きかける声の主の客観的実在を立証し、秩序と連続性の要素をもつ証明を提供し、動かぬ証拠の上に不動の確信を徐々に確立していく。
さらに、そうした霊的真理の初歩段階を卒業し、物的感覚を超越せる、より深き神秘への突入を欲する者には、神の深き真理に通暁せる高級霊を派遣し、神性の秘奥と人間の宿命について啓示を垂れさせる。
かくのごとく人間にはその程度に応じた霊と相応しき情報とが提供される。
これまでも神はその目的に応じて手段を用意されてきたのである。
今一度繰り返しておく。
スピリチュアリズムは曾ての福音の如き見せかけのみの啓示とは異なる。
地上人類へ向けての高級界からの本格的な働きかけであり、啓示であると同時に宗教でもあり、救済でもある。
それを総合するものがスピリチュアリズムにほかならぬ。(中略)
常に分別を働かせねばならぬ。
その渦中に置かれた者にとっては冷静なる分別を働かせることは容易ではあるまい。
が、その後において、今汝を取り囲む厳しき事情を振り返った時には容易に得心がいくことであろう」
(近藤千雄訳『霊訓』「世界心霊宝典」第一巻、国書刊行会)
インペレーターと名乗る高級霊からモーゼスあてに通信されたこの霊信に、紹介した超常的現象を引き当てて考えてみますと、この引用部分は筆者に向かって発信された啓示であるかのような錯覚すら覚えます。
インペレーターが説いているように、前世療法にとりかかる前の筆者は、「筋の通れる論証の過程を経なければ得心のできぬ者」のレベルにありました。
だから、「秩序と連続性の要素を持つ証明を提供し、動かぬ証拠の上に不動の確信を徐々に確立していく」ために、「動かぬ証拠」として「タエの事例」をはじめとして、ヒーリング能力の出現などの超常現象が、霊界から私に次々に提供されているような気がしていました。
そうした直感の真偽を確かめるために、里沙さんの守護霊に尋ねてみるという憑依実験を試みたわけです。
その結果と検討・考察は、これまで述べたとおりです。
この検討・考察は「常に分別を働かせねばならぬ」と言う高級霊インペレーターの忠告に従っていることにもなるのでしょう。
そして、分別を働かせた結果の帰着点は、霊と霊界の存在を排除しては説明できないのではないかということでした。
かつての筆者の立場では、例えばヒーラーと称する人々のヒーリング効果の解釈として、プラシーボ効果であるとか、暗示効果であるとか、信念の心身相関による効果であるとかの知的・科学的説明に躍起となって、それを公正な態度だと信じて疑わなかったと言えます。
(つづく)

2011年11月30日水曜日

筆者に起きた超常現象その3の3

(その3の2からのつづき)

(3)守護霊の5項目の語りの考察

次に守護霊とおぼしき存在者の①~⑤の語りについて一つずつ検討してみましょう。
まずの語りの内容について検討してみます。
里沙さんのスピリチュアリズムについての知識は、治療霊が存在すること以外にはありません。
したがって、スピリチュアリズムでいう「神の計画」つまり、地上の人間に霊的真理(魂と生まれ変わりの存在、霊界の存在、霊との交信可能など)を啓発し、霊的覚醒を促す計画があることは知識として持っているはずのないものです。
彼女の無意識の役割演技などでは淀みなく発話される内容ではないと思われます。
この計画についての語りは、スピリチュアリズムの高級霊からの霊信内容に一致していると考えることができるでしょう。
の治療霊の存在については、里沙さんの知識としてある程度あるはずです。
彼女の脊柱側湾症による痛み改善のためにヒーリングをした機会に、ヒーリングエネルギーと治療霊について話題にしているからです。
また、彼女は霊感によって、筆者の背後に憑いている複数の治療霊らしき霊の存在を感知できると語っているからです。
しかも、筆者のヒーリング能力についての質問をすることについては、催眠に入る前に彼女に知らせてありました。したがって、治療霊とその治療エネルギーについての回答は、彼女の既有の知識を語った可能性を排除できません。

の、筆者が生を受ける前の「魂」と「神との約束」についての語りは、里沙さんの想像力が駆使され、筆者への願望が投影された彼女の役割演技だと解釈できるかもしれません。
しかし、筆者にヒーリング能力があらわれた理由がそれなりに矛盾なく説明され、瞬時に淀みなく語られた事実を考えると、「守護霊」の憑依可能性を否定できるものではないと思われます。
ちなみに、「筆者の魂が大きく成長した」という語りは、「タエの事例」に出会って以後、世界観・価値観が魂と生まれ変わりの存在を視野に入れたものへと転換し、現世的欲望へのとらわれから自由度を増した精神状態を指している気がしないわけでもありません。
ただし、「善人にのみ効果が現れます」という語りは誤解されやすいかもしれません。
しかし、「悪とはあなたの進む道を邪魔する者です」という語りと照らし合わせると、その病が当人の霊的成長に必要な場合には、ヒーリングが効かないという意味に解するべきであろうと思われます。
なぜなら、治療によって霊的覚醒が阻害されることになり、人を救う道に反することになるでしょうから。したがって、この語り部分も高級霊からの霊信と矛盾するものではないと考えてよいと思われます。

の語りについては、理解に苦しむところです。
ところで、前世療法のセッション中に中間世へ導く過程で、未浄化霊とおぼしきものが寄ってきて憑依しようとしていると訴えるクライアントがこれまでに2例ありました。
筆者に霊視などの霊的能力がなく、そうした霊が見えないために、こうした事態に遭遇しても惑わされることなく冷静に対処できたことを考えると、前世療法セラピストとしては、霊的能力は持たないほうがよいという含意の語りのようにも思われます。
あるいは、筆者に霊的能力がなくそれらに懐疑的な普通の人間の側にいるからこそ、懐疑的な普通の人間への霊的真理の啓発には却って説得力を持ち得るので、啓発者としては適っている、という意味かも知れません。
こう考えてみると「霊能力を与えなかった神に感謝をすることです」という意味深い語りは、里沙さん自身の通常の意識からは到底出てくるはずのないもののように思われます。
まして、その場の咄嗟の思いつきで回答できる類の語りだとは考えられないと思われます。

の語りは、まさにスピリチュアリズムが信奉する霊信内容そのものだと言っていいでしょう。
そして、「守護霊に名前はありません」「魂の試練はほとんどが魂の力で乗り越えねばなりません。わたくしたちはただ見守るだけです。導くことはありません」「あなたに閃くインスピレーションが守護霊からのメッセージです」などの具体的な語りは、スピリチュアリズムの信奉する高級霊たちの霊信と一致し、正当な守護霊の語りとしてその信憑性が保障されているように思われます。
ここで浮上してくるのが、里沙さんはシルバーバーチの霊言、モーゼスの霊訓などスピリチュアリズムに関する書籍を読んでおり、それを元に語ったのではないかという疑いです。
しかし、これについて彼女はきっぱり否定しています。
また、それを信ずるに足る録音試聴後の感想があります。彼女は感想として次のように語っています。
「私の守護霊は阿弥陀如来だ、と高名な信頼できる霊能者から霊視してもらって、そう信じていました。
だから、私自身が守護霊の役割演技をして語るとしたら、守護霊に名前はありませんとは絶対言わないと思います。
阿弥陀如来です、と言ったはずです。
私の守護霊に、名前がない、と言われてちょっとショックです。
阿弥陀如来以上の守護霊はいないと思っていたから、稲垣先生の守護霊より霊格が上だと思って、密かに優越感があったのに、稲垣先生の守護霊のほうが霊格が高いと言われたのもショックです」
つまり、彼女にスピリチュアリズムの知識があったとすれば、自分の守護霊を阿弥陀如来だなどと信じることはまず考えられません。
高級霊は原則素性を明かさない、というのがスピリチュアリズムの常識ですから、彼女の守護霊についての知識は、仏教の説く「守護仏」と混同している程度の知識でしかなかったと判断できるわけです。
このように検討してみると、⑤の語りの主体は、里沙さん以外の「守護霊」である可能性が高いと判断できるように思われます。
こうして検討を重ねてきますと、憑依したとおぼしき守護霊の回答は、里沙さんの意識が投影された役割演技だと解釈するよりも、彼女が霊媒の役割を果たし守護霊が憑依したものと素直に受け取るほうが妥当性が高いのではないかと思われます。 
ただし、そのように受け取るにしても、ここで告げられている内容が、絶対的に真実であると主張しているわけではありません。
前世療法をはじめとする筆者の活動を、こうした言葉によって権威づけようとする意図も全くありません。
あくまで何らかの霊的存在者の一意見として、どこまでも冷静に受け止めるべきだと考えています。
こうした言葉で自己を権威づけたり絶対化することはあってはならないことで、徹底して厳しく自戒すべきだと思っています。
特に「神の計画」「神との約束」「善と悪」といった事柄を、軽々に云々することは、極めて大きな問題をはらむものです。
こうした表現の取り扱いについては、十分過ぎるほど慎重であるべきだと考えています。
(つづく)

2011年11月29日火曜日

筆者に起きた超常現象その3の2

(その3の1からのつづき)
(2)守護霊とおぼしき存在者の検証と考察
ここで検討してみることは、「筆者に起きた超常現象その3の1」の語りの内容は、里沙さんの既有の情報を元に、彼女自身が、催眠下で無意識的に語ったのだ、と解釈できるかどうかということです。
そうであるならば、守護霊とおぼしき存在者は、里沙さんの無意識的な役割演技(守護霊のふりをして演技すること)で説明されうることになり、語りの事実が超常的現象である可能性は排除されるからです。
つまり、彼女の守護霊の憑依現象ではない、と判断できることになります。
以下に、今回はまず全体の考察を、次回で守護霊とおぼしき存在者の①~⑤の語りの内容について、それぞれに検討と考察を加えてみます。
まず、全体としての考察をしてみますと
、「守護霊」は、里沙さんとは異なる位相の視点・情報から発話している。
、催眠を解く前に「催眠中に語ったことはすべてはっきり思い出せる」という暗示を強調したにもかかわらず、「守護霊」が憑依したとおぼしき間の里沙さんの記憶は完全に欠落している。
、録音された自分の語りを試聴した里沙さんの実感として、声からも語りの内容からも、自分と「守護霊」とは全く同一性の感じられない他者であると認識されている。
、憑依を体験し、催眠から覚醒後の里沙さんの疲労状態は、通常の催眠後とは明らかに異質な極度の疲労状態に陥っている。
以上の四点は、「守護霊」の憑依を支持できる状況証拠だと考えることが可能でしょう。
ただし、については本人に内在している「心の力」つまり、「高位自我=ハイヤーセルフ」説で説明可能かも知れません。
深い催眠中には、通常の里沙さんの持つ能力をはるかに超えた超常的叡智が現れるというわけです。
しかし、イ・ウについては「高位自我」説では説明がおさまり切れません。
もともと里沙さんの心に内在している「高位自我」の語りであれば、解催眠前に強調した記憶再生暗示で、催眠後にその語りの内容が記憶として出てくるはずだと考えられるからです。
また、彼女に解離性同一性障害などの精神障害がないことは明白ですから、「守護霊」の語りに対して全く同一性が感じられないということも説明が困難です。
単に催眠性健忘として片付けられる問題ではないと考えられます。
の極度の疲労感について確かなことは言えませんが、憑依した守護霊が里沙さんに長時間(約40分間)の対話をさせるために、彼女の脳髄が酷使された結果ではないかという解釈ができるかも知れません。
次回に語りの具体的内容である①から⑤についての考察を述べてみます。
(つづく)

2011年11月28日月曜日

筆者に起きた超常現象その3の1

(その2からのつづき)
(3)里沙さんの守護霊の憑衣実験の1

2006年12月22日夜、里沙さんにお願いして彼女の守護霊との直接対話実験をさせてもらいました。
深い催眠中に中間世へと導き、そこで彼女の守護霊を呼び出して憑依してもらい、筆者が直接対話するという実験は、「タエの事例」で紹介してあるとおりです。それを再度試みようというわけです。
その理由は次のような四つの質問の回答を得るためであり、憑依現象の真偽の検証を試みるためでもありました。
①タエの事例は、偶然語られたものか、何かわけがあって語られたものか?
②筆者に突如あらわれたヒーリングのエネルギーは、どこから送られてくるものか?  その治療エネルギーが筆者にあらわれた理由が何かあるのか?
③スピリットヒーリング能力のある者は、たいていは霊視などの霊能力を持っているが、筆者のエネルギーがそうであるなら、なぜ筆者に霊能力がないのか?
④筆者の守護霊の素性が分かるならその名を教えてもらえないか?
この憑依実験は、里沙さんの知人からの依頼で前世療法を実施した際、彼女が付き添いとして同行してきた機会を利用して実現したものです。
その知人のセッション後、彼女に再度の憑霊実験のお願いをしました。実験前に彼女に伝えておいた質問内容は、前述②(筆者のヒーリングエネルギーの出所)のみでした。①③④の質問について彼女には知らせることを意図的に伏せて実施しています。伏せた意図は、彼女に前もって回答を準備できる時間を与えないためです。
里沙さんに憑依したと思われる、彼女の守護霊とおぼしき存在との40分にわたる対話の録音を起こし、できるだけ生のままの語りの言葉を用いて、上記四つの質問に対する回答を要約してみると以下のようになります。
ただし、質問はこれ以外にもいくつかしていますから、それらの回答を含めて次の5項に整理し要約してあります。
①タエの事例は偶然ではありません。計画されあなたに贈られたものです。計画を立てた方はわたくしではありません。計画を立てた方はわたくしよりさらに上におられる神です。
タエの事例が出版されることも、新聞に掲載されることも、テレビに取り上げられることもはじめから計画に入っていました。あなたは人を救うという計画のために神に選ばれた人です。
②あなたのヒーリングエネルギーは、霊界におられる治療霊から送られてくるものです。治療霊は一人ではありません。治療霊はたくさんおられます。その治療霊が、自分の分野の治療をするために、あなたを通して地上の人に治療エネルギーを送ってくるのです。
③あなたの今までの時間は、あなたの魂と神とが、あなたが生まれてくる前に交わした約束を果たすときのためにありました。今、あなたの魂は大きく成長し、神との約束を果たす時期が来ました。神との約束とは、人を救う道を進むという約束です。その時期が来たので、ヒーリング能力も前世療法も、あなたが約束を果たすための手段として神が与えた力です。しかし、このヒーリングの力は万能ではありません。善人にのみ効果があらわれます。悪とはあなたの進む道を邪魔する者です。今あなたを助ける人がそろいました。どうぞたくさんの人をお救いください。
④神はあなたには霊能力を与えませんでした。あなたには必要がないからです。霊能力を与えなかった神に感謝をすることです。
⑤守護霊に名前はありません。わたくしにも名はありません。あなたの守護霊はわたくしよりさらに霊格が高く、わたくしより上におられます。そういう高い霊格の方に守られている分、あなたには、成長のためにそれなりの試練と困難が与えられています。これまでの、あなたに生じた困難な出来事のすべてがはじめからの計画ではありませんが、あなたの魂の成長のためのその時々の試練として与えられたものです。魂の試練はほとんどが魂の力で乗り越えねばなりません。わたくしたちはただ見守るだけです。導くことはありません。わたくしたちは魂の望みを叶えるために、魂の成長を育てる者です。霊能力がなくても、あなたに閃くインスピレーションが守護霊からのメッセージです。それがあなたが迷ったときの判断の元になります。あなたに神の力が注がれています。与えられた力を人を救う手段に使って人を救う道に進み、どうぞ神との約束を果たしてください。
里沙さんに憑依したと思われる、彼女の守護霊とおぼしき存在は、以上のようなメッセージを回答として伝えてきました。
そのときの語りの様子は、タエの事例で憑依実験したときと同じく、彼女の表情は能面様の全くの無表情に変化し、声は低音で、囁くような、抑揚のない、ゆったりと厳かな調子の、別人同様の声音に変化していました。
観察される限りでは、ふだんの里沙さんとは別人格の第三者が語ったように思われます。
 
憑依を解き、催眠から覚醒直後の里沙さんは、数分間話そうにも声が出ない状態になり、膝から下が冷え切って麻痺し、立ち上がれないという疲労の極みに陥っていました。
立てるようになるまで20分ほど休んでから帰宅しましたが、翌日になっても疲労は回復せず動けない状態が続き、三日目にやっと回復したという報告を受けています。
さて、これまで2005年6月4日の「タエの事例」セッション以後、里沙さんと筆者にあらわれた超常的能力・現象について紹介してきました。
このうち、超常的能力出現については事実として認めざるをえません。
では守護霊とおぼしき存在者の語りはどうでしょうか。
語られた内容について、できるだけ公正な立場に立って検討・考察をしてみたいと思います。
ただし、この検討・考察は、自分にはスピリチュアリズムに関する知識・情報がない、という里沙さんの証言を前提としていることをお断りしておきます。
また、超ESP仮説(里沙さんが筆者の心も含め、地上のどのような情報にも自由にアクセスできる無制限なESP能力を持っているとする仮説)も、ここでは考慮外としています。
(つづく)

2011年11月27日日曜日

筆者に起きた超常現象その2

(その1からのつづき)
(2)わたしに現れたヒーリング能力

 2006年8月31日、筆者にもヒーリング能力があることが偶然発見されました。
以来、母親の股関節痛へのヒーリングに始まり、同僚や知人たちに毎日一人以上はヒーリングを試し効果の検証してきましたから、その数は数百名になると思います。
肩凝りをはじめ腰痛・背中痛・五十肩・股関節痛・アトピ-性皮膚炎・椎間板ヘルニア・子宮筋腫の痛み、子宮腫瘍・心筋梗塞発作・ふくらはぎ筋肉痛、大腸癌等に実施して改善効果の検証をしてきましたが、成績は良好です。

特に痛みの解消と血行改善には効果がみられます。また、半信半疑で遠隔ヒーリングの実験を100件ほどしたところ、この成績も良好な結果でした。これには筆者自身が驚いています。
現在のところ直接・遠隔両ヒーリングの改善率は80%超程度というところでしょうか。
もちろん、この中には「タエの事例」を語った里沙さんの、脊柱側湾症による背骨痛・腰痛の緩和が含まれています。

わたしのやり方は、両手の平(左手のほうがエネルギーが強いようです)を約5分間患部に軽く当てるだけです。
当てると同時に、どこかから送ってくるであろう存在に対して、「この者に必要な最良の治療をお願いします」と念じますが、その後は精神集中などは不要で、会話をしながらでも一向に構わないのです。
ただし、このエネルギーは、わたしの意志によるコントロールは不能です。
向こう側からやってくるのにお任せというわけです。

クライアントは、懐炉を当てているような明らかに筆者の体温以上の熱感を感じることが多いようです。
また、終了した後も一時間くらい温感が続く場合があると言います。
なかには、ヒリヒリした感じとか、もわもわした圧力やひんやりした風の感じ、あるいは頭頂部や指先までエネルギーが走る感じや、汗が出るのを報告するクライアントもいます。
また、エネルギーの放射能力を伏せて、相手の手のひらに筆者の手のひらを5センチに程度近づけても、熱感やヒリヒリ感、モワモワした圧力感などを感知すると報告しますから、これが暗示効果によるものでないことは明らかです。
計測不能の何らかのエネルギーが手のひらの中心辺りから放射されている事実は間違いないと思われます。手のひらにも、きわめて微細な振動をしている薄い膜が張った感じがあり、その膜に熱を帯びたヒリヒリする感覚があらわれます。
わたしは、気功やレイキなどのエネルギー療法を見たことも、訓練したことも一切ありませんし、そもそもエネルギー療法については極めて懐疑的な立場でした。
せいぜい暗示効果ないし、プラシーボ効果によるものであろうと思っていました。
そういう懐疑的な自分にヒーリング能力が突如現れたことが何とも不可解で奇異な感じがしています。容易には認めがたいのですが、これはひょっとすると、霊による治療、すなわちスピリットヒーリングが起こっているのではないかと思います。

それは、いわゆる「気」などの、見えない身体エネルギーによるヒーリングとは違って、自分が極度に集中する必要もなく、まったく疲れることもないということ、そして、遠隔ヒーリングにおいても改善効果があるからです。

わたしあての2007年1月11日の第1霊信は次のように告げています。

「あなたが癒やしを起こすとき、多くの高級霊が治療例としてあなたのもとに集まる。
・・・ヒーリングをおこなった日には必ず自分の体を浄化しなければならない。
・・・瞑想しながら、へそに両手を当て『へそを中心にして光が体中に広がる』というイメージをしなさい」

この光のイメージによる浄化を怠ると、一定数のヒーリングをこなしたあとに何らかの不調が確かに起こることが体感できるようになってきました。

また、霊が見えると主張する3名の人からは、筆者の背後に複数の高級霊が見える、あるいは感じると指摘されました。
デモンストレーションを見学した、やはり霊的な感受性があると主張する3名からは、手のひらから白い霧状の粒子が盛んに放射されているのが見えたという報告を受けています。
こういったことに実証性があるわけではありませんが、ありうることではないかと思っています。
しかも、実験によって、国内ばかりでなく海外出張者への遠隔ヒーリングという時空を超える現象が瞬時に起こることも確認しています。
こうした唯物論科学では説明できない超常現象を体験したことによって、この三次元世界とは別の次元の世界があることを認めざるをえないと考えるようになりました。
ただし、こうしたわたしのヒーリング能力に関しては「二重盲検法(double-blind test)」を経ていないので、残念ながら科学的な実証があるという主張をすることはできません。
(つづく)

2011年11月26日土曜日

筆者に起きた超常現象その1

「タエの事例」との出会い以後、「ラタラジューの事例」に出会うまでの四年間に、里沙さんと筆者には、それまでに全く体験したことがない超常現象が起こるようになりました。
そうした数々の超常現象の直接体験は、霊的現象や霊的存在の真偽に対して努めて判断留保という、筆者のそれまでの立ち位置の変更を迫ることになっていきました。
こうして、筆者が、生まれ変わりはもちろん、いかにして霊的現象や霊的存在を認めることへ軸足を移していくことになっていったか、そのことによって、前世療法と前世の記憶についてどのように考えることになっていったかの足跡の記録をこれから述べてみたいと思います。
(1)里沙さんに現れた超常能力
前世遡行に成功し「タエの事例」を語った2005年6月4日から一週間ほど経って、里沙さんの左腕が赤黒く変色するという異変が起こりました。赤黒い変色とともに重く怠いという自覚症状を心配した彼女は、医師の診察を受けましたが特に医学的所見はなく、経過を見ましょうということでした。
そうした中、蛍見物に出かけ、舞っている蛍に向かって左手のひらを広げたところ、5~6匹ほどの蛍が左手のひらにとまったそうです。蛍は羽根を休めて後、数分して飛び去りました。この事実は同行した信頼に足る目撃者からの証言を得ています。
また、左腕の変色と重く怠いという症状はこの後消失したそうです。
この不思議な現象に出会った里沙さんは、タエとしての前世で、左腕を切り落とされたことが咄嗟に脳裏に閃いたそうです。
そして、左手のひらから何らかのヒーリングエネルギーが放射されているので、衰弱した蛍がエネルギー補給のために飛んできたのではないかと直感しました。
そこで、ご主人や知人の腰痛・肩凝り・関節痛等にヒーリングを試したところ顕著な改善効果が確認されたのです。
このヒーリング能力は現在も続いています。
こうしたヒーリング能力の出現と同時に、二層のオーラとその色が見えるようになったと言います(ただし、強い輝きを放っている人の場合に限るとのこと)。
オーラの色については、目前の人だけではなく、その人を特定できる情報さえあれば、遠隔透視ができるようになったと言います。
さらに、「生き霊や死霊(未浄化霊)が取り憑いていると、目前の人はもちろん、その人の名前・住所など本人が特定できる情報を聞いただけで、即座に悪寒・吐き気・頭痛など体調が悪化するという反応が起こるようにもなった」そうです。
厳密な検証実験をしたわけではありませんが、何らかの霊的能力が発現したことに疑いはないように思われます。
過去の文献にも、非常に深い催眠体験後、稀に透視など超常能力が出現したという報告があるのですが、どうやら里沙さんにも、「タエの事例」を体験したことを境に、そうした超常能力ないし、霊的能力が出現したことは、かなり信憑性が高いと判断しています。
(つづく)

2011年11月23日水曜日

生まれ変わり仮説(死後存続仮説)

(その6からのつづき)
(7)生まれ変わり(死後存続)仮説

この仮説は、里沙さんの証言を全面的に採用した場合には、もっとも支持できそうな仮説だと思われます。
そして、これまで検討してきた生まれ変わりを否定する六つの仮説の、それぞれに指摘した欠陥を、もっとも矛盾なく、解決できるものです。
生まれ変わりを認め、里沙さんの前世が、タエとラタラジューであったことを認める仮説ですから、彼女が自分の前世を語ることに、矛盾がないのは当然のことでしょう。
本当にあった前世を語るわけですから、それがセッション中の里沙さんの自然な受け答えになって現れていても、不思議ではありません。
活字になったセッション記録では伝えることのできない、語られた場面ごとの受け答えと、感情が込もった声の調子や表情は、きわめて自然なものでした。
2006年10月のアンビリで放映された「タエの事例」のセッションビデオ、2010年8月のアンビリで放映された「ラタラジュー」のセッションビデオをご覧になった方にはきっと納得できると思います。
また、これは両事例に立ち会った複数の研究者が、一様に認めている事実です。
里沙さんがあのように生々しくその場面を演じ切ったとは到底思えません。
とはいえ、「生まれ変わり仮説」を支持するためには、現行科学の知の枠組みをはずして考えなければなりません。
現行科学の知識の体系からみれば、個人の記憶が、時空を隔てた別の人格に伝達されるということは、ありえないからです。
記憶を蓄えているとされる物質である脳が、死後に消滅することは、言うまでもありません。
したがって、「生まれ変わり仮説」は、肉体の消滅後にも存続する意識体(魂とか霊と呼ばれるもの)の存在を認めないことには成り立たない仮説です。唯物論の立場に真っ向から対立せざるを得ません。
「肉体の消滅後にも何らかの意識体が存続する」という仮説は、「死後存続仮説」として、近代においても、様々に研究されています。臨死体験や、特殊能力者を通しての「霊」との交信などもその一環です。
こういった「死後存続」研究の中でも、きわめて大きな注目を浴びているのが、イアン・スティーヴンソンによる一連の「生まれ変わり」研究です。
スティーヴンソンは、世界中の、2000を超える「生まれ変わりとおぼしき事例」を、詳細かつ慎重に検証して、膨大な研究報告としてまとめています。その周到な情報収集と、あらゆる可能性を疑う公正な科学的態度は、一部の科学者からも高く評価されているようです。
ここでは「死後存続」研究やスティーヴンソンの「生まれ変わり」研究をめぐっての議論・評価に関して、深入りすることはできませんが、スティーヴンソンが、前世を語る子どもの年齢は、2歳~5歳に集中するといい、その理由は、この年齢層が、前世の記憶を思い出すことにとっては夾雑物である、現世の様々な記憶にまみれる前の段階だからだろうと説明していることは注目されます。
同様に、深い催眠中には、リラックスが深まり、現世の雑多な記憶や悩みの束縛から解放され、それらに邪魔されにくい状態になっています。したがって、筆者は、里沙さんの場合も、前世を語る子どもと同様に、催眠中には夾雑物が取り払われて、前世の記憶が甦(よみがえ)りやすくなっていたのではないかと推測しています。
しかし、生まれ変わり仮説は、語られた前世を検証するに当たって、それ以外にも考えられるすべての仮説を慎重に検討し、そのそれぞれの仮説にともなう矛盾を明らかにしたうえで、もっとも矛盾のない説明ができる仮説として、はじめて支持できるものです。里沙さんの語った二つの事例が、生まれ変わり仮説で、すべて矛盾なく説明できるかというと、次のような難点がやはり残るのです。
第一の難点は、名主クロダキチエモンが実在しないことです。前世が真実であるなら、自分の育ての父親の姓である「堀口」を、「クロダ」と間違えることは考えにくいでしょう。
また、育ての母親ハツの実在が、確認できていないことです。
第二の難点は、タエにまつわる人柱伝承、ないし類似の伝承が全く見あたらないことです。仮に偉大な存在者の言うように、「女は道具」であったとしても、村を救うために人柱となったタエの行為が、抹殺されたとは考えにくいと思われます。この大洪水による1500名余の犠牲者に紛れて村人の意識から忘れ去られたのかもしれません。
あるいは、身寄りのないタエの腕を切り落とし、人柱にした残酷さを深く恥じた村人たちが、申し合わせて口をつぐんだかもしれません。
後者は伝承が残っていないことが不自然という程度のレベルの難点ですが、前者の姓の間違いについては、致命的とも言えるかもしれません。
ただし、姓は違えどもキチエモンの名が実在していたことを、どう考えるかで評価が分かれるでしょう。まぐれ当たりに過ぎないと考えるか、何かの事情があると考えるか。
さらに、天明3年7月7日浅間山大噴火による吾妻川洪水被害記録に、タエの住む渋川村では「人一人流る」と記述されている事実と、タエの人柱との符合を偶然とみなすことができる否か。
里沙さんの語った前世のタエの記憶は真実であると考えるよりも、このように細部まで極めて手の込んだ作話を、意図的であるにしろ潜在意識であるにしろできると考えることの方が、筆者にははるかに信じ難いことのように思われますが、どうでしょうか。
「ラタラジューの事例」についての、唯一の難点は、彼の実在した伝承や文書記録が発見されていないことです。
しかし、ラタラジューがネパール語で応答的に会話したこと、被験者里沙さんがネパール語を学んだ痕跡が皆無であること、つまり応答型真性異言であることは明白です。
生まれ変わりの科学的研究からすれば、ラタラジューの実在確認の有無にかかわらず、応答型真性異言が確認されれば、それだけで生まれ変わりの最有力の証拠とされています。
したがって、筆者は、少なくとも里沙さんについては、「生まれ変わりが科学的に証明された」と宣言してよいと思います。
そして、一人の被験者に証明された生まれ変わりが、他の人々にも起きている蓋然性は高いと考えています。
これまでの記事で筆者は、「タエの事例」、「ラタラジューの事例」の全セッション記録とそれに基づく詳細な検証を述べてきました。
つまり、セッションで語られた事実の検証を根拠に、最終判断として「生まれ変わり仮説(死後存続仮説)」は支持しうると判断しました。
そして、筆者の判断について疑問を持つ方に対しての、反証可能性は開かれています。
ネパール語会話の分析、里沙さんの生育歴におけるネパール語との接触の有無の調査、ナル村実地調査、ポリグラフ検査などを再調査・再検査することはどなたにも開かれています。
こうして、唯物論の立場からの心理的抵抗による感情的反論ではなく、きとんとした科学的反証がなされない限り、生まれ変わりは証明された、と言う筆者の主張は覆ることはありません。

2011年11月22日火曜日

生まれ変わり反論仮説その6

(その5からのつづき)
(6)憑依仮説
2010・8・5のアンビリ視聴者の方で、ラタラジューが応答型真性異言を話したことを認める人の何人かから、あれはラタラジューを名乗る霊の憑依現象ではないか? という質問が届いています。
同様の質問は「タエの事例」にも当てはまります。
つまり、タエを名乗る霊が憑依したのではないかということです。
死後存続仮説を認める立場に立てば、生まれ変わりを含めて霊の実在を認めるわけで、もっっともな質問です。
 
その質問の回答を以下に述べてみます。
最初に里沙さんのラタラジューの顕現化したセッションの内観記録を紹介します。セッションの2週間後の記録です。
その後に、筆者の見解を述べていきます。
ちなみに、応答型真性異言発話中の意識状態の内観記録は、管見する限り一切ありません。非常に貴重な記録だと言ってよいと思います。
セッション中とその後の私の心情を述べたいと思います。こうした事例は誰にでも出現することではなく、非常に珍しいことだということでしたので、実体験した私が、現世と前世の意識の複雑な情報交換の様子を細かく書き残すのが、被験者としての義務だと考えるからです。
思い出すのも辛い前世のラタラジューの行為などがあり、そのフラッシュバックにも悩まされましたが、こうしたことが生まれ変わりを実証でき、少しでも人のお役に立てるなら、すべて隠すことなく、書くべきだとも考えています。
ラタラジューの前に、守護霊と稲垣先生との会話があったようですが、そのことは記憶にありません。ラタラジューが出現するときは、いきなり気がついたらラタラジューになっていた感じで、現世の私の体をラタラジューに貸している感覚でした。
タエのときと同じように、瞬時にラタラジューの78年間の生涯を現世の私が知り、ネパール人ラタラジューの言葉を理解しました。
はじめに稲垣先生とラタラジューが日本語で会話しました。
なぜネパール人が日本語で話が出来たかというと、現世の私の意識が通訳の役をしていたからではないかと思います。
でも、全く私の意志や気持ちは出て来ず、現世の私は通訳の機器のような存在でした。悲しいことに、ラタラジューの人殺しに対しても、反論することもできず、考え方の違和感と憤りを現世の私が抱えたまま、ラタダジューの言葉を伝えていました。
カルパナさんがネパール語で話していることは、現世の私も理解していましたが、どんな内容の話か詳しくは分かりませんでした。ただ、ラタラジューの心は伝わって来ました。
ネパール人と話ができてうれしいという感情や、おそらく質問内容の場面だと思える景色が浮かんできました。
現世の私の意識は、ラタラジューに対して私の体を使ってあなたの言いたいことを何でも伝えなさいと呼びかけていました。
そして、ネパール語でラタラジューが答えている感覚はありましたが、何を答えていたかははっきり覚えていません。
ただこのときも、答えの場面、たとえば、ラタラジューの戦争で人を殺している感覚や痛みを感じていました。
セッション中、ラタラジューの五感を通して周りの景色を見、におい、痛さを感じました。セッション中の前世の意識や経験が、あたかも現世の私が実体験しているかのように思わせるということを理解しておりますので、ラタラジューの五感を通してというのは私の誤解であることも分かっていますが、それほどまでにラタラジューと一体化、同一性のある感じがありました
ただし、過去世と現世の私は、ものの考え方、生き方が全く別の時代、人生を歩んでいますので、人格が違っていることも自覚していました。 
ラタラジューが呼び出されたことにより、前世のラタラジューがネパール語を話し、その時代に生きたラタラジュー自身の体験を、体を貸している私が代理で伝えたというだけで、現世の私の感情は、はさむ余地もありませんでした。こういう現世の私の意識がはっきりあり、片方でラタラジューの意識もはっきり分かるという二重の意識感覚は、タエのときにはあまりはっきりとは感じなかったものでした。
セッション後、覚醒した途端に、セッション中のことをどんどん忘れていき、家に帰るまで思い出すことはありませんでした。
家に帰っての夜、ひどい頭痛がして、頭の中でパシッ、パシッとフラッシュがたかれたかのように、ラタラジューの記憶が、再び私の中によみがえってきました。
セッション中に感じた、私がラタラジューと一体となって、一瞬にして彼の意識や経験を体感したという感覚です。ただ全部というのではなく、部分部分に切り取られた記憶のようでした。
カルパナさんの質問を理解し、答えた部分の意識と経験だと思います。
とりわけ、ラタラジューが、カルパナさんに「あなたはネパール人か?」と尋ねたらしく、それが確かめられると、彼の喜びと懐かしさがどっとあふれてきたときの感覚はストレートによみがえってきました。 
一つは、優しく美しい母に甘えている感覚、そのときにネパール語で「アマ」「ラムロ」の言葉を理解しました。母という意味と、ラタラジューの母の名でした。
二つ目は、戦いで人を殺している感覚です。ラタラジューは殺されるというすさまじい恐怖と、生き延びたいと願う気持ちで敵に斬りつけ殺しています。肉を斬る感覚、血のにおいがするような感覚、そして目の前の敵が死ぬと、殺されることから解放された安堵で何とも言えない喜びを感じます。何人とまでは分かりませんが、敵を殺すたびに恐怖と喜びが繰り返されたように感じました。
現世の私は、それを受け入れることができず、しばらくの間は包丁を持てず、肉料理をすることが出来ないほどの衝撃を受けました。前世と現世は別のことと、セッション中にも充分過ぎるほどに分かっていても、切り離すのに辛く苦しい思いをしました。
三つ目は、ネパール語が、ある程度わかったような感覚です。
時間が経つにつれて(正確には夜、しっかり思い出してから三日間ほどですが)忘れていってしまうので、覚えているうちにネパール語を書き留めてみました。
アマ・ラムロもそうですが、他にコド・ラナー・ダルマ・タパイン・ネパリ・シャハ・ナル・ガウン・カトマンズ・ブジナ・メロ・ナムなどです。
四つ目は、カルパナさんにもう一度会いたいという気持ちが強く残り、一つ目のことと合わせてみると、カルパナさんの声はラタラジューの母親の声と似ていたのか、またはセッション中に額の汗をぬぐってくれた感覚が母親と重なったのか(現世の私の額をカルパナさんが触ったのに、ラタラジューが直接反応したのか、現世の私がラタラジューに伝えたのか分かりませんが、一体化とはこのことでしょうか?)母を慕う気持ちが、カルパナさんに会いたいという感情になって残ったのだろうと思います。
セッション一週間後に、カルパナさんに来てもらい、ネパール語が覚醒状態で理解できるかどうか実験してみましたが、もう全然覚えてはいませんでした。また、カルパナさんに再会できたことで、それ以後会いたいという気持ちは落ち着きました。
以上が今回のセッションの感想です。このことから、私が言えることは、①生まれる前から前世のことは知っていたこと、それを何かのきっかけで(私の場合は前世療法で)思い出したこと、②生まれ変わりは確かにあること、③前世にとらわれることなく現世を生きなければならないこと、です。
以上の手記で分かるように、里沙さんはセッション中のラタラジューとの一体感、同一性の自覚があったことを明確に述べています。
また、セッション後に、諸場面のフラッシュバックがあったことや、いくつかのネパール単語を思い出したことも述べています。
さらに、ラタラジュー人格の意識内容を里沙さんの意識がモニターし、二つの意識が併存していたことも述べています。
ちなみに、この前世人格の意識とそれをモニターしてい意識が分離され、しかも併存状態にあったことは、SAM前世療法一般に報告される意識状態であり、ワイス式(ブライアン・ワイスの広めた技法)の前世療法でおこなった事例のセッション後感想では触れられることのない意識状態のようです。 
 
こうしたことから、ラタラジューが里沙さんの前世人格ではなく、まったく別人格の憑依現象とするのでは、説明がつきにくいと考えられます。
私は、「同一性の自覚の有無」「憑依様状態(人格変容状態)中の記憶の有無」が、前世人格と憑依人格を区別する一応の指標になると考えています。したがって、ラタラジュー霊の「憑依仮説」は、棄却してよいと判断できると思っています。
タエの事例においても同様です。タエが憑依霊である可能性は、すくなくとも里沙さんにおいてはない、と判断しています。
憑依した人格は、憑依された人格から見れば、明らかに「異物」であり、異物に対して「同一性の自覚」を持つことはまずありえないと思われます。「同一性の自覚の有無」を指標の仮説にした理由です。
また、宗教学のシャーマニズム研究でも、憑依とおぼしき間の記憶は欠落することが多いことが報告されています。
憑依人格が、憑依した人格を占有するわけですから、記憶が欠落するのは納得できるところです。
また、里沙さんにおいては、彼女の守護霊とおぼしき存在が憑依中の記憶が欠落することが3回に渡る実験によって確認されています。
ただし、憑依中の記憶のある被験者も存在することが確認できていますので、誰もが憑依中の記憶が欠落するわけではありません。
「里沙さんに限定して考察する限り」、ラタラジューとの「同一性の自覚が明確にあり」、ラタラジューの「語りの記憶もある」ことが内観記録から明らかです。
したがって、憑依仮説は棄却できると判断しています。
(つづく)

2011年11月21日月曜日

生まれ変わり反論仮説その5

(その4からのつづき)
(5)共同謀議仮説(ヤラセ仮説)
これまで述べてきた四つの仮説のほかに、「タエの事例」、「ラタラジューの事例」が、あまりに出来過ぎた事例であること、しかも同一被験者里沙さんがきわめて稀な二つの事例を語ったこと、さらに二つの事例ともにアンビリで放映されたことなどから、両事例が巧妙なヤラセではないかと疑うことは、もっともな懐疑精神だと思います。
2010年8月5日に「ラタラジューの事例」がアンビリで放映された直後、里沙さんのご近所の人たちから、なんと上手に演技したもんやね、という賞賛の声があったそうです。
アンビリは通俗番組であるから、ヤラセが当然あるという偏見から漏らされた視聴後の感想のようです。
しかし、アンビリのセッション映像には制作会社の手は一切加えられていません。
そもそも、あの真性異言証拠映像が撮られたのは、2010年8月のアンビリ放映の1年前2009年5月9日ですし、アンビリに取り上げられることを意識してビデオ撮影したわけではないのです。したがって、アンビリ制作会社が実験セッションに関与していたことは一切ありません。
どこまでも真性異言研究の実験セッションの証拠映像として記録する目的で撮ったものです。そして、セラピストである筆者を含め、共同研究者として同席者した医師・大学教授など4名は、応答型真性異言現象があらわれるという事前の確信はほとんどありませんでした。
このあたりの経緯は、拙著『生まれ変わりが科学的に証明された!』に記述してあります。
「タエの事例」についても同様です。2005年6月4日のセッション記録映像は2006年10月のアンビリ放映の1年半前に撮られていますから、この時点でアンビリ制作会社が実験セッションに関与していることはありえません。
また、このときにも「ラタラジューの事例」のときとは異なる、医師・大学教授・催眠研究者などが同席しています。
さて、さらに徹底的にヤラセを疑うとすれば、セラピストである筆者と被験者里沙さんが、両事例のセッション前に入念な打ち合わせをし、シナリオに沿ってセッションを展開したのではないか、また同席者も、そうしたヤラセに協力したのではないか、ということでしょう。
つまり、何らかの共同謀議のもとに、あたかも実験セッションのように見せかけたのではないかという疑いです。
そのようなヤラセではないことは、当事者の筆者が一番分かっているはずで、ヤラセは一切ないことを断言できます。
そして、里沙さんが、セッションの事前にセッションで語られた内容について情報収集していないことの証明のために、ポリグラフ検査をしたというわけです。
鑑定結果については、過去のブログ「被験者里沙さん証言の検証その5・6」に紹介したとおりです。
要するに、事前に情報収集していた認識(記憶)は全くない、という鑑定結果でした。
こうして、共同謀議仮説(ヤラセ仮説)の成り立つ余地はありません。棄却できます。
(つづく)

2011年11月19日土曜日

生まれ変わり反論仮説その4

(その3からのつづき)
(4)透視やテレパシーなどの万能の超感覚知覚仮説(超ESP仮説)
里沙さんが、通常の方法によらず、超常能力、つまり透視やテレパシーなどによる方法でタエに関する情報をことごとく入手し、それをあたかも前世の記憶として語ったとする仮説です。
突飛にみえる仮説ですが、超心理学では「超ESP仮説」として知られている仮説です。
超ESP仮説を唱えたのは、ホーネル・ハートとされていますが、この趣旨は、現段階ではESP(超感覚的知覚)の現界が分かっていないので、霊との交信とされるような現象も、原則として生者のESPによって起こりうると考えべきではないか、したがって、霊魂仮説(生まれ変わり仮説を含む)は不必要であり、節減の原理に反する、というものでした。要するに、霊魂や生まれ変わりなどを認めなくても生きている人間の心の力(ESP)で説明できる、というわけです。
つまり、超ESP仮説は、生まれ変わりのような奇怪な非科学的仮説を認めるくらいなら、テレパシーや透視など証明済みの超能力の限界をはずした、万能の超能力を認めるほうがまだましだ、と考える研究者によって支持されているというわけです。
こうして、100年余の生まれ変わりの科学的研究における最後の壁として立ちはだかったのが超ESP仮説でした。
ところで、超ESP仮説自体を証明することは、現在のところESPの現界が分かっていない以上、不可能です。
しかし、この仮説を完全に反証しなければ、生まれ変わりの証明ができないとすれば、死後存続(生まれ変わり)は完全な反証もされない代わりに、永久に証明もできないという袋小路に追い詰められることになってしまいます。
この超ESP仮説を「タエの事例」に当てはめて解釈すると次のようになるでしょう。
筆者が、タエ自身の存在証明以外については、通常の方法で検証できたわけですから、そうした検証に用いた諸情報を、万能の透視能力やテレパシーによって、筆者同様に入手し、前世の記憶として語ったと考えることは、一つの仮説としては成り立つでしょう。
ちなみに、5名のセッション見学者のうち、火山雷の知識のある者1名、ネパール旅行経験者1名、吾妻川を知っている者1名がいました。
筆者は「おカイコ様」という呼び方および、天明三年の浅間山大噴火と吾妻川の泥流被害のおおよそを知っています。
天明三年八月四日・五日の大噴火と火砕流、渋川村上郷という地名、安永という年号などの細かな情報は、筆者を含め同席6名の者は持っていませんでした。
超ESP能力仮説によれば、里沙さんが超常的な読心能力を発揮して、同席者の持っていたこれらの諸情報を入手し、さらに遠く群馬にある書物や人々の記憶まで超常的な超感覚知覚を発揮して読み取って、タエの架空物語を作り上げたということになります。
しかし、前世療法のセッション以前に、里沙さんが超常能力を発揮したことは、本人・周囲とも一度もないと証言しています。にもかかわらず、催眠中に突如として透視などESPが働き、しかもそれがほとんど万能に近いものであると説明するには無理があると言うべきでしょう。
また、タエ自身の存在については証拠資料は残っていませんし、渋川市周辺には浅間山噴火に関わる人柱伝説・伝承も、調査の結果皆無であることが確認されています。生者の誰かにタエ自身に関わる情報が存在している可能性もあるとは思えません。
結局、万能の超常能力をもってしても、タエそのものに関する情報はどこからも入手できる可能性がほとんど考えられないと思われます。
ただし、タエ以外の情報については、渋川市史などの情報を超ESPで入手し、それらを合成してタエの物語を語ったのだとする仮説を考えることもできなくはありません。
しかし、このような仮説に立ったとしても、里沙さんは、なぜよりによって、見たことも聞いたこともないタエと自分を同一視しなければならないのか、説得のある説明ができそうにありません。
また、催眠時に超常的な能力が発現するという事例は、わずかながらあるようですが、分散されたさまざまな情報源から入手した断片的情報を、瞬時に齟齬(そご)のないようにつなぎ合わせ、まとめ上げ、里沙さんが同一視しているタエと緊密に一致する人格を構築するのは、不可能なわざとしか思えません。
さらに、超ESP能力を駆使できたとすれば、名主堀口吉右衛門の実在を知り得たはずなのに、なぜそれをクロダキチエモンと言わねばならなかったのか説明がつきません。
こうして「タエの事例」において、超ESP仮説を適用することは、生まれ変わりを認めたくないあまりにひねり出した机上の空論と言えるでしょうが、しかしこの仮説を完全に反証し、棄却することは原理上不可能です。
あいかわらず、超ESP仮説で説明できる余地は残っています。
こうして、「タエの事例」は、生まれ変わりの完全な科学的証拠としては、弱点を残していることを認めざるを得ません。
それでは「ラタラジュの事例」においては、超ESP仮説を棄却できるでしょうか。
前述してきたやっかいきわまる「超ESP仮説」を打破するすることに敢然と立ち向かった生まれ変わり研究者が、バージニア大学人格研究室の故イアン・スティーヴンソン教授でした。
彼は、ESPでは原理的に不可能と考えられる現象が起こった場合には、超ESP仮説でも説明できない死後存続の証拠だとしてよいではないか、と考えたのです。そして、この考えを反証した学者は現在まで出てはいないのです。
したがって、彼の考えは、現在も、生まれ変わりの有力な科学的証拠として認められている、と言ってよいと思われます。
それでは、ESPでは原理的に不可能と考えられる現象とは何か。
それは、「技能」をESPによって獲得するという現象です。どんなに優れた超能力(霊能力者)であっても、学んではいない技能、たとえばバイオリン演奏技能などをESPによって獲得した、という事例は発見されていないのです。ただし、憑依とおぼしき現象はあり、それについては次回検討します。

超能力者(霊媒を含む)は、他人の持つあらゆる「認知的情報」をESPによって獲得する力を持っているかもしれないことを原則として認められていますが、「練習が不可欠な技能」だけは獲得できない
という事実です。
そして、様々な技能のうちでも、「学んだことのない外国語で会話するという技能」が、一つの典型だというわけです。
超心理学用語で、学んだことがないことが証明された外国語の会話技能は、「応答型真性異言responsive xenoglossy レスポンシブゼノグロッシ-)」と呼ばれています。
現在、世界で科学的に認められている応答型真性異言の事例は、「シャラーダの事例」、「イェンセンの事例」、「グレートヒェンの事例」、「ルシアの事例」の四つの事例です。このうち、「イェンセンの事例」、「グレートヒェンの事例」の二つが退行催眠中に起きた事例です。残る二つは、覚醒状態で起きています。
「ラタラジューの事例」も、退行催眠中に起きた応答型真性異言の世界三つ目の事例に加えられる資格があると筆者は自負しています。しかも、世界初の応答型真性異言発話中の証拠映像に成功しています。
そして、「ラタラジューの事例」を収載した拙著『生まれ変わりが科学的に証明された!』を出版して1年経過し、アンビリ放映から1年以上経過していますが、いまだに科学的反証がなされていないからです。
というわけで、「ラタラジューの事例」において、ナル村に関する情報などは超ESP仮説で説明可能ですが、ネパール語で会話した事実は応答型真性異言ですから、超ESP仮説は適用できません。
以上を考え合わせると、超ESP仮説には、「タエの事例」にはかろうじて適用可能の余地が残っても、「ラタラジューの事例」では適用できず説得力がありません。こうして、超ESP仮説はほぼ棄却できるということです。
(つづく)

生まれ変わり反論仮説その3

(その2からのつづき)

(3)遺伝子記憶仮説
前世記憶とおぼしき記憶に関して、「遺伝子の中に記憶が保存されるのではないか」という仮説も成り立ちます。
しかし、タエのケースではそれはありえません。タエが実在したとすれば、彼女は一六歳で人柱になったことになります。
彼女に子どもがいて、それが里沙さんの祖先であったということは考えられません。
若い母親を人柱にするということは、人間の心情としても、龍神という神様への「人身御供」という意味からしても、ありえないでしょう。
また、人柱になる前に白い花嫁衣装を着てごちそうを食べたことをうれしそうに語っているのは、子を持った女性の心情とは思えません。
ラタラジューのケースではどうでしょう。
里沙さんと血のつながりのある父方・母方の先祖の分かる限りの家系をたどってもネパール人は存在しません。
また、ラタラジューの生きた19世紀初め以後の里沙さんの先祖の家系に限っても、ネパール人が存在していないことが確認できています。
ラタラジューと血のつながる先祖は皆無であるということです。
そして、そもそも、遺伝子にこれだけの微細な事柄が記憶されるという科学的実証はありません。
したがって遺伝子記憶仮説は、棄却できるでしょう。
(つづく)

2011年11月16日水曜日

生まれ変わり反論仮説その2

(その1からのつづき)

(2)潜在記憶仮説

「潜在記憶」とは、通常の意識としては忘れてしまっており、全く記憶に出てこないのですが、実は潜在意識に蓄えられている記憶のことを言います。したがって、潜在記憶仮説で、被験者里沙さんの知るはずがないというタエの語り、ラタラジューの語りを解釈すれば、次のようになるでしょう。
里沙さんの証言は、彼女の自覚としてはそのとおりだが、記憶を忘れ去っているだけで、実は潜在記憶として、情報の貯蔵庫に蓄えられているはずだ。潜在意識が、情報の貯蔵庫に蓄えていた様々な情報を巧みにつなぎ合わせ、加工・変形して架空のタエやラタラジューの前世物語を作りあげ、フィクションとして語ったものだ、という説明になります。
確かに、催眠状態にあるクライアントは、セラピストの指示に従順に従おうとし、期待に応じようとする傾向があることは「要求特性」として知られています。
したがって、過去に得てきた情報を総動員して、架空の人格を作り上げ、それを自分の前世だと語る可能性は否定できません。
イアン・スティーヴンソンも、前世記憶と思われる数事例が、実は潜在記憶によるフィクションであったことを催眠を用いた実験によって確認しています。
こうしたことから、アカデミックな催眠研究者のほとんどが、前世記憶は、催眠中の要求特性によって潜在記憶が編み出したフィクションに過ぎない、と切って捨てるということになります。
しかし、タエの語った検証一致率8割超の事実を潜在記憶仮説ですべてを説明するのは、まず不可能のように思われます。
ラタラジューのネパール語会話に至っては、架空の人格がネパール語会話ができるはずがありません。
また、里沙さんがどこかでネパール語を偶然耳にし、それが潜在記憶として働き、ネパール語会話ができたのだ、という説明はネパール語と接する環境が皆無であった調査結果からまず成り立つ余地はありません。
その1で述べたたように、通常の手段による意図的情報収集でも、タエの語ったあれだけの内容は取得できないと思われます。
それはラタラジューの語った内容についても同様です。たとえば、「78」という数え方を「8と70」という現代ネパール語では使用しない古い数え方をすることを、里沙さんはいったいどこで聞いて、潜在記憶として蓄えたと考えられるのでしょうか。それでも、どこかで、偶然に、聞いたにちがいない、と主張するのであれば、牽強付会の誹りを免れないと言うべきでしょう。
こうして、偶然の経緯で、しかもインターネットなどの手段を使わず、タエやラタラジューの語り諸内容を知ることは、まずあり得ません。したがって、そうした内容を潜在記憶に蓄えていた可能性も、まず考えられません。
タエの語りにおいて、小説『浅間』は、出版から二年しか経っていませんので、それを読んでいて忘れるということも、まず考えられません。
また、潜在記憶仮説では作為は否定されますので、タエが「噴火」という言葉を知らないような態度を取ったことも、説明できません。
これらのことから、潜在記憶仮説が成り立つ可能性は棄却できるでしょう。
(つづく)

2011年11月15日火曜日

生まれ変わり反論仮説その1

生まれ変わりは科学的事実である、と前のブログで結論づけました。
そして、この宣言は唯物論科学とは真っ向から対立するものです。
生まれ変わりを認めることは、ただそれだけに留まることではなく、以下のように次々に認めざるを得ない論理的帰結が生じてきます。
生まれ変わりを認めると、脳以外にも生前の記憶や個性を保って死後存続する意識体(これを魂と呼んでおきます)を認めないことには、生まれ変わりという現象の説明が完結できません。
また、臨床の意識現象の事実として、前世の人生と次の生まれ変わりとの間には時間的隔たりがあることが分かっていますから、次の生まれ変わりまでの間、魂が待機している場ないし、次元を認めないわけにはいきません。こうした魂の待機している場、次元を一般に「霊界」と呼んでいます。
生まれ変わりを認めることは、霊界と呼ぶような次元を認めることになります。あるいは、肉体を離れた魂は現界のどこかにに留まっているのかも知れません。
いずれにせよ、魂を認めることは、霊界のような次元を認めることになり、そこに存在する高級霊や低級霊と呼ばれるような霊的存在をも認めることにつながります。
ちなみに、私は、「霊」が肉体に宿ると「魂」と呼び換えると定義しています。したがって、霊とは肉体を持たない魂です。また、前世と過去世は概念が違いますが、前世も過去世もまとめて「前世」の用語に統一して用います。
さて、生まれ変わりを科学的事実として認めることは、以上のように深甚な影響を及ぼすことですから、この判断には慎重のうえにも慎重を重ねて、「タエの事例」と「ラタラジューの事例」が生まれ変わり以外に説明のできないことを立証する必要があります。
そこで、できるだけ公正な立場に立って、生まれ変わり以外に両事例を説明できる様々な仮説を検討してみたいと思います。
(1)意図的作話仮説
この仮説は、里沙さんの証言をすべて否定するうえに成り立つ仮説です。里沙さんは、前もって入念に「タエの物語」と「ラタラジューの物語」を練り上げ、セッション中には催眠に入ったふりをしてその物語を語り、しかもそのすべてをなぜか隠しているという解釈です。里沙さんの人間性そのものを否定することになるので、筆者としてはくみしえないものですが、これも一応考えておかなければなりません。通常の手段でどれだけの情報が収集できるかという検証にもなるからです。
この仮説、とくに「タエの事例」には、有利になる背景があります。
それは、2003年に出版された、立松和平の小説『浅間』の存在です。この小説は、「ゆい」という娘が主人公で、天明3年8月5日の浅間山大噴火による鎌原火砕流と、それによってほぼ全滅した鎌原村が舞台として登場しています。
「おカイコ様」という呼び方も出てきます。この小説はラジオドラマ化され、舞台公演もされています。もし、里沙さんがこの小説『浅間』を知っているとすれば、架空の人格タエの作話は、さほど困難ではないと思われます。
筆者はこの点を彼女に詳細に尋ね、読んだことも、聞いたことも、見たことも一切ないという回答を得ていますが、意図的作話仮説に立てば、それは虚偽の証言ということになります。
しかし、小説『浅間』だけでは、これらの内容を組み立てることは不可能です。「安永九年のとき13歳、三年後の天明三年のとき16歳」、「ばと様」「浅間山の龍神信仰」「上郷馬頭観音堂」などの情報はこの小説からは引き出せません。
特に、年号の問題はきわめて重要です。安永という年号は、中・高の歴史の教科書には出ていません。ちなみに、筆者の同僚の中学校社会科教師六人に、「安永」を知っているかを尋ねてみましたが、全員が知りませんでした。まして、安永が10年で終わり天明元年と重なっていることを知る一般人は、まずいないでしょう。「安永九年のとき13歳」で、「天明三年のとき16歳」ということを、瞬時のためらいもなく言えるということは、なかなかできるものではありません。
したがって、これだけのタエの物語が作られるためには、加えて、インターネットの検索能力が必要とされるはずです。
しかしながら、インターネットでもこれらの事項を検索することは、かなりの時間と知識が必要です。しかも、「ばと様」「浅間山の龍神信仰」「上郷馬頭観音堂」といった情報は、インターネットからは知ることができません。
これらは、『渋川市史』を読むなり、現地を訪れるなりしないと、得られない情報です。龍神信仰のことは当てずっぽうで言えるかもしれませんが、馬頭観音のこと、そして特に「ばと様」という特殊な呼び方は、現地でしか得られない情報だと思われます。
「ラタラジューの事例」にしても同様です。ナル村、コドという雑穀、ヒルの棲息、フラッシュバックしたナル村風景のスケッチなどはインターネットの検索では入手出来ません。
また、このような入念な情報収集をして作話をし、しかもそれを意図的に隠すという必然性が彼女にはありません。
そもそも彼女は、自分の病気(脊柱側湾症)の理由を知り、現世の生き方の指針を得るために、前世療法を希望したのです。
それも何らかの詐欺行為だとすることが考えられるでしょうか。
集まった研究者たちの期待に応えようとした、という見方も、そういった条件がなかった第一回に、すでにタエの記憶が断片的にであれ出ているのですから、不自然です。
加えて、筆者の多くの催眠誘導体験から見て、里沙さんが催眠に入ったふりをしていたとか、タエやラタラジューを演技をしていた、とはどうしても考えられません。
複数の研究者が見学していますし、証拠として彼女の表情を克明に写したビデオが残っていますから、まちがいなく、催眠性トランスに入っていたと断言できます。
さらに、用意されていたいかに巧みな作話であったとしても、筆者が、偉大な存在者の憑依実験をすることまでは、予想できないはずです。雷神に供える馬を鎮めるために、タエの左腕が切り落とされ、上郷の馬頭観音下に埋められているという語りをはじめとする、偉大な存在者の語りを、その場で瞬時に作話できた、とするには無理があるように思われます。
さらにまた、里沙さんが作話をして人を欺く意図があったのなら、決定的な証拠である名主「堀口吉右衛門」という名前を、なぜクロカワキチエモンと言ったのか説明できません。
筆者が検索できたように、天明三年当時の渋川村の名主が、「堀口吉右衛門」であることは、作話する過程で、彼女にも検索可能だと思われます。
それをわざわざ、名字だけ史実と食い違うようにしなければならないのか、納得できる理由が見当たらないのです。
そして、作話などしていない、という里沙さんの証言を、嘘だと疑わねばならない証拠が、何一つあがっているわけではありません。
もし、作話しているのであれば、証言書に夫婦で署名・捺印することや、二度にわたるアンビリ放映を承諾することも普通の神経ではとてもできるとは思われません。
アンビリに二度出たからといって、里沙さんに利得が何かもたらされたわけではなく、むしろ好奇の目に晒されただけです。彼女自身に生まれ変わりとしか考えられない確信があり、その事実を多くの人に知らせることへの使命感がアンビリに出ることを決断させたのです。
そして、意図的に作話のための情報収集した記憶(認識)はない、というポリグラフ検査の鑑定結果が出ています。
以上のように、意図的作話仮説は成立の可能性がないと判断できます。
(つづく)

2011年11月13日日曜日

被験者里沙さん証言の検証その6

(その5からのつづき)
②ポリグラフ検査の鑑定結果と考察
 
次は鑑定結果の原文です。
鑑定事項1「タエの事例」に関する事前の情報入手経緯については「本・雑誌類で」で明確な特異反応(顕著な皮膚電気反応)を認めたが、内観には考慮すべき妥当性があり前世療法を受ける以前の認識(記憶)に基づくものか否かの判断はできない。
考慮すべき妥当性ある内観とは「セッション後、稲垣からこんな本読んだことはないかと尋ねられる度に本屋に走り本を読んだりした。
また、稲垣の『前世療法の探究』を読んだ。こうした経緯があり、前世療法を受けて以後のことながら、1回目の質問の時から情報入手経緯の本・雑誌について、いいえ、と回答することには引っかかりを感じた」という内観報告である。
したがって、特異反応はこうした内観に矛盾しないものである。
鑑定事項2「タエの事例」に関する情報入手時期については何れにも特異反応を認めず特記すべき内観なし。
これらに対する認識(記憶)は全くないものと考えられる。

鑑定事項3
「隣人」を意味するネパール語について、chimeki(チメキ)には特異反応を認めず。
特記すべき内観なし。
これが該当事実であるとの認識(記憶)は全くないものと考えられる。
鑑定事項4「息子」を意味するネパール語について、 chora(チョラ)には特異反応を認めず。
特記すべき内観なし。
これが該当事実であるとの認識(記憶)は全くないものと考えられる。

鑑定事項5 「ルピー」には注目すべき特異反応を認めず。
これが該当事実である認識(記憶)は全くないものと考えられる。
さて、上記の鑑定内容にさらに説明を加えると、次のようなことになります。
、「タエの事例」に関して事前の情報入手をしていたかどうかについては、その情報を入手した時期の認識(記憶)はない。
つまり、情報を事前に調べた認識(記憶)はない
しかし、本・雑誌から事前入手した認識(記憶)はあるという一見矛盾した鑑定結果が出たということです。
ただし、本・雑誌を読んだのは、「タエの事例」セッション以後の認識(記憶)であることの妥当性を持つ根拠があるので、セッション以前に本・雑誌から情報を入手していたという判断はできないということです。
そして、セッション以後であっても、本・雑誌という情報入手経緯について、明確な特異反応(嘘をついている反応)が認められたことは、里沙さんの嘘を隠せない誠実な人柄の現れと見ることができ、鑑定結果全般の信頼度が保証されるという鑑定者の見解でした。
もし、鑑定事項2の回答の中に「セッション以後」という回答が設定してあれば、おそらく里沙さんはこれに特異反応を示したはずで、そうなれば、セッション以前にタエに関する情報を入手した認識(記憶)はない、との鑑定結果が出たに違いないと思われます。

、3語のネパール語に関する認識(記憶)は全くないものと考えられる、という鑑定結果から、少なくとも里沙さんが、意図的にネパール語を学んでいた可能性はないと判断できます。
特に、ネパール語を学んでいて通貨単位のルピーを知らないはずはないでしょう。
したがって、意図的作話仮説が成り立つ余地はありません。
しかしながら、検査に使われた単語のchora(チョラ・息子)も chimeki(チメキ・隣人)も、セッション中にカルパナさんが用いた単語で、記憶していた九つの単語同様、里沙さんがこれら2語も記憶していてもいいはずの単語です。
にもかかわらず、里沙さんは全く特異反応を示さなかった、つまり、知っているという反応が全く出なかったという結果は何を意味しているのでしょうか。 
考えられる可能性は三つあります。
一つ目は、chora もchimekも、顕在意識・潜在意識の両方ともに、初めから完全に記憶に留めていないと解釈することです。
二つ目は、催眠中の潜在意識の下で里沙さんが知った単語なので12単語のうち二つの単語は潜在記憶となっ抑制されており、顕在意識としては知らないものとして処理され反応しなかった、と解することです。
もう一つの解釈は、ラタラジューは里沙さん自身ではない前世の人格であるので、カルパナさんの用いた単語の記憶すべてがそのまま里沙さんの記憶とはならず里沙さんは知っているという反応を示すことがなかった、と考えることです。 
いずれにせよ、以上のポリグラフ検査鑑定結果によって明らかになったことは、ポリグラフ検査で判断できるのは、あくまで顕在意識としての記憶の有無であり、潜在記憶の有無は判断できないという事実です。
このことは、意図的作話仮説の検証にポリグラフ検査の有効性を認めることはできても、潜在記憶仮説の検証には有効性がないだろうということです。  
しかしながら、里沙さんがネパール語を現世の人生のどこかで無意識的に学んでいるにもかかわらず、その記憶を忘却しているだけだ、とする潜在記憶仮説で説明することにきわめて無理があることは、生育歴の調査結果から明白です。
したがって、潜在記憶仮説も棄却できると判断しました。
こうして、「ラタラジューの事例」を催眠中にあらわれた世界3番目の応答型真性異言として認めることができると判断するに至りました。
このことは、ラタラジューという前世のネパール人が実在していたことを認めることであり、つまり、生まれ変わりの科学的証明が、確かな証拠映像に基づいてついにおこなわれたと結論づけたということです。
生まれ変わりは科学的事実であるということなのです。
筆者は、少なくとも里沙さんにおいては、生まれ変わりが事実であると証明された、と宣言したいと思います。
なお、この「ラタラジューの事例」は、2010年8月フジTV系列番組「奇跡体験アンビリボー」で60分間にわたって紹介され、前回2006年10月放映の「タエの事例」以上に注目されることになりました。
そして、この番組によって前世人格ラタラジューの応答型真性異言発話中の映像が世界初公開され、生まれ変わりを証明する科学的証拠として非常に大きな反響を呼ぶことになりました。
ちなみに、視聴率は12、8%の高視聴率であったということです。
(つづく)

被験者里沙さん証言の検証その5

(その4からのつづき)
ポリグラフ検査による鑑定と考察

 ここまでの検証結果で、「ラタラジューの事例」が真性異言である可能性はきわめて高い、と判断できるものでした。
そして、最後の詰めの検証として、ポリラフ検査をおこなうことにしました。
ポリグラフ検査は、一般に「嘘発見機」と呼ばれているものです。
人は記憶にあることを聞かれたとき、無意識に身体が反応してしまう、その微少な生理的反応の変化を身体各部にセットした精密な測定機器によって記録し、その記録を分析・解読することによって嘘を見抜くという原理です。具体的には、検査者の質問に回答するときの呼吸・脈拍・発汗などの微少な変化を計器で測定・記録することになります。
ポリグラフ検査による鑑定で、里沙さんが意図的にネパール語を学んでいた記憶はないという鑑定結果が出れば、科学機器を用いた検証結果として強力な証拠能力を持つだろうと考えたのです。 
 
この提案を里沙さんに伝えましたが、彼女とご主人への説得は難航しました。
証言書まで書かせておきながら、その上にポリグラフ検査とはいかにも疑り深過ぎると思われるのは至極当然の心情です。
結局、生まれ変わりの科学的研究への貢献のためにという粘り強い説得によって了解を取り付けることができました。
ポリグラフ検査で決定的に重要なことは、測定記録データを精査・解読でき、信頼できる鑑定眼を持つ検査技師に依頼することです。
そうした権威ある検査者が、事情をすべて知ったうえで快く引き受けていただけるかが気がかりでした。
人選の結果、日本法医学鑑定センターの荒砂正名氏に依頼することができました。
荒砂氏は、前大阪府警科学捜査研究所長で、36年間に8000人を超える鑑定経験を持つ日本有数のポリグラフ検査の専門家です。
鑑定依頼の事情を知った上で快諾していただけました。 
2009年8月6日に里沙さんの自宅において、2時間40分に及ぶポリグラフ検査が実施されることになりました。
①ポリグラフ検査の内容
ポリグラフ検査の対象は5件の鑑定事項でした。そのうち2件は「タエの事例」についての情報入手経緯・時期の記憶に関すること、2件はネパール語の知識に関するもの、残り1件はネパールの通貨単位ルピーに関するものです。 
その検査内容の概要を手元にある鑑定書から拾い出して紹介します。 
鑑定事項1 「タエの事例」に関する事前の情報入手経緯は左のどれか?
ラジオ・テレビ等の番組を通じて。 インターネットなどで。 新聞記事・パンフレット類で。 本・雑誌類で。     人から聞いたり教わることで。

鑑定事項2 「タエの事例」に関する事前の情報入手時期は左のいずれか?

保育園・小学校の頃。 中学生の頃。高校生の頃。 女子大生のころ。 独身で働いていた頃。 結婚して以降。

鑑定事項3  「隣人」を意味するネパール語は左の何れか?(該当はchimeki)

tetangga(テタンガ)  chimeki(チメキ)  vecino(ヴェシーノ)  jirani(ジラニ)   najbaro(ナイバロ)

鑑定事項4  息子を意味するネパール語は左の何れか?(該当はchora)

chora(チョラ)   filo(フィロー)  hijo(イーホ)    nmana(ムワナ)   anak lelaki(アナク レラキ)

鑑定事項5 ネパールの通貨単位は左の何れか?(該当はルピー)

レク  ルピー   クワンザ   ダラシ   プント
上のような一から五の鑑定事項の質問に対して示された一つ一つについて、被鑑定者は記憶があっても、「いいえ」「分かりません」とすべてについてノーの回答をすることがルールです。
このルールに従って一つの回答につき十数秒間隔で質問し、このときの生理的諸反応を記録します。
一系列の質問が終わると2分休憩し、その間に内観報告(内省報告)をします。
同様の質問をランダムに3回程度繰り返します。
被鑑定者は肯定に該当する回答に対して毎回否定の回答しなければならず、つまり、毎回嘘をつくわけで、この嘘をついたときの特異な生理的諸反応が計器に記録されるという仕組みになっています。 
ネパール語の鑑定事項3・4に関しては、次のような慎重な配慮のもとに単語が選ばれています。
本検査前に、セッション中に使用されたネパール語12単語を抽出し、その記憶の有無を事前検査して、覚えていた単語は本検査の回答から外すという慎重な手続きをとってあります。
 
里沙さんが、セッション中に使用されていたネパール単語で本検査前にも記憶していた単語は、九つありました。これらの単語を除き、セッション中に使用されたにもかかわらず、彼女が覚えていないと答えているネパール単語3語のうち2語、chimekiと choraが鑑定用単語に選ばれています。なお、鑑定事項5「ルピー」という単語は、セッション中には使われていない単語です。
(つづく)

2011年11月12日土曜日

被験者里沙さん証言の検証その4

(その3からのつづき)
里沙さん夫妻の証言書

里沙さんへの聞き取り調査をし、証言内容の裏付け調査をおこなった結果、彼女が意図的にせよ無意識的にせよ、ネパール語を学んだことを疑わせる形跡は、何一つ浮上しませんでした。
ネパール語会話能力を身に付けるためには相当の学習時間を要することは明らかで、彼女の生育歴にも結婚生活の中にも、そのような学習時間が費やされた形跡はありません。
そもそも、ネパールに全く興味がないと断言する里沙さんには、ネパール語を学ぶ動機もなく、車または公共交通機関を用いて往復2時間圏内には、ネパール語の学習施設もありません。
そうした検証結果が出たところで、「ラタラジューの事例」を生まれ変わり研究関連学会発表と出版することに承諾をいただき、そのための証拠資料として、次のような証言書に夫婦で署名・押印してもらいました。
                           証言書
ネパール人ラタラジュー人格が初めて出現した2005年6月の前世療法セッションのおこなわれた以前にも以後にも、私はネパール語を意識の上では全く知りませんでした。
また、ネパール語の勉強をしたこともありませんし、理解したり会話したりすることも全くできなかったことをここに証言します。
2005年6月の初回セッションから、2009年5月の真性異言実験セッションの間に、学校であれそれ以外のどこであれ、ネパール語を勉強したり、誰かにネパール語で話しかけられたりすることも、目の前でネパール語で会話されているのを見たり聞いたりしたことも全くありません。
私はインターネットが使えませんし、誰かに頼んでインターネットでネパールについて情報を調べたこともありません。また、ネパールへ旅行したこともありません。それは、ラタラジュー人格が初めて出現した初回セッション以前も以後も同様です。
現在も結婚前も、私の住んでいる地区・職場・親戚、学校時代の友人、現在の友人など、私の生活してきた環境にネパールの人は一人もおりません。
私が唯一ネパール語かも知れない言葉を耳にしたのは、息子たちと食事に行ったインドカレー料理店で、店員の異国の方が何か一言二言厨房に向かって短く異国語で話しているのを一度聞いたことがあることだけです。ただし、この方がどこの国の人で、言葉が何語であるかは全く分かりませんでした。
 
以上の内容に間違いがないことをここに証言します。         
                                                         ○○○○ 印(夫)
                                                   ○○○○ 印(妻)

残る最後の検証手段は、ポリグラフ検査(嘘発見器)にかけることでした。
ただし、ポリグラフ検査の実施には、ご家族の抵抗があり、生まれ変わりの科学的研究のために協力をお願いするにあたっては少々時間が必要でした。
証言書まで書かせ、署名・押印したうえに、さらにポリグラフ検査を受けよとはいかにも疑り深いではないか、という非難を浴びることは当然のことです。
(つづく)

2011年11月11日金曜日

被験者里沙さん証言の検証その3

(その2からのつづき)
③ネパール人らしき人と接触した唯一の記憶
里沙さんの証言によれば、市内のインドカレー料理店に息子と三度食事に行った折りにその店のコックとウェイターが外国語で会話しており、その人たちがインド人かネパール人かも知れない、というのが、唯一ネパール人らしき人と接触した記憶でした。
筆者はその料理店を教えてもらい、平日の店の空いている時刻をねらって裏付け調査に出向きました。店には二人のネパール人ウェイターと一人のインド人コックが働いていました。
ウェイターの一人であるライ・ルドラさんに調査の事情を説明し、協力をお願いしました。
ライさんは37歳、カトマンズ東方の東ダランの出身で、ネパールに妻子を残して出稼ぎに来ていると話してくれました。 
ライさんの証言によれば、客を前にしてウェイターどうしがネパール語で会話することは控えており、カウンター越しに厨房(ちゅうぼう)に向けてヒンズー語でインド人コックと話すことはあるということでした。
また、日本人にネパール語を教えたことはない、とのことでした。
もちろん、里沙さんが客として来店した記憶は全くありませんでした。
また、彼はカトマンズ周辺の地理に詳しいというので、ナル村を知っているかと尋ねたところ、まったく知らない答えました。
カトマンズ周辺に詳しいというネパール人ですら、ナル村の存在を知らないということです。
(つづく)

2011年11月10日木曜日

被験者里沙さん証言の検証その2

(その1からのつづき)
②結婚後の生活歴調査
婚家は、A市中心の商店街にある非常に多忙な食品小売り業であり、その切り盛りをしながら、早朝から夜遅くまで家業と家事と二人の息子を育てるという、個人的自由時間のほとんどない生活をしたということです。
息子が成人した頃には姑が体調不良なり、その介抱と、自身の脊柱側湾症の悪化による痛みとその治療に苦しむ生活で、やはり時間的ゆとりはほとんど持てない生活が続きました。
2時間以上の外出は姑の手前遠慮し、それ以下の時間で友人との語らいや買い物でも、必ず行き先を告げるのが結婚以来の決まりだったそうです。
やがて、家業を続けることが困難になり、2000年、42歳のときに店を閉めた後、2年間は県民共済組合のチラシ配りのパートタイマー、2002年からはNPO法人の紹介で食事介護のパートタイマーとして働き、現在に至っているとのことでした。
この結婚後の生活歴の中で、一日約3時間のパートの仕事中、あるいは家庭内生活中でネパール人、ネパール語との接触の可能性を確認するため、地方公務員であるご主人に問い合わせましたが、テレビ・本などによるネパール語会話の練習やネパール人の友人・知人等との交際は、結婚以来一切なかったとの回答でした。
里沙さんの夫が外国嫌いという事情もあり、夫婦ともに海外渡航歴は、新婚旅行でフランス・スイスに行った以外に一切ありませんでした。
また、里沙さんの住む商店街近辺にはアパートはなく、それ以外にも近所に在住するネパール人がいないことを確認しました。
ちなみに、里沙さんの住むA市は、人口42万人の地方都市です。
市役所に出向き、初回セッションの2005年から第二回セッションの2009年までの5年間の年毎のネパール人の在住人数を調査しました。その結果、最多の年で33名、最少の年は25名であり、総人口に占める平均割合は0、007%でした。
この期間中に里沙さんが、A市内でたまたまネパール人と知り合い、家族にも知られず密かにネパール語を学んだ可能性は、彼女の日常生活の実態から考えて、まずあり得ないと判断してよいと思われます。
(つづく)

2011年11月9日水曜日

被験者里沙さん証言の検証その1

(ラタラジューの語りの検証からのつづき)
これまでの検証で、ラタラジューのネパール語会話が「応答型異言」であることは確認できました。
また、ラタラジューの語り内容の諸事実に誤りのないことも検証できました。
問題は、「真性異言」であるかどうかです。
つまり、被験者里沙さんが通常の方法でネパール語を学んでいた可能性の有無についての検証を徹底的にすることです。
里沙さんの、これまでの人生の過程で、ネパール語を学んでいない、という検証結果が確認できてはじめて、「応答型真性異言」だと判断できるのです。
この検証は、100%の結果を期すためには相当の困難が伴います。
しかし、限りなく100%に近い調査結果を出さないところでは「真性」の「異言」、つまり、学んだはずのないネパール語で会話した、と判断することはできません。
「応答型真性異言」の証明は、超心理学における生まれ変わり研究で、生まれ変わりの科学的証拠として最有力な現象とだとされているのですから、慎重にも慎重を重ねた綿密な検証が必須の条件です。
そこで、科学的検証のために、次の3点についての検証をおこなうことにしました。
①里沙さんの生育歴の中でネパール人、あるいはネパール語との接触の有無を徹底的に調査すること。
②学会発表や出版物に公表する前提を了解のうえで、里沙さんご夫婦に証言書の署名・押印していただくこと。
③経験豊富で権威が認められている検査者によるポリグラフ検査を実施し、鑑定書を発行してもらうこと。
以上が現行の検証調査で考えられるもっとも信頼度の高い方法だと思われます。ちなみに、先行研究者イアン・スティーヴンソンも同様の検証をおこない「応答型真性異言」事例を公表しています。(『前世の言葉を話す人々』)
里沙さんの証言の裏付け調査

まず最初に疑われるのは、里沙さんが生育歴のどこかでネパール人と接触し、そこでネパール語を無意識的、あるいは意図的に学んでいたのではないかということです。
そこで、まず里沙さんに綿密な聴き取り調査をし、その裏付け調査を可能な限りおこないました。
最初に、家族・親戚でネパール人、およびネパール語の話せる人間はいないことを確認しました。
それ以外の聞き取り調査と、その裏付け調査の結果は次のようでした。

①結婚するまでの生育歴調査

昭和33年、A市近郊田園の広がる田舎町B町の自営業両親の二人姉弟の長女として生まれました。幼稚園・小中学校・高校ともに地元の学校へ通学しています。
幼稚園は一クラス30名、小学校は一学年二クラス約60名、全校360名程度の小模校でした。
中学校も、一学年二クラス60名の小学校時代の卒業生がそのままスライドして、もう一つの小学校卒業生と一緒になり一学年二クラス80名弱、全校240名程の小規模校でした。
高校は地元の普通科高校に通い、一学年400名、全校1200名ほどの規模でした。
幼・小・中・高時代の各親しい友人の中で、里沙さんとネパール人、あるいはネパール語との接触を知っている、噂を聞いているという人物は皆無でした。
昭和40年代当時の在日ネパール人状況からしても、地方都市近郊の田舎町B町に在住していた形跡はないと推測でき、仮に里沙さんの幼・小・中・高時代にネパール人知人・友人があり、しかも、ネパール語会話が身に付くほどに親しく長く交際していれば、その事実を友人・両親・弟・に隠し通すことはまず不可能だと思われます。
また、ネパール人との交際を隠さなければならないような事情があるとは思われません。
大学はA市の全学400名程度の四年制私立大学家政学部へ入学し、実家から通学、栄養士の資格を取得しました。
彼女の大学時代に、ネパール人、あるいはネパール語との接触を知る友人は皆無でした。
卒業後、初めて実家を離れ、全校150名ほどの山間僻地中学校の学校給食栄養職員として就職、勤務先教員住宅で自炊生活を3年間経験します。
この就職中にも、ネパール人、ネパール語との接触を知る同僚職員はいませんでした。
就職3年後、24歳で結婚のため退職、地方都市A市内商店街の食品小売り業の長男(地方公務員)の家に嫁ぎ、舅・姑との同居生活を送り、現在に至っています。
24歳で結婚するまでの生育歴で、里沙さんは、ネパール人との接触の事実は一切ないと証言してますし、ネパール語を学ぶ機会のもっともありそうな高校・大学時代の友人への問い合わせ、高校・大学事務局への問い合わせ調査の結果、ネパール国籍の生徒・学生が在籍していた事実はありませんでした。
また、当時(昭和50年代初頭)通学した大学のあるA市、A市から40kmほどの距離にある名古屋市にも、ネパール語会話の学べる施設はありません。
なお、里沙さんの高校・大学時代(昭和40年代後半)に、A市またはその周辺にはインド人・ネパール人が働くインド料理店・ネパール料理店などははありませんでした。
こうして、幼・小・中・高・大学の各友人への聴き取り調査を通して、ネパール人、あるいはネパール語との接触を証言した人物は皆無でした。
(つづく)

2011年11月8日火曜日

ラタラジューの語りの検証その12

(その11からのつづき)
⑧ラタラジューの実在証拠について
語り内容のうち、残る最後の検証は、ラタラジューのナル村村長としての実在証明ということになります。
ナル村で現地聞き取り調査をし、100年程度前の村長ラタラジューの記憶を持つ子孫あるいは住民を発見することです。
ラタラジューは自分を文盲だと語っていますから、自身が記録を残していることはあり得ないことになります。
また、文盲率の高いナル村民が彼の記録を文書として残していることもほぼ絶望的ですから、子孫または古老の記憶に頼るしかありません。
あるいは、ナル村を統治した地方首長などが、文字記録として残しているものがあればそれを発見することです。 
この検証調査こそ、ネパール在住ソバナ博士に依頼した最大の目的でしたが、残念ながら現時点ではラタジューの実在を確認するには至っていません。
ソバナ博士によれば、ネパールは1950年代以前の戸籍の記録はない社会であり、加えて1995年~2005年にかけて山村・農村の住民による反政府武装闘争が勃発、ナル村でも役場に保存されていた多くの個人情報の資料が焼かれたということです。
したがって、ナル村役場には村開発の企画書と投票者名簿以外の文書資料はなく、残りの資料は担当者が個人の家に持ち帰り散逸してしまっているので、資料からの調査は不可能な状態であるということでした。
また、34名の村の古老に聴き取り調査をした結果でも、ラタラジューおよび、その妻ラメリなど家族を知る確かな証言は得られなかったということでした。
聞き取り調査での証言の信頼性が保証されない理由として、みんな自分がラタラジューの子孫だと言いたがること、調査に協力すると何らかの利得があると思い込んでいるので嘘の情報を語っている可能性が疑われるからだということでした。
ただし、聞き取り調査の収穫がまったくなかったわけではありません。
38年前に80歳で死亡しているラナバハドゥールという長老は、若い頃には兵士であり、その後村に戻り、晩年はタカリ(長老)と呼ばれ、村の指導的存在だった、という確かな情報がその孫に当たる村民からの聞き取り調査で得られています。
つまり、ラタラジューの生涯に酷似した人生を送ったタマン族青年が実在していたということです。
この事実は、ラナバハドゥールが、青年時代を兵士として送った村長ラタラジューを知っており、それに倣って自分も兵士となり、その後帰村してラタラジューのように村の長老になったという可能性を示唆しているかもしれないからです。
つまり、ラナバハドゥールという人物の実在は、それと酷似した人生を送ったと語っているラタラジューが実在していても不自然ではないことを示しています。
前世人格ラタラジューは、ナル村に関する語りの具体的事実に食い違いがないこととも相まって、その実在が濃厚であるかのように思われます。
(つづく)

2011年11月6日日曜日

ラタラジューの語りの検証その11

(その10からのつづき)
⑦「シャハ」と「ラナ」との関係について
ネパール語で対話する前の筆者との日本語対話で「・・・戦いました・・・ラナ・・シャハ・・・ラナ、戦いをした」とラタラジューは語っています。また、カルパナさんのネパール語対話でも「ラナ」という単語を四度発語しています。
「シャハ」と「ラナ」、および戦いとの関係はいったいどのような事実関係が推測できるのでしょうか。
シャハとはシャハ王朝を意味すると考えて間違いないでしょう。
シャハ王朝は、1768年に始まり最近廃絶した王朝です。そのシャハ王朝で、1846年以後1951年まで、ネパールを実質支配する独裁権力を振るった宰相家が「ラナ家」です。
ラナ家が独裁権力を握るために、1846年に有力貴族を殺害するという流血の権力闘争がありました。
また、1885年にはラナ家内部で流血クーデターが起きています。
一方、タエが人柱になったのは1783年(天明三年)です。それ以後にラタラジューとして生まれ変わったとされているのですから、彼がシャハ王朝とラナ家を知っていることに矛盾はありません。
したがって、ラタラジューが発語した「ラナ」とはネパール宰相家の「ラナ家」だと推測して間違いないと思われます。
とすれば、彼が「戦いました」という語りは、ラナ家がシャハ王朝内の独裁権力を掌握するための1846年の権力闘争あるいは、ラナ家内部の1885年のクーデターに際して、ラタラジューが傭兵として闘争に参加していることを意味していると推測されます。
さらに穿(うが)った推測をすれば、カルパナさんとのネパール語対話の中で「30歳」という年齢を答えた直後に、それに触発された記憶であるかのように「ラナ、ラナ」と発語していますから、ラナ家に関わる闘争への参加はラタラジューが30歳の時だと特定できなくはありません。
加えて、彼は若い頃カトマンズに住んで戦ったとも言っています。
そのように仮定し、彼が78歳で死亡したとすると、彼の生年・没年は、1816年~1894年、または1855年~1933年となります。里沙さんは1958年生まれですから、いずれの生年・没年でもは矛盾しません。
さらに言えば、30歳で戦いに参加したとすれば、里沙さんの守護霊とおぼしき存在の「ラタラジューは・・・若い頃人を殺しています」という語りにも符合することになります。
ソバナ博士の調査によれば、シャハ王朝が傭兵としてタマン族の青年たちを用いていたことは間違いない事実であるが、どのクーデターのときにどれくらいのタマン族傭兵が参加していたかという数字については定かではないという報告でした。
こうして、ラタラジューが30歳の頃にラナ家に関わる流血の闘争に傭兵として参加し、敵兵を殺していたのではないかという推測が成り立つための裏付けが検証できたということです。
(つづく)

ラタラジューの語りの検証その10

(その9からのつづき)
⑤里沙さんの想起した風景スケッチ画の照合について
里沙さんは、ラタラジューの真性異言実験セッションの後、たびたびナル村らしい風景がかなり鮮明にフラッシュバックするようになったと言います。そこで、その風景をフラッシュバックするまま描いてもらってありました。
その風景スケッチ画は、画面右側に草の茂る湿原、左側に大きな池とそこに流れ込む小川があり、その小川をまたぐ木の小さな橋があり、橋を渡る小道が緩く曲がって伸び、背景にはさほど高くはない、重なり合う三つの山が見えるという構図でした。
アンビリバボーのナル村取材チームは、このスケッチ画を持ってナル村入りし、村内でこのスケッチ画の風景にほぼ一致する場所を特定しましたが、大きな池は存在しませんでした。
村民によれば、ナル村には絵にあるような大きな池はないということでした。
しかし、さらに詳しく調査した結果、30年ほど前には絵に描かれた場所に同じような大きな池が確かに存在し、その池は大洪水によって消滅していたことが確認できたのです。
スケッチ画の絵の風景構図と実際のナル村の風景構図のほぼ正確な一致は、単なる偶然では片付けられないように思われます。
また、このナル村の風景や村民がコドなどを焼いている映像を視聴した里沙さんは、突然トランス状態に入ると同時にラタラジュー人格が現れる、というハプニングが起きてしまいました。こうした事実を重ね合わせてみますと、ラタラジューの語ったナル村は、現地調査をおこなったナル村であると考えて間違いないと思われます。
⑥Gorkha(ゴルカ地方)について尋ねられ Bua(お父さん)と応答したことについて

この対話部分は、文脈からして一見ちぐはぐに見えますが、ラタラジューがゴルカをグルカ兵のことだと取り違いしていると思われ、グルカ兵であった父のことを持ち出したと解釈できます。そう考えれば、応答としては成り立っていると判断できます。
このような判断に経てば、ラタラジュー人格が、ネパール人である傍証の一つとして採用できると思われます。ネパール人にとっては、Gorkhaは地方名とグルカ兵の両方を意味する単語であるからです。また、100年から200年前の人口25人の寒村に生き、村を出ることも稀だったと思われるラタラジューには、Gorkhaがグルカ兵と同時にゴルカ地方を指すという理解ができなかったかもしれないと推測できるからです。
(つづく)

2011年11月5日土曜日

ラタラジューの語りの検証その9

(その8からのつづき)
②ナル村の沼地とヒルの棲息について
ラタラジューは、初回セッションで、ナル村の自然環境について、「沼地・・・虫虫!」と言うので、「虫がいますか。刺しますか?」と尋ねたところ、頷きながら「ヒル」と答えています。
おそらく虫とはヒルを指していると思われます。
ソバナ博士の現地調査では、ナル村には湿地が点在し、ヒルが相当多く棲息しており調査に同行した夫君ディパック・バジュラチャリヤ氏が、油断している隙に靴下に潜り込んだヒルに刺されたという報告がありました。
このナル村のヒルは、日本のものより一回り大きく、尺取り虫のような動き方をするヒルでした。ラタラジューの語ったことが事実であることが検証できました。1800mの高地にヒルが棲息していることは驚きでした。

③「ダル(豆のスープ)」と「コド(キビなど雑穀)」「トウモロコシ」など食物について

「ダル」は、ネット検索で「ダルチキンカレー」としてヒットしました。「コド」はネット検索ではヒットしませんでした。
つまり、コドはネパールでもローカルな食物で一般には知られていないということです。
ソバナ博士の現地調査によれば、コド(雑穀)はかつては主食であったが、現在は朝食かおやつとして食されているということでした。
豆のスープであるダルは、現在も炊いたご飯とともに主食になっているということです。
初回セッションで出てきた「トウモロコシの粉」については、現在もトウモロコシを使った料理が多いということでした。
また、50年ほど前までは、キビ・ヒエ・アワ、米などを栽培していたということですが、現在ではトウモロコシと野菜が中心作物になっているということです。
ラタラジューのナル村での食物についての語りの内容が、事実と一致していることが検証できたということです。

④ナル村での死者の扱いについて

ラタラジューは、死者を山(Himal)に運び火葬にすると回答しています。
ソバナ博士の目撃調査によれば、ナル村では遺体は山の上で火葬にされ、頭蓋骨の一部以外すべ灰になるまで燃やし、頭蓋骨と灰を土の中に埋め込みしばらく放置、その後すべてを川に流すということです。
また、頭部をヒマラヤに向けて荼毘に付すということでした。
ここでも、ラタラジューの語りが事実と一致していることが検証できました。
ちなみに、ナル村には墓を建てる習慣がなく、墓石からラタラジューの名を割り出すことは不可能でした。
また、ラタラジューが、「寺院に行くか」と尋ねられ「はい」と答えたように、ナル村には修復中の小さな寺院があることが確認されました。ただし、それがいつごろから存在していたかは確認できませんでした。
(つづく)

2011年11月4日金曜日

ラタラジューの語りの検証その8

(その7からのつづき)
「その7」までは、ラタラジューの用いたネパール語についての検証を述べてきました。
今回からは、ラタラジューの語った内容についての検証を述べていきます。

①ナル村の実在について
 

ラタラジュー人格が最初に現れ、ナル村村長だと告げた2005年6月当時のネット検索では「ナル村」はヒットしませんでした。
このことは、拙著『前世療法の探究』を読んだ大門教授も、同様に2006年に検索しておりヒットしなかったことを確認しています。
したがって、初回セッション時に里沙さんがネット検索によって「ナル村」を知っていた可能性は排除できます。

ところが、二回目の実験セッション直後の2009年5月21日に、念のため再度「ナル村」を検索したところヒットしたのです。
それは青年海外協力隊の派遣先としてナル村が掲載されていたからでした。
その記事によれば、カトマンズから直線で南方25kmの距離にある寒村でした。

そのローマ字表記のNalluで検索すると、ナル村は、ゴルカ地方に隣接するラリトプール地方のカトマンズ盆地内にあり、1991年の調査によれば、320世帯1849名、村民の言語の97%はタマン語であることが分かりました。
ラタラジューが日本語で語った「カトマンズに近い」、ネパール語で語った「父はタマン族」にも符合し、ナル村はこの記事の村だと特定できると判断できます。

筆者が調査を依頼した、ネパール在住のソバナ・バジュラチャリヤ博士(文化人類学)、ディック・バジュラチャリヤ氏夫妻の現地調査によれば、ナル村は海抜1,800m、カトマンズ中心部から南へ34km(車で2~3時間)にあり、2010年現在、人口2,277人、420世帯の四方を山に囲まれた寒村でした。

人口の97%を占めるタマン族の90%以上が仏教徒、7%以上がヒンズー教徒であるということです。自動車を用いると、未舗装の狭い山道を命がけで目指すという僻地にあり、観光客のけっして寄り付くような場所ではないということでした。
したがって、被験者里沙さんが、このナル村の存在をネット検索など通常の方法で知った可能性はまず考えられません。
カトマンズ住人でさえほとんどナル村の存在を知らないからです。
里沙さんはネット検索そのものができません。仮にできたとしても、Nalluというやや特殊な表記を知っていない限りヒットしないのです。
日本人観光客が見るべきものなど皆無の交通不便なナル村に立ち寄ることも考えられません。
したがって、ネパール観光に訪れた知人・友人からナル村の情報を取得した可能性は排除できます。

また、里沙さん自身が、ネパール旅行をしたことがないことも確認しました。
里沙さんがナル村を知ったとすれば、知人などにナル村に派遣された海外青年協力隊員がおり、そこからナル村の情報を取得することでしょう。
しかし、そのような知人・友人は存在しませんでした。
そもそも、ラタラジューが最初に顕現化した2005年当時には、ナル村には青年海外協力隊は派遣されていないのです。
そのようなナル村の存在をなぜ里沙さんが語ることができたのでしょうか?

また、ラタラジューという、古風で、現在ではかなり稀な、しかし確かに実在する名前をどうして知ったのでしょうか?
2005年6月におこなったセッションで、タエの次の人生としてラタラジューが顕現化していますから、このときのセッションの事前に、ラタラジューという名前、ナル村の諸情報を収集しており、それらを素材に作話していたことを意図的に語ったということでしょうか?

それとも、たまたま潜在記憶としてそれら諸情報が蓄積されており、無意識的にそれら諸情報を編集・加工してラタラジューの架空物語を語ったのでしょうか?ならば、どこでそのような諸情報に接することができたのでしょうか。

そうした可能性を疑うのは、何としても生まれ変わりを認めたくないがための牽強付会な解釈に思えます。
「タエの事例」、「ラタラジューの事例」の解釈については、ラタラジューの語りの検証後にじっくり検討したいと思います。

(つづく)

2011年11月3日木曜日

ラタラジューの語りの検証その7

(その6からのつづき)
ラタラジューの現在進行形の会話の意味するもの
前世人格ラタラジューは次のような、現在進行形でのやりとりをしています。
CL  Tapai Nepali huncha?
   (あなたはネパール人ですか?)
KA  ho, ma Nepali.
   (はい、私はネパール人です)
CL  O. ma Nepali.
   (ああ、私もネパール人です)
このやりとりの重要性は、ついうっかり見落とすところですが、現れた前世人格のありようについてきわめて興味深く示唆に富むものだと言えそうです。
つまり、前世人格ラタラジューは、今、ここにいる、ネパール人カルパナさんに対して、「あなたはネパール人ですか?」と、明らかに、今、ここで、問いかけ、その回答を確かめているわけで、「里沙さんが潜在意識に潜んでいる前世の記憶を想起している」という解釈が成り立たないことを示しています。
つまり、ラタラジューは、「前世記憶の想起」として里沙さんによって語られている人格ではないのです。
里沙さんとは別人格として現れている、としか思えない存在です。
その「別人格である前世のラタラジューが、里沙さんの肉体(声帯)を用いて自己表現している」と解釈することが自然ではないでしょうか。
前世を生きたラタラジュー人格は、肉体こそ持たないものの、今、ここに、存在している人格(意識)として顕現化しており、現在進行形で会話しているのです。
この現在進行形でおこなわれている会話の事実は、潜在意識の深淵には魂の自覚が潜んでおり、そこには前世のものたちが、今も、生きて、存在している、という筆者のSAM前世療法独自の作業仮説が正しい可能性を示している証拠であると考えています。
さて、ここでラタラジューの用いたネパール語の真偽の検証を終わります。
次回からは、語られた事実関係について検証していきます。
(つづく)

ラタラジューの語りの検証その6

(その5からのつづき)
非公式、地方色の濃いswasni (妻)という語に反応したこと
拙著『生まれ変わりが科学的に証明された!』P55に、次のラタラジューとカルパナさんのネパール語会話があります。
KAはネパール語話者カルパナさん、CLは里沙さんです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
KA ① Tapaiko srimatiko nam ke re? 
   (奥さんの名前は何ですか?)
CL  Oh jirali
   (おー、ジラリ)※意味不明
KA ② Srimati, swasniko nam?  
   (奥さん、奥さんの名前?)
CL  Ah ... ah ... mero swasni Ramel...Rameli.
   (あー、あー、私の妻、名前、ラメリ、ラメリ)
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うっかり見落とす会話個所ですが、注目すべきは、カルパナさんが
①で妻という単語を srimati と用いたときには、ラタラジューは意味不明な Oh jirali  と答えていることです。
そこで、カルパナさんは、②で srimati とともに swasni という妻を意味する別の単語を付け加えて再度尋ねています。
すると、ラタラジューは、mero swasni Ramel...Rameli.(私の妻、名前、ラメリ、ラメリ)と答えています。
つまり、①で用いられた妻を意味する srimati ではその意味が理解できないとも受け取れる反応を示したのに対し、②で用いられたもう一つの妻を意味する swasni にはきちんと意味を理解して、mero swasni Ramel..のように答えています。
どうも、ラタラジューには srimati の意味が理解できず、 swasni なら理解できると言えそうです。
このことは、なにを意味しているのでしょうか。
中部大学のネパール人客員研究員カナル・キソル・チャンドラ博士によれば、
srimati は公式の一般的ネパール語であり、swasni は非公式、地方色の濃い語であるということです。
そして、swasni なら理解できるが srimati が理解できないという事態は、昔のネパール人やネパール語を母語としないタマン族のようなネパール在住のネパール人ならありうる、ということだそうです。(大門正幸『スピリチュアリティの研究』P68)
以上のような解釈に立てば、前世人格ラタラジューはタマン族が97%(2010年現在)を占めるナル村の住人であり、100年程度昔の人間であるからこそ、公式のネパール語で妻を意味する srimati が理解できず、非公式の用語 swasni しか理解できないことは当然だと言えそうです。
つまり、 srimati の意味が理解できず、 swasni なら理解できるということは、ラタラジューがかなり昔のタマン族として実在していた有力な状況証拠だと判断できると思われます。
同時に、里沙さんが、非公式で地方色の濃い swasni というネパール単語を学ぶことはほとんどありえないでしょうから、里沙さんが密かに、どこかで、誰かにネパール語を学んでいるはずだ、という疑いも晴れるということになります。
ちなみ、にポリグラフ検査でも、ネパール語を学んだ記憶の痕跡はない、という鑑定結果が出ています。
詳細に分析すれば、わずか24分間のネパール語会話のなかであっても、ラタラジューが自分の実在を示す状況証拠をいくつも残してくれたことに驚くばかりです。
また、こうした発見を一つずつして、前世人格実在の証拠固めをしていくことが、生まれ変わり研究の醍醐味でもあります。
(つづく)

ラタラジューの語りの検証その5

(その4からのつづき)

「8と70」という年齢表示を用いていることについて

真性異言研究チームの中部大学大門正幸教授が『スピリチュアリティの研究』を風媒社より出版されました。
この本の後半は、共同研究者として立ち会った大門教授の視点から、「ラタラジューの事例」のネパール語分析が述べられています。そして、拙著『生まれ変わりが科学的に証明された!』ナチュラルスピリット社、で私がすでに触れている同じ会話部分(前掲書P107)の分析の補足として次のような記述があります。
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ラタラジュー人格が話すネパール語がタマン語話者の話すネパール語、それも大変古いネパール語であることを示唆する痕跡が見つかりました。それは数字の数え方です。
死亡した年齢を聞かれたとき、ラタラジュー人格は、aaTh sattariri(アト サトリ=8と70)のように答えています。現代のネパール語では1の位を先に述べるような数え方をしないので、カルパナ氏(ラタラジューと会話した話者)はとまどいながら「70ですか?」と答えています。カルパナ氏の反応を裏付けるように、この部分を聞いたネパール人は、口をそろえて「ネパール語としては不自然だ」と判断しました。
しかし、現地でこの点について確認したところ、78歳のプリティヴイ・ガラン氏が「確かにナル村では、昔は『8と70』という数え方をしたが、教育が普及してからそのような言い方はしなくなり、今の人に聞いてもそのような数え方を知っている人はほとんどいない」と語ってくれました。
大門正幸『スピリチュアリティの研究』風媒社、2011、P81
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ラタラジュー人格が、死亡年齢を「8と70」、つまり、78歳だと答えたことの重要性は、4年前の1回目のセッションで、日本語で「78歳で死んだ」と明確に答えており、4年後の時点でもネパール語で、「8と70」=78歳で死亡したと死亡年齢にぶれがなかったことにあるととらえたことでした。
つまり、4年前のセッションで顕現化したラタラジュー人格と4年後に顕現化したラタラジュー人格が、同一人格であることの証明として重要性を認めたということでした。これは、ラタラジュー人格が里沙さんの恣意的に作り出した架空の人格ではない状況証拠だと思われたからです。
大門教授の今回の現地調査で、「8と70」という年齢表示法が、かなり古いネパール語の年齢表示法として実際に使われたいたという確認は、「ラタラジュー」という昔に使われた名前であることに加えて、100年前程度以上の昔にラタラジューが実在した強力な状況証拠と言えそうです。
なぜなら、ラタラジューが実在したのは1784年~1933年のうちの78年間であろうと推測できるからです。
「8と70」という年齢表示をラタラジューがしたのは、古い時代のネパール語話者としてはむしろ当然の表示法であり、ラタラジューが実在した強力な状況証拠の一つであると言えそうです。
また、「8と70」という、現代ネパール語では用いない年齢表示法は、仮に被験者里沙さんが密かにネパール語を学習していたにしても、まず学べるはずのない年齢表示法であり、里沙さんがネパール語を学んではいないという証拠(真性異言の証拠)でもあると言えそうです。
大門教授の現地調査とは別に、ナル村の現地調査を依頼したネパール在住ネパール人文化人類学者ソバナ・バジュラチャリヤ博士の調査で、ラタラジューの実在は戸籍やその他文書、34名のナル村古老への記憶聴き取り調査でも確認はできませんでした。
しかし、「8と70」という年齢表示を用いていることをはじめ、現在のカトマンズではほとんど口にしないコドという雑穀の食物、多くのヒルの実在、山での火葬、フラッシュバックしたナル村風景などの語りの事実の諸検証結果は、ことごとく事実と一致し、このことは、ラタラジューの実在していたことを示す強力な状況証拠だと判断できるものです。
被験者里沙さんが当てずっぽうで語った内容が、すべてまぐれ当たりしたとはとても考えられません。
ラタラジュー人格が、ナル村の自然・生活環境を語っているからこそ、検証事実と一致したとみるべきでしょう。
(つづく)

ラタラジューの語りの検証その4

(その3からのつづき)
ネパール語の文法に忠実な助動詞の使用


ネパール語の文法は主語の人称と尊敬語に対応して、動詞・助動詞が複雑に変化する特徴があります。
たとえば、日本語の「です」に当たるネパール語の助動詞は、一人称の場合では「hu」であり、二人称と尊敬語では「hunuhuncha」に変化します。さらに三人称になると「ho」と変化します。
ラタラジューは、「私のお父さんはタマン族です」というネパール語を、「お父さん」という尊称に対応した助動詞の「です」のhunnuhunchaを忠実に用いて、「mero buwa Tamang hunnuhuncha.」と発話していることが、アンビリバボー番組制作スタッフの検証によって明らかにされました。
こうした文法の助動詞変化に忠実な発話ができることは、ラタラジューがネパール語の運用をただしくできる能力を持っている有力な証拠の一つとして採用できると思われます。

ネパール語の不規則な数詞の使用


ネパール語の数の数え方には規則性がないので、記憶するには数詞ごとに一つ一つ覚えなければならないので大変やっかいです。
たとえば、日本語の場合には一の位の「いち・に・さん」が十の位でも「じゅう・いち」「じゅう・に」「じゅう・さん」と十の位の後に連結して用いられるので覚えやすいと言えます。ところが、ネパール語の1・2・3は「ek」「dui」「tin」ですが、11・12・13、はそれぞれ「egara」「bara」「tera」 であり、まるで規則性がなく非常に覚えづらいのです。
ラタラジューは、このネパール語の数詞の「tis(30)」 「pachs(25)」 「Ath satori (8と70)」の三語を自ら発語しています。この複雑な数詞をよどみなく発話した事実は、ネパール人ラタラジュー人格が現れて会話したとする一つの有力な傍証として採用できると思います。
(つづく)